開催中の展覧会

ゲルハルト・リヒター展

Gerhard Richter

ポスタービジュアル
(ゲルハルト・リヒター《エラ(CR: 903-1)》2007年 作家蔵 © Gerhard Richter 2022 (07062022))

 

ドイツ・ドレスデン出身の現代アートの巨匠、ゲルハルト・リヒター(1932-)。リヒターは油彩画、写真、デジタルプリント、ガラス、鏡など多岐にわたる素材を用い、具象表現や抽象表現を行き来しながら、人がものを見て認識するという原理自体を表すことに、一貫して取り組み続けてきました。

画家が90歳を迎えた今年2022年、本展では画家が手元に置いてきた初期作から最新のドローイングまでを含む約120点によって、一貫しつつも多岐にわたる60年の画業を紐解きます。

日本では16年ぶり、東京では初となる美術館での個展です。

 

Photo: Dietmar Elger, courtesy of the Gerhard Richter Archive Dresden
© Gerhard Richter 2022 (07062022)

 ゲルハルト・リヒター(Gerhard Richter)

1932年、ドイツ東部、ドレスデン生まれ。ベルリンの壁が作られる直前、1961年に西ドイツへ移住し、デュッセルドルフ芸術アカデミーで学ぶ。コンラート・フィッシャーやジグマー・ポルケらと「資本主義リアリズム」と呼ばれる運動を展開し、そのなかで独自の表現を発表し、徐々にその名が知られるように。

その後、イメージの成立条件を問い直す、多岐にわたる作品を通じて、ドイツ国内のみならず、世界で評価されるようになる。

ポンピドゥー・センター(パリ、1977年)、テート・ギャラリー(ロンドン、1991年)、ニューヨーク近代美術館(2002年)、テート・モダン(ロンドン、2011年)、メトロポリタン美術館(ニューヨーク、2020年)など、世界の名だたる美術館で個展を開催。現代で最も重要な画家としての地位を不動のものとしている。

 

展覧会の見どころ

1.現代アートの巨匠、待望の大規模個展
リヒターの日本の美術館での個展は、2005-2006年にかけて金沢21世紀美術館・DIC川村記念美術館で開催されて以来、実に16年ぶり。また東京の美術館での大規模な個展は今回が初めてとなります。

 

2.最新作を含むリヒター所蔵の作品で、60年におよぶ作家の画業をたどる
世界のアートシーンで常に注目を集めてきたリヒター。彼が手放さず大切に手元に置いてきた財団コレクションおよび本人所蔵作品を中心に、最新作のドローイングを含む貴重な作品約120点が、初めて一堂に会します。これらの多様な作品を通じて、2022年に90歳を迎えたリヒターの、60年におよぶ画業をたどります。

 

3.近年の大作《ビルケナウ》、日本初公開
幅2メートル、高さ2.6メートルの作品4点で構成される巨大な抽象画《ビルケナウ》は、ホロコーストを主題としており、近年の重要作品とみなされています。出品作品のなかでも最大級の絵画作品である本作が、この度、日本で初めて公開されます。

 

会場では、初期のフォト・ペインティングからカラーチャート、グレイ・ペインティング、アブストラクト・ペインティング、オイル・オン・フォト、そして最新作のドローイングまで、リヒターがこれまで取り組んできた多種多様な作品を紹介。特定の鑑賞順に縛られず、来場者が自由にそれぞれのシリーズを往還しながら、リヒターの作品と対峙することができる空間を創出します。

 

ゲルハルト・リヒター《ビルケナウ》左から(CR: 937-1)(CR: 937-2)(CR: 937-3)(CR: 937-4)2014年 ゲルハルト・リヒター財団蔵
© Gerhard Richter 2022 (07062022)

《ビルケナウ》2016年 フリーダー・ブルダ美術館(バーデン=バーデン)での展示風景 Photo: Volker Naumann

イベント

東京国立近代美術館 / ゲーテ・インスティトゥート東京 共同企画

ゲルハルト・リヒター《ビルケナウ》についての考察レクチャーとトーク(日独同時通訳付き)

2022年8月20日(土)17:00~(オンライン:Zoom ウェビナー)

 

東京国立近代美術館とゲーテ・インスティトゥート東京は、共同で日独の専門家によるトークイベントを開催します。《ビルケナウ》の制作過程から展示の変遷を追い、記憶の想起の問題、ドイツの歴史の文脈の中で作品をとらえることで、この重要な作品が現代に問いかける問題に接近します。ゲストは長年リヒターの画業に密着して論考してきた国際的なキュレーターのディーター・シュヴァルツ氏(オンライン出演)、ならびにドイツ文学・歴史研究の立場からリヒターの作品について考察する西野路代氏、司会は本展覧会の担当者である東京国立近代美術館の桝田倫広です。

プログラムの最初には、ピアニスト、ヤーノシュ・ツェグレディ氏による自身の作品《Three Evocations》の演奏をお聴きいただきます。ツェグレディ氏はナチスの時代をワルシャワのゲットーで生き延び、両親はマウトハウゼンとリヒテンヴェルトの強制収容所から奇跡的な生還を遂げました。今年85歳で、1967年から日本で活動しています。

直接参加の受付は終了いたしましたが、オンラインでイベントの様子をご視聴いただけます。是非ご覧ください。

 

開催日時:2022年8月20日(土)17:00~

登壇者:ディーター・シュヴァルツ(現代美術キュレーター、作家)、西野路代(ドイツ現代文学研究)                                                  司会:桝田倫広(東京国立近代美術館 主任研究員)

視聴方法:Zoomウェビナー(オンライン)

視聴無料(先着500名)・事前登録不要。※先着での受付としております。定員に達した場合、ご視聴いただけないのでご了承ください。

→イベントは終了しました。

 

カタログ

「ゲルハルト・リヒター展」公式図録

価格:3,900円(税込み)
仕様:判型A4変形判、展覧会出品作品オールカラー
総頁数:352ページ
言語:日本語、英語(一部)

 

【目次】

ゲルハルト・リヒター:画家にしてイメージメーカー ――ゲルハルト・リヒター財団の所蔵品  ディートマ・エルガー

ビルケナウ以降 ――ゲルハルト・リヒターの〈アブストラクト・ペインティング〉における後期様式について  桝田倫広

「絵画は役に立つのです」 ――リヒター作品における「もの」と「ビルト」、「複数性」と「真実性」をめぐって  鈴木俊晴

 

図版

フォト・ペインティング  浅沼敬子
リヒターと社会主義リアリズム  福元崇志
資本主義リアリズム  桝田倫広
アトラス  鈴木俊晴
リヒターと1960年代のマルセル・デュシャンの再評価  中尾拓哉
カラーチャートとグレイ・ペインティング  鈴木俊晴
アブストラクト・ペインティング 1970s-1980s  鈴木俊晴
頭蓋骨、蝋燭、花  鈴木俊晴
オイル・オン・フォト  清水穣
リヒターの風景画とドイツ・ロマン主義  仲間裕子
カラーチャートと公共空間  鈴木俊晴
ストリップ  桝田倫広
アブストラクト・ペインティング 1990s-2010s  鈴木俊晴                                                    ドローイング  桝田倫広

 

対談 ゲルハルト・リヒター/ディーター・シュヴァルツ 2017年11月20日、ケルンにて

無用の用 ――リヒターのガラスをめぐって  林寿美

《1977年10月18日》と人物画  浅沼敬子

樹皮としての絵画 ――《ビルケナウ》とジョルジュ・ディディ₌ユベルマン  田中純

鏡の音楽 ゲルハルト・リヒターと音楽  清水穣

文化の記録、蛮行の記録 ――ゲルハルト・リヒターの《ビルケナウ》  ベンジャミン・H.D. ブクロ―

生産としての複製 ――ゲルハルト・リヒターの芸術における写真の役割について  シュテファン・グロナート

 

年譜
作品リスト
主要参考文献

インタビュー/レビュー

 

教師としてのゲルハルト・リヒター   渡辺えつこ インタビュー

渡辺えつこさんは、1982年にデュッセルドルフ芸術アカデミーに留学し、ゲルハルト・リヒターに師事した。以来、2013年までデュッセルドルフを拠点に、その後、東京を拠点に移して作家活動を続けてきた。今回は教師としてのリヒターについてお話を伺った。

聞き手・構成:桝田倫広[企画課主任研究員]
[2022年6月24日|東京国立近代美術館にて]

桝田 1982年、武蔵野美術大学を卒業されたあと、デュッセルドルフ芸術アカデミーに留学したのですよね?

