見る・聞く・読む
教育普及 現代の眼 オンライン版 「果樹園トーク」の試み—ひらかれた裏庭へ—
戻る
国立工芸館が東京・竹橋から石川県金沢市に移転して、今年で6年目を迎えました。兼六園周辺文化の森に位置する当館は、歴史的建造物に加え、豊かな緑に囲まれた環境も魅力のひとつです。そんな当館の裏庭に、一点の作品が常設展示されていることをご存じでしょうか。
橋本真之《果樹園—果実の中の木もれ陽、木もれ陽の中の果実》(1978–88年)です。本作は、銅板を溶接・鍛金して制作された高さ約230cmの金工作品です。東京・竹橋では前庭に展示されていましたが、移転に伴い、現在の裏庭へと引っ越しました。金沢のしっとりとした気候のなかで緑青が深まり、周囲の自然と調和した佇まいを見せています。

しかし、建物の裏側に展示されていることもあり、その存在を知らない来館者も少なくありません。移転後の国立工芸館を象徴する風景のひとつでありながら、その魅力を十分にお伝えできていないのではないか。そんな思いから始まったのが、対話型鑑賞プログラム「果樹園トーク~みんなしってる?裏庭の気になる『コレ』~」です。
2025年度から始まった「果樹園トーク」は、春と秋の気候の良い時期に年4回ほど開催しています。子どもから大人までどなたでも参加できる予約不要のプログラムなので、散歩や美術館巡りの途中でふらりと立ち寄ることができます。ファシリテーターを務めるのは、移転後に採用された国立工芸館ボランティアメンバー(以下、ガイドスタッフ)です。2023年度採用の1期生と2024年度採用の2期生からなり、現在6名で活動しています。英語が堪能なガイドスタッフもいるため、海外からの来館者が参加することもあります。
プログラムでは、まず少し離れた場所から作品を眺め、「気になったこと」を共有します。《果樹園》を見るのが初めてという方も多く、「こんな場所に作品があるとは知らなかった」「大きくてびっくりした」といった声が寄せられます。さらには「うねうねしている」「ラッパみたい」など、自由な発想も飛び出します。ファシリテーターは問いかけを重ねながら、参加者それぞれの発言を引き出していきます。
また、プログラム中は《果樹園》をそっと手で触れて味わうことができます。参加者は作品表面の凹凸や緑青の質感を指先で確かめながら、作品への理解を深めていきます。さらに対話が進むにつれ、一人では気づかなかった視点が共有され、作品の見え方が少しずつ変化していく様子が見られます。実際に参加者アンケートでは、「いつも素通りしていた作品をじっくり見ることができた」「他の参加者の意見を聞いて見方が広がった」といった感想が多く寄せられています。知識を受け取るだけでなく、自ら観察し、言語化し、共有する。こうしたプロセスこそ、「果樹園トーク」の醍醐味です。


来館者との対話を重ねるなかで、ガイドスタッフ自身の観察力や好奇心も育まれています。今年の初め、あるガイドスタッフから「松田権六《牡丹文蒔絵方盆》を見て」という件名で、大輪の牡丹の写真が添えられたグループチャットが届きました。作品に描かれた牡丹を思い浮かべながら日常の景色を見つめ、その発見を仲間と共有したかったのです。作品を見る力は、美術館の中だけで育まれるものではなく、身近な自然や風景にまなざしを向けることからも生まれます。そして、その気づきを誰かと分かち合いたくなることもまた、作品鑑賞の豊かさのひとつではないでしょうか。自分の眼だけでなく、他者の眼を借りて作品を見ることで、一人では気づかなかった見方に出会うことができます。
一期一会の「果樹園トーク」において、その相手は、ファシリテーターだけではありません。参加者一人ひとりの疑問や自由な発想が、他の参加者にとっての新たな視点につながります。そして、お互いの声に耳を傾けるなかで、その時、その場に集まった人たちだけの作品像が少しずつ形づくられていきます。
2022年のICOM(国際博物館会議)によるミュージアムの新定義では、ミュージアムは社会にひらかれた公共空間であり、多様な人々が参加し、交流する場であることが示されました。国立工芸館もまた、作品を鑑賞するだけの場所ではなく、人と人とが出会い、それぞれの発見を共有する場でありたいと考えています。「果樹園トーク」は、そうした理念を裏庭という場所で実践する試みです。作品を介して参加者同士が言葉を交わし、ガイドスタッフもまた新たな視点を獲得していく様子を見るたびに、このプログラムが人と人とをつなぐ場となっていることを実感しています。今年もまた、秋のやわらかな木もれ陽の下、《果樹園》のある裏庭で新たな出会いが生まれることを心待ちにしています。
(『現代の眼』641号)
公開日:
