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現代の眼 教育普及 教育普及という仕事 ——東京国立近代美術館での25年をふりかえって

一條彰子 (企画課主任研究員/本部学芸担当課長)

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このたび定年を迎えるにあたり、美術館の教育普及活動とは何かをあらためて考えてみた。私的な思いも多分に交えるが、後進の参考になれば幸いである。

東近美らしさを探して—対話鑑賞を軸とした多様な層へのアプローチ

私が着任した1998年当時の東近美は、大規模改修工事や独立行政法人化を目前に控え、21世紀に向けての在り方を再考している時期であった。初の教育専門学芸員として採用された私もまた、これからの東近美の教育普及を考える立場にあった。

本誌『現代の眼』を創刊当時からひも解くと、1952年の開館からしばらくは、数少ない近代美術館として美術愛好家の期待を一身に担い、精力的に講演・講座・友の会運営などの普及活動を行う東近美の姿を見ることができる。しかしその後、国内に美術館が増え、市民アトリエやワークショップなどの新しい潮流が生まれる中で、東近美らしい教育普及が見えにくくなっていたように思える。

美術館の役割を考える時、私はよく同心円[図1]をイメージする。中心にミッション(使命・方針)があり、そこから外に向かって順にコレクション(所蔵)、エグジビション(展示)、エデュケーション/コミュニケーション(教育普及)となる。教育普及は利用者に接する最前線である。教育学芸員は「誰に向けてどんなプログラムを提供するか」を考え、そのために利用者を知り、実践者を育成し、プログラムを運営する。同時に、ミッション・所蔵・展示への深い理解も欠かせない。美術館それぞれに教育普及の形が異なるのは、立脚するミッションや所蔵が異なるからである。

図1 美術館の役割と利用者のイメージ

東近美にはアトリエは無いが、日本の近現代美術を一望できる豊かなコレクションと常設展示、それを支える研究の蓄積がある。この特長を活かした東近美の教育普及は、「つくる」ことより「みる」ことに集中すべきと判断し、前職(セゾン美術館)での経験を背景に、鑑賞教育に重点を置くこととした。また、2003年に活動を開始したガイドスタッフ(解説ボランティア)には、米国の新しい鑑賞手法(VTS:対話型鑑賞)に基づくファシリテーションを学んでもらい、双方向的・探究的な「対話鑑賞」を提供できるようにした。ガイドスタッフとともに、毎日の一般来館者向け「所蔵品ガイド」に始まり、学校や団体へのギャラリートーク、教員研修、こどもやファミリーへの鑑賞ワークショップ、ビジネスパーソン対象の有料プログラム、英語ファシリテーターによる英語鑑賞プログラム、そしてそれらのオンライン化と、20年かけて対話鑑賞を軸に多様な層にアプローチできるように今ではなっている。

教育学芸員としての成長に欠かせなかったもの

日本の美術館の職員数は少ない。なかでも教育普及業界はスモールワールドで、東近美の教育普及室も長年、常勤1名+非常勤1名の体制だった。教わる先輩や相談する同僚が職場にいない中で、専門職として成長していくために欠かせなかった経験を、感謝を込めて四つ挙げておきたい。

一つ目は、他館の教育学芸員との学びあいである。特に着任直後の試行錯誤の時期に、ERG(全国美術館会議・教育普及研究部会)メンバーと定期的に会合や研修を持ち、膝を突き合わせて様々な課題について考えることができたことは有難かった。

二つ目は、学校教育への理解である。特に、2008年公示の学習指導要領改訂前の2年間、図画工作科の協力者メンバーに加わり、学校教育の意義や構造を知ったことは大きく、その後各種の教員・学芸員研修を企画するうえで大きな拠り所となった。

三つ目は、海外調査である。科研費の代表者として、また分担者として、米国、豪州、欧州、アジアの国々の美術館や学校を訪問し、各地の教育学芸員や教育行政官にヒアリングを重ねてきた。これにより各国の美術館教育に、その国の歴史や経済、社会的課題や国家戦略が色濃く反映されているのを知った。また、どの国も教育部門は豊富なスタッフと予算を持ち、シンガポールや韓国、台湾などアジアの国々は、少なくとも規模においてすでに日本を超えていることも実感した。教育学芸員に海外調査費がつくことはなかなか無いが、他国の実際を見ることは自分たちの仕事を考えるうえで重要なので、後進たちもなんとかチャンスを掴んでほしいと思う。

四つ目は、異分野との協働である。先に挙げた英語やビジネス対応の有料プログラムは、近年、広報や渉外の専門職員が東近美に配置されたからこそ実現できたものである。美術館があらゆる利用者に開かれていくためには、多様な視点や専門性が欠かせないことから、今後は館内館外を問わず、異分野との協働がますます重要になっていくだろう。

国立美術館のこれから

独立行政法人国立美術館は、2023年3月に国立アートリサーチセンター(NCAR)を立ち上げ、私はこの新組織のラーニンググループに異動となる。ここでは、国立各館をつなぎながら、これまでの研修事業などを継続しつつ、美術館全体のアクセシビリティ向上に取り組む予定である。また、超高齢社会に向けた大学や企業との共同プロジェクトを進めるなどして、社会的課題の解決に向けた美術館の可能性を探っていくことになる。今後はNCARの一員として、国内外の同僚たち—教育学芸員たちと学びあい、その活動を支えていきたいと思う。


『現代の眼』637号

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