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このコーナーは、アートライブラリの担当者である東京国立近代美術館研究員の長名大地が聞き手となり、館内の研究員に、それぞれの専門領域に関する資料を紹介いただきながら、普段のお仕事など、あれこれ伺っていくインタビュー企画です。第5回目は、大谷省吾副館長にお話を伺います。
聞き手・構成:
長名大地(東京国立近代美術館主任研究員)
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2024年7月16日(火)
東京国立近代美術館アートライブラリ
きっかけは「昭和前期洋画の展開」展
長名:本日はお忙しい中、お時間をいただきありがとうございます。近代日本美術史の研究者である大谷さんからお話を伺えること、同じ職場で働いてはおりますが、なかなかこのような機会もありませんので、とても楽しみにしておりました。早速で恐縮ですが、美術史の研究をされるようになったきっかけを教えていただけますか。
大谷:小さい頃から絵を描くのが好きでした。親がひじょうに過保護だったこともあり、他所の子のところに遊びに行かせてもらえず、もっぱら家で絵を描いていたように記憶しています。そしてまた父親が病的なまでの蒐書家だったので、敷地内に離れの書庫があったほか、家のひと部屋の壁一面がまるまる作り付けの本棚になっていたのですが、その下段に集英社の『現代日本美術全集』(1972–74年)が並んでいたのを覚えています。夜寝るとき、横を向くとしぜんに「岸田劉生」とか「萬鉄五郎」という文字が目に入ってくる生活でした。ただ、その当時(小学生の頃)は中身にはあまり興味はありませんでした。
長名:まるで図書館のように本に囲まれて育ったのですね。
大谷:小学5年生の夏休みの宿題で、読書感想文として神戸淳吉『大仏建立物語』(小峰書店、1972年)という本を読んで、仏教美術に興味を持ちました。それで小学生のくせに和辻哲郎『古寺巡礼』(岩波文庫、1979年)とか梅原猛『隠された十字架』(新潮社、1972年)とか佐和隆研『仏像図典』(吉川弘文館、1962年)とか読み始めて、なおさら友達を減らしました。
長名:小学生とは思えないラインナップです(笑)。仏教美術から近代美術に関心が移ったきっかけはあったのでしょうか。
大谷:小学6年生になってから、テレビでサルバドール・ダリのドキュメンタリー番組を見て衝撃を受け、シュルレアリスムに興味を持ちました。一方で、中学2年生のとき、地元の美術館(茨城県立美術博物館)で「昭和前期洋画の展開展」(1983年9月3日–28日)というのが開催されて、松本竣介《立てる像》をあしらったポスターが中学校の掲示板に貼ってあるのが気になり、展覧会を見に行きました。実際に会場を訪れると竣介もさることながら、古賀春江の《窓外の化粧》に出会ってその不思議さにやられました。そのポスターですが、先生に頼み込んで手に入れるほどでした。
長名:なんと、今もそのポスターを大切に保管されているのですね。
大谷:当時の《窓外の化粧》は現在と違って、ニスが黄変して黄昏時のようなイメージでした。ノスタルジックなレトロ効果もあったかもしれません。後年、修復してピカピカになった《窓外の化粧》を見て「自分の青春を返してほしい」と思いました。
長名:修復によってがらりと印象が変わってしまう作品もあり、修復はとても難しいところがありますよね。それにしましても、中学2年生から近代日本美術に関心を持たれていたとは。
大谷:近代日本美術に興味が限定されていたわけではないですけれどね。高校1年生の頃、赤瀬川原平の『東京ミキサー計画』(PARCO出版局、1984年)を読み、現代美術という表現分野があることを知りました。ひょうひょうとした語り口に誘われて未知の世界へと視野が広がる思いでした。この頃から、当時季刊だった『みづゑ』を定期購読するようになり、『美術手帖』もたまに買いました。
靉光を経て学芸員へ
長名:学芸員の仕事を意識するようになったきっかけを教えていただけますか?
