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現代の眼 新しいコレクション ジェルメーヌ・リシエ《蟻》1953年

横山由季子 (美術課研究員)

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ジェルメーヌ・リシエ(1902–59)
《蟻》
ブロンズにパティナ
99.0×88.0×66.0 cm
令和4年度購入
撮影:大谷一郎

矩形の台座の上に、女性の身体と蟻の身体が組み合わされた生き物が、両手を上方に伸ばして腰掛けているようにみえます。身体の構造としては、蟻のように胸部から6本の足が出ているのではなく、人間のように2本の腕と2本の足をもっています。しかし、その腕と足は細長く、先端には分岐した爪があり、蟻に近いようです。作家のジェルメーヌ・リシエ本人は、このように人間と動植物や昆虫を組み合わせた彫刻を「ハイブリッド(異種混合)」と呼びました。

厳密に言うと、この生き物は台座に座っているのではなく、台座から足の付け根へと伸びる細い棒が、その身体を支えています。背面に回ると、胸部と腹部がはっきりと分かれており、腹部には縞模様があって、ますます蟻の様相を呈しています。さらに頭部から突き出す小さなツノのようなものは、蟻の触角に見立てたものでしょうか。実はこのツノには、リシエの故郷近くの南仏カマルグで、騎乗の牧夫たちが伝統的に使用してきた三つ又の槍がそのまま用いられています。

ブロンズ像の姿形に加えて、この彫刻を特異なものにしているのは、両手の先と足先、右足の膝、台座の角をつなぐワイヤーの存在です。複数の三角形を形づくるように配置されたワイヤーは、蟻人間の身体のゴツゴツとした表面と対照を成しています。このワイヤーは高く掲げられた両腕を支えているようでもありますが、構造上必要なものというよりは、造形的な理由から用いられているようです。ワイヤーは像の周囲の空間を可視化し、その存在によって、この生き物の動きは、強調されているようにも、抑制されているようにもみえます。

1920年代後半のパリで、アントワーヌ・ブールデル(1861–1929)のもとブロンズ彫刻の基礎を学んだリシエは、第二次世界大戦の勃発によりチューリヒに留まった6年間あまりのあいだに、人間と動植物のハイブリッドな彫刻を手がけるようになります。その一方で、ロダンからブールデルへと至るフランスの彫刻の伝統とは相反するような、穴やひび割れ、凹凸のある造形による、よろめき、ふらつく人間の彫像を生み出しました。

彫刻家の土谷武(1926–2004)は、そんなリシエの作品が孕む不安定さについて次のように語っています。「リシエは運動や均衡の考え方でも明らかに現代的です。[…]不安定で一見倒れそうにみえても、次の動きを不安定のなかにはらむことによって、かろうじて均衡を保っているような形態は古典的な方法からは考えられません」1。こうした不安定さは、リシエと同時代の彫刻家アルベルト・ジャコメッティ(1901–66)の作品にはみられないものです。ジャコメッティの彫像は、細長くやはり表面に凹凸があるものの、直立ないしは確かな足取りで歩みを進めています。動きや姿勢の不安定さという視点で彫刻史を眺めてみると、リシエの先駆性は際立ってくるかもしれません。リシエの不安定なバランス感覚は、ワイヤーの中に宙吊りになったような《蟻》の、奇妙なポーズにも息づいています。

1 土谷武「豊かさを感じるとき—美しいものとの出会い」『土谷武作品集』美術出版社、1997年、171頁。


『現代の眼』638号

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