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池田蕉園《かえり路》1915年

池田蕉園(1886‐1917)《かえり路》1915年 絹本彩色・四曲一隻屏風158.5×228.5cm令和4年度寄贈 池田蕉園は東京でいちばん人気だった美人画の描き手として知られています。文展で売約となった作品数は最多を誇り(註1)、当時は上村松園とともに女性美人画家の双璧とされていました。今、松園に比べて画名が低いのは、蕉園が31歳で早逝し、大作が少ないことが理由のひとつです。そんな蕉園が1915年の第9回文展に出品した《かえり路》が、当館のコレクションに加わりました。 ご注意いただきたいのは、今は四曲屏風の本作が、発表当初は左にあと2扇がつながった六曲屏風だったことです。失われた2扇に描かれていたのは若武者の後ろ姿。もともとはその彼が振り返る娘の視線を受け止める構図でした。 蕉園と同門だった鏑木清方は、蕉園の描く女性像の特徴を「長い袖袂を重たげに引き摺つてゐるやうな形、悩ましげなる風情、堪へ難きもの思ひ」(註2)にあると言っています。蕉園は師の水野年方から「人間を写すので、人形を画くのでは無い。絵は精神気品が大切だから、其事を忘れてはならぬ」と指導され、人物の内面描写に努めました。本作でも、振り返る娘の恋心を秘めた表情にそれが十分に発揮されています。だから2扇が失われた今でも絵が成立する――そう見えるのは幸いですが、当然ながら蕉園にとっては、娘が目で追う若武者も絵を成り立たせる重要な要素でした。蕉園は本作の構想にあたり、若武者の姿を素描帳に繰り返し描いているのです。 《素描帳》は1964年に東京国立博物館から当館に移管されて以来、その題箋から蕉園の夫、池田輝方のものだと思われてきました。しかし、本作の寄贈を受けて改めて見直したところ、本作の構想が半分ほどを占めていたことから、二人の共用であったと判明しました。構想図のなかには「両大師」の立て札を背景にしたものもあります。《かえり路》の場面設定はどうやら上野の寛永寺あたりだった、そんなこともわかりました。 蕉園は輝方との恋愛、婚約破棄、復縁を経て、1911年に結婚してからは、好んで輝方の画風に染まっていったとされます(註3)。ならば、輝方が本作の3年前に文展で発表した《都の人》(所在不明)との関係も探るべきでしょう。清遊の帰りみち、着飾った男女がぞろぞろと歩く右隻は、その情景も人数が10人であることも本作と共通します。そうしたことも含め、今後の研究が俟たれる作品です。 註(1)「自第一回至第十一回売約品の筆者画題買受人」吉岡班嶺編『帝国絵画宝典』帝国絵画協会、1918年 (2)鏑木清方「明治より大正初期の美人画雑感」『現代作家美人画全集 日本画編・上』新潮社、1932年 (3)松浦あき子「池田蕉園研究―明治美人画の流れ」『明治美術研究学会第24回研究報告』明治美術研究学会、1987年

竹内栖鳳《海幸》|キュレータートーク|所蔵品解説008

所蔵作品の新たな見方、楽しみ方をお伝えするオンラインキュレータートーク。今回は、竹内栖鳳《海幸》(1942年)を取り上げます。鯛を描いた「おめでたい」絵に見えますが、時代背景を紐解くと、この絵の違った一面が見えてきます。 https://youtu.be/iZbSkGre1h0

