見る・聞く・読む

現代の眼 展覧会レビュー 二重の眼鏡で見る自分—「生誕120年 棟方志功展 メイキング・オブ・ムナカタ」に寄せて

西山純子 (千葉市美術館上席学芸員)

戻る

個人的な話から始めることをお許しいただきたいが、社会現象としての棟方志功にかつてなく光をあてた本展は、1960年代生まれの筆者を一気に昭和へと連れ戻した。私にとって棟方はまず、目がぱっちりとして頬の丸い美女の顔を描く人であり、瓶底眼鏡を版木すれすれに寄せて、一心不乱に彫る人であった。そのイメージは大人になるまで変わらなかった—というより、そのまま棟方を忘れた、と書くのが正しい。就職して日本の近代版画を一から知り始めた頃、棟方についてまさに目から鱗が落ちた瞬間があったのをはっきりと覚えている。職場の机で、没後10年を記念した「棟方志功展」の図録[図1]を開いた時であった。「本当は」とてつもない作家だったのだと悟り、無知を恥じた。この展覧会は、棟方の本領を木版画と定め、造形上の特色のほとんどが出揃った戦前期を重視する骨太な企画で1、戦前期の大半を占める墨摺作品は、図録では今日から見れば簡素なモノクロ印刷で掲載されていた。ニュアンスが飛んで黒と白の面がせめぎあい、文字や図形が蠢き乱舞するかのような作品群が、強烈なインパクトをもって私を圧倒した。その後いくつかの版画展を担当して不束ながら棟方作品にもふれた筆者は、昭和の子供と令和の学芸員という二つの視点から本展を見たことになる。

図1 『棟方志功展』(東京国立近代美術館、愛知県文化会館美術館、西宮市大谷記念美術館、朝日新聞社、1985年)表紙(デザイン:浅井潔)

展覧会は、会場が在る三つの地域—青森・東京・福光を主軸にすることで、棟方を支えた人的ネットワークや、棟方が時代と環境、場に即応しながら制作し(たとえば版木の乏しい福光での倭画の深化や黒地の発見[図2])、造形を展開した事実を巧みに浮かびあがらせる構成をとる。場という意味では、棟方の展覧会では得てして強調される個や独自性よりも、公の視点から再検証しようとする新鮮さが印象に残った。それは棟方がいかに見せ、いかに見られたかの洗い直しと言い換えてもよい。展示風景の写真を数多く掲出し、表装を含めた発表当初の見せ方を尊重して露出展示を多用したのも、展示の展示といった趣があって心が躍った。これによって、棟方が一般的な天然/野のイメージに反し、額や屏風、掛軸、巻物、あるいは装幀のそれぞれに尺をあわせた細やかな仕事をなしたこと、奔放と計算のバランスをとるデザイン感覚に長け、造形のみならず展示空間にも意識的であったこと、さらには公共建築に目配りすることで、戦後日本の復興とともに、花井久穂氏(東京国立近代美術館主任研究員)のいう「みんなのムナカタ」が生成されてゆく過程がありありと可視化されていた。

図2 会場風景|左:《華厳松》(1944年、躅飛山光徳寺蔵)|撮影:木奥惠三

筆者がとりわけ面白く見たのは、1937年の大屏風《東北経鬼門譜》から振り返ると二段掛の《門舞男女神人頌》(1941年)と三段で構成された屏風《幾利壽當頌耶蘇十二使徒屏風》(1953年)が開ける展示構成だ[図3]。戦争をまたいで、棟方の画面と形式が戦略的に拡張してゆくさまが、ライブ感をもって伝わる流れであった。対照的に、装幀の小さな仕事をこれまでになく丹念に跡付ける試みは、文学あるいは文字そのものへの愛着が、棟方を確実に栄光へと導いたことを改めて認識させた。そして終盤、被写体としての棟方にフォーカスして彼が写真/映像の時代のスターであったことを存分に見せつつ、自画像へと視点を移動して終幕する組み立ても巧みであった。自画像が大集合した壁面と向きあう形に配置された《大印度の花の柵》(1972年)で、ゴッホに始まった棟方の画業が、振り出しを噛みしめるようにして大団円を迎えている。ゴッホの向日葵を墨摺の木版画に焼き直し、花瓶にはキャラクターのごとく自画像を描きこむ大胆不敵—。棟方には、時代のアイコンとなった自身がはっきりと見えていたに違いない。それを、展示をしめくくる秀逸な写真「TVに出た自分を二重の眼鏡で見る」(1969年、撮影:飯窪敏彦)が見事に象徴している。

図3 会場風景|左から《門舞男女神人頌》(1941年、個人蔵)、《幾利壽當頌耶蘇十二使徒屏風》(1953年、五島美術館蔵)|撮影:木奥惠三

版画史から見れば、最初期に影響を受けた古川龍生や平塚運一との絡みや、日本版画協会との関係などもう少し語ってほしかったし、日本の現代版画を世界に知らしめた棟方が、なぜ晩年に「…この画業五十年ながら、同業の一人にも、訪ねもせず訪ねられもせずで、現在もつづいています。—全く、どんなことでしょうか」と語らねばならなかったのかは2、自分に課すべき問いとして残った。だが、版画界をはみださざるをえない棟方の、陳腐な表現だが画角の広さを、本展が改めて見せつけたのもまた事実である。そして、筆者を含む昭和の公衆に浸透したイメージが、本人も関与して形成されたことも。本展が提起する棟方神話の再考をふまえて、ようやく私たちは、棟方志功の造形を語り直し得る地平に立てたのかもしれない。

  1. 『生誕120年 棟方志功展 メイキング・オブ・ムナカタ』(富山県美術館、青森県立美術館、東京国立近代美術館、NHK、NHKプロモーション、2023年)8頁
    筆者はこの展覧会を見ていない。
  2. 棟方志功『わだばゴッホになる』(日本経済新聞社、1975年)110頁

『現代の眼』638号

公開日:

Page Top