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オンライン対話鑑賞

休館日は! オンライン対話鑑賞 2024年3月をもって本プログラムは終了しました。 解説ボランティア「MOMATガイドスタッフ」とともに、展示中のコレクション1点を、45分程度の対話を通して鑑賞します。 休館日は! オンライン対話鑑賞 休館日は! オンライン対話鑑賞 所蔵作品展の会期ごとに数回ずつ開催※開催日、申込方法は「イベント」ページよりご確認ください。 45分程度 6名程度 (申込多数の場合は抽選) 無料 Zoom(ウェブ会議ツール)を使用 東京国立近代美術館の所蔵作品1点 お申込み ※開催日、申込方法は「イベント」ページよりご確認ください。 参加にあたってのご注意 毎回、ガイドスタッフや作品が変わります。複数回ご参加いただきますと鑑賞する作品が重複する場合があります。プログラムの特性上、ガイドスタッフや作品の事前告知はいたしませんので、ご了承のうえお申込みください。 PC、接続環境やzoomの操作につきましては、各自でご準備をお願いいたします。 作品画像を大きく見られるよう、スマートフォンではなくPCやタブレットのご使用をお勧めします。 本プログラムは話し合いによって進みますので、必ず【マイクON】、できるだけ【ビデオON】でのご参加をお願いいたします。 個人情報・作品著作権の保護のため、録画・スクリーンショット撮影は固くお断りいたします。 サービス改善のため、主催者が録画させていただく場合があります。あらかじめご了承ください。 当日の流れ 入室開始 音声確認・進め方の説明などの後、対話鑑賞※開始時刻を過ぎると入室できなくなることがあります 対話鑑賞終了、閉室 お問い合わせ 東京国立近代美術館 教育普及室メール: volunteer@momat.go.jp

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近藤幸夫渡航調査資料

近藤幸夫渡航調査資料の整理は、ISAD (G)(国際標準記録史料記述一般原則の第2版)に基づいて行った。以下の表で示した項目(番号)はISAD (G)の記述エリアと対応している。 資料の詳細情報は、「3.3.4編成方法」の各シリーズに付した東京国立近代美術館蔵書検索(OPAC)のリンクから確認することができる。実際に、資料を利用する際は、「3.4.1利用条件」を事前に確認の上、アートライブラリにお問い合わせください。 ISAD(G)2nded.項目記述内容3.1識別表示3.1.1請求記号KY||(シリーズ番号)||*3.1.2資料名近藤幸夫渡航調査資料3.1.3年代域1991-2009年3.1.5資料の分量・規模ファイルボックス9箱3.2コンテクスト3.2.1作成者名(出所)近藤幸夫氏(1951-2014)3.2.2作成者の経歴情報美術評論家。慶応義塾大学商学部、同文学部哲学科を経て、慶応義塾大学大学院文学研究科修士課程修了。専攻は美術史。研究テーマはコンスタンティン・ブランクーシ。1980年に東京国立近代美術館研究員に着任し、1991年より主任研究官を務めた。在職中、「1960年代 現代美術の転換期」(1981)、「現代美術における写真」展(1983)、「モディリアーニ展」(1985)、「近代の見なおし:ポストモダンの建築1960-1986」展(1986)、「手塚治虫展」(1990)等を手がけた。1984年2月から1985年1月まで『美術手帖』の展覧会評を担当。これを契機に、現代美術を対象に同時代の考察を深める。1996年より慶應義塾大学理工学部助教授に就任し美術史を担当。2004年から2014年まで学内で「来往舎現代藝術展」を企画開催。3.2.3伝来情報2020年10月、ご遺族より寄贈。3.2.4入手元個人(遺族)からの寄贈。3.3内容と構造3.3.1範囲・内容近藤幸夫氏が1991年から2009年にかけて、ヨーロッパへの渡航調査で取得した資料群。3.3.4編成方法シリーズ(HP上で表記) > ファイル(OPAC上で表記)近藤幸夫渡航調査資料・シリーズ1:外国'91-95(1)'91ヴェネツィアなど・シリーズ2:外国'91-95(2) FIAC ドクメンタIX Kölnアートフェア OPERA Mme. Butterfly・シリーズ3:外国'96-99(1) 1999ヴェネツィアなど・シリーズ4:外国2000 2001 バーゼル・シリーズ5:外国2002 2003 リヨン・シリーズ6:外国2003〜2005春・シリーズ7:外国2005夏〜2006秋・シリーズ8:外国2006/12月・シリーズ9:2009年9月袋で残っていたもの・シリーズ10:刊行物※アイテム単位で表示されます3.4アクセスと利用条件3.4.1利用条件〇一般公開シリーズ10の利用にあたっては、原則1週間前までに要予約(要事前予約)。〇限定付き公開シリーズ1~9の利用にあたっては、原則2週間前までに要相談(要事前予約)。3.4.3資料の言語主に外国語3.4.4資料の物理的状態貴重書庫にて保管3.4.5検索手段・ウェブサイト・OPAC3.5重要な関連性のある他の資料 3.5.3 関連資料 3.5.4 参考文献 近藤幸夫『近藤幸夫美術論集』阿部出版、2019年近藤薫『KONDO YUKIO 09.02.1951-14.02.2014』2014年 3.6注記3.6.1注記資料の中で個人情報に関わる部分の公開が必要な場合、利用者が当該人物から承諾を得ること。3.7記述コントロール3.7.1担当者東京国立近代美術館企画課情報資料室(長名大地)3.7.3記述年月日2023年7月25日 

