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独特なタイトルは画面左下に赤の絵の具で書き込んであります。以前の展覧会では《裸婦(解放されゆく人間性)》という表記で紹介されていましたが、前所蔵者に聞けば「裸婦」の語は管理のためにつけていたとの由。そこで当館への収蔵に際し、タイトルは書き込みに従う形で改めました。
タイトルの上には「1947. 5. 17. 俊.」という書き込みも見えます。本作の初出は、1947年5月23日から6月7日まで東京都美術館で開催された第一回前衛美術展でのこと。上野でこの絵を見た人にとって、サインだけでなくタイトルと詳細な日付を書き込んだ作家の気持ちを推測するのは容易だったでしょう。少し前に、まさに人間性が解放されたばかりだったからです。 そう、その年の5月3日、日本国憲法が施行されたのでした。国民主権、基本的人権の尊重、そして平和主義。明治憲法とは全く異なる理念に基づいて生きてゆけることに対する高揚感が、「解放され行く」という現在進行形の表現になったのではないでしょうか。そしてその感覚を見えるものにするために、俊は、人物像の視線を斜め上へと向けるだけでなく、その人物を裸とし、さらにはその身体を、花の中という、場所が限定できないという意味で抽象的な空間に置いたのでしょう。
この絵の特長は、同じ展覧会に出品された俊のもうひとつの作品、《人民広場》(所在不明)と比べると明らかです。「人民広場」とはおそらく皇居前広場のこと。戦後数年間、その空間はメーデーなど様々な集会に用いられました。俊も、1946年5月19日に行われたいわゆる食糧メーデーに参加したようですから、描かれているのがほとんど女性である《人民広場》は、その体験に基づいているのかもしれません。
これと対蹠的になるように《解放され行く人間性》は描かれたのだとすれば、ここに描かれているのを単なる女性だと思ってはいけないということになります。実際、現実の裸婦なら大抵あるはずの陰毛が描かれていません。また乳房はありますが乳首の表現は不明瞭です。そうしたディテールよりも、肉体を量塊として捉えることに意識が注がれています。そして絵の具のタッチも独特で、特に左半身におけるそれは、塑像における石膏や粘土のようです。
俊は、新しい憲法のもとに生きる人間の姿を描こうとして、理想的な身体を象(かたど)ることに長けた彫刻に範をとった。そしてそれを絵画ならではの抽象的な空間においた。表明したいことがあればこその表現です。
一方、当時の美術雑誌を紐解くと、男性画家の描く裸婦は、後ろ向きであったり腰や足に布をかけていたり身をよじったりと堂々としていないものばかり。俊の作品がいかに清新であったかがよくわかります。
『現代の眼』634号
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