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第22回アンデパンダン展に参加するよう芸術家達を導く自由の女神
誰でも出品できる無審査の展覧会をアンデパンダン展といいます。正規の美術教育を受けていないルソーにとって、アンデパンダン展はかけがえのない活動の場でした。自由の女神が青空に舞うこの作品は、アンデパンダン展の「自由」を祝福する絵画なのです。展覧会場には、自作の絵画を抱えた大勢の画家が集まってきています。主要会員の名を記したプレートを示すライオンのとなりに、握手をする二人の人物が見えますが、左がアンデパンダン会長で、右がルソー自身です。
北京秋天
1939(昭和14)年の初訪問で北京に魅せられて以来、梅原は1943(昭和18)年まで毎年この都市を訪れました。この作品では、画家自身が「秋の高い空に興味をもった。何だか音楽をきいているような空だった。これもやはり午前の絵だ」*と述べているように、広々と澄みわたった秋空を中心にすえています。油絵具の透明感を活かし、紙の上をすべるように筆を運んで描かれた天空と、岩絵具も用いた樹木の緑や建物の朱が響き合う、重厚感あふれる街並み。空と街の対比と共鳴が印象的です。*『日本現代画家選 梅原龍三郎Ⅱ』(1953年、美術出版社)
No.273(影)
巨大な画面は、まるで壁のようです。その「壁」いっぱいに、赤ん坊の影が描かれています。影はひじょうにリアルに描かれているので、一瞬、私たちはこれを本物の影と見間違えてしまうかもしれません。問題はその一瞬です。それを本物の影と思い込んだとき、私たちの脳内では「影の絵が眼の前にある」のではなくて、「大きな真っ白い壁に影が投影されている=作品そのものは真っ白」と認識されているはずです。作者は「芸術の表現は、限りなく無に近いことが好ましい」と考えていました。ここで彼は、影を媒介として、絵画そのものを見る人の脳内から消去してみせたといえるでしょう。
麗子肖像(麗子五歳之像)
劉生は生涯に三度、大きく画風を変えました。最初はファン・ゴッホ風、次にひたすら細かく描く「細密描写」、最後に中国や日本の古い絵画を参照した東洋画風です。その三つともが日本近代美術の歴史に大きな影響を与えたのですから驚きです。この作品は細密描写の時期のもので、愛娘、麗子を描く有名なシリーズの最初の1点です。上部にアーチ状の額が描かれていて、よく見ると全体が「『額に入った麗子の絵』を描いた絵」というだまし絵になっているのがわかります。
夜明け
怪物、というより「かいじゅう」と呼びたくなるような中央の生き物。三角形を組み合わせた両脇の人物像はまるで幼児の落書きです。これらの要素は、後に岡本が「うまい」「きれい」「ここちよい」という価値の否定としてまとめる前衛の態度表明の体現であるとともに、前衛芸術を大衆化する彼の理想を示してもいます。作品と言葉を駆使する岡本の実践は、芸術家を目指す若者たちを大いに鼓舞し、前衛芸術観を一般に普及しました。
眼のある風景
この印象的な眼をもつ塊は何でしょう。よく見ると、空との間の境界を何度も修整しているのがわかります。そして流れるような曲線の重なりや、絵具を削ったりした跡も認められるでしょう。描きかけのようにも見えるけれども、右下にサインが入っているので、作者にとっては、この形はまさにこうでなければならなかったのです。名づけることのできない「何か」。その正体を見極めようと、じっと画面を見つめていると、次第にいろいろなイマジネーションが湧いてくるでしょう。それは長時間にわたる作者と絵との格闘を追体験することでもあります。
女(B)
エネルギッシュでもあり、ユーモラスでもあり、少し怖くもあり。一度見たら忘れられない女性像です。笑っているのか、踊っているのか、叫んでいるのか、それとも驚いているのか。この強烈な印象は、キャラ立ちした造形だけでなく、あざやかな色彩の効果にもよるでしょう。この色は、絵筆で絵具を塗り重ねるのでなく、染色の技法を用いることによって得られたものです。1955(昭和30)年、岡本太郎が作家を人選した展示(第40回二科展の第九室)に芥川(間所)紗織は出品し、大きな脚光を浴びます。本作は、その展示への出品作です。
海
鳥と飛行船(空飛ぶもの)。魚と潜水艦(泳ぐもの)。右端の女性と左端の工場(すっくと立つもの)。この作品には、いくつもの「自然のもの」と「人工のもの」のそっくりペアが見つかります。ちなみに女性は名女優、グロリア・スワンソン(1899–1983)の絵葉書をもとに描かれています。
法観寺塔婆
京都東山の八坂の塔として知られる法観寺の五重塔。その前には電柱や民家が、所狭しと立ち並んでいます。幾多の時を超え、荘厳さをたたえる不動の塔と、刻々と移り変わる街の組み合わせは対照的です。時や社会がいかに変わろうとも動じることなく、静かにそびえ立つ名塔の美しさや存在感が際立って感じられます。
クォ・ヴァディス
道しるべの脇で立ち尽くす男。表情をうかがい知ることはできませんが、遠くを望んでいるように見えます。左と右のどちらへ行こうか、思い悩んでいるのでしょうか。タイトルの「クォ・ヴァディス(Quo vadis)」とは、「あなたはどこへ行くのか」という意味のラテン語です。この作品が、太平洋戦争の余波がなお色濃い時代に描かれた事実を考えれば、戦後の混乱の中で、自らの進路を決めかねている様子を、その後ろ姿から読み取ることができます。左前方に見える、赤旗を掲げた行列に加わるのか、それとも、右の方に待ち受ける嵐の中へ向かってゆくのか。男の行方は、見る者の想像にゆだねられていますが、道しるべのもとに咲く花が、彼が進もうとする方角を暗示しているようにも見えます。
