展覧会

会期終了 所蔵作品展

所蔵作品展 MOMATコレクション (2023.5.23–9.10)

会期

会場

東京国立近代美術館所蔵品ギャラリー4-2階

2023年5月23日-9月10日の所蔵作品展のみどころ

大辻清司《『大辻清司ポートフォリオ』より 美術家の肖像・福島秀子》1950年

MOMATコレクションにようこそ!

当館コレクション展の特徴を簡単にご紹介しておきましょう。まずはその規模。1952年の開館以来の活動を通じて収集してきた13,000点を超える所蔵作品から、会期ごとに約200点を展示する国内最大級のコレクション展です。そして、それぞれ小さなテーマが立てられた全12室のつながりによって、19世紀末から今日に至る日本の近現代美術の流れをたどることができる国内随一の展示です。

では今期も盛りだくさんの展示から、見どころを2つだけご案内します。まず4階2-4室では、1923年に起きた関東大震災から今年で100年ということで、被災、復興、社会のひずみなどのトピックから震災と美術の関係を振り返ります。

また3階7-9室では、生誕100年を迎える写真家の大辻清司を特集します。戦後まもなく前衛的な作品で注目され、書き手や教育者としても存在感を示した大辻の足跡を、関わりの深い美術作品もまじえてご紹介します。

どうぞごゆっくりお楽しみください。

※今会期に展示される重要文化財指定作品

今会期に展示される重要文化財指定作品は以下の通りです。

  • 原田直次郎《騎龍観音》1890年、護国寺蔵、寄託作品|1室
  • 岸田劉生《道路と土手と塀(切通之写生)》1915年|1室
  • 中村彝《エロシェンコ氏の像》1920年|1室

展覧会について

展覧会構成
4F

1-5室 1880s-1940s 明治の中ごろから昭和のはじめまで

「眺めのよい部屋」
美術館の最上階に位置する休憩スペースには、椅子デザインの名品にかぞえられるベルトイア・チェアを設置しています。明るい窓辺で、ぜひゆったりとおくつろぎください。大きな窓からは、皇居の緑や丸の内のビル群のパノラマ・ビューをお楽しみいただけます。

「情報コーナー」
開館70周年を記念してMOMATの歴史を振り返る年表と関連資料の展示コーナーへとリニューアルしました。年表には美術館の発展に関わる出来事のほか、コレクションの所蔵品数や入場者数の推移を表したグラフも盛り込んでいます。併せて、所蔵作品検索システムのご利用も再開します。

1室 ひらけ近代

石井柏亭《草上の小憩》1904年

明治時代が始まり、新たな国家が構築されていく中で、日本人たちは怒涛の勢いで押し寄せてくる西洋の美術に接しました。その大波に攪拌されたのち、20世紀に入ると泡立つように無数の個人が、そして個人的な表現が現れ始め、次第に「近代」の形が見えてきます。近代とは個の時代である、とひとまずは言うことができるでしょう。

そのような無数の個人が躍動する一方で、泡立ちを落ち着かせるべく国定の美術を築き上げようと1907年に開設されたのが文部省美術展覧会(文展)です。当館のコレクションは、この文展スタートの年が起点となっています。この部屋では、当館のコレクションの中から、関東大震災(1923年)より前の20世紀初頭の諸相を伝える名品をセレクトしました。近世以前の伝統的な表現に西洋の表現を接続しようとする者、西洋の技術を血肉としようとする者、あるいはまったく個人的な表現を切り拓く者……。うねりを上げるような日本の近代の幕開けをご覧ください。

2室 関東大震災から100年 1923年の美術

津田青楓《出雲崎の女》1923年

今年は、関東大震災から100年目の節目に当たります。1923年9月1日11時58分、相模湾沖で発生したマグニチュード7.9の巨大地震が関東地方を襲いました。前夜からの豪雨がやみ、激しい風が吹く秋の土曜日、上野公園の竹之台陳列館では、いずれも第10回の再興院展と二科展が初日を迎え、朝から大勢の人で賑わっていました。ちょうど作家たちが集まってきた頃に激しい揺れが起こり、展示は即時中止されます。陳列館は倒壊を免れましたが、いずれの会場でも、台から落下した彫刻が壊れて散乱し、絵画は傾いたり、額が歪んだりといった惨状だったようです。二科展を訪れていたある人物は、「立体派の絵をグルグル廻し乍ら見て居る様だ」と述懐しています。両展ともに、無事だった作品を集めて10月から大阪で開催され、その後再興院展は法政大学で、二科展は京都、福岡を巡回しました。ここでは、当館のコレクションから、当時これらの展覧会に出品されていた作品をご紹介します。

