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墨竹図
鏑木清方 幻の《築地明石町》特別公開
展覧会について 東京神田に生まれ、挿絵画家として画業をスタートさせた鏑木清方(1878-1972)は、美人画で上村松園と並び称された日本画家です。今年、当館では、清方の代表作として知られながら、1975(昭和50)年以来所在不明であった《築地明石町》と、あわせて三部作となる《新富町》《浜町河岸》の3点を新しく収蔵しました。これを記念し、三部作のお披露目と、所蔵の清方作品をあわせた特別展示をおこないます。小規模ですが、重要文化財《三遊亭円朝像》や12幅対の《明治風俗十二ヶ月》など、粒よりの名作が並ぶ贅沢な展示です。 鏑木清方(かぶらき・きよかた) 鏑木清方(1878-1972)は東京神田に生まれ、浮世絵系の水野年方に入門し、挿絵画家として画業をスタートさせました。日本画では文展、帝展を主たる舞台とし、美人画家として上村松園と並び称されました。 清方は明治末から大正にかけて、浮世絵をもとにした近世風俗を主なテーマとしていました。しかし関東大震災を大きなきっかけとして、失われゆく明治の情景を制作のテーマに加えます。そうして生まれたのが《築地明石町》(1927年)や、《三遊亭円朝像》(1930年)、《明治風俗十二ヶ月》(1935 年)といった名作の数々でした。また、その頃から展覧会向きの絵とは別の、手もとで楽しめる作品を「卓上芸術」と名づけ、手がけるようになり、晩年は画帖、絵巻などの制作に打ち込みました。 文筆家としても名高く、『銀砂子』、『築地川』、『こしかたの記』などの著作があります。 見どころ これぞ清方の代表作 美人画家として上村松園と並び称された清方ですが、本人はそう呼ばれることを嫌っていました。清方が理想としたのは、ともすれば絵空事として社会から遊離してしまうような芸術ではなく、我が事として多くの共感が得られるような芸術だったからです。やがて清方は、明治20年代から30年代の人々の生活というテーマに行き着きました。 《築地明石町》は、そのスタートラインに位置する作品であり、早くも清方会心の作となりました。ここに描かれているのは、清方がじかに体験した明治半ばのひととき。そして、清方が実際に遊び場とし、慣れ親しんだ町の情緒そのものでした。《築地明石町》は、発表されるや否や、美術界のみならず一般からも絶賛され、清方を名実ともに帝展を代表する日本画家のひとりに押し上げたのです。 なぜ幻の名作? 《築地明石町》が「幻の名作」と言われてきた所以は、歴史に残る近代日本画の名作であるにもかかわらず、1975(昭和50)年以来 44 年もの間、所在不明となっていたからです。 戦禍を免れた《築地明石町》が清方のもとにもたらされたのは1955(昭和30)年のことでした。それを機に、清方自身が出品の仲介役を果たすことで、《築地明石町》はしばしば展覧会に出品されるようになりました。しかし、1972(昭和47)年に清方が亡くなると事情が変わります。翌年から3回にわたってサントリー美術館で開催された「回想の清方」シリーズの3回目(1975 年)に出品されたのを最後に、《築地明石町》は忽然と姿を消したのです。以来44年、多くの人々が《築地明石町》の再登場を待ちわびてきました。 小説家・川口松太郎に贈った新出作品 《鶴八》を特別出品 このたび、さらに1点、新出の清方作品の特別出品が決定しました。 作品は、清方が小説家・川口松太郎(1899-1985)に贈った 《鶴八》(制作年不詳)です。主題を川口の短編小説『鶴八鶴次郎』にとり、新内語りで鶴次郎とコンビを組む、若くて勝気な娘、鶴八を描いています。川口は1935年に『鶴八鶴次郎』ほかの作品で第1回直木賞を受賞しました。 作品をご寄贈下さったのは鑑定番組の出演で知られる中島誠之助氏です。中島氏は、《築地明石町》 が東京国立近代美術館に収蔵されたというニュースを見て、当館にご連絡下さいました。 《鶴八》は、これまで展覧会に出品された記録がない新出作品であり、清方の交友関係がうかがい知られる点でも貴重な作品です。《築地明石町》の三部作に加えて、こちらの「お披露目」にもご注目ください。 レストラン「ラー・エ・ミクニ」(2F)では鏑木清方《築地明石町》の特別メニューを提供 東京国立近代美術館内にあるレストラン「ラー・エ・ミクニ」では、「鏑木清方 幻の《築地明石町》特別公開」の会期中、特別メニューを提供します。シェフが清方の作品世界からイメージした見目麗しいアートなメニューです! <鏑木清方展 特別コース> ♢期 間:11月1日(金)~12月15日(日) ♢価 格:6,050円 ※コースのみでのご提供となります。 ※ご予約はお電話のみで承ります ※ご予約は2名様以上6名様まで。 ※ご予約時間は11:30〜14:00からのスタートとさせて頂きます ★メニューのご紹介”江戸東京野菜”内藤カボチャとリコッタチーズのトルテッリ ロビオラチーズソース旬の東京産野菜をトルテッリに。 日本画の線を意識してソースを描いたアートなひと皿。 イワシのベッカフィーコ フィノッキオのサラダと共に特別公開の出品作中、ただひとつタイトルに含まれる食材「イワシ」を使ったひと皿。 どら焼き 上川大雪酒造甘酒クリームと栗の渋皮煮 きな粉のジェラートミクニがプロデュースする北海道の上川大雪酒造の甘酒を使ったクリームに、大きなひと粒栗をあわせた和のデザート。エディブルフラワーは清方が好んだ紫色。 ミュージアムショップ(1F)では出品作品のポストカード12種を販売中 ミュージアムショップでは、鏑木清方「三部作」特別公開にあわせ、出品作品のポストカードを新しく作成しました。11月1日より販売します。《築地明石町》 《新富町》 《浜町河岸》の3部作は全図と部分図を販売。図柄は全部で12種類、1枚税込み100円です。 ミュージアムショップ(1F)では 『鏑木清方原寸美術館 100%KIYOKATA!』ほか 販売中 東京国立近代美術館が所蔵する鏑木清方作品から、《築地明石町》三部作を含む12件23点を掲載する 『鏑木清方原寸美術館100% KIYOKATA!』(小学館刊、2,640円(税込))が10月23日に発売されました。このたびの清方特別公開で紹介する作品のほとんどが載っており、新規に撮影した高精細画像による原寸大の部分図が楽しめます。このほか、ミュージアムショップでは会期中、清方に関する書籍を多数とりあつかっています。 『鏑木清方原寸美術館 100%KIYOKATA!』 判型:A4判 144ページ・オールカラー 監修:鶴見香織 定価:本体2,640円(税込)清方の名画23点が実物と同じ色味の原寸大で見られるほか、三部作は顔の部分を200%に拡大した特別編集。 イベント ギャラリートーク 2019年11月23日(土)18:00-19:00 鶴見香織(本展企画者) 3階所蔵品ギャラリー第10室 申込不要・参加無料(要観覧料) 開催概要 東京国立近代美術館 所蔵品ギャラリー第10室 2019年11月1日(金)~ 12月15日(日) 10:00-17:00(金曜・土曜は10:00-20:00)※入館は閉館30分前まで 月曜日(ただし11月4日、12月2日は開館)、11月5日(火) 一般 800(600)円大学生 400(300)円 ( )内は20名以上の団体料金。いずれも消費税込。高校生以下および18歳未満、障害者手帳をお持ちの方とその付添者1名は無料。それぞれ入館の際、学生証、運転免許証等の年齢の分かるもの、障害者手帳等をご提示ください。キャンパスメンバーズ加入校の学生・教職員は、学生証・職員証の提示により団体料金でご鑑賞いただけます。本展の観覧料で入館当日に限り、同時開催の所蔵作品展「MOMATコレクション」もご覧いただけます。同時開催の「窓展(仮称)」(11月1日~2020年2月2日)は別途観覧料が必要です。 11月3日(日・文化の日) 東京国立近代美術館、文化庁、独立行政法人日本芸術文化振興会 2019年度日本博を契機とする文化資源コンテンツ創成事業