渡辺 卒業をしないで行こうかなとも思ったんですけどね。母が卒業だけはしてくれって。アカデミーは夏ゼメスター(学期)と冬ゼメスターにわかれていて、冬ゼメスターが始まるのは9月。大学を3月に卒業して、アルバイトをしつつドイツ語を勉強しました。8月頃だったかな、ドイツに行きました。

桝田 そもそもなぜ留学先にドイツを選んだのでしょうか?

渡辺 その当時、私の前の世代だと、ヨーゼフ・ボイス(Joseph Beuys, 1921–1986)のことを知っている人もいたんですけど、私の世代ってドイツの情報がほとんど入ってきてないんです。武蔵野美術大学では野村太郎先生(1927–2014)が、ドイツ美術史の授業を受け持っていて、たまたまそれを取っていました。野村太郎先生は、カーリン・トーマス(Karin Thomas、1941–)の『20世紀の美術』かな、ドイツ語で「ビス・ホイテ(Bis Heute)」という本を訳された方でもあります。[1] 授業でボイスの紹介をしているときがあって、そのことを強烈に覚えています。それからケルンのベルナルド・シュルツェ(Bernard Schultze, 1915–2005)とウルズラ・シュルツェ・ブルーム(Ursula Schultze-Bluhm, 1921–1999)夫妻や、コンラート・クラフェック(Konrad Klapheck, 1935–)といった作家が紹介されていたことも覚えています。

ドイツへ行こうと思ったのは、今、ドイツが良いらしいという友人の言葉を真に受けたからで、それで調べ始めたんですよね。そこで武蔵野美術大学の図書室で雑誌を調べてみると、ドイツだとデュセルドルフの作家ぐらいしか出てこないんですよ。今でこそ、ドイツ国内のどこの美大でも現代美術の作家が教職に就いていますが、1982年当時では、デュッセルドルフぐらいしかいなかったんです。他の大学はオーソドックスで、もっとアカデミックなことをやっているようでした。というわけで、現代美術をやりたい人はみんなデュッセルドルフにやって来るような状況でした。

当初、ゴットハルト・グラウブナー(Gotthard Graubner, 1930–2013)という人を先生にと考えていたのですが、グラウブナーは、今、学生をとらないらしいという情報が入ってきて、それでリヒターに送ってみることにしました。図書館でリヒターについて調べてみたら、モノクロの写真と写真を描いたフォトリアリズムの作品、それから《エマ》と《カラーチャート》の図版が出てきて、何をやっている人か全くわからない(笑)。募集期日も迫っていたから、じゃあもう、この人に送ってしまえと思って。ほんとに偶然なんです。まあ、でもリヒター自身も言っているように、その偶然っていうのが大事とも言えるわけで。そうしてリヒターのクラスに入ることになりました。今になって考えてみると、その頃に限ってリヒターは留学生を受け入れていたんですよ。アメリカやイスラエルから来た人がクラスにいました。でも、こんなに長くいたのは私くらいでした。みんな半年か1年ぐらいで帰っちゃう。元から短期留学だった人もいたし、あと、先生と合わなくて辞めてしまうこともありました。そういうケースは結構あるんですよね。ドイツのマイスターシューラーというのは、徒弟制のなごりみたいなものだから、教授の権限がものすごく強いんです。教授がとると言えば入学できるし、教授がダメだって言えば追い出されちゃう。クラスのなかでも途中で先生を変えた人がいましたね。

桝田 リヒターのクラスには、何人くらいの学生がいたんですか?

渡辺 リヒターのところはおおよそ15人、他のクラスは大体30人ぐらいでした。当時、既にボイスはアカデミーにいなかったんですが、彼のところには300人ぐらいいたという噂を聞きました。当時、リヒターやギュンター・ユッカー(Günther Uecker, 1930–)といった先生たちは、なぜかみんな学校の外にクラスのアトリエを持っていたんですよ。リヒター教室は、以前、彼がアトリエとして使っていた場所で、デュッセルドルフ中央駅から5分のハルコルト通り(Harkortstraße)にありました。私たちのクラスのアトリエの上のフロアは、かつてブリンキー・パレルモ(Blinky Palermo, 1943–1977)のアトリエでした。これがその当時のクラス写真。これね、トーマス・ルフ(Thomas Ruff, 1958–)の撮影なんですよ。ルフのポートレート・シリーズで被写体にもなった学生がルフに撮らせようって。

リヒタークラスの集合写真 トーマス・ルフ撮影 写真提供:渡辺えつこ

桝田 学校に行くというよりは、クラスのアトリエに通う日々だったんですね。

渡辺 そうですね。学校にはお昼、食堂に行くっていう感じですね。リヒターのクラスに行くと、まずH型イーゼルと、マールヴァーゲン(Malwagen)、それからテーブルが渡されるんです。これが三種の神器です。リヒターの門下生たちは、卒業後もこれらのツールを用いて制作しています。彼はこういうシステムを考えるのがすごく好きなんですよ。東ドイツの美術学校時代のリヒターの記録写真を見る限り、このマールヴァーゲンと思しきものは、どうも映ってないようだから、リヒターはおそらく自分でこれを考案したのだろうと思うんですよね。

桝田 絵を制作する環境から整えるということですね。

渡辺 やっぱり、すごい合理的だと感じますね。

桝田 クラスのアトリエに行くと、当時15人ぐらいいらっしゃって、部屋でそれぞれが制作をしているということですか?

渡辺 そう。常時、大部屋に7人から8人ぐらいいて、別の小さな部屋では4人ぐらいが制作していました。ちょうど私が行ったときは、トーマス・シュッテ(Thomas Schütte, 1954–)はもう卒業していましたが、ルドガー・ゲルデス(Ludger Gerdes, 1954–2008)が卒業する直前ぐらいで、壁に壁画を描いていて。同級生がゲルデスの作品を説明しながら、彼が学生ながらドクメンタに出たことも教えてくれたから大変驚きました。

桝田 どういう授業だったのですか?

渡辺 リヒタークラスに行くと、まず静物画を描かされるんです。最初に対象物を描くことは他の世代の学生もさせられていたようです。私よりも前の世代は、そこから作品として展開してゆく上でコンセプチュアルな作品や写真をもとにして描いていた時代もあったらしいです。私の時代は、いわゆる新表現主義が盛んな時代で、写真を扱うのはあまり推奨されず、テーマをもって具体的な物や画像を描いたり、抽象化したりするなどの作品が多かったですね。自分でモチーフを置いて描き出したところでリヒターと話をします。すると「君、これはお決まりの静物画だ」などと言われて、自分のやろうとしていることがどんどんふるいにかけられていくわけです。リヒターの先生だったカール・オットー・ゲッツ(Karl Otto Götz, 1914–2017)の授業を聴講した人によれば、 ゲッツもやっぱり同じようなやり方をしていたそうです。そぎ落としてくんですよ。その年代の人はもしかしたらそういうやり方をよくやっていたのかもしれない。というのも、この前、ボイスのフィルム見たときに彼も同じようなことをしているんですよね。「君、この絵は1920年代だ」と言って、切り捨てていくんです。こんなふうに言われると、自分で何をやって良いかわからなくなってきます。リヒターという人はもしかしたら自分がゼロ地点に立ったことがある、東ドイツで受けた教育を捨てて、西ドイツで一からやり直したから、こういう教え方だったのかなとも思います。

リヒタークラスのアトリエ(大部屋) 渡辺さんのコロキウム展示風景(1985年ごろ) 写真提供:渡辺えつこ

リヒタークラスのアトリエ(小部屋)での制作風景(1986年ごろ)写真提供:渡辺えつこ

Rundgang での展示風景(1986年) 写真提供:渡辺えつこ

桝田 リヒターと会う頻度はどのくらいだったのでしょうか?

渡辺 リヒターは毎週、水曜日に来ました。少なくとも私の時代には毎週来ていました。その際、本やDMなど、色々なものを持ってきます。

桝田 授業には座学もあるんですか。

渡辺 いや、もう普通に来て、話して。それから、ごくまれにお茶を飲みに行くこともありました。授業然としたものではないです。色々な話をするんですけど、大概、絵の要素の話でしたね。教室でひとりひとりと作品の前で作品について語ったり、みんなとアート関係の話をしたり。年に1、2度、ひとりの学生の作品を展示して、クラス全体で討論する「コロキウム」がありました。リヒターはインタビューなどで語っていること、そのままの内容を言っていましたね。インタビューでも言っていた「図々しさ(Unverschämtheit)」という言葉を、彼は何度も言っていました。彼にとって図々しさは褒め言葉のひとつなんですよね。あとよく言っていたのは「極端な解決策(extreme Lösung)」。たとえば〈カラーチャート〉シリーズにしても、まずは色見本を描くことから始めて、その後しばらくして4900色に拡張しちゃうとかね。極端な解決策っていうのが大事なんだっていうことをよく言っていましたね。その他、もちろん、偶然性の重要性をよく口にしていました。偶然性を通して出てきた作品が作者を超えるんだって。作品は作家よりも聡明だと。

桝田 おしゃべりをしながらなんですね。

渡辺 ええ。ただ、インタビューなどを見てわかるように、饒舌な人じゃないんですよ。考えながら言葉を選ぶような感じですね。よく尋ねてきたものです。「君は、今、何読んでいるんだね」とか。ドイツ語には「you」を表すのに「Sie」と「Du」という言い方があって、「Du」は、非常に親しい言い方なんですよね。でもリヒターは、学生に対して絶対に「Sie」を使うんですよ。この「Sie」っていうのは日本人や英語圏の人にはちょっと慣れないと思うんですけど、非常に便利な言葉で、距離を置くニュアンスがあって、だからこそ結構図々しいことまで言えてしまえる。ドイツ人はディスカッションが好きで、辛辣なことも「Sie」を使いながら言うんです。リヒターは「最近、何の展覧会を見たか」といったことをよく聞いてきましたね。私がよく思い出すのは、「ナム・ジュン・パイクのモニターのなかに蝋燭が立っている〈テレビ・ブッダ〉を見ました。あれが良かったです」と私が答えたら、「そうだろう。 私も良いと思うんだ」って言ったことです。その後に蝋燭を描いた絵画が出てきました(笑)。既に描いていたから良いと言ったのか、それはいまだにわかりません。それから、あるとき「君たち、黒はどうする」って尋ねるんです。私は黒を使わなかったんですけど、黒に対して解決方法を出す学生もいる。そうしたら、しばらくしてリヒターの画面にも黒が使われだすんですよ(笑)。彼はおそらく自分のなかにある課題というか、どうしようかなって考えていることを学生に問いかけているんですね。それをまともに受けてやる人もいるし、やらない人もいた。それからリヒターが水彩を描いていた私のところに来て、「君はドローイングがうまくできないんだな」と言うから、「できないです」って返したら、「うん、私もできないんだ」って言うんです。そう言われてみると、1986年にデュッセルドルフ美術館で開催された、リヒターにとっての最初の回顧展でのカタログには、彼の鉛筆デッサンは数点しか掲載されていないですね。でも、その後、デュッセルドルフからケルンに引っ越した1983年あたりから彼は大量の水彩画を描いているんですよね。それらは1987年にアムステルダムのオーファーホランド美術館で開催された紙作品の展示でまとまって紹介されました。私にドローイングが苦手だと言った後ぐらいに試み始めています。彼自身も考えながら絵を作っているということがリアルに感じられました。

桝田 自分が考えていることを、学生に率直に投げかけていたわけですね。

渡辺 そう。ある年のクリスマスだったんですけど、「アカデミックな作家で誰がいいと思うか」と学生に尋ねていって、たとえば誰かが「フェルメール」なんて答えると、「それはなんとかだ」なんて返すんです。最後、私がたまたま雑誌でベラスケス特集を見ていたから、「ベラスケス」ですって言ったら、「ベラスケスは良いな」と。あとのインタビューでリヒター自身もベラスケスとマネは良いって答えていました。不器用であるが故に率直で、歯に衣を着せずにストレートにモノを言うので、学生も打ちのめされて、しばらくダメになっちゃう人とかもいたんです。

桝田 結構怖かったのですか。

渡辺 うーん。気難しい人と言えるかもしれないです。たとえば一緒に飲んでなぁなぁになるっていう人ではないです。盟友のカスパー・ケーニヒ(Kasper König, 1943–)とは対極のような人でしたね。ケーニヒって、やっぱりオーガナイザーだから話が面白いんですよ。一緒にいてすごく楽しいんです。リヒターはそういう雰囲気はなかった。しかし二人とも首尾一貫しているから気が合ったのかもしれないですね。もちろんリヒターも魅力的な人ではありましたよ。ただ、普通はそこまで言わないでしょというところまで、ストレートに言ってくるようなところがありました。

桝田 確かにそれは参っちゃう学生さんもいらっしゃるかもしれないですね。

渡辺 だから合わなくて、去っていった人もいました。でも、すごく良くしてくれました。私が学校を早く出なきゃいけない事態になっちゃったときがあって。リヒターに電話したら、ちゃんと対応してくれました。

桝田 渡辺さんは、82年から87年までアカデミーにいらしたんですよね。でも、マイスターシューラーを取得するのは85年ですね。

渡辺 それが問題だったんですよ。

桝田 早く取れてしまったってことなんですか?

渡辺 あるとき、リヒターが、「今年は誰がマイスターシューラーになりたいか」と言い出したんです。そのリストのなかに私が入っていたんです。「先生、私はいりません」と言ったら、「君は私のマイスターシューラーがいらないのか」って。「いや、私はもう少し長くいたいから、まだいりません」と言ったんですよ。でも、次の週には私がもうマイスターシューラーを取っていることになっていて。あわてて事務所に駆け込んで、リヒターに電話をして泣きついたんです。それで学籍を残すことができました。そういう人情味がある人でもあります。

桝田 1982年から2013年までドイツにいらっしゃったんですよね。そのなかでリヒターという作家の位置づけがドイツ国内においてどういう風に変わっていったと思いますか。

渡辺 1982年の段階ではリヒターとゲオルグ・バゼリッツ(Georg Baselitz, 1938–)が二大巨頭という印象でした。どちらも東ドイツから逃れてきた作家。リヒターはアメリカの影響を受けていて、かたやバゼリッツはドイツの表現主義の延長みたいな感じでした。リヒターは60年代から良い画廊に入っていて、ある程度食べていかれたのと、かなり早いうちに教授にもなっていたから、ドイツ国内では結構安定した地位を築いていました。リヒターは常に一目置かれていた存在だと思います。アカデミーのなかで、私たちはケーニヒ・リヒター・シューラー(König Richter Schüler/王様リヒターの学生たち)みたいな言い方をされたこともありましたね。だけど、私がいた頃、アメリカではそれほどまだ認識されてない時代だった。それが変わっていくのが86年ぐらい?

桝田 北米での大規模巡回展は1988年ですね。

渡辺 1986年にデュッセルドルフ美術館でリヒターの回顧展が行われたとき、当時の館長が文章を書いています。ユルゲン・ハルテン(Jürgen Harten、1933–)です。学生たちがカタログをもらって読んで、そのうちのひとりが「先生、なんだか巨匠のカタログみたいですね」なんて言っていたぐらいの時代です。だから、こういう風になるとは当時は誰も思っていなかったですね。ところで、ロイ・リキテンスタインが1970年にデュッセルドルフのハインリヒ・ハイネ大学の壁にアシスタントと描いた大きなブラッシュストロークの壁画があるんです。リヒターはこういうものからも影響を受けていたのではないかと思います。

