展覧会
所蔵作品展 MOMATコレクション(2025.7.15–10.26)
会期
会場
東京国立近代美術館所蔵品ギャラリー(4F-2F)
2025年7月15日-10月26日の所蔵作品展のみどころ

MOMATコレクションにようこそ!
当館コレクション展の特徴をご紹介します。
まずはその規模。1952年の開館以来の活動を通じて収集してきたおよそ14,000点の所蔵作品から、会期ごとに約200点を展示する国内最大級のコレクション展です。そして、それぞれ小さなテーマが立てられた全12室のつながりによって、19世紀末から今日に至る日本の近現代美術の流れをたどることができる国内随一の展示です。
今期の見所紹介です。所蔵する国指定の重要文化財18点のうち、油彩全5点が久しぶりに一堂に会します。3室ではそのうちの1点、岸田劉生《道路と土手と塀(切通之写生)》を掘り下げて紹介します。また6室「1940年」、9室「山村雅昭「ワシントンハイツの子供たち」」、10室「絵画と目的」などは、戦後80年という節目に関わる企画です。さらに今期は、新収蔵作品が多く展示されています。個々の作品と共に、女性アーティストの再評価、地域的多様性への配慮といった近年の収集方針にもご注目下さい。長く館を代表してきた顔ぶれにフレッシュな新星と、盛りだくさんのMOMATコレクションをお楽しみください。
今会期に展示される重要文化財指定作品
今会期に展示される重要文化財指定作品は以下の通りです。
- 1室 土田麦僊《湯女》1918年(展示期間:2025年7月15日~8月31日)
- 1室 原田直次郎《騎龍観音》1890年、寄託作品、護国寺蔵
- 1室 和田三造《南風》1907年
- 2室 萬鉄五郎《裸体美人》1912年
- 2室 中村彝《エロシェンコ氏の像》1920年
- 3室 岸田劉生《道路と土手と塀(切通之写生)》1915年






展覧会について
4階
1~5室 1880s-1940s 明治の中ごろから昭和のはじめまで
「眺めのよい部屋」
美術館の最上階に位置する休憩スペースには、椅子デザインの名品にかぞえられるベルトイア・チェアを設置しています。明るい窓辺で、ぜひゆったりとおくつろぎください。大きな窓からは、皇居の緑や丸の内のビル群のパノラマ・ビューをお楽しみいただけます。
「情報コーナー」
導入部にある情報コーナーには、MOMATの歴史を振り返る年表と関連資料を展示しています。関連資料も随時展示替えしていますのでお見逃しなく。作品貸出中の他館の展覧会のお知らせや、所蔵作品検索システムも提供しています。
1室 ハイライト

3000㎡に200点近くが並ぶ、所蔵作品展「MOMATコレクション」。「ハイライト」では近現代美術を代表する作品を揃え、当館のコレクションの魅力をぎゅっと凝縮してご紹介しています。 今期はとにかく豪華です! 日本画のコーナーでは、前期(7月15日-8月31日)は土田麦僊《湯女》(1918年・重要文化財)、速水御舟《京の家・奈良の家》(1927年)、後期(9月2日-10月26日)は小林古径《唐蜀黍》(1939年)など、時代を画する重要作品を展示します。ケースの外には、重要文化財の原田直次郎《騎龍観音》(1890年)、和田三造《南風》(1907年)のほか、人気作品で国内外への貸出も多い古賀春江《海》(1929年)が、約2年ぶりにMOMATコレクション展に帰ってきました(隣に並ぶマックス・エルンスト《砂漠の花(砂漠のバラ)》(1925年)との呼応にも要注目)。ポール・セザンヌ、ピエール・ボナール、アンリ・マティスなど、日本の前衛美術に大きな影響をもたらした西洋の作家たちの作品も、じっくりご堪能ください。
2室 大正の個性派たち

1912年夏目漱石が「文展と芸術」と題して書いた展覧会評の、「芸術は自己の表現に始まって、自己の表現に終るものである」という言葉に象徴されるように、大正時代(1910-20年代)の日本美術は、自然や人物を眼に映るままに描くことから、個性を重視する自己表現の場へと大きな転換を迎えた時期にあたります。明治時代の末にヨーロッパで学んだ美術家たちがあいついで帰国したことや、次々と創刊される美術・文芸雑誌に、印象派以降の新しい西洋美術が紹介されたことなどが大きな刺激となりました。たとえば、あざやかな色彩と力強い筆触によって描かれた、萬鉄五郎《裸体美人》の身体をぎこちなく折り曲げた女性は、西洋の影響を大きく超え出るような、強烈な存在感で観る者を圧倒してきます。一方で、西洋の古典絵画を再発見した岸田劉生が、執拗なまでに細密描写をつきつめることで、写実のなかに高い精神性を宿す表現をめざすなど、多彩な個性が続々と生まれていきました。
3室 岸田劉生「切通之写生」は何を切り通したか?

MOMATコレクションを代表する一点、岸田劉生《道路と土手と塀(切通之写生)》(重要文化財)。油絵具の質感を生かした、ねちねちとした執拗な写実描写、うねりながら消失点へ向かっていく「道路」と「土手」と「塀」、画面を横切る謎めいた細い影など、個性あふれる特徴で同時代の絵画の中でも抜きん出た傑作ですが、コレクション展において単体で見ると、そのインパクトに気づきづらいかもしれません。そこで、この作品を主役に据えて、この一点をより深く味わうために部屋を構成しました。坂道がまるで山水画の山のように立ち上がる構図の特異さのみならず、近代化する風景を表現するという課題(例えば電柱をいかに描き入れるか?)や、土という対象に劉生が神秘性を託していたことも見えてくるはずです。《道都と土手と塀》の前と後で、何が「切り通された」のか。名品の名品たる所以をじっくりご覧ください。
4室 山と渓谷

近代登山の黎明期とされる明治時代後半、日本アルプスをはじめとする山岳地域は限られた登山家だけに許された別天地でした。ところが大正、昭和を通じて交通手段や宿泊施設が整備されるにつれ、山岳地域は人々に開かれてゆきます。日本山岳会の機関誌『山岳』によれば、1932(昭和7)年の段階で登山団体は264にまで増えていたそうですし、九州の雲仙、信州の上高地に至っては、もはや “観光地”として、1927年に選出された日本新八景の一角を占めたりしています。国立公園の指定も1930年代です。
それに従って、近代登山の黎明とともに生まれた山岳画の裾野も一気に広がりました。1930年代には、明治の昔から本格的な登山をこなしてきた古参の画家と、新参の画家との間で、山のリアリティを巡って波風が立ちもしましたが、一歩ひいて見れば、山岳地域を描いた多様な美術作品を享受できる時代が到来したのです。彼らの山と渓谷は今の私たちの眼にはどう映るでしょうか。当館コレクションから選んだ作品をお楽しみください。
5室 1930年代の絵画:現実の彼方へ、幻影の手前で

主に1934年以降の作品を紹介します。1920年代より展開されたプロレタリア芸術(社会主義・共産主義の思想から生まれた左翼的運動)は、しばしば国から弾圧されてきましたが、1934年は運動へ大弾圧が行われた年です。これ以降、社会は閉塞感を深め、戦争へと向かっていくことになります。眼前の厳しく、苦しい現実に、芸術家はどのように反応し、表現として提示したのでしょうか。
山口薫《古羅馬の旅》(1937年)に見られる古代への憧憬、北脇昇《空港》(1937年)や三岸好太郎《雲の上を飛ぶ蝶》(1934年)に見られる超現実的世界はいずれも、いま・こことは別の場を希求する意思の現れでしょう。一方、山下菊二《鮭と梟》(1939年)のこちらを鋭くまなざす魚と鳥や、福沢一郎《二重像》(1937年)のこちらに背を向けた人物の存在は、いま・ここの彼方ではなく、絵の手前に立つ鑑賞者自身を強烈に意識させるものです。あるいは、長谷川三郎《アブストラクション》(1936年)など、肉眼にうつる現実から距離を置き抽象へと向かう芸術家たちが、作品へ込めた抵抗にも注目ください。
3階
6~8室 1940s-1960s 昭和のはじめから中ごろまで
9室 写真・映像
10室 日本画
建物を思う部屋(ソル・ルウィット《ウォールドローイング#769》)
6室 1940年

