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2014-1 所蔵作品展 MOMATコレクション 

東京国立近代美術館本館所蔵品ギャラリー(4F~2F) 2014年4月15日(火)~6月1日(日) 10:00-17:00 (金曜日は10:00-20:00)※入館は閉館30分前まで 月曜日[ただし、5月5日(祝)は開館]、5月7日(水) 一般 430円(220円)大学生130円(70円) 高校生以下および18歳未満、65歳以上、障害者手帳をお持ちの方とその付添者(1名)は無料。それぞれ入館の際、学生証、運転免許証等の年齢の分かるもの、障害者手帳等をご提示ください。( )内は20名以上の団体料金。いずれも消費税込。お得な観覧券「MOMATパスポート」でご観覧いただけます。キャンパスメンバーズ加入校の学生・教職員は学生証または教職員証の提示でご観覧いただけます。本展の観覧料で、当日に限り、特集:地震のあとで―東北を思うIII(2F、ギャラリー4)もご観覧いただけます。 5月4日(日)、5月18日(日・国際博物館の日)、6月1日(日) 東京国立近代美術館 概要 所蔵作品展「MOMATコレクション」(4-2F)のご案内 9室「写真・映像」* 10室 「日本画」* 「眺めのよい部屋」*  「MOMATコレクション」展は、日本画、洋画、版画、水彩・素描、写真など美術の各分野にわたる12,000点(うち重要文化財13点、寄託作品1点を含む)を越える充実した所蔵作品から、会期ごとに約200点をセレクトし、20世紀初頭から今日に至る約100年間の日本の近代美術のながれを海外作品も交えてご紹介する、国内最大規模のコレクション展示です。  ギャラリー内は、2012年のリニューアルによって、12の部屋が集合したスペースに生まれ変わりました。その1から12室までを番号順にすすむと1900年頃から現在に至る美術のながれをたどることができます。そして、そのいくつかは「ハイライト」、「日本画」という特別な部屋、あるいは特集展示のための部屋となって、視点を変えた展示を行っています。  「好きな部屋から見る」、「気になる特集だけ見る」あるいは「じっくり時間の流れを追って見る」など、それぞれの鑑賞プランに合わせてお楽しみください。 ここが見どころ 特集「何かがおこってるⅡ:1923、1945、そして」特集「地震のあとで:東北を思うⅢ」(2階ギャラリー4)  4-3階の総力特集「何かがおこってるⅡ:1923、1945、そして」は、話題を呼んだ前会期の特集「何かがおこってる」の戦後編。1940年代から80年代までの美術を、絵画や彫刻だけでなく、雑誌や映像など時代のようすも交えてご紹介します。戦前の子ども向けアニメ映画は他では見られない貴重品。60年代にはマンガも登場!特に東京オリンピック(1964年)や大阪万博(1970年)をきっかけとして戦争の記憶が遠のいて行くようすは、わたしたちにも大きな問いを投げかけます。  2階ギャラリー4では特集「地震のあとで:東北を思うⅢ」を開催。3年前から継続しているシリーズの第3弾で、新しくコレクションに加わったChim↑Pomや藤井光が初登場。映像を中心に、アーティストの東日本大震災に対するさまざまな反応をご紹介します。 会期中に展示される重要文化財指定作品 原田直次郎《騎龍観音》1890年(寄託作品) 岸田劉生《道路と土手と塀(切通之写生)》1915年 中村彝《エロシェンコ氏の像》1920年 *今会期に展示される重要文化財指定作品は以下の通りです。 原田直次郎《騎龍観音》1890年(寄託作品)萬鉄五郎《裸体美人》1912年岸田劉生《道路と土手と塀(切通之写生)》1915年 中村彝《エロシェンコ氏の像》1920年 ※予告なしに展示内容が変更になる場合もありますので、詳細は出品リストでご確認ください。 展覧会構成 4F 1室 ハイライト2-5室 1900s-1940s 明治の終わりから昭和のはじめまで「眺めのよい部屋」美術館の最上階に位置する休憩スペースには、椅子デザインの名品にかぞえられるベルトイア・チェアを設置しています。明るい窓辺で、ぜひゆったりとおくつろぎください。大きな窓からは、皇居の緑や丸の内のビル群のパノラマ・ビューをお楽しみいただけます。「情報コーナー」MOMATの刊行物や所蔵作品検索システムをご利用いただけます。 1. ハイライト  3,000m²に200点以上が並ぶ――この贅沢さがMOMATコレクションの自慢です。しかし近年、お客さまから、「たくさんあり過ぎてどれを見ればいいのかわからない!」「短時間で有名な作品だけさっと見たい!」という声をいただくことが増えました。そこで、2012年夏のリニューアルを機に、重要文化財を中心にコレクションの精華を凝縮してお楽しみいただける、「ハイライト」のコーナーを設けました。 今回は、2室から先を、昭和の美術からスタートする特集展示にあてているため、いつもは2室に展示している和田三造《南風》や、3室に展示することの多い高村光太郎《手》を、このコーナーで紹介しています。海外作家では、アンケートに要望の寄せられていたアンリ・マティス《ルネ、緑のハーモニー》を加えました。日本画では、明治の風俗をしっとりと描いた鏑木清方と、昭和のモダンな風俗を描いた伊東深水の、師弟による競演をお楽しみいただきます。 萬鉄五郎《裸体美人》1912年 高村光太郎《手》1918 年頃 鏑木清方《明治風俗十二ヶ月》1935年 2. 地震のあとで  1923年9月1日に起こった関東大震災は東京に壊滅的な被害を与えました。この未曾有の災厄に直面して、表現者たちはどのような行動に出たのでしょうか。十亀広太郎は都内各所を訪ねながら、火災で焼けた樹木や、倒壊した建物、被災者の暮らしぶりを丹念に描きとめました。写真による記録が様々な誌面の震災特集号に掲載される一方、画家はフィクションを介して写真とは異なる臨場感を表現しようと努めました。震災からの復興の過程では「新東京」と題した作品やシリーズが登場し、急速に近代都市へと変貌を遂げつつあった東京の「再生」が印象づけられます。「新東京」で描かれた対象には、百貨店、劇場、鉄道、ラジオ放送局など、人と物と情報が行き交う都市のメディアとしての機能に着目したものが少なくありません。そう考えると、雑誌や絵葉書から収集した出自の異なるイメージをモンタージュする古賀春江《海》の絵画空間も、新しく生まれ変わった都市の活力を映し出していると言えそうです。 古賀春江《海》1929年 小林古径《「東都名所」より 銀座》1922年 織田一磨《「新東京風景」より 銀座(6月)》1925年 3. 眠りの理由  絵画に描かれた「眠る人」は、一般的に「休息」や「夢」を意味します。しかし、1930年代後半の日本美術に見られる「眠り」の主題は、戦争に突入していく時代特有の文脈の中で、さらに複雑な陰影を帯びるようになります。青森県出身の阿部合成の《百姓の昼寝》は、飢饉に苦しむ東北の農民の苛酷な境遇を示すものですが、ここで描かれた眠りは、民衆による無言の抗議の姿勢と解釈できるかもしれません。北川民次の《ランチェロの唄》は、男たちが奏でる音楽によって集団催眠状態に陥って踊り狂う民衆の姿を描きだし、戦時体制を遠回しに批判しています。香月泰男の《釣り床》は、現実から逃避する唯一の手段としての眠りを暗示しているとはいえないでしょうか。シュルレアリスムの影響を受けた作品に描かれる「繭」や「卵」も同様に個人の内的世界を守るシェルターという意味を持っていたはずですが、その内部での微睡がすでに脅かされていることが北脇昇や米倉寿 の絵画に明らかです。  北脇昇《美わしき繭》1938年 4. 子どもの国民化  明治以降、子どもは国家が育成すべきであるという近代的な子ども観が浸透しました。さらに1920年代に発展した消費文化の成長とともに、家族の中での子どもの重要性が認識され、生活、教育、娯楽の隅々までいきわたる子ども文化が姿を現します。それが戦争の時代を迎えると、総力戦に向けた子どもの教化の手段に転じるのです。 1941年制作の国産アニメーション「動物となり組」は、40年に設けられた相互扶助的な地域組織「隣組」の意義をわかりやすく解説する教育的な内容になっています。岡本一平作詞の軽快な歌にあわせて、自警、防災を含む日常生活における助け合いの精神が提唱されますが、それが強力な国民統制の組織として機能したことも想像できます。また恩地孝四郎や北川民次ら美術家がかかわった絵本は、寓話の形式をとることで、日本の軍事行動への直接的な言及を避け、むしろ戦争を相対化する視点を提示しているようにも見えます。 5. 5年間 松本竣介《Y市の橋》1943年 靉光《自画像》1944年 恩地孝四郎《あるヴァイオリニストの印象(諏訪根自子像)》1946年  1943(昭和18)年から1947(昭和22)年。1945(昭和20)年の敗戦をはさむこの5年間に、美術家たちは何を考え、どんな作品を作っていたのでしょう。この部屋では、ほぼ制作年順に作品を並べてご紹介します。 1943年5月、アリューシャン列島アッツ島で日本の守備隊が全滅した出来事は、負け戦でしたが新聞などで大々的に報じられました。勝利が続いた戦争初期とは異なり、国民の目にも戦況の悪化は明らかでした。やがて1944年後半、特別攻撃隊(特攻隊)の出撃と本土空襲がほぼ同時に始まります。画家たちが描いた「作戦記録画」、いわゆる戦争画は、当時の人々がよく知るこれらの主題を多く取り上げています。一方戦争画を描かなかった若い画家、松本竣介は、静まりかえった戦時下の東京や横浜の街を描きました。また版画家たちは日本版画奉公会を結成し、大画面の戦争画とは異なる小さく親しみのある形式で、彼らなりに戦争に関わる作品を制作しました。 そして1945年8月15日。空襲により壊滅した街で、美術家たちはそれぞれのやり方で活動を再開します。 3F 6-8室 1940年代-1960年代 昭和のはじめから中ごろまで9室 写真・映像10室 日本画建物を思う部屋 6.もはや戦後ではない  1956(昭和31)年の経済白書に記述された「もはや戦後ではない」という言葉は、この年の流行語となりました。これは終戦から11年を経て、日本経済が1930年半ばごろの水準にまでようやく回復したことを表しています。庶民にとってはまだまだ手の届かない存在だったものの、冷蔵庫・洗濯機・白黒テレビが「三種の神器」と呼ばれ、新しい生活への憧れをかきたてました。他方、50年に勃発した朝鮮戦争を端緒に東西冷戦の構図は決定的となり、日本の再軍備化が進められました。急速な経済発展、めまぐるしく変わる国際情勢は、人々の生活を豊かにする一方で、さまざまな軋轢や矛盾を生み出します。新しい社会が焦土のうえに築かれ、かつての痕跡が消えていきました。菅野陽の《堆積》は、戦争の記憶が徐々に薄らいでいくさまを、幾層にも折り重なる骸によって表しているかのようです。また、社会矛盾に鋭く目を向けた作家として挙げられるのが、山下菊二です。今回の展示では、昨年度、当館のコレクションに新しく加わった、彼の《あけぼの村物語》をご紹介します。 7. 未来都市は、今日?  東京オリンピックの開幕を10日後に控えた1964(昭和39)年10月1日、東海道新幹線が開業します。最高時速210キロ、東京―新大阪駅間を約4時間で結ぶ夢の超特急の計画は、もともと戦前に構想され、戦況の悪化から頓挫した「弾丸列車」に端を発しています。ここで初めて、日本は戦争の時代を乗り越えたと言えるかもしれません。70年には「人類の進歩と調和」をテーマに掲げた大阪万博が開幕。それに合わせて、商用目的としては国内2番目の原子力発電所が敦賀で稼働を開始し、万博会場に向けて電気を送電しました。69年、アメリカのアポロ11号が人類で初めて月面に着陸し、それが採取した「月の石」は万博会場に展示されました。高度経済成長のもと、人々は新しい時代の到来に期待を膨らませたに違いありません。美術家たちも例外ではありません。新技術や新素材は、彼らの想像力を刺激し、大阪万博の計画には多くの美術家が参加しました。ここで紹介するライト・アートと呼ばれる作品は、この頃制作されたものです。まばゆいひかりのなかに、人々は未来を見出したのでしょう。 8. アメリカの影  戦後の日本社会の奥深くにまで浸透した「アメリカ」。それは日米安全保障条約によって日本国内に存在し続ける米軍基地に対する反感と、美術、映画、音楽、ファッションなどアメリカ文化に対する共感と、常に相反する感情を伴うものでした。このようなアメリカとの複雑な関係の中で、戦後の日本人の戦争イメージも作られていったと想像できます。 中村宏の《基地》は、基地反対運動が高揚した1950年代の空気を反映して、生活を脅かす異物の存在を批判的に描きました。しかし高度成長期にあたる60年代になると、基地という主題はあまり描かれなくなります。戦争の記憶の風化が指摘される一方、不思議なことに、少年漫画に戦争物が次々に登場し、タミヤのプラモデルが流行するという現象が生まれました。ベトナム戦争の時期には、アメリカン・ヒーローの凋落を反映するかのような小島信明の《ボクサー》や、アメリカのイラストのパロディーである岡本信治郎の「スフィンクス」など、内なるアメリカを冷静に見つめるような仕事も誕生しました。 9. 歴史が見える場所 「日本発見シリーズ 長崎県」  岩波映画製作所は、土本典昭や黒木和雄などの若手を起用して、1960年代初頭の日本各地を都道府県別に紹介する「日本発見シリーズ」を製作しました。50年代の半ばに刊行された岩波写真文庫の「新風土記」の映像版ともいえる内容です。その中から、当時の日本の課題が凝縮しているという点で「長崎県」を選びました。 まず長崎県の産業を支える造船業と石炭産業が、高度成長期の活気を映し出します。なかでも海底炭鉱で有名な端島(軍艦島)の生活風景は貴重な映像です。さらに古くから海洋交通の要衝として栄えた長崎県ならではの異文化混交の在り様が取り上げられます。もちろん、それゆえに隣国との緊張は避けて通れません。映像の中では、日韓国交正常化以前の両国が抱える複雑な問題を、李承晩ラインと大村入国者収容所を通して伝えています。さらに長崎県の軍都としての歴史にも触れ、戦後いち早く平和都市宣言を発しながら、冷戦の始まりとともに佐世保に米軍基地を抱えることになった苦しい現実が示されます。 10. 感傷を踏みにじれ 川端龍子 《新樹の曲》1932 年 星野眞吾《失題・歯車》1952年   タイトルは、1948年に結成されたパンリアル美術協会の宣言文の一節です。 特集を締めくくる10室は、2つのパートからなります。奥のケースの部屋は川端龍子の特集です。昨年ご寄贈を受けた《新樹の曲》とスケッチ帳をお披露目します。スケッチ帳には、当館所蔵の《角突之巻(越後二十村行事)》(1922年)に関連した素描や紀行文も描かれています。手前のコーナーでは、敗戦直後の混沌とした時代に青年期を過ごし、画家として歩み始めた三上誠、星野眞吾(この二人はパンリアルの中心人物です)、横山操、加山又造の作品を取り上げます。「日本画とはなにか」という意識的な問いかけのなかから生みだされた、戦後日本画の変革の試みの一端です。 日本美術院を脱退して青龍社を興した龍子と、戦後に制作をはじめた4名の画家たちは、自由な発想を大事にし、主体的に日本画の新しい表現の可能性を追究した点で共通しています。革新のバトンリレーで日本画にどのような表現が生まれたか、近い過去の様相をご覧ください。 2F 2F11–12室 1970s-2010s 昭和の終わりから今日まで特集「地震のあとで―東北を思うⅢ」(ギャラリー4) 11. 「風景」をめぐって―現代の写真表現から 人間の活動が地球規模で環境に影響を及ぼしている今日、純粋な自然の風景というものは、もはや存在しないと言えるかもしれません。柴田敏雄がレンズを向けるのも、治水や治山のためのダムや擁壁など、何らかの建造物によって変容した景観です。柴田はそうした場所について、「人が懸命に知恵をしぼり出す試行錯誤の空間があり、かつまたよく造形をする個所である」と記したことがあります。ダムなどの建造物を、自然の地形に寄り添いながらていねいに構築された「造形」ととらえ、それを写真という二次元の平面上のかたちに置きかえる。柴田の写真の背後には、そうした問題意識がひそんでいるのです。 今回は他に、大判カメラを用いた3人の写真家による風景をめぐる作品を展示します。彼らの風景に対するアプローチはさまざまです。しかしいずれの場合も、私たちの眼をひきつけ、それぞれの問題意識へと導くために、大判カメラならではの精緻な描写力が重要な役割を果たしています。 12. コスモス/イノセンス/ハッセルブラッド賞  今回この部屋は、いくつかのテーマに分かれています。まず、量子や宇宙や無限や元型など、科学的、宇宙論的な世界観を見せる作品を紹介しています。次に、昨年末に奈良美智の代表作を購入したことを祝い、「イノセンス(無垢)」をテーマに、20世紀初頭以降の作品を集めてみました。こうやって通して見てみると、無垢さが、時に愛らしいものとして、時に畏怖すべきものとして、捉えられてきたことがわかります。 そして3月に発表された、石内都のハッセルブラッド国際写真賞受賞を祝い、石内と、過去の受賞者である杉本博司の作品とを展示しています。小さな部屋で紹介している宮本隆司の映像は、ギャラリー4で開催されている「東北を思うIII 」の関連作品です。 ギャラリー4 特集「地震のあとで―東北を思うIII」 藤井光《沿岸部風景記録 福島県飯舘村 2012年8月》2012年(映像スティル)東京国立近代美術館所蔵  2011年3月11日から3年が経ちました。当館は、コレクション展内において、2011年5月に「特集 東北を思う」を、2012年1月に「特集 東北を思う―記憶・再生・芸術」を開催してきました。3回目となる今回は、地震と津波と福島第一原子力発電所事故の後に、アーティストたちがどのように動き、どのように被災地に寄り添ってきたか。また浮かびあがってきた様々な問題にどのように向き合ってきたのかに注目しました。 展示されるのは、2013年度に収蔵したChim↑Pomと藤井光の作品。アーティストならではの姿勢により、報道では表れない、あるいは体験しづらい東北の姿が、浮かびあがっていると思います。また今回、写真家の宮本隆司による《3.11TSUNAMI 2011》をお借りして、エレベーターホールを挟んで反対側にある12室で紹介。さらに、Chim↑Pomの《REAL TIMES》(寄託作品)を3階の7室で展示しています。 イベント情報 MOMATガイドスタッフによる所蔵品ガイド 休館日を除く毎日2014年4月15日(火)~6月1日(日)(4月26日(土)、5月3日(土)、5月10日(土)、5月17日(土)、5月24日(土)、5月31日(土)は13:00から行います。 また、4月19日(土)は研究員による所蔵品ガイドです。) 14:00-15:00 所蔵品ギャラリー(1Fエントランス集合) 所蔵品ギャラリーでは毎日、作品解説が行われています。当館のボランティア「MOMATガイドスタッフ」が、参加者のみなさまと会場をまわり、数点の作品を一緒に鑑賞しながら、作品についての理解を深められるようにお手伝いします。作品とテーマは、ガイド前に1階エントランスに掲示されます。約40名のガイドスタッフそれぞれ、作品とテーマが異なりますので、何度参加されてもお楽しみいただけます。「MOMATガイドスタッフ」のページもあわせてご覧ください。「ある日の所蔵品ガイド」の様子を写真付きで詳しく紹介しています。 会期最初の土曜日は研究員による所蔵品ガイド 2014年4月19日(土) 14:00-15:00 MOMATガイドスタッフによるハイライト・ツアー 毎月第1日曜日(無料観覧日)2014年5月4日(日)2014年6月1日(日) 11:00-12:00 4階エレベーター前集合 近代日本の美術の流れをたどりつつ、所蔵作品展「MOMATコレクション」の見どころを押さえたい方に。MOMATガイドスタッフが、参加者の皆様とともに4階から2階までをまわり、代表的な所蔵作品を、やさしく解説します。 キュレーター・トーク 都築千重子(主任研究員)「川端龍子と戦後日本画の変革」 2014年5月4日(日) 15:00-16:00 3Fエレベーター前集合 ※参加無料、申込不要

