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現代の眼 オンライン版 展覧会レビュー 伝統工芸のある未来

マルテル坂本牧子 (兵庫陶芸美術館学芸員)

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東京国立近代美術館工芸館が、日本きっての工芸都市である石川県金沢市に移転すると聞いた時はとても驚いた。しかし、工芸というものが本来、持っている特性や成り立ちを考えると、なかなか面白い展開でもある。工芸とは、その土地の風土に根ざしたものであり、そこで育まれた自然の素材と技術から生み出され、人々の生活に寄り添いながら、それぞれの時代の求めに応じて発展してきた。そして、その多くは地方にある。移転のきっかけは、国の地域創生施策の一環であったかもしれないが、通称「国立工芸館」とその名を改め、ここから日本の現代工芸を俯瞰しつつ、新しい時代の新しい工芸を新しい価値観で捉えていく、そんな未来の姿(希望)がちらりと覗く。移転後、初めての陶芸展となる「未来へつなぐ陶芸—伝統工芸のチカラ展」は、まさに時機を得た、そして、待望の展覧会であったのではないだろうか。

本展は、日本工芸会において最大会員数を誇る陶芸部会が2022年に活動50周年を迎えることを記念して企画されたもので、私が勤務する兵庫陶芸美術館を含む全国8か所の美術館を巡回する。日本工芸会は、1950年に制定された文化財保護法が、1954年に一部改正され、翌1955年に重要無形文化財保持者(人間国宝)の認定制度が始まったことを機に発足した。選定基準が「衰亡の虞のあるもの」から「(一)芸術上特に価値の高いもの (二)工芸史上特に重要な地位を占めるもの (三)芸術上価値が高く、又は工芸史上重要な地位を占め、かつ、地方的特色が顕著なもの」[1]へと改変されたことで、技術だけでなく、優れた芸術性と新しい表現が求められるようになったことが、何より大きな転機となった。「伝統工芸」という言葉は、言葉の持つイメージに反してじつは比較的新しく、戦後、日本伝統工芸展を中心に活動する日本工芸会の会員たちの精力的な活動を通して定着してきたものである。伝統というと、どうしても古臭いイメージが拭えないが、根幹にあるのは「革新」、つまり、時代ごとに新しいものを加え、いかに「未来へ繋ぐか」という大きな使命を擁する。本展はまさにそのことを明らかにしようとするものである。

本展の構成は3章立てで、各章にコラムが2つずつ入る。伝統工芸の「確立」、「展開」、「未来」を緩やかに追いながら、日本工芸会と勢力を二分してきた日展の「創作陶芸」、1955年に陶芸分野で初めて認定された「重要無形文化財保持者」、「産地と表現」、「茶の湯のうつわ」、「素材と表現」、「新たな技法とうつわのかたち」というテーマに沿って選ばれた作品をコラムに挟み、伝統工芸の成り立ちや転換期、未来を予感させるような革新的な造形をより浮き彫りにしようとしている。137名の作家による139点の作品が一堂に会するとじつに圧巻で、何よりその美しさ、力強さ、多様さには驚くばかりである。しかし、一方で、これまで順守されてきた伝統工芸のいわば「不文律」による、一様の清廉せいれんさが気になりもする。一つ一つの作品を見るとどれも生き生きとして素晴らしいが、ずらっと一列に並んだ時に感じる「規格が揃っている」という印象。じつは、そこに揺さぶりをかけようとするのが本展の一つの意義ではないだろうか。それは、改めて「伝統工芸とは何か」を再考することでもある。

しかしながら、エポックメイキングな作品というのは、一際、存在感を放つものである。「練上手ねりあげで」の技を極め、タブーとされる亀裂を造形に活かした松井康成の《練上嘯裂しょうれつ文大壺》(1979年)、伝統的な九谷焼の上絵の具を抽象表現へと高めた三代德田八十吉の《耀彩ようさい鉢 創生》(1991年)、産地ならではの問題を逆転の発想で打ち破り、新しい素材を創出した隠﨑隆一の《備前広口花器》(2012年)、彫刻的フォルムの洗練された美しさで圧倒し、伝統工芸のフォルムの常識を変えた和田あきらの《白器 ダイ/台》(2017年)など、いずれも伝統的な素材と技法を新しい発想でこれまでにない斬新な造形へと導き、伝統工芸の潮目を変えたと思われる代表的な作品である。これらはいずれも日本工芸会の中から生まれてきたものだ。会の外からは、丹波の市野雅彦、萩の十三代三輪休雪らの伝統的産地との向き合い方や、現代美術からも高い注目を集める新里明士、見附正康らの躍進が、伝統工芸へと照射するメッセージも合わせて読み解きたいところである。伝統工芸のある未来、その鍵はここにあるのではないかと思う。

(『現代の眼』637号)


  1. 重要無形文化財の指定並びに保持者及び保持団体の認定の基準(文化財保護委員会告示第五十五号)昭和五十年十一月二十日文部省告示第百五十四号 改正

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