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青いガラス
日本で初めての国際版画展、第1回東京国際版画ビエンナーレ展で、浜口は国立近代美術館賞(国内大賞)を受賞しました。本作はその時の出品作のひとつ。暗い背景からモチーフだけが浮かび上がる浜口の作品では、モチーフどうし、あるいはモチーフと周囲の空間との緊張関係が、静けさや詩情を引き立てます。そこには、西洋の静物画とは異なる、日本の伝統的な「間」にも通じる「日本人的な感覚」が働いていると評価され、受賞にいたったといいます。
ウォール・ドローイング#769 黒い壁を覆う幅36インチ(90cm)のグリッド。角や辺から発する円弧、直線、非直線から二種類を体系的に使った組み合わせ全部。
当館では2018年度にソル・ルウィット(1928–2007)のウォール・ドローイングを購入し、この作品がこのたび(2020年12月)所蔵品ギャラリー3階の「建物を思う部屋」に完成しました。 1960年代からニューヨークを拠点に、ミニマル・アート、コンセプチュアル・アートの代表的作家として活躍したルウィットは、生涯に1200点以上のウォール・ドローイングを制作しました。しかしこれらは、必ずしも彼自身が描いてはいません。彼は次のように述べています。「アーティストはウォール・ドローイングの構想を立て、その設計をする。それを具現するのはドラフトマンである(アーティスト自身がドラフトマンを兼ねるも可)。プランはドラフトマンによって解釈される。プランの範囲内で、プランの一部としてドラフトマンによってなされる決定がある。ひとりひとりがそれぞれにユニークなので、同じ指示をあたえられても解釈が異なり、違ったふうにおこなわれるだろう」(『アート・ナウ』1971年6月号)。この言葉通り、彼のウォール・ドローイングは、彼(あるいは彼のエステート)が指定するドラフトマンによって実現されます。いわば作曲者と演奏者のような関係が、そこに生じることになります。そしてまた、このようなシステムをとることによって、彼の作品は制作の主体の在り処や、観念と実体との関係など、アートの根幹について見る者に問いを投げかけるのです。 さて、このたび当館の壁面を飾るウォール・ドローイングは、その題名が示す通り約90×90cmの矩形をひとつの単位として、その矩形の中に16種類の円弧、直線、非直線が2つずつ組み合わされ、全部で120通りのパターンによって構成されます。図形が反復とずれによって生み出すリズムは、まるでミニマル・ミュージックを視覚化したような心地よい刺激を私たちの眼に届けるでしょう。
JULY 15, 1970, Todayシリーズ (1966-2013)より
〈Date Painting(日付絵画)〉は、1966年に制作が始まった、国際的に評価の高いシリーズです。作品はその日の朝に描き始められ、夜12時までに終わらなければ破棄されます。それぞれが制作された場所と日付の新聞を貼り込んだ箱に納められています。一見取り付くしまもないクールさですが、あの日自分はどこにいて何をしていたのか、との問いを突き付けられた時、見る者の感情は思いがけず揺れ動きます。
大きな花束
西洋の近現代美術のみならず、洋画、日本画を超えて日本の作家にも幅広い影響を与え続けているセザンヌ。その花をモチーフにした静物画の大作です。画面の中心に、花瓶に挿した大きな花束を置き、その華やかな印象を描きながらも、画家の意識は、花束の放射状の広がりとテーブルおよび奥の壁がつくりだす空間を、いかに二次元の絵画として作り上げるかに向かっています。せり上がる歪んだテーブル面や、その形と矛盾するテーブルクロスの折れ目、さらに茎・枝につながっていない葉や花など。これらの意図的な操作や変形を通して、セザンヌは様々な絵画空間の実験を試みています。
あけぼの村物語
この作品は、山梨県で実際に起きた事件が主題です。3つの消失点に対応しつつ、場面は概ね4つに分けられます。画面右から、銀行倒産のために自殺した老婆とその孫娘、農道敷設によって自分の麦畑が潰されたことに抗議する村娘、地主への抗議及び襲撃の先導に立った人物を背負籠に入れて運ぶ男、そして画面の下辺には赤い川で溺死する事件の主導者が描かれています。圧政に耐えかねた村民たちが地主宅を襲撃したという事件そのものは描かれませんが、周辺事情を通じてその因果関係が浮かび上がります。寄り目や斜視の犬によって表された人物描写は、土俗的な雰囲気を高めています。
Harmless Kitty
奈良がドイツに住んでいた頃に描いたもので、タイトルは「悪意のない/罪のない子猫ちゃん」と訳すことができます。画面を見る限りでは性別は不明。猫の着ぐるみは、突飛に見えるかもしれませんが、それがあることにより、私たち、見る側のまなざしが、「Harmless Kitty」のまなざしとストレートに向き合うようになっているわけです。しっぽの部分に見られるように、描き直しが、視認できるように、つまり、半ば意図的に残されているのも、見逃せないポイントです。
抽象絵画(赤)
ヘラ状の道具を使って、何十層にも絵具が塗り重ねられています。この作品の制作途中に撮影された写真が33枚も掲載された本があって、それらを見ると、いま目の前にある状態からは、想像もできないほどの激変ぶりに驚かされます。「イリュージョン、より適切には仮象=光。光は私の一生のテーマだ」とリヒターは言います。キャンバスという物理的な面でもなく、また経過写真に表れているような、一層、一層知覚できる面でもない、けれどもこの絵画が、何かの面の上に載っているというレイヤーを感じることができます。ここにリヒターが執拗に層を重ねること、あるいは彼の言うイリュージョン、仮象=光の秘密がありそうです。
女のトルソ
ブラックはピカソとともに、20世紀でもっとも重要な美術動向の一つ、「キュビスム」を創始しました。キュビスムは、二次元の絵画平面上に三次元の奥行きを表すヨーロッパ絵画の遠近法や明暗表現を、根本から問い直しました。この作品は、ブラックのキュビスム期の作品の中でももっとも充実したものの一つです。いくつもの開かれた面に分解された女性の上半身は、さまざまな角度から見た像をつなぎ合わせたように絶えず揺らいで見えます。
Unnamed #7
「出来上がったキャンバスの上に描くのでは一層多くなってしまう」、そう考えた小林は、木枠をつくること、木枠にキャンバスを張ること、キャンバスに絵具を塗ること、それらすべてをなるたけ同時に行おうとしました。ともすればキャンバスや木枠との格闘、あるいは手に絵具をつけたダンスに見えてしまう方法論によってできたのが、この作品です(彼は基本的に筆を使いません)。ところでタイトルを見ると、「Unnamed(名づけられていないもの)」とあります。では、(タイトルではなくて)名前を持たないこの存在はいったいなんなのでしょう。ここにはなにが生れつつあるのでしょう。
残骸のアキュミレイション(離人カーテンの囚人)
草間の初個展の出品作のひとつです。時は1952(昭和27)年、場所は松本市第一公民館、期間はたった2日間でした。この作品が描かれる前年までは、草間はまだ日本画の技法を用いていましたが、本作では、油絵具が使われています。支持体は、麻袋。種苗業を営む旧家に生まれ育った草間にとっては親しみのある素材だったでしょう。1952年に彼女が地元の冊子『信州往来』に寄せたエッセイからは、アーティストとしての強い意志を読みとることができます。「文化は時代の新しい産物であり世界の空気を呼吸し世代を創造してゆくことを要請してゐる。これは画家の重要な使命である。現代を如何にして未来へときずきあげるか。歴史への批判と現在のポイントを踏み迷ってはならない。」
