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現代の眼 新しいコレクション 青木野枝《雲谷2018–Ⅰ》2018年

成相肇 (美術課主任研究員)

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青木野枝(1958–)《雲谷2018–Ⅰ》2018年、鉄、207.0×163.4×150.0 cm、令和3年度購入、撮影:大谷一郎

厚みのある鉄板の上に、いくつもの円形を石筆で描き込み、バーナーでそれらをくり抜き、溶接して組み上げる。かつて青木野枝の公開制作を見て、編み物のように線が反復しながら構築されていく様に魅了されたのを覚えています。線描がそのまま彫刻になることの驚き。点や線や面であったものが重力に逆らって起き上がり、飛躍的に空間化するのです。青木による空隙の多い彫刻は、素材を露わにしながらも、鉄に備わっていたはずの荒っぽい質感、強固な厚み、ずっしりした重量からすっかり自由です。それはいわゆる構成彫刻の原理——モデリング(塑像)やカーヴィング(彫像)によって量塊を表すのではなく、接続によって遠心的に伸びていく——が導き出す最たる特徴です。

青木は、1970年代末の学生時代から鉄を素材に選びつつ、光や水蒸気といった、鉄とは対照的な、質量を持たないものや移ろいゆく現象をモティーフとしてきました。ここで、光や水蒸気を表すことを目的としているというより、制作のプロセス自体がそれらのモティーフを想起させる点が重要でしょう。青木の作品を見ていると、平面/立体、大/小、軽/重、剛/柔、粗/密といった分け隔てが留保され、その境界を行き来するように感じられるのですが、それはもともと、制作の方法に織り込まれていた特徴なのです。手元のドローイングから彫刻への変身。制作過程と作品体験が合致し、作品を見ることがそのまま、作品の成立原理に立ち会うことになる。これこそが青木の作品のおもしろさではないでしょうか。  

2002年から始まる「雲谷」シリーズに関して、作者は次のように語ります。「雲谷(もや)とは青森にある山の名前です。彫刻を設置した後、周りは霧のような靄がかかり先が見通せないくらいになった。けれど山を降りると町は晴れているのです。その時、もやのような彫刻をつくりたいと思った」1、「空気中の水蒸気のように、あるいは、放射能のように、見えないものを積んでいきたいと思った」2。特定の環境でしか現れない出来事や「積んでいく」というプロセスが念頭に置かれていることは示唆的に思えます。「雲谷」というタイトルは、かつて滞在制作した山の名に因むとともに、靄の意であり、同時に煙などが立ち込める様を指す擬態語「もやもや」も含意するでしょう。周囲の空間を取り込みながら、もやもやと伸び上がる構成彫刻の運動的な妙味をお楽しみください。

  1. 「作家のことば」『青木野枝 ふりそそぐものたち』展図録、長崎県美術館、2019年、60頁
  2. 「「熊と鮭に」を終えて」『雲谷–Ⅱ』展パンフレット、熊玉スタジオ、2003年

『現代の眼』638号

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