見る・聞く・読む

現代の眼 展覧会レビュー 漫画と絵画の結びつき

中田健太郎 (批評家/静岡文化芸術大学専任講師)

所蔵作品展 MOMATコレクション|会場:7室、8室[3階]

戻る
図1 会場風景(中央の青とオレンジの作品が間所紗織《女(B)》)|撮影:大谷一郎

1950年代のなかば、美術評論家として瀧口修造は、漫画と絵画の関係にかんする文章をつづけて執筆している。そこで確認されていたのは、漫画と絵画が「一つ根のもの」1であることだった。芸術ジャンルの区分よりも、その「綜合」へと思いをはせるのは、シュルレアリストとしての態度でもあっただろう2。両者の結びつきをさぐりながら瀧口は、当時の日本の画壇に目立ちはじめていた戯画的・諷刺的な絵画を、「黒い漫画」と名づけるのである。また、絵画との結びつきをわすれようとしているような、ジャーナリズムのなかの漫画を、「白い漫画」として牽制してもいた。

東京国立近代美術館のコレクション展の一部として設けられた、小特集「白い漫画、黒い漫画」は、上記のような考えをしるした瀧口の文章のタイトルにもとづいている。二部屋にわたり、60点以上の作品・資料からなる、充実の特集であった。

最初の部屋には「黒い漫画」と見なすことのできる、(比較的大きなサイズの)諷刺絵画がならぶ。たとえば、山下菊二《植民地工場》(1951年)や井上長三郎《ヴェトナム》(1965年)といった、植民地下・戦時下の人間の戯画が、目にとびこんでくる。描かれているのは、身体の一部が歪められたり、身体に穴があけられたりしている人のすがただ。そのような歪み・欠落の形象によって人間性の危機をしめすのは、広義のアンフォルメルにもつらなる、第二次世界大戦後の美術の世界的な兆候だろう。瀧口は当時の諷刺画の傾向について、「人間が非個性化によって「諷刺」されている」3と述べていたが、それも時代の人間性の危機にかかわる評言にちがいない。

とはいえ、そのように「非個性化」され、人間のすがたからは遠ざかって見える戯画が、類型化をとおしてかえって「キャラ」としての固有性を獲得してしまうことがある。そこにこそ、漫画の逆説的な魅力のひとつがあるのではないだろうか。展示室のなかでは、間所紗織の《女(B)》(1955年)のような作品が、人間性をめぐる危機をおりこんだうえでなお、生命の底ぬけの明るさをしめして力づよかった[図1]。

図2 会場風景|撮影:大谷一郎

「キャラ」が絵画のなかにも生息できるのだとすれば、漫画と絵画の結びつきには、諷刺的な絵画が一時期描かれたという以上のものがあったはずだ。じっさい、特集展示の二室目は、銅版画やリトグラフなどの(比較的小さなサイズの)作品を中心に、この「一つ根」の芸術の結びつきかたを、多様にしめすようだった[図2]。たとえば、石井茂雄《タレント達A》(1960年)は、画面のうちにコマ割りのような構造を導入して、諷刺の物語を持続させている[図3]。ケースのなかに置かれた雑誌や書籍も、この展示室にあってはたんなる参考資料ではなく、真鍋博やタイガー立石などの漫画作品を、絵画につらなるものとして鑑賞させてくれる。さらに言えば、馬場檮男かしお《ゲーム コンバット1》(1971年)のようなリトグラフは、マンガをふくむイメージ文化の環境へと、現代絵画の課題をひろげていくように見える4

「白い漫画、黒い漫画」はこのようにして、50年代に瀧口に予感された漫画と絵画の結びつきが、日本の現代美術史のなかでどのように展開していったのかを考えさせてくれる。その結びつきの展開は、漫画の原画が美術館に展示されることも珍しくなくなった、現在にまでつらなるものだろう。だからこそ本特集は、ひとつのテーマ展でありながら、近現代美術史のながれをしめすコレクション展の一部にふさわしい、時代の一証言として響いた。

図3 石井茂雄《タレント達A》1960年、東京国立近代美術館蔵

  1. 瀧口修造「漫画の問題」(1955年)、『コレクション瀧口修造』第10巻、みすず書房、1991年、52頁。
    そのほかに、つぎのような文章を念頭においている。「イラストレーションの意味と機能をめぐって」(1955年)、「白い漫画、黒い漫画」(1956年)、「現代絵画の諷刺性」(1956年)、「現代絵画と諷刺性」(1956年)。同書、37–45、60–65、67–70頁。
  2. 以下の文章を参照している。藤井貞和「精神の革命、いま絶えず綜合の夢 主題小考・瀧口修造」(1974年)、『現代詩読本(新装版) 瀧口修造』思潮社、1985年、182–192頁。
  3. 瀧口修造「現代絵画の諷刺性」前掲書、65頁。
  4. 馬場檮男の《自分の穴の中で 逼塞2》(1970年)が、(戦後美術の兆候として先述したような)身体にあけられた穴に、ある種の「キャラ」を住まわせていてとくに愛らしかったことも、付記しておきたい。

『現代の眼』637号

公開日:

Page Top