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現代の眼 オンライン版 新しいコレクション 中田真裕《雲の裏》

土井貴美子 (工芸課研究補佐員)

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中田真裕(1982–)
《雲の裏》
2023(令和5)年
漆、麻布、蒟醤、乾漆、顔料
高さ36.0、径24.8 cm
2024(令和6)年度購入
撮影:野村知也

底から立ち上がる曲線は、滑らかで無駄のない精密さと均整を備えており、作品のシャープさを際立たせています。その表面には、器物全体を取り巻くように彫りが施された後、色の異なる漆が器物全体を取り巻くように何層にも重ねられ、研ぎ出した跡が流動感のある模様となりました。その模様は、丸いフォルムと相まって大きな渦を巻くようなうねりを感じさせる表現へと変容しているようです。このような造形と模様の調和する様態を、中田真裕まゆ蒟醤きんま1によって生み出しました。蒟醤とは、漆を塗った表面に先端の細いけんという彫刻刀で線を彫り、その溝に色漆を重ねて埋め、研ぎ出すことで模様を生み出す技法です。中田はこの技法を使用し、蒟醤のプロセスによる独特な質感を器物全体に横溢させた立体と模様が美しく融合する作品を創り出しました。

中田と蒟醤の出会いは一冊の本から始まりました。北海道に生まれた中田は、北海道大学水産学部に進学。卒業後は製薬会社で働いていましたが、転勤や定年への不安から一生続けられる手仕事を模索していました。香川への引っ越しが決まり、図書館で香川について調べる中『讃岐漆芸 : 工芸王国の系譜』2という本と出会い、香川に伝わる漆芸は篆刻てんこくと関わりがあることを知ります。幼少期から書道をしており、石や木などの印材に字を刻む篆刻をいつかしたいという想いを抱いていたこと、また讃岐漆芸の多彩で繊細な表現への関心が高まり、香川県漆芸研究所に飛び込みました。2021年には金沢卯辰山工芸工房を修了し、現在も金沢にて活動を続けています。

中田の作品は、彼女の記憶に強く残っている景色のイメージを蒟醤技法にて抽象的に描き出すのが特徴です。本作も、金沢の自宅から見た空に浮かぶ雲と香川県漆芸研究所時代に見た瀬戸内海の凪いだ海のイメージを重ねて制作をしたと述べています。再び作品に目を向けてみると丹念に磨き上げられた曲面は見る角度によっても印象を変え、作品に一つとして同じ景色はなく、まるで雲や海の常に変化し移り行く様子を体現しているようです。そして波打つ口縁部は、その流動的な動きがさらに続く予感さえも与えます。しかしながら、漆黒に塗られた内部は動きが止まり、まるで吸い込まれるよう。

このように記憶の中のイメージから生み出される彼女の抽象表現は、観る人自らの記憶にある情景を作品に投影して鑑賞することを可能にし、想像力を搔き立てます。
あなたはこの作品を通じてどのような情景を思い浮かべますか。


1 語源はタイ語で「檳榔子びんろうじを噛む」を意味するキンマーク。檳榔子は嚙むと口臭が消え爽やかな気分になる嗜好品の一種。線刻文様を施した籃胎漆器に入れられていたことが転じて檳榔子を入れる容器の加飾技法を指すようになったといわれる。蒟醤の日本への伝来は室町時代。江戸末期に香川のたまかじぞうこくによって技法研究・制作がなされて以降、香川を代表する漆芸の一つとして親しまれている。
2 住谷晃一郎『讃岐漆芸 : 工芸王国の系譜』河出書房新社、2005年

(『現代の眼』640号)

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