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現代の眼 展覧会レビュー 「女性と抽象」展からはじまる

中嶋泉 (大阪大学大学院文学研究科准教授)

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近年、美術館のコレクション展や常設展に、女性アーティストの作品が並ぶようになった。フェミニズム的関心やジェンダー公正の必要性から、これまで周縁化されてきた人々の創造性へ光があてられている。じっさいに国立美術館の顔である常設展に変化が生まれれば、美術の理解と歴史に相当の変容がもたらされるだろう。「展示」そのものは入り口にすぎない。本展は、分野や役割の異なる6名の学芸員によって考案され、1940年代から2010年代の16人のアーティストの作品を、三章をつうじておおむね時系列に並べることで構成されている。しかしここで示されるのは「女性による抽象芸術の歴史」でもなければ、「女性による抽象の三つの特質」でもない。そうではなく、抽象という芸術領域や概念と女性を結びつけるときに見えるものを暗示し、個別の観察、さらなる調査、考察を引き寄せ、作品の理解を新たにするきっかけを差し出しているのである。

有名なアルフレッド・バー・Jr.の相関図を思い出すまでもなく、抽象芸術は従来、男性を中心とする美術家や評論家によって発展、構想され、モダンアートのある到達点として美術史に書き込まれてきた。他方で、1970年代の女性解放運動と同時に発生したフェミニスト・アートはパフォーマンス・アートやコンセプチュアル・アートなどの、身体を巻き込み、芸術の自律性を批判する方法を重視したため、抽象芸術と女性の関係はフェミニズム美術の観点からも説明しづらいものとなっていた1。それもあって近代主義的抽象にかかわった女性アーティストによる作品の検証は、少しおくれて1990年代以降に活性化したと言って良い2。たとえば『アブストラクト・アートについて』の著者ブリオニー・ファーは、抽象芸術が包括的概念でありながら理論的に限定されたカテゴリーであったことを指摘し、女性アーティストの仕事を早くから理論化してきた。ファーは芸術のモダニズムを批判するために、「抽象」を最終的に、男性性と女性性、シュルレアリスムと幾何学抽象、抽象と具象といった歴史的対立を保留にし、別の可能性を示唆する一連のファンタジーとして再想像することを提唱している3

会場風景|撮影:大谷一郎

本展の、とくに前半の展示作品を眺めると、そのような再想像によって、日本の美術的歴史における抽象と女性の間にみられた結びつきを説明することができるように思われる。第二次大戦後、長谷川三郎、江川和彦、瀧口修造など戦前にモダンアートを推進していた人々によって戦後に美術史的見取り図が示された4が、そのとき、フォービズムやキュビズム、幾何学抽象やシュルレアリスムといった近代ヨーロッパの芸術運動は、それらが複雑に結びついた「抽象」として同時代的に・・・・・受け入れられていた。それゆえ、抽象絵画は多彩な試みを包み込む領域として認識され、女性を含む、新しく、分類不能な美術的表現の受け皿として機能したのである。

会場風景|撮影:大谷一郎

本格的な美術教育を受けた者から、学校教育を避けた者まで、女性たちは抽象表現に積極的に取り組んだ。本展のはじまりに展示されている桜井浜江や三岸節子作品は、テーブルの上の花や壺を「優雅に描く」という女性向けの静物画ルールを破り、形態と色彩を対象から独立させる抽象絵画へと更新して、戦争で途切れた日本のモダンアートの復活と抽象の発展に寄与した。その少しあとには、戦後の新人女性たちのユニークで折衷的、独学的な表現が、やはり抽象の名のもとに取り上げられることとなった。国立近代美術館の当時の展示を顧みるだけでも、1953から54年に開催された「抽象と幻想」展には色面と線で構成された井上照子の抽象的風景画や岡上淑子の空想世界のコーラジュがあり、1957年に開催された「前衛美術の15人」展には、本展でもみることができる福島秀子の夢幻的なグワッシュの抽象があったほか、江見絹子、赤穴桂子らによる色面と有機的形態を大胆に構成した絵画が取り上げられた。知られるように、本展出品作である草間彌生の「インフィニティ・ネット」は、日本画から出発した彼女が、戦後の前衛美術運動のもとでシュルレアリスムや象徴主義の表現を会得し、渡米後に抽象化を極限まで突き詰めることによって生まれた作品である。同時代の田中敦子は、具体美術協会でアクション・ペインティングの画家に囲まれながら、幾何学的形象や工業画材を駆使し、非人間的な表現主義という矛盾した抽象の方法を導き出した。