窓展:窓をめぐるアートと建築の旅
はじめに 窓をめぐるアートと建築の旅に、さあ出かけよう。 マティスやクレー、デュシャンなど20世紀美術の巨匠から、リヒターやティルマンスなどの現代美術、ル・コルビュジエやカーンら建築家の作品まで。 ジャンルを超えて集まった、58作家、115点をご紹介します。 わたしたちのくらしにとって窓はほんとうに身近なもの。それは光や風を室内に取り入れながら、寒さや暑さからわたしたちを守ってくれます。また、室内にいるわたしたちに外の世界の新鮮な眺めをもたらしてくれます。 「窓学」を主宰する一般財団法人 窓研究所とタッグを組んで行われるこの展覧会では、アンリ・マティスの絵画からカッティングエッジな現代美術、また美術の枠を飛び出して世界の窓の歴史まで、さまざまな切り口で窓についてご紹介します。美術家たちが愛し、描いた窓辺の情景や、日常生活に活かせる窓の知識などが、ジャンルを横断して会場に並びます。きれいな作品、楽しい作品、どきっとする作品、考えさせられる作品。さまざまなタイプの作品があるので、誰でもきっとお気に入りがみつかるはず。 展示室を後にしたとき、いつもの窓がちょっと違って見える―― そんな機会になればと願っています。 見どころ 1. アンリ・マティス、ピエール・ボナール、パウル・クレー、エルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナー、マルセル・デュシャン、マーク・ロスコ、ロイ・リキテンシュタイン・・・20世紀美術の名作がぜいたくに並びます。 2. 美術館前庭には藤本壮介《窓に住む家/窓のない家》が出現。名作《House N》(2012)の大型コンセプト・モデルです。 3. 東北大学五十嵐太郎研究室制作、全長12メートルの窓と建築とアートの歴史をたどる年表を展示。加えて建築家のドローイングや貴重書をご紹介します。 4. ローマン・シグネール、ヴォルフガング・ティルマンス、ホンマタカシなど、現代美術の作品もたっぷり展示。8枚の大きなガラスに思いがけないイメージが映り込む、ドイツの巨匠、ゲルハルト・リヒターの《8枚のガラス》は必見です。 5. タデウシュ・カントル、ユゼフ・ロバコフスキ、ズビグニエフ・リプチンスキと、ふだんあまり見る機会のないポーランドのアーティストの作品をご紹介。新しい発見がたくさんあります。 6. 新しい発見といえば、思いがけずこんなにかわいらしい作品も。パリの暮らしを描いた茂田井武の画帖〈ton paris〉でほっこりしてみませんか。 7. アーティスト・ユニット、西京人の《第3章:ようこそ西京に―西京入国管理局》は、係員に「あること」をして見せないと先に進めません。ぜひチャレンジしてみてくださいね。 カタログ 開催概要 東京国立近代美術館 1F企画展ギャラリー 2019年11月1日(金)~2020年2月2日(日) 10:00-17:00 (金曜・土曜は10:00-20:00)*入館は閉館30分前まで 月曜日(11月4日、12月2日、1月13日は開館)、11月5日[火]、年末年始(12月28日[土]-2020年1月1日[水・祝])、1月14日[火] 当日券一般 1,200(900)円大学生 700(500)円 いずれも消費税込。( )内は20名以上の団体料金。高校生以下および18 歳未満、障害者手帳をご提示の方とその付添者( 1 名)は無料。それぞれ入館の際、学生証等の年齢のわかるもの、障害者手帳等をご提示ください。キャンパスメンバーズ加入校の学生・教職員は、学生証・職員証の提示により団体料金でご鑑賞いただけます。本展の観覧料で入館当日に限り、同時開催の所蔵作品展「MOMATコレクション」もご覧いただけます。同時開催「鏑木清方 幻の《築地明石町》特別公開」セット券(一般 1,500円、大学生 800円)もございます。 11月3日[日・祝]文化の日 東京国立近代美術館、一般財団法人 窓研究所 東京新聞 スイス・ プロ・ヘルヴェティア 文化財団 、 アダム・ミツキェヴィッチ・インスティテュート/culture. pl /jp 在日スイス大使館、ポーランド広報文化センター 五十嵐太郎(東北大学教授/建築史・建築批評家/「窓学」総合監修) 丸亀市猪熊弦一郎現代美術館 2020年7月11日(土)~9月27日(日)
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[クッションから都市計画まで]ヘルマン・ムテジウスとドイツ工作連盟:ドイツ近代デザインの諸相
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ウィリアム・ケントリッジ 歩きながら歴史を考える:そしてドローイングは動き始めた……
展覧会について ウィリアム・ケントリッジ(1955年南アフリカ共和国生まれ、ヨハネスブルグ在住)は、「動くドローイング」とも呼べるアニメーション・フィルムの制作によって、1980年代後半より現在にいたるまで現代美術における映像表現を牽引し続けているアーティストです。 ケントリッジの映像作品は、木炭とパステルで描いたドローイングを部分的に描き直しながら、1コマ毎に撮影する気の遠くなるような作業から生み出されるものです。絶えず流動し変化し続けるドローイングの記録の連鎖から生まれる彼のアニメーションには、消しきれない以前のドローイングの痕跡が残され、堆積された時間の厚みをうかがわせる重厚さにあふれた表現となっています。 日本での展覧会は、ケントリッジとの3年間にわたる緊密な協力と広範な準備作業を経て実現されるもので、我が国では初の個展となります。19点の映像作品、36点の素描、63点の版画によりケントリッジの活動の全貌を紹介します。 ここが見どころ 展覧会のポイント ◇ドローイングをコマ撮りした独自の手描きアニメーションにより、現代美術における映像表現を牽引する南アフリカ出身のアーティスト、ウィリアム・ケントリッジ。待望の国内初個展。◇1970年代末の初期作から、2008年制作の近作までを網羅した約120点の作品により、アーティストの全貌が明らかに。◇オペラ(ショスタコーヴィチ)、初期映画(ジョルジュ・メリエス)、人形劇、影絵芝居など、バラエティに富んだテーマの作品は、美術ファンにとどまらず、多くの観客を魅了。 YouTubeでの動画紹介のご案内 下記のホームページ(「YouTube」内、京都国立近代美術館のチャンネル)で、ウィリアム・ケントリッジの映像作品(抜粋)をご覧いただくことができます。 展覧会構成 ウィリアム・ケントリッジの作品は南アフリカの歴史と社会状況を色濃く反映しており、自国のアパルトヘイトの歴史を痛みと共に語る連作《プロジェクションのための9つのドローイング》は、脱西欧中心主義を訴えるポストコロニアル批評と共鳴する美術的実践として、1995年のヨハネスブルグ・ビエンナーレや1997年のドクメンタ10を契機に世界中から大きな注目を集めるようになりました。 しかし彼の作品を冷静に注意深く解読すると、その政治的外見の奥で、状況に抗する個人の善意と挫折、庇護と抑圧の両義性、そして分断された自我を再統合しようとする努力とその不可能性など、近代の人間が直面してきた普遍的かつ根源的問題を、執拗に検証し語り続けていることが分かります。