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2014-2 所蔵作品展 MOMATコレクション 

4F所蔵品ギャラリー photo: 木奥恵三(以下、*印)(この会場風景は以前のものであり、現在の展示とは異なります。) 東京国立近代美術館本館所蔵品ギャラリー(4F~2F) 2014年6月7日(土)~8月24日(日) 10:00-17:00 (金曜日は10:00-20:00)(入館は閉館30分前まで) 月曜日[ただし、7月21日(祝)は開館]、7月22日(火) 一般 430円(220円) 大学生130円(70円) 高校生以下および18歳未満、65歳以上、障害者手帳をお持ちの方とその付添者(1名)は無料。それぞれ入館の際、学生証、運転免許証等の年齢の分かるもの、障害者手帳等をご提示ください。( )内は20名以上の団体料金。いずれも消費税込。お得な観覧券「MOMATパスポート」でご観覧いただけます。キャンパスメンバーズ加入校の学生・教職員は学生証または教職員証の提示でご観覧いただけます。本展の観覧料で、当日に限り、「美術と印刷物 1960-70年代を中心に」展(2F、ギャラリー4)もご観覧いただけます。 7月6日(日)、8月3日(日) 東京国立近代美術館 概要 所蔵作品展「MOMATコレクション」(4-2F)のご案内 9室「写真・映像」* 10室 「日本画」* 「眺めのよい部屋」* 「MOMATコレクション」展は、日本画、洋画、版画、水彩・素描、写真など美術の各分野にわたる12,000点(うち重要文化財13点、寄託作品1点を含む)を越える充実した所蔵作品から、会期ごとに約200点をセレクトし、20世紀初頭から今日に至る約100年間の日本の近代美術のながれを海外作品も交えてご紹介する、国内最大規模のコレクション展示です。 ギャラリー内は、2012年のリニューアルによって、12の部屋が集合したスペースに生まれ変わりました。その1から12室までを番号順にすすむと1900年頃から現在に至る美術のながれをたどることができます。そして、そのいくつかは「ハイライト」、「日本画」という特別な部屋、あるいは特集展示のための部屋となって、視点を変えた展示を行っています。 「好きな部屋から見る」、「気になる特集だけ見る」あるいは「じっくり時間の流れを追って見る」など、それぞれの鑑賞プランに合わせてお楽しみください。 展示替年間4~5回程度大きく作品を入れ替えています(会期によっては、さらに日本画を中心とした一部展示替があります)。 ここが見どころ 特集「何かがおこってるⅡ:1923、1945、そして」(4-3F)  前回に引き続き、4-3階の総力特集「何かがおこってるⅡ:1923、1945、そして」を2会期連続で取り上げます。1940年代から80年代までの美術を、絵画や彫刻だけでなく、雑誌や映像など時代のようすも交えてご紹介します。特に東京オリンピック(1964年)や大阪万博(1970年)をきっかけとして戦争の記憶が遠のいて行くようすは、わたしたちにも大きな問いを投げかけます。 2階には、Chim↑Pom、藤井光、村越としやの東日本大震災に関する新収蔵作品を展示。4階から2階へとたどると、関東大震災(1923年)、戦災(1945年)、東日本大震災(2011年)と3度の厄災と復興のくり返しから、様々なことが見えてきます。 今会期に展示される重要文化財指定作品 *今会期に展示される重要文化財指定作品は以下の通りです。 原田直次郎《騎龍観音》1890年(寄託作品)萬鉄五郎《裸体美人》1912年岸田劉生《道路と土手と塀(切通之写生)》1915年 土田麦僊《湯女》1918年中村彝《エロシェンコ氏の像》1920年 ※予告なしに展示内容が変更になる場合もありますので、詳細は出品リストでご確認ください。 原田直次郎《騎龍観音》1890年(寄託作品) 岸田劉生《道路と土手と塀(切通之写生)》1915年 中村彝《エロシェンコ氏の像》1920年 展覧会構成 「MOMATコレクション」では12(不定期で13)の展示室と2つの休憩スペースが3つのフロアに展開し、2Fテラス付近や前庭にも屋外彫刻展示を行っています。下記マップの水色のゾーンが「MOMATコレクション」です。4Fには休憩スペース「眺めのよい部屋」を併設しています。 所蔵作品展「MOMATコレクション」の会場入口は4Fです。1Fエントランスホールからエレベーターもしくは階段をご利用のうえ、4Fまでお上がりください。 4F 1室 ハイライト2-5室 1900s-1940s 明治の終わりから昭和のはじめまで「眺めのよい部屋」美術館の最上階に位置する休憩スペースには、椅子デザインの名品にかぞえられるベルトイア・チェアを設置しています。明るい窓辺で、ぜひゆったりとおくつろぎください。大きな窓からは、皇居の緑や丸の内のビル群のパノラマ・ビューをお楽しみいただけます。「情報コーナー」MOMATの刊行物や所蔵作品検索システムをご利用いただけます。 1. ハイライト 会場風景* 土田麦僊《湯女(ゆな)》 1918年 重要文化財  3,000m²に200点以上が並ぶ――この贅沢さがMOMATコレクションの自慢です。しかし近年、お客さまから、「たくさんあり過ぎてどれを見ればいいのかわからない!」「短時間で有名な作品だけさっと見たい!」という声をいただくことが増えました。そこで、2012年夏のリニューアルを機に、重要文化財を中心にコレクションの精華を凝縮してお楽しみいただける、「ハイライト」のコーナーを設けました。  前回にひきつづき、2室から先は関東大震災後の美術からスタートする特集展示にあてているため、いつもは2室に展示している和田三造《南風》や、3室に展示することの多い高村光太郎《手》を、このコーナーで紹介しています。海外作家では、アンケートに要望の寄せられていたアンリ・マティス《ルネ、緑のハーモニー》を加えました。日本画では、まばゆいばかりの色彩表現を見せる土田麦僊 《湯女》(重要文化財)と、夏の川遊びの様子を描いた鏑木清方《墨田川舟遊》を紹介します。 2. 地震のあとで 古賀春江《海》1929年  1923年9月1日に起こった関東大震災は東京に壊滅的な被害を与えました。この未曾有の災厄に直面して、表現者たちはどのような行動に出たのでしょうか。十亀広太郎は都内各所を訪ねながら、火災で焼けた樹木や、倒壊した建物、被災者の暮らしぶりを丹念に描きとめました。写真による記録が様々な誌面の震災特集号に掲載される一方、画家はフィクションを介して写真とは異なる臨場感を表現しようと努めました。震災からの復興の過程では「新東京」と題した作品やシリーズが登場し、急速に近代都市へと変貌を遂げつつあった東京の「再生」が印象づけられます。「新東京」で描かれた対象には、百貨店、劇場、鉄道、ラジオ放送局など、人と物と情報が行き交う都市のメディアとしての機能に着目したものが少なくありません。そう考えると、雑誌や絵葉書から収集した出自の異なるイメージをモンタージュする古賀春江《海》の絵画空間も、新しく生まれ変わった都市の活力を映し出していると言えそうです。 3. 眠りの理由 北脇昇《美わしき繭》1938年  絵画に描かれた「眠る人」は、一般的に「休息」や「夢」を意味します。しかし、1930年代後半の日本美術に見られる「眠り」の主題は、戦争に突入していく時代特有の文脈の中で、さらに複雑な陰影を帯びるようになります。青森県出身の阿部合成の《百姓の昼寝》は、飢饉に苦しむ東北の農民の苛酷な境遇を示すものですが、ここで描かれた眠りは、民衆による無言の抗議の姿勢と解釈できるかもしれません。北川民次の《ランチェロの唄》は、男たちが奏でる音楽によって集団催眠状態に陥って踊り狂う民衆の姿を描きだし、戦時体制を遠回しに批判しています。香月泰男の《釣り床》は、現実から逃避する唯一の手段としての眠りを暗示しているとはいえないでしょうか。シュルレアリスムの影響を受けた作品に描かれる「繭」や「卵」も同様に個人の内的世界を守るシェルターという意味を持っていたはずですが、その内部での微睡がすでに脅かされていることが北脇昇や米倉寿 の絵画に明らかです。  4. 子どもの国民化  明治以降、子どもは国家が育成すべきであるという近代的な子ども観が浸透しました。さらに1920年代に発展した消費文化の成長とともに、家族の中での子どもの重要性が認識され、生活、教育、娯楽の隅々までいきわたる子ども文化が姿を現します。それが戦争の時代を迎えると、総力戦に向けた子どもの教化の手段に転じるのです。 1941年制作の国産アニメーション「動物となり組」は、40年に設けられた相互扶助的な地域組織「隣組」の意義をわかりやすく解説する教育的な内容になっています。岡本一平作詞の軽快な歌にあわせて、自警、防災を含む日常生活における助け合いの精神が提唱されますが、それが強力な国民統制の組織として機能したことも想像できます。また恩地孝四郎や北川民次ら美術家がかかわった絵本は、寓話の形式をとることで、日本の軍事行動への直接的な言及を避け、むしろ戦争を相対化する視点を提示しているようにも見えます。 5. 5年間 松本竣介《Y市の橋》1943年 靉光《自画像》1944年 恩地孝四郎《あるヴァイオリニストの印象(諏訪根自子像)》1946年  1943(昭和18)年から1947(昭和22)年。1945(昭和20)年の敗戦をはさむこの5年間に、美術家たちは何を考え、どんな作品を作っていたのでしょう。この部屋では、ほぼ制作年順に作品を並べてご紹介します。 1943年5月、アリューシャン列島アッツ島で日本の守備隊が全滅した出来事は、負け戦でしたが新聞などで大々的に報じられました。勝利が続いた戦争初期とは異なり、国民の目にも戦況の悪化は明らかでした。やがて1944年後半、特別攻撃隊(特攻隊)の出撃と本土空襲がほぼ同時に始まります。画家たちが描いた「作戦記録画」、いわゆる戦争画は、当時の人々がよく知るこれらの主題を多く取り上げています。一方戦争画を描かなかった若い画家、松本竣介は、静まりかえった戦時下の東京や横浜の街を描きました。また版画家たちは日本版画奉公会を結成し、大画面の戦争画とは異なる小さく親しみのある形式で、彼らなりに戦争に関わる作品を制作しました。 そして1945年8月15日。空襲により壊滅した街で、美術家たちはそれぞれのやり方で活動を再開します。 3F 6-8室 1940年代-1960年代 昭和のはじめから中ごろまで9室 写真・映像10室 日本画建物を思う部屋 6.もはや戦後ではない  1956(昭和31)年の経済白書に記述された「もはや戦後ではない」という言葉は、この年の流行語となりました。これは終戦から11年を経て、日本経済が1930年半ばごろの水準にまでようやく回復したことを表しています。庶民にとってはまだまだ手の届かない存在だったものの、冷蔵庫・洗濯機・白黒テレビが「三種の神器」と呼ばれ、新しい生活への憧れをかきたてました。他方、50年に勃発した朝鮮戦争を端緒に東西冷戦の構図は決定的となり、日本の再軍備化が進められました。急速な経済発展、めまぐるしく変わる国際情勢は、人々の生活を豊かにする一方で、さまざまな軋轢や矛盾を生み出します。新しい社会が焦土のうえに築かれ、かつての痕跡が消えていきました。菅野陽の《堆積》は、戦争の記憶が徐々に薄らいでいくさまを、幾層にも折り重なる骸によって表しているかのようです。また、社会矛盾に鋭く目を向けた作家として挙げられるのが、山下菊二です。今回の展示では、昨年度、当館のコレクションに新しく加わった、彼の《あけぼの村物語》をご紹介します。 7. 未来都市は、今日?  東京オリンピックの開幕を10日後に控えた1964(昭和39)年10月1日、東海道新幹線が開業します。最高時速210キロ、東京―新大阪駅間を約4時間で結ぶ夢の超特急の計画は、もともと戦前に構想され、戦況の悪化から頓挫した「弾丸列車」に端を発しています。ここで初めて、日本は戦争の時代を乗り越えたと言えるかもしれません。70年には「人類の進歩と調和」をテーマに掲げた大阪万博が開幕。それに合わせて、商用目的としては国内2番目の原子力発電所が敦賀で稼働を開始し、万博会場に向けて電気を送電しました。69年、アメリカのアポロ11号が人類で初めて月面に着陸し、それが採取した「月の石」は万博会場に展示されました。高度経済成長のもと、人々は新しい時代の到来に期待を膨らませたに違いありません。美術家たちも例外ではありません。新技術や新素材は、彼らの想像力を刺激し、大阪万博の計画には多くの美術家が参加しました。ここで紹介するライト・アートと呼ばれる作品は、この頃制作されたものです。まばゆいひかりのなかに、人々は未来を見出したのでしょう。 8. アメリカの影  戦後の日本社会の奥深くにまで浸透した「アメリカ」。それは日米安全保障条約によって日本国内に存在し続ける米軍基地に対する反感と、美術、映画、音楽、ファッションなどアメリカ文化に対する共感と、常に相反する感情を伴うものでした。このようなアメリカとの複雑な関係の中で、戦後の日本人の戦争イメージも作られていったと想像できます。 中村宏の《基地》は、基地反対運動が高揚した1950年代の空気を反映して、生活を脅かす異物の存在を批判的に描きました。しかし高度成長期にあたる60年代になると、基地という主題はあまり描かれなくなります。戦争の記憶の風化が指摘される一方、不思議なことに、少年漫画に戦争物が次々に登場し、タミヤのプラモデルが流行するという現象が生まれました。ベトナム戦争の時期には、アメリカン・ヒーローの凋落を反映するかのような小島信明の《ボクサー》や、アメリカのイラストのパロディーである岡本信治郎の「スフィンクス」など、内なるアメリカを冷静に見つめるような仕事も誕生しました。 9. 歴史が見える場所 「日本発見シリーズ 長崎県」  岩波映画製作所は、土本典昭や黒木和雄などの若手を起用して、1960年代初頭の日本各地を都道府県別に紹介する「日本発見シリーズ」を製作しました。50年代の半ばに刊行された岩波写真文庫の「新風土記」の映像版ともいえる内容です。その中から、当時の日本の課題が凝縮しているという点で「長崎県」を選びました。 まず長崎県の産業を支える造船業と石炭産業が、高度成長期の活気を映し出します。なかでも海底炭鉱で有名な端島(軍艦島)の生活風景は貴重な映像です。さらに古くから海洋交通の要衝として栄えた長崎県ならではの異文化混交の在り様が取り上げられます。もちろん、それゆえに隣国との緊張は避けて通れません。映像の中では、日韓国交正常化以前の両国が抱える複雑な問題を、李承晩ラインと大村入国者収容所を通して伝えています。さらに長崎県の軍都としての歴史にも触れ、戦後いち早く平和都市宣言を発しながら、冷戦の始まりとともに佐世保に米軍基地を抱えることになった苦しい現実が示されます。 10. 筆で描く 吉川霊華《離騒》1926年(双幅)    今回の10室は、昨年度に新たに収蔵したうちの4点、吉川霊華《離騒》、小室翠雲《田家真味》、松林桂月《松に看瀑》、小川千甕《寒拾二士》の初公開をかねて、筆墨を表現の主体とする作品を集めてみました。 東洋画に筆墨はつきものだと考えている人も多いと思いますが、近代日本画では、20世紀初頭のいわゆる「朦朧体」で輪郭線を排除する試みが行なわれて以降、筆墨は必ずしも必須の要件ではなくなっていました。そのなかで線描主体の表現を選んだ画家たちには、伝統の復興や継承に努めたという共通点が見出せます。南画、やまと絵の白描、東洋古代の線表現の発見や見直しによって、近代日本画の多様性は支えられていたのです。 また、10室入ってすぐの手前のコーナーでは、丸木位里《臥龍梅》を、同時代の洋画、書、日本画とともに紹介しています。  2F 2F11–12室 1970s-2010s 昭和の終わりから今日までコレクションを中心とした小企画「美術と印刷物 1960-70年代を中心に」(ギャラリー4) 11. 地平線、水平線―現代の写真表現から  「現代美術のハードコアはじつは世界の宝である展」(6月20日-8月24日)にあわせ、当館のコレクションより、杉本博司、楢橋朝子、野口里佳の三人の作家の写真作品を、地平線、水平線というキーワードによって紹介します。 視界の開けた場所で写真を撮る際に、遠くに現れる地平線(水平線)は、画面を上下に分割し、画面の構造を決定する重要な役割を果たします。また、地平線の高さはカメラ=視点の位置や視線の角度を類推する手掛かりになりますし、あるいは、地平線が少し傾いているだけで、画面には、そしてそれを見る私たちの視点には、何らかの動きの感覚が生じます。それらは作者がカメラの前の光景に何を見て、どのように関係を結ぼうとしているのか、つまり作品の意図とも、大きくかかわる要素です。 三人の作家の、それぞれ異なるコンセプトによる作品で、地平線、水平線がどのように現れているか、その共通性や違いにもご注目ください。  12. 買ったものとあずかりもの   1階の企画「現代美術のハードコアはじつは世界の宝である展」のテーマの一つは、個人コレクターとコレクション。では、美術館は一体どんな作品をどんな理由でコレクションしているのでしょう。ここでは、近年収集した1960年代以降の作品をご紹介します。 Chim↑Pom、村越としや、藤井光の作品は、東日本大震災がテーマです。91年前の関東大震災、約70年前の太平洋戦争に関する作品を多数所蔵するMOMAT。今度は50年先、100年先の人々に向け、2011年の厄災に直面したアーティストが何を考え、何を作ったのかを伝えるため、このテーマの収集に取り組んでいます。 また、美術館のコレクション展示には、よく見ると「コレクション」ではないもの、つまりコレクターの方々がMOMATに預けてくださっているものが含まれます。キャプションに「寄託」と書かれている作品を探してみてください。ご紹介する河原温、岡崎和郎の作品は、美術館が所蔵していない、しかしコレクションの流れ全体から見るとなくてはならない、だからご厚意に甘えてお預けいただいた、そんな貴重な「あずかりもの」たちです。 イベント情報 MOMATガイドスタッフによる所蔵品ガイド 日程: 2014年6月7日(土)~8月24日(日)(7月12日(土)は13:00から行います。 また、6月7日(土)は研究員による所蔵品ガイドです。)休館日を除く毎日 14:00-15:00 所蔵品ギャラリー(1Fエントランス集合) 所蔵品ギャラリーでは毎日、作品解説が行われています。当館のボランティア「MOMATガイドスタッフ」が、参加者のみなさまと会場をまわり、数点の作品を一緒に鑑賞しながら、作品についての理解を深められるようにお手伝いします。作品とテーマは、ガイド前に1階エントランスに掲示されます。約40名のガイドスタッフそれぞれ、作品とテーマが異なりますので、何度参加されてもお楽しみいただけます。「MOMATガイドスタッフ」のページもあわせてご覧ください。「ある日の所蔵品ガイド」の様子を写真付きで詳しく紹介しています。 会期最初の土曜日は研究員による所蔵品ガイド 2014年6月7日(土) 14:00-15:00 MOMATガイドスタッフによるハイライト・ツアー 毎月第1日曜日(無料観覧日)2014年7月6日(日)2014年8月3日(日) 11:00-12:00 4階エレベーター前集合 近代日本の美術の流れをたどりつつ、所蔵作品展「MOMATコレクション」の見どころを押さえたい方に。MOMATガイドスタッフが、参加者の皆様とともに4階から2階までをまわり、代表的な所蔵作品を、やさしく解説します。

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2014-3 所蔵作品展 MOMATコレクション 

4F所蔵品ギャラリー photo: 木奥恵三(以下、*印)(この会場風景は以前のものであり、現在の展示とは異なります。) 東京国立近代美術館本館所蔵品ギャラリー(4F~2F) 2014年8月30日(土)~11月3日(月) 10:00-17:00 (金曜日は10:00-20:00)※入館は閉館30分前まで 月曜日[ただし、9月15日(祝)、10月13日(祝)、11月3日(祝)は開館]、9月16日、10月14日(火) 一般 430円(220円)大学生130円(70円) 高校生以下および18歳未満、65歳以上、障害者手帳をお持ちの方とその付添者(1名)は無料。それぞれ入館の際、学生証、運転免許証等の年齢の分かるもの、障害者手帳等をご提示ください。( )内は20名以上の団体料金。いずれも消費税込。お得な観覧券「MOMATパスポート」でご観覧いただけます。キャンパスメンバーズ加入校の学生・教職員は学生証または教職員証の提示でご観覧いただけます。本展の観覧料で、当日に限り、「美術と印刷物 1960-70年代を中心に」展(2F、ギャラリー4)もご観覧いただけます。 9月7日(日)、10月5日(日)、11月2日(日)、11月3日(月・文化の日) 東京国立近代美術館 概要 所蔵作品展「MOMATコレクション」(4-2F)のご案内 第9室「写真・映像」(3F)* 第10室 「日本画」(3F)* 「眺めのよい部屋」* 「MOMATコレクション」展は、日本画、洋画、版画、水彩・素描、写真など美術の各分野にわたる12,000点(うち重要文化財13点、寄託作品1点を含む)を越える充実した所蔵作品から、会期ごとに約200点をセレクトし、20世紀初頭から今日に至る約100年間の日本の近代美術のながれを海外作品も交えてご紹介する、国内最大規模のコレクション展示です。ギャラリー内は、2012年のリニューアルによって、12の部屋が集合したスペースに生まれ変わりました。その1から12室までを番号順にすすむと1900年頃から現在に至る美術のながれをたどることができます。そして、そのいくつかは「ハイライト」、「日本画」という特別な部屋、あるいは特集展示のための部屋となって、視点を変えた展示を行っています。 「好きな部屋から見る」、「気になる特集だけ見る」あるいは「じっくり時間の流れを追って見る」など、それぞれの鑑賞プランに合わせてお楽しみください。 展示替:年間4~5回程度大きく作品を入れ替えています(会期によっては、さらに日本画を中心とした一部展示替があります)。 ※このページ内の会場風景はすべて撮影時のものであり、現在の展示と同じとは限りません。*印:いずれもphoto: 木奥恵三 ここが見どころ 「日本美術院」「東山魁夷」を特集、ご要望の高かった東山魁夷《秋翳(しゅうえい)》も展示します! パウル・クレー《小さな秋の風景》1920年   1F企画展ギャラリーでの「菱田春草展」(9月23日-11月3日)の開催にちなみ、今会期は特集「日本美術院」で狩野芳崖、横山大観、下村観山ほかをごご紹介。また昨年11月のテレビ放映も手伝って、リクエストが多かった東山魁夷《秋翳(しゅうえい)》をはじめ、秋冬の季節感豊かな東山魁夷の作品を特集で取り上げます。このほか、注目される特集:*明治・大正期の水彩画の興隆を、自然景観を対象にした作品群(3室「戸外の風景」)と都市風俗を捉えた作品群(4室「浅草の月夜」)から見ていきます。*6室「スイス・コネクション」では、日本・スイス国交樹立150周年を記念し、パウル・クレー、ジャン・デュビュッフェ、ハンス・アルプなど、スイスゆかりのアーティストを特集します。*7室「国吉康雄、誰かがわたしの何かを破った」でアメリカで活躍した日本人画家、国吉康雄の全10点を展示します。 今会期に展示される重要文化財指定作品 原田直次郎《騎龍観音》1890年(寄託作品) 岸田劉生《道路と土手と塀(切通之写生)》1915年 中村彝《エロシェンコ氏の像》1920年 ●原田直次郎《騎龍観音》1890年(寄託作品)●萬鉄五郎《裸体美人》1912年●岸田劉生《道路と土手と塀(切通之写生)》1915年 ●中村彝《エロシェンコ氏の像》1920年 当館ホームページ(美術館)内の重要文化財コーナーでは、所蔵する13点の重要文化財(1点は寄託作品)について、画像と簡単な解説をいつでもご覧いただけます。どうぞ重要文化財コーナーもご参照ください。 ※予告なしに展示内容が変更になる場合もありますので、詳細は出品リストでご確認ください。 展覧会構成 「MOMATコレクション」では12(不定期で13)の展示室と2つの休憩スペースが3つのフロアに展開し、2Fテラス付近や前庭にも屋外彫刻展示を行っています。下記マップの水色のゾーンが「MOMATコレクション」です。4Fには休憩スペース「眺めのよい部屋」を併設しています。 所蔵作品展「MOMATコレクション」の会場入口は4Fです。1Fエントランスホールからエレベーターもしくは階段をご利用のうえ、4Fまでお上がりください。 4F 1室 ハイライト2-5室 1900s-1940s 明治の終わりから昭和のはじめまで「眺めのよい部屋」美術館の最上階に位置する休憩スペースには、椅子デザインの名品にかぞえられるベルトイア・チェアを設置しています。明るい窓辺で、ぜひゆったりとおくつろぎください。大きな窓からは、皇居の緑や丸の内のビル群のパノラマ・ビューをお楽しみいただけます。「情報コーナー」MOMATの刊行物や所蔵作品検索システムをご利用いただけます。 1. ハイライト  3,000m²に200点以上が並ぶ――この贅沢さがMOMATコレクションの自慢です。しかし近年、お客さまから、「たくさんあり過ぎてどれを見ればいいのかわからない!」「短時間で有名な作品だけさっと見たい!」という声をいただくことが増えました。そこで、2012年夏のリニューアルを機に、重要文化財を中心にコレクションの精華を凝縮してお楽しみいただける、「ハイライト」のコーナーを設けました。  今回は、日本美術の伝統を吸収しながら新しい世界を切り拓いた1960年代の日本画の新旗手、中村正義と加山又造の大作を展示します。《伴大納言絵巻》などの絵巻を参照したと思われる中村の《源平海戦絵巻 第3図(玉楼炎上)》と、琳派の現代的な再解釈といえる加山の《千羽鶴》。いずれも装飾性とダイナミズムを兼ね備えた戦後の日本画を代表する作品です。洋画では岸田劉生、中村彝、萬鉄五郎の重要文化財に、同時代の夭折の画家村山槐多の《バラと少女》を加えました。海外作家では素朴派と呼ばれるアンリ・ルソーの晩年の仕事を展示します。 アンリ・ルソー《第22回アンデパンダン展に参加するよう芸術家達を導く自由の女神 》1905-06年 萬鉄五郎《裸体美人》1912年 重要文化財 村山槐多《バラと少女》1917年 2. 明治の絵画 リアルな自然を描く 古賀春江《海》1929年 南薫造《六月の日》1912 年  絵画の近代化を模索する明治期の画家にとって、自然をいかにリアルに描くかは至上命題でした。ここでは風景画に限定せず、ひろく風俗画と呼ばれるものまで含めてその方法に注目してみましょう。 第一にフレーミングの工夫。黒田清輝の《落葉》は、森の風景を俯瞰的に切り取ることで、まるでその中を実際に散策しているかのような印象を与えます。この俯瞰的な視点は長原孝太郎の《残雪》でも採用され、足元に残る雪に目をとめた瞬間を捉えています。場面全体を説明するのではなく、あえて断片的に感じられるフレーミングを施すことで、生き生きとした体験を再現しようとしています。 第二に人間の生活と自然とのつながりを提示すること。南薫造《六月の日》には麦刈に勤しむ農民の姿が、和田三造の《南風》には屈強の海の男たちが描かれ、背景の自然とワンセットで扱われています。人間が働きかけ、克服する対象としての自然という発想がベースにあるようです。いずれも中央に上半身裸の男性が描かれており、「肉体」や「労働」を自然とともに美的に享受する感性がすでに存在していたことを伝えます。それは都市に暮らす者の視点といえるかもしれません。 3. 「みづゑ」の風景  水彩画を日本に初めて紹介した人物は、江戸末期、画報記者として滞在していたチャールズ・ワーグマンです。その後、お雇い外国人教師アントニオ・フォンタネージが工部美術学校で水彩画を教授したり、1890(明治23)年頃には、アルフレッド・イースト、ジョン・ヴァーレー、アルフレッド・パーソンズらイギリス人水彩画家が相次いで来日したりすることで、水彩画は徐々に市民権を得ていきました。更には画家大下藤次郎が1901(明治34)年に著した『水彩画の栞(しおり)』や、05年に大下が発刊を始めた『みづゑ』などをきっかけに、水彩画は一大ブームを迎えます。油彩に比べれば気軽に描けるということに加え、滲みやぼかし、更には白い紙の余白を効果的に用いる水彩の技法は、書や水墨画に親しんでいた日本人にとって受け入れやすいという考えが当時からあったようです。とはいえ、古くからの山水画や名所絵と、ここで紹介する明治・大正期の水彩による「風景画」は異なります。遠近法によって統御された画面、色彩の明暗によって対象を捉える、いわゆる写実的描写は、欧米由来の近代的なものの見方に基づいていると言えます。  吉田博《新月》1907年 大下藤次郎《穂高山の麓》1907年 4. 浅草の月夜 秦テルヲ《カフェー風景》1915年 織田一磨《「東京風景」より 上野廣小路》1916 年  明治の水彩画ブームでは、プロ・アマ問わず画家たちが名も無き自然景観のなかに「風景」を見出しましたが、その観察眼はやがて都市の内にも向けられていきました。ここでは大正初め頃に東京の風景や風俗を描いた3人をとりあげます。水彩画を文展などに発表していた織田一磨は、1910年頃から次第に自然の描写から離れ、都市風景のなかの「悲哀の感じ」(織田)を主観的に描くようになりました。連作「東京風景」(1916)以降は、石版画の技法を用いた豊かな階調をもつ陰影表現に向かいます。 1915年に遊郭吉原研究を目的に上京した異端の画家・秦テルヲは、遊蕩生活を送る自らを都市の奥深くに没入させ、共にどん底に生きる女たちの営みを描きました。刻々とうつりゆく情動を映すかのようにペン画の描線や色彩は粗密をつくって揺らめき 、形態はデフォルメされています。 1909年に処女画集『春の巻』を出版したアマチュア出身の画家・竹久夢二は、身近な風景に自身の生活感情を重ねて描く抒情的な作風で、多くの青年の共感を呼びました。その序文には、「絵画の形式で詩を描いてみた」と綴られています。 5. パリ、モナムール! ウジェーヌ・アジェ《「20 Photographs by Eugène Atget」より サン・クルー公園》1915-19年 アルベール・グレーズ《二人の裸婦の構成》1921 年 佐伯祐三《ガス灯と広告》1927年  「もし幸運にも、若者の頃、パリで暮らすことができたなら、その後の人生をどこですごそうとも、パリはついてくる。パリは移動祝祭日だからだ」。これはアメリカの作家、ヘミングウェイの言葉です。第一次世界大戦から1920年代にかけて、パリは世界中からアーティストが集まる、まさに祝祭の街となりました。1910年前後に二人の若者、ピカソとブラックが進めた「キュビスム」の傾向は、続く他の画家たちによっても追求され、切り子細工のようにカクカクした女性像や静物画が生みだされました。日本人画家、藤田嗣治は、パリに着いた当初、こうした先端的な動向にも触れましたが、やがて甘美な女性像を描く独自の路線を開発、美術界のみならず社交界でも人気者となりました。写真家、アジェが撮影するのは、そんな華やかな場所からはずれた古い路地裏。藤田もアジェの写真を購入する顧客の一人だったと言われます。ちょうど佐伯祐三が《ガス灯と広告》に描いたような、同時代の「アール・デコ」のポスターとともに、約90年前のパリのざわめきをお届けします。 3F 6-8室 1940年代-1960年代 昭和のはじめから中ごろまで9室 写真・映像10室 日本画建物を思う部屋 6. スイス・コネクション  今年は「日本・スイス国交樹立150周年」。そこでスイスに関連する三人のアーティストをご紹介いたしましょう。  一人目は、スイスの首都ベルンの近郊に生まれたパウル・クレー。ドイツで活躍していた時期も長く、国籍もドイツでした(父親がドイツ国籍でした)が、ナチスが前衛芸術を迫害したこともあって「故郷」に戻り、今ではベルンに彼の名を冠した美術館もあります。 二人目はフランスのル・アーヴル生まれのジャン・デュビュッフェ。彼が1945年にはじめてスイスの地を踏んだのは、精神病院などを訪れるためでした。教条的なアートに疑問を抱いていた彼にとって、精神病院の入院患者がつくる作品の芸術性に早くから注目していたスイスは、憧れの地だったのです。やがてデュビュッフェは既成の概念にとらわれない作品を「アール・ブリュット」と呼び、そうした観点から集めた作品をローザンヌ市に寄贈することになります。 三人目はフランスのストラスブールに生まれたアルプ。ドイツ系(ハンス)とフランス系(ジャン)、ふたつの名前を使っていた彼にとって、多言語国家であるスイスは親しみやすかったようです。そんな彼は、1916年にチューリヒで起こったダダという芸術運動の創立に参加し、また1922年にはスイスのアーティスト、ゾフィー・トイバーと結婚しました。 パウル・クレー《ホフマン風の物語》1921年 パウル・クレー《花ひらく木をめぐる抽象》1925年 パウル・クレー《山への衝動》1939年 7. 国吉康雄、誰かがわたしの何かを破った  荒れ地を行く女性たちは、いったいどこへ向かうのか?破られたポスターの前に立ち、こちらを振り返る女性の目は、いったい誰を見ているのか? 国吉康雄(1889‐1953)は、1906(明治39)年、17歳でひとりアメリカに渡り、以後ほとんど日本に帰ることなくアメリカで活動しました。ふたつの祖国が戦争をするという困難な時代を生き、晩年はアメリカを代表する画家の一人となりました。 MOMATでは、国吉が亡くなった翌年、1954年の遺作展に続き、2004年に50年ぶりとなる回顧展を行いました。今回は、この回顧展をきっかけに所蔵家よりご寄託いただいた作品を中心に、第二次世界大戦前後の国吉を特集してご紹介します。 国吉の画面に登場するのは、女性や子どもなど、決して難しいモチーフではありません。しかし、彼らがどのような状況で何をしているのか、放心したような表情を浮かべる人物が何を考えているのか、読み取ることは困難です。歴史に翻弄された複雑な思いを、簡単に他人に見せてはならないとでも言うように、幾重もの謎のカーテンの背後に隠して描き表しているのです。 国吉康雄《イーグルズ・レスト》1941年 8. 祝祭のあとで  1938(昭和13)年の国家総動員法によって、国民すべてに戦争協力が求められると、美術家も「戦争画」を描くという課題に直面します。現在「戦争画」と総称される作品のうち、正式に陸海軍の委嘱を受けたものは、当時「作戦記録画」と呼ばれました。あたかも各作戦を正確に記録した絵画のような名称です。しかし実際には、写真と比べ、画面が大きく色彩も豊かな絵画には、戦いをドラマティックかつ崇高に描き表す役割が期待されました。ドイツの哲学者、カントによると、「崇高」とは、美醜の別に関わらず、生命をおびやかしかねないほど圧倒的なものに対した時に引き起こされる感じです。したがって戦争画が示す「崇高」も、「美しい」ばかりではなく、時に凄惨な様相を呈します。こうした凄惨さが与える衝撃も含めて、戦争画は、当時展覧会に足を運んだ無数の人々の心を捉えたのです。今回は特に、戦争画を描く前後の作品を加え、5点の藤田嗣治作品を展示します。4階5室「パリ、モナムール!」でご紹介した女性像の後、藤田の絵画はどのように変化したのでしょうか。 9.藤田嗣治の幻の映画「風俗日本」  1933(昭和8)年に中南米経由で日本に帰国した藤田嗣治は、東京に居を構えたのち、佐渡、新潟、秋田などの日本海側や沖縄への取材旅行に出かけています。各地の伝統的な風俗や習慣に強い関心を抱いていた藤田は、まるで民俗学者のような視点で地方の文化を絵画に描くようになりました。 このような日本再発見の意欲が高まっていた藤田に、35年、外務省と国際映画協会から、海外向けに日本を紹介する映画シリーズ「現代日本」の監督就任の依頼が舞い込んできました。藤田が担当したのは、日本固有の生活文化を主題とする「風俗日本」の5巻。各巻のテーマは「田園」「都会」「娯楽」「子ども」「婦人」。そのうち唯一現存するのが今回上映する「子ども編」です。ロケ地は愛媛県の松山市。バリカンでの散髪や紙芝居、松山城での子どもたちのチャンバラ遊びなど日常的な情景が収録されています。藤田には、京都・奈良のような観光地とは異なる「素地日本」を海外に知らしめたいという意図がありました。ところが、この「風俗日本」に対して、子どもたちの生活風景が「貧しげで国辱的」という批判が噴出、それが理由でこの映画はお蔵入りになってしまいました。  10. 特集「日本美術院」/「東山魁夷」 狩野芳崖《仁王捉鬼図(におうそっきず) 》1886年 下村観山《唐茄子畑》1910年頃  「菱田春草展」(9月23日-11月3日)の開催にちなみ、奥のコーナーでは、春草ゆかりの「日本美術院」を特集します。日本美術院は1897(明治31)年、東京美術学校(現・東京藝術大学)を辞した岡倉天心が、橋本雅邦、横山大観、菱田春草、下村観山らと設立した研究団体です。1905には絵画部門の研究所が茨城県五浦(いづら)に移転、天心の理想に共鳴した大観、春草、観山、木村武山も移り住み、研鑽の日々を送りました。見どころの一つは、2011年にコレクションに加わった観山の《唐茄子畑》。カボチャの葉陰に隠れるようにして、おや…?観山の師、狩野芳崖の代表作《仁王捉鬼図》も必見です。 あわせて、手前のコーナーでは「東山魁夷」を特集します。MOMATは、下図や版画を含めると65点と、国内有数の東山コレクションを誇ります。今回はその中から主に秋、冬にちなむ作品を選んでご紹介。特に、正方形の画面に三角形の山を描く《秋翳(しゅうえい)》は、人気の高い作品です。多くのリクエストにお応えし、紅葉の季節を選んでの登場です。 小林古径《唐蜀黍(とうもろこし) 》1939年 2F 11–12室 1970s-2010s 昭和の終わりから今日までコレクションを中心とした小企画「美術と印刷物 1960-70年代を中心に」(ギャラリー4) 11. 克明に描く  なにかを描く際の方法はどのように形容できるでしょうか? 「具体的に」「抽象的に」「シンプルに」といろいろあります。これらは、描かれる対象と描かれたイメージとの関係性に基づく形容です。でも、もっと異なる描き方もあるはずです。 たとえば「克明」です。辞書で引くと「細かな部分まで念を入れてはっきりとさせること、またはそのさま」と書いてあります。つまり、克明に描く際に大事なのは、「細かい」という結果よりは「念入り」という姿勢なのだと言えるでしょう。 日高理恵子は、自分と樹との間にある空間、樹の枝と枝の間にある空間、樹の向こうにある空間を、克明に描こうとしています。それは、本当は見えないはずの「さまざまな空間」が、樹と自分との間の、時には一体的にも感じられる関係の中で生まれることへの驚きがあればこそでしょう。 坂上チユキは、どんな微細な点も繊細な線もおろそかにはしません。そうやって克明に描いているとうちになぜか生命的な形象が生まれる瞬間がある――そのことへの驚きに忠実になった結果が未完成に見える作品でしょう。生命的なものに畏怖の念を抱いた場合には、周囲の環境を整えるべく画面は覆い尽くされていきます。 12. 買ったものとあずかりもの  前回の1階企画「現代美術のハードコアはじつは世界の宝である展」(6月20日-8月24日)のテーマの一つは、個人コレクターとコレクションでした。では、美術館は一体どんな作品をどんな理由でコレクションしているのでしょう。ここでは、近年収集した1960年代以降の作品をご紹介します。 Chim↑Pom、村越としや、藤井光の作品は、東日本大震災がテーマです。91年前の関東大震災、約70年前の太平洋戦争に関する作品を多数所蔵するMOMAT。今度は50年先、100年先の人々に向け、2011年の厄災に直面したアーティストが何を考え、何を作ったのかを伝えるため、このテーマの収集に取り組んでいます。 また、美術館のコレクション展示には、よく見ると「コレクション」ではないもの、つまりコレクターの方々がMOMATに預けてくださっているものが含まれます。キャプションに「寄託」と書かれている作品を探してみてください。ご紹介する河原温、岡崎和郎の作品は、美術館が所蔵していない、しかしコレクションの流れ全体から見るとなくてはならない、だからご厚意に甘えてお預けいただいた、そんな貴重な「あずかりもの」たちです。 イベント情報 MOMATガイドスタッフによる所蔵品ガイド ※いずれも参加無料(要観覧券)/申込不要 2014年8月30日(土)~11月1日(土)(11月2日(日)、3日(月祝)は混雑が予想されるため、中止します。)休館日を除く毎日 14:00-15:00 所蔵品ギャラリー(1Fエントランス集合) 会期最初の土曜日は研究員による所蔵品ガイド 2014年8月30日(土) 14:00-15:00 MOMATガイドスタッフによるハイライト・ツアー ※いずれも参加無料/申込不要 2014年9月7日(日)2014年10月5日(日)(11月のハイライトツアーは混雑が予想されるため、中止します。)毎月第1日曜日(無料観覧日) 11:00-12:00 4Fエレベーター前集合 キュレーター・トーク 大谷省吾(主任研究員)「藤田嗣治と日本」 2014年10月17日(金) 時間: 18:00-19:00 中村麗子(主任研究員)「日本美術院の画家たち」 2014年10月24日(金) 18:00-19:00 3F 10室 日本画

