見る・聞く・読む
現代の眼 オンライン版 新しいコレクション 作者不詳(芝山象嵌)《渡船・雨宿芝山象嵌屏風》
戻る屏風の表に描かれるのは、水面を静かに往来する渡船。船着き場には、刀を差した侍を中心に男女が集まり船を待っています。太陽の輝きを感じさせるように画面全体が黄金色で満ちあふれ、象牙に浮彫された人々の顔や手足が画面から浮かび上がって見えます。老若男女、様々な人物の表情やしぐさには個性が描写され、にぎやかな声が聞こえてきそうです。
一方、裏面の「雨宿」の図は、空を覆う雨雲の黒が画面全体の基調となっています。走り込む人の姿は、突如として激しい夕立に見舞われたことを伝えます。地面を彩る金色は、稲光をあらわしているのでしょうか。空を見上げる人々の視線、驚いたような犬の姿、頭上に手をかざす子供等、寺院と思しき堂舎の軒先に集まった人々の騒然とした様子が生き生きと伝わってきます。
表裏2点の絵はいずれも、日本人にとっては日常風景の一場面を切り取ったものといえます。その一方で、衣装や持ち物を見ると、象牙や貝などの多様な素材を嵌め込み、蒔絵を用いて唐草や紅葉等の模様が描かれ、庶民の所持品とはいいがたい華麗な装飾が施されています。背景も縁取りも豪華絢爛。このように、日本の風俗をきらびやかに表現するスタイルは、当時の海外の好みに合わせて作られた輸出工芸であることをうかがわせます。
漆工芸の中でも立体的な部材を作って嵌め込む本作品のような技法は「芝山象嵌」あるいは「芝山漆器」「芝山細工」等とよばれてきました。始まりは下総国芝山村の大野木仙蔵(あるいは小野木仙蔵)、後に江戸で「芝山仙蔵」の名で創業したといいますが、早くから分業制をとり、1作品に「木地師」「塗師」「芝山師」「彫込師」といった複数の職人が携わっていました。当初は大名家などを注文主としていましたが、幕末には海外への輸出工芸として位置づけられ、万国博覧会や内国勧業博覧会でも高い評価を得るようになります。すると芝山家の系統だけでなく、仏師や細工師、木彫師などから転向した職人が多くかかわるようになり、海外向けの意匠を取り入れた「横浜芝山漆器」が発展しました[1]。
しかし、芝山象嵌に対する国内での評価は決して高くなく、日本国内には優れた作品があまり残っていないという現状があります。また、19世紀後半の趣味を反映した過剰ともいえる装飾表現は時代の好みに沿わなくなり、近年に至ってようやくその技巧が見直されるようになったという側面もあります。江戸時代の技術を受け継ぎながら明治時代の特徴を示す本作品は、芝山象嵌隆盛期を具現する貴重な作品のひとつということができるでしょう。本作品を特徴づけている「屏風」という形態については、衝立として紹介されることもあり、明治時代の芝山象嵌に多く見られるものです。表裏のある形状を効果的に生かして表現された「日本」のイメージは、生き生きとした描写や多様な素材と相まって異国情緒をそそる魅力にあふれています。
[註]1 『ナセル・D・ハリリ・コレクション—海を渡った日本の美術—』第四巻漆芸篇上、同朋舎出版、1995
『海を渡ったニッポンの家具 豪華絢爛仰天手仕事』LIXIL出版、2018年
(『現代の眼』638号)
公開日: