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工芸館石川移転開館記念特集 現代の眼 オンライン版 新しい工芸館

唐澤昌宏 (国立工芸館長)

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東京国立近代美術館工芸館は2020(令和2)年10月25日、通称を国立工芸館(NCM)として、皇居のほとり北の丸から、工芸のまち石川県金沢市の本多の森に移転し、新たなスタートを切った。

この移転は、地方創生施策の一環として、東京一極集中を是正する観点から政府関係機関が地方への移転を検討する中で、石川県が東京国立近代美術館工芸館を誘致したいとする提案により実現した。当初は2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会の開会前の7月中旬に移転開館する予定であったが、新型コロナウイルス感染症拡大の影響により開館が延期となり、木々が色づく季節になった。

移転した場所は、日本三名園の1つ兼六園の目と鼻の先で、金沢市内の文化ゾーンとしても知られる兼六園周辺文化の森の中にある本多の森公園。周りには石川県立美術館や石川県立伝統産業工芸館(いしかわ生活工芸ミュージアム)など、工芸・美術に関連する美術館や博物館などの施設のほか、金沢城などの文化遺産も多数あり、まさに「工芸のまち」のど真ん中になる。

そもそも東京国立近代美術館工芸館は1977(昭和52)年に、東京・北の丸公園に開館した日本で唯一の工芸を専門とする国立美術館である。陶磁、ガラス、漆工、木工、竹工、染織、金工、人形、そしてデザインなど、全国各地から集められた明治以降の秀作を収集・保管し、40年以上に渡り東京国立近代美術館の分館として展示事業や教育普及事業などを通して、国民に工芸文化の素晴らしさを紹介してきた。

1977年の開館以来のこうした活動は、1976年9月に発表された「工芸館(仮称)設置基本構想」に基づいて行われており、基本的には石川・金沢への移転後も変わらず継承されている。

この基本構想には、「近代および現代における工芸について、調査研究を基礎とし、その優秀な作品ならびに関連する重要な資料を収集し、保管し、展示し、併せて普及広報活動を行うことにより、工芸の作家および研究者の研究に資し、工芸に対する国民の理解を深めるとともに、わが国工芸に対する世界の人々の関心を高めることを目的とする」とうたわれている。このことは構想の段階から、近代から現代にいたる工芸の収集と保管、展示、調査研究、広報普及が一体となった事業の展開を目指してきたことを示している。また、当時の安達健二館長が新聞記者の取材で答えた「伝統工芸にかたよらない、現代工芸の殿堂にしていきたい」とする言葉にも、工芸館の工芸に対する想いが表現されている。このような開館当初から続く、国内外の工芸界の多彩な傾向に対応しながらバランスのとれた活動を行っていく考え方は新たにスタートした国立工芸館も変わらない。

旧工芸館(現在の名称は「東京国立近代美術館分室」)は、明治時代に建てられた歴史的建造物、旧近衛師団司令部庁舎を活用した施設であった。そして、国立工芸館の建物も、明治時代に建てられた旧陸軍第九師団司令部庁舎(1898年建造)と旧陸軍金沢偕行社(1909年建造)を、石川県と金沢市が移築・整備して活用されている。旧司令部庁舎は執務室として、また旧偕行社は将校の社交場として使われていたというが、国立工芸館ではそれぞれを展示棟と管理棟として使用しており、2つの建物の間には新たにガラス張りのエントランスを設けている。建物の窓枠などの外観は改修に伴う調査で判明した建設当時の色が再現されており、往時の姿を今に伝えている。

展示棟の1階と2階には、所蔵作品展や企画展を行う展示室が3室と、テーマを持った展示スペースが3室ある。一方、管理棟の2階には旧工芸館には無かった多目的室を3室設け、講演会やレクチャーをはじめ、各種イベントなどにも対応できるようになっている。

(『現代の眼』635号)

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