会場風景|撮影:大谷一郎

展示後半に集められた1970年代末の脱絵画的作品—オブジェ化した絵画、彫刻や写真など—からは、「現代アート」誕生以後の抽象が試みた、具体的な物質と感覚を結びつける概念的操作がみられる。木下佳通代がつくる透明な画面は視線を写真と色彩の間で行き来させ、沢居曜子のコンテは黒い帯を紙面から空間に浮き上がらせる。二人は抽象的形態や平面的色彩を用いることで、ジャンルやメディウムの曖昧さを暴きたて、人の知覚に挑戦している。スイスの構成主義の系譜を継ぐ吉川静子の作品は、グリッドを立体化して空間へと迫り出させ、構成主義の概念性を具体的な空間との交歓へと開いていった。青木野枝による鉄の円の不安定な立体構成にとおく響いているように、これらの作品にみられる抽象表現は、抽象の最盛期に優勢だったもの派の重厚な立体やミニマリズムの大規模インスタレーションが迫る、物々しい「世界との出会い」とは別のやり方で、目にみえ、手に触れる世界の認識を更新している。日本の抽象芸術における女性アーティストの仕事には特定のカテゴリーや一般的歴史分類に回収されない抽象の力が潜在しており、そうした作品に出会うことによって、ほかの男女の作品にも、そのようなまだみぬ可能性があることが感じられるのではないか。

会場風景|撮影:大谷一郎

近年、アジアを含む世界各地で抽象と女性をテーマとした展覧会が顕著にみられるが、2010年代からすでに抽象芸術を主題とした展覧会に女性アーティストの作品は欠かすことができないものとなっており、また女性アーティストに関する総合的研究でも抽象表現は重要な要素として取り上げられてきている5。本展のような展覧会は一時的傾向ではなく、美術の歴史の拡張と多層化の大きなうねりの一部を成すものだと言えるだろう。女性学芸員の比率があがるなかで展示はますます変容し、美術館の常設展が、一定の解釈を提案しつつ、作品を解放する場になっていくと予期させるような展覧会である。こうした常設展の試みから、美術館に収蔵されているものの日の目を見ていない、多くの作品に今後出会うことができると期待したい。

 

 


1 たとえば、初期のフェミニスト・アート批評家のルーシー・リッパードはフェミニストの最大の功績はモダニズムに加担しなかったことだと述べてきた。Lippard, Lucy, “Sweeping Exchanges: The Contribution of Feminism to the Art of the Seventies”, Art Journal, 1980, vol.41, no.1/2.
2 『女・アート・イデオロギー』(萩原弘子訳、新水社、邦訳は1992年)でロジカ・パーカーとグリゼルダ・ポロックがヘレン・フランケンサーラーの作品を取り上げたのは1981年だったが、女性の抽象表現に関する本格的な論考は、ポロック自身の仕事も含め、1990年代以降に充実する。
3 Briony Fer, On Abstract Art, Yale University Press: New Haven and London, 1997.
4 1938年に初版が出てから戦後復刊した瀧口修造の『近代美術』や、1951年の『アトリエ』に掲載された江川和彦の「抽象絵画小史」、国立近代美術館で1953–54年開催の「抽象と幻想」展で展示された長谷川三郎のパネルなどをはじめ、欧米近代美術における抽象芸術は日本の評論家によって独自的な目線で分類、説明されており、当時の美術家や評論家の抽象芸術の思想に独特の影響を与えた。
5 たとえば前者にニューヨーク近代美術館で2012–13年に開催されたInventing Abstraction展、後者にModern Women: Women artists at the Museum of Modern Art, Cornelia Butler and Alexandra Schwartz eds., the Museum of Modern Art, New York, 2010など。


『現代の眼』638号

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