大谷:そういうわけで子供の頃から美術は好きではありましたが、あくまで趣味のひとつで、むしろ中学高校はずっと部活の吹奏楽にのめり込み、大半の時間を音楽に費やしていました。高校2年から3年に上がる頃、大学をどうしようかとようやく考え始め、美術史が視野に入ってきたというかんじです。
長名:美術ではなく、音楽に打ち込まれていたのですね。
大谷:学んだ筑波大学では、美術の実技を学ぶ学生と美術史を学ぶ学生が一緒でしたから、周囲におもしろい作品を作っている友人・先輩がたくさんいて、だんだん自分で作るより、他の人の作るものを見るほうがおもしろくなってきました。実は大学2年くらいまでは自分でも作品を作っていたのですが、ちょうどその頃できた水戸芸術館の開館の年に開かれたアンデパンダン展(「MITO・10月展」1990年)に出品したのを最後に、自分で作るのはやめました。
長名:制作もされていたのですね。どのような作品だったのですか。
大谷:そこは秘密です(笑)。水戸芸術館のアンデパンダン展には、ブレイク前の村上隆さんなど、今では錚々たる面々が出品していました。けれど、アンデパンダンという性質上、とても運営がたいへんだったようで、1回しか開かれませんでした。
長名:そこから美術史の研究に移られていくのですね。
大谷:できるだけたくさんの展覧会を見てまわるようになりました。つくばから東京に出るには、当時はTX(つくばエクスプレス)がなかったので、高速バスを使うか常磐線を使うしかなかったので不便でしたが、学部時代は月2回、大学院時代は週1回のペースで東京の展覧会を見てまわりました。大学院時代(1992–1993年)は、朝6時台の高速バスに乗って上野まで出て、午前中は東京文化財研究所(以下、東文研)でひたすら戦前の美術雑誌のコピーをとり、午後は銀座の画廊を20軒くらいひとまわりする、というルーティンを課していました。東文研では1930年代の雑誌は全て目を通しました。また、学部時代にはまだ東文研には入れなかったので、もっぱら東京都美術館の図書室を利用していたのですが、コピーを取らせてもらえなくて、全て手書きで書き写していました。
長名:大谷さん、凄すぎます。それにしても手書きは過酷ですね…。当時の調査環境は現在とはずいぶん違ったのですね。
大谷:そうですね。当時に比べ、現在は調査する環境が整っていると思います。デジタル全盛の時代になってきていますが、このアートライブラリのように、現物に触れられる場があることは、すごく意義があると思っています。
長名:本格的に近代美術を研究対象にしようと思ったきっかけはあったのでしょうか。
大谷:最初に見た東京国立近代美術館(以下、東近美)の展覧会は、大学1年生の夏、マグリット展(1988年)でしたが、大学時代に見た展覧会で決定的な影響を受けたのは、「靉光展」(練馬区立美術館、1988年)と「日本のシュールレアリスム」(名古屋市美術館、1990年)でした。戦時中の、表現の自由が許されなかった状況の中で、それでも新しい表現を求めてやまなかった画家たちにひかれるようになりました。
長名:そこから研究対象が絞られていったのですね。
大谷:大学では、学部時代に五十殿利治先生、大学院時代に藤井久栄先生の指導を受けました。卒論は靉光、修論はもう少し幅を広げて、シュルレアリスムの影響を受けた1930年代の日本の画家たちについて書きました。藤井先生は1961年から89年まで東近美に勤務した後に筑波大で教鞭をとった方で、女性の美術館学芸員としてはかなり先駆け的な方だったのではないでしょうか。東京国際版画ビエンナーレには第3回から最終回まで携わるなど、版画関係ではきわめて重要な仕事をされているし、高松次郎が読売アンデパンダン展に出品した紐の作品を(東京都美術館から)上野駅までたどったり、菊畑茂久馬の《奴隷系図》(再制作品が東京都現代美術館に所蔵)を「現代美術の実験」展(国立近代美術館、1961年)で展示した際に、大量に用いる五円玉を銀行に両替に行ったりと、戦後前衛美術の生き証人でもあります。藤井先生にはたいへんしごかれました。毎週、展覧会を見てレポートを書かされましたし、語学でいうと、1986年にポンピドゥー・センターで開かれた「Japon des Avant-gardes 1910–1970」展を担当した、美術史家のヴェラ・リンハルトヴァさんの論考(註1)を訳して読むよう指導され苦労した覚えがあります。修士論文も「てにをは」のひとつひとつに至るまで徹底的に長時間のマンツーマン指導が入りました。最長で午後1時から夜の9時までぶっ通しという指導が入ったこともあり、その翌日はさすがに寝込みました。でもまあ、なかなかそこまで指導してくれる先生というのもいません。感謝しかありません。
長名:五十殿先生と藤井先生の徹底指導を受けられていたとは、それは物凄いご経験ですね。
大谷:大学院時代でもうひとつ大きかったのは、五十殿先生に誘われて明治美術学会に入ったことです。そこで同世代の他の大学の研究者の友人がたくさんできました。
美術課・絵画係
長名:着任された頃のお話を聞かせていただけますか。
大谷:1994年に就職して、美術課の絵画係に配属されました。同僚が私より一足先に入った蔵屋(美香)さん、係長が松本(透)さん、美術課長は本江(邦夫)さんでした。最初はもっぱら、作品貸出の仕事。それから当時は、コレクションの図版貸出をDNPに委託していなかったので、図版貸出の仕事。まだデジタルデータではありませんでしたから、ポジフィルムを書留で送らねばならず、しかも人気作品は依頼が集中するので、けっこうたいへんでした。当時はすごく真面目だったので、こんなふうに日誌をつけていました。
長名:すごく詳細ですね。「河原温から電話」といった記載など、美術館の歴史としても重要に思えます。
大谷:それから当時は、まだ独立行政法人になっていませんで、文化庁が主催する国立美術館のコレクションの巡回展というのが毎年あり、それに出品する作品の短い解説を分担して書かなければならなかったのですが、250字以内で作家と作品の特徴をわかりやすくまとめる訓練となり、それでだいぶ文章力が鍛えられました。とくに私は就職した時点で日本画の知識が限りなくゼロだったので、必死に勉強しました。勉強ということでいうと、本江さんにはお世話になりました。館外の方も含めた数名でウィリアム・ルービンのキュビスムのテキストを読む読書会があり、誘っていただいたのを覚えています。たぶん就職試験のときに、私の英語の成績が悪かったのを気にかけてくれたのだと思います。
長名:当時はそのような勉強会も開かれていたのですね。
大谷:他にも、私が就職した当時、教育普及担当だった田中淳さんは、研究領域も近く、現在に至るまでたいへんお世話になっています。田中さんはまもなく東文研に移られたため、同じ職場ではあまりじっくりお話する機会がなかったのですが、むしろ東文研に移られた後に交流する機会が増え、靉光の《眼のある風景》の赤外線撮影調査をしようと提案してくれたり、その成果を東文研の『美術研究』に発表するよう勧めてくれました。田中さんの調査方法も実に綿密で、『太陽と「仁丹」』(ブリュッケ、2012年)などには多くを教えられました。
長名:展覧会に関わるようになったのはいつ頃からでしょうか。
大谷:最初にサブ担当にさせていただいた展覧会は、1995年の辰野登恵子展です。メイン担当は本江さんでした。私は年譜や文献をまとめるくらいしかしていませんが、辰野さんには準備段階でたくさんお話を伺い、近代絵画の見方・考え方について多くを学ばせていただいたと思っています。1995年という年は、この辰野展、そして中林(和雄)さんが手掛けた「絵画、唯一なるもの」、セゾン美術館の「視ることのアレゴリー」、水戸芸術館の「絵画考—器と物差し」など、1980年代後半から続いていた日本におけるモダニズム絵画の動きの総決算のような年だったと思います。
長名:ちょうど節目の年だったのですね。
大谷:一方で1995年は戦後50年の記念の年でもありました。毎年、夏になると、テレビ番組が戦争の特集をしますが、戦争記録画を多数収蔵する当館への取材も毎年夏にあり、とくに1995年にはそれが顕著でした。当時はまだ当事者がだいぶ存命中でしたし、戦争画を負の遺産とする見方が現在よりずっと強かったので、メディア対応には緊張感があったことを覚えています。
最初の展覧会
長名:その後、担当された展覧会のお話を聞かせてください。
大谷:自分が主担当となって最初に企画したのは、2003年の「地平線の夢:昭和10年代の幻想絵画」です。就職から9年目でだいぶ遅いですが、構想は就職した年の終わり頃からあたためていたものです。早くからやりたいと手を挙げていたのですが、途中で私自身が文化庁に2年間出向(2000–2001年)しなければならなかったのと、館のリニューアル工事(2000–2001年)が入ってしまったことがあり、実現はだいぶ遅れました。しかしそのおかげで、じっくりと調査した上で実現できた展覧会でもあります。
長名:構想のきっかけになった出来事などあったのでしょうか。
大谷:きっかけのひとつは、就職した年に、浅原清隆の作品2点を奥様からご寄贈いただいたことでした。新米の私が、田園調布のお宅まで作品をひきとりに伺い、奥様からたくさんの思い出話を教えていただきました。お二人の結婚生活はわずか2ヶ月で、その後浅原は徴兵され戦地で消息を絶ちますが、奥様は戦後もずっと作品を守り、また思い出も大切にされていたことに感銘を受けました。そして、それまで「ダリの模倣」のもとにひとまとめに片付けられていた画家たちの個々のモチベーションということが気になるようになり、「地平線」を介した個々の作品の画面の構造分析によって何か導きだせることはないだろうかと模索しました。
長名:そのような背景があったのですね。
大谷:それと、やはり思い入れが深かったのは「生誕100年 靉光展」(2007年)でした。この展覧会をやるためにここに就職したようなものですから、実現できたことは本当にうれしかったです。彼の代表作に、晩年の自画像がありますが、3点(東近美、東京藝術大学、広島県立美術館)が全部揃う展覧会というのはめったになく、とにかく3点揃えようと藝大に何度も粘り強く交渉したことを覚えています。
本棚の紹介
長名:たいへん貴重なお話をありがとうございます。ここからは近代美術に親しむ上で、お薦めの本をご紹介いただければと思います。
大谷:さきほども触れたように大学院時代に他の大学の同世代の研究者の友人に出会うことができたのは、自分にとってたいへんなプラスとなり、その後もたえず刺激をもらっています。『もやもや日本近代美術』(勉誠出版、2022年)はそうした長年の友人たちのアンソロジーで、おもしろいタイトルの本ですが、近代日本美術史を従来とはちょっと違った角度からさまざまに考察していて、この分野が研究対象として可能性に満ちていることを感じさせてくれます。近年、大学で近代日本美術史を学ぶ学生が減っている(美術史全般かもしれないですが)と聞きますが、なんだかおもしろそう、と思ってもらえるような本は必要です。
長名:『一寸』(書痴同人、2000年–)はまもなく100号を迎えるほど刊行されていますが、錚々たる方々がテキストを寄せられていますね。
大谷:2021年に亡くなった青木茂先生を中心とした、明治美術学会の大先輩たち数名による同人誌です。いずれもいわゆる「書痴」と呼ばれる桁外れの古書蒐集家で、毎週金曜日に東京古書会館で掘り出し物を物色し、近所の喫茶店でその日の獲物を自慢しあうところから始まったものですが、みなさん好奇心の赴くままに容赦なくマニアックな語りに猛進していて、ほとんどの読者はついていくことがかないません。しかしその熱量に押されて、結局、好きなものを好きと言うその情熱こそが他者を説得するのだということと、近代日本美術史の奥の深さについては、いやというほどわかる雑誌です。
長名:資生堂企業文化部編『資生堂ギャラリー七十五年史:1919–1994』(資生堂、1995年)も挙げていただきました。
大谷:これはたいへんな資料です。資生堂ギャラリーで開催された75年分の全展覧会に関して、新聞に掲載された告知レベルまで徹底的に調べ上げたものなんです。この編集を手掛けたのは、現在、ギャラリーときの忘れものをされている綿貫不二夫さんで、携わった人の名前はこの膨大な謝辞の欄に書かれている通りです。この年史は索引も充実していて、コラムも載っていて、読み物としてもきちんと練られています。私も大学院時代から就職1年目にかけて手伝わせていただいたのですが、近代美術史はこうやって調べ上げるんだというのを学ぶ機会でもありました。
長名:前衛美術に関する本ではいかがでしょうか。
