見る・聞く・読む
1932(昭和7)年9月20日から12月28日まで、『東京日日新聞』と『大阪毎日新聞』の夕刊に全70回にわたって連載された邦枝完二「江戸役者」には、小村雪岱による挿絵がつけられました。その挿絵の原画が2022(令和4)年に発見され、このたび当館のコレクションに加わりました。
原画は連載のために描かれた70図すべてが揃い、画帖(折帖ともいいます)の見開きに2点ずつ、表に計36点、裏に計34点が貼り込まれた形で世に現れました。画帖の題箋には雪岱自身による筆で「江戸役者」とあり、画帖裏の末尾にはこれも雪岱自筆で「大阪毎日新聞/東京日日新聞/掲載邦枝完二/作江戸役者/挿画/小村雪岱(印)」と記されています。となれば、表の前見返しと裏の後ろ見返しに色付きで描かれた桜の絵も雪岱によるものと考えてよいでしょう。見返しに桜を描いたのは、「江戸役者」の終盤の舞台となった春の隅田川の情景にちなんでのことと思われます。
ところで、小説家・邦枝完二と、挿絵画家・小村雪岱のコンビといえば「おせん」がよく知られています。「江戸役者」からおよそ一年後、『東京朝日新聞』と『大阪朝日新聞』の夕刊に連載された「おせん」は、肥痩のないシャープな描線、白黒のコントラストが明快な画面処理、俯瞰の構図等による、いわゆる「雪岱調」で人気を博しました。ところが、それより一年も前に描かれたこの「江戸役者」を見ると、とりわけ原画ではシャープな線の清々しさが一層際立っていて、多くの人々の心をとらえた「雪岱調」はすでにこの時点で仕上がっていたことが納得されます。
「江戸役者」の挿絵に雪岱を指名したという邦枝も、挿絵の出来を高く評価していました。
「江戸役者」は拙作中でもいまだに好きな物の一つであるが、この時の雪岱さんの挿繪が實に好かつた。世間では朝日新聞に載せた「おせん」の挿繪を第一位に置いてゐるが、どちらかといへば、作者自身の好みからいつて、「江戸役者」の方が勝れてゐたと思ふ」(註1)。
とはいえ、「おせん」に比べ知名度は今ひとつな「江戸役者」。雪岱の研究者である真田幸治氏が指摘するように、全挿絵を再録した『絵入草紙おせん』(新小説社、1934年)等の刊行物に恵まれた「おせん」に対し、読み捨ての新聞にしか挿絵が載らなかった「江戸役者」は埋もれてしまった(註2)ということなのでしょう。こうして原画が出てきた今、がぜん「江戸役者」に注目が集まることになると期待しています。
註
1 邦枝完二「雪岱さん」『双竹亭随筆』(興亜書院、1943年)p.151
2 真田幸治「解説 小村幸岱と邦枝完二の『江戸役者』」『江戸役者 東京日日新聞夕刊連載版』(幻戯書房、2023年)p.231
『現代の眼』639号
公開日: