展覧会

会期終了 所蔵作品展

所蔵作品展 MOMATコレクション 

会期

会場

東京国立近代美術館本館所蔵品ギャラリー

4F所蔵品ギャラリー photo: 木奥恵三(以下、*印)(この会場風景は以前のものであり、現在の展示とは異なります。)
会場

東京国立近代美術館本館所蔵品ギャラリー(4F~2F)

会期

2014年8月30日(土)~11月3日(月)

開館時間

10:00-17:00 (金曜日は10:00-20:00)
※入館は閉館30分前まで

休館日

月曜日[ただし、9月15日(祝)、10月13日(祝)、11月3日(祝)は開館]、9月16日、10月14日(火)

観覧料

一般 430円(220円)
大学生130円(70円)

  • 高校生以下および18歳未満、65歳以上、障害者手帳をお持ちの方とその付添者(1名)は無料。
  • それぞれ入館の際、学生証、運転免許証等の年齢の分かるもの、障害者手帳等をご提示ください。
  • ( )内は20名以上の団体料金。いずれも消費税込。
  • お得な観覧券「MOMATパスポート」でご観覧いただけます。
  • キャンパスメンバーズ加入校の学生・教職員は学生証または教職員証の提示でご観覧いただけます。
  • 本展の観覧料で、当日に限り、「美術と印刷物 1960-70年代を中心に」展(2F、ギャラリー4)もご観覧いただけます。
無料観覧日(所蔵品ギャラリーとギャラリー4のみ)

9月7日(日)、10月5日(日)、11月2日(日)、11月3日(月・文化の日)

主催

東京国立近代美術館

概要

所蔵作品展「MOMATコレクション」(4-2F)のご案内

「MOMATコレクション」展は、日本画、洋画、版画、水彩・素描、写真など美術の各分野にわたる12,000点(うち重要文化財13点、寄託作品1点を含む)を越える充実した所蔵作品から、会期ごとに約200点をセレクトし、20世紀初頭から今日に至る約100年間の日本の近代美術のながれを海外作品も交えてご紹介する、国内最大規模のコレクション展示です。
ギャラリー内は、2012年のリニューアルによって、12の部屋が集合したスペースに生まれ変わりました。その1から12室までを番号順にすすむと1900年頃から現在に至る美術のながれをたどることができます。そして、そのいくつかは「ハイライト」、「日本画」という特別な部屋、あるいは特集展示のための部屋となって、視点を変えた展示を行っています。

「好きな部屋から見る」、「気になる特集だけ見る」あるいは「じっくり時間の流れを追って見る」など、それぞれの鑑賞プランに合わせてお楽しみください。

展示替:年間4~5回程度大きく作品を入れ替えています(会期によっては、さらに日本画を中心とした一部展示替があります)。

このページ内の会場風景はすべて撮影時のものであり、現在の展示と同じとは限りません。
*印:いずれもphoto: 木奥恵三

ここが見どころ

「日本美術院」「東山魁夷」を特集、ご要望の高かった東山魁夷《秋翳(しゅうえい)》も展示します!

パウル・クレー《小さな秋の風景》1920年

 

1F企画展ギャラリーでの「菱田春草展」(9月23日-11月3日)の開催にちなみ、今会期は特集「日本美術院」で狩野芳崖、横山大観、下村観山ほかをごご紹介。また昨年11月のテレビ放映も手伝って、リクエストが多かった東山魁夷《秋翳(しゅうえい)》をはじめ、秋冬の季節感豊かな東山魁夷の作品を特集で取り上げます。
このほか、注目される特集:
*明治・大正期の水彩画の興隆を、自然景観を対象にした作品群(3室「戸外の風景」)と都市風俗を捉えた作品群(4室「浅草の月夜」)から見ていきます。
*6室「スイス・コネクション」では、日本・スイス国交樹立150周年を記念し、パウル・クレー、ジャン・デュビュッフェ、ハンス・アルプなど、スイスゆかりのアーティストを特集します。
*7室「国吉康雄、誰かがわたしの何かを破った」でアメリカで活躍した日本人画家、国吉康雄の全10点を展示します。

今会期に展示される重要文化財指定作品

●原田直次郎《騎龍観音》1890年(寄託作品)
●萬鉄五郎《裸体美人》1912年
●岸田劉生《道路と土手と塀(切通之写生)》1915年 
●中村彝《エロシェンコ氏の像》1920年