日中戦争がはじまって3年。「ぜいたくは敵だ」というスローガンが流布するなど、当時の日本は総力戦体制下にありました。また1940年は初代天皇とされる神武天皇が即位してから2600年の節目の年にあたり、各地で建国記念の祝典行事が開かれました。美術の分野においても「紀元二千六百年奉祝美術展覧会」などの展覧会が開催され、多くの美術家が参加しています。
この部屋には、1940年に制作、あるいは発表された作品だけを並べました。戦時下の表現としてこれらを見渡した時、どのような印象を受けるでしょうか。一見、戦争とは関係がなさそうな表現であっても、時局と密接に結びついた作品もあります。例えば、須田国太郎が描いた鷲は、当時の日本では戦闘機を象徴する戦勝祈願のモチーフであり、桂ゆきの《作品》は元々「賀象」という祝賀的なタイトルで発表されました。総力戦においては、人々の暮らしと同様、美術も戦争に資するものとして存在せざるを得ませんでした。
7室 戦後の女性画家たち

明治期以降、芸術家を志すようになった女性たちの活動の場が大きく広がったのは、戦後の民主化の流れにおいてでした。教育の場では1945年より、東京美術学校(現・東京藝術大学)や京都絵画専門学校(現・京都市立芸術大学)が、それまで入学が認められていなかった女子学生を受け入れるようになります。また、戦後いち早く個展を開いた三岸節子らが中心となり、女性の画家たちの芸術的向上と新人の登竜門となることを目指して結成された女流画家協会は、実際に多くの女性の画家たちの発表の場となりました。さらに、官展をはじめ、二科会や独立美術協会、新制作協会、前衛美術会、光風会などの展覧会に出品したり、海外に出て活躍したりする女性たちも増えていきます。とはいえ、制作の環境や発表の機会、批評のあり方においてまだまだ男女平等とはほど遠い状況でもありました。ここでは、戦後まもない時期に、それぞれの困難と向き合いながら、たゆまず制作を続けた女性の画家たちの作品を紹介します。
8室 ジャンクとポップ

撮影:大谷一郎
大量生産・大量消費社会を迎えた1960年代、身の回りにあふれる既製品や廃棄物、がらくたを用いつつ、大衆文化のイメージを体現するような、ジャンクでポップな表現が数多く生まれました。アメリカでこの流れをけん引し、日本の美術界にも大きなインパクトを与えたのが、今年生誕100年を迎えるロバート・ラウシェンバーグ(1925-2008)です。平面と日用品や廃品とを組み合わせた「コンバイン・ペインティング」で知られるラウシェンバーグは、1964年と1980年代に複数回来日し、日本の芸術家や評論家たちと交流しました。他方、今年生誕90年を迎える菊畑茂久馬(1935-2020)は、1960年代の日本における「反芸術」の中心的な存在であり、とりわけ材木の支持体にルーレットの形を彫り、ときに廃品を組み合わせることで、絵画を大衆社会に接近させた「ルーレット」のシリーズで知られます。さらに、1980年代にデビューして、段ボールで身の回りにあるものを作品化した日比野克彦や、自然物や人工物などのファウンド・オブジェを組み合わせて制作する大竹伸朗も、この流れに位置づけられるでしょう。
9室 山村雅昭「ワシントンハイツの子供たち」

ワシントンハイツとは、現在の代々木公園にあった在日米軍施設です。終戦後、日本陸軍の練兵場だったこの地を接収した占領軍は、そこに駐留軍人とその家族のための住宅地を建設します。アメリカ本国のような近代的な街並みは、戦後復興途上の東京において、周囲と隔絶した別世界のようだったといいます。
山村雅昭は大学在学中の1959年から62年にかけてこの地に通い、そこに暮らす子供たちを撮影しました。ワシントンハイツは基本的に日本人の立ち入りが禁じられていましたが、まだ学生であった山村は比較的自由に施設内に入ることができたようです。山村の写真のなかのワシントンハイツは、まるで子供たちだけが暮らす世界のようにも見え、その別世界ぶりが際立ちます。そして子供たちが思い思いに扮装したハロウィンの光景は、さらなる異界へと、見るものを誘います。
子供たちに注目することで、この作品は、戦後社会の一端を特異なかたちで記録しただけでなく、入れ子状の別世界というユニークな特質を獲得しています。
10室 アルプのアトリエ/絵画と目的