大谷:中村義一先生の『日本の前衛絵画:その反抗と挫折:Kの場合』(美術出版社、1968年)は必読の書です。中村先生は、私が1997年に北脇昇展をサブ担当したときに初めてお会いして、その後、論文を書いてはお送りして、何度も励ましていただきました。残念ながら2015年に亡くなりましたが、私は今でもたいへん尊敬しています。日本の戦後の美術批評はいわゆる御三家(針生一郎、東野芳明、中原佑介)中心に進んできましたが、私はその3人より、圧倒的に中村先生のほうを高く評価します。作品を論じる際に、まず作品をよく見て、そしてきっちり作品の背景まで調べて説得力のある解釈をする方で、もっともっと再評価されるべき人です。この本は、私は何度読み返したかわかりません。1930年代・40年代の日本の前衛美術のことを研究する際には必読です。
長名:五十殿先生の『大正期新興美術運動の研究』(スカイドア、1995年)もまたすごく重厚な研究書ですね。
大谷:五十殿先生からは、徹底的に資料にあたることの大切さを叩き込まれました。ろくに作品の残っていない大正時代の前衛美術について、これだけの厚さの本を出せるというのは、生半可な調査では不可能です。先生にはまた、私が就職した後もいろいろな勉強会に誘っていただき、それが『クラシックモダン 1930年代日本の芸術』(せりか書房、2004年)などにも結実しました。ついでながら、先生からは語学の大切さもさんざん言われたのですが、そちらは未だに駄目で不肖の弟子と言わざるをえません。
長名:日本のシュルレアリスムに関する資料はいかがでしょうか。
大谷:まず『日本のシュールレアリスム:1925–1945』図録(名古屋市美術館、1990年)が挙げられます。山田諭さんの企画による、日本においてシュルレアリスムの影響を受けた動向をまとめた展覧会としては空前絶後の大展覧会です。詩や写真までカバーされています。私は大学3年生のときに五十殿ゼミの旅行で見に行き、強く印象に残りました。山田さんの調査力には圧倒されました。謝辞のページに載っている人数が半端ないです。このカタログは文献再録も多く、当該分野を研究する上での必携文献です。山田さんにはその後もいろいろお世話になり、たくさんのことを教えていただきましたが、『美術手帖』2016年10月号のダリ特集で対談させていただいたのは楽しい思い出です。
長名:速水豊さんの『シュルレアリスム絵画と日本』(日本放送出版協会、2009年)も挙げていただいています。
大谷:速水さんは現在、三重県立美術館の館長でいらっしゃいますが、初めてお会いした1992年当時は、姫路市立美術館の学芸員をされていました。速水さんは古賀春江や福沢一郎の作品のイメージ源を発見して、1990年代に画期的な論文や学会発表をされていましたが、私も同時期に別個に同じようなことをしていて、私より常に一歩先を進んでいらっしゃる速水さんからは、いつも貴重な情報を教えていただきました。この本はシュルレアリスムの影響を受けた日本の画家たちのうち、比較的初期の数名について新知見満載のひじょうに重要な研究です。
長名:福沢一郎記念館の伊藤佳之さんが中心となって出版された『超現実主義の1937年:福沢一郎『シュールレアリズム』を読みなおす』(みすず書房、2019年)も挙げていただいています。
大谷:これは本の中身もさることながら、ある一冊の本をどこまで丁寧に読み、それをネタに楽しく議論することができるかという事例として眺めていただければと思います。伊藤君を中心に、2013年から5年間にわたり福沢の著作を読み、一文一文が何の海外文献をもとにしたかを探り、どこまでが引用・翻訳でどこからが福沢の自説なのかを解きほぐし、挿図の出典を探っていった読書会の記録です。それらの作業を通して当時の日本のシュルレアリスム受容の姿を浮かび上がらせていく作業はたいへんおもしろいものでした。
長名:そして、先日まで開催されていた「シュルレアリスムと日本」展の図録ですね。