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2014-5 所蔵作品展 MOMATコレクション 

4F所蔵品ギャラリー photo: 木奥恵三(以下、*印)(この会場風景は以前のものであり、現在の展示とは異なります。) 東京国立近代美術館本館所蔵品ギャラリー(4F~2F) 2014年11月11日(火)~2015年3月1日(日)前期:11月11日(火)~12月21日(日)後期:12月23日(火・祝)~3月1日(日) 10:00-17:00 (金曜日は10:00-20:00)※入館は閉館30分前まで 月曜日[ただし、11月24日(祝)、1月12日(祝)は開館]、11月25日(火)、2015年1月13日(火)および年末年始[12月28日(日)~2015年1月1日(木)] 一般 430円(220円)大学生130円(70円) 高校生以下および18歳未満、65歳以上、障害者手帳をお持ちの方とその付添者(1名)は無料。それぞれ入館の際、学生証、運転免許証等の年齢の分かるもの、障害者手帳等をご提示ください。( )内は20名以上の団体料金。いずれも消費税込。お得な観覧券「MOMATパスポート」でご観覧いただけます。キャンパスメンバーズ加入校の学生・教職員は学生証または教職員証の提示でご観覧いただけます。本展の観覧料で、当日に限り、「奈良原一高 王国」展(2F、ギャラリー4)もご観覧いただけます。 12月7日(日)、1月2日(金)、1月4日(日)、2月1日(日)、3月1日(日) 東京国立近代美術館 概要 所蔵作品展「MOMATコレクション」(4-2F)のご案内 9室「写真・映像」 10室 「日本画」* 「眺めのよい部屋」*  「MOMATコレクション」展は、日本画、洋画、版画、水彩・素描、写真など美術の各分野にわたる12,000点(うち重要文化財13点、寄託作品1点を含む)を越える充実した所蔵作品から、会期ごとに約200点をセレクトし、20世紀初頭から今日に至る約100年間の日本の近代美術のながれを海外作品も交えてご紹介する、国内最大規模のコレクション展示です。  ギャラリー内は、2012年のリニューアルによって、12の部屋が集合したスペースに生まれ変わりました。その1から12室までを番号順にすすむと1900年頃から現在に至る美術のながれをたどることができます。そして、そのいくつかは「ハイライト」、「日本画」という特別な部屋、あるいは特集展示のための部屋となって、視点を変えた展示を行っています。  「好きな部屋から見る」、「気になる特集だけ見る」あるいは「じっくり時間の流れを追って見る」など、それぞれの鑑賞プランに合わせてお楽しみください。 展示替えについて年間4~5回程度大きく作品を入れ替えています(会期によっては、さらに日本画を中心とした一部展示替があります)。 ここが見どころ 新収蔵作品、セザンヌ《大きな花束》を初公開! ポール・セザンヌ《大きな花束》1892-95年頃    4F1室「ハイライト」で、今年度に購入したばかりのセザンヌ《大きな花束》(1892-95年頃)を初公開します。日本の作家にも幅広く大きな影響を与えたセザンヌの静物画の大作が、今年度当館のコレクションに新たに加わりました。そのお披露目展示になります。 このほか、注目される特集:*2Fギャラリー4で開催の「奈良原一高 王国」展(11月18日-2015年3月1日)と関連して、写真家、奈良原一高の「王国」以外のシリーズを3F9室と2F11室でご紹介します。 *1Fの「高松次郎ミステリーズ」展(12月2日-2015年3月1日)にちなみ、1960-70の美術を特集します。荒川修作、出光真子、榎倉康二、大辻清司、岡崎和郎、河原温、工藤哲巳、中西夏之、奈良原一高、李禹煥、ジョーン・ジョナスとロバート・ラウシェンバーグを展示。 今会期に展示される重要文化財指定作品 原田直次郎《騎龍観音》1890年(寄託作品) 萬鉄五郎《裸体美人》1912年 中村彝《エロシェンコ氏の像》1920年 今会期に展示される重要文化財指定作品● 原田直次郎《騎龍観音》1890年(寄託作品)● 萬鉄五郎《裸体美人》1912年● 岸田劉生《道路と土手と塀(切通之写生)》1915年 ● 中村彝《エロシェンコ氏の像》1920年 当館ホームページ(美術館)内の重要文化財コーナーでは、所蔵する13点の重要文化財(1点は寄託作品)について、画像と簡単な解説をいつでもご覧いただけます。どうぞ重要文化財コーナーもご参照ください。 ※予告なしに展示内容が変更になる場合もありますので、詳細は出品リストでご確認ください。 前期・後期の作品の入れ替えについて 前期(2014年11月11日~12月21日)のみに展示される作品● 小林古径《機織(はたおり)》1926年● 西沢笛畝《うないの友》1936年● 鏑木清方《鰯》1937年 後期(2014年12月23日~2015年3月1日)のみに展示される作品● 小林古径《極楽井》1912年 梅原龍三郎氏寄贈● 冨田溪仙《紙漉き》1928年● 北野恒富《戯れ》1929年 ※予告なしに展示内容が変更になる場合もありますので、詳細は出品リストでご確認ください。 小林古径《機織(はたおり)》1926年【前期展示】 小林古径《極楽井》1912年【後期展示】 北野恒富《戯れ》1929年【後期展示】 展覧会構成 「MOMATコレクション」では12(不定期で13)の展示室と2つの休憩スペースが3つのフロアに展開し、2Fテラス付近や前庭にも屋外彫刻展示を行っています。下記マップの水色のゾーンが「MOMATコレクション」です。4Fには休憩スペース「眺めのよい部屋」を併設しています。 所蔵作品展「MOMATコレクション」の会場入口は4Fです。1Fエントランスホールからエレベーターもしくは階段をご利用のうえ、4Fまでお上がりください。 4F 1室 ハイライト2-5室 1900s-1940s 明治の終わりから昭和のはじめまで「眺めのよい部屋」美術館の最上階に位置する休憩スペースには、椅子デザインの名品にかぞえられるベルトイア・チェアを設置しています。明るい窓辺で、ぜひゆったりとおくつろぎください。大きな窓からは、皇居の緑や丸の内のビル群のパノラマ・ビューをお楽しみいただけます。「情報コーナー」MOMATの刊行物や所蔵作品検索システムをご利用いただけます。 「情報コーナー」 「眺めのよい部屋」 1. ハイライト 平福百穂《丹鶴青瀾》1926年  3,000m²に200点以上が並ぶ――この贅沢さがMOMATコレクションの自慢です。しかし近年、お客さまから、「たくさんあり過ぎてどれを見ればいいのかわからない!」「短時間で有名な作品だけ見たい!」という声をいただくことが増えました。そこで、一昨年の所蔵品ギャラリーリニューアルにあたって、重要文化財を中心にコレクションの精華をお楽しみいただける「ハイライト」のコーナーを設けることにしました。壁は作品を際立たせる濃紺、床はガラスケースの映り込みをなくし、作品だけに集中していただけるよう、艶消しの黒を選びました。 今回は、今年度に新しくコレクションに加わったポール・セザンヌ《大きな花束》を初めて公開します。日本の近代画家にも絶大な影響を与えたセザンヌの、様々な試行錯誤の跡がみてとれる静物画の大作です。静物画とはいいながらまるで風景画のような豊かな広がりを持つ絵画空間をお楽しみください。油彩は、萬鉄五郎、中村彝、岸田劉生の重要文化財に加え、セザンヌに影響を受けた安井曽太郎が独自のスタイルを確立した時期の代表作のひとつ《奥入瀬の溪流》を展示します。日本画では、平福百穂《丹鶴青瀾》と吉岡堅二の《馬》を展示します。 2. 明治の絵画 リアルな自然を描く 黒田清輝《落葉》1891年  絵画の近代化を模索する明治期の画家にとって、自然をいかにリアルに描くかは至上命題でした。ここでは風景画に限定せず、ひろく風俗画と呼ばれるものまで含めてその方法に注目してみましょう。 第一にフレーミングの工夫。黒田清輝の《落葉》は、森の風景を俯瞰的に切り取ることで、まるでその中を実際に散策しているかのような印象を与えます。場面全体を説明するのではなく、あえて断片的に感じられるフレーミングを施すことで、生き生きとした体験を再現しようとしています。 第二に人間の生活と自然とのつながりを提示すること。南薫造《六月の日》には麦刈に勤しむ農民の姿が、和田三造の《南風》には屈強の海の男たちが描かれ、背景の自然とワンセットで扱われています。人間が働きかけ、克服する対象としての自然という発想がベースにあるようです。いずれも中央に上半身裸の男性が描かれており、「肉体」や「労働」を自然とともに美的に享受する感性がすでに存在していたことを伝えます。それは都市に暮らす者の視点といえるかもしれません。 石井柏亭《草上の小憩》1904年 南薫造《六月の日》1912 年 3.わたしと太陽  「僕は芸術界の絶対の自由(フライハイト)を求めている。従って、芸術家の PERSOENLICHKEIT(人格)に無限の権威を認めようとするのである。[…]人が『緑色の太陽』を画いても僕はこれを非なりと言わないつもりである」。1910(明治43)年に高村光太郎が発表したエッセイ、「緑色の太陽」の中の一文です。外界の自然の姿すら変えることが可能な、芸術家のものの見方、感じ方の絶対の自由をうたう、大正デモクラシーの幕開けを告げる文章です。さて、赤いはずの太陽が補色の緑で描かれる――このたとえの背後には、オレンジと青の二つの補色で太陽を描くヴァン・ゴッホの作品のイメージがあったはずです。同じ1910年に発刊された雑誌『白樺』には、ゴッホの複製図版が多数紹介されました。輝くような色彩(図版の多くはモノクロでしたが)、息せき切った作画のスピード感を示す絵具の厚塗り、そして周囲に理解されない悲劇の生涯――ゴッホはたちまちのうちに、若い芸術家たちの拡張を求めて止まない「わたし=自我」を照らし出す、心の「太陽」となったのです。 萬鉄五郎《太陽の麦畑》1913年頃 岸田劉生《「天地創造」より 1.欲望》1914年 荻原守衛《女》1910年 4. 地震のあとで 解体と再構築 恩地孝四郎《人体考察(髪) 》1927年  1923年9月1日、マグニチュード7.9の巨大地震が関東地方を襲います。揺れによる建物の倒壊よりも火災の被害の方がはるかに大きく、地震直後に発生した火災はまたたくまに東京の中心部を焼き尽くしました。首都を壊滅させた震災は、ヨーロッパを荒廃させた第一次世界大戦に比較しうる衝撃を日本にもたらします。美術においては、その未曾有の経験に重ね合わせるかのように、旧来の遠近法によって制御された絵画空間を解体、再構築したキュビズムの造形言語や、日常的な素材を含む断片的な要素を組み合わせるコラージュの手法が浸透していきました。単一の視点で把握された安定した世界像はリアリティーを失っていったのです。 また、震災からの復興の過程で、これまでの近代の道のりを反省しつつ既存の社会を変革していこうという動きが、「改造」という時代の掛け声とともに台頭してきます。1920年前後に登場した村山知義や柳瀬正夢などの前衛芸術家は、まもなく社会主義思想に共鳴してプロレタリア芸術運動を主導するようになりました。村山と柳瀬の造形は大きく変化しますが、プロレタリア芸術にもコラージュ的な造形言語は取り入れられています。 5. パリ、モナムール! アルベール・グレーズ《二人の裸婦の構成》1921 年 ウジェーヌ・アジェ《「20 Photographs by Eugène Atget」より 肉屋、クリスティン通り》1922年  「もし幸運にも、若者の頃、パリで暮らすことができたなら、その後の人生をどこですごそうとも、パリはついてくる。パリは移動祝祭日だからだ」。これはアメリカの作家、ヘミングウェイの言葉です。第一次世界大戦から1920年代にかけて、パリは世界中からアーティストが集まる、まさに祝祭の街となりました。1910年前後に二人の若者、ピカソとブラックが進めた「キュビスム」の傾向は、続く他の画家たちによっても追求され、切り子細工のようにカクカクした女性像や静物画が生みだされました。日本人画家、藤田嗣治は、パリに着いた当初、こうした先端的な動向にも触れましたが、やがて甘美な女性像を描く独自の路線を開発、美術界のみならず社交界でも人気者となりました。写真家、アジェが撮影するのは、そんな華やかな場所からはずれた古い路地裏。藤田もアジェの写真を購入する顧客の一人だったと言われます。ちょうど佐伯祐三が《ガス灯と広告》に描いたような、同時代の「アール・デコ」 のポスターとともに、約90年前のパリのざわめきをお届けします。 3F 6-8室 1940年代-1960年代 昭和のはじめから中ごろまで9室 写真・映像10室 日本画建物を思う部屋 6. 北脇昇 混乱と秩序のはざまで 北脇昇《(A+B)² 意味構造》1940年  岩や雲、壁のしみが、風景や人の顔に見えてしまうという経験は誰もが持っているはずです。このように対象の中に見出された偶然の形象を「チャンス・イメージ」といいます。1930年代の半ばにシュルレアリスムを吸収して独自の芸術を開拓した北脇昇(1901-1951)の想像力の根幹には、常に、このチャンス・イメージによる「驚き」の感覚がありました。その発想は、日常の様々な事物や光景に潜む「顔」を収集した「観相学シリーズ」を経て、やがて自然や社会の隠された「法則」や「秩序」を可視化するという方向へと飛躍します。北脇の絵画には、具体的なイメージのみならず、観念を示す図式的な表現が用いられるようになりました。 この図式的な絵画は、日中戦争が泥沼化していく当時の社会に対する作家の態度の表明とみることができます。つまり合理的な精神を通して結晶のような秩序を見出すことによって、閉塞感に満ちた不安定な現実を乗り越えようと試みたのです。その際に北脇が依拠したのが、植物の生長変化というモデルと数学、そして東洋の易経だったのです。 7. 蝶は飛びさる、猫はじゃれあう 靉光《蝶》1942年  1938(昭和13)年の国家総動員法によって、国民すべてに戦争協力が求められると、美術家も「戦争画」を描くという課題に直面します。現在「戦争画」と総称される作品のうち、正式に陸海軍の委嘱を受けたものは、当時「作戦記録画」と呼ばれました。あたかも各作戦を正確に記録した絵画のような名称です。しかし実際には、写真と比べ、画面が大きく色彩も豊かな絵画には、戦いをドラマティックかつ崇高に描き表す役割が期待されました。ドイツの哲学者、カントによると、「崇高」とは、美醜の別に関わらず、生命をおびやかしかねないほど圧倒的なものに対した時に引き起こされる感じです。したがって戦争画が示す「崇高」も、「美しい」ばかりではなく、時に凄惨な様相を呈します。こうした凄惨さが与える衝撃も含めて、戦争画は、当時展覧会に足を運んだ無数の人々の心を捉えたのです。今回は、藤田嗣治が戦争画と同時期に描いた《猫》、出征し、上海で病没した靉光がやはり戦時下に描いた《蝶》をあわせて展示します。いずれも、人間以外の生き物の姿を借り、隠された思いを描いたものと思われてなりません。 8. 出来事と自由  1952年、サンフランシスコ講和条約の発効によって、日本は再び独立国として国際社会に復帰します。しかしまだそこには戦争の爪痕が残り、更にそのうえに築かれる新しい社会は、自ずと軋轢も生み出したことでしょう。こうした社会状況に対して、多くの作家たちが反応しました。たとえば、河原温の《孕んだ女》や石井茂雄の《戒厳状態》は、どちらも均質化、画一化を想起させるグリッドを地面や背景のモチーフに用い、その閉塞的な空間で疎外された人間の状況を表していると言えます。1954年、関西で吉原治良を中心に結成された「具体美術協会」の活動は、今取り上げた作家たちとは異なり、政治や社会的主題を読み取る ことは難しいでしょう。しかし、このグループの掲げた精神の自由というスローガンのなかに、戦中期における抑圧された表現活動への反省が含まれていると考えてみれば、既成のルールに縛られず、大胆な発想や方法によって作品を生み出そうとする態度もまた、状況に対する反応の一種だったとも捉えられます。 9. 奈良原一高 「人間の土地」   「奈良原一高 王国」展(11月18日-2015年3月1日) にあわせ、奈良原のデビュー作「人間の土地」を紹介します。 「人間の土地」は、長崎市沖に浮かぶ炭鉱の島、端島(通称“軍艦島”)に取材した第一部「緑なき島」と、たびかさなる火山の噴火により溶岩に埋まった桜島東部の集落、黒神村をとりあげた第二部「火の山の麓」から構成された作品です。外界と隔絶されたこの二つの土地を撮影することによって、人間の存在という共通項を浮き彫りにし、「今日生きること」を考えたかったと、奈良原は記しています。 この作品は、1956年、銀座の松島ギャラリーで開催された個展で発表されました。同展は、ほぼ無名の新人の個展としては異例の反響を呼び、当時美術史を学ぶ大学院生だった奈良原は一躍、注目の若手写真家として脚光を浴びます。それは同時に、彼がこの作品について用いたパーソナル・ドキュメントという言葉とともに、戦後に出発した新世代の台頭をあざやかに印象づけるものでした。 10.人、人々 尾竹国観《油断》1909年 右隻 同 左隻  今回の10室は、「人口密度」がやや高めです。人物像にスポットをあててみると、コレクションに含まれる作品の範囲内とはいえ、日本画ではどのような場面設定のもとに人物が描かれたか、その傾向が少し見えてきます。 尾竹国観の《油断》は戦の場面を選び、群像を描いています。歴史画の合戦シーンは、躍動感に満ちた群像表現を行う上で恰好の題材でした。中村大三郎の《三井寺(みいでら)》は、能の演目に主題を得ています。十五夜の月のもとに立つ女性は、生き別れた子ども千満(せんみつ)を探して三井寺にたどりついた母の姿。この後、母は物狂いとなって鐘を撞き、千満との再会を果たします。 風俗画や美人画には、古今の日常生活のなかの人物像が多く表れます。春の光景に若い女性、秋冬の光景には成熟した女性がとり合わされた例を見ると、四季の移り変わりに人生を重ねる思想が浮かび上がります。 また、日本画では、全裸の女性を描くとき、全裸であるべき場面設定がなされる傾向がありました。福田豊四郎の《海女》には、そうした伝統の残影がうかがえます。 冨田溪仙《紙漉き》1928年【後期展示】 2F 111–12室 1970s-2010s 昭和の終わりから今日まで「奈良原一高 王国」展(11月18日-2015年3月1日)(ギャラリー4) 11. 1,000,000年後の1日に  11室と12室では、1階企画展「高松次郎ミステリーズ」(12月2日-2015年3月1日)および2階企画展「奈良原一高 王国」(11月18日-2015年3月1日)にあわせ、関係する作家を特集します。11室は河原温と奈良原一高です。河原と奈良原は交流があり、奈良原は河原の初期作品を一時所蔵していたこともあるといいます。3階8室の《孕んだ女》のように、密室内のできごとを描く初期作品の後、河原の作品はずいぶん乾いた感じのものへと変化しました。それに伴い、河原自身は決して人前に姿を現さなくなります。〈I Am Still Alive〉〈I Got Up〉は、それぞれ「まだ生きている」「今日は**時に起きた」とだけ記し、知人に送ったハガキのシリーズです。必ず画面に描かれたその日に制作するルールの〈日付絵画〉も、〈I Am Still Alive〉や〈I Got Up〉も、少なくともそれらが制作された日には河原はこの世に存在していた、ということの証です。しかし本人に会うことができない以上、ぽつりぽつりと現われるこれらの作品以外に、河原がどこかに存在することを確かめるすべはないのです。 12. すべての事物が腐蝕し、崩壊していくこの巨大なガラクタ置場のなかで  タイトルは高松次郎の言葉から取りました(1階企画展「高松次郎ミステリーズ」[12月2日-2015年3月1日])。ここに展示されるのは、ほぼ高松と同世代で、それぞれに接点を持つ人々です。多くが1930年代生まれのこの世代は、小・中学生で敗戦を、大学生から社会人のころに高度経済成長を経験しています。到来した平和とモノがあふれる時代の中で、高松は、いまやすべてを倦怠が包み、モノの実体に触れる実感は持てない。モノには既成概念や空虚なイメージがべたべたと貼りついている。そうであれば、触れえないモノに向かって永遠に解けない謎を追い続けるしくみを作ることが、いまや作品制作の意味ではないか、と訴えました。このように、モノ(実体)とイメージや言葉(非実体)の関係を一から問い直すことは、この世代の作家たちに共有されるテーマでした。荒川修作は、モノと言葉の結び付きの恣意性を図式として示しました。李禹煥は、木や石といった自然の素材を用い、なるべく人の手を加えずおくことで、モノの豊かな世界をもう一度取り戻そうとしました。 もし現在でも芸術に存在意義があるとしたら、それはその難解さにおいてだろうと思います。作品の内容が“問い”という形でしか成立しえないことを意識している作家たちに、その答えのわかりやすさを要求するのは酷というものです。 イベント情報 MOMATガイドスタッフによる所蔵品ガイド 2014年11月11日(火)~2015年3月1日(日)(12月6日(土)、7日(日)、13日(土)、20日(土)、2月14日(土)は13:00から実施します。)休館日を除く毎日 14:00-15:00 所蔵品ギャラリー(1Fエントランス集合) 所蔵品ギャラリーでは毎日、作品解説が行われています。当館のボランティア「MOMATガイドスタッフ」が、参加者のみなさまと会場をまわり、数点の作品を一緒に鑑賞しながら、作品についての理解を深められるようにお手伝いします。作品とテーマは、ガイド前に1階エントランスに掲示されます。約40名のガイドスタッフそれぞれ、作品とテーマが異なりますので、何度参加されてもお楽しみいただけます。 「MOMATガイドスタッフ」のページもあわせてご覧ください。「ある日の所蔵品ガイド」の様子を写真付きで詳しく紹介しています。 会期最初の土曜日は研究員による所蔵品ガイド 2014年11月15日(土) 14:00-15:00 ※いずれも参加無料(要観覧券)/申込不要 MOMATガイドスタッフによるハイライト・ツアー 毎月第1日曜日(無料観覧日) 2014年12月7日(日)2015年1月4日(日)2015年2月1日(日)2015年3月1日(日) 11:00-12:00 所蔵品ギャラリー(4Fエレベーター前ホール集合) 近代日本の美術の流れをたどりつつ、所蔵作品展「MOMATコレクション」の見どころを押さえたい方に。MOMATガイドスタッフが、参加者の皆様とともに4階から2階までをまわり、代表的な所蔵作品を、やさしく解説します。

