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現代の眼 MOMATコレクション 出来事を興す—加藤翼インタビュー

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00年代末から、木材で作った巨大な構造物を大勢の人がロープで引っ張り、倒したり立ち上げたりする行為を写真や映像で発表してきた加藤翼(1984-)。当館では、東日本大震災後の福島県いわき市に集まった約500人が参加した大規模なプロジェクトを撮影した《The Lighthouses – 11.3 PROJECT》(2011)を収蔵する。MOMATコレクションでの展示(2021年6月1日~9月26日)を機に、作品の制作背景や理念を伺った。

聞き手:
成相肇(東京国立近代美術館主任研究員)

2021年7月27日
オンラインでのインタビュー

加藤翼《The Lighthouses – 11.3 PROJECT》2011年 キャプチャ画像

――まず、《The Lighthouses―11.3 PROJECT》の制作背景や経緯をお聞かせください。なぜあの場所で、なぜ灯台なのでしょう。

東日本大震災が起きたときに僕は大阪にいて、3月12・13日に大阪城公園で「引き倒し」のパフォーマンスをやる予定でした。現地の人たちの家の形をトレースした構造体を作って引き倒すというプランだったんです。その搬入作業中に震災の速報があり、夜に映像で被災状況を知って、家を引き倒すというパフォーマンスをやるわけにはいかないんじゃないかと考え直すことになった。翌日のイベントはひとまず中止にしてもらって一昼夜悩んだのですが、全部なかったことになるのも違うと思ったし、変化があることは大事なリアクションにもなりえるという気がした。そこで、水平に寝ている構造体を一方向から引っ張るプランを二方向から引っ張るプランに変え、パフォーマンス名の「引き倒し」を「引き興し」に改めることにしたんです。一方向から引っ張るだけだと構造体の自重で勢いよく倒れるんですが、反対方向からも引っ張れば、ゆっくり転がすことができる。ゆっくり倒せるようになったことは大きな変化でした。

東日本から遠い大阪でどうしていいのかわからない気持ちが残っていたこともあって、4月の下旬から知人たちと被災地ボランティアに行きました。東北各地を回ってみると、他と比べて被災状況がそれほど報じられていなかった福島のいわき市には瓦礫がまだたくさん残っていて、ボランティアも少なかった。そこで炊き出しや建物の修繕や整体などを行いながら、いわきなら東京から通いやすいし、ずっと関われるんじゃないかと思ったんです。

その後、緊急支援的なボランティアの必要が徐々になくなってきて、地元で知り合った土建屋(小泉工業)さんから瓦礫撤去が大変だと聞いて手伝うことになりました。ボランティアというのはどうしても支援する側とされる側に立場が分かれちゃうんだけど、撤去作業員になることで、地元に近づけた。作業中に自宅の瓦礫を見に来る人から思い出話とかを聞きながら、その距離の縮まり方がすごく大切なことに思えたんです。外から来た非被災者の立場でありつつ中に混ざっていって、ここでひとつのプロジェクトができたらいいんじゃないかと考え始めました。

それから自分がアーティストであることを周囲に話して、相談していきました。山積みになった木造家屋の瓦礫は今まで使ったことのない大きな角材だったんですが、それを使って作品を作ってみたい、というより、そのくらいのことをしないと瓦礫撤去を通じて関わっている地域に対するリアクションにならないんじゃないかという気がしたんです。とりあえず何を作るかは決まらないまま、木を集め始めました。

いわき市はそもそも合併して生まれた大きな市で、海側と山側では文化も違います。僕らが作業していた海側にあたる豊間地区では皆が高台へ避難して移住し、そのまま戻らずに地区が成り立たなくなる懸念があった。そのことを踏まえて作品のモチーフも決まりました。豊間地区とその北の薄磯地区にまたがって立つ塩屋埼灯台が津波の被害を受けて消灯していたことに着想を得て、人を呼び戻す意味合いと、航行の目印である灯台というシンボルを重ねて、モチーフは灯台がいいだろう、と。

土建屋さんが別の地域の瓦礫も集めてくれて、被災したコンビニの店長から提供してもらった場所で自家発電しながら制作しました。半年くらいかかったので、今までで一番長いプロジェクトですね。できあがった構造体は起こせるかわからないほど重くなって人数も必要だったので、じゃあお祭りにしちゃおう、と地区長さんが言ってくれたんです。あの頃、震災後の自粛で夏祭りはどこも中止していたので、祭りをやりたいという思いもあったと思う。演歌歌手、よさこいやフラダンスのダンサー、和太鼓の人たちも呼んで、一時的な集合のポイントを作ることになりました。

11月3日(3.11を逆にした日)当日の「引き興し」の様子は作品の映像に収まっている通りです。灯台はそのまま固定して1ヶ月くらい立ったままにして、自分たちが使っていた発電機と大きな照明を仕込んで、近くの住人にお願いして毎日点灯してもらっていました。それから取り壊して間もなく、塩屋埼灯台が再点灯しました。

