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現代の眼 展覧会レビュー とけあう美人像「鏑木清方展」

吉井大門 (横浜市歴史博物館学芸員)

没後50年 鏑木清方展|会場:企画展ギャラリー[1階]

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鏑木清方(1878–1972)の描く美人画には、詩情豊かな自然や風俗のなかに溶け合うかのように女性像が描かれる。本展では、鏑木清方の描く嗜好と思考を抽出し、新たな側面の提示を試みる展示構成となっていた。つまり、鏑木清方の画業を編年的に編み、その変遷に特化したものではなく、第1章「生活をえがく」・第2章「物語をえがく」・第3章「小さくえがく」といったように清方という人物を語る際にしばしば象徴的となるワードが各章タイトルに付されはするものの、俯瞰的には画業を体系的にみつつも、本展趣旨にもあるように「美人画には当てはまらない多様な仕事」を、つまり画家のまなざしを浮き彫りにするものであった。それを象徴するように明治29(1896)年の《初冬の雨》と約60年後の《十一月の雨》ではじまる構成は、季節と生活との係りが画家にとって関心を寄せ重要な働きを示していたという裏付けともなり、展示意図が伝わるものであった[図1]。

図1 会場風景
右:鏑木清方《初冬の雨》明治29(1896)年
左:鏑木清方《十一月の雨》昭和30(1955)年、上原美術館蔵

こうした回顧展は時として記憶に溶け込んでいた物事を呼び起こしてくれるものであり、美術雑誌『藝術』1には以下のような記事が掲載されている。

今回大根河岸の三周氏は、故三遊亭圓朝より譲受けた百物語百幅を、圓朝の菩提寺なる谷中の全生庵に寄附した。その中には菊池容齋、渡邊省亭、松本楓湖、大蘇芳年、柴田是眞などの名手がある。また圓朝と尾上五代目とは親善であった関係から、久保田米仙の小坂部と、鏑木清方の百物語の二幅を、尾上梅幸に贈ることになり、さて一月少々幽霊を持込む話であるから、梅幸にまづ縁起を担ぐや否やと照会すると、そんな事は少しも気にしない、貰へるものなら貰ひたいとあって、物すごい画ママ全生庵と尾上家に納まった。

大根河岸の三周氏は、図録において今西彩子氏がふれているとおり、幕末から明治にかけての噺家・三遊亭円朝を後援した三河屋三周こと藤浦周吉である。円朝は、清方の父・條野採菊との交友、そして清方を挿絵画家への道へと後押ししてくれたことでもよく知られている。譲り受けた百物語百幅と記される幽霊画は、容斎、省亭、楓湖、芳年、是真とあることからも今、全生庵が所蔵する幽霊画・三遊亭円朝コレクションである。この幽霊画コレクションは、円朝自身の交友範囲を中心に形成されたものといわれ、円朝没後の大正11(1922)年12月22日に藤浦家から全生庵に寄贈されたことがわかっている2。続いて記事は、円朝と交流が深かった尾上五代目(五代尾上菊五郎)との関係から尾上梅幸に(ここでいう梅幸は六代目と思われる)米仙の小坂部と清方の百物語の二幅を贈ったという。梅幸の養父にあたる五代尾上菊五郎は、円朝から幽霊画コレクションを借りるといった交流の深さを示すやり取りも遺され(早稲田大学演劇博物館蔵)こうした間柄に起因するものであろう。はたして、記事からは実際に贈られたところまで確実に確認できず、尾上家に実際に収まったのだろうか。

図2 会場風景 撮影:木奥惠三
右から2番目:鏑木清方《幽霊》明治39(1906)年、全生庵蔵

円朝の幽霊画は、7回忌を記念した明治39(1906)年に全生庵で展示され、その中から「七怪奇絵葉書」と題され絵葉書が発行されている。記事にいう米仙の小坂部は小坂部姫であろう。絵葉書もそのイメージを彷彿とさせるものである3。同様に清方の百物語は、行灯の明かりに浮かび上がる女性が平伏す様な姿勢で顔をみせず、盃台に載せた茶碗を差し出し、艶麗な雰囲気を醸し出す本展出品の《幽霊》と同定できるだろう[図2]。物語を多く絵画化した清方は本展にも出品される《幽霊図扇面》や「卯月の潤色」を画題とした《朧駕籠》など幽霊をモチーフとした作品をいくつか描いている。清方は円朝とは親身の間柄で円朝の後援者藤浦家とも親しい付き合いであったことを考えると7回忌にちなみ、同家から制作依頼されたということだろうか。時代はややずれるが、清方は明治42(1909)年、柏舎書楼から刊行された泉鏡花による序文にはじまる『怪談会』に話を寄せ、装丁も手掛けている。発行の経緯は不明であるが鏡花に深くかかわる人たちが集まり、明治41(1908)年6月20日発会の「鏡花会」に係る人物が『怪談会』には多いという。そして清方は「鏡花会」に第2回から名を連ね、『怪談会』刊行まで鏡花を中心とする何らかの怪談会が開かれていたとも考えられている4。清方と鏡花との係りは、明治34(1901)年8月以降で、その後、鏡花作品の挿絵や装丁を手掛けていくので怪談譚から幽霊画というつながりも制作を依頼するうえで、乖離はなかったのだろう。

  1. 『藝術』1巻2号、藝術通信社、大正12(1923)年2月5日
  2. 安村敏信「全生庵の幽霊画コレクション」『幽霊名画集』普及版、全生庵、1999年7月1日
  3. 「七怪奇絵葉書」は『幽霊画集〈普及版〉全生庵蔵・三遊亭圓朝コレクション』(ぺりかん社、1995年7月10日)に挿図として掲載され確認することができる。
  4. 東雅夫「おばけと鏡花と春陽堂」『泉鏡花(怪談会)全集 影印』東雅夫編、春陽堂書店、2020年5月11日
    穴倉玉日「“鏡花会”とその周辺」『泉鏡花怪談全集』同前

『現代の眼』637号

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