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現代の眼 アートライブラリ 連載企画 「研究員の本棚#2|絵画をめぐる、知覚と言葉の本」

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このコーナーは、アートライブラリの担当者である東京国立近代美術館研究員の長名大地が聞き手となり、館内の研究員に、それぞれの専門領域に関する資料を紹介いただきながら、普段のお仕事など、あれこれ伺っていくインタビュー企画です。第2回目は、中林和雄副館長にお話を伺います。

聞き手・構成:
長名大地(東京国立近代美術館研究員)

2022年1月19日(水)
東京国立近代美術館アートライブラリ

研究員プロフィール
中林和雄(なかばやし・かずお):東京国立近代美術館副館長。1961年大阪生まれ。京都大学大学院修士課程修了。専門は近現代美術史。89年より、東京国立近代美術館に勤務。著書に『見ることの力』(水声社、2017年)や『絵画との契約:山田正亮再考』(共著、水声社、2016年)、訳書にマーク・ロスコ『ロスコ:芸術家のリアリティ』(みすず書房、2009年)などがある。

カンディンスキーから始まる

長名:美術史研究を志すことになったきっかけを教えてください。

中林:京都大学を一度理系で卒業した後、特に展望がなくて、文学部の美学美術史に学士入学で入ったんです。本当は音楽の方に関心があったのですが、なぜか美術が対象になってしまった。

長名:当時の指導教官はどなたでしたか?また、研究対象は?

中林:美学の吉岡健二郎先生でした。教養部には西洋美術史の乾由明先生がいらっしゃいました。ゼミは美学や日本美術史を研究している人と一緒でした。研究対象は、ワシリー・カンディンスキーでした。誰か作家を選ばなくてはいけないということで、しかも大物を選べと。抽象絵画の創始者と言われていたからでしょうかね。彼はドイツの画家と思われている傾向が強いのですが、ロシア出身ですよね。例えば、彼の作品に見られる独特の浮遊感は西欧では生まれにくいところがありますよね。でも、文学部に移った時に一番頑張ったのはフランス語だったんですよ。もちろんドイツ語にもトライしたけど合わなくて。それで修士論文では、カンディンスキーのパリ時代の作品を扱うことにしたんです。それが東近美に勤めてから、実際にカンディンスキー展をやったり、ロシアにも行ったりして、当時は思いもよらなかったですけどね。

長名:カンディンスキーの研究がスタートだったのですね。学芸員になったきっかけは?

中林:大学の先生から東近美の研究員の募集が出ていると話をもらったのがきっかけです。当時は今と違って、ネットで募集を出すという環境でもないわけで。もちろん試験はありましたけど。

長名:では、元々学芸員を目指していたというわけではなかったのですね。東近美に入られた頃のことで覚えていることなどありますか?

中林:入ったのが89年くらいでしたからね。今と違ってのんびりしていた時代のように思います。80年代は新聞社の羽振りが良い時代だったということもあって、共催展も活発で、ピカソやゴーギャン、カンディンスキーといったモダン・マスターの展覧会ができていたようです。けれど、90年代になると、いわゆるバブルが弾けてと言われるやつですが、共催展が減ってきた時期だった。とはいえ、羽振りの良い時期のことはほとんど知らないので、前後の比較はできませんが。当時は年一回自主企画展をやるくらいのペースで、今と比べるとゆったりしていましたね。あと、作品の購入予算も6千万円くらいしかなかった。それでも、時折、「ドル減らし」という円高の緩和策のようなことがあって、海外作品の購入が叶うことがあったんです。それで、カンディンスキーの作品《全体》(1940年)が入ったんですよ。

長名:そんな購入の仕方もあったのですね。中林さんが手掛けた最初の展示はどのようなものでしたか?

中林:当時の『現代の眼』にも書いていますが1、山口長男の作品2点《象》(1961年)と《池》(1936年)を展示したのが最初でした。当時はみんな美術課で所蔵品を扱うところからスタートしたんです。前の世代が作った展示の雛形もあって、それを踏襲しなければいけないような空気もあった。でも、若手の時は上に反発するものと思っていましたから、素直に言われたことをやるというわけでもなく(笑)。

長名:踏襲しなかったんですか?(笑)

中林:今思えば、そういうのを許してくれる土壌がありましたね。余談ですけど、雛形で思い出したことが。99年の改築の前、展示室の3階に梅原コーナーというのがあったんですよ。(東近美を設計した)谷口吉郎さんが茶室を作るって言ってた場所なんですけど。そこには梅原龍三郎が寄贈してくれた作品を展示することになっていたんです。ちなみに、梅原さんは自身の作品は東近美に、なぜかルノワールの作品は西美に寄贈されて。

長名:梅原コーナーというのがあったのですね。ルノワールは惜しいですね。では最初にお一人で手掛けた企画展について教えてください。

中林:95年の「絵画、唯一なるもの:現代美術への視点 4」(1995年11月3日-12月17日、東京国立近代美術館)という展覧会です。学生時代から一貫して関心は絵画でしたね。当時は年一本の自主企画だったから、わりと展覧会準備に時間をかけられて調査や出張ができたんです。この展覧会では、ゲルハルト・リヒターの作品を5点取り上げましたが、当時名前は知られていたけど、作品を実際に見る機会はあまりなかったので、わりと早い展示の例かなと。彼にも2回くらい会っていますよ。この展覧会の後、当館に収蔵されたリヒターの作品《抽象絵画(赤)》(1994年)は、半ばギャラリーに脅されるような形で購入に至ったのですが、今となっては評価額が当時の100倍くらいになっていますからね。

長名:そんなに高騰しているんですか。

中林:リヒター自身もこんなことはおかしいって言ってるんですけどね。アート市場というやつです。

長名:展覧会を契機にその作家のコレクションが加わるという流れがあるわけですよね。

中林:そうですね。かつて当館でやっていたシリーズに「現代美術への視点」というのがありますが、あれは元々同時代の新しい現代美術をいかに収蔵に繋げるかという意図もあったんです。

長名:一口にコレクションの形成といっても、収集のきっかけは様々なのですね。

中林:公的な美術館のコレクションという意味で、一般の人からすれば、評価されている作品は満遍なくすべて収集すべきという考えがあるとは思うのですが、実際のところ、そう単純なものでもない。各分野の担当者が得意とする領域について知見を深め、調査し、その結果、コレクションに繋ってきたという側面があります。もちろんそこでは美術史との関係性を意識して、それぞれの作品の重要性を主張するわけですが、それが目録一覧のようにして与えられているのをはじからずらっと収蔵するというわけにはいかないのですよ。もちろん、物理的なキャパシティの限界もありますし。

作品受容について考える

長名:では、これまで学芸員の仕事で特に意識的だったことなど伺えますか?

中林:カタログの文章などを書く時は、後にまとめても良いものを残そうと心掛けてきました。なので『見ることの力』(水声社、2017年)2 は、これまで書いてきたものをまとめて出版するという形ができました。あと、書く時に重視していたことは、学術的な業績という以上に、日本語として面白いかどうかにも比重を置いていましたね。

長名:では展示について心掛けていたことはありますか?

中林:うーん。

長名:ちょっと違うかもしれませんが、先日、久しぶりにDIC川村記念美術館の「ロスコ・ルーム」に行ってきたのですが、作品と鑑賞者との関係という点で、ああいった空間作りも展示の仕方としてありますが。

中林:あのロスコの部屋は絵画の中にいる感じを、いわば演出していますよね。それは彼自身のプランでもあるから一種のインスタレーションとも言えるけど。学芸員がやる場合は、展示のたくらみみたいなものは後ろに下がっていて目立たない方が良いとも感じます。それと、カンディンスキーは「絵の世界のうちへ入り込みそこを逍遥する」って言っているけれど、実際のところ、作品と見る者は隔絶されていて、入ろうとすれば入ろうとするほど一体化できないわけですよ。だから、僕の場合ですが、絵画を受容する場面において、真剣になるほど逆に意識されてくるのは見ている自分自身ではないかとも思っています。作品というのは鑑賞者がいてはじめて成立するものだと考えるのですが、振り返れば学生時代からずっと受容の場面の問題に関心があったように思いますね。

長名:ここからは具体的な資料の紹介をしていただけますか?今回、35件ほど挙げていただきましたが、おおまかにグルーピングしていただけたらと思うのですが。

中林:今回ピックアップした資料は、これまで展覧会カタログや研究紀要などに書く際に、参照してきたものになります。知覚に関するものが多いですが、5つにグルーピングできるかなと。具体的には、①作品受容と知覚、②模倣と装飾、③顔、④色彩、そして、⑤作者の言葉に関するものです。

長名:では①の作品受容と知覚に関するお話からお願いできますか?

