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現代の眼 展覧会レビュー 錯綜と連想──ピクチャレスクから見たドイグ

近藤亮介 (美術批評家・東京大学 助教)

ピーター・ドイグ展|会場:企画展ギャラリー[1階]

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《若い豆農家》(1991年)の枝葉と柵、《コンクリート・キャビンⅡ》(1992年)の木立、《スキージャケット》(1994年)の雪。ピーター・ドイグの絵を初めて見たとき私を魅了したのは、何の変哲もない事象が画面手前で大胆に繰り広げられることで顕在化する近代絵画の両義性──自己の内面世界と絵画の物質性──だった。ところが、本展で近作から感じられたのは、自在な筆致にもまして、ロマン主義に先行する美的範疇「ピクチャレスク」との親和性である。

ピクチャレスクな風景式庭園
Thomas Hearne, A Picturesque Landscape Garden, from Richard Payne Knight, The Landscape (London, 1795).

一般的に「絵画のような」と訳される「ピクチャレスク」は元々、動的なスケッチ風の描写に相応しい対象の性質を示す用語だった1。最初の実践者ウィリアム・ギルピン(1724–1804年)がピクチャレスクの主要因と見なしたゴツゴツした岩や角張った牛に備わる「粗さ」は、その典型である2。一方、理論派の郷紳ユーヴデイル・プライス(1747–1829年)は、ピクチャレスクな快の源泉の一つに「錯綜」を挙げる。錯綜とは「                                  」を表し、「突然の隆起や、不意の砕けた様式で互いに交差する線」に起因する3。こうしてピクチャレスクの焦点は、個別の対象から諸対象の関係性へシフトした。

プライス家の地所「フォクスレー」の風景
Thomas Gainsborough, Beech Trees at Foxley, Herefordshire, with Yazor Church in the Distance, 1760. Whitworth Art Gallery, The University of Manchester

平凡なモチーフを凝視に価する対象へと変えたドイグの初期作品に認められる効果は、この錯綜と類似する。しかし、ドイグとピクチャレスクとの関係は、表面的な視覚効果にとどまらず、彼が関心を抱く「知覚のプロセス」にも見出される4。ここで重要なのは感覚と知覚の差異だ。プライスの隣人にして 好事家ディレッタント のリチャード・ペイン・ナイト(1751–1824年)は、「知覚は精神の作用である。それに反して、感覚は感官への印象である」と述べ、イギリス経験論から発した観念連合主義をピクチャレスクへ適用した5。美的判断は、客体のもたらす普遍的な感覚ではなく、主体の感情や記憶を含めた知覚に基づくと考えたからである。絵画が「ある光景の生々しさと頭のなかのなにかとのあいだにあるイメージをどうにかして描こうとする仕方で現れる」というドイグ自身の発言は、まさしくナイトの見方と一致する6

この点に関連して、美術批評家ロザリンド・クラウスは、ジョンソン辞典増補版(1801年)が掲げるピクチャレスクの定義の一つ「 特異点シンギュラリティ 」に注目し、19世紀初頭までは特異なもの(=オリジナル)と公式的・反復的なもの(=コピー)が相補関係にあったと指摘する。風景の特異性とは、ある土地の静的・不変的な特徴ではなく、「あらゆる瞬間に風景が浮かび上がらせるイメージと、それらの光景ピクチュアが〔主体の〕想像力の中に記入される仕方の函数なのである」7。ピクチャレスクという美的快の根底には常に、複数性と単一性や、制作と享受とのあいだの揺らぎ、すなわち連想がある。ドイグの場合、その連想は、しばしば現実風景から複製媒体へ、複製媒体から絵画へ、絵画から観者へと、三重にも増幅されている。

会場風景(右は《馬と騎手》)│撮影:木奥惠三

要するに、ピクチャレスクは特権階級だけが発見できる対象の性質や配置ではなく、どんな「見る」主体にも存する。なるほどピクチャレスクが前提とする「絵画ピクチュア」は上流階級的な教養に規定されていたが、ドイグが扱う「画像イメージ」は明確な規範を持たない。彼の絵画においては、誰もが知る名画も、グローバルに流通する広告も、近所で撮られたスナップも、現代の視覚文化よろしく並列関係にある。ただし、そこでは種々の画像が一つに統合されているため、観者は媒体の形式や画像の情報に囚われず、見る行為そのものと向き合うように促される。ドイグは、現代美術界を賑わす思弁的実在論などおかまいなしに、知覚する人間を徹底的に探究しているのだ。こうして絵画は、私たちの無数の観念に連なって半永久的に新しい物語を紡ぎ続ける。

  1. Richard Payne Knight, An Analytical Inquiry into the Principles of Taste, 2nd ed. (London: Payne, 1805), pp. 148–150.
  2. William Gilpin, Three Essays: on Picturesque Beauty; on Picturesque Travel; and on Sketching Landscape: to which is Added a Poem, on Landscape Painting, 2nd ed. (London: Blamire, 1794), pp. 6, 16–20.
  3. Uvedale Price, An Essay on the Picturesque, as Compared with the Sublime and the Beautiful; and, on the Use of Studying Pictures, for the Purpose of Improving Real Landscape, New ed. (London: J. Robson, 1796), pp. 26, 60–61.
  4. リチャード・シフ(吉田侑李、桝田倫広訳)「漂流」、『ピーター・ドイグ』図録、東京国立近代美術館、2020年、176–177頁。
  5. Richard Payne Knight, The Landscape, A Didactic Poem. In Three Books. Addressed to Uvedale Price, Esq., 2nd ed. (London: G. Nicol, 1795), p. 19.
  6. マシュー・ヒッグス(桝田倫広、吉村真訳)「ピーター・ドイグ──20の質問(2001年)」、『ピーター・ドイグ』図録、東京国立近代美術館、2020年、209頁。
  7. Rosalind E. Krauss, The Originality of the Avant-Garde and Other Modernist Myths (Cambridge: The MIT Press, 1985), p. 164.〔ロザリンド・E・クラウス(小西信之訳)「アヴァンギャルドのオリジナリティ」、『オリジナリティと反復』、リブロポート、1994年、132頁〕

『現代の眼』635号

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