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現代の眼 オンライン版 展覧会レビュー 「近代工芸と茶の湯のうつわ」展によせて

新里明士 (陶磁器作家)

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本展は国立工芸館の石川移転開館記念展の第三弾として、茶の湯における四季のとり合わせを展示の中心に、近代以降の個人作家の作った茶道具が200点以上出品されている展覧会である。工芸館に収蔵されている作品が出品作の中心ではあるが、現代の若手作家の作品もあるので、近代~現代までの作家の茶道具への取り組み方も見ることができる。

展示の中核を為すのはとり合わせであるが、担当した学芸員の目を通したある意味主観的なとり合わせを見ることができるので、鑑賞した人は「自分だったらこうするな」などと考えながら楽しめる内容となっている。ややもすると教条的に捉えられがちな茶の湯のうつわでも、季節のとり合わせという切り口で、しかも身近な現代作家の作品を並列することによって、より鑑賞者の想像可能な心理的距離に近づくことができるのではないだろうか。

そういった美術館、茶の湯、鑑賞者といった関係を近づけるための試みとして、本展ではQRコードで情報を読みとることで近現代の銘碗15点が3D画像で見ることができた。この3D画像では画面上の操作で作品を360°見ることが可能で、高台の裏側、茶碗の正面ではない面、展示ケースからは覗きづらい見込みの部分など、まるで茶席の拝見の時のように回す操作で見ることができる。また茶碗自体の色を全て取り除いた状態の画像にもなるので、轆轤目や土の削り、釉の垂れ具合などがはっきり識別できた。私自身が制作者でもあるので、このことはとても新鮮かつ良い勉強になった。美術館の作品はふれることができないという問題の根本的な解決になるとまでは言えないが、さまざまな技術を使って作品を解説しようという試みはこれからも続けていってもらいたい。コロナ禍が終わって、茶会やタッチ&トークなども同時に行うことになれば、作品への理解がより重層的・多角的なアプローチになり、より深い日本工芸文化の教育普及へとなるのではないだろうか。

以下、個人的に興味深かった展示を2点ほど挙げたい。
まず、“芽の部屋”のしつらえである[図1]。この“芽の部屋”は名誉館長の中田英寿氏が全面的にプロデュースしている。彼にとっては初めての美術館での展示プロデュースであるという。ミヒャエル・ボレマンスの軸、ルーシー・リーの茶碗、志村ふくみの座布団など、現代的な感覚でとり合わされていた。特にボレマンスは昨秋の21世紀美術館での展覧会(2020年9月19日〜21年2月28日、「ミヒャエル・ボレマンス マーク・マンダース|ダブル・サイレンス」)の印象もまだ鮮やかだったので、彼の手による水墨画風の軸はとても興味深く、また、近隣の美術館との連携の可能性も感じられた。茶室の空間自体も照明をかなり落とし、金沢の四季の木漏れ日の映像が床に照射されていたりと、印象に残る空間構成になっていた。

もう1点は漆芸家の音丸耕堂の作品である[図2]。近代以降の陶芸家による茶陶作品は、個人的な感覚としては個性が強いものが多く、作品としては良いが、とり合わせに苦労するだろうと感じる作品が多い。音丸耕堂の作品は、彼の造形センスによるところかその技法の特性によるかはわからないが、いろいろな場面でのとり合わせが想像できる、とてもモダンな瀟洒な優品であった。これまで音丸耕堂の作品をまとめて見ることがなかったので、今後たくさんの作品を見てみたいと感じた。このように素材の異なる作品が同じように並べられるのも、近代以降の茶の湯というテーマに絞った良い点であろう。日本の工芸を近代から現代まで俯瞰するという視点に、一本“茶の湯”という軸を通すことで、鑑賞する側としては見やすい構成に感じられ、より能動的に展示を見ることができるのではないだろうか。

前回の「うちにこんなのあったら展」と同様に、本展も鑑賞者に寄り添う姿勢が見られる企画であったと思われる。この姿勢はバランスが難しく、ややもすると鑑賞者におもねるような企画になってしまうこともあろう。しかし、日本の文化の中心を為す工芸というジャンルが、現代の人の生活から離れてしまいつつある昨今の状況では、こうした試みはとても重要である。国立工芸館はその恵まれた立地もあるので、今後も工芸、美術館、鑑賞者など、さまざまな境界を越えられるような意欲的な企画を期待している。

(『現代の眼』636号)

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