大辻清司という難問

今回の特集展示によってハッとさせられたことがある。写真家・大辻清司(1923–2001)は、関東大震災のわずか1か月ほど前に生まれているという事実だ。場所は現在の東京都江東区大島。震災に伴う火災によって多くの避難者が亡くなり、当時最悪の被災地となった陸軍被服廠の跡地(現・横網町公園)は、大辻の生家からわずか3キロほどしか離れていない。大辻の人生は、関東大震災の災厄のただなかで始まったと言えるだろう。   一方、美術史では、関東大震災をきっかけに急速に拡大したのが前衛芸術だと言われている。芸術上の概念として「前衛」が確立するのは1930年代に入ってからだが、震災によって旧来の社会制度が崩れ去ったあとで、多くの芸術家が荒廃した空間に新たな形を与えるべく奮闘し、そこに「前衛」意識の萌芽が現れる。ここでいう「前衛」とは、今までの常識を疑い、否定し、未だ見ぬ世界の地平を切り開いてゆく精神的態度を指す。 図1 会場風景(7室)|撮影:大谷一郎 大辻はこの前衛の精神を、生涯にわたって貫いた稀有な写真家だった。彼のキャリアは、主に二つの傾向を持った写真から出発している。構成主義や抽象の影響を受けた写真の造形性を追求する傾向(《航空機》)、そしてシュルレアリスム的なオブジェに類する傾向(《陳列窓》)の二つである。この両者は一見して全く違うスタイルを持っているが、カメラによって、物体の思いもよらない隠された側面を浮かび上がらせようとする点で共通している。付言すれば、これは写真だからこそ可能なことでもある。現実を克明に写しとりながらも、距離、光と影のバランス、瞬間的な時間の静止などあらゆる条件が、肉眼とは異なった新たな視覚をもたらす。だからこそ写真には、見慣れた現実を批判的に捉え返す力が備わっている。大辻の前衛とは、この写真の力を最大限に使い尽くす方策でもあった。 図2 会場風景(8室)|撮影:大谷一郎 見ることによる批判。そのような彼の写真の立脚点を確認すれば、1973年に撮影された大辻には珍しい短編映画《上原2丁目》を、単に、作家自身の日常や暮らしに対する愛着だと誤解してしまうことはないだろう。自宅の前に据えられたカメラは、商店街の通りを少し奥まった路地の側から捉えており、それが書き割り的な舞台空間を作り出している。極めてありふれた、なんでもない日々が、カメラの据え方一つによって異なる相貌を見せる。だから《上原2丁目》はむしろ、作家自身の生きる日常を自己分析するための試みと考えた方が自然だ。 図3 会場風景(9室)|右は大辻清司《上原2丁目》、1973年、武蔵野美術大学美術館・図書館蔵 彼は声高に芸術革命のイデオロギーを唱えることはなかったし、他の芸術家と激しい論争を繰り広げたこともほとんどない。それに、展示会場を一覧すればわかるとおり、作品のスタイルもモチーフも多様であり、記録なのか、作品なのか判然としない写真も数多い。また、大辻は個展の開催や写真集の出版といった活動をほとんど行わず、作品の大部分はグループ展か雑誌の誌面で発表されることが常だった。いってみれば、自分のクリエイションを一個の区切られた世界観として提示するのではなく、他者の作品や言説の隣にそっと添えるかのような見せ方を選択してきたのである。基本的に自己表現の歴史を編もうとする近代美術史は、この点において大辻清司を持て余す。彼自身が一見明白な自己を持たないように感じられるからである。 しかし、前衛が絶えざる懐疑主義に根ざしていることを考えれば、それは原理的に、自己の創造と破壊を繰り返さなければならないものである。疑いの目の矛先は、他者と同時に、自分自身にも向けられるからだ。大辻清司は、時に自己の殻をやぶる外来種としての他者を作品に招き入れながら、絶えず自己の破壊と再生を繰り返した。この事実が大辻清司という難問を招いているが、同時に、彼が極めて正当な前衛精神の継承者であることを物語るのだ。 最後に大辻の言葉を引こう。 前衛の精神は、まず様式化しないことにあった、と大づかみにいうことができる。あるいは様式として固定化した作品から脱出する行為だった、ともいえる。そうだとすれば前衛写真スタイルの作品、前衛風の写真、などというものは、ミイラ取りがミイラになったというほかはない。1 大辻清司という、激しく懐疑主義的な作家が、すぐそばでカメラを携えて歩き回っている。これほど、同時代の「前衛」芸術家にとって身の引き締まることはないだろう。展覧会場に写真と共にならんだ絵画や彫刻を眺めるにつけ、つくづく、大辻というのは空恐ろしい芸術家だと確信して、会場をあとにした。 註 1 大辻清司「前衛写真の意味」『写真ノート』美術出版社、1989年、143頁