当館ホームページ(美術館)内の重要文化財コーナーでは、所蔵する13点の重要文化財(1点は寄託作品)について、画像と簡単な解説をいつでもご覧いただけます。どうぞ重要文化財コーナーもご参照ください。

※予告なしに展示内容が変更になる場合もありますので、詳細は出品リストでご確認ください。

展覧会構成

「MOMATコレクション」では12(不定期で13)の展示室と2つの休憩スペースが3つのフロアに展開し、2Fテラス付近や前庭にも屋外彫刻展示を行っています。下記マップの水色のゾーンが「MOMATコレクション」です。4Fには休憩スペース「眺めのよい部屋」を併設しています。

所蔵作品展「MOMATコレクション」の会場入口は4Fです。1Fエントランスホールからエレベーターもしくは階段をご利用のうえ、4Fまでお上がりください。

4F

1室 ハイライト
2-5室 1900s-1940s 明治の終わりから昭和のはじめまで
「眺めのよい部屋」

美術館の最上階に位置する休憩スペースには、椅子デザインの名品にかぞえられるベルトイア・チェアを設置しています。明るい窓辺で、ぜひゆったりとおくつろぎください。大きな窓からは、皇居の緑や丸の内のビル群のパノラマ・ビューをお楽しみいただけます。
「情報コーナー」
MOMATの刊行物や所蔵作品検索システムをご利用いただけます。

1. ハイライト

 3,000m²に200点以上が並ぶ――この贅沢さがMOMATコレクションの自慢です。しかし近年、お客さまから、「たくさんあり過ぎてどれを見ればいいのかわからない!」「短時間で有名な作品だけさっと見たい!」という声をいただくことが増えました。そこで、2012年夏のリニューアルを機に、重要文化財を中心にコレクションの精華を凝縮してお楽しみいただける、「ハイライト」のコーナーを設けました。

 今回は、日本美術の伝統を吸収しながら新しい世界を切り拓いた1960年代の日本画の新旗手、中村正義と加山又造の大作を展示します。《伴大納言絵巻》などの絵巻を参照したと思われる中村の《源平海戦絵巻 第3図(玉楼炎上)》と、琳派の現代的な再解釈といえる加山の《千羽鶴》。いずれも装飾性とダイナミズムを兼ね備えた戦後の日本画を代表する作品です。洋画では岸田劉生、中村彝、萬鉄五郎の重要文化財に、同時代の夭折の画家村山槐多の《バラと少女》を加えました。海外作家では素朴派と呼ばれるアンリ・ルソーの晩年の仕事を展示します。

2. 明治の絵画 リアルな自然を描く

 絵画の近代化を模索する明治期の画家にとって、自然をいかにリアルに描くかは至上命題でした。ここでは風景画に限定せず、ひろく風俗画と呼ばれるものまで含めてその方法に注目してみましょう。
 第一にフレーミングの工夫。黒田清輝の《落葉》は、森の風景を俯瞰的に切り取ることで、まるでその中を実際に散策しているかのような印象を与えます。この俯瞰的な視点は長原孝太郎の《残雪》でも採用され、足元に残る雪に目をとめた瞬間を捉えています。場面全体を説明するのではなく、あえて断片的に感じられるフレーミングを施すことで、生き生きとした体験を再現しようとしています。
 第二に人間の生活と自然とのつながりを提示すること。南薫造《六月の日》には麦刈に勤しむ農民の姿が、和田三造の《南風》には屈強の海の男たちが描かれ、背景の自然とワンセットで扱われています。人間が働きかけ、克服する対象としての自然という発想がベースにあるようです。いずれも中央に上半身裸の男性が描かれており、「肉体」や「労働」を自然とともに美的に享受する感性がすでに存在していたことを伝えます。それは都市に暮らす者の視点といえるかもしれません。

3. 「みづゑ」の風景

 水彩画を日本に初めて紹介した人物は、江戸末期、画報記者として滞在していたチャールズ・ワーグマンです。その後、お雇い外国人教師アントニオ・フォンタネージが工部美術学校で水彩画を教授したり、1890(明治23)年頃には、アルフレッド・イースト、ジョン・ヴァーレー、アルフレッド・パーソンズらイギリス人水彩画家が相次いで来日したりすることで、水彩画は徐々に市民権を得ていきました。更には画家大下藤次郎が1901(明治34)年に著した『水彩画の栞(しおり)』や、05年に大下が発刊を始めた『みづゑ』などをきっかけに、水彩画は一大ブームを迎えます。油彩に比べれば気軽に描けるということに加え、滲みやぼかし、更には白い紙の余白を効果的に用いる水彩の技法は、書や水墨画に親しんでいた日本人にとって受け入れやすいという考えが当時からあったようです。とはいえ、古くからの山水画や名所絵と、ここで紹介する明治・大正期の水彩による「風景画」は異なります。遠近法によって統御された画面、色彩の明暗によって対象を捉える、いわゆる写実的描写は、欧米由来の近代的なものの見方に基づいていると言えます。 

