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現代の眼 展覧会レビュー 東独具象絵画とドイグ

大浦周 (埼玉県立近代美術館 学芸員)

ピーター・ドイグ展|会場:企画展ギャラリー[1階]

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会場風景│撮影:木奥惠三

本稿執筆にあたり、企画者から示されたテーマは「戦後東ドイツの具象画家たちとドイグとの比較」である。ドイグと同時代を並走する画家としてまず思いあたるのは、ネオ・ラオホ(1960年–)であろうか。2000年代半ばに国際的な注目を集めた「新ライプツィヒ派」と呼ばれる具象絵画の一群を代表する画家である。

ラオホの絵画は謎めいている。視覚的には多くの手がかりを与えてくれるにもかかわらず、それがひとつの答えに結実しない。思わせぶりな身振りとは裏腹に無表情の人物、特定の職業に結びつく衣装、自国の絵画的伝統に連なる風景、そして明らかに象徴的な関連性を持つオブジェ。ラオホはこれらの要素を画面の中で積み上げていくが、それらがパズルのピースのように噛み合い、特定の主題が浮上することはない。

私は絵の中心につながるような痕跡を置くことができますが、そこにたどり着くと、それが拡散して別の枝に入っていくのがわかります。私はナンセンスな絵を描かないようにしているし、一方で、ある種の批判的な意図を持って、物語性のある絵を描かないようにしています1

ラオホが自作を語ることばと、写真や映画などイメージの出所は詳らかにされているにもかかわらず、完成した絵画にはそれぞれの文脈が重層的に腹蔵され単一の意味に収斂することのないドイグの作品とは、どこか響き合う。

旧東ドイツの政権は、社会主義リアリズム、すなわち理想の社会像を描く啓蒙的な写実絵画を自国の画家たちに強制したが、その制約下においても、表現主義や新即物主義といった戦前のアヴァンギャルドの様式を引き継ぎつつ、イデオロギー的戒律を逃れた新しい具象表現をめざす取り組みがなされた。ライプツィヒのアカデミーで絵画教育の規範となっていたのは、マックス・ベックマン、ローヴィス・コリント、オットー・ディックスらの作品であったとラオホは回想している。なかでも彼はベックマンに対する共感をたびたび口にするが、それは、寓意的に描きながら象徴的なメッセージを曖昧なまま提示する方法においてである。ラオホが重視するのは、ベックマンが「絵を部分的に他の人に説明してもらい、絵画的な宇宙の迷宮の中に他の人を送り込むことに大きな喜びを感じていた」という点なのであり、それがラオホ自身の安易な解釈を許さない画面へとつながっている2

このことは、80年代のニュー・ペインティングにおいて影響源のひとつとなった国際的なベックマン受容と呼応しているかに見えて、実際にはそれとは異なる回路を通じてベックマンが参照されてきたことを示唆するように思われる。国外の同時代的動向から切り離され、あるいはそれを知り得たとしても反応することが憚られた旧東ドイツの特殊な状況下において、ベックマンは長く具象絵画の規範であり続け、そこでは独自の受容史が編まれていたはずだ。ラオホの複雑な絵画はその遺産の自覚的継承の先にある。

80年代にベックマンの影響を受けたことにたびたび言及するドイグが、こうした分裂的な受容の様相をどれだけ意識していたかは寡聞にして知らない。しかし、ロンドンに絵画の復権を知らしめた「絵画における新しい精神(A New Spirit in Painting)」展でペンクやバゼリッツら東ドイツから西側に移った画家の作品が展示され、翌82年からは東ドイツの絵画を初めてまとまった形で紹介した「時代の比較(Zeitvergleich)」展が西ドイツ6都市を巡回するなど、鉄のカーテンの向こうで異なる具象絵画の系譜が展開していたことを、ドイグは知り得たはずである。

マックス・ベックマン《男と女》1932年、油彩・キャンバス、175×120cm、個人蔵

このことが、ロンドンを離れカナダに戻ったドイグが彼の地の近代絵画に目を向けたことに、些かなりとも関係してはいないか。絵画において「すべてが有効、あるいは有効かもしれない」3と思わせられる状況のもとで、敢えてカナダ以外ではほとんど知られていなかった造形イディオムを自作に導入したこと。その選択の背景に、それまで不可視だった具象絵画の系統と展開を目撃した衝撃を見出そうとするのは、はたして考えすぎだろうか。

  1. “Neo Rauch’s Creature Discomforts,” ELEPHANT Issue 30 [Spring 2017], p.136
  2. “Holger Broeker im Gespräch mit Rauch im Goethe-Institut Prag, 10. Mai 2007” eigen-art.com/files/nr-gespraechprg.pdf
  3. 「ピーター・ドイグ パリナ・モガダッシによる対談(2011年)」、『ピーター・ドイグ』図録、東京国立近代美術館、2020年、195頁。

『現代の眼』635号

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