開館70周年特集―情報コーナーのリニューアル

図1 2022年リニューアル後の情報コーナー(4F)(撮影:大谷一郎)  美術館4階のエレベーターホールから「眺めのよい部屋」へと向かう途中に、情報コーナーと呼ばれる小スペースがある。従来、ここでは「来館者システム」や、自館の展覧会カタログ、『活動報告』、『研究紀要』、美術館ニュース『現代の眼』といった刊行物が閲覧できるようになっていたが、先の新型コロナウイルス感染症の蔓延に伴う感染症対策から、2020年度以降長らく提供を停止していた。徐々に対策緩和への動きが見られるようになり、情報コーナーのあり方について改めて検討を行い、2022年12月1日に当館が開館70周年を迎えたのを機に、美術館の歴史を振り返るコーナーへと刷新することで館内調整が行われた。そして、10月12日から始まる所蔵作品展「MOMATコレクション」に併せて、美術館の歴史を振り返ることのできる大型の年表と展示ケースを設置し、情報コーナーを刷新した(図1)。  そもそも情報コーナーは、いつ頃から設置されたのだろうか。美術館に初めてその名が登場するのは、2001年の増改築時のことである(図2)。当時の『活動報告』には「美術館3階に情報コーナーを設けて、来館者システムの端末を3台設置するとともに、近年開催の当館展覧会カタログおよび所蔵品目録ほか参考図書の閲覧スペースを用意することができた」1とある。「来館者システム」(図3)とは、いわゆる所蔵作品のデータベースで、当時、館内という制約はあるものの、画像を含めた作品情報を一般の方々が検索できる唯一の仕組みと言えるものであった。 図2 2001年増改築時の情報コーナー(3F) 図3 来館者システム  現在でこそ、「独立行政法人国立美術館 所蔵作品総合目録検索システム」(2006年公開)2や、当館のウェブサイトリニューアルを契機に設けられた「作品検索」(2023年公開)3などを通して、オンライン上で作品情報を得られるようになっているが、「来館者システム」はそうしたシステムの礎と言えるだろう。筆者の前任者である水谷長志は、この情報コーナーが設置された際、「特に意を用いてデザインしたのは、このコーナーが常設展示場の一角に設けられていることもあり、常にその公開情報と、「いま、そこに」並べられている作品との関係を維持させるということであった」4と述べており、作品とデータベースの相補的な関係性を意図して設置されたことが窺える。その後、情報コーナーは2012年に行われた所蔵品ギャラリーのリニューアルに伴い、3階から現在の4階に移設された。  さて、今回装いを新たにした情報コーナーでは、従来から設置されていた「来館者システム」の提供を再開しつつ、新たな目玉として「東京国立近代美術館の70年」と題した年表を新設している(図4)。年表は縦書きで組まれ、右から左へと時代が下っていき、上から「年」「月日」「出来事」「資料番号」「作品図版」で構成されている。京橋での開館の経緯や建物の増改築、竹橋への移転、また、歴史的に重要な展覧会や重要文化財などの主要なコレクションの形成に関わる出来事を取り上げている。年表の左側には、色鮮やかな黄色の棒線が伸びているが、これは所蔵品数の増加を示している。その隣には過去の入館者数を表したグラフもある。「資料番号」は年表の下に設置された覗きケースや、ポスター、映像等の美術館の歴史にまつわる展示資料に対応している。なお、年表内の「資料番号」は可変的で、年数回を予定している展示替えにも対応できるつくりになっている。この年表を手掛けたのはデザイナーの木村稔将さん。複数の情報が入り混じる年表にもかかわらず、すっきりと手際よくまとめていただいた。  開館70周年を迎えてリニューアルした情報コーナー。これまでの美術館の歴史について思いを馳せる場となれば幸いである。 図4 [年表]東京国立近代美術館の70年(デザイン:木村稔将) 註 『独立行政法人国立美術館東京国立近代美術館年報 平成13年度』東京国立近代美術館、2002年、68頁。 独立行政法人国立美術館 所蔵作品総合目録検索システム(https://search.artmuseums.go.jp/) 東京国立近代美術館ウェブサイト「作品検索」(https://www.momat.go.jp/collection)  水谷長志「東京国立近代美術館の情報システム―本館情報コーナーとアートライブラリーを中心に―」『情報管理』46巻3号 (2003年)、180頁。 『現代の眼』638号

所蔵作品展 MOMATコレクション (2023.5.23–9.10)