4. 浅草の月夜

 明治の水彩画ブームでは、プロ・アマ問わず画家たちが名も無き自然景観のなかに「風景」を見出しましたが、その観察眼はやがて都市の内にも向けられていきました。ここでは大正初め頃に東京の風景や風俗を描いた3人をとりあげます。
水彩画を文展などに発表していた織田一磨は、1910年頃から次第に自然の描写から離れ、都市風景のなかの「悲哀の感じ」(織田)を主観的に描くようになりました。連作「東京風景」(1916)以降は、石版画の技法を用いた豊かな階調をもつ陰影表現に向かいます。
 1915年に遊郭吉原研究を目的に上京した異端の画家・秦テルヲは、遊蕩生活を送る自らを都市の奥深くに没入させ、共にどん底に生きる女たちの営みを描きました。刻々とうつりゆく情動を映すかのようにペン画の描線や色彩は粗密をつくって揺らめき 、形態はデフォルメされています。
 1909年に処女画集『春の巻』を出版したアマチュア出身の画家・竹久夢二は、身近な風景に自身の生活感情を重ねて描く抒情的な作風で、多くの青年の共感を呼びました。その序文には、「絵画の形式で詩を描いてみた」と綴られています。

5. パリ、モナムール!

 「もし幸運にも、若者の頃、パリで暮らすことができたなら、その後の人生をどこですごそうとも、パリはついてくる。パリは移動祝祭日だからだ」。これはアメリカの作家、ヘミングウェイの言葉です。第一次世界大戦から1920年代にかけて、パリは世界中からアーティストが集まる、まさに祝祭の街となりました。1910年前後に二人の若者、ピカソとブラックが進めた「キュビスム」の傾向は、続く他の画家たちによっても追求され、切り子細工のようにカクカクした女性像や静物画が生みだされました。日本人画家、藤田嗣治は、パリに着いた当初、こうした先端的な動向にも触れましたが、やがて甘美な女性像を描く独自の路線を開発、美術界のみならず社交界でも人気者となりました。写真家、アジェが撮影するのは、そんな華やかな場所からはずれた古い路地裏。藤田もアジェの写真を購入する顧客の一人だったと言われます。ちょうど佐伯祐三が《ガス灯と広告》に描いたような、同時代の「アール・デコ」のポスターとともに、約90年前のパリのざわめきをお届けします。

3F

6-8室 1940年代-1960年代 昭和のはじめから中ごろまで
9室 写真・映像
10室 日本画
建物を思う部屋

6. スイス・コネクション

 今年は「日本・スイス国交樹立150周年」。そこでスイスに関連する三人のアーティストをご紹介いたしましょう。

 一人目は、スイスの首都ベルンの近郊に生まれたパウル・クレー。ドイツで活躍していた時期も長く、国籍もドイツでした(父親がドイツ国籍でした)が、ナチスが前衛芸術を迫害したこともあって「故郷」に戻り、今ではベルンに彼の名を冠した美術館もあります。
 二人目はフランスのル・アーヴル生まれのジャン・デュビュッフェ。彼が1945年にはじめてスイスの地を踏んだのは、精神病院などを訪れるためでした。教条的なアートに疑問を抱いていた彼にとって、精神病院の入院患者がつくる作品の芸術性に早くから注目していたスイスは、憧れの地だったのです。やがてデュビュッフェは既成の概念にとらわれない作品を「アール・ブリュット」と呼び、そうした観点から集めた作品をローザンヌ市に寄贈することになります。
 三人目はフランスのストラスブールに生まれたアルプ。ドイツ系(ハンス)とフランス系(ジャン)、ふたつの名前を使っていた彼にとって、多言語国家であるスイスは親しみやすかったようです。そんな彼は、1916年にチューリヒで起こったダダという芸術運動の創立に参加し、また1922年にはスイスのアーティスト、ゾフィー・トイバーと結婚しました。

