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現代の眼 展覧会レビュー 版表現で見せる現代美術の動向

滝沢恭司 (町田市立国際版画美術館学芸員)

所蔵作品展 MOMATコレクション|会場:7室、8室[3階]

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会場風景|撮影:大谷一郎

   

 戦後1950年代から70年代の現代日本版画の歴史は、1957年から79年まで開催された東京国際版画ビエンナーレの受賞作を軸としてつくられたといえる。そして、主催者であった東京国立近代美術館には、同館賞はもちろん、大賞を含む多くの受賞作品とその周辺作品が収蔵されている。つまり、この美術館がその気なってそれらを一挙にディスプレイすれば、その間の現代日本版画の歴史的骨格を把握することができるわけだ。 

今回、このような美術館が、日本の近現代美術の表現の歴史を体系的に紹介する常設展示室において、第7室と第8室を使い、そうした歴史とコレクションを活かした展示を企画した。見るポイントは、大きく二つある。

ひとつは1950年代から80年代の版画の表現の動向が概観できることだ。

まず第7室は、「1950–60年代—版表現の探求と挑戦」というテーマのもとに、二つの版画による表現の動向を示すコーナーが設けられていた。そのひとつは、瑛九を中心とする泉茂、磯辺行久、池田満寿夫、吉原英雄らデモクラート美術家協会のメンバーと、彼らと交流のあった北川民次による、戦後間もない時期の前衛志向の版画を紹介していることである。この協会は画家・版画家のほかにデザイナーやバレエ・ダンサー、写真家、評論家らによるグループだったが、戦後前衛表現の可能性を版画に見出し、まだ制作者の少なかった銅版画やリトグラフの制作に積極的に取り組んだ。そうした版画への挑戦が見られるのがこのコーナーだ。

第7室におけるもうひとつの展示は、戦前の創作版画からの飛躍的展開を見せる木版画の表現動向を吹田文明と日下賢二の抽象木版によって示していることである。その動向は、恩地孝四郎とその影響下での抽象木版の制作の延長線上に、1950年代に流入したアンフォルメルなどの抽象表現の動向が折り重なって生まれたものだった。

つづく第8室は、「1970–80年代の版表現—拡張する版概念のなかで」というテーマで、1970年代以降盛んになる写真を利用した版画や、同じ時期に流入したコンセプチュアル・アートとの関連性を見せる版表現、そして「もの派」の版による表現を紹介する展示となっている。

このうち、映像を使った版画は、その使用方法や目的の違いによって二種類の表現傾向の作品が紹介されている。ひとつは木村光佑、松本旻、野田哲也による、1970年代主流だった、記号化された映像によってシニフィアン(意味しているもの)とシニフィエ(意味されているもの)という記号学的アプローチを見せる作品である。もうひとつは、東谷武美と池田良二による、1980年代特有の、映像に潜む私的物語を示唆的に表現した版画である。

会場風景

 

 また、この展示室には高松次郎による《THE STORY》や《英語の単語》など、まさにシニフィアン、シニフィエの記号学を美術で表現したコンセプチュアルな版作品と、「もの」が主体である、もしくは人間と「もの」は対等であるという考えのもとで制作した榎倉康二の、「版」「支持体」「インク(絵具)」という基本素材だけを用いた版作品が展示され、1970年代の版画概念の拡散の状況が具体的に示されている。

さて、今回の展示の二つ目のポイントは、版画を軸とした展示でありながら、戦後の現代美術の表現動向が見られることである。デモクラート美術家協会の版画の展示は、戦後間もない時期の前衛美術の表現傾向そのものを示しているし、抽象木版の出品は、同時代の表現の主流が抽象であったことを背景とした展示なのだ。写真映像を使った版画は、それ自体が時代の要請によって制作された現代美術そのものであった。見逃してはならないのは、人間から外界の物体へと探求の対象を移して制作し、「もの派」登場を促した高松次郎の影の絵画が、「もの派」と呼ばれるようになった榎倉の作品と結びつけて展示されていることだ。その関係は、1960年代末から70年代にかけての現代美術の最も重要な表現の動向を知る手がかりとなる。

今回の常設展示は、版表現の動向によって現代美術の表現の動向が概観できる、東京国立近代美術館ならではの展示となっていた。私の知る限り、少なくともこの30数年間はそうした展示が行われたことはない。常設展示室での今回の企画は、版画と現代美術の関係に気づく良い機会になるはずだ。

会場風景

『現代の眼』636号

公開日:

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