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夢土画廊関係資料

夢土画廊関係資料の整理は、ISAD (G)(国際標準記録史料記述一般原則の第2版)に基づいて行った。以下の表で示した項目(番号)はISAD (G)の記述エリアと対応している。 資料の詳細情報は、「3.3.4編成方法」の各シリーズに付した東京国立近代美術館蔵書検索(OPAC)のリンクから確認することができる。実際に、資料を利用する際は、「3.4.1利用条件」を事前に確認の上、アートライブラリにお問い合わせください。 ISAD(G)2nded. 項目 記述内容 3.1 識別表示 3.1.1 請求記号 MUDO||(シリーズ番号)||* 3.1.2 資料名 夢土画廊関係資料 3.1.3 年代域 1954~2002年 ※主に小林純氏による夢土画廊等の活動時期に関係する資料 3.1.5 資料の分量・規模 書架延長4.5m 3.2 コンテクスト 3.2.1 作成者名(出所) 夢土画廊 3.2.2 作成者の経歴情報 夢土画廊は1960年から2002年11月にかけて、小林純氏(Kobayashi Jun, 1922~2006年)が運営していた貸し画廊。同画廊では荒川修作、稲葉治夫、伊藤隆康、若林奮などの個展が行われた。画廊の命名者は日本画家の山本丘人。画廊経営を始める以前の1954年頃から、小林氏は、今泉篤男の協力を得て「晴日会」という展覧会の企画・運営に携わっていた。その後、1958年に六本木で「六本木画廊」を開設した。1960年に銀座1丁目へ移転し、その際、「夢土画廊」に画廊名を改称した。1976年、銀座6丁目ギャラリーセンタービル7階へ移転し、1995年に新宿区信濃町マヤ2番館へ移転し、2002年11月に閉廊した。 3.2.3 伝来情報 夢土画廊の画廊主であった小林純氏のご遺族より、当館への寄贈申出があり、2017年3月2日に段ボール5箱分の資料の寄贈を受けた。その後、2018年8月9日に封筒1通、2019年3月10日に段ボール1箱分の資料が追加寄贈された。 3.2.4 入手元 個人(ご遺族)からの寄贈 3.3 内容と構造 3.3.1 範囲・内容 小林純氏が夢土画廊等を運営する際に収集した図書、展覧会カタログ、雑誌の他、画廊の案内状、写真アルバム、手稿、スクラップブック等が含まれている。 3.3.4 編成方法 シリーズ(HP上で表記) > ファイル(OPAC上で表記) > アイテム(OPAC内の「備考」「注記」で表記) シリーズ1:運営記録 シリーズ2:作家関係資料 シリーズ3:画廊外の活動 シリーズ4:刊行物※アイテム単位で表示されます 3.4 アクセスと利用条件 3.4.1 利用条件 〇一般公開 「シリーズ4:刊行物」は事前予約(原則1週間前)が必要(要事前予約)。 〇限定付き公開 上記以外のシリーズに含まれる資料は利用者から調査内容を伺った上で、著作権法やプライバシー、肖像権、個人情報保護法等に対する配慮を前提に、該当する資料を当館で用意するものとする。資料の利用にあたっては、原則2週間までに要相談(要事前予約)。 3.4.3 資料の言語 主に日本語 3.4.4 資料の物理的状態 貴重書庫にて保管 3.4.5 検索手段 ウェブサイト OPAC 3.5 重要な関連性のある他の資料 3.5.3 関連資料 ― 3.5.4 参考文献 長名大地. “東京国立近代美術館アーカイブズ資料と夢土画廊資料について”. 美術館のアーカイブズ資料の可視化とさらなる活用に向けて. 全国美術館会議情報・資料研究部会. 全国美術館会議, 2020年, p. 17-24. 長名大地, 石川明子. <資料紹介>夢土画廊関係資料について. 東京国立近代美術館研究紀要. 2021, (25), p.35-52. 3.6 注記 3.6.1 注記 資料ID:190007164-190007166の3ファイルは、資料ID:190007246-190007250の5ファイルを当館で編集・作成したため原秩序が保たれていない。 3.7 記述コントロール 3.7.1 担当者 東京国立近代美術館企画課情報資料室(長名大地、石川明子) 3.7.3 記述年月日 2019年10月15日(更新2021年1月)

