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「棟方志功展」混雑時の入場制限について 

混雑時は展示室への入場制限を行います。入場までお待ちいただく場合がございますのであらかじめご了承ください。  入場制限を行う場合は本展公式X(旧Twitter)アカウントで待ち時間を更新いたします。なお、ハローダイヤル(050-5541-8600)でもご確認いただけます。  現在、「生誕120年 棟方志功展 メイキング・オブ・ムナカタ」は午前中混雑しています。午後以降のご来館をおすすめいたします。 11月27日(月)臨時開館を行います。詳しくは11月27日(月)臨時開館のお知らせをご確認ください。 障害者手帳をお持ちの方とその付添者は係員にお声がけください。

資料紹介#5 |『美術史評』と『記録帯』

『美術史評 第1次』創刊号(1971年2月)~4号(1972年3月)、『美術史評 第2次』創刊号(1972年8月)~4号(1975年12月)  本稿でご紹介する『美術史評 第1次』(全4号)と『美術史評 第2次』(全5号)、『記録帯』(全5号)は、1969年の学園闘争の最中、多摩美術大学の学生によって結成された「美術家共闘会議」(通称、美共闘)を前身とする、「美共闘Revolution委員会」(1971年結成)が1971年から1978年にかけて編集・発行していた雑誌です。美共闘および美共闘Revolution委員会のメンバーには、議長を務めた堀浩哉や、刀根康尚、彦坂尚嘉、山中信夫、石内都、宮本隆司らが名を連ねました。これらの印刷媒体は単なる機関誌にとどまらず、展覧会を前提とする既存の美術に対抗する、新たな表現の場になっていたことで知られています(詳細はリストをご確認ください)。  『美術史評』は二期に分かれて刊行されました。第1次の初期には同人による論考の掲載を主としていましたが、後期に入ると投稿論文の掲載が増え、同人以外にも誌面を開放していく姿勢が伺えるようになります。第2次では先の同人を解体後、新体制で臨み、高松次郎などの外部執筆者を交えるようになります。また、渡辺哲也「波打つ波」(『美術史評 第2次』4号(1975年12月))のように誌面に刺繍を施すなど、プラクティカルな表現も見られます。同時期に刊行された『記録帯』は、柏原えつとむをメンバーに加え、パフォーマンスや現地制作など、ものとして残り難い作品を写真や批評文を用いて記録することにより新たな表現を追求しました。  これらの印刷物は、1970年代初頭の美術動向を跡付ける重要な資料と言えるでしょう。2022年に堀浩哉氏より、当館で欠号となっていた巻号をご寄贈いただきました。その中には、印刷の際に用いた刷版をカバーした貴重な1冊(『美術史評 第2次』4号(1975年12月))も含まれています。  資料の利用には、事前に申請手続きが必要です。詳しくは当館のウェブサイトをご確認ください。 『美術史評 第2次』5号(1978年3月)、『記録帯』創刊号(1972年6月)~5号(1977年6月)   刷版がカバーされた『美術史評 第2次』4号(1975年12月) 資料名巻号発行日資料ID特集名等美術史評 第1次1号1971年2月190006942美術史評 第1次2号1971年6月190006943美術史評 第1次3号1971年10月190006944美術史評 第1次4号1972年3月190006945「美術史評」最終号にあたって 美術史評 第2次創刊号1972年8月190006951美術史評 第2次2号(通巻6号)1973年4月190006952<美共闘>資料1970年・夏 美術史評 第2次3号(通巻7号)1974年4月190006953美術史評 第2次4号(通巻8号)1975年12月190006954美術史評 第2次5号(通巻9号)1978年3月190006955総特集: 憂欝なる80年代文化を踏破せよ! 記録帯 : art & document 創刊号1972年6月190006956記録帯 : art & document 2号1972年11月190006957特集: 菅木志雄記録帯 : art & document 3号1973年5月190006958カタログ上巻 ‘73/5・<実務>と<実地>・12人展記録帯 : art & document 4号1973年5月190006959カタログ下巻 ‘73/5・<実務>と<実地>・12人展記録帯 : art & document 5号1977年6月190006961特集: 堀浩哉 柏原えつとむ著 付録あり 『現代の眼』638号