ハインリヒ・ハイネ大学構内にあるリキテンスタインの壁画

桝田 リヒターは意外と自分の目に入ってきたものを割と素直に取り込むタイプだった、ということでしょうか。

渡辺 そうですね。学生がリヒターに他の作家からの影響について聞いたときに、良いものは頭に残ってしまう、といったようなことを言っていました。こんな風に回答もすごくストレートだから、わかりやすいんですよ。リヒターの作品はわかりにくいって、しばしば言われていると思うんですけど、私は非常にわかりやすいと思う。少なくともアーティスト側からすればわかりやすいです。アトリエで描いていたとき、リヒターはしばしばピカソを引き合いに出して「美しいところを壊しなさい」とよく言っていたんですよね。対抗するものをぶつけていくというようなことを彼はしきりに言っていた。「ゲーゲンザッツ(Gegensatz)」という言い方するんですが。実際、そういう画面の作り方をするじゃないですか。対抗する要素をぶつけながら画面空間を作っていく。私自身もそういうものかと思って取り入れたんですが、日本に帰ってくると、日本の作家たちは画面の作り方が全然違うので、最近になってようやくこれはかなり特殊なリヒター独自の画面の作り方だということがわかりました。

 

[1] カーリン・トーマス『20世紀の美術:後期印象主義から新リアリズムまで』野村太郎訳、美術出版社、1977年

 

 

 

みるものすべてのほんとうの姿はべつなのではないか、と好奇心をもつからこそ、描くのです 林寿美[インディペンデント・キュレーター]

ゲルハルト・リヒターはその作品の多様性ゆえ、キュレーターが展示に頭を悩ませる作家のひとりである。画業を振り返る回顧展の場合、初期から晩年まで編年により作品を並べるのが一般的だが、リヒターについてはそうしたところで、具象的なイメージと抽象絵画、写真やガラス作品が混在して現れ、そのスタイルに一貫性を見つけることは容易ではない。とらえどころのない作家像に戸惑う人もいるだろう。
 しかしそれは、目に見える姿だけに着目しているからにすぎない。リヒターの作品には通底するテーマがあり、彼の関心は終始一貫している。それは、偶然そこに映し出されたイメージ(図像)を表すことであり、そのためのツールのひとつが「写真」だった。初期の〈フォト・ペインティング〉では新聞や雑誌の写真をモティーフとし、後には、自作の絵画を被写体にして写真作品を作り(《ルディ叔父さん》《ビルケナウ(写真ヴァージョン)》)、油彩を施す地の画面としてスナップ写真を用いている(〈オイル・オン・フォト〉)。そして写真にくわえてもうひとつ、1960年代から使い続けているものがある。ガラスや鏡だ。それらは、写真のように固定化した図像ではなく、常に変わりゆく現象としてのイメージを目の前に直接差し出してくれる。作家が何ら手をくわえずとも、だ。

図1:会場風景 左から《グレイの鏡》、《ビルケナウ》
撮影:木奥惠三 © Gerhard Richter 2022 (07062022)

リヒター自身によって構成された本展の会場は8つのセクションに分かれ、制作時期やスタイルは違えど、各空間で互いに響き合うような組み合わせで作品が展示されているが、実は、ガラスや鏡の作品がきわめて重要な位置に置かれている。まず会場に入って真正面に見えるのが《8枚のガラス》。反射率の高いアンテリオ・ガラスを用いた同作は、正対すると周囲の世界をぼんやりと映し込むだけで沈黙のなかに存在しているようだ。そこでふと左の方に目をやると、隣の部屋の奥に巨大な《グレイの鏡》があり、その鏡面上に連作《ビルケナウ》が垣間見える[図1]。実作に先だって鏡の上の反映を見せるという仕掛けは、リヒターが映し出されたイメージを重視している証左であると同時に、わたしたちが時に実像より虚像に強く惹きつけられるという事実をも明らかにするだろう。《ビルケナウ》の部屋を出てすぐ右手、入口の両脇の壁には《鏡、血のような赤》とドイツ国旗の三色をガラスに施した《黒、赤、金》がかかっている。つまり、《8枚のガラス》とこれら2点は三角形を描くように配置されて、会場に足を踏み入れた鑑賞者を取り囲み、気づかぬうちにその姿を鏡面に映し出すのである。

図2:会場風景 左《1945年2月14日》
撮影:木奥惠三 © Gerhard Richter 2022 (07062022)