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難波田龍起関係資料

ISAD (G)(国際標準記録史料記述一般原則の第2版)に基づく。以下の表で示した項目(番号)はISAD (G)の記述エリアと対応している。 資料の詳細情報は、「3.3.4編成方法」の各シリーズに付した東京国立近代美術館蔵書検索(OPAC)のリンクから確認することができる。実際に、資料を利用する際は、「3.4.1利用条件」を事前に確認の上、アートライブラリにお問い合わせください。 ISAD(G)2nded. 項目 記述内容 3.1 識別表示 3.1.1 請求記号 NT||*||* 3.1.2 資料名 難波田龍起関係資料 3.1.3 年代域 1925-1953年 3.1.5 資料の分量・規模 書簡21点、刊行物3点 3.2 コンテクスト 3.2.1 作成者名 難波田龍起氏 3.2.3 伝来情報 2020年7月、難波田龍起氏のご遺族より寄贈。 3.2.4 入手元 個人(遺族)からの寄贈 3.3 内容と構造 3.3.1 範囲・内容 1925-1953年にかけて、詩人、彫刻家の高村光太郎(1883-1956)から洋画家の難波田龍起(1905-1997)宛に送られた21点の書簡を中心とする資料群。書簡の他、難波田の個展目録(複写物)や、新聞、雑誌(切り抜き)の3点が含まれる。 3.3.4 編成方法 *シリーズ(HP) > ボックス(OPAC) > アイテム(OPAC注記) シリーズ1:書簡 シリーズ2:刊行物 3.4 アクセスと利用条件 3.4.2 資料本体の公開可能範囲 〇限定付き公開 資料の利用にあたっては、原則2週間までに要相談。 3.4.3 言語 主に日本語 3.4.4 資料の物理的状態 貴重書庫にて保管 3.4.5 検索手段 ウェブサイト OPAC 3.5 重要な関連性のある他の資料 3.5.3 関連資料・作品 難波田龍起アーカイブ 3.5.4 参考文献 『生誕100年記念難波田龍起展:その人と芸術』(展覧会カタログ)、東京オペラシティ、2005年 高村光太郎『高村光太郎全集』14・15巻、筑摩書房、1995年 3.7 記述コントロール 3.7.1 担当者 東京国立近代美術館企画課情報資料室(長名大地、石川明子) 3.7.3 記述日 2021年10月29日

