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現代の眼 展覧会レビュー 鏑木清方、生活を描く

篠原聰 (東海大学ティーチングクオリフィケーションセンター准教授)

没後50年 鏑木清方展|会場:企画展ギャラリー[1階]

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〔…〕私はよく頼まれて美人画というものを描きますけれども、この女人風俗を描くにしても、顔だけを描くんでは面白くないんですがね。昔の明治の小説ではないけれど、〔…〕夏の絵ならば浴衣。藍の香りの立つような浴衣。冬ならばちりめんのしなやかな手触り。そういうものがあるばやいにはね、描く本体の人物よりもその方に興味を感じて描くばやいがかなりありますよ〔…〕。

展覧会場の映像コーナーで聴いた鏑木清方、76歳の肉声である。「藍の香り」や「ちりめんのしなやかな手触り」と語るように、清方は視覚だけでなく嗅覚や触覚をも大切にして絵を描いていた。庶民の暮らしを肌で感じ、日常の生活感情に微細な趣味を示した画家は、清方をおいて他にいないだろう。本展の眼目は、まさにこの点をクローズアップしたところにある。全体を通じて40代から5、60代の完成期の作品を中心に集め、清方のたしかな画力を印象づける展覧会でもあった。そして、清方が制作控帳に記した自己評価をキャプションに記載するなどの試みもユニークである。

清方の制作控帳は『作品おほゑ』2冊、『作品日誌』、『作品控』の4冊が知られている1。画題、材質、制作年月、制作の依頼者、画意・図様等の情報を墨書し、自らの制作活動の備忘録としたもので、期間は大正7(1918)年1月から昭和6(1931)年4月まで。空白期間も一部あるし、全作品を網羅しているわけではないが、『作品日誌』以外の3冊には、〇普通の出来栄え、⦿やや会心の作、◎会心の作の3段階の自己評価が記されており、自作に対する清方の当時の評価などが素直に伝わってくる(本展での表記は☆まあまあ、☆☆やや会心の出来、☆☆☆会心の出来)。

試みに『作品おほゑ』2冊と『作品控』を通覧すると作品数485点のうち会心の作は16点と案外少なく、本展では《遊女》《ためさるゝ日(左幅)》《春の夜のうらみ》の3点が出陳された。泉鏡花の小説『通夜物語』の花魁丁山を描いた《遊女》や歌舞伎舞踊『京鹿子娘道成寺』を描いた《春の夜のうらみ》など、小説や芝居が大好きだった清方がそれらを題材とした作品を会心の作に選んでいるのも肯ける。本展東京会場の第2章「物語をえがく」のテーマである。清方が会心の作とした品のなかに半切などの小品が多く含まれていたことも意外だった。卓上芸術に連なる系譜で、こちらは本展第3章「小さくえがく」のテーマでもある。

30年ぶりの公開となった《ためさるゝ日(左幅)》は踏絵をめぐり逡巡する女性の複雑な心情を描いた作品である。会心の作のなかで同時代の金鈴社や帝展などへの出品作に該当するのが本作以外に《遊女》と《春の夜のうらみ》であることに気づくと、この2作は小説や芝居を題材としているが、いずれも描かれた人物の心理や感情の動きまでをも描き切ろうと清方が試み、その手ごたえに満足していたとみることも可能だ。若き日に挿絵の仕事で物語世界に住まうヒロインを生き生きと描いていた清方にとって、自分が描く人物は、本画タブローであっても絵のなかで生活しているかのように、生き生きと描き切れなければ納得がいかなかったのだろう。そして、その延長線上に本展第1章の「生活をえがく」というテーマが繰り広げられている。

昭和初期に清方は「社会画」を提唱し、日雇い労働者の簡易宿泊所で展覧会を開催したりもしていた。そして「社会画」にとって代わるかのように「生活」という言葉が清方の発言や文章に頻繁に登場するのは昭和10(1935)年頃からである。市井の穏やかな暮らしに戦争の暗い影が忍び寄っていることを肌で敏感に感じとっていたことも、清方が「生活をえがく」ことを大切にした事由の一つだったのだろう。それは人々のかけがえのない日常の生活が失われつつあった同時代社会に対する清方流の警鐘でもあったはずである。自分自身の真の生き方、暮らし方をしてそこから自然と人生を見つめたいと清方が内省し始めるのも同じ頃である。

昭和3年から8年にかけて、大礼記念の献上屏風として岩崎家の依頼で清方が制作した《讃春》は左隻に隅田川の水上生活者を描いた異色作である。社会の底辺で逞しく生きる水上生活者の母子のまなざしが今でも私の瞼に焼き付いてはなれない。バケツに咲き匂う一枝の桜を飾り住まいの小舟に彩りを添える母子の姿から伝わってくるのは、普通の生活の大切さであった。ここでいう普通の生活とは、平均的とか退屈とかを意味するのではなく、地に足がつき真摯に現実の生活に向き合う、平凡で本物の人生のことである。清方さんの絵は、生きること、幸せとは何かについて、しずかに、力強く、今を生きる私たちに問いかけてくる。

尚、大規模な回顧展としては45年ぶりの開催となる京都会場では編年順に清方芸術の展開を紹介するという。美人画家のイメージがついてまわる清方が、狭い美人画の領域に安住せず作域を広げようとしていたこと、美術を大衆へ開くための方途を模索していたことなどがよく伝わってきた東京会場でのテーマ別の展示構成との対比が楽しみである。

  1. 『鏑木清方画集 資料編』(ビジョン企画出版、1998年)所収。尚、控帳の作成時期は、それぞれ大正7年1月から同10年12月、大正11年1月から同14年6月、大正15年1月から昭和4年2月、昭和6年1月から4月まで。

『現代の眼』637号

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