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2014-6 所蔵作品展 MOMATコレクション 

重要文化財、川合玉堂《行く春》が展示されます! 川合玉堂《行く春》1916年 桜の舞う春を代表する作品として、重要文化財の川合玉堂の《行く春》を4階1室の「ハイライト」で展示します。また花が咲き、若葉が美しい春から初夏にちなんで、9室では、植物をめぐる写真作品を特集します。 このほか、注目される特集 萬鉄五郎《もたれて立つ人》1917年 安井曽太郎《奥入瀬の溪流》1933年 *第3室で萬鉄五郎を特集し、当館の所蔵作品を全点展示するほか、5室で梅原龍三郎、安井曽太郎、長谷川利行を展示します。 *「片岡球子展」(4月7日–5月17日)開催にちなみ、肖像を扱った作品を集めた2室「面がまえ、いろいろ」、富士山を特集した4室、女性の日本画家を特集する10室など特色ある展示構成になっています。また土田麦僊《舞妓林泉》、鏑木清方《三遊亭円朝像》(重要文化財)、上村松園《母子》(重要文化財)、小倉遊亀の《浴女その一》《浴女その二》など、重文含む日本画の名作を数多く展示しています。ぜひこの機会をお見逃しなく! 今会期に展示される重要文化財指定作品 岸田劉生《道路と土手と塀(切通之写生)》1915年 中村彝《エロシェンコ氏の像》1920年 上村松園《母子》1934年 原田直次郎《騎龍観音》1890年(寄託作品)萬鉄五郎《裸体美人》1912年岸田劉生《道路と土手と塀(切通之写生)》1915年 川合玉堂《行く春》1916年中村彝《エロシェンコ氏の像》1920年鏑木清方《三遊亭円朝像》1930年上村松園 《母子》1934年 また石膏原型が重文の新海竹太郎《ゆあみ》1907年も4Fハイライトコーナーに展示されます。 当館ホームページ(美術館)内のMOMATの国指定重要文化財コーナーでは、所蔵する13点の重要文化財(1点は寄託作品)について、画像と簡単な解説をいつでもご覧いただけます。どうぞMOMATの国指定重要文化財コーナーもご参照ください。 ※予告なしに展示内容が変更になる場合もありますので、詳細は出品リストでご確認ください。 展覧会構成 「MOMATコレクション」では12(不定期で13)の展示室と2つの休憩スペースが3つのフロアに展開し、2Fテラス付近や前庭にも屋外彫刻展示を行っています。下記マップの水色のゾーンが「MOMATコレクション」です。4Fには休憩スペース「眺めのよい部屋」を併設しています。 所蔵作品展「MOMATコレクション」の会場入口は4Fです。1Fエントランスホールからエレベーターもしくは階段をご利用のうえ、4Fまでお上がりください。 1室 ハイライト2-5室 1900s-1940s 明治の終わりから昭和のはじめまで 「眺めのよい部屋」 美術館の最上階に位置する休憩スペースには、椅子デザインの名品にかぞえられるベルトイア・チェアを設置しています。明るい窓辺で、ぜひゆったりとおくつろぎください。大きな窓からは、皇居の緑や丸の内のビル群のパノラマ・ビューをお楽しみいただけます。 「情報コーナー」 MOMATの刊行物や所蔵作品検索システムをご利用いただけます。 1. ハイライト 川合玉堂《行く春》1916年 重要文化財  3,000m²に200点以上が並ぶ――この贅沢さがMOMATコレクションの自慢です。しかし近年、お客さまから、「たくさんあり過ぎてどれを見ればいいのかわからない!」「短時間で有名な作品だけ見たい!」という声をいただくことが増えました。そこで、一昨年の所蔵品ギャラリーリニューアルにあたって、重要文化財を中心にコレクションの精華をお楽しみいただける「ハイライト」のコーナーを設けることにしました。壁は作品を際立たせる濃紺、床はガラスケースの映り込みをなくし、作品だけに集中していただけるよう、艶消しの黒を選びました。  今回は、春に相応しい日本画として、桜が舞う長瀞の光景を六曲一双の大画面に展開した重要文化財、川合玉堂《行く春》を展示します。横方向に移動しながら移り変わる風景をお楽しみください。また庭園の情景と舞子の姿を緻密に構成した土田麦僊の《舞妓林泉》も久しぶりの登場です。油彩は、中村彜、岸田劉生の重要文化財に加え、夭折の画家として知られる関根正二と佐伯祐三の代表作を紹介します。彫刻は、いずれも石膏原型が重要文化財に指定されている新海竹太郎と荻原守衛の作品を展示します。 新海竹太郎《ゆあみ》1907年 土田麦僊《舞妓林泉》1924年 2. 面がまえ、いろいろ 岸田劉生《自画像》1914年 恩地孝四郎《『氷島』の著者(萩原朔太郎像)》1943年  「片岡球子展」(4月7日-5月17日)開催にちなみ、肖像をテーマにした作品をご紹介します。片岡は、さまざまな時代に活躍した人物を描く〈面構(つらがまえ)〉シリーズで知られます。今回この部屋に登場するのも、明治の噺家、三遊亭円朝や詩人の萩原朔太郎、作曲家グスタフ・マーラーの妻アルマ、美術家では岸田劉生やバーナード・リーチ、佐伯祐三や安井曽太郎など、錚々たる人々です。 見どころは、たとえば版画家、恩地孝四郎と彫刻家、舟越保武が捉えた、二つの萩原朔太郎像の違い。あるいは、佐伯祐三の自画像とライフ・マスク(生前に石膏で顔を型どりしたもの)との違い。また、鏑木清方が描く記憶の中の三遊亭円朝と、写真に残る円朝との違いです。姿を写し取る人が、あるいは絵画、版画、彫刻、写真と写し取るための手段が、さまざまに異なると、同じ人物なのに印象が変わります。  一体どれが真実のその人に近いのでしょう。いや、そもそも、生きて刻々と変化する人物を、絵画や彫刻によって静止した姿に留めることは、本当に可能なのでしょうか。 3. 萬鉄五郎魂 萬鉄五郎《裸体美人》1912年 重要文化財 萬鉄五郎《太陽の麦畑》1913年頃 萬鉄五郎《小石川風景》1913年頃  萬鉄五郎の《裸体美人》は「MOMATコレクション」でもおなじみの作品です。しかし、萬の全体像って意外に知らないな、という方もいらっしゃるのではないでしょうか。そこで今回は、MOMAT所蔵の油彩7点、素描3点、版画2点(寄託作品1点を含む)をすべてお見せします。早い時期の《裸体美人》から晩年の(といっても42歳で没したのですが)《裸婦(ほお杖の人)》まで、一通りの流れをたどっていただけます。  見どころの一つは、三つの裸体像の変化です。鼻の穴と脇毛が強烈な《裸体美人》は、日本で最初期にファン・ゴッホらの影響を示した作例とされます。5年後の《もたれて立つ人》では作風が一変、ロボットのような裸体が描かれます。ピカソ、ブラックらによる「キュビスム」の影響を表した、これも日本最初期の作例といわれます。最後の《裸婦(ほお杖の人)》は、裸の女性が島田髷を結って金屏風の前に座る、という人を食った設定です。きれいな黒い目を持ち、一見もの静かだったという萬。実は次々と画風を変え、人々の予想を裏切り続ける反逆の魂をたぎらせていたのです。 4. 富士山 川瀬巴水《忍野の富士》1942年  「片岡球子展」(4月7日-5月17日)の開催にあわせて、片岡球子も繰り返し描いた富士山をテーマとする版画作品を集めました。富士の図像というと誰しも江戸時代の浮世絵版画を思い浮かべますが、1939(昭和14)年にはこう書く人もありました。「広重の富士は八十五度(中略)北斎にいたっては、その頂角、ほとんど三十度くらい。(中略)けれども、実際の富士は、鈍角も鈍角、のろくさと拡がり(中略)決して、秀抜の、すらと高い山ではない」。小説家・太宰治の言葉です。同じ昭和初期に、川瀬巴水は《忍野の富士》、《吉田の雪晴》などで複雑な山襞を克明に表し、現実の山塊としてある富士山を表現しました。小泉癸巳男は「聖峰富嶽三十六景」シリーズで民家の屋根や電線越しに富士山を置いてみることによって、日常風景に取り込まれた親しみある富士を表現しました。巴水は各地を旅し、小泉も富士登山の機会を得るなかで、こうした経験に基づく観察から、版画における富士山の表現を更新しています。まるで太宰の言葉をなぞるように、浮世絵版画のイメージから抜け出ようとする富士山の表現が様々に出そろいました。 5. 並べてみれば 梅原・安井・利行 長谷川利行《岸田國士像》1930年 安井曽太郎《金蓉》1934年  梅原龍三郎(1888-1986)、安井曽太郎(1888-1955)、長谷川利行(1891-1940)。日本のある世代にはよく知られた画家たちです。でも、それだけに、先入観が生れている可能性もあります。そこでここでは、作品を「並置」してみることで、それぞれの画家の特質を改めて浮かび上がらせたいと思います。  たとえば安井と梅原によるチャイナドレスの女性像。見比べると、安井が身体を手掛かりにしつつ複雑な空間表現に挑戦しているのに対して、梅原の場合は、人物の性格の描写に集中していることがわかります。安井の風景画を並べると、画肌や奥行きの表現に変化がある一方で、視界をわずかに遮る樹木を手前に置く点では共通していることがわかります。梅原による人物画では、最初は「〇〇風」と呼びたくなる作品だったのが、戦後あたりで独自の様式を獲得したことが一目瞭然です。そして利行。彼の場合は、年によって変化するというよりは、むしろ対象にあわせて筆触を変えているように見えてこないでしょうか。 3F 6-8室 1940年代-1960年代 昭和のはじめから中ごろまで9室 写真・映像10室 日本画建物を思う部屋 6. 北脇昇 混乱と秩序のはざまで  岩や雲、壁のしみが、風景や人の顔に見えてしまうという経験は誰もが持っているはずです。このように対象の中に見出された偶然の形象を「チャンス・イメージ」といいます。1930年代の半ばにシュルレアリスムを吸収して独自の芸術を開拓した北脇昇(1901-1951)の想像力の根幹には、常に、このチャンス・イメージによる「驚き」の感覚がありました。その発想は、日常の様々な事物や光景に潜む「顔」を収集した「観相学シリーズ」を経て、やがて自然や社会の隠された「法則」や「秩序」を可視化するという方向へと飛躍します。北脇の絵画には、具体的なイメージのみならず、観念を示す図式的な表現が用いられるようになりました。  この図式的な絵画は、日中戦争が泥沼化していく当時の社会に対する作家の態度の表明とみることができます。つまり合理的な精神を通して結晶のような秩序を見出すことによって、閉塞感に満ちた不安定な現実を乗り越えようと試みたのです。その際に北脇が依拠したのが、植物の生長変化というモデルと数学、そして東洋の易経だったのです。 北脇昇《聚落(じゅらく)(観相学シリーズ)》1938年 北脇昇《(A+B)² 意味構造》1940年 7. 蝶は飛びさる、猫はじゃれあう 靉光《眼のある風景》1938年 靉光《蝶》1942年  1938(昭和13)年の国家総動員法によって、国民すべてに戦争協力が求められると、美術家も「戦争画」を描くという課題に直面します。現在「戦争画」と総称される作品のうち、正式に陸海軍の委嘱を受けたものは、当時「作戦記録画」と呼ばれました。あたかも各作戦を正確に記録した絵画のような名称です。しかし実際には、写真と比べ、画面が大きく色彩も豊かな絵画には、戦いをドラマティックかつ崇高に描き表す役割が期待されました。ドイツの哲学者、カントによると、「崇高」とは、美醜の別に関わらず、生命をおびやかしかねないほど圧倒的なものに対した時に引き起こされる感じです。したがって戦争画が示す「崇高」も、「美しい」ばかりではなく、時に凄惨な様相を呈します。こうした凄惨さが与える衝撃も含めて、戦争画は、当時展覧会に足を運んだ無数の人々の心を捉えたのです。今回は、藤田嗣治が戦争画と同時期に描いた《猫》、出征し、上海で病没した靉光がやはり戦時下に描いた《蝶》をあわせて展示します。いずれも、人間以外の生き物の姿を借り、隠された思いを描いたものと思われてなりません。 8. 芸術は、爆発だ!  岡本太郎のこの言葉をご存知の方も多いでしょう。このフレーズ自体は、1981年に放映されたテレビCMにおけるものです。けれどもその精神は、彼の初期の活動から通底しています。彼は「爆発」という言葉に破壊的な意味よりも、因習的なものを否定し、精神を解放させるといった意図を託していました。言い換えれば、当たり前なものと思われているルールを疑問視し、見る人の価値観を揺るがすことを目指していたのです。このこと自体は、彼の作品だけの専売特許ではありません。たとえばピカソやルソーの絵画を吸収し、日本画に援用しようとした加山又造、制作の身振りと絵具の物質性の一致によって、絵画空間の刷新を目指すアンフォルメル運動に身を投じた堂本尚郎や今井俊満などによる、1950年代から60年代にかけて作られた作品を、この部屋ではご紹介します。更に彫刻家・山本豊市の素描も展示します。1Fの企画展ギャラリーで取り上げられている片岡球子は、ものの量塊を捉える訓練として、1950年代に山本にデッサンを学びました。自らの限界を超えるため、別ジャンルの達成点を取り入れようとしたのでした。 9. 植物・植生への眼差し カール・ブロスフェルト《ニワトコ》年代不詳  草木が芽吹き、花の咲く季節にあわせ、植物をめぐる作品を展示いたします。植物のディテールを注視したり、そのフォルムを抽出したり、植生に目を向けて、植物を空間との関係の中で見つめたり、それぞれの写真に現れる植物の姿も、写真家たちの関心のあり方もさまざまです。 カール・ブロスフェルトの作品に典型的なように、クローズアップで捉えられ、実物よりもはるかに大きなサイズに拡大された植物の姿かたちは、その造型性や生命力を露わにしています。 対照的に、山村雅昭や三好耕三の作品のように、植物を周りの環境とともに捉えた写真においては、植物同士の関係や、自然環境や室内といったそれぞれの空間の中での植物の存在感が際立ちます。写真家が植物に向ける眼差しは、水や光や空、大地のような植物を育み取り巻く環境が写真としてどのように立ち現れるのかという関心に裏打ちされてもいるのです。 10. 女性・日本画家 跡見玉枝《桜花図屏風》1934年  一階の「片岡球子展」(4月7日-5月17日)にちなみ、一部を除いて、女性の日本画家による作品を紹介します。作品選択の条件はこうです。①画家が故人であること、②晩年まで制作を続けたこと、③近い時期に展示や他館への貸出がないこと、④作品の状態に問題がないこと。つまりかなり機械的に作品を抽出したのですが、ご覧のとおり、婦人、子供、母子、花といった主題の作品ばかりが並ぶことになりました。こうした画題の偏りはジェンダーの視点からすれば由々しき事態でしょう。「女らしさ」を求める社会の圧力が、女性画家を特定の画題に向かわせたとも考えられるからです。当館のコレクションが国家の評価、すなわち文部省買い上げ作品を基盤とすることも、問題をさらに深刻にするかもしれません。  「芸術の目標とするところは所詮個性的であると云ふ事だ。女でなくては感じ得られないこまやかさしとやかさやはやはしさ、扨は繊細な尖鋭や周到な注意、其他[略]先づ自らを知り自らに忠実な事が、総ての道同様第一でなければならぬ」(神埼憲一「閨秀作家の道」、『塔影』12巻3号、1936年3月)。 上村松園《静》1944年 2F 11–12室 1970s-2010s 昭和の終わりから今日まで 「大阪万博1970 デザインプロジェクト」(3月20日~5月17日)(ギャラリー4) 11. 「絵は下手でなくてはならない」  一階で企画展が開催中(4月7日-5月17日)の片岡球子(1905-2008)は、大学で教えていたとき、「絵は下手でなくてはならない」と語っていたと言います。想像するにその意図は、上手であることを見せようとしているうちはダメ、そうした地点を乗り越えて、他人からはともすれば下手に見えてしまうかもしれないような独自の線、形、色彩、構図、内容を獲得しなければならない、ということだったのではないでしょうか。ここではそうした観点から「下手な」作品を選んでみました。自宅から見える風景を描き続けた小松均、幻覚や抑圧に基づき揺れ動くような水玉や網目を取り入れた草間彌生、子供や精神障害者の作品に興味を持ち続けたジャン・デュビュッフェ、異色の画僧として知られた岩崎巴人、彼らの作品を前にすると、「下手」の境地にこそむしろ広がりがあることがわかるでしょう。また、本画とは異なる遊びを感じさせる髙山辰雄の素描も見所です。 12. すべての事物が腐蝕し、崩壊していくこの巨大なガラクタ置場のなかで  タイトルは、1960年代に活動を開始したアーティスト、高松次郎(1936-1998)の言葉から取りました。ここに展示される人々の半分以上は、高松と同じ1930年代生まれです。この世代は小・中学生で敗戦を迎え、それまでに大人たちが作り上げた価値観が崩れて行くのを目の当たりにしました。続く大学生から社会人のころには高度経済成長期が到来、モノがあふれる平和な世の中で、今度はモノの実体に触れる実感が持てないむなしさに直面します。こうした背景を考え合わせると、この世代の作品のいくつかの特徴がはっきりと理解できます。たとえば、前の世代が決めた「絵画」や「彫刻」の枠に逆らうものをわざわざ作ること。注射器やビニールの人形といった大量生産物、大量廃棄物を素材にすること。手袋の裏側や、人の手が触れる瞬間のボールと棒の姿など、ふつうの人が見ない部分から人が世界と出会う方法を考えようとすること、などなどです。何に対しても「なぜ?」と問いを発する子どものように、彼らの作品は、前の世代が決めたルールを一から自分で検証し直すために作られているのです。 イベント MOMATガイドスタッフによる所蔵品ガイド 2015年3月7日(土)~5月17日(日)14:00-15:00(4月11日(土)、5月2日(土)は13:00から実施します。)休館日を除く毎日 所蔵品ギャラリー(1Fエントランス集合) 所蔵品ギャラリーでは毎日、作品解説が行われています。当館のボランティア「MOMATガイドスタッフ」が、参加者のみなさまと会場をまわり、数点の作品を一緒に鑑賞しながら、作品についての理解を深められるようにお手伝いします。作品とテーマは、ガイド前に1階エントランスに掲示されます。約40名のガイドスタッフそれぞれ、作品とテーマが異なりますので、何度参加されてもお楽しみいただけます。 「MOMATガイドスタッフ」のページもあわせてご覧ください。「ある日の所蔵品ガイド」の様子を写真付きで詳しく紹介しています。 ※簡易的な撮影なので、画面が暗いです。ご了承ください。 トーク内に出てくる作品で、映像に映らないものもございます。作品は、展示会場でじっくりご覧ください。 新型コロナウィルス感染症の感染拡大防止の観点から、当面の間、すべての講演会などの対面のプログラムを中止しております。 代わりに、YouTube公式チャンネルにて、「オンライン・キュレータートーク」を配信しております。所蔵作品を約3分ほどの短い動画でご紹介しておりますので、こちらからご覧ください。 会期最初の土曜日は研究員による所蔵品ガイド 2015年3月7日(土) 14:00-15:00 ※いずれも参加無料(要観覧券)/申込不要 MOMATガイドスタッフによるハイライト・ツアー 2015年4月5日(日)(5月の第一日曜日は、混雑が予想されるためハイライトツアーをお休みします。) 11:00-12:00 所蔵品ギャラリー(4Fエレベーター前ホール集合) 近代日本の美術の流れをたどりつつ、所蔵作品展「MOMATコレクション」の見どころを押さえたい方に。MOMATガイドスタッフが、参加者の皆様とともに4階から2階までをまわり、代表的な所蔵作品を、やさしく解説します。 開催概要 東京国立近代美術館本館所蔵品ギャラリー(4F~2F) 2015年3月7日(土)~5月17日(日) 10:00-17:00 (金曜日は10:00-20:00)※入館時間は閉館30分前まで 月曜日[ただし、3月23日、3月30日、4月6日、5月4日は開館 一般 430円(220円)大学生130円(70円) 高校生以下および18歳未満、65歳以上、障害者手帳をお持ちの方とその付添者(1名)は無料。それぞれ入館の際、学生証、運転免許証等の年齢の分かるもの、障害者手帳等をご提示ください。( )内は20名以上の団体料金。いずれも消費税込。お得な観覧券「MOMATパスポート」でご観覧いただけます。キャンパスメンバーズ加入校の学生・教職員は学生証または教職員証の提示でご観覧いただけます。本展の観覧料で、当日に限り、「大阪万博1970 デザインプロジェクト」展(2F、ギャラリー4)もご観覧いただけます。「友の会MOMATサポーターズ」、「賛助会MOMATメンバーズ」会員の方は、会員証のご提示でご覧いただけます。 4月5日(日)、5月3日(日)、5月17日(日・国際博物館の日) 東京国立近代美術館

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ゴーギャン展

展覧会について ゴーギャンの最高傑作 日本初公開 《我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか》(部分)1897-98年 油彩・キャンバス ボストン美術館Tompkins Collection-Arthur Gordon Tompkins Fund, 36.270 Photograph © 2009 Museum of Fine Arts, Boston. All rights reserved.《我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか》(部分)1897-98年 油彩・キャンバス ボストン美術館Tompkins Collection-Arthur Gordon Tompkins Fund, 36.270 Photograph © 2009 Museum of Fine Arts, Boston. All rights reserved.19世紀末の爛熟した西欧文明に背を向け、南海の孤島タヒチにひとり向かった画家ポール・ゴーギャン(1848-1903)。その波乱に満ちた生涯は、芸術に身を捧げた孤独な放浪の画家の典型といえるでしょう。自らの内なる「野性」に目覚めたゴーギャンは、その特異な想像力の芽を育む「楽園」を求めて、ケルト文化の伝統を色濃く残すブルターニュ、熱帯の自然が輝くマルチニック島、ゴッホとの伝説的な共同制作の舞台となった南仏アルル、そして二度のタヒチ行と、終わりのない旅を繰り返しました。その過程で、自ずと人間の生と死、文明と野蛮といった根源的な主題に行き着きます。このような人間存在に関する深い感情や思索を造形的に表現すること、これがゴーギャンの絵画の課題だったのです。タヒチで制作された畢生の大作《我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか》(1897-98)は、画家が目指した芸術の集大成であり、その謎めいたタイトルとともに、後世に残されたゴーギャンの精神的な遺言とも言えるでしょう。この展覧会は、日本初公開となるこの傑作を中心に、国内外から集められた油彩・版画・彫刻、約50点の作品を通して、混迷する現代に向けられたメッセージとして、あらためてゴーギャンの芸術を捉えなおそうとするものです。 展覧会構成 1章 内なる「野性」の発見 株式仲買人として成功を収めたゴーギャンは、デンマーク人女性メット・ガッドと結婚して幸福な家庭生活を送っていました。しかし、ピサロをはじめとする印象派の画家達との交友が深まるなかで、徐々に絵画への情熱が抑えがたくたかまり、1883年に突然、芸術家として生きる決意を固めます。家庭は破綻し、そこから画家の孤独な放浪が始まりました。印象主義の影響が色濃く残る初期のスタイルからの離脱は、ケルトの伝説が息づくブルターニュ地方との出会いを待たねばなりません。そこで画家は、形態を単純化し、縁取りのある平坦な色面によって堅固かつ装飾的な画面を構成するスタイルを確立します。それは、ゴーギャンの内なる「野性」とブルターニュの濃密な風土が共振して生まれたものでした。 2章 熱帯の楽園、その神話と現実 ゴーギャンが自身の芸術の未来を賭けてタヒチに旅立つのは1891年のこと。タヒチの原始と野性が、造形的な探求にさらなる活力を吹き込むことを期待しての決断でした。しかし、18世紀にイギリス人によって発見され、1880年にフランスの植民地となったこの南太平洋の島は、すでに無垢な楽園ではありませんでした。ゴーギャンは、西欧文明の流入によって失われつつあるマオリの伝統に思いを馳せながら、そこに自らの野蛮人としての感性を重ね合わせて、原初の人類に備わる生命力や性の神秘、あるいは地上に生きるものの苦悩を、タヒチ人女性の黄金色に輝く肉体を借りて描き出しました。その豊かなイメージには、タヒチの風土と、エヴァやマリアといったキリスト教的なモチーフ、そして古今東西の図像が混ざりあっています。 3章 南海の涯はて、遺言としての絵画 1893年にパリに戻ったゴーギャンを待っていたのは、タヒチ時代の作品に対する無理解でした。パリの美術界に幻滅した画家は、1895年、二度とヨーロッパに戻らない覚悟で再びタヒチを目指します。しかし、健康状態の悪化と財政の逼迫により制作もままならない日々が続きます。ゴーギャンをさらに深い悲しみに突き落としたのが、最愛の娘の死の知らせでした。自らの運命を呪いながら、ゴーギャンは遺言としての大作《我々はどこから来たのか》の制作に着手します。絶望の淵での創作とはいえ、そこには人間存在への哲学的な思想が静かに語られていました。未開の地を求め続けた画家は、1901年にマルキーズ諸島に移住して、最後の日々を送ります。晩年の作品に頻繁に登場する馬は、彼岸に向けての旅立ちを暗示しているのかもしれません。 作家紹介 年譜ポール・ゴーギャン 1848-1903 1848年 パリに生まれる。父はオルレアン出身のジャーナリスト、母はペルーの貴族の血統を引く女性解放運動家フローラ・トリスタンの娘だった。幼少期をペルーで過ごす。1855年頃帰国。1865年 海員として商船に乗り組む。1872年 パリで株式仲買商となり経済的に成功、デンマーク女性メット・ガットと結婚。ピサロら印象派の画家たちと交流し、作品収集と制作を始める。1879年 第4回印象派展に出品。その後1886年の最後の印象派展まで毎回出品。1883年 職を辞して画家を志す。1886年 ブルターニュ地方のポン=タヴェンに滞在。1887年 パナマおよびマルティニーク島に旅行。1888年 アルルでファン・ゴッホと短期間の共同生活。ゴッホの耳切り事件の後、パリへ帰る。1891-1893年 最初のタヒチ滞在。1893年 帰国、パリのデュラン=リュエル画廊でタヒチで制作した作品による個展。1893-1894年 『ノアノア』のための木版画を制作する。1894年 ブルターニュに滞在。1895-1901年 2度目のタヒチ滞在。1897-1898年 《我々はどこから来たのか》を描く。1898年 パリのヴォラール画廊で《我々はどこから来たのか》を中心とする個展開催。1901年 マルキーズ諸島のラ・ドミニック島(現ヒヴァ=オア島)に移り住む。1903年 心臓発作により死去。 イベント情報 こどもセルフガイド 「ゴーギャンの冒険」 「ゴーギャン展」会期中に来場した小中学生に、作品を見るためのヒントやクイズ、画家に関するエピソードなどを紹介した書き込み式のセルフガイドをプレゼントします。 教職員鑑賞プログラム「ゴーギャン展」先生のための鑑賞講座(講演+展覧会観覧) *学校教職員が対象のプログラムです要事前申込 2009年7月3日(金) *終了しました (講演)18:00-19:00/(展覧会観覧)16:00-20:00 ゴーギャン展 高校生無料観覧日 7月24日(金)~7月26日(日) *終了しました 「ゴーギャン展」会場入口改札で学生証を提示のうえ、ご入場ください。7月24日、25日、26日の3日間に限り、「ゴーギャン展」の高校生観覧料を無料といたします。また、当日は本館所蔵作品展「近代日本の美術」、工芸館所蔵作品展「こども工芸館~¿! コレクション おとな工芸館~涼しさ招く」もあわせてご覧いただけます。この機会にお誘い合わせの上、ぜひご来場ください。 レストラン「クイーン・アリス アクア」 「ゴーギャン展」開催記念 特別メニュー カタログ情報 開催概要 東京国立近代美術館 企画展ギャラリー 2009年7月3日(金)~9月23日(水) 10:00-17:00(金・土曜日は10:00-20:00)*入館は閉館30分前まで*「ゴーギャン展」会期中は金曜日に加え、土曜日も20:00まで開館 月曜日[7月20日(月・祝)、8月17日(月)、8月24日(月)、9月21日(月・祝)は開館]、7月21日(火) 一 般 1500(1100)円大学生 1000( 700)円高校生 600( 300)円 *いずれも消費税込。*( )内は、20名以上の団体料金。*中学生以下・障害者手帳をお持ちの方とその付添者1名は無料。それぞれ入館の際、学生証等の年齢の分かるもの、障害者手帳等をご提示ください。*入館当日に限り、「寝るひと・立つひと・もたれるひと」と所蔵作品展「近代日本の美術」もご観覧いただけます。 東京国立近代美術館、NHK、NHKプロモーション 外務省、文化庁 損保ジャパン、大日本印刷、トヨタ自動車、三菱商事 ボストン美術館、名古屋ボストン美術館 日本航空

新収蔵&特別公開|ピエール・ボナール《プロヴァンス風景》

展覧会について ピエール ・ボナール《プロヴァンス風景》1932年 昨年度収蔵されたピエール・ボナールの絵画作品《プロヴァンス風景》(1932年)を、初めてお披露目します。 ボナール(1867–1947)は、19世紀末から20世紀半ばにかけて活躍したフランスの画家です。60年近くに及ぶ長いキャリアの中でボナールは何度か作風を変化させますが、とりわけ1920年代以降の豊麗な色彩や抽象度の高い表現を特徴とする作品は、「視神経の冒険」(ボナール本人の言葉)、「絵画の中の絵画」といった形容で語られてきました。20世紀を代表する画家の一人アンリ・マティスは、「ボナールが今日でも、そして確実に未来まで偉大な画家であることを私が証明する」と、ボナールの作品の革新性について予言的な言葉を残しています。 この部屋では、なによりまず、《プロヴァンス風景》の魅力をじっくりと心ゆくまでご堪能ください。そして《プロヴァンス風景》と日本人アーティストによる作品との共演が、日本の近現代美術を新しい視点から鑑賞いただくきっかけとなれば幸いです。 開催概要 東京国立近代美術館2階 ギャラリー4 2022年3月18日(金)~5月8日(日) 10:00-17:00(金・土曜は10:00-20:00)4/29(金・祝)~5/8(日)は20:00まで開館いたします*入館は閉館30分前まで 月曜日[ただし3月21日、28日、5月2日は開館]、3月22日(火) 会場では当日券を販売しています。会場の混雑状況によって、当日券ご購入の列にお並びいただいたり、入場をお待ちいただく場合がありますので、オンラインでの事前のご予約・ご購入をお薦めいたします。 「MOMATコレクション」のご予約で「新収蔵&特別公開|ピエール・ボナール《プロヴァンス風景》」がご覧いただけます。⇒こちらから来館日時をご予約いただけます。※お電話でのご予約はお受けしておりません。※障害者手帳をお持ちの方は係員までお声がけください(予約不要)※観覧無料対象の方(65歳以上、高校生以下、無料観覧券をお持ちの方等)についても、上記より来館日時をご予約いただけます。 一般 500円 (400円)大学生 250円 (200円) 5時から割引(金曜・土曜): 一般 300円大学生 150円 ( )内は20名以上の団体料金。いずれも消費税込。 高校生以下および18歳未満、65歳以上、障害者手帳をお持ちの方とその付添者1名は無料。 入館の際に、学生証、運転免許証等の年齢の分かるもの、障害者手帳等をご提示ください。 お得な観覧券「MOMATパスポート」でご観覧いただけます。 キャンパスメンバーズ加入校の学生・教職員は学生証または教職員証の提示でご観覧いただけます。 「友の会MOMATサポーターズ」、「賛助会MOMATメンバーズ」会員の方は、会員証のご提示でご観覧いただけます。「MOMAT支援サークル」のパートナー企業の皆様は、社員証のご提示でご観覧いただけます。(同伴者1名迄。シルバー会員は本人のみ) 東京国立近代美術館

新収蔵&特別公開|ピエール・ボナール《プロヴァンス風景》

展覧会について ピエール ・ボナール《プロヴァンス風景》1932年 昨年度収蔵されたピエール・ボナールの絵画作品《プロヴァンス風景》(1932年)を、初めてお披露目します。 ボナール(1867–1947)は、19世紀末から20世紀半ばにかけて活躍したフランスの画家です。60年近くに及ぶ長いキャリアの中でボナールは何度か作風を変化させますが、とりわけ1920年代以降の豊麗な色彩や抽象度の高い表現を特徴とする作品は、「視神経の冒険」(ボナール本人の言葉)、「絵画の中の絵画」といった形容で語られてきました。20世紀を代表する画家の一人アンリ・マティスは、「ボナールが今日でも、そして確実に未来まで偉大な画家であることを私が証明する」と、ボナールの作品の革新性について予言的な言葉を残しています。 この部屋では、なによりまず、《プロヴァンス風景》の魅力をじっくりと心ゆくまでご堪能ください。そして《プロヴァンス風景》と日本人アーティストによる作品との共演が、日本の近現代美術を新しい視点から鑑賞いただくきっかけとなれば幸いです。 開催概要 東京国立近代美術館2階 ギャラリー4 2022年5月17日(火)~10月2日(日) 10:00-17:00(金・土曜は10:00-20:00)9月25日(日)~10月1日(土)は10:00-20:00で開館します*入館は閉館30分前まで 月曜日[2022 年7月18 日、9月19日、9月26日は開館]、7月19日(火)、9月20日(火)9月27日(火) 会場では当日券を販売しています。会場の混雑状況によって、当日券ご購入の列にお並びいただいたり、入場をお待ちいただく場合がありますので、オンラインでの事前のご予約・ご購入をお薦めいたします。 「MOMATコレクション」のご予約で「新収蔵&特別公開|ピエール・ボナール《プロヴァンス風景》」がご覧いただけます。⇒こちらから来館日時をご予約いただけます。※お電話でのご予約はお受けしておりません。※障害者手帳をお持ちの方は係員までお声がけください(予約不要)※観覧無料対象の方(65歳以上、高校生以下、無料観覧券をお持ちの方等)についても、上記より来館日時をご予約いただけます。 一般 500円 (400円)大学生 250円 (200円) 5時から割引(金曜・土曜): 一般 300円大学生 150円 ( )内は20名以上の団体料金。いずれも消費税込。 高校生以下および18歳未満、65歳以上、障害者手帳をお持ちの方とその付添者1名は無料。 入館の際に、学生証、運転免許証等の年齢の分かるもの、障害者手帳等をご提示ください。 お得な観覧券「MOMATパスポート」でご観覧いただけます。 キャンパスメンバーズ加入校の学生・教職員は学生証または教職員証の提示でご観覧いただけます。 「友の会MOMATサポーターズ」、「賛助会MOMATメンバーズ」会員の方は、会員証のご提示でご観覧いただけます。「MOMAT支援サークル」のパートナー企業の皆様は、社員証のご提示でご観覧いただけます。(同伴者1名迄。シルバー会員は本人のみ) 東京国立近代美術館

冨井大裕《ゴールドフィンガー》の設営

冨井大裕《ゴールドフィンガー》(2007年)は、27,225本のゴールドの画びょうを壁に押し込んで完成する彫刻作品です。3日間かけて、設営作業が行われ、その様子をタイムラプスで記録しました。所蔵作品展「MOMATコレクション」にて、2023年5月14日(日)まで展示しています。 設営| 冨井大裕、square4 [ 石崎朝子、小滝タケル、成田輝、開田ひかり、杢谷圭章 ] 、荒井健、齊藤美帆、矢野修平、上野聖人、斉藤圭希 https://youtu.be/eP54WzNSDTc