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アネリー・ジュダ・ファイン・アート旧蔵貴重書コレクション

アネリー・ジュダ・ファイン・アート旧蔵貴重書コレクションの整理は、ISAD (G)(国際標準記録史料記述一般原則の第2版)に基づいて行った。以下の表で示した項目(番号)はISAD (G)の記述エリアと対応している。 ISAD(G)2nded. 項目 記述内容 3.1 識別表示 3.1.1 請求記号 AJFA||RB||* 3.1.2 資料名 アネリー・ジュダ・ファイン・アート旧蔵貴重書コレクション 3.1.3 年代域 1912~1974年 3.1.5 資料の分量・規模 163点 3.2 コンテクスト 3.2.1 作成者名(出所) アネリー・ジュダ・ファイン・アート(Annely Juda Fine Art) 3.2.2 作成者の経歴情報 画廊の創設者であるアネリー・ジュダ(Annely Juda)氏(1914-2006)は、1960年から1963年にMolton Gallery、1963年から1967年にHamilton Galleryを経て、1968年よりご子息であるデイヴィッド・ジュダ(David Juda)氏と共にアネリー・ジュダ・ファイン・アート(Annely Juda Fine Art)を設立。ロンドンを拠点に、開廊以来、20世紀の前衛作家だけでなく、現代の作家を取り扱ってきた。貴重書コレクションは、画廊運営の傍ら、長年にわたって収集されてきた稀少書籍。 3.2.3 伝来情報 2024年1月に横田茂氏を介し、デイヴィッド・ジュダ(David Juda)氏から当館への寄贈申出を受け、2024年3月18日に資料一式が寄贈された。 3.2.4 入手元 アネリー・ジュダ・ファイン・アート(Annely Juda Fine Art)より寄贈 3.3 内容と構造 3.3.1 範囲・内容 主に20世紀初頭から半ばにかけて刊行された、欧州を中心とする前衛美術に関する図書、展覧会カタログ、雑誌。 3.3.4 編成方法 シリーズ(ウェブサイト上で表記) > アイテム(OPAC上で表記) アネリー・ジュダ・ファイン・アート旧蔵貴重書コレクション ・バウハウス(資料ID:190011001-190011032)・ダダ/シュルレアリスム(資料ID:190011033–190011061, 190011162–190011163)・デア・シュトルム(資料ID:190011062–190011103)・ロシア・アヴァンギャルド(資料ID:190011104–190011132)・ウェンディンゲン(資料ID:190011133–190011136)・ハンス・アルプ(資料ID:190011137–190011150)・パウル・クレー(資料ID:190011151–190011154)・その他(資料ID:190011155–190011161) 3.4 アクセスと利用条件 3.4.1 利用条件 〇一般公開資料保全のため閲覧時にはデジタル画像を提供(予約不要・当日利用可)。なお原資料は美術館等での展示利用を除き、原則提供不可。 3.4.3 資料の言語 主に欧米言語 3.4.4 資料の物理的状態 貴重書庫にて保管 3.4.5 検索手段 ・ウェブサイト・OPAC 3.5 重要な関連性のある他の資料 3.5.3 関連資料 アネリー・ジュダ・ファイン・アート(Annely Juda Fine Art)刊行物 3.5.4 参考文献 Archive: rare books from the collection of Annely Juda Fine Art. Yokota Tokyo, 2023年.長名大地. 「Rare Books from the Collection of Annely Juda Fine Art」の収蔵について. Japan Cultural Research Institute Annual Report. 2024, (9), p.13. 3.6 注記 3.6.1 注記 閲覧提供するデジタル画像の一部には、資料保全の観点からデジタル化ができず、表紙と裏表紙のみのものがある。 3.7 記述コントロール 3.7.1 担当者 東京国立近代美術館企画課情報資料室(長名大地) 3.7.3 記述年月日 2025年3月14日

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山田正亮関係資料

山田正亮関係資料の整理は、ISAD (G)(国際標準記録史料記述一般原則の第2版)に基づいて行った。以下の表で示した項目(番号)はISAD (G)の記述エリアと対応している。 資料の詳細情報は、「3.3.4編成方法」の各シリーズに付した東京国立近代美術館蔵書検索(OPAC)のリンクから確認することができる。実際に、資料を利用する際は、「3.4.1利用条件」を事前に確認の上、アートライブラリにお問い合わせください。 ISAD(G)2nded. 項目 記述内容 3.1 識別表示 3.1.1 請求記号 YAMADA||(シリーズ番号)||* 3.1.2 資料名 山田正亮関係資料 3.1.3 年代域 1949〜2010年 3.1.5 資料の分量・規模 106点 3.2 コンテクスト 3.2.1 作成者名(出所) 山田正亮(1929~2010年) 3.2.2 作成者の経歴情報 1929年 山田正亮は東京に男4人女1人兄弟の末子として生まれる。1943年 東京府国分寺町の陸軍兵器行政本部製図手養成所に入所。1944年 同養成所教務室助教となり、陸軍兵器行政本部委託生として、東京都小金井町の東京都立機械工業学校第二本科機械科に入学。1945年 東京の自宅が空襲で焼失。避難先でも空襲にあう。終戦。陸軍兵器行政本部退職。1949年 「日本アンデパンダン展」や「自由美術展」に出品し、画家としての活動を開始する。1950年代前半 結核を患い入退院を繰り返す。1958年 初個展(教文館画廊、11月10日~15日)。その後、養清堂画廊や南天子画廊で個展。1978年 個展「山田正亮展 1957-1978」(康画廊、9月11日~10月14日)。2005年 個展「山田正亮の絵画:〈静物〉から〈work〉…そして〈color〉へ」(府中市美術館、6月18日~8月14日)。2005年 文化庁長官表彰を受ける。2010年 胆管がんにより自宅にて死去。2016年 回顧展「endless:山田正亮の絵画」(東京国立近代美術館、12月6日~2017年2月12日/京都国立近代美術館2017年3月1日~4月9日)。 3.2.3 伝来情報 一般社団法人 山田正亮の会より、当館への寄贈申出があり、2022年3月4日に段ボール4箱分の資料の寄贈を受けた。その後、2023年1月19日に資料(「資料1950-1970」及び「スクラップブック」)2点の追加寄贈を受けた。 3.2.4 入手元 一般社団法人 山田正亮の会より寄贈 3.3 内容と構造 3.3.1 範囲・内容 山田正亮による「制作ノート」(1949年〜1972年)、「制作ノート」を元に山田氏が再編した「YAMADA Note」(全7巻)、芳名帳、原稿、スケッチブック、メモ・ノート等が含まれている。 3.3.4 編成方法 シリーズ(HP上で表記) > ファイル(OPAC上で表記) 山田正亮関係資料 ・シリーズ1:制作ノート ・シリーズ2:Yamada Note ・シリーズ3:芳名帳 ・シリーズ4:スケッチブック ・シリーズ5:原稿 ・シリーズ6:メモ・ノート類 ・シリーズ7:その他 3.4 アクセスと利用条件 3.4.1 利用条件 〇一般公開資料保全のため原則として閲覧時にはデジタル画像を用いる。 〇限定付き公開原資料の利用や個人情報を伴う資料の利用については、利用者から調査内容を伺った上で、資料の状態や著作権法、プライバシー、肖像権、個人情報保護法等に対する配慮を前提に、該当する資料を当館で用意する。資料の利用にあたっては、原則2週間前までに要相談(要事前予約)。 3.4.3 資料の言語 主に日本語 3.4.4 資料の物理的状態 貴重書庫にて保管 3.4.5 検索手段 ・ウェブサイト・OPAC 3.5重要な関連性のある他の資料 3.5.3 関連資料 山田正亮旧蔵書 3.5.4 参考文献 中林和雄、桝田倫広、名塚雅絵編『Endless : 山田正亮の絵画』美術出版社、2016年中林和雄「山田正亮 life and work——制作ノートを中心に」『見ることの力:二十世紀絵画の周縁に』水声社、2017年、257-307頁Nakabayashi Kazuo, A pledge to painting: Yamada Masaaki, translated by Christopher Stephens, Tokyo, Estate of Yamada Masaaki, 2019.長名大地「資料紹介#3 山田正亮関係資料」『現代の眼』637号(2022年3月)、38-39頁 3.6 注記 3.6.1 注記   3.7 記述コントロール 3.7.1 担当者 東京国立近代美術館企画課情報資料室(長名大地) 3.7.3 記述年月日 2023年2月24日(更新2025年3月)