2023年5月23日-9月10日の所蔵作品展のみどころ 大辻清司《『大辻清司ポートフォリオ』より 美術家の肖像・福島秀子》1950年 MOMATコレクションにようこそ!当館コレクション展の特徴を簡単にご紹介しておきましょう。まずはその規模。1952年の開館以来の活動を通じて収集してきた13,000点を超える所蔵作品から、会期ごとに約200点を展示する国内最大級のコレクション展です。そして、それぞれ小さなテーマが立てられた全12室のつながりによって、19世紀末から今日に至る日本の近現代美術の流れをたどることができる国内随一の展示です。 では今期も盛りだくさんの展示から、見どころを2つだけご案内します。まず4階2-4室では、1923年に起きた関東大震災から今年で100年ということで、被災、復興、社会のひずみなどのトピックから震災と美術の関係を振り返ります。 また3階7-9室では、生誕100年を迎える写真家の大辻清司を特集します。戦後まもなく前衛的な作品で注目され、書き手や教育者としても存在感を示した大辻の足跡を、関わりの深い美術作品もまじえてご紹介します。 どうぞごゆっくりお楽しみください。 ※今会期に展示される重要文化財指定作品 今会期に展示される重要文化財指定作品は以下の通りです。 原田直次郎《騎龍観音》1890年、護国寺蔵、寄託作品|1室 岸田劉生《道路と土手と塀(切通之写生)》1915年|1室 中村彝《エロシェンコ氏の像》1920年|1室 原田直次郎《騎龍観音》1890年、護国寺蔵、寄託作品 岸田劉生《道路と土手と塀(切通之写生)》1915年 中村彝《エロシェンコ氏の像》1920年 展覧会について 展覧会構成4F 1-5室 1880s-1940s 明治の中ごろから昭和のはじめまで 「眺めのよい部屋」美術館の最上階に位置する休憩スペースには、椅子デザインの名品にかぞえられるベルトイア・チェアを設置しています。明るい窓辺で、ぜひゆったりとおくつろぎください。大きな窓からは、皇居の緑や丸の内のビル群のパノラマ・ビューをお楽しみいただけます。 「情報コーナー」開館70周年を記念してMOMATの歴史を振り返る年表と関連資料の展示コーナーへとリニューアルしました。年表には美術館の発展に関わる出来事のほか、コレクションの所蔵品数や入場者数の推移を表したグラフも盛り込んでいます。併せて、所蔵作品検索システムのご利用も再開します。 1室 ひらけ近代 石井柏亭《草上の小憩》1904年 明治時代が始まり、新たな国家が構築されていく中で、日本人たちは怒涛の勢いで押し寄せてくる西洋の美術に接しました。その大波に攪拌されたのち、20世紀に入ると泡立つように無数の個人が、そして個人的な表現が現れ始め、次第に「近代」の形が見えてきます。近代とは個の時代である、とひとまずは言うことができるでしょう。 そのような無数の個人が躍動する一方で、泡立ちを落ち着かせるべく国定の美術を築き上げようと1907年に開設されたのが文部省美術展覧会(文展)です。当館のコレクションは、この文展スタートの年が起点となっています。この部屋では、当館のコレクションの中から、関東大震災(1923年)より前の20世紀初頭の諸相を伝える名品をセレクトしました。近世以前の伝統的な表現に西洋の表現を接続しようとする者、西洋の技術を血肉としようとする者、あるいはまったく個人的な表現を切り拓く者……。うねりを上げるような日本の近代の幕開けをご覧ください。 2室 関東大震災から100年 1923年の美術 津田青楓《出雲崎の女》1923年 今年は、関東大震災から100年目の節目に当たります。1923年9月1日11時58分、相模湾沖で発生したマグニチュード7.9の巨大地震が関東地方を襲いました。前夜からの豪雨がやみ、激しい風が吹く秋の土曜日、上野公園の竹之台陳列館では、いずれも第10回の再興院展と二科展が初日を迎え、朝から大勢の人で賑わっていました。ちょうど作家たちが集まってきた頃に激しい揺れが起こり、展示は即時中止されます。陳列館は倒壊を免れましたが、いずれの会場でも、台から落下した彫刻が壊れて散乱し、絵画は傾いたり、額が歪んだりといった惨状だったようです。二科展を訪れていたある人物は、「立体派の絵をグルグル廻し乍ら見て居る様だ」と述懐しています。両展ともに、無事だった作品を集めて10月から大阪で開催され、その後再興院展は法政大学で、二科展は京都、福岡を巡回しました。ここでは、当館のコレクションから、当時これらの展覧会に出品されていた作品をご紹介します。 3室 関東大震災から100年 被災と復興 村山知義《コンストルクチオン》1925年 200万人近くが被災し、死者・行方不明者10万人、全壊家屋10万棟、全焼家屋21万棟に及ぶ甚大な被害を出した関東大震災。テレビもインターネットもない時代、美術家たちは被害の様子を記録しようと筆やカメラをとりました。やがて、展示活動を再開したり、避難民が暮らすバラックに意匠を提案したり、新たな街づくりの提言をしたり、復興の様子を描き出したりと、彼らはさまざまな形で復興に携わるようになります。また、関東大震災が美術にもたらした影響について、美術評論家の匠秀夫は、のちに次のように書いています。「第一次大戦の荒廃の中からダダが生れたのと相似した、関東大震災による荒廃は、ダダ的諸傾向の簇生そうせいに好適の土壌となった。大震災後の精神的混迷期を通じて前衛芸術運動は急激に盛になる」(『近代日本洋画の展開』昭森社、1964年)。震災前からみられた前衛美術の動きは、震災によって加速してゆきました。 4室 関東大震災から100年 社会のひずみ 望月晴朗《同志山忠の思い出》1931年 震災後の復興を通じて、モダンな都市文化が発達した一方、社会のひずみも徐々に露わになっていきました。官憲や自警団が震災時にみせた凶暴さが体制批判の思想を生み出し、無政府主義・社会主義へと傾倒した美術家たちは、やがてプロレタリア美術へと向かいます。彼らの多くは、「未来派美術協会」「アクション」「マヴォ」「第一作家同盟(DSD)」、そしてこれらのグループが一つになった「三科」など、大正期の新興美術運動に参加した作家たちでした。