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現代の眼 展覧会関連 「模写と対話で考える」ことの可能性

瀬尾夏美 (アーティスト)

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関東大震災から100年が経つ。過去の巨大な災禍を記録/記述した数多くの資料から、わたしたちは何を知り、対話し、これからにつないでいけるだろうか。
とくに今年に入ってからは、さまざまな場所と方法で検証と議論が活発に行われているけれど、今回は美術館という場所で、実際に100年前に描かれた作品群を目の前にしてできることを実践してみたい。

「模写と対話で考える関東大震災」というシンプルなタイトルを冠したこの企画は、所蔵作品展「関東大震災から100年」の関連企画として、展示の担当をされた研究員の横山由季子さんと話し合ってつくったものだ。
はじめは、「てつがくカフェ」1のような言葉による対話形式の場を検討していたけれど、巨大地震とそれによって引き起こされた猛烈な火災、津波、そして民衆の集団心理の暴走から、特定の人種や思想を持つ人びとへの虐殺行為があった複合的な大災害について、短い時間で直接話し合うのは難しいことのように思えた。そこで、まずは参加者それぞれが自分の視点を見つける時間を持ち、そのうえで話せるような流れをつくりたい。
何より、横山さんに計画段階の展示室の図面を見せてもらって、展示構成と作品についての解説を聞かせてもらったとき、わたし自身は東日本大震災発災から復旧・復興、そして現在への変遷を思い浮かべながら理解しようとしていて、そのプロセス自体が面白かった。

白壁の展示室。壁には水彩画がかけられている。資料を展示する台が3つある。
会場風景(3室)|撮影:大谷一郎|左手前は十亀広太郎の水彩画

たとえば、十亀広太郎のスケッチにある燃え残った木の姿は、陸前高田の「奇跡の一本松」と重なったし、今和次郎らが関わった「バラック装飾社」がつくった光景を思うと、なぜわたしはあの味気ない仮設団地に色をつけなかったのだろう、と過去の自分を反省する気分になったりもした。また、関東大震災後の華やかなりし“帝都復興”によって江戸情緒が残る風景が塗り替えられて、その陰で過度な労働が発生し、格差が広がり、プロレタリア運動に合流する作家が多数いた(またその動きが弾圧され、戦争へとつながっていく)ことが示されると、これからのわたしたちが辿る道筋を見ているようにも思えてドキリとする。

白壁の展示室。真ん中にはベンチ。右壁には油彩画。左壁には版画が展示されている。
会場風景(4室)|撮影:大谷一郎|左手前は小野忠重の木版画、右手前は望月晴朗《同志山忠の思い出》1931年、東京国立近代美術館蔵

100年前と現在を重ねるには、ふたつの時代の社会背景や生活感覚の違いを学び、そのうえで慎重さや謙虚さを持って想像力を働かせる必要がある。けれど、もしそれを数人で行える場がひらけたら、さまざまなおしゃべりができそうな気がしてわくわくする。
美術館にあるのは、かつて災禍を生き抜いた作家たちが描いた作品群である。それらが描かれた背景を知り、あらためて作品の細部をよく見ることからはじめたい。

ということで、実際のタイムスケジュールはこのようにした。
・展示室内で横山さんから展示の概要と個々の作品紹介をしてもらう
・参加者それぞれが好きな作品を選んで模写をする
・描いた絵を美術館のガラス窓に貼り付け、簡単なキャプションを添えて展示する
・互いに鑑賞する
・ひとりひとりが自作を解説する
・自由におしゃべりをする

資料代の周りを多くの人間が取り囲んで中央の女性の話を聞いている。

当日、夜間開館中の展示室の入り口には、幅広い年齢層の参加者が集まった。ほとんどが初めましての間柄だけれど、互いにちょこちょこと挨拶を交わしている。全員が揃ったところで、プログラムの流れを共有し、それぞれちいさなクリップボードを持って展示室に入る。
横山さんからの解説を聞く参加者たち。開館中のため、他の来館者たちも耳をそばだてている。
最初の展示室には、ちょうど100年前、関東大震災当日に展示されていた絵画が並んでいる。次は、焼け跡を描いたスケッチや資料が置かれた一角。日本画家たちは破壊によって失われる前の風景を描いた組物を、かつての東京を懐かしむよすがとして、複製画帖として刊行している。一方で、洋画家たちは巨大な破壊から受けた衝撃そのものから、あたらしい技法とイメージを編み出していく。“帝都復興”のイメージをビジュアライズする版画。あたらしい街並み。プロレタリアへ。労働者や群衆を描く版画や油絵たち。
ひととおりのギャラリーツアーが終わった後は、それぞれが好きな作品の前に立ち、模写をする。開館中の展示室に、絵を描いている人がいる光景そのものがとてもいいと思った。描くという方法でしか得られない、鑑賞体験というものがある。最初は怖い絵だと思ったけれど、よく見るとこの人物は微笑んでいる。こんなところまで微細に描き込んでいる。迷いのある線、勢いのある筆跡を見つける。何度も絵の具を重ねた跡もある……