3室 関東大震災から100年 被災と復興

村山知義《コンストルクチオン》1925年

200万人近くが被災し、死者・行方不明者10万人、全壊家屋10万棟、全焼家屋21万棟に及ぶ甚大な被害を出した関東大震災。テレビもインターネットもない時代、美術家たちは被害の様子を記録しようと筆やカメラをとりました。やがて、展示活動を再開したり、避難民が暮らすバラックに意匠を提案したり、新たな街づくりの提言をしたり、復興の様子を描き出したりと、彼らはさまざまな形で復興に携わるようになります。また、関東大震災が美術にもたらした影響について、美術評論家の匠秀夫は、のちに次のように書いています。「第一次大戦の荒廃の中からダダが生れたのと相似した、関東大震災による荒廃は、ダダ的諸傾向の簇生そうせいに好適の土壌となった。大震災後の精神的混迷期を通じて前衛芸術運動は急激に盛になる」(『近代日本洋画の展開』昭森社、1964年)。震災前からみられた前衛美術の動きは、震災によって加速してゆきました。

4室 関東大震災から100年 社会のひずみ

望月晴朗《同志山忠の思い出》1931年

震災後の復興を通じて、モダンな都市文化が発達した一方、社会のひずみも徐々に露わになっていきました。官憲や自警団が震災時にみせた凶暴さが体制批判の思想を生み出し、無政府主義・社会主義へと傾倒した美術家たちは、やがてプロレタリア美術へと向かいます。彼らの多くは、「未来派美術協会」「アクション」「マヴォ」「第一作家同盟(DSD)」、そしてこれらのグループが一つになった「三科」など、大正期の新興美術運動に参加した作家たちでした。1929年には「日本プロレタリア美術家同盟」が結成され、1928年から1932年にかけては「プロレタリア美術大展覧会」が開かれ、労働者のデモやストライキ、働く場であった工場などを題材にした作品が数多く発表されます。彼らの表現は、絵画や彫刻だけでなく、版画やポスター、演劇、漫画、出版物など幅広いジャンルに及びました。しかし、治安維持法の改正や警察による弾圧を背景に、1934年にはプロレタリア美術運動は終息していきます。

5室 なにかになりそうなかたち

アレクサンダー・カルダー《モンスター》1939年頃

自然の形態を模した建築で知られるガウディの展覧会にちなみ、この部屋では抽象的でありながら、植物や生き物、人間のかたちを思い起こさせるバイオモーフィック(生命形態的)なイメージの作品を紹介します。バイオモーフィック(biomorphic)ということばは、抽象芸術における非幾何学的な表現の傾向を示すために、1930年代から美術の分野で使われはじめます。特にジョアン・ミロ、ジャン(ハンス)・アルプ、アレクサンダー・カルダーなどによる、シュルレアリスムにおける有機的なフォルムの絵画や彫刻に適用されました。こうした潮流は岡本太郎や寺田政明をはじめとする、日本のシュルレアリスムの担い手たちによっても展開されます。無機物と有機物のあいだを揺れ動く、常に変化の途上にあるかのようなかたちの数々。それらは「抽象」と「具象」を作品のなかで併存させようとする試み、あるいはそうした枠組みにとらわれないイメージを探求するなかで生まれた形態でもありました。

3F

6室 1920-1940年代の絵画―具象的な絵画を中心に

靉光《自画像》1944年

1920年頃から1940年代は、戦争や災害による破壊や混沌が続いた時期です。そうしたなかで自分の立脚点にいま一度立ち返り、目指すべき表現とは何かを突き詰めようとする芸術家たちがいました。

伝統尊重や日本回帰といった時代の動きとも重なりながら、西洋の模倣に終わらない、「日本の絵画」を創ろうとした動向もその一端です。たとえば発色を活かすため、伝統的な画材である岩絵具を積極的に用いた梅原龍三郎。あるいは淡い色使いと色調の繊細なコントロールにより、背景から静かに浮かび上がる馬を描いた坂本繁二郎には、対象とまわりの自然を一元的に捉える東洋的な自然観が見て取れます。

一方で、透明感のある色面と黒の線描で、自身の孤独な内面を反映したかのような静謐な世界を描いた松本竣介や、暗闇を背景に遠くを見据え、凛として立つ自身を描いた靉光の《自画像》などには、戦時期の重苦しさが漂う時代でも、自らを見失うまいと格闘した画家の意志が現れています。

7室 「実験」と「共同」生誕100年大辻清司(1)

大辻清司《『大辻清司ポートフォリオ』より 美術家の肖像・福島秀子》1950年

大辻清司は、戦後まもなく前衛的な作品で注目され、またその後は写真に関する書き手や教育者としても存在感を示した写真家です。その生誕100年にあたり、今期の所蔵品展では三つの部屋を使って、戦後の美術とも関わりの深い大辻の足跡の一端をご紹介します。