7. 国吉康雄、誰かがわたしの何かを破った

 荒れ地を行く女性たちは、いったいどこへ向かうのか?破られたポスターの前に立ち、こちらを振り返る女性の目は、いったい誰を見ているのか?
 国吉康雄(1889‐1953)は、1906(明治39)年、17歳でひとりアメリカに渡り、以後ほとんど日本に帰ることなくアメリカで活動しました。ふたつの祖国が戦争をするという困難な時代を生き、晩年はアメリカを代表する画家の一人となりました。
 MOMATでは、国吉が亡くなった翌年、1954年の遺作展に続き、2004年に50年ぶりとなる回顧展を行いました。今回は、この回顧展をきっかけに所蔵家よりご寄託いただいた作品を中心に、第二次世界大戦前後の国吉を特集してご紹介します。
 国吉の画面に登場するのは、女性や子どもなど、決して難しいモチーフではありません。しかし、彼らがどのような状況で何をしているのか、放心したような表情を浮かべる人物が何を考えているのか、読み取ることは困難です。歴史に翻弄された複雑な思いを、簡単に他人に見せてはならないとでも言うように、幾重もの謎のカーテンの背後に隠して描き表しているのです。

国吉康雄《イーグルズ・レスト》1941年

8. 祝祭のあとで

 1938(昭和13)年の国家総動員法によって、国民すべてに戦争協力が求められると、美術家も「戦争画」を描くという課題に直面します。現在「戦争画」と総称される作品のうち、正式に陸海軍の委嘱を受けたものは、当時「作戦記録画」と呼ばれました。あたかも各作戦を正確に記録した絵画のような名称です。しかし実際には、写真と比べ、画面が大きく色彩も豊かな絵画には、戦いをドラマティックかつ崇高に描き表す役割が期待されました。ドイツの哲学者、カントによると、「崇高」とは、美醜の別に関わらず、生命をおびやかしかねないほど圧倒的なものに対した時に引き起こされる感じです。したがって戦争画が示す「崇高」も、「美しい」ばかりではなく、時に凄惨な様相を呈します。こうした凄惨さが与える衝撃も含めて、戦争画は、当時展覧会に足を運んだ無数の人々の心を捉えたのです。今回は特に、戦争画を描く前後の作品を加え、5点の藤田嗣治作品を展示します。4階5室「パリ、モナムール!」でご紹介した女性像の後、藤田の絵画はどのように変化したのでしょうか。

9.藤田嗣治の幻の映画「風俗日本」

 1933(昭和8)年に中南米経由で日本に帰国した藤田嗣治は、東京に居を構えたのち、佐渡、新潟、秋田などの日本海側や沖縄への取材旅行に出かけています。各地の伝統的な風俗や習慣に強い関心を抱いていた藤田は、まるで民俗学者のような視点で地方の文化を絵画に描くようになりました。
 このような日本再発見の意欲が高まっていた藤田に、35年、外務省と国際映画協会から、海外向けに日本を紹介する映画シリーズ「現代日本」の監督就任の依頼が舞い込んできました。藤田が担当したのは、日本固有の生活文化を主題とする「風俗日本」の5巻。各巻のテーマは「田園」「都会」「娯楽」「子ども」「婦人」。そのうち唯一現存するのが今回上映する「子ども編」です。ロケ地は愛媛県の松山市。バリカンでの散髪や紙芝居、松山城での子どもたちのチャンバラ遊びなど日常的な情景が収録されています。藤田には、京都・奈良のような観光地とは異なる「素地日本」を海外に知らしめたいという意図がありました。ところが、この「風俗日本」に対して、子どもたちの生活風景が「貧しげで国辱的」という批判が噴出、それが理由でこの映画はお蔵入りになってしまいました。 

10. 特集「日本美術院」/「東山魁夷」

 「菱田春草展」(9月23日-11月3日)の開催にちなみ、奥のコーナーでは、春草ゆかりの「日本美術院」を特集します。日本美術院は1897(明治31)年、東京美術学校(現・東京藝術大学)を辞した岡倉天心が、橋本雅邦、横山大観、菱田春草、下村観山らと設立した研究団体です。1905には絵画部門の研究所が茨城県五浦(いづら)に移転、天心の理想に共鳴した大観、春草、観山、木村武山も移り住み、研鑽の日々を送りました。見どころの一つは、2011年にコレクションに加わった観山の《唐茄子畑》。カボチャの葉陰に隠れるようにして、おや…?観山の師、狩野芳崖の代表作《仁王捉鬼図》も必見です。
 あわせて、手前のコーナーでは「東山魁夷」を特集します。MOMATは、下図や版画を含めると65点と、国内有数の東山コレクションを誇ります。今回はその中から主に秋、冬にちなむ作品を選んでご紹介。特に、正方形の画面に三角形の山を描く《秋翳(しゅうえい)》は、人気の高い作品です。多くのリクエストにお応えし、紅葉の季節を選んでの登場です。

