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まず白色で明るい部分をおおまかにつかむ。次に暗部に紺色と緑色をのせる。続いて黒色の線で輪郭や目鼻を描いて図を確定させる。最後に再び白色、そして朱色と芥子色でハイライトを入れる……おおむねこのような順序で描かれたのでしょう。緑色は襟元に入るのみで、画面全体はほぼ白、紺、黒、朱、芥子の5色だけで描かれています。
モデルは、当時朝日新聞社会部記者でのちに文筆で名を馳せる大庭鉄太郎(1910–79)。長谷川から直接この作品を手渡された大庭が制作時の回想を残しています。
やがて三人で、近くの喫茶店へいったが、話すのは天城[俊彦]と私だけで、利行は鉛筆で紙切れにしきりと絵を描いていた。画廊にもどってくると、天城はどこかへ出かけた。利行は天城がいなくなるのを待っていたかのように、急に元気づいて、「一枚、描きましょう」と、私を隣りの部屋へ連れていった。そして三号の似顔を描いてくれたが、十五分ぐらいしかかからなかったろう。ところどころは、筆代りにチューブを押し出しながら描いた。むろん、原色のままである。1
A4サイズ程度の小さな作品であるとはいえ、15分というスピードは驚異的です。このときは、長谷川の作品販売を管理していた画商の天城がいない隙を見計らって急ぐ必要があったようですが、長谷川の速筆は有名でした。塗るというよりは書く(掻く)ように線で描いていく長谷川のスタイルは、高速の制作と一揃いの関係にありました。
絵具が乾かないうちに筆を入れていくので、色を重ねた部分はおのずと下層の絵具をからめとります。長谷川の作品全体に共通する特徴的な白色の多用は、絵具が混ざることで画面が暗く重たくなってしまうことを避けたからではないでしょうか。白を拾った別の色は淡く変化し、暴力的なほどの筆致の勢いの一方で、印象はあくまでフレッシュです。画面であると同時にパレットでもある作品であるがゆえに、画家の手さばきと速度、そして手順までがありありとわかります。
美術批評家の沢山遼は次のように評しています。「長谷川の絵画を特徴付けるのは、線の散布が生起させるその非気密性である[中略]長谷川の描く都市は、関東大震災後のカタストロフを経て再び蜃気楼のように立ち上がった揺れ動く東京に、ひとつの真実性を与えるものであったにちがいない」2。すなわち、線的な筆触の網で出来上がった隙間だらけの画面は、同じように隙間だらけだった震災後のバラックや、東京という都市と一体のものであった、と。画面の構造と主題の合致。都市を放浪し、奔放な生活で知られた無頼の画家・長谷川利行は描き方もまた奔放であった——このような評言はほとんど定番化していますが、「描き方」でなく作品そのものが奔放であり無頼であるとはどういうことかを、考えさせてくれる作品です。
註
1 大庭鉄太郎「利行の新宿時代」『長谷川利行未発表作品集』(東広企画、1978年)、81頁。[ ]内は引用者註。
2 沢山遼「長谷川利行展「七色の東京」 筆触網と非気密性」『美術手帖 ウェブ版』2018年6月5日号https://bijutsutecho.com/magazine/review/16256
『現代の眼』639号
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