最初の部屋は「「実験」と「共同」」と題して、1950年代に大辻が参加した実験工房とグラフィック集団という二つの表現者集団に注目します。1951年、詩人・批評家の瀧口修造の周辺に集った美術家や音楽家など若い表現者たちによって結成された実験工房は、共同で舞台を制作するなど、実験的でジャンル横断的な活動を展開したことで知られます。大辻は53年から実験工房の活動に参加、さまざまな撮影を担当しました。

その同じ年、グラフィック集団の結成にも大辻は参画します。グラフィックデザイナーや画家、写真家などが共同で展覧会や出版物の企画制作をてがけたこのグループもまた、新しい広告表現のための提案や、ユニークな映像作品など、実験精神にあふれた共同制作を展開しました。

8室 「具体」と「物質」生誕100年大辻清司(2)

大辻清司《田中敦子》1956年

大辻清司は1956年から数年間嘱託を務めた『芸術新潮』の仕事をはじめとして、美術をめぐる撮影を多く手がけました。この部屋では、大辻が撮影した表現者たちとその作品に注目します。

「われわれの精神が自由であることを具体的に提示したい」という理念を掲げた具体美術協会は、同時代の美術に大きなインパクトを与えました。関西を拠点とした彼らが、56年東京で開催した「第2回具体美術展」を記録した大辻の写真には、既成の美術の枠にとらわれない彼らの自由な精神が記録されています。

70年の「第10回日本国際美術展(東京ビエンナーレ)人間と物質」展は、「もの派」として知られることになる美術家たちを、初めて同時代の国際的な動向とともに紹介した重要な展覧会です。大辻はこの展覧会を、展示作業から撮影しました。 シュルレアリスムのオブジェの思想にもとづく作品から出発した大辻は、「もの」の存在に注目した写真家です。その大辻の写真を補助線として見る戦後美術の展開には、「もの/物質」をめぐる模索の系譜が浮かびあがってきます。

9室 上原2丁目 生誕100年大辻清司(3)

大辻清司《ここにこんなモノがあったのかと、いろいろ発見した写真》1975年

「何を実験するかというと、つねづね頭の中で検討していた写真についての考え方と、実際に私が撮る写真との間に違いがあるのか、ないのか、それを確かめてみたいのです。」

これは大辻清司が、1975年『アサヒカメラ』に連載した「大辻清司実験室」の初回で記した一節です。各回は自身による写真と文章で構成され、写真には何が写るのか、あるいは写らないのか、またそれによって写真を見る他者に何が伝わり、何が伝わらないのかといったことが、自らを被験者として、あらためて一つひとつ検討されました。自宅の仕事机の上に置かれた「もの」を写した写真をめぐる思索に始まった連載は、建替えのためにその自宅が取り壊される様子の記録で終わります。 依頼された仕事は別として、自らの作品を撮影するためにテーマを立ててどこかに出かけるといったことの少なかった大辻は、長く住んだ上原の自宅とその周辺で多くの作品を撮影しています。特集の締めくくりとなるこの部屋では、「上原2丁目」と題し、身近な環境に向けられた大辻独自のまなざしに注目します。

10室 新収蔵&特別公開|池田蕉園《かえり路》1

池田蕉園《かえり路》1915年

池田蕉園(1886-1917)は旧姓を榊原、本名を百合子といい、師事した水野年方(1866-1908)から、日本画家の上村松園(1875-1949)にあやかって同じ音の「蕉園」の号を与えられました。文展では同門の鏑木清方(1878-1972)や、後に夫となる池田輝方(1883-1921)等をしのぎ、第1回展から第4回展まで連続して3等賞を受賞したスター的存在でした。彼女の作品に見られる物語を題材にしたロマンチックさ、恋する女性の夢見るような表情と悩ましげな風情は、当時、女性たちの絶大な支持を集めました。

2022年に新たに収蔵した《かえり路》は、1915(大正4)年の第9回文展で、美人画ばかりを一部屋に集めたいわゆる「美人画室」に並べられた作品です。発表当時は六曲一隻屏風でしたが、現在は左の二扇が失われ四曲一隻屏風となっています。けれど、幸いにも蕉園独特の甘美な女性像の魅力は損なわれていません。今回はこの《かえり路》のお披露目にあわせ、日本画と工芸を中心に女性作家の作品を集めて紹介します。