ケントリッジ自身が「石器時代の映画制作」と呼ぶ素朴な制作技法に固執していることも、それが近代の物語(ナラティヴ)生成の原点、あるいは歴史を遡りながら植民地主義の病理を啓蒙主義の中に探ろうとする彼の強い意志によるものと理解すべきなのかもしれません。 精緻なセル画アニメやCGが主流である現代にあって、ケントリッジの素朴なアニメーション技法はその対極に位置していますが、彼の力強い表現は、ドローイングのコマ撮りアニメーションがいまだに有力な表現手法となり得ることを証明しており、1990年代中頃から彼の作品は、世界中の若い世代の美術家たちに大きな影響を与え続けています。 いま世界で最も注目を集める美術家の一人であるケントリッジは、2009年3月のサンフランシスコ近代美術館を皮切りに、フォートワース近代美術館(テキサス)、ノートン美術館(フロリダ)、ニューヨーク近代美術館、アルベルティーナ美術館(ウィーン)、イスラエル美術館(エルサレム)、ステデリック美術館(アムステルダム)を会場に、大規模な世界巡回展が進行しています。 日本での展覧会は、ウィリアム・ケントリッジとの3年間にわたる緊密な協力と広範な準備作業を経て実現されるもので、我が国では初の個展となります。南アフリカの歴史を扱った代表作《プロジェクションのための9つのドローイング》(1989–2003)から、ショスタコーヴィチのオペラ『鼻』を題材にした最新作の《俺は俺ではない、あの馬も俺のではない》(2008)まで、フィルム・インスタレーション4点を含む19点の映像作品と、36点の素描、63点の版画によりケントリッジの活動の全貌を紹介します。 作家紹介 1955 年生まれ。南アフリカ共和国ヨハネスブルグ在住。ヨハネスブルグの大学において政治学を学んだ後、パリのエコール・ジャック・ルコックにおいて演劇を学ぶ。1980 年代末から、素描をコマ撮りした手描きアニメーション・フィルムを制作・発表する。1997 年ドクメンタ10、98 年サンパウロ・ビエンナーレ、99 年ヴェニス・ビエンナーレ、カーネギー・インターナショナル、2000 年広州ビエンナーレ、2001 年横浜トリエンナーレ、2002 年ドクメンタ11、08 年シドニー・ビエンナーレに参加。2009 年から2011 年にかけて、サンフランシスコ近代美術館、フォートワース近代美術館、ノートン美術館(フロリダ)、 ニューヨーク近代美術館、アルベルティーナ美術館(ウィーン)、 イスラエル美術館(エルサレム)、ステデリック美術館(アムステルダム)を巡回する展覧会が開催中である。また、俳優、演出家、著述家など多彩な分野でも活躍している。 イベント情報 講演会 ジェーン・テイラー(批評家、作家/シカゴ大学客員教授・本展カタログ執筆者) 2010年1月10日(日) 14:00-15:30 講堂(地下1階) シカゴ大学(アメリカ)客員教授、ウィトワーテルスラント大学(南アフリカ共和国、ヨハネスブルグ)名誉教授。キュレーター、批評家、作家として幅広く活動する。ウィリアム・ケントリッジについての著述多数。また、南アフリカとアメリカにおいてケントリッジの展覧会のキュレーションを担当し、ケントリッジの舞台作品『ユビュと真実委員会(Ubu and the Truth Commission)』ならびにドクメンタ委嘱、ケヴィン・ヴォランス作曲、ケントリッジ監督の歌劇『ゼーノの告白(The Confessions of Zeno)』の台本を執筆している。最近では新作の小説『移植の男たち(The Transplant Men)』(クリス・バーナード医師による世界初の心臓移植について)を発表。また、ケントリッジが過去15年間に渡りコラボレーションを続けている人形劇団についての本、『ハンドスプリング人形劇団(Handspring Puppet Company)』を編集した。現在、ケントリッジによるショスタコーヴィチのオペラ『鼻』のプロダクション(2010年、ニューヨークのメトロポリタン・オペラにて初演予定)についての本を執筆中である。 *聴講無料・申込不要(先着150名) 河本信治(京都国立近代美術館学芸課長、本展企画者) 2010年1月30日(土) 14:00-15:30 講堂(地下1階) *聴講無料・申込不要(先着150名) ギャラリー・トーク 担当学芸員によるギャラリー・トーク 2010年1月22日(金)2010年2月5日(金) 18:00-19:00 企画展ギャラリー (1F) *いずれも参加無料(要観覧券)・申込不要 カタログ情報 初邦訳となる作家本人のテキストを多数含む充実の内容。日本語で読めるケントリッジの書籍としては、今後最重要となること間違いなしです。フル・バイリンガル、220ページのヴォリュームで2000円(税込) カタログ内容 作家本人によるテキスト 「恩寵の状態にある美術、希望の状態にある美術、包囲の状態にある美術」(1986年)「影の礼讃」(2001/2002年)「ジョルジュ・メリエスに捧げる7つの断片、擬似風景(アメリカの夜)、月世界旅行」(2003年)など 論文 「展覧会を紹介する―待ちながらウィリアム・ケントリッジを考える」(河本信治)「芸術家の肖像」(ジェーン・テイラー)「身体の介在、イリュージョンとリアリティー:映画とメリエスへのオマージュ」(神谷幸江)など 開催概要 東京国立近代美術館 企画展ギャラリー 2010年1月2日(土)~2月14日(日) 10:00-17:00 (金曜日は10:00-20:00)※入館は閉館30分前まで 月曜日[2010年1月11日(月・祝)は開館]、1月12日(火) 一般 850円(600円) 大学生450円(250円)※( )内は20名以上の団体料金。いずれも消費税込。 高校生以下および18歳未満、障害者手帳をお持ちの方とその付添者(1名)は無料。※それぞれ入館の際、学生証等の年齢の分かるもの、障害者手帳等をご提示ください。 ※本展の観覧料で、当日に限り「早川良雄」展(ギャラリー4、2F)と所蔵作品展「近代日本の美術」(所蔵品ギャラリー、4-2F)もご観覧いただけます。 東京国立近代美術館、京都国立近代美術館 南アフリカ共和国大使館 京都国立近代美術館:2009年9月4日(金)~10月18日(日)【終了】広島市現代美術館:2010年3月13日(土)~5月9日(日)
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建築がうまれるとき:ペーター・メルクリと青木淳
