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夜明け

怪物、というより「かいじゅう」と呼びたくなるような中央の生き物。三角形を組み合わせた両脇の人物像はまるで幼児の落書きです。これらの要素は、後に岡本が「うまい」「きれい」「ここちよい」という価値の否定としてまとめる前衛の態度表明の体現であるとともに、前衛芸術を大衆化する彼の理想を示してもいます。作品と言葉を駆使する岡本の実践は、芸術家を目指す若者たちを大いに鼓舞し、前衛芸術観を一般に普及しました。

眼のある風景

この印象的な眼をもつ塊は何でしょう。よく見ると、空との間の境界を何度も修整しているのがわかります。そして流れるような曲線の重なりや、絵具を削ったりした跡も認められるでしょう。描きかけのようにも見えるけれども、右下にサインが入っているので、作者にとっては、この形はまさにこうでなければならなかったのです。名づけることのできない「何か」。その正体を見極めようと、じっと画面を見つめていると、次第にいろいろなイマジネーションが湧いてくるでしょう。それは長時間にわたる作者と絵との格闘を追体験することでもあります。

女(B)

エネルギッシュでもあり、ユーモラスでもあり、少し怖くもあり。一度見たら忘れられない女性像です。笑っているのか、踊っているのか、叫んでいるのか、それとも驚いているのか。この強烈な印象は、キャラ立ちした造形だけでなく、あざやかな色彩の効果にもよるでしょう。この色は、絵筆で絵具を塗り重ねるのでなく、染色の技法を用いることによって得られたものです。1955(昭和30)年、岡本太郎が作家を人選した展示(第40回二科展の第九室)に芥川(間所)紗織は出品し、大きな脚光を浴びます。本作は、その展示への出品作です。

鳥と飛行船(空飛ぶもの)。魚と潜水艦(泳ぐもの)。右端の女性と左端の工場(すっくと立つもの)。この作品には、いくつもの「自然のもの」と「人工のもの」のそっくりペアが見つかります。ちなみに女性は名女優、グロリア・スワンソン(1899–1983)の絵葉書をもとに描かれています。

法観寺塔婆

京都東山の八坂の塔として知られる法観寺の五重塔。その前には電柱や民家が、所狭しと立ち並んでいます。幾多の時を超え、荘厳さをたたえる不動の塔と、刻々と移り変わる街の組み合わせは対照的です。時や社会がいかに変わろうとも動じることなく、静かにそびえ立つ名塔の美しさや存在感が際立って感じられます。

クォ・ヴァディス

道しるべの脇で立ち尽くす男。表情をうかがい知ることはできませんが、遠くを望んでいるように見えます。左と右のどちらへ行こうか、思い悩んでいるのでしょうか。タイトルの「クォ・ヴァディス(Quo vadis)」とは、「あなたはどこへ行くのか」という意味のラテン語です。この作品が、太平洋戦争の余波がなお色濃い時代に描かれた事実を考えれば、戦後の混乱の中で、自らの進路を決めかねている様子を、その後ろ姿から読み取ることができます。左前方に見える、赤旗を掲げた行列に加わるのか、それとも、右の方に待ち受ける嵐の中へ向かってゆくのか。男の行方は、見る者の想像にゆだねられていますが、道しるべのもとに咲く花が、彼が進もうとする方角を暗示しているようにも見えます。

新宿風景

明るい色彩で描かれた街並みに対して、人は小さく黒で描かれていて、実に対照的です。真ん中あたりから始まる電柱の列は、右奥へと進むにつれて一挙に小さくなり、遠近感を際立たせています。左手前では、道路が大きくひろがっていますが、そこに黒い水たまりのような形があることで、画面が引き締められています。右手前に見えるのは……人でしょうか? もしこれらが人だとすると、私たちとは別にこの街並みを見ている人がいることになり、自ずと私たちの意識は、都会の賑わいを前にした当時の人の気持ちへと向かうことになります。

もたれて立つ人

直線と円でできたロボットのような人体(ちなみに女性)です。パブロ・ピカソとジョルジュ・ブラックが創始した「キュビスム」と呼ばれる動向の影響を日本でいち早く示した、記念すべき作例とされます。では、どうやってこんなに人間離れした身体ができたのでしょう。女性のおへそを見て下さい。画面のちょうど中心にあるのがわかります。この一点を動かさず、あとは絵画の四角い枠で上下左右から身体をぎゅっと押しつぶします。すると、がくんと垂れた大きな頭、蛇腹状に折れて重なった肩や腰、脚のかたちができるというわけです。ちなみにこの人物、一体何に「もたれて」立っているのでしょうう。答えは……四角い画面の左側の枠なのです。

ラッパを持てる少年

当時5歳だった息子をモデルにしたこの絵は、シンプルに見えて結構複雑です。洋服を見てみましょう。毛糸編みゆえか、垂直、斜め、横と様々な方向に線が走ります。ネクタイも同じく。そこに影が加わりますが、現実を無視して処理されているのが特徴です。床と壁の境界線が画面を斜めに走っているのも効果的。色彩と相まって、少年から壁までの距離が、画面の上部と下部で相当異なって見えることでしょう。よく見ると、少年の左足は右足に比べてちょっとだけ前に出ています。少年がまっすぐ無表情で立っている絵に、不思議な動きが感じ取れてこないでしょうか。

金蓉

モデルは小田切峯子という女性。5カ国語をあやつる才能を活かし、当時満洲(現中国東北部)のホテルで働いていました。「金蓉」はその中国風の愛称です。さてこの作品、よく見ると左肩が不自然に小さく修正されています。実はこの部分は、もっと正面寄りからモデルを見た別の素描から取られているのです。さまざまな角度からモデルをスケッチし、それらを後で合成することで、今にも人物が動き出すような印象を生み出そうとしたのでしょう。

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