1929年には「日本プロレタリア美術家同盟」が結成され、1928年から1932年にかけては「プロレタリア美術大展覧会」が開かれ、労働者のデモやストライキ、働く場であった工場などを題材にした作品が数多く発表されます。彼らの表現は、絵画や彫刻だけでなく、版画やポスター、演劇、漫画、出版物など幅広いジャンルに及びました。しかし、治安維持法の改正や警察による弾圧を背景に、1934年にはプロレタリア美術運動は終息していきます。 5室 なにかになりそうなかたち アレクサンダー・カルダー《モンスター》1939年頃 自然の形態を模した建築で知られるガウディの展覧会にちなみ、この部屋では抽象的でありながら、植物や生き物、人間のかたちを思い起こさせるバイオモーフィック(生命形態的)なイメージの作品を紹介します。バイオモーフィック(biomorphic)ということばは、抽象芸術における非幾何学的な表現の傾向を示すために、1930年代から美術の分野で使われはじめます。特にジョアン・ミロ、ジャン(ハンス)・アルプ、アレクサンダー・カルダーなどによる、シュルレアリスムにおける有機的なフォルムの絵画や彫刻に適用されました。こうした潮流は岡本太郎や寺田政明をはじめとする、日本のシュルレアリスムの担い手たちによっても展開されます。無機物と有機物のあいだを揺れ動く、常に変化の途上にあるかのようなかたちの数々。それらは「抽象」と「具象」を作品のなかで併存させようとする試み、あるいはそうした枠組みにとらわれないイメージを探求するなかで生まれた形態でもありました。 3F 6室 1920-1940年代の絵画―具象的な絵画を中心に 靉光《自画像》1944年 1920年頃から1940年代は、戦争や災害による破壊や混沌が続いた時期です。そうしたなかで自分の立脚点にいま一度立ち返り、目指すべき表現とは何かを突き詰めようとする芸術家たちがいました。 伝統尊重や日本回帰といった時代の動きとも重なりながら、西洋の模倣に終わらない、「日本の絵画」を創ろうとした動向もその一端です。たとえば発色を活かすため、伝統的な画材である岩絵具を積極的に用いた梅原龍三郎。あるいは淡い色使いと色調の繊細なコントロールにより、背景から静かに浮かび上がる馬を描いた坂本繁二郎には、対象とまわりの自然を一元的に捉える東洋的な自然観が見て取れます。 一方で、透明感のある色面と黒の線描で、自身の孤独な内面を反映したかのような静謐な世界を描いた松本竣介や、暗闇を背景に遠くを見据え、凛として立つ自身を描いた靉光の《自画像》などには、戦時期の重苦しさが漂う時代でも、自らを見失うまいと格闘した画家の意志が現れています。 7室 「実験」と「共同」生誕100年大辻清司(1) 大辻清司《『大辻清司ポートフォリオ』より 美術家の肖像・福島秀子》1950年 大辻清司は、戦後まもなく前衛的な作品で注目され、またその後は写真に関する書き手や教育者としても存在感を示した写真家です。その生誕100年にあたり、今期の所蔵品展では三つの部屋を使って、戦後の美術とも関わりの深い大辻の足跡の一端をご紹介します。 最初の部屋は「「実験」と「共同」」と題して、1950年代に大辻が参加した実験工房とグラフィック集団という二つの表現者集団に注目します。1951年、詩人・批評家の瀧口修造の周辺に集った美術家や音楽家など若い表現者たちによって結成された実験工房は、共同で舞台を制作するなど、実験的でジャンル横断的な活動を展開したことで知られます。大辻は53年から実験工房の活動に参加、さまざまな撮影を担当しました。 その同じ年、グラフィック集団の結成にも大辻は参画します。グラフィックデザイナーや画家、写真家などが共同で展覧会や出版物の企画制作をてがけたこのグループもまた、新しい広告表現のための提案や、ユニークな映像作品など、実験精神にあふれた共同制作を展開しました。 8室 「具体」と「物質」生誕100年大辻清司(2) 大辻清司《田中敦子》1956年 大辻清司は1956年から数年間嘱託を務めた『芸術新潮』の仕事をはじめとして、美術をめぐる撮影を多く手がけました。この部屋では、大辻が撮影した表現者たちとその作品に注目します。 「われわれの精神が自由であることを具体的に提示したい」という理念を掲げた具体美術協会は、同時代の美術に大きなインパクトを与えました。関西を拠点とした彼らが、56年東京で開催した「第2回具体美術展」を記録した大辻の写真には、既成の美術の枠にとらわれない彼らの自由な精神が記録されています。 70年の「第10回日本国際美術展(東京ビエンナーレ)人間と物質」展は、「もの派」として知られることになる美術家たちを、初めて同時代の国際的な動向とともに紹介した重要な展覧会です。大辻はこの展覧会を、展示作業から撮影しました。 シュルレアリスムのオブジェの思想にもとづく作品から出発した大辻は、「もの」の存在に注目した写真家です。その大辻の写真を補助線として見る戦後美術の展開には、「もの/物質」をめぐる模索の系譜が浮かびあがってきます。 9室 上原2丁目 生誕100年大辻清司(3) 大辻清司《ここにこんなモノがあったのかと、いろいろ発見した写真》1975年 「何を実験するかというと、つねづね頭の中で検討していた写真についての考え方と、実際に私が撮る写真との間に違いがあるのか、ないのか、それを確かめてみたいのです。」 これは大辻清司が、1975年『アサヒカメラ』に連載した「大辻清司実験室」の初回で記した一節です。各回は自身による写真と文章で構成され、写真には何が写るのか、あるいは写らないのか、またそれによって写真を見る他者に何が伝わり、何が伝わらないのかといったことが、自らを被験者として、あらためて一つひとつ検討されました。自宅の仕事机の上に置かれた「もの」を写した写真をめぐる思索に始まった連載は、建替えのためにその自宅が取り壊される様子の記録で終わります。 依頼された仕事は別として、自らの作品を撮影するためにテーマを立ててどこかに出かけるといったことの少なかった大辻は、長く住んだ上原の自宅とその周辺で多くの作品を撮影しています。