展覧会について スイスのペーター・メルクリと日本の青木淳。このふたりの建築家の間に直接的なつながりはありません。けれども、絵画や彫刻を強くリスペクトしている点では共通しています。だからでしょうか、それぞれが設計した《彫刻の家》と《青森県立美術館》という美術館は、いずれも、作品と厳しく対峙する空間を持っています。また、ふたりとも、かわいい雰囲気が大好きなのに、とてもクールな建物につくるという点でも似通っています。 本展は、そんな彼らが、頭の中にあるアイデアにかたちを与えていくプロセスに注目します。したがって、会場に、いわゆる完成模型や図面などはありません。では、なにが展示されるのか? チューリヒからは、プロジェクトとは関係なくメルクリが描く膨大な数のドローイングの中から選ばれた約300枚と、《ノバルティス・キャンパス・ビジターセンター》(2006年竣工)のためにつくった愛らしいスタディ模型14点がやってきます。また彼に影響を与えた彫刻家ハンス・ヨゼフソンの作品も、小品2点が特別に展示されます。そして東京からは、青木が住宅《M》のためにつくった100個を超えるスタディ模型がやってきます。これらのオブジェクトが空間を埋め尽くすことで、ふたりの建築家の共通点と相違点とが生々しく伝わってくることでしょう。 「建築がうまれる」とき、いったいなにが起こっているのか、会場で感じていただければ幸いです。 ここが見どころ スイスと日本を代表する建築家を紹介。メルクリは初来日! 講演会も開催!本展は、東京のみでの開催となります。アトリエ・ワンの貝島桃代がメルクリについて、アーティストの田中功起が青木について、カタログに寄稿。カタログ、チラシは、角田光代の『ロック母』、穂村弘の『手紙魔まみ』の装丁などで知られる山田拓矢がデザイン!展示は、青木淳建築計画事務所所員時代に青森県立美術館を担当した西澤徹夫がデザイン。 作家紹介 ペーター・メルクリ Peter Märkli (1953- ) 1953年チューリヒ生まれ。チューリヒ連邦工科大学チューリヒ校(ETHZ)で建築を学んだ後、建築家ルドルフ・オルジャティと彫刻家ハンス・ヨゼフソンに師事する。1978年チューリヒに事務所を設立。2003年からはETHZの教授を務める。代表作に《トリュプバッハ/アツモースの住宅》(1983年)、《彫刻の家》(1992年)、《バーゼル大聖堂オルガン》(2003年)、《ノバルティス・キャンパス・ビジターセンター》(2006年)など。2001年スウェーデン・コンクリート賞を、2002年ハインリッヒ・テッセナウ賞を受賞。 ペーター・メルクリ「ドローイング(無題)」制作年不詳 ©the artist 青 木 淳 Jun Aoki (1956- ) 1956年横浜生まれ。1982年東京大学大学院修士課程 (建築学) を修了後、磯崎新アトリエに勤務。1991年東京に青木淳建築計画事務所を設立。代表作に《馬見原橋》(1995年)、住宅《S》(1996年、吉岡賞)、《潟博物館》 (1997年、日本建築学会作品賞) 、《ルイ・ヴィトン表参道》(2002年)、《青森県立美術館》 (2006年) など。建築作品だけでなく、《U bis》(2002年)、《DAIWA PHARMACY》(2004年)、《TARO NASU BAMBI》(2006年)などインスタレーションも発表。2004年度には芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞している。 青木淳「Mのためのスタディ模型」2007-08年 撮影:木奥恵三 イベント情報 講演会 ペーター・メルクリ(出品作家、建築家)「自作について(仮題)」 2008年6月6日(金) 18:00-19:30 当館講堂 聴講無料、申込不要、先着 150名*英語、逐次通訳 青木淳(出品作家、建築家)「Mのスタディ」 2008年7月5日(土) 14:00-15:30 当館講堂 聴講無料、申込不要、先着 150名 ギャラリー・トーク 保坂健二朗(本展企画者、当館研究員) 2008年6月27日(金)2008年7月11日(金) 18:00-19:00 「ペーター・メルクリと青木淳」展 会場 参加無料(要観覧券)、申込不要 カタログ情報 開催概要 東京国立近代美術館 ギャラリー4 2008年6月3日(火)~8月3日(日) 10:00-17:00 (金曜日は10:00-20:00) 月曜日(7月21日は開館し、翌22日休館) 一般420円(210円)/大学生130円(70円)( )内は20名以上の団体料金。いずれも消費税込。 *高校生および18歳未満、キャンパスメンバーズ、MOMATパスポートをお持ちの方、65歳以上、障害者とその付添者(1名)は無料。また入館当日に限り、所蔵作品展もご観覧いただけます。 7月6日(日)、8月3日(日) 東京国立近代美術館 スイス大使館 スイス・プロ・ヘルヴェティア文化財団 サンスター、ノバルティス ファーマ株式会社 スイスインターナショナルエアラインズ、新建築社、エー・アンド・ユー
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高梨豊:光のフィールドノート
展覧会について 高梨豊(たかなし ゆたか 1935年東京生まれ)は、1950年代末に写真家として出発して以来、コマーシャルやファッションの分野の第一線で活躍する一方、現代社会へのするどい洞察をはらんだ作品によって、同時代の写真表現をリードしてきました。とりわけ、その50年近いキャリアを通じて、高梨は、さまざまな方法論を駆使して「都市」という主題にとりくんできたことで知られます。 『カメラ毎日』1966年1月号の巻頭36ページを一挙につかって発表された〈東京人〉や、60年代末に中平卓馬、森山大道らとともに刊行した写真同人誌『PROVOKE』を舞台として、時代の先端を疾走、写真における表現の根拠を先鋭に問いつつ、のちに写真集『都市へ』へとまとめられていった作品群は、つづく「コンポラ写真」の世代にも大きな影響を及ぼし、今日の写真表現へ直接つながる大きな転換点における、エポックメイキングな仕事として記憶されています。 その後も、高梨は、大胆に方法論を転換しながら、『町』(1977)や『初國』(1993)といったきわめて完成度の高い写真集を世に問いつづけ、また近年では、美術家赤瀬川原平、秋山祐徳太子と結成した「ライカ同盟」の活動でも知られています。しかし意外にもこれまで、美術館での大規模な個展というかたちで、その仕事が紹介される機会はありませんでした。 高梨豊の個展としては過去最大規模のものとなる今回の展覧会は、都市をめぐる作品群を軸に、最初期の作品から、未発表の最新作まで、15のシリーズによって構成されます。一作ごとに、歩行の速度を変え、カメラを換え、方法論を転換しながら重ねられてきた作品群は、それ自体が重層的な構造を持つ「都市」として、展示空間に立ち現れるでしょう。 展覧会構成 歩行の始まり、疾走の時代 「既成の分類にとらわれない方がいいでしょう。はみ出る写真こそ大切にすべきです」。師事した写真家大辻清司の言葉に励まされ、写真家高梨豊の歩行は始まります。東京を撮り歩いた作品は既成の枠ぐみとはべつの何か-somethin’elseと題する初個展へと結実。期待の若手として注目されるようになった高梨は、『カメラ毎日』誌を舞台に、〈オツカレサマ〉や〈東京人〉といった意欲作を発表していきます。1968年には中平卓馬、森山大道らとともに写真同人誌『プロヴォーク』を刊行、同時代の写真表現の最前線を疾走します。 方法論の模索 政治の季節の過ぎ去った1970年代、時代の速度の変化のなかで高梨は一転、大判カメラとカラーフィルムを用いた都市へのアプローチを試みます。旧い町並みの残る下町を撮影した〈町〉、新宿をひとつのテキストと見立て、都市計画のキーワードをヒントに読解を試みた〈新宿 / 都市のテキスト〉。一方〈東京人Ⅱ〉では、〈東京人〉でのスナップショットという方法論を、あえて時代の速度のかわった東京において再度試みています。 時空の彼方へ 日本各地の「神さびた土地」を訪ねての10年に渡る歩行の軌跡〈初國〉、1920-30年代のモダン建築をモティーフに都市の始原へとさかのぼる試み〈都の貌〉、そしてバブル景気の時代を通過して「界隈」のまとまりが失われた東京で、旧い地名を頼りに、「垂直の歩行」を試みた〈地名論〉。80年代から90年代にかけての高梨の仕事は、時間軸を導入することで新たな次元を獲得していきます。 21世紀のフィールドノート 21世紀の東京、「“底なしの深さのなさ”その表面性と対峙する」ために高梨はカラーポジフィルムをつめた中判カメラを肩に、新たな歩行を開始します。