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現代の眼 展覧会レビュー 第一ネオポップ時代——「美術家たちのダークツーリズム」によせて

太郎千恵藏 (芸術家)

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ネオポップとは何か? ハル・フォスターは『第一ポップ時代』1においてリチャード・ハミルトンを例にあげながら、ポップは直感的に写真やテレビと絵画をひとつに折り重ねることによって現代の主題を前景化しつつ芸術の伝統を喚起させると言っている。抽象と表象のカテゴリーを合体させ、両方を壊乱させることによってイメージと主体にかかっていた力を逆照射する。ポップはポップなイメージで絵画に圧力をかけながらタブローという伝統を振り返る。それはボードレールの言う「一時的なものから永遠になるものを抽出」2することだ。

ドゥルーズは『シネマ』においてベルクソン的イメージを「出来事」という物にも認識にも回収されない場への提示として捉え、瞬時に消えてしまう「出来事」を、映画はその非継続性の連続性において「見えるもの」へと救いだし、「出来事」を可視化することで保存するという。当時私はドゥルーズの『シネマ』への返答としての(ゴダールの『映画史』のような)絵画を構想した3

図1 太郎千恵藏《戦争(ピンクは血の色)》1996年、東京国立近代美術館蔵

30年たった現在からみると、ネオポップを「出来事」の「記録」として捉えなおしてみることができるだろう。ベルリンの壁の崩壊、湾岸戦争、阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件などを経た90年代初頭、戦後復興によってやっと経済大国になったのも束の間バブル崩壊、といった冷戦の終わったあとの断片化された戦争の連鎖。ターナーの絵画の上にロボットとレンジャーをモンタージュした《戦争(ピンクは血の色)》[図1]は、マンガや特撮をターナーにモンタージュすることで虚構的現実を再構成し90年代という時代を前景化させた。

戦前の前衛運動マヴォには後に田河水泡になる高見澤路直や柳瀬正夢が、アクションには白土三平の父である岡本唐貴がいた。前衛美術家が戦前戦中を経て漫画と戦争画とプロレタリア美術に分かれ、それが戦後マンガの繁栄をもたらした。前衛美術と戦後マンガは連続性のなかにある。第一ポップ世代のリキテンスタインはインタビューで「ぼくの作品がキュビスムとリンクするのはマンガがキュビスムとリンクしているのと同じです」4と言っている。

1989年表参道の東高現代美術館でのジグマー・ポルケの大作が展示された展覧会5のオープニングのあと、歩いてすぐの私の実家を友人といっしょに小山登美夫が訪れた。私がムーミン型のグミを絵画に付けた作品を見せたところ、その場でその作品を買ってくれた。そのとき、小山がこの作品と偶然にも同じ発想で作品を作っている作家がいるから今度会わせると言って、後日会ったのが兵隊のフィギュアを樹脂に貼っていた(《ポリリズム》)同じ年の村上隆だった。それから3人で意気投合して芸術のこと映画のことマンガのことを毎日のように話し、新しい芸術の流れを作ろうと言った。以前は私と村上隆はアシスタントを共有する関係でもあり、彼のランドセルの作品のカラフルな色は、小山と3人で食事をしているときの「ジャスパー・ジョーンズの色彩にすべき」という私の発言が元になった。

図2 会場風景(左手前が村上隆《ポリリズム》1991年)|撮影:柳場大

91年にソーホーのギャラリーでデニス・オッペンハイムらと「見えない身体」展をおこない、92年からヨーロッパの5美術館でマイク・ケリー、ゴンザレス=トレス、ロバート・ゴーバーらと「ポストヒューマン」展に参加し、モーターというメディウムを使うポール・マッカーシーとマシュー・バーニーといっしょにモーターチームとして美術館をツアーした。93年にニューヨークのサンドラ・ゲーリングギャラリーでドレスの彫刻のインスタレーションによる個展を開催する。93年ケルンでの私の展覧会を訪ねて来た奈良美智を小山に紹介した。私は参加しなかったが94年のグッゲンハイム・ソーホーでの戦後日本美術の展覧会のあとで中原浩大と2人で飲んだのもいい思い出だ。

96年春に佐賀町の食糧ビルで小山登美夫ギャラリーのこけら落としとなる私の個展で、ターナーの《国会議事堂の火事》の上にウルトラヒーローをモンタージュした《経済の法則》を展示した。個展を見に来た中西夏之と意見を交わしたとき、中西は自分たちは「絵画は重力を感じさせてはいけないと言われてきた」と、私のペインタリーな垂らしについて語り、それに対し私は「キーファーも垂らしています」と答えた。その後ニューヨークのアトリエに杉戸洋が来たときにも垂らしへの違和感を指摘していた。私の絵画において、マンガや特撮の現代のポップなイメージと美術史的絵画を一体化するのにペインタリーであることは必要不可欠な要素だ。それによってストイキツァの『絵画の自意識』で書かれている美術史の流れの上に日本のネオポップの第一世代として「記録」を残せたのだ。

東京での個展のあと《戦争(ピンクは血の色)》をニューヨークで制作しサンドラ・ゲーリングギャラリーでの秋の個展に展示した。96年はみんなで「ヒニクなファンタジー」(宮城県美術館)などの展覧会を日本の美術館で複数おこない、食糧ビルのギャラリーで秋に村上隆は個展をし、奈良美智が翌年に個展を開催した。これが日本の「第一ネオポップ時代」であった。

1 ハル・フォスター、中野勉訳『第一ポップ時代』河出書房新社、2014年

2 シャルル・ボードレール、阿部良雄訳「現代生活の画家」『ボードレール批評2』ちくま学芸文庫、1999年、168頁

3 この論考は福尾匠『非美学—ジル・ドゥルーズの言葉と物』(河出書房新社、2024年)に多くを負っている。ぜひ原著に触れてほしい。
25年前の拙文「イマージュの論理学」(『ユリイカ』2001年10月号)でもドゥルーズとベルクソンのイメージ論を語っている。

4 ハル・フォスター『第一ポップ時代』125頁

5 アムステルダム・ステデリック美術館コレクション展


『現代の眼』640号

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