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空蓮房コレクション(写真関係資料)旧蔵書のご案内

空蓮房コレクション(写真関係資料)旧蔵書について 2012(平成24)年、空蓮房より写真関係資料約1600点 (主に海外作家作品) が寄贈された。

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アートライブラリ所蔵 藤田嗣治旧蔵書

藤田旧蔵書について 2007(平成19)年、故藤田嗣治未亡人君代氏より藤田嗣治旧蔵資料約900点が寄贈された。本リストはその寄贈資料一覧である。2011(平成23)年からは東京国立近代美術館の図書館OPACで検索が可能になっているが、ここにその全リストを公開するものである。すでにこのコレクションを活用して、『藤田嗣治 本のしごと』(2011)が刊行された。2012(平成24)年には、渋谷区立松濤美術館、北海道立近代美術館巡回の「藤田嗣治と愛書都市パリ-花ひらく挿絵本の世紀」展へ多数が出品された。また、2018(平成30)年から2019(平成31)年にかけては、西宮市大谷記念美術館、目黒区美術館、ベルナール・ビュフェ美術館、東京富士美術館巡回の「没後50年 藤田嗣治 本のしごと 文字を装う絵の世界」展にも多数が出品された。

《渓泉二図》を見る  

[図1] 会場風景(中央が速水御舟《渓泉二図》1921年)  初見  ガラスケースの中から強く緑色を放っていた作品が《渓泉二図》でした。キュビスムのような形態とセザンヌっぽさ。「速水御舟にこんな作品があったのか」という驚きと共に印象に残っていました。  間近で見る 《渓泉二図》は、面をタテヨコの細いハッチング。キリッと角を強調した岩の陰影は、黒や茶色の1ミリ程の夥しいドットで描いています。筆の穂先が効くうちはハッチング、先が擦り減ったらドット用に、面相筆を用いたように見えます。  立体感や陰影を日本画画材で表現することは当時の日本画家の課題だったのでは、と想像します。油彩や水彩絵具では描いた上にうっすらと色をかけて陰色にすることができますが、岩絵具には粒子があり、細かくなると色が白っぽくなるので、「うっすら薄めてかける」ような描き方をすると色が濁ってしまいます。澄んだ色合いで細かい絵具というのは限られています。御舟の《渓泉二図》でのドットで陰影を描くという取り組みは、「鮮やかな陰色」を実現し、木々の葉を描いた1センチに満たない緑青色の葉形の点描と相俟って、日本画画材による油彩に負けない「強く発色する絵画」を目指したのだと思います。  作品の構造を見る  私は日頃、スケッチした樹木の構造を手がかりに描いています。他の人が描いたスケッチを鑑賞したとき、人によって目指すものが違うので、「このスケッチからは描けないな」などと思うのです。ところがこのときには、《渓泉二図》を元にして、自分の作品が「なんだか描けそう」と感じました。  作品を近づいたり離れたりして見ているうちに、左右の水流の形が似て見えたので、「同じ場所を視点を変えて描いた対幅なのでは?」と思いました。樹木の根の形も左右でよく似ています。  さらに見ると、画面中央の水流の分岐点の複数の岩(黄緑色の線で囲った三角のエリア)と、その下に連なった3つの岩(3つの黄緑色の線)が、左右どちらにも描かれていることに気付きました。黄緑色の三角の頂点にある突き出た岩の形は、左幅では見上げ、右幅では見下ろしたように見えます。左幅の左下に遊歩道の縁石のような人工的な形があることから、左幅は遊歩道から見た景色、右幅はその遊歩道を左上へとまわりこみ、樹木越しに同じ場所を俯瞰した景色なのではないか、と思いました。  [図2]《渓泉二図》著者(浅見貴子)による分析  スケッチを見る 「同じ場所を視点を変えて描いた対幅」なのかを確かめるため、《渓泉二図》の元になったとされるスケッチを検証してみることにしました。《塩原渓流》と題された6点で、遠山記念館に所蔵されています。作品の両幅が同じ場所を描いたのだとすれば、このスケッチ6点にもそれぞれ共通する岩や流れが描かれているかもしれません。  [図3] 速水御舟《塩原渓流》(6枚)1921年、公益財団法人 遠山記念館蔵 まず、視点が似ているスケッチを並べ、便宜的に①~⑥の番号を振りました。①は左下に遊歩道があるので視点はやや高いようです。樹木を除いて、ほぼそのまま左幅と重なります。  [図4]《塩原渓流》著者による着彩と分析  ②③④は①より水面に近い視点からそれぞれ角度を変えて描いたもののようです。⑤⑥は左右で風景がつながるように見えます。 [図5]《塩原渓流》著者による着彩と分析 次に、本画の色に似せて色鉛筆で塗りながら、似た形の岩を探しました。こうすると岩肌をなぞるようで、本画に描かれた「ここの傾斜だな」とわかるような感覚がありました。同じ岩と思われるものに1から12の番号を貼り込んだ図が、挿図の左右幅と①から⑥です。  御舟になってみる ここからはまったくのフィクションです。絵描きの私が私のまま、当時の御舟と入れ替わったと仮定してみました。こんな風に思いながらこの作品を描いたのではないか?という話をしたいと思います。  構想を練る 1921年8月、院展に出品する大作《菊花図》は出来た。立体派(キュビスム)を取り込んだ新たな試みの作品も出品したい。《レスタックの家》(ブラック、1908年、ベルン美術館所蔵)は塩原渓谷で見た風景と似ていたなぁ。岩の形も面白かったし。家じゃないけど、丸写しはつまらないからな。塩原渓谷の岩1なら《京の舞妓》でちょっと試したハッチングも活かせるし。立体派のキリッとした感じが出せそうだ。5日間、塩原に逗留してスケッチに集中。帰宅してスケッチを元に本画を描いて出品。密度のある画面にしたいから、サイズは大きくなくて良いだろう。立体派は「複数の視点で捉えた対象を1つの画面に再構成する」ってことだから、逆に、対幅にして画面を2つに分けるのはどうだろう。《レスタックの家》では2本の木が画面下から左方向に弓形に伸びているから、右幅は手前に樹木、左幅は左から樹木を入れた構図でどうかな。  塩原渓谷でスケッチ 《レスタックの家》に似た風景、ここだ。左側に木もある(挿図、左幅と①)。木は別の紙に描くとして2、まずは、この遊歩道から渓流を隅々まで描こう(挿図①)。川原に降りて、角度を変えて観察した岩と渓流も描いておこう(挿図②③④)。木の生えた岩の上にも行けそうだ。岩の先端まで行ける。迫力ある眺めだ。2枚合わせにして岩や水流を大きく描きたい。紙が足りないから枝先を描いた紙(挿図⑤)に重ねて描こう(挿図⑤⑥)。  私に戻りました フィクションは以上。実際には、御舟がどのくらいキュビスムやブラックのことを知っていたのかわかりませんし、どんな風に考えたのか、検証もできません。ここで改めて現代の私に戻って、本画とスケッチについて付け加えたいと思います。 私見 挿図⑤⑥には、両幅に描かれている3連の岩(3つの黄緑色の線)が見られ、左幅に描かれている岩1があることから、左幅や挿図①と同じ場所を視点を変えてスケッチしたものだと思われます。また、3連の岩の他に、岩7、8、12が右幅と挿図⑤⑥双方にあることから、挿図⑤⑥は右幅のためのスケッチだと仮定することができ、画面下の両端が水流になっていることから、もう一段高い位置から覗き込むような視点でスケッチしたと思われます。ゆえに、本画では、挿図⑤⑥の岩1と岩11の間に樹木が位置していることになります。そして、右幅の画面下の方、樹木両脇の岩については、小下絵3の段階から、挿図⑤⑥の特徴ある岩9と岩10が、やや大きくデフォルメされて、岩1と岩11の位置に収まっています4。  以上のことから、《塩原渓流》6点の中には、右幅全体のスケッチはありませんが、挿図⑤⑥には右幅の主な岩が描かれていることがわかり、《渓泉二図》は、「同じ場所を視点を変えてスケッチして描いた対幅」だと思われることから、「キュビスムに着想を得た対幅の日本画」と言えるのではないでしょうか。 註  1 塩原渓谷の地層は緑色凝灰岩からなり、柱状節理や板状節理の岩が見られるのだそうです。スケッチに描かれた岩5、8、9の形は、角材を束ねたような柱状節理の岩が水流に侵食されてできたように思われます。  2 樹木のスケッチについて。挿図⑤の左側に樹木の枝先が重ね描きされているので、近くの樹木を描いたスケッチもあったはずです。左幅、右幅に描き込まれた樹木は、いまは失われた別のスケッチを元に構成したものだと思います。  3 《渓泉二図 小下絵》個人蔵  4 右幅の樹木の根元、右の岩は、小下絵(註3)の段階から、特徴ある岩9に似せているようです。挿図⑥の岩1のままの方が、左幅と「同じ場所」だとわかり易いのですが、特徴ある岩に置き換えているようです。根元の左の岩も渦巻くような形の岩10を岩11(挿図⑤)と合わせているように見えるので、右幅の岩にはそれぞれ「1+9」「10+11」と記しました。  『現代の眼』640号

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アーティスト・トーク 第15回 2008.04.11 鈴木省三(画家) 

第15回は画家、鈴木省三さん 《そして今は》1998年油彩、オイルスティック、アクリリック・キャンバス 作家近影 ギャラリー内で、作家に自作を語っていただくアーティスト・トーク。 15回目となる4月11日(金)は、80年代から粘り強く絵画の可能性を探求してきた画家、鈴木省三(すずき しょうぞう)さんをお迎えします。 これまで何度か自己のスタイルを解体しながら、その都度大きな飛躍を遂げ、絵画特有の豊かな空間体験を追い求めてきた鈴木さん。その独自の絵画観、そして今日までの持続的な模索の道のりを、スライドを交えながら語っていただきます。 見どころ:「森」三部作が一堂に会します 当館所蔵の《森Ⅰ》と《森Ⅲ》に、小島びじゅつ室所蔵の《森Ⅱ》を加え、今回初めて「森」三部作の展示が実現します。この機会をお見逃しなく! 鈴木省三氏略歴 1946年大阪府に生まれる。69年同志社大学法学部卒業。70年フォルム洋画研究所にて研修。78年初個展(藍画廊、東京)。89年「現代美術への視点─色彩とモノクローム」(東京国立近代美術館)。2005年「絵画の行方─現代美術の美しさって何?」(府中市美術館)

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