その成果、写真集『ノスタルジア』には、同時期にモノクロフィルムをつめた35mmカメラを手に、列車の窓から一瞬すれちがう光景をつかまえることで「風景の始原」へと遡行する試み、〈WINDSCAPE〉のシリーズが別冊として挿入されていました。そして最新作〈silver passin’〉。“銀塩写真の終焉”ともいわれる今日、写真家は愛用のライカを手に、バスの車窓から、あらためて東京の街へとそのまなざしを投げかけます。 出品予定点数約250点作品は東京造形大学、作家および東京国立近代美術館所蔵 作家紹介 1935年 東京・牛込生まれ。1957年 日本大学芸術学部写真学科卒業。1961年 桑沢デザイン研究所リビングデザイン科卒業。日本デザインセンターに入社(1970年退社)。1964年 『カメラ毎日』1~12月号に〈オツカレサマ〉を連載、第8回日本写真批評家協会新人賞を受賞。1966年 『カメラ毎日』1月号に〈東京人〉を発表。東京国立近代美術館「現代写真の10人」展に参加。1968年 中平卓馬、多木浩二、岡田隆彦と季刊誌『プロヴォーク 思想のための挑発的資料』を刊行(第2号から森山大道も参加、1970年に同人活動を休止)1974年 初の写真集『都市へ』(イザラ書房)刊行。 東京国立近代美術館「15人の写真家」展に参加。1977年 写真集『町』(朝日新聞社)刊行。1980年 東京造形大学助教授に就任(1983年より教授、2000年に退任、現在は客員教授)1983年 写真集『東京人1978-1983』(書肆山田)刊行。同書により1985年第34回日本写真協会賞年度賞を受賞。1993年 写真集『初國 pre-landscape』(平凡社)を刊行。同書などにより第9回東川町国際写真フェスティバル国内作家賞を受賞。翌年、同書により第43回日本写真協会賞年度賞を受賞。1995年 赤瀬川原平、秋山祐徳太子と「ライカ同盟」を結成。2000年 写真集『地名論』(毎日コミュニケーションズ)刊行。2004年 写真集『ノスタルジア』(平凡社)刊行。2007年 写真集『囲市』(クレオ)刊行。 イベント情報 対談 高梨豊×田中純(東京大学大学院准教授) 2009年2月7日(土) 14:00-15:30 講堂(地下1階) *聴講無料、申込不要(先着150名) ギャラリー・トーク 増田玲(本展企画者、当館主任研究員) 2009年2月13日(金)18:30-19:302009年2月28日(土)14:00-15:00 企画展ギャラリー (1F) *参加無料(要観覧券)、申込不要 カタログ情報 開催概要 東京国立近代美術館 企画展ギャラリー (1F) 2009年1月20日(火)~3月8日(日) 10:00-17:00 (金曜日は10:00-20:00)(入館は閉館30分前まで) 月曜日 一般 850(600)円/大学生 450(250)円*( )内は20名以上の団体料金。いずれも消費税込。*高校生以下・18歳未満、障害者手帳をお持ちの方とその付添者1名は無料。それぞれ入館の際、学生証等の年齢の分かるもの、障害者手帳等をご提示ください。*入館当日に限り、「コラージュ――切断と再構築による創造」展、所蔵作品展「近代日本の美術」(特別公開「横山大観《生々流転》」を含む)もご観覧いただけます。 東京造形大学 キヤノンマーケティングジャパン株式会社[デジタルプリント出力]フォトグラファーズ・ラボラトリー
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アンリ・ミショー:ひとのかたち
展覧会について 特別な意図を持たずに描いてごらん、機械的に描きなぐってごらん、紙の上にはほとんどいつも、いくつかの顔が現れる。 フランスの画家・詩人、アンリ・ミショーは、記号とも生物ともつかない不思議な形態によるドローイングを1930年代から半世紀にわたって描き続けました。サボテンから抽出される幻覚剤メスカリンの実験的服用によってイメージが発生する地点を探求するなど、きわめて独特な制作活動を展開し、現代の画家の多くに影響を与えた、知る人ぞ知る存在です。彼の作品は常に、流れるような運動感を帯び、エネルギーの奔流に満ちています。そして、そこには頻繁に無数の人間の姿が浮かび上がってくるのです。今回の展覧会は、とりわけこの人物像の出現に注目しつつ、ミショーの奥深い世界をあらためて探ろうとするものです。一気呵成に、駆け抜けるようにして描き上げられた彼の画面の中に、わき上がるように生まれ出、動き回るひとのかたちには、長く人間を描いてきた絵画という営みを今一度原点から問い直させるような原初的な力が秘められています。日本での本格的な個展としては四半世紀ぶりとなる本展では、初期から晩年にいたる膨大な作品群から精選された59点の代表的なドローイングによって、今なお新鮮で、また謎に満ちたミショーの世界をご覧いただきます。 作家紹介 アンリ・ミショー Henri Michaux (1899-1984) 1899年ベルギーのナミュール生まれ、1923年パリに移住。南米、アジアをはじめ世界各地を旅行、文字とも人物とも見える不定形な自然発生的イメージを描く。詩人としても名高く、日本への関心も深い。1984年パリで没。 イベント情報 講演会 *いずれも当館講堂にて 聴講無料、申込不要、先着150名 「ジョセフ・ナジの『遊*ASOBU』とミショー」 2007年7月1日(日) 14:00-15:30 講堂 松井憲太郎(世田谷パブリックシアター プログラム・ディレクター) 「アンリ・ミショー ひとのかたち」 2007年7月14日(土) 14:00-15:30 講堂 中林和雄(当館美術課長・本展企画者) キュレーター・トーク 2007年8月10日(金)*当初のお知らせから開催日が変更となりました。ご注意ください。 18:00-19:00 ギャラリー4 中林和雄(当館美術課長) カタログ情報 四半世紀ぶりのミショー展、カタログは一般書籍として刊行! 「アンリ・ミショー展 ひとのかたち」のカタログは、平凡社から一般書籍として刊行されます(書店での発売は7月上旬を予定)。 デザインは『安部公房全集』(1998年 東京ADC原弘賞受賞)や、多くの美術展のカタログ・チラシのデザインで知られる近藤一弥氏。 今回は、クロス装に、エンボスでミショーの「ひとのかたち」が浮かびあがるカバーのついた上製本仕様で、そこに出品作品59点全点と肖像写真2点とが掲載されています。 A5版 21.6×15.5cm/128p pp.9-96 絵画とテクストpp.42-47 アンリ・ミショー、詩人への私の近づき(瀧口修造)pp.97-108 アンリ・ミショー ひとのかたち(中林和雄)pp.109-118 Henri Michaux/Emerging Figures(Kazuo Nakabayashi)pp.119-123 アンリ・ミショーの生涯pp.124-125 作品リストp.126 主な日本語文献*瀧口修造氏のエッセイは、『コレクション瀧口修造2』(みすず書房)からの再録(初出は『詩の本』第3巻、筑摩書房、1976年)。 本体1900円(税別) 978-4-582-22204-3 開催概要 東京国立近代美術館 ギャラリー4 2007年6月19日(火)~8月12日(日) 月曜日[2010年3月22日と3月29日は開館]、3月23日(火) 一般 420円(210円) 大学生130円(70円) 高校生70円(40円) 中学生以下、65歳以上および障害者(付添者は原則1名まで)の方は無料です。それぞれ入館の際、生徒手帳、健康保険証、運転免許証、障害者手帳等をご提示ください。いずれも消費税込。( )内は20名以上の団体料金。本展の観覧料で、当日に限り、「所蔵作品展 近代日本の美術」(4-2F)もご覧いただけます。 7月1日(日)、8月5日(日) *ミショー展と所蔵作品展のみ 東京国立近代美術館 フランス大使館文化部、東京日仏学院 SG信託銀行 エールフランス航空 本展は巡回いたしません。東京国立近代美術館のみでの開催となります。