撮影:大谷一郎

1943年(展示期間:2025年7月15日~8月31日)
手前のコーナーでは、ジャン(ハンス)・アルプ(1886–1966)の彫刻制作過程でつくられた石膏複製をご紹介します。フランスのストラスブールに生まれ、20世紀初頭からパリやスイスで活動したアルプは、抽象と具象を往還する有機的なフォルムの彫刻で知られます。ここでは、アルプにとって新たな造形を発見するための重要な素材であった石膏を通して、彫刻のフォルムがどのように移り変わっていったのかをご紹介します。
奥の部屋では、戦時中の日本画家の活動を振り返ります。当館が保管する戦争記録画は、総力戦体制下において画家たちが軍部から委嘱を受けて描いたものです。藤田嗣治などによる油彩の戦争記録画がよく知られていますが、全153点のうち22点は日本画の作品です。日本画家たちは、作品を売ってその収益を軍に献納することでも戦争に協力しました。戦地を描いたものや花鳥画など画題はさまざまですが、ここにある絵画はみな戦争と密接に結びついています。
2階
11~12室 1970s-2020s 昭和の終わりから今日まで
11室 揺れる境界

1989年(展示期間:2025年7月15日~8月31日)

1992年(展示期間:2025年9月2日~10月26日)
この部屋では、政治の動きや外部からの影響によって変化する人々の営みや景観に焦点を当てた、1990年代以降のコレクションを紹介します。
当館は昨年度、石川真生による「基地を取り巻く人々」を新たに収蔵しました。石川の写真は、沖縄の米軍基地をめぐる長年の問題に向き合いながら、その影響に揺れ動く島民と、様々な出自を持つ米軍関係者を写しています。同じく、ある地域の変遷を主題とするのがシュシ・スライマンの絵画です。彼女は祖国マレーシアの複雑な歴史をたどりながら、その渦中にいた人々の存在を描き出します。田中功起の映像作品は、協働作業のなかで人々の意思がぶつかり合い、折り合っていく行方そのものを記録しています。照屋勇賢は、人間の経済活動によって変化する自然を示唆する彫刻によって、社会と環境の関係性を問いかけます。鈴木崇の写真は、2つの画面の狭間で生じる意味の揺らぎを通して、私たちが普段、目の前の景色をどのように理解しようとしているのかに意識を向けさせます。
様々な変化がもたらす「その先」を見つめる、現代の多様な表現に目を向けてみてください。
12室 ヨコ軸・タテ軸

歴史の流れに沿って作品を紹介していくMOMATコレクションは、基本的に部屋ごとにある時代を断面として見せています。大きな近代美術史の振り返りが基底にあるものの、複数の研究員がそれぞれ工夫を凝らした各部屋のテーマがより際立って見えるかもしれません。また、断面としての各部屋は時代という横軸に基づいているため、時代をまたいで活動する作家の、縦軸としての作品展開を見せにくいという難点もあります。この部屋では、石内都、辰野登恵子、毛利武士郎、横尾忠則、李禹煥を取り上げ、それぞれ数十年単位の幅で新旧の作品を集めて構成しました。5つの小さな個展です。持続的に道を極めて行く作家、あるときを境に劇的な変化を見せる作家など各々の変遷は様々ですが、見比べながらその求道やチャレンジをご想像ください。一人の作家の時代ごとの作品を収集し、その変化を追うことも美術館の仕事です。
開催概要
- 会場
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東京国立近代美術館所蔵品ギャラリー(4~2階)
- 会期
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2025年7月15日(火)~10月26日(日)
- 休館日
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月曜日(ただし7月21日、8月11日、9月15日、10月13日は開館)、7月22日、8月12日、9月16日、10月14日
- 開館時間
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10:00–17:00(金・土曜は10:00–20:00)
- 入館は閉館30分前まで
- 観覧料
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一般 500円 (400円) 大学生 250円 (200円)
- ( )内は20名以上の団体料金。いずれも消費税込み。
5時から割引(金・土曜) :一般 300円 大学生 150円
- 高校生以下および18歳未満、65歳以上、「MOMATパスポート」をお持ちの方、障害者手帳をお持ちの方とその付添者(1名)は無料。入館の際に、学生証、運転免許証等の年齢の分かるもの、障害者手帳等をご提示ください。
- キャンパスメンバーズ加入校の学生・教職員は学生証または教職員証の提示でご観覧いただけます。
- 「友の会MOMATサポーターズ」、「賛助会MOMATメンバーズ」会員の方は、会員証のご提示でご観覧いただけます。
- 「MOMAT支援サークル」のパートナー企業の皆様は、社員証のご提示でご観覧いただけます。(同伴者1名まで。シルバー会員は本人のみ)
- 本展の観覧料で入館当日に限り、コレクションによる小企画(ギャラリー4)もご覧いただけます。
- 主催
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東京国立近代美術館