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事物が、光の中にさらされて、空間に接触している冷たい何も語らない世界を、真に握ることができる瞬間があるとしたら、それは、一種の予感のようなものが、自己の肉体をえぐる時なのではないだろうか1。
榎倉康二
1970年代に世界的に興隆したコンセプチュアル・アートには、いささかクールな印象を抱かせるものが多い。日本国内に限って目を向けても、いわゆる「もの派」の作品のみならず、理知的な彫刻や科学的な操作をともなう実験的写真、さらには記号学者のように言語を分析する作品など枚挙に暇がない。その意味で、榎倉康二が述べる「冷たい何も語らない世界」という表現は、この時代の空気を象徴する合言葉であったといえるかもしれない。
にもかかわらず、「没後30年 榎倉康二」展が示唆するのは、榎倉がいかに温かさを追求していたかであるように思われた。冒頭の引用からうかがえるように、彼の関心はその実、冷たい世界を「握る」瞬間、あるいはその予感が「自己の肉体」をえぐることに向けられていたのだ。展示室の入口に置かれたパンフレットを手に取ると、表紙のざらつきに気づかされる。手と紙のあいだに生じる摩擦その感覚こそが、この小さな回顧展の核心を象徴している。すなわち、触覚や接触によって感じとられる温度である。

展覧会は、初期のインスタレーションに始まり、代表作であるフェルトにオイルの染みを残した《二つのしみ》(1972年)へと続く。さらに榎倉自身の写真作品に加え、彼に写真作品をつくるうえで影響を与えた中平卓馬の写真も紹介されている。政治的にも感情的にも「ホット」とも言える中平との併置は画期的である。中平の荒々しい白黒写真と、榎倉の静謐な写真とを見比べると、一見すると水と油のように思える。しかし榎倉もまた中平が好んで撮影した、水に濡れた路面を撮っていることに気づくべきだろう。《P.W.-No 50 予兆—床・水》(1974年)では水の輪郭がくっきりと捉えられ、《P.W.-No 51 予兆—床・手》(1974年)では人間の手が床の上にある。

冷静で抑制された印象を与える写真群だが、今回展示されている榎倉の映像作品によって、それらは異なる意味を帯びる。1979年に制作された《干渉率 C-1》と《干渉率 C-2》では、榎倉の身体への関心がみてとれる。《干渉率 C-1》は《P.W.-No 51 予兆—床・手》に連なる作品であろう。画面のなかで手は床の上を浮遊している。その自然な震えによって、手が床に触れるか触れないかの、ぎりぎりの距離を保ち続ける。被写界深度の浅い映像であるため前景も背景もぼやけ、手と床だけが11分間にわたって映し出されている。《干渉率 C-2》では、今度は手が腹部の上を浮遊し、同様の動きを繰り返す。だが、その手と腹が同一人物のものかどうかは判然としない。
コンセプチュアル・アートは政治的にも「クール」として考えられるのだが、いかに攻撃性がなくても非政治的な美術作品はありえない。同じように、世界を抜きにして身体について考えることはできない。そして、世界と身体の関係性のうちには自己と他者の関係性も潜在し、ゆえに身体をめぐる作品は必然的に何らかの政治性を内包している。榎倉の作品に感じられるわずかな温かさはこのような政治性を持っているのではないか。

その潜在的な政治性を顕在化させたのが、彼のもとで学んだ白井美穂と豊嶋康子の作品である。白井の《Waterfall (Why Are You Afraid of Black and White?)》(1993年)はバーネット・ニューマンの抽象絵画に言及しつつ、黒と白の人工毛髪を素材として用いることで、社会が規定する美しさの基準を問い直しているように見える。一方、豊嶋の《定規》(1996年)シリーズは、規則の道具を歪ませる。ねじくれたプラスチック製の定規は、距離や角度を正確に測るという機能を失っている。《安全ピン》(1996年)においては、白井にも見えるジェンダーとの関係を明らかに表しているのだ。この作品は家事労働を代表する安全ピンそのものを、歪んだ形で見せる。歪めるために、豊嶋はオーブントースターで定規を直接加熱した。彼女は、かつて榎倉が語った「冷たい何も語らない世界」に対して物理的に熱を加えているともいえる。このように、「没後30年 榎倉康二」は様々な形で温かさの系譜に触れる感覚を与えてくれたのだ。
註
1 榎倉康二「干渉」『季刊美術雑誌 象』創刊号、1979年7月
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