中林:まず、知覚に関する文献として、メルロ・ポンティの『知覚の現象学』は、問題を捉える上で、基礎文献ですね。今はどうだかわかりませんけれど。もう30年以上も前ですが、カンディンスキーに関する修士論文を書いたんです。それを大学の研究紀要用にまとめたのが「カンディンスキー、上と下」という論文です。ここで彼の《空の青》(1940年)という、パリ時代の、独特の浮遊感を与える作品を取り上げて、作品を上下反転させて観察するということをやってみました。この作品、反転させると浮遊していたものが落下に転じるんです。この上と下という感覚、実は視覚にも使われますが、音にも使われますよね。そこに何か共通の根がある。カンディンスキーがいわゆる共感覚者だと言われることとも関連するのだと思いますが、視覚や聴覚という個別の感覚の奥には人間と外界との関係の原型みたいなものがあるという見方が示唆されるわけです。

長名:たしかに音が高い低いと言いますし、上下の感覚というのは視覚だけではないですね。

中林:中村雄二郎さんの『共通感覚論』(岩波書店、2000年)はそれを「常識」とも関連付けて、社会基盤にも繋がると書いていたように記憶します。

長名:②の模倣と装飾では、アンリ・マティスに関する文献が並んでいますね。

中林:カンディンスキーは考える対象ですが、見ることのプレジャーを与えてくれる作家は、僕にとってマティスでした。ここに挙げた資料はマティスの研究史とも重なっています。まず、ニューヨーク近代美術館(以下、MoMA)のアルフレッド・バー・ジュニア(Alfred H. Barr, Jr., 1902-1981)が1951年に開催した「マティス」展(Matisse, his art and his public, Museum of Modern Art, 1951)が起点となりますが、ここではマティスをキュビスムや抽象といったモダンアートの系譜に連なる立役者として評価して、晩年のニースの頃の作品はあまり評価していない。それが変わったのが、あとで言及する作者の言葉とも重なりますが、マティス自身の言葉がまとめられたHenri Matisse: Ecrits et propos sur l’art (Hermann, 1972)が出版された頃からです。『Critique』誌で組まれたマティス特集もこれを元にしています。その後、80年代に入って、ピエール・シュナイダー(Pierre Schneider)とジャック・フラム(Jack Flam)が大著をまとめています。そして、90年代に入って、ポンピドゥー・センターとMoMAで大回顧展が行われました。単線的なモダニズム的な評価をこえてきめ細かな評価が段々に進んだ感じですね。

長名:実際に会場には行かれたのですか?

中林:ポンピドゥーの方だけ見ました。カタログを見るとわかるのですが、内容は一緒ではなくて、ポンピドゥーの方は1919年頃までの作品だけで構成されて、MoMAの方ではすべての時代の作品が展示されました。その後は時代の雰囲気も変わり、絵画をどう捉えるかという議論も下火になったような印象を受けています。その後の研究史はあまり追えていませんが。

長名:なるほど。マティスと模倣という点については?