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アンリ・カルティエ=ブレッソン:知られざる全貌
展覧会について 「決定的瞬間」をとらえた写真家として知られるフランスの写真家アンリ・カルティエ=ブレッソン(1908-2004)。彼は絵画を学んだ後、1930年代初頭に、本格的に写真にとりくみはじめます。35mmカメラによるスナップショットの先駆者として、独特の鋭い感性と卓越した技術を結晶させたその写真表現は、ごく早い時期から、高い完成度を示していました。 1952年に初の写真集『逃げ去るイメージ(Images à la sauvette)』を出版。そのアメリカ版の表題である『決定的瞬間(The Decisive Moment)』は、カルティエ=ブレッソンの写真の代名詞として知られるようになります。日常のなかの一瞬の光景を、忘れがたいイメージへと結晶させる作品は、同時代の写真表現に大きな影響を与えました。日本でも1950年代にその仕事が紹介されると大きな反響を呼び、その作品は広く愛されてきました。 本展は、ヨーロッパ以外では初めての巡回であり、日本国内では東京国立近代美術館のみの開催です。本展は、パリのアンリ・カルティエ=ブレッソン財団とマグナム・フォトの協力によって制作されました。This exhibition has been created by Henri Cartier-Bresson Foundation in Paris in collaboration with Magnum Photos. ここが見どころ ヴィンテージ・プリントは今回日本初公開! カルティエ=ブレッソンは、1947年のマグナム設立以降、撮影に専念するため、暗室作業を信頼できるラボに全面的に任せていましたが、本展ではひとつの章を、本人がプリントした、数十点のヴィンテージ・プリントの紹介にあてています。「カルティエ=ブレッソンの灰色」と呼ばれる独特の中間調のトーンは、この貴重なヴィンテージ・プリントにとりわけ特徴的です。カルティエ=ブレッソンのヴィンテージ・プリントがまとまって展示されるのは、日本では初めての機会となります。 まだまだある日本初公開の資料! 撮影のさまたげになるという理由で、カルティエ=ブレッソンはほとんど自らの肖像を撮らせなかったといいます。本展では、幼少期の家族写真や、各地を取材したときの記者証、さまざまな書簡や手稿など、人間カルティエ=ブレッソンを伝えてくれる多くの初公開資料が展示されます。 油彩やデッサンも! 描くことへの情熱 少年時代から美術に親しんだカルティエ=ブレッソンは初め画家を志し、アンドレ・ロートのアトリエで学びました。また73年頃からはほとんどデッサンに専念するようになります。本展では初期の貴重な油彩に加えて、数十点のデッサンが展示されます。「写真は瞬間の行為であり、素描は瞑想だ」と語ったカルティエ=ブレッソン。油彩や素描には、彼の眼がどのように世界を捉えようとしていたのか、その秘密の一端をうかがうことができるでしょう。 カルティエ=ブレッソンによる最後のメッセージ?! この展覧会がベルリンに巡回していた2004年8月にカルティエ=ブレッソンは95年の生涯を閉じました。最晩年、自ら企画・構成に関わったこの展覧会は、写真家集団マグナム・フォトの創設メンバーのひとりとして、20世紀を見つめた写真家が、21世紀に遺したメッセージとなりました。 展覧会構成 多角的な章構成 「ヨーロッパ」「アメリカ」「インド」「中国」「ソヴィエト」など、取材した国や地域ごとの章に加えて、「ポートレイト」「風景」といったジャンルによる章、またそうした枠組みをとりはらってよく知られた代表作だけを集めた「クラシック」の章など、この展覧会は、多角的な視点からアンリ・カルティエ=ブレッソンの仕事の全貌をたどります。 そこで浮かび上がってくるのは、眼の前の世界が完璧な調和をみせる一瞬を捕獲する妥協なき芸術家としてのまなざしや、ガンジー暗殺や中国共産党政権の成立など、適確な時と場所にいあわせて歴史の分岐点を目撃するというジャーナリストとしてのすぐれた資質です。 多角的な視点から、カルティエ=ブレッソンの多面性が見えてくることでしょう。 なお本展ではアンリ・カルティエ=ブレッソンによるフィルムなど、映像作品も展示されています。すべてを見ると、1時間以上かかります。ぜひ、お時間に余裕を持ってご来館ください。 カルティエ=ブレッソンについてのフィルム(約10分)セルジュ・トゥビアーナ編 1. ジョン・ミリ「友情」 2分44秒2.ロベール・デルピール「コンタクツ:アンリ・カルティエ=ブレッソン」 1997年 7分〔オリジナル15分からの抜粋〕 カルティエ=ブレッソンによるフィルム(約15分)セルジュ・トゥビアーナ編 3.アンリ・カルティエ=ブレッソン「生命の勝利」 1937年 5分30秒〔オリジナル49分からの抜粋〕4. アンリ・カルティエ=ブレッソン「スペインは生きる」 1938年 6分5秒〔オリジナル43分32秒からの抜粋〕5. アンリ・カルティエ=ブレッソン「帰還」 1944/45年 3分10秒〔オリジナル32分37秒からの抜粋〕 カルティエ=ブレッソンへのオマージュ(約1時間) 6.サラ・ムーン「アンリ・カルティエ=ブレッソン ― 疑問符」 1994年 37分7.ロベール・デルピール「現行犯」 1967年 22分 作家紹介 アンリ・カルティエ=ブレッソン Henri Cartier-Bresson (1908-2004) 1908年フランス、セーヌ=エ=マルヌ県シャントルーに生まれる。画家を志しパリでアンドレ・ロートに学んだ後、31年から翌年にかけアフリカ象牙海岸に滞在中に写真を撮り始め、小型カメラ「ライカ」で撮影したスナップショットが注目される。30年代後半には映画監督ジャン・ルノワールの助手を務めるなど映画制作に従事。第二次大戦中は従軍し、ドイツ軍の捕虜となるも脱走、レジスタンス活動に加わり、大戦末期にはパリ解放などを撮影した。戦後47年にロバート・キャパらと写真家集団マグナム・フォトを結成、以後インドや中国、アメリカ、旧ソヴィエト(当時)、そして日本など、世界各地を取材した。52年に初の写真集を出版、そのアメリカ版の表題『決定的瞬間(The Decisive Moment)』は、カルティエ=ブレッソンの写真の代名詞として知られることになる。スナップショットによって、日常のなかの一瞬の光景を、忘れがたい映像へと結晶させる作品は、同時代の写真表現に大きな影響を与えた。70年代以降はドローイング制作に専念、2004年フランス南部の自邸で死去した。 イベント情報 講演会 「チョートク、カルティエ=ブレッソンを語る」 2007年6月30日(土) 14:00-15:30 講堂 田中長徳(写真家) 聴講無料、申込不要、先着150名 「アンリ・カルティエ=ブレッソンと日本」 2007年7月21日(土) 14:00-15:30 講堂 増田玲(当館主任研究員) 聴講無料、申込不要、先着150名 カタログ情報 正方形というちょっと珍しい版型です 本展にあわせて小さめのカタログを発行いたします。 