「引き興し」当日の様子 提供:加藤翼
「引き興し」当日の様子 提供:加藤翼

――当館に加藤さんの作品が収蔵されたのは、東日本大震災にまつわる作品であること、また、それに伴って災害後の人々の協力や協働の姿が描かれていることが大きな要素になっています。それが作品の主題であるとして、協力や協働は単にひとつの目的が与えられるだけでなく、対立や異論を前提にしてこそ成立し、効果を発揮するものだと思います。本作の制作過程において異なる立場はありましたか。

作品に関しては、外部から来た者によるイベントであることや、瓦礫を使うということへの批判も予想していました。露骨に家の形がわかるような部材を避けたこともあって、そこに異論は意外とありませんでしたが、地区に関して言えば、同じ地区の中でもいろんなレベルの被災があって、当事者をめぐる軋轢がありました。前提として、僕を含めて参加者の中に立場の違いがあったわけです。それと、「引き興し」はそもそも、二方向から引っ張ることで構造体の向こうの人が自ずと見えなくなる仕組みなので、見えない人同士が協力して調整しつつ引っ張るという特徴があります。

ただ、「引き興し」そのものが何かを解決するわけではなくて、僕はいろんな立場の人が混在するポイントを作っているだけです。そして、それがすごく重要なんです。常に存在しているけれど、きっかけがないと流れてしまう点。それを目に見える形で記録したいと思っています。協力や協働が主題と言えるかどうかはわかりませんし、それが大事だという感覚はありません。もちろん大事だけど、それだったら別のやり方もあるでしょう。協働は目的じゃなくて結果で、すでにプロセスにおいて発生して終わっています。僕にとっては、出来事を作ることにプライオリティがある。やってみないとわからない、すべてをコントロールできない、出来事。そのときどきの重力、そのときどきの動きが作品として結晶化されるんです。

もちろん土地や時代に結びついた条件からは離れられず、この作品の背景には震災という前提があります。でも、引っ張っている人全員が、途中から楽しいからやっているんだと切り替わるタイミングがあると思う。避難した人たちを呼び戻すためだけのお祭りではなく、joyが発生する。

僕と地元との距離が縮みすぎて同一化しちゃうと、被災者のためという目的が強くなって、例えばソーシャリー・エンゲイジド・アートだ、というように作品がカテゴライズされてしまう。それはいいことだとは思っていません。その関係を引き戻すバランスを考え続けています。

加藤翼《The Lighthouses – 11.3 PROJECT》2011年 キャプチャ画像

――加藤さんの初期作品では、大きな構造体を引き倒すというナンセンスな自己目的が作品の重要な要素であったと思います。それは、綱引きのようなスポーツや祭りの神輿のような、大人数が瞬発的に力を発散する遊戯に近い文化イベントを連想させます。ここでは、地区長が発案したお祭りという設定がポイントになっていますね。

お祭りというのは、どこまでが中心の構成員でどこからが参加者なのかわからない。誰が作っているかわからないところにおもしろさがあります。例えばテキ屋のお店があったとして、そこに並ぶ人もまたお祭りの雰囲気を作っている。「引き興し」もそうでありたいと思っています。被災地のプロジェクトだけど参加者が全員被災者である必要はなくて、「引き興し」が持っているある種の身体性やゲーム性によって、「出来事」化されて別物になるところがあると思う。

――出来事であるからこそ、表現媒体として映像を選ばれているわけですね。起き上がる構造体を撮ったカメラと構造体に仕込まれたカメラの2つの視点が合成された画面になっているのも、「出来事」と関わるでしょうか。

このタイプの作品を始めてからは、引っ張っている人の背後や横から説明的に撮っていて、試行錯誤を経て構造体の視点が一番しっくり来たんです。人間の主観的な視点だけではなく、構造体の視点は出来事そのものに近づくんじゃないかと。特にこのプロジェクトの場合、いろんな立場の人がぐちゃぐちゃっと混ざっていたので、ひとつ上の視点、灯台そのものの視点が欲しかったんです。

僕が好きなアーティストに、ロバート・スミッソン(Robert Smithson, 1938-1973)やフランシス・アリス(Francis Alÿs, 1959 -)がいます。スミッソンの《スパイラル・ジェッティ》(1970)もひとつの出来事だと思うんです。アリスの作品もまた、出来事性というか、時間を使ったパフォーマンスの要素を持っています。彼らのように壮大なスケールを持ちながら、詩的で美的なパッケージに最終的に持ち込むことが、僕の理想です。出発点にある固有のストーリーからどれくらい飛躍して、作品として閉じ込めることができるか。それが問われていると思っています。

会場風景 撮影:大谷一郎

『現代の眼』636号

公開日:

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