中林:マティスの作品に登場する椅子のモチーフは、人を喚起させると言われます。それは人体を模倣する椅子という問題に連なります。当館のコレクションにマティスは1点《ルネ、緑のハーモニー》(1923年)がありますが、それも椅子に関わる作品です。これについても1本書いていますが。マティスの作品はいわゆる再現的絵画ですが、それはつまり類似、模倣の問題を改めて深く考えるきっかけでもあると考えていて。ここで話し出すと長くなっちゃうので詳しくは論文を読んでもらえたら(笑)。

長名:そうします(笑)。では、装飾についてお願いします。

中林:これもマティスへの関心の延長線上で選んでいます。多木さんの連載を挙げていますが、70年代に書かれたものなので、どういうきっかけで知ったのかは覚えていません。ここでの議論は装飾というのは単なる付録的な飾りではなくて、過剰なる外部であるとしていて、デコトラとかも取り上げていたと思います。装飾というのは、例えば雑草や、勝手に生えて蔦のように巻き付くようなものという感じで、理性的な秩序と対極にあるものだと。装飾のそうした捉え方をこの連載から得ました。

長名:続いて、③顔についてお願いします。

中林:2000年に「顔:絵画を突き動かすもの」(1月12日-2月13日、国立西洋美術館)という展覧会を、西洋美術館で開催したんですよ。当館がリニューアル中で、たまたま西美が空いているということで実現したんです。でも新聞社からは肖像画は人が入らないと言われていましたけどね(苦笑)。じゃあなんで肖像画展だと、人は入らないのかと、それは恐いからじゃないかと思っていますが。顔というのは裏面がないですよね。それは絵画も同じで。ここに挙げたのは顔と絵画の正面性や両者の抜き差しならない関係について考える上で参考になる資料です。

長名:では、④色彩についてお願いします。

中林:色彩はアプローチが最も困難なものですよね。長名さんは色彩についてどう理解していますか?

長名:えっと、一般論としてですが、ニュートンの物理学に基づく色彩理解と、それに対してゲーテの人間の感覚として捉えた場合の色彩理解という問題があるという理解でいます。

中林:そうそう。色相環がなぜ円なのか考えたことがありますか? 可視光線は電磁波のうちの赤からすみれ色までの領域だけが見えているものであって、紫外線や赤外線は目には見えないわけです。ちなみに蝶々は紫外線が見えるそうですが。つまり色彩と我々が言っているものは、人間が見えている範囲のことでしかない。色相環に話を戻すと、色彩とはそもそも人間が見えている範囲のこと、そこに赤に対して緑のように補色の関係を追っていくことで、円となって色相環が生まれるわけです。ゲーテはそのことについて「色彩と光を通して眼という感覚に自分の姿を特に示現しようとしているものこそ、自然に他ならない」と言っていますが。

長名:なるほど。

中林:デビッド・カッツ(David Katz, 1884-1953)という心理学者の本も挙げていますが、そこで彼は面色(film color)、表面色(surface color)、空間色(volume color)という色の様相について検討しています。面色というのは、青空のように定位される実体として捉えられない色の現れ方を指します。空を区切って見せたジェームズ・タレル(James Turrell, 1943-)はこの辺の問題にきわめて意識的な作家ですね。山田正亮(1929-2010)という作家を取り扱う上で、こうした色彩の問題に向き合わないといけなかった。

長名:すべて色で構成されている作品とも言えますからね。

中林:はい。バークリーの本は、視覚と触覚の関係を考察したもので、先天的な視覚障害だった人の目が見えるようになってから起きる事例などを参照しています。触るという経験がないと視覚は成り立たないと。

長名:では、⑤作者の言葉に関してお願いします。

中林:作者の言葉については、展示というよりも、展覧会カタログに論考を書く際、ずっと拠り所にしてきたところがあります。例えば、ミショーのプレイヤード版の全集は3巻で出ていて、さながら事典ですよ。それぞれに詳細なクロニクルが載っていて、展覧会の時には参考にしました。詩についてはなかなか得意ではないのですが、ミショーは「すべてはムーヴマンである」と言い「もしも動かないと、わたしはその場で腐ってしまう」と書いています。これを読んだ時、止まっているものというのは、まさに絵画じゃないかと。静止というのは絵画でしか存在しないんじゃないかと考えました。

長名:その他にもベーコンやゴーギャン、セザンヌ、カンディンスキー、マティスに関する資料を挙げられていますね。

中林:これらも作家自身の言葉に関わるものですね。特にゴーギャンは手紙のやりとりなども残っていて、彼は山師と言われたりもしますが、これを読むともっと複雑というのがわかってきます。2009年の「ゴーギャン展」(7月3日-9月23日、東京国立近代美術館本館企画展ギャラリー)はボストン美術館の《我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか》(1897-98年)が目玉でした。東近美で2回目のゴーギャン展ということもあって、インパクトのあることをする必要もありました。

長名:僕もこの展覧会には行きました。でも、《我々》以外の作品を覚えていません(苦笑)。

中林:えっ、その他にも結構良い作品が来てたんだけど(笑)。大きい作品の展示で言うと、2002年の「カンディンスキー展」(3月26日-5月26日、東京国立近代美術館本館企画展ギャラリー)では、巨大な《コンポジションVI》(1913年)と《コンポジションVII》(1913年)を並べたこともありましたね。十分引きが取れるように展示した記憶があります。

長名:作者の言葉で言いますと、中林さんはマーク・ロスコの翻訳3 もされていますよね。

中林:はい。ロスコの結構前に別の論文の翻訳をやって、それがものすごく大変で、もう翻訳なんてやらんぞと思っていたのだけど、ロスコの言葉は面白くて。とはいえ翻訳作業は大変で、数行ずつ進む感じで時間が膨大にかかりましたね。大変ありがたいことに評判は良かったみたい。

長名:その他、作者の言葉に関わる仕事で記憶にあるものはありますか?

中林:山田正亮ですね。彼の膨大なノートがあって、癖のある字を書く人なんですが、それを何百時間もかけて翻刻したんです。それも作家の言葉に関心が高かったからというのもありますね。

「いのちのかたち」について

長名:ちょうどお名前が出たので、ライブラリには「山田正亮旧蔵書」があります。寄贈の経緯について伺えますか?

中林:ちょうど、「endless:山田正亮の絵画」展(2016年12月6日-2017年2月12日、東京国立近代美術館本館企画展ギャラリー)の準備をしている最中にご健在だった作家の奥様が亡くなられて。蔵書についてどうしたら良いか相談があり、アトリエに行って重要と思われる資料を選定してきたんです。彼は独学で絵画を描いていたんですが、今は亡き修復家の斎藤敦さんと一緒に多くの作品を点検した時、専門家から見ても、複雑で精妙な絵作りだと教えてもらいました。かなり勉強していたというわけです。そういう点からも旧蔵書には技法に関するものも含めました。あと、欧米、日本問わず当時の絵画の状況を把握していたのを跡付ける雑誌なども。

長名:旧蔵書は山田正亮の制作背景を辿る重要な資料ですね。最後の質問です。次期「MOMATコレクション展」(2022年3月18日-5月8日)の11室と12室で、「いのちのかたち」という小企画を担当されていますが、注目して欲しいポイントなどお聞かせください。

中林:まだ展示していないので、なんとも言えないのですが(苦笑)。でも、時代に媚びない展示にしたいとは思っています。例えば今、盛んに社会に役立つとか、社会性云々言われますけど、そもそもなぜ美術作品が社会に影響力を持つのか、もっとそういう手前のところから考える必要があるのではと。そういう意識で作品を選びました。またテーマのかたちですが、かたちというのは物質化であって、それはモノ作りとも関わる。カンヴァスも絵具も植物や鉱物といった自然物からできている。モノ作りっていうのは自然物を組み替えることでもあるわけです。

長名:考えたことなかったです。

中林:作品の成立を支えるそういったモノ作りの重要さを考える場にできたらと。素材の再配分や自然物をめぐる不思議さを。

長名:展示、楽しみにしています。本日は貴重なお話を本当にありがとうございました。

  1. 中林和雄「山口長男、象の池 展示の蘇生法」『現代の眼』428号、1990年7月、6-7頁。
  2. 中林和雄『見ることの力』水声社、2017年
  3. マーク・ロスコ『ロスコ:芸術家のリアリティ』中林和雄訳、みすず書房、2009年