デザインは、BEAMSのメンズカタログ(2005-06年秋冬コレクション)などで注目を集めている今井千恵子氏(n.b graphics)。 正方形のハードカバーという珍しい版型で、透明のケース付き。出品点数約350点(写真作品)のうち、掲載点数は30点と少なめですが、中条省平氏(学習院大学教授、フランス文学者)のエッセイや、フランス語から訳出したアンリ・カルティエ=ブレッソンによる「決定的瞬間」、そしてもちろん、展覧会担当者によるテキストを収めており、読み応えのある内容になっています。 20×20cm/119p p.8 メッセージ(マルティーヌ・カルティエ=ブレッソン)p.9 Message(Martine Cartier-Bresson)p.10 序(ロベール・デルピール)p.11 Preface(Robert Delpire)pp.12-13 なまなましい存在感、幾何学的な静謐さ(中条省平)pp.15-84 図版[コラム] カメラと撮影 HCBとプリント 若き日のHBC(1):1920年代のパリで 若き日のHBC(2):旅の日々 HBCとマグナム・フォト HBCとジャーナリズム 写真集『決定的瞬間』 再び絵画へpp.87-95 決定的瞬間(アンリ・カルティエ=ブレッソン)pp.96-103 アンリ・カルティエ=ブレッソンと日本(増田玲)pp.104-113 Henri Cartier-Bresson and Japan(Rei Masuda)pp.114-116 略年譜 1800円(税込) 開催概要 東京国立近代美術館 企画展ギャラリー 2007年6月19日(火)~8月12日(日) 午前10時~午後5時金曜日は午後8時まで(入館は閉館30分前まで) 月曜日 *2007年7月16日(月・祝)は開館、翌17日(火)は休館 一般800(700/600)円、大学生400(300/200)円、高校生250(150/100)円 中学生以下、障害者手帳等をお持ちの方及び付添者1名は無料*それぞれ入館の際、生徒手帳、健康保険証、運転免許証、障害者手帳等をご提示くださいいずれも消費税込、( )内は前売/20名以上の団体料金前売券は全国チケットぴあ他、ファミリーマート、サンクスで6月18日まで取り扱います(一部店舗を除く)本展観覧券で、当日に限り、「アンリ・ミショー展」、「所蔵作品展 近代日本の美術」もご覧いただけます 東京国立近代美術館、マグナム・フォト東京支社、アンリ・カルティエ=ブレッソン財団、日本経済新聞社 あいおい損害保険、大日本印刷、ライカカメラジャパン エールフランス航空 本展は日本国内での巡回はありません
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小林古径展
展覧会について 小林古径(1883-1957)は、近代日本画の展開に重要な役割を果たした画家の一人です。大正から昭和にかけ、西洋から次々ともたらされる新たな美術思潮の渦のなかで、日本画の世界は大きく揺り動かされますが、古径は日本画が本来もっている特質に深く根ざしながら、近代という新しい時代にふさわしい日本画を創造し続けました。 新潟県に生まれた古径は、明治32(1899)年、16歳の時に上京して梶田半古のもとに入門、日本絵画協会・日本美術院連合共進会などに出品し、受賞をかさねました。明治43 (1910)年、今村紫紅、安田靫彦に誘われて紅児会に入会するとともに、大正3 (1914)年の第1回再興院展に《踏絵(異端)図》を出品して同人に推挙され、日本美術院の中心的な画家として活躍しました。 古径の作品の魅力は、無駄のない厳しい描線と濁りのない澄んだ色彩にあり、高雅で品格に満ちた作風は日本画の伝統的な美しさにあふれています。しかし、古径の作品は、伝統を固守することから生まれてきたわけではありません。画面に漂う張り詰めた緊張感と、どこまでも純化された表現は絵画におけるリアリズムを徹底して追求したところに生まれたもので、近代的というにふさわしい造形感覚を示しています。そこには、日本画という伝統と、絶え間なく流れ込む西洋美術との葛藤を通じ、近代という歴史の流れにつらなろうと格闘する古径の姿をみることができます。 現代の美術はジャンルを越え、境界も曖昧になりつつあります。表現の可能性が拡大し、「日本画」の意味そのものも大きく問われています。そうした状況にあって、古径の歩みは今多くのことを示唆しているように思われます。 この展覧会は代表作124点に素描を加えたリストから構成されています。一章「明治 -歴史画からの出発-」、二章「大正 -ロマン主義の華やぎ-」、三章「昭和 -円熟の古径芸術-」に分けて古径の画業の軌跡を辿るとともに、その芸術が現代に意味するものをあらためて探ろうとするものです。 ここが見どころ 岡倉天心の肝いりで実現された《加賀鳶かがとび》が出品 日本美術界の重鎮、岡倉天心の依頼を受けて制作された初期の大作《加賀鳶》が出品されます。加賀藩前田家江戸屋敷お抱えの消防団の勇敢な活躍ぶりを描いたこの作品は、前田侯爵家からの出品として明治43年ロンドンで開催された日英博覧会に展示されました。若干26歳の新進画家であった古径はこの作品を制作するにあたり、信貴山縁起絵巻のようなものを目指して描くようにと天心から励まされ、大いに感銘を受けたと伝えられています。 切手で知られるあの名作 切手の絵柄にも用いられたことから広く親しまれている《髪》も7月5日~7月18日まで本展に出品されます。乙女の体温や皮膚の柔らかい感触までもが描き出され、髪の毛一本一本に筆を重ねることで女性の豊かで美しい黒髪を表現した、まさに古径の最高傑作とよぶにふさわしい名作です。描かれている姉妹のモデルとなったのは古径の二人の娘たちといわれます。乙女たちの凛とした清々しい美しさ故に、この作品は裸体画としては日本で初めて切手のデザインに選ばれました。また《芥子》や《阿弥陀堂》といった作品も切手になっています。 実業家・原三溪や文豪・志賀直哉といった人々も古径のファンだった 古径の支援者のひとりに、横浜の名園「三溪園」でいまもその名を広く知られる生糸貿易の原三溪(原富太郎)があげられます。豪商・原三溪は古美術の大コレクターであり、また同時代の優れた画家を見出し支援する美のパトロンでもありました。原の招きで仏画や大和絵など第一級のコレクションを実物研究することができたことは、古径芸術の発展に大きく寄与しました。また『暗夜行路』で知られる白樺派の文豪・志賀直哉も古径の作品を高く評価していました。古径は志賀直哉の著書の題字や挿絵をたびたび手がけています。このように生前から実業界や知識層にもファンを持っていた古径は、まさに近代日本画壇を代表する画家であり、その作品はいまも清冽な画風で私たちを魅了します。 故郷・新潟によみがえった古径のアトリエ 古径の自邸は1934(昭和9)年に東京の大田区馬込に完成しました。設計を手がけたのは吉田五十八(いそや)(1894-1974)。日本の伝統的な数奇屋建築を近代によみがえらせたことで知られる建築家です。新しい自邸の夢を、古径は「私が好きになるようなものに」というひとことにこめました。古径邸に見られる伝統と近代の調和、豊かさを内に秘めた清澄で簡素な美しさは、古径芸術の特徴とも響き合っています。築60年後の解体を経て、2001年春、古径邸は故郷・新潟の上越市内に画室とともに移築され、見事によみがえりました。現在は小林古径記念美術館の一部として一般公開され、美術ファンや建築ファンを魅了し続けています。 展覧会構成 第一章 明治 -歴史画からの出発- 故郷新潟で修行に励んだ古径は、16歳の時に上京し梶田半古の画塾に入門します。