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現代の眼 展覧会レビュー 「ゆるさ」を徹底する

市川紘司 (東北大学大学院工学研究科助教)

隈研吾展 新しい公共性をつくるためのネコの5原則|会場:企画展ギャラリー[1階]

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とても、隈研吾らしい、、、隈研吾展である。

カタログ所収の保坂健二朗「建築展のプロセス」によれば、展覧会の端緒は、新潟県長岡市の複合施設「アオーレ長岡」である。駅に直結し、様々な人が思い思いに滞在するこの建築の「特徴的な公共性」に感銘を受けた保坂が、今回の隈の個展を企画した。

とはいえ、この展覧会はそうした地に足のついたモチベーションとは別の、特殊な意味も持たざるを得ない。なんと言っても、隈は紆余曲折を経た新国立競技場のデザイナーなのだ 1。それを主舞台とする東京五輪に合わせて国立の施設で開かれているのが本展である。だから私たちは、どうしたって、あの建築がどう展示されるのかが気になる。くわえて、展覧会が当初予定された2020年は、隈が母校の東京大学教授を退任するタイミングでもあった。つまり、作品的にもキャリア的にも、なにかしらのピークや画期が演出されてもおかしくない展覧会だったのだ。

興味深いことに、現実の展覧会は、全体としては拍子抜けするほどに通常モードな隈研吾展である。「孔」「粒子」などの近年のキー概念によって展示セクションを5つに分け、「公共性」に関係する代表作の模型が所狭しと陳列されている。ユニークなのは、映像コンテンツを盛り込んだ点だろう[図1]。作家3名による映像インスタレーション、及び東日本大震災と熊本地震の復興建築の施主インタビュー映像が制作された。他人の視点と声を介することで、「対話」を重視するこの建築家の特徴がよく引き出されている。

図1 「復興と建築をめぐるインタビュー」|撮影:木奥惠三

「隈らしい隈展」と冒頭表現したのは、特別と言うべきタイミングの展覧会での、こうした通常モード感にほかならない。畢竟、本展は代表作をカタログ的に一覧する「隈建築入門」的展示であり、モニュメンタルな意図はほぼ込められていない。このことは新国立競技場の扱いにも示されている。競技場は最初の展示室で(それこそ象徴的に)観客を出迎えはする[図2]。しかし断片的なスタディ模型に留められていて、公共性という主題から深堀りされることもない。完成版はというと、「粒子」セクションの隅っこで、いかにもワンオブゼム的に展示されるのみだった。

図2 《国立競技場》2019年|撮影:木奥惠三

著述家としても多作な隈は自らの思想を言葉で明快に表明してきた。なかでも「負ける建築」はよく知られた概念だろう。巨大で目立つ、つまり「勝つ」建設行為が嫌われるポストバブル時代の日本において、いかに「負ける」ことで建築をつくるか。この思想からすれば、なるほどモニュメンタリティを極力排した本展はとても隈らしい。喧々諤々の議論の火種になりそうな競技場をことさら強調しないのも、当然とさえ思える。

隈研吾はいまや、1964年五輪で活躍した丹下健三にならぶ国民的建築家だ。隈自身、セクション解説やカタログでたびたび丹下を引き合いに出している。展覧会内展覧会と言うべき「東京計画2020」も、丹下の「東京計画1960」との比較が興味深いプロジェクトである。しかし「負ける建築家」隈は、当然ながら丹下のように壮大なプランなど描かない。むしろSNS時代の炎上回避のスター、ネコに表現を任せ切ってしまう。ネコはさらにロゴやサイン計画、模型にも散りばめられている[図3]。こうして会場は和やかな、ゆるい雰囲気をまとうことになった。

図3 会場内の案内パネル

そう、この展覧会はゆるく、、、楽しむべきものだと思う。図面展示は少なく、平面図に至っては一枚もない。建築の構成を厳密に考えてもらうことなど、そもそも想定されていないのだ。それよりも、まずはゆるく建築を楽しんでもらうこと。「厳密さ」と「ゆるさ」は、巨大で複雑な建築というデザイン領域においては必ずしも相容れない性質ではないが、少なくとも今回の展示では明快に優先順位が付けられ、そのためのデザインが徹底されている。

実際、厳密に見れば疑問点が次々と浮かんでくる展覧会ではある。競技場の曖昧な位置づけ、図面を排する一方で専門的な固有名がオンパレードの解説、「建築展と映像」というテーマにそぐわない形式的なゾーン区分……等々。つまるところ、展覧会全体を統括するような視点が見出しづらい。

だが、このような疑問は、全体から細部までの一貫性を是とする建築のトレーニングを受けた人間だけが覚えるものなのかもしれない。本展が放つメッセージは真逆である。建築の全体性、一貫性など放棄し、ゆるく考えよ——。そう受け取れば、別の意味での強固な一貫性が立ち現れてくる。その意味では非常にラディカルな展覧会と言える。正直に言えば、そうした「ゆるさ」が未来の建築と建築家になにをもたらすのか、評者には判断がつかない。しかし、こうした「ゆるさ」の許容こそ、ルーバーという絶対的なデザイン・シグネチャーを持つ隈建築の特徴そのものであり、全国津々浦々で(それこそ「ゆるキャラ」のように)受け入れられてきた要因でもあった。

この意味でも、本展はやはり「隈らしい隈展」だ。対話を好み、ネコを愛で、iPhoneでパシャパシャと写真をとる。丹下のような英雄的な建築家とは対照的な、親みやすく「ゆるい」建築家像がたくみに表現されている。

  1. 新国立競技場は大成建設・梓設計・隈研吾建築都市設計事務所の共同企業体による設計。

『現代の眼』636号

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