中林さんの本棚

①作品受容と知覚

  • モリス・メルロー・ポンティ『知覚の現象学』中島盛夫訳、法政大学出版局、2015年
  • ミッシェル・セール『五感:混合体の哲学』米山親能訳、法政大学出版局、2017年
  • H.ゴンブリッチ『芸術と幻影:絵画的表現の心理学的研究』瀬戸慶久訳、岩崎美術社、1979年
  • 中村雄二郎『共通感覚論』岩波書店、2000年
  • ヴィクトル・ストイキツァ『絵画の自意識:初期近代におけるタブローの誕生』岡田温司、松原知生訳、ありな書房、2001年

②模倣と装飾

  • Alfred H. Barr, Jr., Matisse, his art and his public, reprint ed,Museum of Modern Art, Arno Press, 1966.
  • Henri Matisse and Dominique Fourcade, Henri Matisse : Écrits et propos sur l’art,  Hermann, 1972.
  • マティス『マティス画家のノート』二見史郎訳、みすず書房、2018年
  • Jean-Claude Lebensztein, “Les textes du peintre,” in Critique, no. 324 mai, 1974.
  • Jack Flam, Matisse, the man and his art, 1869-1918, Cornell University Press, 1986.
  • Pierre Schneider, Matisse, Flammarion, 1984.
  • Henri Matisse 1904-1917, Centre Georges Pompidou, 1993.
  • John Elderfield, Henri Matisse: a retrospective, Museum of Modern Art, H. N. Abrams, 1992.
  • 多木浩二「連載 装飾の相の下に」『SD』1973年 全10回

③顔

  • Picasso and portraiture : representation and transformation, Museum of Modern Art, 1996.
  • 矢内原伊作『ジャコメッティとともに』筑摩書房、1969年
  • マックス・ピカート『人間とその顔』佐野利勝訳、みすず書房、1959 年
  • ジル・ドゥルーズ、フェリックス・ガタリ『千のプラトー:資本主義と分裂症』宇野邦一ほか訳、河出書房新社、2010年
  • 三木成夫『生命形態学序説:根原形象とメタモルフォーゼ』うぶすな書院、1992年
  • 坂部恵『仮面の解釈学』東京大学出版会、2009年
  • フランソワ・ダゴニェ『面・表面・界面 : 一般表層論』金森修、今野喜和人訳、法政大学出版局、1990年
  • 米倉迪夫『源頼朝像:沈黙の肖像画』平凡社、1995年

④色彩

  • ヨーハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ『色彩論 第1巻 完訳版』高橋義人ほか訳、工作舎、1999年
  • David Katz, The world of colour, Routledge, 2014.
  • G・バークリ『視覚新論』下條信輔、植村恒一郎、一ノ瀬正樹訳、勁草書房、1990年

⑤作者の言葉

  • Raymond Bellour, Ysé Tran, Henri Michaux: Œuvres completes, Gallimard, 1998.
  • Kenneth C. Lindsay and Peter Vergo (eds.,) Kandinsky: complete writings on art, v. 1, G. K. Hall, 1982.
  • デイヴィッド・シルヴェスター、フランシス・ベイコン『肉への慈悲:フランシス・ベイコン・インタヴュー』小林等訳、筑摩書房、1996年
  • Paul Gauguin and Daniel Guérin, Oviri: écrits d’un sauvage, Gallimard, 1990.
  • Paul Gauguin, Gilles Artur, Jean-Pierre Fourcade, and Jean-Pierre Zingg, Noa Noa: P. Gauguin, Édition de l’Association des Amis du Musée Gauguin, 1987.
  • Paul Gauguin and Victor Merlhès, Correspondance de Paul Gauguin: documents témoignages, vol.1, Fondation Singer-Polignac, 1984.
  • Paul Gauguin and Douglas Cooper, Paul Gauguin: 45 lettres à Vincent, Théo et Jo van Gogh, Staatsuitgeverij, 1983.
  • Paul Gauguin, Roseline Bacou, Arï Redon, and Odilon Redon, Lettres de Gauguin, Gide, Huysmans, Jammes, Mallarmé, Verhaeren… à Odilon Redon, Librairie José Corti, 1960.
  • Paul Gauguin, Maurice Malingue, and Henry J. Stenning, Letters to his wife and friends, MFA Publications, 2003.
  • P.M.ドラン編『セザンヌ回想』高橋幸次、村上博哉訳、淡交社、1995年

『現代の眼』636号

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