 さらに進んで次の部屋では、《鏡》の上に《4900の色彩》と2点の〈グレイ・ペインティング〉が相次いで現れて両者の関係を問う。そしてそこを出ようとすると、先ほどとはがらりと表情を変え、傾いた《8枚のガラス》に周囲の景色の断片が繰り返し映し出されて目を眩ませるだろう。続く、〈フォト・ペインティング〉の小部屋には、爆撃されたケルンの町の航空写真をアンテリオ・ガラス越しに見る《1945年2月14日》が紛れ込み、紙の上に記録された過去とガラス面に映る現在を繋ぐ[図2]。また、《モーターボート(第1ヴァージョン)》と《グレイの縞模様》の間でぼんやりと世界を映す《アンテリオ・ガラス》は、リヒターの作品が写真と絵画、具象と抽象のあわいに存在することを示唆し[図3]、グレイのガラスを額縁に入れて絵画のように見せかけた《鏡、グレイ》は、そばにある《ルディ叔父さん》と《8人の女性見習看護師(写真ヴァージョン)》とともに、絵画、写真、鏡像を含むすべてのイメージが幻影であることを伝えてくれる。

図3:会場風景 左から《モーターボート(第1ヴァージョン)》、《アンテリオ・ガラス》、《グレイの縞模様》
撮影:木奥惠三 © Gerhard Richter 2022 (07062022)

 最後に登場する《9月》は、2001年9月11日、ニューヨークのワールド・トレード・センターに飛行機が激突した写真をリヒターが絵に描き、それをデジタルプリントにした作品であるが、2枚のガラスに挟まれることで、絵具で掻き消されて奥行きを失ったイメージはさらに薄っぺらな存在となり、瞬時に消え去ってしまうような儚さすらそなえている。そうしてみれば、本展は徹頭徹尾、ガラスと鏡に導かれるように仕組まれていることがわかる。いや、この会場だけでなく、リヒターの制作そのものを導いてきたのがガラスと鏡なのである。

我々がみている現実をあてにはできません。人がみるのは、目というレンズ装置が偶然伝え、そして日常の経験によって訂正された映像だけなのですから。それでは不十分であり、みるものすベてのほんとうの姿はべつなのではないか、と好奇心をもつからこそ、描くのです。1

目に見える世界の不確かさを確かめるように、ガラスと鏡はそこにある。

 

1 ぺーター・ザーガーによるインタヴュー(1972年)より。『増補版 ゲルハルト・リヒター 写真論/絵画論』清水穣訳、淡交社、2005年、28頁。

 

 

開催概要

会場:
東京国立近代美術館 1F企画展ギャラリー
会期:
2022年6月7日(火)~ 2022年10月2日(日)
休館日:
月曜日(ただし7月18日、9月19日、9月26日は開館)、7月19日(火)、9月20日(火)9月27日(火)
開館時間:
10:00-17:00(金曜・土曜は10:00-20:00)
9月25日(日)~10月1日(土)は10:00-20:00で開館します
*入場は閉館30分前まで
チケット:
チケットの詳細・購入方法は展覧会公式サイトをご確認ください。
観覧料:
一般  2,200円(2,000円)
大学生 1,200円(1,000円)
高校生  700円(500円)
*( )内は20名以上の団体料金。いずれも消費税込。
*中学生以下、障害者手帳をお持ちの方とその付添者(1名)は無料。それぞれ入館の際、学生証等の年齢のわかるもの、障害者手帳等をご提示ください。
キャンパスメンバーズ加入校の学生・教職員は、学生証・職員証の提示により団体料金でご鑑賞いただけます。
*本展の観覧料で入館当日に限り、所蔵作品展「MOMATコレクション」(4-2F)もご覧いただけます。
主催:
東京国立近代美術館、朝日新聞社
後援:
ドイツ連邦共和国大使館、ゲーテ・インスティトゥート東京、在日ドイツ商工会議所
特別協力:
ゲルハルト・リヒター財団、ワコウ・ワークス・オブ・アート
協力:
小川香料ホールディングス、ルフトハンザ カーゴ AG、岡建工事
美術館へのアクセス:
東京メトロ東西線竹橋駅 1b出口より徒歩3分
〒102-8322 千代田区北の丸公園3-1
詳しくはアクセスマップをご参照ください。

巡回:
豊田市美術館:2022年10月15日(土)~2023年1月29日(日)

プレスリリース