特集の締めくくりとなるこの部屋では、「上原2丁目」と題し、身近な環境に向けられた大辻独自のまなざしに注目します。 10室 新収蔵&特別公開|池田蕉園《かえり路》1 池田蕉園《かえり路》1915年 池田蕉園(1886-1917)は旧姓を榊原、本名を百合子といい、師事した水野年方(1866-1908)から、日本画家の上村松園(1875-1949)にあやかって同じ音の「蕉園」の号を与えられました。文展では同門の鏑木清方(1878-1972)や、後に夫となる池田輝方(1883-1921)等をしのぎ、第1回展から第4回展まで連続して3等賞を受賞したスター的存在でした。彼女の作品に見られる物語を題材にしたロマンチックさ、恋する女性の夢見るような表情と悩ましげな風情は、当時、女性たちの絶大な支持を集めました。 2022年に新たに収蔵した《かえり路》は、1915(大正4)年の第9回文展で、美人画ばかりを一部屋に集めたいわゆる「美人画室」に並べられた作品です。発表当時は六曲一隻屏風でしたが、現在は左の二扇が失われ四曲一隻屏風となっています。けれど、幸いにも蕉園独特の甘美な女性像の魅力は損なわれていません。今回はこの《かえり路》のお披露目にあわせ、日本画と工芸を中心に女性作家の作品を集めて紹介します。 10室 新収蔵&特別公開|池田蕉園《かえり路》2 北野恒富《戯れ》1929年 2022年に新たに収蔵した《かえり路》は、1915(大正4)年の第9回文展で、美人画ばかりを一部屋に集めたいわゆる「美人画室」に並べられた作品です。今回は前回にひきつづき、この《かえり路》と女性作家による作品の一部をご覧いただくとともに、美人画や風俗画の描き手として、蕉園に関わりの深かった画家たちの作品をあわせてご紹介します。 2F 11室 視覚のラビリンス 遠藤彰子《遠い日》1985年 ガウディのサグラダ・ファミリアの受難のファサードには、彫刻家ジュゼップ・マリア・スビラックスによる石彫の迷宮が設置されています。迷宮は古代のほとんどの文化に存在したことが知られており、西洋では中世に入ると、神に向かって人生を進むことの象徴として、教会の入口に迷宮が設置されました。もともと迷宮は中心へと向かう一本道でしたが、ルネサンス期になると、進む人を迷わせる枝分かれした迷宮が現れます。一歩足を踏み入れると、出口がどこにあるのか、自分がどこにいるのか分からない迷宮は、古今東西において人間を魅了してきました。そして芸術作品にも、マウリッツ・エッシャーをはじめ、迷宮は多く登場します。ここでは、迷宮を描いた作品から、迷宮のような構造をもつ絵画作品まで、視覚をラビリンスへと誘う作品を集めました。 12室 視覚のラビリンス 宇佐美圭司《ドーム・内なる外》1997年 前室に続き、この部屋でも、見れば見るほど引き込まれる、ラビリンスのような絵画や彫刻、映像作品をご紹介します。ここでは、具象か抽象かというのは重要ではありません。具体的な対象を描いた作品は、その描写を細部まで突き詰めたり、あるいは異なる対象を組み合わせることによって、絵画にしかできない虚構性をつくり出し、見る者を魅了します。他方、抽象的な作品においては、作家のコンセプトや制作のプロセス、手の動きなど、さまざまな要素が絡みあって、私たちの視覚を刺激します。それは絵画だけでなく彫刻や映像にも当てはまるでしょう。また、形や色、構図といった空間的な要素だけではなく、制作された時間、鑑賞する時間もラビリンスの重要な要素かもしれません。出口のないラビリンスで、心ゆくまで迷い、すみずみまで作品を味わってみてください。 13室(ギャラリー4) カタストロフの前後  石川順恵《Impermanence 青女》2014年 今期のMOMATコレクションでは、4階で100年前の関東大震災に焦点をあてました。最後の部屋では、2011年の東日本大震災の前後に制作された作品を紹介します。並べてみると、現代的な明るい色彩という共通点や、個人の内面的な表現から社会的な関心へという流れが浮かぶように思えますが、そこに震災という主題が差し込まれると、どうなるでしょう。 ある大きな災害の経験は、ひとつの切断面として私たちの中に記憶されます。例えば、闇を封じ込めた河口龍夫の《DARK BOX 2009》を見るとき、その中に入っているであろう「あのとき」の前の空気を思ったり、あるいは、加藤泉が描く顔の中に、崩壊した風景を連想したり。すべての作品が震災に関わるわけでないことはもちろんですが、時代に沿って作品が変化するというより、見る側の変化が作品の見え方を変えるということに思いを至らせる機会になれば幸いです。小部屋には、三好耕三と潮田登久子による写真を、それぞれ震災の前後に撮影した作品で対にして展示しました。できれば、まずはキャプションを見ずにご覧になってみてください。 開催概要 東京国立近代美術館所蔵品ギャラリー(4F-2F) 2023年5月23日(火)~9月10日(日) 8月26日(土)まで:10:00-17:00(金曜・土曜は10:00-20:00) 7月30日(日)、8月6日(日)、13日(日)、20日(日):10:00-18:00 8月27日(日)~9月10日(日):10:00-20:00 8月28日(月)、9月4日(月)は臨時開館(10:00-20:00) いずれも入館は閉館30分前まで 月曜日(ただし7月17日は開館)、7月18日(火) 一般 500円(400円) 大学生 250円(200円) ( )内は20名以上の団体料金。いずれも消費税込。 5時から割引(金曜・土曜) :一般 300円 大学生 150円 高校生以下および18歳未満、65歳以上、「MOMATパスポート」をお持ちの方、障害者手帳をお持ちの方とその付添者(1名)は無料。入館の際に、学生証、運転免許証等の年齢の分かるもの、障害者手帳等をご提示ください。 キャンパスメンバーズ加入校の学生・教職員は学生証または教職員証の提示でご観覧いただけます。 東京国立近代美術館