10室 新収蔵&特別公開|池田蕉園《かえり路》2

北野恒富《戯れ》1929年

2022年に新たに収蔵した《かえり路》は、1915(大正4)年の第9回文展で、美人画ばかりを一部屋に集めたいわゆる「美人画室」に並べられた作品です。今回は前回にひきつづき、この《かえり路》と女性作家による作品の一部をご覧いただくとともに、美人画や風俗画の描き手として、蕉園に関わりの深かった画家たちの作品をあわせてご紹介します。

2F

11室 視覚のラビリンス

遠藤彰子《遠い日》1985年

ガウディのサグラダ・ファミリアの受難のファサードには、彫刻家ジュゼップ・マリア・スビラックスによる石彫の迷宮が設置されています。迷宮は古代のほとんどの文化に存在したことが知られており、西洋では中世に入ると、神に向かって人生を進むことの象徴として、教会の入口に迷宮が設置されました。もともと迷宮は中心へと向かう一本道でしたが、ルネサンス期になると、進む人を迷わせる枝分かれした迷宮が現れます。一歩足を踏み入れると、出口がどこにあるのか、自分がどこにいるのか分からない迷宮は、古今東西において人間を魅了してきました。そして芸術作品にも、マウリッツ・エッシャーをはじめ、迷宮は多く登場します。ここでは、迷宮を描いた作品から、迷宮のような構造をもつ絵画作品まで、視覚をラビリンスへと誘う作品を集めました。

12室 視覚のラビリンス

宇佐美圭司《ドーム・内なる外》1997年

前室に続き、この部屋でも、見れば見るほど引き込まれる、ラビリンスのような絵画や彫刻、映像作品をご紹介します。ここでは、具象か抽象かというのは重要ではありません。具体的な対象を描いた作品は、その描写を細部まで突き詰めたり、あるいは異なる対象を組み合わせることによって、絵画にしかできない虚構性をつくり出し、見る者を魅了します。他方、抽象的な作品においては、作家のコンセプトや制作のプロセス、手の動きなど、さまざまな要素が絡みあって、私たちの視覚を刺激します。それは絵画だけでなく彫刻や映像にも当てはまるでしょう。また、形や色、構図といった空間的な要素だけではなく、制作された時間、鑑賞する時間もラビリンスの重要な要素かもしれません。出口のないラビリンスで、心ゆくまで迷い、すみずみまで作品を味わってみてください。

13室(ギャラリー4) カタストロフの前後 

石川順恵《Impermanence 青女》2014年

今期のMOMATコレクションでは、4階で100年前の関東大震災に焦点をあてました。最後の部屋では、2011年の東日本大震災の前後に制作された作品を紹介します。並べてみると、現代的な明るい色彩という共通点や、個人の内面的な表現から社会的な関心へという流れが浮かぶように思えますが、そこに震災という主題が差し込まれると、どうなるでしょう。

ある大きな災害の経験は、ひとつの切断面として私たちの中に記憶されます。例えば、闇を封じ込めた河口龍夫の《DARK BOX 2009》を見るとき、その中に入っているであろう「あのとき」の前の空気を思ったり、あるいは、加藤泉が描く顔の中に、崩壊した風景を連想したり。すべての作品が震災に関わるわけでないことはもちろんですが、時代に沿って作品が変化するというより、見る側の変化が作品の見え方を変えるということに思いを至らせる機会になれば幸いです。小部屋には、三好耕三と潮田登久子による写真を、それぞれ震災の前後に撮影した作品で対にして展示しました。できれば、まずはキャプションを見ずにご覧になってみてください。

開催概要

会場

東京国立近代美術館所蔵品ギャラリー(4F-2F)

会期

2023年5月23日(火)~9月10日(日)

開館時間

8月26日(土)まで:10:00-17:00(金曜・土曜は10:00-20:00)

  • 7月30日(日)、8月6日(日)、13日(日)、20日(日):10:00-18:00

8月27日(日)~9月10日(日):10:00-20:00

  • 8月28日(月)、9月4日(月)は臨時開館(10:00-20:00)
  • いずれも入館は閉館30分前まで
休館日

月曜日(ただし7月17日は開館)、7月18日(火)

観覧料

一般 500円(400円) 大学生 250円(200円)

  • ( )内は20名以上の団体料金。いずれも消費税込。

5時から割引(金曜・土曜) :一般 300円 大学生 150円

  • 高校生以下および18歳未満、65歳以上、「MOMATパスポート」をお持ちの方、障害者手帳をお持ちの方とその付添者(1名)は無料。入館の際に、学生証、運転免許証等の年齢の分かるもの、障害者手帳等をご提示ください。
  • キャンパスメンバーズ加入校の学生・教職員は学生証または教職員証の提示でご観覧いただけます。
主催

東京国立近代美術館

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