半古は当時まだ30歳でしたが、特に新聞挿絵の世界では名の知られた実力派の画家でした。入門して間もなく、半古からもらった雅号が「古径」です。古径は半古から懇切丁寧な指導を受け、また生来の画才も手伝ってたちまち頭角を現し、明治38(1905)年に奥村土牛が入門してきた時にはすでに塾頭格でした。この間展覧会などでも受賞を重ね、若手日本画家の有望株と見なされるようになります。この時期古径がもっぱら描いていたのが、いわゆる歴史画です。本展では最初期作の《村上義光》から第1回文展出品《闘草くさあわせ》、日英博覧会出品《加賀鳶かがとび》など初期歴史画の優品を集め、古径芸術の出発点を紹介します。 トピック①スケッチブックの中の青春 -模写と写生 半古画塾での古径は、古画あるいは半古のお手本を模写することによる基礎学習を徹底して行う一方で、草花や人物、風景などの写生を繰り返していました。それらは、現在、東京芸術大学ほかに遺されている写生帳類に散見されますが、模写にせよ写生にせよその正確な描写には驚くべきものがあります。ここでは半古塾時代を中心に、模写や写生などから選りすぐった作品をご紹介します。それらによって古径芸術の原点を探るとともに、絵画修行に明け暮れた古径の青春時代を追想したいと思います。 第二章 大正 -ロマン主義の華やぎ- 大正元(1912)年の第六回文展に出品された《極楽井ごくらくのい》は、それまでの歴史画の集大成であるとともに、半古風の世俗的表現から脱皮して古典的な題材にロマン的な香りを感じさせる画風への展開を示すものとなりました。盟友安田靫彦はこの作品が発表された時を「この絵で古径芸術は八分通り出来上がった」と評したといいます。これ以降、ちょうど大正期全般にわたって、後年の研ぎ澄まされた線描芸術とは趣を異にする甘美でおおらかな画風が展開されます。これは、まさに大正のロマン主義という時代思潮と呼応するものでした。《踏絵(異端)図》《阿弥陀堂》《竹取物語》など、色彩豊かで華やかな作品群は、昭和に入ってからの清澄な画境に対して未成熟なものと位置づけられるべきではありません。むしろ、歿後50年近くを経た今日、古径芸術はこうした大正期の作品から再評価されつつあります。 トピック②ヨーロッパ留学 -見聞・古画模写とその成果 1922(大正11)年から翌年にかけて、古径は前田青邨とともに日本美術院の留学生としてヨーロッパに滞在しました。エジプト、イタリア、フランスなどで美術品を見て回り、イギリスでは長期滞在して東北大学の依頼により大英博物館所蔵の伝顧愷之こがいし筆《女史箴図巻じょししんずかん》を模写しました。完成には50日かかったといいます。古径の画業にとってたいへん重要な転機となったこのヨーロッパ留学について、当時のスケッチ、見聞した西洋画の模写、写真資料、そして《女史箴図巻》模写などから留学中の古径の体験を様々な角度から紹介します。これまでの古径展にはない試みのひとつです。 第三章 昭和 -円熟の古径芸術- ヨーロッパ留学から帰国後、古径は《鶴と七面鳥》(1928年)《清姫》(1930年)《髪》(1931年)と、続けて代表的な傑作を発表しました。ここに来て古径は、古典への真摯な探究心と線描に対する研究心を深め、静謐で研ぎ澄まされた画境に入っていきました。ここでは、昭和戦前期から戦後の晩年に至る、円熟の古径作品を、動物、植物、人物の三つのパートにわけてご覧いただきます。 I 生命への賛歌 《鶴と七面鳥》《孔雀》《牛》といった獣禽類を題材にした、格調高い作品も古径の真骨頂といえるでしょう。古径の描く動物は、実際に古径が飼っていた犬や、兎、猫など、日常の生活によく見かける小動物たちも多いのですが、そうした身近な題材を描いても作品には気品が漂っています。 II 花と実と―自然を見つめて 日本画では、梅花、牡丹、菖蒲などは古くから題材とされて来ました。しかし、古径の描く花や草木は、花鳥画と呼ばれる分類から抜け出しているように思われます。古径は、余計な要素をぎりぎりまでそぎ落としていきながら、植物の根源的な姿を追い求めているかのようです。 III 人の姿―祈り/暮らし 古径には清楚な女性像を描いた作品が多く、《犬と遊ぶ》《髪》《琴》《食後》などからは現代女性に取材しながらも古典的な香りを漂わす古径一流の女性観が窺われます。また、《文殊》《馬郎婦》《不動》《松風》など、仏教や謡曲などから題材をとった人物画も取り上げています。 トピック③制作の舞台裏―画稿から本画へ 古径が遺した画稿類の中には模写や写生以外に、本画のための構想スケッチが多数見られます。ここではその中から、戦後相次いで制作された人物画《食後》(1949年)、《壺》(1950年)の関連資料を、本画とともに紹介します。スケッチから下絵、本画へと制作の過程をたどることで、着想から紆余曲折を経て、やがて無駄のない簡潔で品格のある作品を生み出してゆく、ひたむきな古径の制作プロセスが浮かび上がってきます。 作家紹介 明治16(1883)年 2月11日新潟県に生まれる。本名は茂(しげる)。[0歳]明治20(1887)年 母ユウ亡くなる。[4歳]明治27(1894)年 東京美術学校出身の教諭山田於莵三郎について日本画の手ほどきを受ける。[11歳]明治29(1896)年 父株亡くなる。[13歳]明治31(1898)年 菊池容斎派の画家青木香葩につく。「秋香」の号をもらう。[15歳]明治32(1899)年 親戚宅にひきとられ上京。梶田半古の画塾に入り「古径」の雅号をもらう。第7回日本絵画協会・第2回日本美術院連合絵画共進会に《村上義光》を出品。[16歳]明治43(1910)年 安田靫彦や今村紫紅に誘われ紅児会入会。[27歳]大正元(1912)年 同じく半古塾で学ぶ三好マスと結婚。第6回文展に《極楽井》を出展。[29歳]大正3(1914)年 第1回再興院展に《異端》を出品。日本美術院同人に推挙される。[31歳]大正9(1920年)年 東京・馬込に画室を新築。[37歳]大正11(1922)年~大正12(1923)年 日本美術院から派遣されて前田青邨らとともに渡欧。大英博物館で中国上代絵画の傑作《女史箴図巻》を模写。[39~40歳]昭和6(1931)年 第18回再興院展に《髪》を出展。[48歳]昭和10(1935)年 帝国美術院会員となる。[52歳]昭和12(1937)年 文部省美術展覧会(文展)審査員となる。[54歳]昭和19(1944)年 東京美術学校教授に就任。帝室技芸員となる。[61歳]昭和25(1950)年 文化勲章を受章。[67歳]昭和32(1957)年 死去[享年74歳] イベント情報 講演会 ※いずれも聴講無料、先着150名 尾崎正明(東京国立近代美術館副館長)「小林古径の芸術と生涯」 7月2日(土)14:00~15:00 田渕俊夫(日本画家、日本美術院所属)「技法から見た古径作品の魅力」 7月9日(土)14:00~15:30 古田亮(当館主任研究官) カタログ情報 開催概要 東京国立近代美術館 2005年6月7日(火)~7月18日(月・祝) 午前10時~午後5時(金曜日は午後8時まで、入館はそれぞれ閉館30分前まで) 月曜日休館(7月18日は開館) 一般 1200(800)円大学生 900(600)円高校生 500(350)円小・中学生無料 ( )内は20名以上の団体料金いずれも消費税込上記観覧料で入場当日に限り「所蔵作品展 近代日本の美術」、「所蔵作品展 瑛九とオノサト・トシノブ」もご覧いただけます 東京国立近代美術館、日本経済新聞社 鹿島建設、コスモ石油、大日本印刷 山種美術館 TEL 03-5777-8600 (ハローダイヤル)