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1. 基本的な考え方 東京国立近代美術館(東京国立近代美術館および国立工芸館)(以下、「当館」と省略)では、当館のウェブサイト(http://www.momat.go.jp)において提供するサービス (ウェブサイトによる情報提供、メールマガジンの配信、各種事業への参加受付等)の円滑な運営に必要な範囲で、当サイトの利用者の個人情報(独立行政法人等の保有する個人情報の保護に関する法律2条2項の定義に基づく)を収集する場合があります。収集した個人情報は利用目的の範囲内で適切に取り扱います。その際、EU一般データ保護規則(以下、「GDPR」)および日本の個人情報保護法を含む、適用されるデータ保護法を遵守することをお約束します。あわせて独立行政法人国立美術館の個人情報の適切な管理のための措置に関する定めのページもご確認ください。 2.収集する情報の範囲 当サイトでは、当サイトの閲覧者のアクセス元、IPアドレス等の情報を自動的に記録しています。 個別事業ごとに参加者を当サイトで募集する場合は、必要に応じてお名前、ご住所、生年月日、学校・職業、年齢、メールアドレス、電話番号、その他参加されるイベントに関連し、当館が提供をお願いする個人情報等の記入をお願いすることがあります。 当館は、当館が主催するイベントのチケット予約サービスを提供するチケット代理店から利用者の個人データを取得することがあります。 3.利用目的 当サイトで収集した情報は、当サイトが提供するサービスを円滑に運営するための参考として利用します。 2.2で収集した個別事業に関する情報は、以下のような当該事業の実施のために利用します。 イベントのスケジュール、会場、その他の重要な情報の変更について、利用者の便宜を図るため、またはイベントを適切に企画・運営するために必要な場合に通知するため。 イベント会場での利用者の本人確認。 利用者の年齢確認および参加資格の確認 その他、利用者が特に事前に同意された目的。 4.個人情報の保存期間 利用者の個人情報は、利用者が参加された各イベントなどが終了するまで保管されます。連続するイベントの場合は、その最終回が終了するまで保管します。その後、合理的な期間内に利用者を識別できないように、廃棄または匿名化します。 5.利用及び提供の制限 当館では,法令に基づく開示要請があった場合,不正アクセス,脅迫等の違法行為があった場合その他特別の理由がある場合を除き,収集した情報を3.の利用目的のために当館が利用するのみとし,第三者に提供しません。ただし、当サイトへのアクセス数のように、収集した情報を個人が特定できないように統計的に処理した結果については,公表することがあります。 6.安全確保の措置 当館は、収集した情報の漏えい、滅失又は棄損の防止その他収集した情報の適切な管理のために必要な措置を講じます。収集した情報の漏えい、滅失又はき損の防止その他収集した情報の適切な管理のために必要な措置を講じます。また当館は、サービスプロバイダーとの間でGDPR第28条に準拠したデータ処理契約を締結し、データセキュリティおよび守秘義務を課すことで、個人データに関するお客様の権利を保護します。 7.適用範囲 本プライバシーポリシーは、当サイトにおいてのみ適用されます。関係機関における情報の取扱いについては、それぞれの組織の責任において行われます。 8.その他 美術館では、このプライバシーポリシーを必要に応じて改定することがあります。