油彩画の前で、女性が模写している。

そうして完成(するにはだいぶ時間が足りなかったけれど)した作品に簡単なキャプションを添えて、展示室を出た廊下のガラス窓に貼り付け、即席の展覧会にした。みなで鑑賞しながらあれこれ感想をつぶやく時間。

窓越しに夜景が見える。窓ガラスに模写した絵を貼って、多くの人が眺めている。

作品はどれもすばらしかったけれど、いくつか書き留めておく。
近藤浩一路の「鵜飼六題」を取り上げた人は、「今回の企画は関東大震災の前と後という設定で、この絵は関東大震災の前に描かれたことになっている。けれど、もしかしたら他の災禍の“後”や“はざま”の風景かもしれない」と言う。鵜飼のほのぼのとした光景に、ぶあつい時間と営みが想像できる気がした。
長野草風《「東都名所」より 金龍山》を描いた人は、「いまの浅草からは東京スカイツリーが見えるけれど、当時は浅草十二階が見えたのだなと思いました」と言う。きらきらとした東京の夜景が見える窓に展示されたことも相まって、100年の時間が伸縮し、ふたつの風景がぴったりと重なるように思えた。

資料台の中に展示されている日本画を女性が模写している。

藤牧義夫の《都会風景》を描いた人は、「展示されているのは当時から活躍していた男性作家のものばかりで、女性や子どもの感覚が知りたかった」「発災当時12歳だった藤牧さんは、前と後という感覚がなく、震災をただネガティブに捉えているわけではなかったのではないか」と言う。実はわたし自身、東日本大震災当時子どもだった人たちこそが、震災の影響を強く受けて人生を歩んでいくのでは、という仮説を立てているということもあり、なるほどなあと頷いて聞いた。大人たちが“前後”という区切りで単純化して捉えていることを、原風景としてまっすぐに受け入れていく子どもたちのこれからを思う。
橋本静水の《「東京名所」より 堀切》を選んだ人はふたりいたが、そのうち福島県の内陸部出身だという人は「被災前の菖蒲園が、震災後の浪江町の風景と重なった。震災前の姿を取り戻すことだけが復興なのだろうか?などと考えてしまうけれど、自分は傍観しているだけという感覚もある。答えがないまま描きました」と語った。描くという時間が、自分にとって大切な場所を思う時間になることの豊かさを思い出した。
望月晴朗の《同志山忠の思い出》を描いた人もふたりいたが、そのうちのひとりは、演説家が撒いた紙を赤いマスキングテープで彩った。「人物たちの表情が面白かったのと、赤と緑という色彩の対比によって、作者が描きたかったことが伝わるようになっていると感じた」という。模写を通じて、その意図を伝えようと作者が用いた技法や工夫に気がつくことができる。

発表の後はすこしだけ時間を設けて、それぞれに感想を伝え合ったり、質問をしたりした。初めて出会った者同士でも、似た感覚を持っていることを楽しんだり、自分にはない視点や知識に驚いたりできる。
関東大震災を生き延びた作家たちの残した作品を通して、現代を生きるわたしたちが出会い、話し合う。もっとじっくり時間が持てればより対話が深まっただろうな……という心残りはあるけれど、また次の機会にきっと。
わたしとしては、展示室を使って人びとが語らう時間がもっとたくさん生まれてほしいなあと願っている。模写をする人たち、話し合う人たちが展示室にいる光景は、それだけでとても創造的だった。

  • 1 東日本大震災後、せんだいメディアテークで2011年6月18日から定期的に開催されている企画。当たり前だと思われている事柄について問い直し、参加者同士が対話を重ねることで、考えることの難しさや楽しさを体験する場を設けている。

『現代の眼』638号

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