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2017-2 所蔵作品展 MOMATコレクション

2017年11月14日-2018年5月27日の所蔵作品展のみどころ 安井曽太郎 《金蓉》 1934年 高村光太郎 《手》 1918年頃 MOMATコレクションにようこそ! 20世紀はじめから今日に至る日本の近現代美術の流れを、国際的な関連も含めてご紹介します。けれども、作品がただ時代順にならんでいるだけではありません。 4階第1室は「ハイライト」。当館選りすぐりの名品が凝縮されています。2室から12室までは、おおよそ時代順ですが、例えば大正時代でも「太陽とわたしと女性」や「関東大震災」など、部屋ごとにテーマをたてて作品が選ばれていますから、ぜひ同じ部屋の作品どうしを比べてみてください。そして作品の時代背景にも思いを馳せていただくと、よりお楽しみいただけるはずです。1階で開催される熊谷守一展(12月1日ー3月21日)、横山大観展(4月13日ー5月27日)と連動したテーマの部屋もあります。 3階第9室では、近年まとめて収蔵した、アメリカを代表する写真家ロバート・フランクの特集を、2階ギャラリー4では「難民」をテーマとした特集を行います。 また、今年も桜の季節にあわせて「美術館の春まつり」を開催します。川合玉堂《行く春》(重要文化財 3月20日ー5月27日展示)をはじめとした名作が、みなさまをお迎えします。 今期も盛りだくさんのMOMATコレクション。どうぞごゆっくりお楽しみください。 今会期に展示される重要文化財指定作品 ■今会期に展示される重要文化財指定作品は以下の通りです。 原田直次郎 《騎龍観音》(1890年) 寄託作品(護國寺蔵)安田靫彦《黄瀬川陣》(1940/41年) *2018年1月16日-3月18日 展示萬鉄五郎《裸体美人》(1912年)  *2018年2月20日-5月27日 展示川合玉堂《行く春》(1916年)*2018年3月20日-5月27日 展示菱田春草《賢首菩薩》(1907年) *2018年3月20日-5月27日 展示 展覧会構成 4F 1室 ハイライト2-5室 1900s-1940s 明治の終わりから昭和のはじめまで 「眺めのよい部屋」 美術館の最上階に位置する休憩スペースには、椅子デザインの名品にかぞえられるベルトイア・チェアを設置しています。明るい窓辺で、ぜひゆったりとおくつろぎください。大きな窓からは、皇居の緑や丸の内のビル群のパノラマ・ビューをお楽しみいただけます。 「情報コーナー」 MOMATの刊行物や所蔵作品検索システムをご利用いただけます。 1室 ハイライト 安井曽太郎 《金蓉》 1934年 3,000m²に200点以上が並ぶ、所蔵作品展「MOMATコレクション」。その冒頭を飾るのは、重要文化財を含むコレクションの精華をご覧いただく「ハイライト」です。2012(平成24)年の所蔵品ギャラリーのリニューアルを機に新設したコーナーで、壁は作品を美しく際立たせる濃紺、床はガラスケースの映り込みを少なくするために、艶消しの黒を選んでいます。3期に分かれる今会期の日本画では、写実味のある鳥の姿態と装飾性が融合した平福百穂《荒磯》と加山又造《群鶴図》(1月14日まで展示)、源頼朝と源義経の20年ぶりの再会を描いた安田靫彦《黄瀬川陣》(重要文化財、1月16日―3月18日に展示)、桜を詩情豊かに謳いあげた川合玉堂《行く春》(重要文化財、3月20日―5月27日に展示)が見どころです。洋画は、重要文化財の原田直次郎《騎龍観音》に加え、今会期は、洋の東西の差異や写実に対する深い認識に立ち、「日本的油絵」の創造に取り組んだ小出楢重、坂本繁二郎、須田国太郎、安井曽太郎、梅原龍三郎の代表作が一堂に会します。近年収蔵のセザンヌとマティスの西洋絵画も見どころです。 2室 文展開設前後 中村不折 《廓然無聖》 1914年 明治政府が発足して以降、文化の面でもさまざまな概念や制度が西洋にならって整備されました。西洋由来の油彩画に「洋画」の名を与え、対して古来育まれた伝統的な手法による絵画全般を「日本画」と一括りにしたのもこの時代のことです。このジャンル分けは、1907(明治40)年に「洋画」「日本画」「彫刻」の3部門を対象とする官設の文部省美術展覧会(文展)が開設されるに至り、制度の上でも明確化されました。ここでは、文展開設前後に制作された作品から、人物表現を中心に紹介します。朝倉文夫《墓守》は、神仏や偉人ではない、ありふれた人物像です。本作を契機に、朝倉は理想化を排した写実的な彫刻を追求しました。中村不折は、第1回文展以降たびたび審査員を務め、自らも出品を続けた常連です。黒田清輝率いる「新派」とは一線を画し、フランスの伝統絵画の様式を取り入れて、東洋の題材による重厚な歴史画を手がけました。 今回、春まつりの開催に合わせて、日本画からは菊池芳文《小雨ふる吉野》、 洋画からは藤島武二《匂い》なども展示しています。 3室 1910年代の美術 太陽とわたしと女性 関根正二 《三星(さんせい)》 1919年 「僕は芸術界の絶対の自由(フライハイト)を求めている。従って、芸術家のPERSOENLICHKEIT(人格)に無限の権威を認めようとするのである。[…]人が『緑色の太陽』を画いても僕はこれを非なりと言わないつもりである」。1910(明治43)年に彫刻家で詩人の高村光太郎が発表した「緑色の太陽」の中の一文です。外界の自然の姿すら変えることが可能な、芸術家という個人のものの見方、感じ方の絶対の自由をうたう、大正デモクラシーの幕開けを告げる文章です。大正の芸術運動を生み出したのは、ファン・ゴッホやゴーギャンといったポスト印象派の芸術に熱狂し、自己表現の何たるかを学んだ美術家たちでした。この部屋では、「太陽」と「自画像」と「ミューズとしての女性」というテーマから大正期の美術を紹介します。いずれもこの時代の美術表現の特徴を良く表すモチーフですが、ここで雑誌『青踏』に、女性解放運動家の平塚らいてうの「元始、女性は太陽であった」というフレーズで始まる文章が1911年に掲載されたことを思い起こし、「個」や「自由」の謳歌であるこれらの作品の作者が、すべて男性であったという事実も、あわせて考えてみるべきかもしれません。 4室 1923年9月1日 十亀広太郎 《東京上野廣小路松坂屋附近》 1924年 1923(大正12)年の9月1日11時58分、マグニチュード7.9の巨大地震が関東地方を襲います。揺れによる建物の倒壊よりも火災の被害の方がはるかに大きく、地震直後に発生した火災はまたたくまに東京の中心部を焼き尽くし、壊滅的な被害を与えました。90万人が被災、10万5千人余が死亡あるいは行方不明となり、11万余棟の建物が倒壊、全焼は21万余棟に及んだとされます。首都を壊滅させたこの「関東大震災」は、ヨーロッパを荒廃させた第一次世界大戦に比較しうる衝撃を日本にもたらし、さまざまな面で日本社会を一変させることになります。そしてこの震災は、「個」や「自由」を謳歌する大正期の美術と、「都市」や「機械」、「大衆」などに特徴づけられる昭和戦前期の美術との間の、決定的な切断線ともなりました。ここでは、震災直後の状況を克明に記録した十亀広太郎の水彩と、震災後、急速に近代都市へと変貌を遂げていく東京を描いた版画とを紹介します。 5室 1920年代半ばから1930年代末の美術 機械とメルヘン 野田英夫 《都会》 1934年 関東大震災からの復興のなかで芸術家が出会った、二つの「世界」を紹介します。まず「機械」の世界。1920–30年代、近代化による技術の進展のなかで、機械に対する新たな美意識が誕生します。しかし機械は礼讃の対象であると同時に、その機構の一部となり、個としての人間性を剥奪されていくような両義的なものでした。芥川龍之介が『歯車』を執筆したのが27(昭和2)年、横光利一が次のような一節を含む『機械』を発表したのが30年のことです。「私たちの間には一切が明瞭に分っているかのごとき見えざる機械が絶えず私たちを計っていてその計ったままにまた私たちを押し進めてくれているのである。」もうひとつは「メルヘン(童話)」の世界。宮沢賢治が『注文の多い料理店』を出版したのは24(大正13)年のことでした。理想郷「イーハトブ」を舞台に、擬人化された動物と人間の間で繰り広げられる寓話は、一見すると現実との直接的関わりが薄いようにもみえます。しかし賢治にとってこのメルヘンという語りの形式は、彼の抱くヴィジョン、すなわち世界の救済あるいは解体という「革命」を表現、実現するための、きわめてリアルな手段だったのです。 3F 6-8室 1940年代-1960年代 昭和のはじめから中ごろまで9室 写真・映像10室 日本画建物を思う部屋 6室 南へ 清水登之 《工兵隊架橋作業》 1944年頃 太平洋戦争中、陸軍と海軍は、画家たちに「作戦記録画」の制作を委嘱し、その制作のために画家たちを戦地に派遣しました。藤田嗣治、猪熊弦一郎ら多くの画家たちがこれに従い、ある者は中国大陸へ、ある者は南方へと向かいました。今回は、とくに南方を題材とした画家たちの作品を集めてみました。戦争の一場面を記録として残すことが要請されるなか、画家たちの関心は、日本とは異なる自然にも向けられているように見えます。戦局が日本にとって不利になるにつれ、南方へ実際に赴いて記録画を制作することは不可能となっていきます。画家たちは以前の取材スケッチや写真、兵士の証言などをたよりに、想像で構図を組み立てていきました。それはすでに「記録画」と呼べるものではないかもしれませんが、そもそも戦争画のどこまでが真実で、どこからが虚構か、というのは難しい問題です。それに対して、一兵士としてビルマ(現在のミャンマー)に従軍した青年画家、浅原清隆が、新婚まもない妻に送った絵葉書は、ささやかだけれどもある真実を伝えているかもしれません。彼はこれらの絵葉書を送ってしばらく後、消息を絶ちました。 7室 ふたつのアヴァンギャルド 山下菊二《植民地工場》1951年 アヴァンギャルド(前衛)とはもともと軍隊用語で、本隊より前に位置して警戒にあたる部隊を意味していました。それが転じて、政治的な革命運動の用語として用いられ、さらに1930年代頃から、新しい表現を切り拓こうとする先鋭的な芸術運動を指すようになっていきます。しかしそうした運動は、戦時中はいったん押さえつけられました。戦後、あらためてアヴァンギャルド運動を推進した芸術家たちは、ふたつの方向性に分かれました。純粋に造形上の問題として新しい表現をめざそうとする者たちと、新しい表現を通して社会を変えていこうとする者たちです。後者に属する山下菊二たちは、戦後の複雑な社会状況を、批判的な視点から再構成し、また幻想的な要素を取り入れて、メッセージ性の強い作品を描きました。また、この時期は美術家と文学者が分野を超えて協力し合い、ともに新しい表現を目指そうとした点にも特色があります。岡本太郎や花田清輝らの「夜の会」、安部公房や桂川寛らの「世紀」などがよく知られています。 8室 生と死をめぐる造形 瑛九《れいめい》1957年 12月1日から2018年3月21日にかけて、1階企画展ギャラリーでは熊谷守一の回顧展が開催されます。サブタイトルに「生きるよろこび」とあるように、彼の作品には生命に向ける純粋な視線が認められますが、彼はまたいくつもの死をも見つめてきました。それにちなみ、この部屋では戦後美術において、生や死をテーマにした作品を集めてみました。生と死は、きわめて個人的な体験であると同時に、普遍的なテーマでもあります。具象絵画では、「生」は例えば母子像に託して表現され、「死」は死者あるいは骸骨の描写によって表現されることが多いですが、抽象絵画では、より原初的なイメージとして象徴的に表されます。そのためか、例えば難波田龍起の作品のように、生のイメージと死のイメージが、ほとんど等しく見えることもあります。無から有へと形が生まれつつある状態と、有から無へと形が失われていく状態とは、見分けがたいのかもしれません。そしてまた「あの世」が目に見えないものであるため、画家たちは見えるものを通して見えないものをいかに表現するか、という美術の本質的な問題に力を尽くすことになるのです。 9室 (1) ロバート・フランク 「私の手の詩」  (展示期間:2017年11月14日-2018年1月14日) MOMATでは、出版社邑元舎を主宰し、写真集の出版を手がけた元村和彦氏(1933–2014)が所蔵していたロバート・フランク作品145点を、新たに収蔵しました。20世紀後半の最も重要な写真家のひとりフランクの代表作を含む作品群を、三期に分けて展示します。第一期では、元村が1972年に出版した写真集『私の手の詩』収載の作品を紹介します。本作は、フランクの評価を確立した写真集『アメリカ人』(1958年フランス版、1959年アメリカ版)の後、映像作品へと移行した写真家に、元村が新たな写真集の制作を提案し、実現したもの。