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現代の眼 展覧会レビュー コレクションに向ける眼差し

水田有子 (東京都現代美術館学芸員)

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いま、美術館同士が協働して互いのコレクションを活用して展覧会を行うこと——。移動や輸送が制限されたコロナ禍、そしてその後の輸送費や保険料の高騰は、日本で数多く開催されてきた、美術館の名を冠した大規模な海外美術館のコレクション展を含む、展覧会の在り方を見つめなおす一つの契機となった。

そんな中、企画はコロナ禍以前に始まったという「トライアローグ 横浜美術館・愛知県美術館・富山県美術館 20世紀西洋美術コレクション」(2020–22)をはじめ、収集対象が類似した美術館同士の共同企画、あるいは現存作家や個人コレクションとの連携による展示が、これまでにも増してさまざまな美術館で開かれ、コレクションを活用した企画展の可能性が活発に模索されているように思われる。

「TRIO パリ・東京・大阪 モダンアート・コレクション」は、これまでの海外美術館のコレクション展と、そうした近年改めて注目を集める国内美術館のコレクションによる企画展とを併せてハイブリッドのように構成された展覧会として捉えることもできるかもしれない。

本展を特徴づけるのは、モダンアートの充実したコレクションを有するパリ、東京、大阪という3つの都市にある美術館が、日本とフランスの交流を一つの背景としながら、トランプのカードを同時にきるように、1館1作品を突き合わせて「トリオ」を組み、並置するという、そのユニークな形式にある。

会場に一歩足を踏み入れると、パリ市立近代美術館、東京国立近代美術館、大阪中之島美術館の存在が印象的に立ち現れるかのように、まず各館のコレクションの始まりを象徴する作品であるロベール・ドローネー、安井曽太郎、佐伯祐三による椅子に座る人物像からスタートし、さらに三都市の風景にフォーカスしたトリオが並ぶ。

会場風景|「コレクションのはじまり」(左から:佐伯祐三《郵便配達夫》1928年、大阪中之島美術館蔵/ロベール・ドローネー《鏡台の前の裸婦(読書する女性)》1915年、パリ市立近代美術館蔵/安井曽太郎《金蓉》1934年、東京国立近代美術館蔵)|撮影:木奥惠三

その後も、「近代化する都市」や「夢と無意識」といった章立てのもと、シュルレアリスムやキュビスム、抽象といった美術史的な視点にも目を配りつつ、より自由な発想でさまざまな切り口から、作品同士の類似性——モチーフや形、素材、共通するテーマやイメージの連関——を軸に、全34組のトリオが構成されている。アンリ・マティス、萬鉄五郎、アメデオ・モディリアーニによる「モデルたちのパワー」、ラウル・デュフィ、辻永、アンドレ・ボーシャンによる「空想の庭」など、トリオの鑑賞の際は、まず一定の距離をとって眺め、その後作品に近づいていくという行為を繰り返すことになるのだが、美術館を代表する名品から、近年収蔵された現代作家の作品まで、絵画、彫刻、版画、素描、写真、デザイン、映像など多様なジャンルを横断する、実にさまざまな組み合わせと向き合うことになる。「見て、比べて、話したくなる」という展覧会コピーに示されているとおり、来場者たちは異なる都市や時代に生まれた作品同士に見出される、響き合いや差異への気づきへと促されるが、同時に、本展の企画者たちに自身の眼差しが重なっていくような感覚をおぼえるのではないだろうか。

会場風景|Ⅵ「響きあう色とフォルム」|撮影:木奥惠三

TRIO展は、各館のコレクションに精通した担当者が、作品情報やイメージを何度もブラウズして組み合わせを検討し、それを逐次共有し、オンラインでディスカッションを重ねることができる現在だからこそ実現され得た展示の形であろう。本展の会場でめまぐるしく展開されるトリオを眺めながら、ヴァルター・ベンヤミンが「複製技術時代の芸術作品」(1936)において述べていた、写真や映画などの複製技術の登場による芸術の礼拝的価値から展示的価値へのシフトなどについて、デジタル化時代のいま改めて思いを巡らせたのであった。

最後に、見るたびに多くの気づきを与えてくれる東京国立近代美術館のクロノロジカルに構成された常設展が同時に見られることにも触れておきたい。いま、同じ建物の中で展開されている対照的な二つの展示を併せて見ることで、さまざまな形をとって現れる美術館の「コレクション」というものについて、そして今後も継続されていく作品収集や展示の可能性について考える、貴重な機会になるはずだ。

『現代の眼』639号

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