模写と対話で考える関東大震災

MOMATコレクション「関東大震災から100年」関連イベント 「関東大震災から100年」の特集展示をきっかけに、関東大震災についてさまざまな角度から捉えなおすためのプログラムです。まず、アーティストの瀬尾夏美と担当研究員が今回の展示をめぐるギャラリートークを行います。その後、被災したまちを描いたスケッチや、震災から影響を受けてつくられた作品をじっくり見て模写をします。創作を加えるのも自由です。タイトルや簡単な解説文も書いてみましょう。それらを囲んで対話しながら、100年前に発生した震災とは、いったいどのようなものだったのかを考えます。 展示風景 撮影:大谷一郎 プログラム日程・概要 2023年8月4日(金) 18時~20時 15名程度(申込多数の場合は抽選) 無料(所蔵作品展「MOMATコレクション」の観覧料が必要です) 所蔵品ギャラリー2-4室、および2Fテラスに面した通路 瀬尾夏美(アーティスト)、横山由季子(東京国立近代美術館研究員) 2023年7月23日(日)23時45分まで  ※申し込みは終了しました。 ‐ 同日程に同じメールアドレスから複数のお申込みがある場合、最新のお申込みを抽選の対象とします。 ‐ 抽選後、7月28日(金)までに、当選された方にのみお申込み時のメールアドレスにご連絡いたします。当選をお知らせするメールで、集合場所を含むご案内をお送りいたします。 参加にあたってのご注意 ‐ 記録のため、主催者が撮影させていただきます。あらかじめご了承ください。 ‐ 制作した作品はお持ち帰りいただきます。 当日の流れ 18:00  ギャラリートーク 18:30  作品の模写、タイトルと解説の執筆 19:10  作品発表、対話 登壇者プロフィール 瀬尾夏美 1988年東京都足立区生まれ。土地の人びとのことばと風景の記録を考えながら、絵や文章をつくっている。東日本大震災のボランティア活動を契機に、映像作家の小森はるかとのユニットでの制作を開始し、岩手県陸前高田市に移住。2015年、土地との協働を通した記録活動を行うコレクティブ「NOOK(のおく)」を立ち上げる。現在は江東区で「studio04」を運営しながら、災禍の記録のリサーチとそれらを活用した表現を模索しつつ、“語れなさ”をテーマに各地を旅し、物語を書いている。参加した主な展覧会に「ヨコハマトリエンナーレ2017」、「第12回恵比寿映像祭」(2020)、「3.11とアーティスト:10年目の想像」(水戸芸術館、2021)、「日常のあわい」(金沢21世紀美術館、2021)など。最新の映画作品に小森はるか+瀬尾夏美『二重のまち/交代地のうたを編む』。著書に、『あわいゆくころ――陸前高田、震災後を生きる』(晶文社、2019年)、『二重のまち/交代地のうた』(書肆侃侃房、2021年)。

ニューギニア沖東方敵機動部隊強襲

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所蔵作品展「MOMATコレクション」(2023.5.23–9.10) 展示替えのお知らせ

所蔵作品展「MOMATコレクション」は、7月18日に紙作品を中心に展示替えを行い、7月19日(水)より後期展示がスタートしました。3階10室には、鏑木清方の屏風6曲1双《墨田河舟遊》、《註文帳画譜》、北野恒富《戯れ》などが登場しています。9月10日(日)までの展示です。

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令和5年度国立美術館巡回展 20世紀美術の冒険者たちー名作でたどる日本と西洋のアート 開催のお知らせ

東京国立近代美術館の洋画・彫刻コレクションによって、20世紀の日本・西洋美術の軌跡をたどる展覧会を熊本県立美術館にて開催します。熊本県立美術館と巡回先の高松市美術館(香川県)の所蔵品をまじえた76点の作品による、近代美術から現代アートにいたる冒険の旅をご覧ください。 会期:2023年7月22日(土)~9月18日(月・祝) 会場:熊本県立美術館本館

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