大谷:昨年から今年にかけて京都文化博物館・板橋区立美術館・三重県立美術館を巡回した、シュルレアリスムに影響を受けた日本の作品を包括的に紹介する、久しぶりの展覧会でした。規模としては1990年の名古屋市美術館の展覧会には及びませんが、でもこの30年の研究の成果がいろいろ反映されていて、これが書籍のかたちで(誰でも入手しやすく)世に出たのはよかったと思います。私もちょっとだけお手伝いして、展覧会には出品されていない、というより1点も作品が現存しない作家を3人(瀧口綾子、小林孝行、豊藤勇)、紹介しました。これは、もとをたどると、佐谷画廊の佐谷和彦さんとの出会いに端を発します。ご存じの通り、かつて佐谷画廊では毎年7月に、瀧口修造をしのぶ「オマージュ瀧口修造」という企画展を開いていて、私も学生時代から欠かさず見ていたのですが、1999年の阿部展也展の際にカタログへの寄稿を依頼されて、作品がほとんど焼けてしまった阿部の戦前の仕事を、当時の雑誌掲載図版をもとに浮かび上がらせたことがありました。佐谷さんはそれをたいへん評価してくださり、「作品が焼けたということでいうと、ぜひ瀧口修造の奥様の綾子さんのことを、オマージュ瀧口修造展で取り上げたい。力をかしてほしい」と頼まれました。それで、実は綾子さんはその前年(1998年)に亡くなっていたのですが、佐谷さんと一緒に、当時はまだご健在だった綾子さんの弟さんを訪ねて話を聞いたりしました。しかし結局、作品は見つからず、展覧会もできないままに佐谷さんは2008年に亡くなりました。でも私はどうしても心残りで、当時の雑誌掲載文献だけでも紹介したいと思い、2018年に当館で講演会をして、その記録を研究紀要(23号、2019年)にも載せました。その延長で書いたものです。
長名:そのような背景があったのですね。
大谷:瀧口綾子さんに限らず、日本の近代美術には同様に忘れ去られてしまった画家がたくさんいます。明治美術学会の学会誌『近代画説』でも、私の編集で何人かの研究者に呼びかけて「近代日本美術史は、作品の現存しない作家をいかに扱うことができるか?」という特集を組みました(29号、2020年)。そして、こうしたアプローチをする上で、私にとって指針になった本があります。内堀弘さんの『ボン書店の幻』です。
長名:ボン書店?
大谷:ボン書店というのは、1930年代に数々のすぐれた詩集(たとえばブルトン、エリュアール/山中散生訳『童貞女受胎』1936年)を刊行して、そしていつの間にか姿を消した出版社なのですが、近代詩歌を専門とする古書店(石神井書林)の主である内堀さんは、全く手掛りなしのところから、このボン書店をたったひとりで運営していた鳥羽茂(とば いかし)という人物の足取りに迫っていくのです。徹底した調査力に圧倒されるのですが、同時にまた登場するひとりひとりに対する敬意と愛情と哀惜に満ちていて、すばらしい本です。この本は、1992年に最初の版(白地社)が出て、私は大学院時代に読んで感銘を受けたのですが、お薦めしたいのは2008年にちくま文庫で出た増補版です。初版の段階では、実は鳥羽茂の足取りは、最後まではたどれずに終わっていました。しかしその本が出版されたことで、さまざまな人から情報が寄せられ、ついに内堀さんは鳥羽の息子と出会うことができ、鳥羽の最期を知ることができて、その終焉の地まで行くのですね。その顛末が記された「文庫版のための少し長いあとがき」を私はうっかり通勤電車の中で読んでしまい、涙がとまらないばかりか嗚咽がとまらなくなり周囲から不審がられたことをよく覚えています。というか今思い出しただけで涙がとまりません。この本から私が教わった最大のことは、研究対象に対する愛と敬意が何よりも大切であること、その愛と敬意をどのように読者に届け、心を震わせることができるかが、研究者ひいては美術館学芸員の使命の全てであるということです。
長名:ぜひ、ご著書の『激動期のアヴァンギャルド:シュルレアリスムと日本の絵画一九二八–一九五三』(国書刊行会、2016年)もご紹介ください。
大谷:では、最後にお恥ずかしながら自分の本を。これもシュルレアリスムについての本ではなくて、あくまで、日本の画家たちがシュルレアリスムから何を得ようとしたのか、というところに軸足を置いた研究です。だからタイトルも「日本のシュルレアリスム」ではなくて、「シュルレアリスムと日本」なのです。実は巻末、というか本の後半三分の一を占める年表と文献がけっこう使えるはずなので、この分野を研究する人には活用してほしいですね。それから余談ですが、この本を装幀してくださった桂川潤さんは、画家の桂川寛の息子さんで、これを機会に知遇を得て、そのご縁で当館に桂川寛の作品(《洪水の街》《安部公房著『壁』挿絵》およびスケッチブック)をご寄贈いただきました。ありがたいことです。
