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現代の眼 展覧会レビュー 「眠り展」から捉える睡眠文化

鍛治恵 (NPO法人睡眠文化研究会 事務局長)

眠り展:アートと生きること ゴヤ、ルーベンスから塩田千春まで|会場:企画展ギャラリー[1階]

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会場風景│撮影:本多康司

健康のバロメーターである毎日の眠り。そして健康増進に寄与するとして、より良いものが目指される眠り。しかし、人にとっての眠りが昔から健康に結びつけて考えられていたわけではない。その仕組みが科学的に解明される以前、一日の終わりに訪れる眠りには翌日の目覚めが確実に約束されるかわからないという不安があった。毎晩の眠りは死を連想させ、言ってみれば毎晩訪れる小さな死とも考える時代があった。ギリシャ神話の世界では、眠りの神ヒュプノスと死の神タナトスは、夜の女神ニュクスから生まれた兄弟と考えられている。

 眠りは個人の生理的な現象である一方、生きている社会、覚醒した世界の影響も受ける。つまり、社会が文化と深く関わっていることを踏まえると、眠りには文化的な側面が大いにあると言えるだろう。

当初、「眠り展」は東京オリンピックが閉幕したあとに予定されていた。「祭り」という非日常が過ぎて、再び日常でくり返される生の営みである「眠り」というテーマとして企画されていたそうだが、新型コロナウィルスによってオリンピックは延期され日常生活も大きな変化を余儀なくされた。目に見えない感染症の出現による思いがけない社会の変化は、日々の暮らしのあり方を大きく変え、私たち人間の基本的な生理現象「眠り」と「目覚め」を見つめ直すことを促した。人によっては眠りに問題を感じて、改めて、私たちは社会の中で眠ってきたことに気づく。

眠る、覚めるという行為をアートの世界で表現するということには、覚醒した状態での考え方、価値観が反映される。作品を通して、時代ごとの社会の様相を覗くことができる。

眠り展は、眠りという当たり前の行為に対して、今日健康増進に深く関わる大切な時間と理解される一方で、睡眠に対してはマイナスのイメージも多く抱かれているのではないだろうか。

人だけでなく、対象物が眠っている状態という、眠りの比喩、暗示が込められた作品の数々への切り口も興味深い。作品は見る側の私たちに、「眠る」あるいは「目覚める」という行為そのものを、ポジティブに捉えるかネガティブに捉えるか、それらの価値観を問いかけてきている。そしてその、作者の思いだけでなく、見る側の眠りに対する考え方、意識の向け方は、時代や社会が変わることでまた変化してくるのではないだろうか。

この展覧会の切り口、コンセプトそのものが、眠りを文化的な視点から捉えた大変ユニークで斬新なものとなっている。個々の作品の世界を堪能しつつ、眠りを文化的な視点で捉えることでそれらの作品を繋いだ展覧会全体を味わうことが、「眠り展」の楽しみ方ではないだろうか。

会場風景 撮影:本多康司

『現代の眼』635号

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