小林古径《唐蜀黍(とうもろこし) 》1939年

2F

11–12室 1970s-2010s 昭和の終わりから今日まで

コレクションを中心とした小企画「美術と印刷物 1960-70年代を中心に」(ギャラリー4)

11. 克明に描く

 なにかを描く際の方法はどのように形容できるでしょうか? 「具体的に」「抽象的に」「シンプルに」といろいろあります。これらは、描かれる対象と描かれたイメージとの関係性に基づく形容です。でも、もっと異なる描き方もあるはずです。
 たとえば「克明」です。辞書で引くと「細かな部分まで念を入れてはっきりとさせること、またはそのさま」と書いてあります。つまり、克明に描く際に大事なのは、「細かい」という結果よりは「念入り」という姿勢なのだと言えるでしょう。
 日高理恵子は、自分と樹との間にある空間、樹の枝と枝の間にある空間、樹の向こうにある空間を、克明に描こうとしています。それは、本当は見えないはずの「さまざまな空間」が、樹と自分との間の、時には一体的にも感じられる関係の中で生まれることへの驚きがあればこそでしょう。
 坂上チユキは、どんな微細な点も繊細な線もおろそかにはしません。そうやって克明に描いているとうちになぜか生命的な形象が生まれる瞬間がある――そのことへの驚きに忠実になった結果が未完成に見える作品でしょう。生命的なものに畏怖の念を抱いた場合には、周囲の環境を整えるべく画面は覆い尽くされていきます。

12. 買ったものとあずかりもの

 前回の1階企画「現代美術のハードコアはじつは世界の宝である展」(6月20日-8月24日)のテーマの一つは、個人コレクターとコレクションでした。では、美術館は一体どんな作品をどんな理由でコレクションしているのでしょう。ここでは、近年収集した1960年代以降の作品をご紹介します。
 Chim↑Pom、村越としや、藤井光の作品は、東日本大震災がテーマです。91年前の関東大震災、約70年前の太平洋戦争に関する作品を多数所蔵するMOMAT。今度は50年先、100年先の人々に向け、2011年の厄災に直面したアーティストが何を考え、何を作ったのかを伝えるため、このテーマの収集に取り組んでいます。
 また、美術館のコレクション展示には、よく見ると「コレクション」ではないもの、つまりコレクターの方々がMOMATに預けてくださっているものが含まれます。キャプションに「寄託」と書かれている作品を探してみてください。ご紹介する河原温、岡崎和郎の作品は、美術館が所蔵していない、しかしコレクションの流れ全体から見るとなくてはならない、だからご厚意に甘えてお預けいただいた、そんな貴重な「あずかりもの」たちです。

イベント情報

MOMATガイドスタッフによる所蔵品ガイド

※いずれも参加無料(要観覧券)/申込不要

日程

2014年8月30日(土)~11月1日(土)
(11月2日(日)、3日(月祝)は混雑が予想されるため、中止します。)
休館日を除く毎日

時間

14:00-15:00

場所

所蔵品ギャラリー(1Fエントランス集合)

会期最初の土曜日は研究員による所蔵品ガイド

日程

2014年8月30日(土)

時間

14:00-15:00

MOMATガイドスタッフによるハイライト・ツアー

※いずれも参加無料/申込不要

日程

2014年9月7日(日)
2014年10月5日(日)
(11月のハイライトツアーは混雑が予想されるため、中止します。)
毎月第1日曜日(無料観覧日)

時間

11:00-12:00

場所

4Fエレベーター前集合

キュレーター・トーク

大谷省吾(主任研究員)「藤田嗣治と日本」

日程

2014年10月17日(金)

時間

時間: 18:00-19:00

中村麗子(主任研究員)「日本美術院の画家たち」

日程

2014年10月24日(金)

時間

18:00-19:00

場所

3F 10室 日本画

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