長名:近代美術を勉強したいと思っている方にとって、参考になる本の数々をありがとうございました。最後に少しだけ。この9月からのMOMATコレクション展の5室で開催予定の「シュルレアリスム100年」についてお話しいただけますでしょうか。
大谷:論文とは異なり展示というのはさまざまな物理的制約を伴います。並べたい作品がちょうど他所に出かけていて展示できない、とか。今回も本当はエルンストの《砂漠の花》と、古賀春江の《海》が並ぶとよかったですね。靉光の《眼のある風景》も残念ながら出せません。今回は新たに収蔵されたエルンストのお披露目が第一ですから、まずはこの歴史的に重要な作品が日本で見られるようになったことを寿ぎましょう。
長名:シュルレアリスム宣言から100年という節目の年に、エルンストの重要な作品がお披露目できるのは、とても幸運なことだと思います。
大谷:日本の作品については、1975年に当館で開催した「シュルレアリスム展」の出品作を中心に作品が選ばれています。包括的にシュルレアリスムを紹介した歴史的に重要な展覧会でしたが、日本の個々の作家・作品について掘り下げられていたようには思えません。ただ、この展覧会で重要なのは、関係者がまだけっこうご健在でしたので、会期中に連続講演会をしていることです(植村鷹千代、中原実、福沢一郎、浜田浜雄、杉全直)。私はこのうち浜田浜雄については『研究紀要』11号で、福沢一郎については2019年の展覧会で、それぞれ書き起こして紹介しました。今回の展示は、一室だけのささやかなものですが、ご興味を持たれたら、そうした関連文献をあわせてお読みいただけると、シュルレアリスムという芸術運動の可能性についてさまざまに考えを広げていくことができます。会期中には長名さんの企画で講演会もあるのでご期待いただきたいですね。
長名:はい、ぜひ多くの方に足を運んでいただけたらと思っています。本日は貴重なお話をありがとうございました。
註
- Věra Linhartová, “La peinture surréaliste au Japon 1925-1945,” Cahiers du musée national d’art moderne, no.11, Centre Georges Pompidou, 1983, pp. 130–143.
大谷さんの本棚
- 茨城県立美術博物館編『昭和前期洋画の展開展』茨城県立美術博物館、1983年
- 赤瀬川原平『東京ミキサー計画:ハイレッド・センター直接行動の記録』PARCO出版局、1984年
- 田中淳『太陽と「仁丹」:一九一二年の自画像群・そしてアジアのなかの「仁丹」』ブリュッケ、2012年
- 土方明司、大井健地編『靉光:青春の光と闇』練馬区立美術館、1988年
- 名古屋市美術館編『日本のシュールレアリスム:1925–1945』日本のシュールレアリスム展実行委員会、1990年
- 東京国立近代美術館編『辰野登恵子:1986–1995』東京国立近代美術館、1995年
- 東京国立近代美術館編『地平線の夢:昭和10年代の幻想絵画』東京国立近代美術館、2003年
- 大谷省吾ほか編『靉光』毎日新聞社、2007年
- 増野恵子ほか編『もやもや日本近代美術:境界を揺るがす視覚イメージ』勉誠出版、2022年
- 『一寸』1号(2000年1月)書痴同人、2000年
- 資生堂企業文化部編『資生堂ギャラリー七十五年史:1919-1994』資生堂、1995年
- 中村義一『日本の前衛絵画:その反抗と挫折:Kの場合』美術出版社、1968年
- 五十殿利治『大正期新興美術運動の研究』スカイドア、1995年
- 速水豊『シュルレアリスム絵画と日本:イメージの受容と創造』日本放送出版協会、2009年
- 伊藤佳之ほか『超現実主義の1937年:福沢一郎『シュールレアリズム』を読みなおす』みすず書房、2019年
- 速水豊、弘中智子、清水智世編『シュルレアリスムと日本:「シュルレアリスム宣言」100年』青幻舎、2024年
- 内堀弘『ボン書店の幻:モダニズム出版社の光と影』筑摩書房、2008年
- 大谷省吾『激動期のアヴァンギャルド:シュルレアリスムと日本の絵画一九二八–一九五三』国書刊行会、2016年
『現代の眼』639号
公開日: