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現代の眼 新しいコレクション 野口彌太郎《巴里祭》1932年

大谷省吾 (美術課長)

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野口彌太郎(1899 –1976)/《巴里祭》/ 1932年/油彩・キャンバス/116. 3 ×104.0cm/令和2年度購入

夜の情景。狭い路地を埋め尽くすように、たくさんの男女が手を取り合って踊っています。街の灯りによって闇の中から浮かび上がる青、白、ピンクなど鮮やかな衣装が目を引くでしょう。描いたのは、野口彌太郎。1929–33年にパリに留学、マティスなどに傾倒し、帰国後は独立美術協会の会員となりました。この作品はパリで制作されたもので、帰国の翌年、1934年の第4回独立展で最初に発表されましたが、そのときの題名は「七月十四日祭(モンパルナス)」でした。フランス革命の端緒となったバスティーユ牢獄の襲撃の日、7月14日を記念して、毎年フランスで行われる革命記念日の祭を描いたものです。

映画好きの方なら、この題名を聞いてルネ・クレール監督の映画「7月14日」(Quatorze Juillet、邦題「巴里祭」)を思い出すかもしれません(おそらく映画の邦題が有名になったため、この絵の題名も後に現在のものに改められたと考えられます)。そしてたいへん興味深いことに、クレール監督の映画も、野口の絵と同じ1932年に製作されているのです。同じ時代の空気を呼吸しながら生み出された両者を見比べてみてもおもしろいでしょう。とはいえ、野口の絵には何らかのストーリーがあるわけではありません。野口は帰国後まもない時期に発表した文章の中で、次のように述べています。

「絵画はもっとそれ自体の価値、存在に邁進したいものだ。文学的要素も、音楽的要素も、又は記録的要素も、説明的要素も、何んでもそれはそれ等の部門にゆずって、絵画としての立場をまもりたい」1

ここでは絵画の自律性、つまり絵画は視覚的な探求に徹すべしということが主張されており、その考えはこの絵にも貫かれているといってよいでしょう。この絵の旧蔵者である友人の画家、大久保泰は、明部と暗部の強烈な絵具の対比を称賛しましたが、それに応えて野口は、ただのけばけばしい対比ではなく、油絵の透明性を活かした重ね塗りの表現(グラッシ)の重要性に注意を促しています[2]。なるほどこの絵の暗部をよく見ると、奔放な筆致ではありますが、緑などの寒色と、その補色となる赤褐色とが重ねて塗られていて、闇の深みの表現や、全体の色調のバランスに注意が払われていることに気づかされます。その上ではじめて、明部の鮮やかな色彩が活かされているのです。

  1. 野口彌太郎「偶感:絵画は絵画的にあれ」『独立美術』15号、1934年12月、p.70
  2. 大久保泰「野口彌太郎のことなど」『みづゑ』495号、1946年11月、p.53

『現代の眼』636号

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