『アメリカ人』を通じてフランクに私淑していた元村が、新作を切望し、それを自らの手で実現するため70年にニューヨークにフランクを訪ね、協力を依頼したというエピソードが残されています。ブックデザインを担当したのは杉浦康平。初期から70年代初頭までのさまざまな写真により、自伝的な作品として編まれたこの写真集は、映像作品から再び写真へとフランクが軸足を移すきっかけとなりました。 9室 (2) ロバート・フランク 「花はパリ」  (展示期間:2018年1月16日-3月18日) 第二期では、1972年の『私の手の詩』に続く、元村が手がけた二冊目のフランクの写真集で、87年に出版された『花は…』より、第一章「花はパリ」を構成する作品を展示します。これらの写真は、スイス出身のフランクが、一度アメリカに渡った後、ヨーロッパに戻ってパリで暮らした49年から51年にかけて、路上の花売りや、それを買い求める人々の様子に魅せられて撮り続けたもの。この美しい章で始まる写真集『花は…』は、74年に飛行機事故で亡くなった娘アンドレアに捧げられています。 9室 (3) ロバート・フランク 「マブウ、そして」  (展示期間:2018年3月20日-5月27日) 第三期では、1987年の写真集『花は…』の第三章「マブウは待ち続ける」を構成する作品を中心に、フランクが69年より家を持ち、ニューヨークとともに拠点としたカナダ、ノヴァスコシア州マブウで撮影された作品群を紹介します。元村が出版を手がけた72年の『私の手の詩』と87年の『花は…』の二冊の写真集を構成する写真の多くは、印刷原稿としてフランクから提供されたのち、そのまま譲られるかたちで元村の手元に残りました。その後も互いの元を訪ねるなど、生涯親交を持ち続けた元村に、フランクは折にふれて作品を贈っています。今回展示するいくつかの作品には、そうした二人の交友を示す献辞が、フランクによって書き込まれています。 10室 (1) 生きるよろこび  (展示期間:2017年11月14日-2018年3月18日) 小杉放菴(未醒)《椿》1937年 【展示期間:2018年1月16日~2018年3月18日】 日本美術には、花や鳥、虫、動物などを視覚芸術に表す長い伝統があります。今回は1階で開催する「熊谷守一 生きるよろこび」展(12月1日―2018年3月21日)に合わせ、日本画、彫刻、版画などから、生き物をモチーフにした作品を選びました。生き物を描くのが得意だった日本画家といえば、まっ先に竹内栖鳳を挙げなくてはなりません。「動物の臭いまで描く」と称賛されたこの画家は、ただ上手いだけではなく、慎重な画家でもありました。鳥や動物のさまざまなポーズを写真に収め、アトリエに山のように積んで参考にしていたというのです。花鳥画を得意とした上村松篁の取り組みも独特でした。アトリエの庭に動物園も顔負けの鳥舎をつくり、飼育と写生に明け暮れました。松篁の信条は「鳥の生活を理解しなければ、鳥は描けない」だったといいます。制作への取り組み方や表現は作家によりさまざまです。生き物の多様性は人間の幸福に直結するといいますが、生き物の表現の多様性もまた然りと、これらの作品は思わせます。 10室 (2) 日本美術院創立120年  (展示期間:2018年3月20日-5月27日 速水御舟《京の家・奈良の家》1927年 1階で開催する「生誕150年 横山大観展」(2018年4月13日―5月27日)に合わせ、今回は大観の活動の主要な舞台となった日本美術院にスポットをあてます。日本美術院は、今から120年前の1898(明治31)年に、東京美術学校長を罷免された明治の思想家、岡倉覚三(天心、1863–1913)を中心に設立されました。以来、地方への移転(1906年)、一時の活動休止(1908年)、その後の再興(1914年)、財団法人化(1958年)を経て、今日まで続いています。東洋の古典を尊び革新を目指す―これが、創立以来変わらない日本美術院の方針です。作家たちは思い思いに研究に取り組み、時には指導者たちが予期しなかった表現手法や流行を生み出しました。明治期のいわゆる「朦朧体」や、大正期の細密描写などです。また、小川芋銭や片岡球子といった個性派を尊重したことも院の大きな特徴でした。日本美術院が近代日本画の世界にもたらした表現の多様性を、院を支えた主要作家の大作によりお楽しみください。 2F 11–12室 1970s-2010s 昭和の終わりから今日まで  *ギャラリー4(13室) MOMATコレクション 11室、12室 (1) 見えない構造をつかみとれ   (展示期間:2017年11月14日-3月18日) 1階で回顧展(2017年12月1日―2018年3月21日)が開催されている熊谷守一は、形をシンプル化することを得意としていました。この形のシンプル化とは、決して輪郭を描くのが上手ということではありません。それは、対象の中に存在する見えない構造をきちんととらえているということなのです。今回11―12室では、当館が所蔵する現代美術の中から、熊谷に通じるような作品を中心に展示しています。人体を参照しているように思えるジョエル・シャピロの作品から、人々の「反応」の本質を演劇のフォーマットを借りながら映像で写しとる高嶺格(ただす)まで、様々な構造が浮かび上がってくる様をお楽しみください。  11室 (2) 李禹煥 余白の芸術  (展示期間:2018年3月20日-5月27日) 1階で回顧展(2018年4月13日―5月27日)が開催されている横山大観は、日本画を代表する作家。ここで「日本画の特徴とはいったいなにか?」と問うてみた時に、きっと多くの人が「余白の美」と答えることでしょう。ということで今回は、『余白の芸術』という著作もある李禹煥(うーふぁん)の作品を特集して展示することにしました。面白いのは、余白は、たとえば一つの点を描くという行為によって生まれるということ。つまりそれは、なにかの行為を必要とし、その行為の後に生まれるものなのです。この、事後的に生まれる以上はコントロールが利かないという状況をきちんと認識し、それをむしろ作品の本質に据えようとした点で、李の作品は極めて現代的だと言えるのです。 12室 (2) 不確かな写真 2000年代の日本の写真より  (展示期間:2018年3月20日-5月27日) ここでは2000年代に制作された4人の日本人の写真家の作品を紹介しています。セザンヌの作品によって知られる南仏の山を撮り直した鈴木理策。人物写真を見る時につい抱いてしまう私たちの期待を問い直すホンマタカシ。前景に水面を写しこむことで、見る視点や見られている対象を揺るがす楢橋朝子。あるひとつのグループに属するメンバー皆をひとつの写真に焼きこむことで、統合された人物像をつくりあげる北野謙。どの作品も、写真というメディアを使うことで確かさと不確かさを問おうとする試みだと言えます。ちなみに2000年代はデジタル写真が急速に普及した時代。今の私たちからすると、北野の写真はデジタルで制作されているように見えますが、実際には、35mmフィルムで撮影したネガを物理的に多重露光させたものです。 13室(ギャラリー4) 難民   (展示期間:2017年11月14日-2018年3月21日) 国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によれば、2015年末時点での難民の数はなんと6530万人。計算上は地球上の113人に1人が難民となり、これはもちろん、第二次世界大戦後最大の数です。自国内で自発的ではない形で移動を強いられている人達、すなわち「国内避難民(IDP)」を加えれば、その数はもっと増えるでしょう。ある意味、いつどこで誰が難民になるのかわからない世界となってしまっているとも言えます。ここではコレクションの中から、難民を描いたり捉えたりした作品をご紹介します。たとえばミリアム・カーンというスイスの女性の作品は、具体的な歴史的事実ではなく、自らがそうであるユダヤ人にとっての難民という在り方を象徴的に描いています。 イベント ホンマタカシ 映画上映会+アーティスト・トーク MOMATコレクション展関連企画ホンマタカシ ニュードキュメンタリー 「最初にカケスがやってくる」映画上映会(225分)+アーティスト・トーク(15分) 2018 年3月24日(土) 開場 14:45トーク 15:15-15:30上映 15:30-19:15(美術館は当日20:00まで開館しています) 地下1階講堂 入場無料・申込不要(定員160名)・入退場自由当日は14:00-15:00の間、増田玲(当館主任研究員)による写真作品を中心としたキュレータートークをMOMATコレクション展の会場で行います(要観覧券、申込不要)。 MOMATガイドスタッフによる所蔵品ガイド 休館日を除く毎日 2017年11月14日(火)~2018年5月27日(日)※5月26日(土)、27日(日)は混雑が見込まれるため中止いたします。 14:00-15:00(※イベント開催日には時間を変更する場合があります) 所蔵品ギャラリー(1Fエントランス集合) 所蔵品ギャラリーでは毎日、作品解説が行われています。当館のボランティア「MOMATガイドスタッフ」が、参加者のみなさまと会場をまわり、数点の作品を一緒に鑑賞しながら、作品についての理解を深められるようにお手伝いします。作品とテーマは、ガイド前に1階エントランスに掲示されます。約40名のガイドスタッフそれぞれ、作品とテーマが異なりますので、何度参加されてもお楽しみいただけます。 *「MOMATガイドスタッフ」のページもあわせてご覧ください。*「教育普及レポート」でも様子を写真付きで詳しく紹介しています。 MOMATガイドスタッフによるハイライト・ツアー 2017年12月3日(日)2018年1月7日(日)2018年2月4日(日)2018年3月4日(日) 11:00-12:00 所蔵品ギャラリー(4Fエレベーター前集合) 近代日本の美術の流れをたどりつつ、所蔵作品展「MOMATコレクション」の見どころを押さえたい方に。MOMATガイドスタッフが、参加者の皆様とともに4階から2階までをまわり、代表的な所蔵作品を、やさしく解説します。 キュレーター・トーク 昭和戦前期の写実について 11月18日(土) 都築千重子 14:00-15:00 4階エレベーター前 アヴァンギャルドは二度死ぬ、あるいは死なない? 12月22日(金) 大谷省吾 18:30-19:30 3階7室 難民と戦後のアート 2018年1月20日(土) 保坂健二朗 14:00-15:00 2階エレベーターホール 美術館で朝ヨガ 2018年2月4日(日) 一條彰子 8:30-10:15 写真コレクションあれこれ 2018年3月24日(土) 増田玲 14:00-15:00 2階12室 絵の中の建物 2018年4月27日(金) 保坂健二朗 18:30-19:30 4階エレベーターホール 3点の母子像 2018年5月25日(金) 中林和雄 18:30-19:30 3階エレベーター前 開催概要 東京国立近代美術館本館所蔵品ギャラリー(4F-2F)、ギャラリー4(2F) 2017年11月14日(火)-2018年5月27日(日) 10:00-17:00(金曜・土曜は10:00-20:00)※入館は閉館30分前まで 月曜日[ただし、12月4日、2018年1月8日、2月12日、3月26日、4月2日、30日は開館]、12月28日~1月1日、1月9日(火)、2月13日(火) 一般 500円 (400円)大学生 250円 (200円) 5時から割引:一般 300円大学生 150円※( )内は20名以上の団体料金。いずれも消費税込。※高校生以下および18歳未満、65歳以上、障害者手帳をお持ちの方とその付添者(1名)は無料。※それぞれ入館の際、学生証、運転免許証等の年齢の分かるもの、障害者手帳等をご提示ください。※お得な観覧券「MOMATパスポート」でご観覧いただけます。※キャンパスメンバーズ加入校の学生・教職員は学生証または教職員証の提示でご観覧いただけます。※「友の会MOMATサポーターズ」、「賛助会MOMATメンバーズ」(同伴者1名まで)会員の方は、会員証のご提示でご観覧いただけます。※「MOMAT支援サークル」のパートナー企業の皆様は、社員証のご提示でご観覧いただけます。(同伴者1名迄。シルバー会員は本人のみ) 毎月第一日曜日(12月3日[日]、1月7日[日]、2月4日[日]、3月4日[日]、 4月1日[日]、5月6日[日])および 11月15日[水、工芸館開館40周年記念日]、1月2日[火]、2月23日[金、パーソルプレミアムフライデー]、5月18日[金、国際博物館の日] 東京国立近代美術館

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