二重の眼鏡で見る自分—「生誕120年 棟方志功展 メイキング・オブ・ムナカタ」に寄せて

個人的な話から始めることをお許しいただきたいが、社会現象としての棟方志功にかつてなく光をあてた本展は、1960年代生まれの筆者を一気に昭和へと連れ戻した。私にとって棟方はまず、目がぱっちりとして頬の丸い美女の顔を描く人であり、瓶底眼鏡を版木すれすれに寄せて、一心不乱に彫る人であった。そのイメージは大人になるまで変わらなかった—というより、そのまま棟方を忘れた、と書くのが正しい。就職して日本の近代版画を一から知り始めた頃、棟方についてまさに目から鱗が落ちた瞬間があったのをはっきりと覚えている。職場の机で、没後10年を記念した「棟方志功展」の図録[図1]を開いた時であった。「本当は」とてつもない作家だったのだと悟り、無知を恥じた。この展覧会は、棟方の本領を木版画と定め、造形上の特色のほとんどが出揃った戦前期を重視する骨太な企画で1、戦前期の大半を占める墨摺作品は、図録では今日から見れば簡素なモノクロ印刷で掲載されていた。ニュアンスが飛んで黒と白の面がせめぎあい、文字や図形が蠢き乱舞するかのような作品群が、強烈なインパクトをもって私を圧倒した。その後いくつかの版画展を担当して不束ながら棟方作品にもふれた筆者は、昭和の子供と令和の学芸員という二つの視点から本展を見たことになる。 図1 『棟方志功展』(東京国立近代美術館、愛知県文化会館美術館、西宮市大谷記念美術館、朝日新聞社、1985年)表紙(デザイン:浅井潔) 展覧会は、会場が在る三つの地域—青森・東京・福光を主軸にすることで、棟方を支えた人的ネットワークや、棟方が時代と環境、場に即応しながら制作し(たとえば版木の乏しい福光での倭画の深化や黒地の発見[図2])、造形を展開した事実を巧みに浮かびあがらせる構成をとる。場という意味では、棟方の展覧会では得てして強調される個や独自性よりも、公の視点から再検証しようとする新鮮さが印象に残った。それは棟方がいかに見せ、いかに見られたかの洗い直しと言い換えてもよい。展示風景の写真を数多く掲出し、表装を含めた発表当初の見せ方を尊重して露出展示を多用したのも、展示の展示といった趣があって心が躍った。これによって、棟方が一般的な天然/野のイメージに反し、額や屏風、掛軸、巻物、あるいは装幀のそれぞれに尺をあわせた細やかな仕事をなしたこと、奔放と計算のバランスをとるデザイン感覚に長け、造形のみならず展示空間にも意識的であったこと、さらには公共建築に目配りすることで、戦後日本の復興とともに、花井久穂氏(東京国立近代美術館主任研究員)のいう「みんなのムナカタ」が生成されてゆく過程がありありと可視化されていた。 図2 会場風景|左:《華厳松》(1944年、躅飛山光徳寺蔵)|撮影:木奥惠三 筆者がとりわけ面白く見たのは、1937年の大屏風《東北経鬼門譜》から振り返ると二段掛の《門舞男女神人頌》(1941年)と三段で構成された屏風《幾利壽當頌耶蘇十二使徒屏風》(1953年)が開ける展示構成だ[図3]。戦争をまたいで、棟方の画面と形式が戦略的に拡張してゆくさまが、ライブ感をもって伝わる流れであった。対照的に、装幀の小さな仕事をこれまでになく丹念に跡付ける試みは、文学あるいは文字そのものへの愛着が、棟方を確実に栄光へと導いたことを改めて認識させた。そして終盤、被写体としての棟方にフォーカスして彼が写真/映像の時代のスターであったことを存分に見せつつ、自画像へと視点を移動して終幕する組み立ても巧みであった。自画像が大集合した壁面と向きあう形に配置された《大印度の花の柵》(1972年)で、ゴッホに始まった棟方の画業が、振り出しを噛みしめるようにして大団円を迎えている。ゴッホの向日葵を墨摺の木版画に焼き直し、花瓶にはキャラクターのごとく自画像を描きこむ大胆不敵—。棟方には、時代のアイコンとなった自身がはっきりと見えていたに違いない。それを、展示をしめくくる秀逸な写真「TVに出た自分を二重の眼鏡で見る」(1969年、撮影:飯窪敏彦)が見事に象徴している。 図3 会場風景|左から《門舞男女神人頌》(1941年、個人蔵)、《幾利壽當頌耶蘇十二使徒屏風》(1953年、五島美術館蔵)|撮影:木奥惠三 版画史から見れば、最初期に影響を受けた古川龍生や平塚運一との絡みや、日本版画協会との関係などもう少し語ってほしかったし、日本の現代版画を世界に知らしめた棟方が、なぜ晩年に「…この画業五十年ながら、同業の一人にも、訪ねもせず訪ねられもせずで、現在もつづいています。—全く、どんなことでしょうか」と語らねばならなかったのかは2、自分に課すべき問いとして残った。だが、版画界をはみださざるをえない棟方の、陳腐な表現だが画角の広さを、本展が改めて見せつけたのもまた事実である。そして、筆者を含む昭和の公衆に浸透したイメージが、本人も関与して形成されたことも。本展が提起する棟方神話の再考をふまえて、ようやく私たちは、棟方志功の造形を語り直し得る地平に立てたのかもしれない。 註 『生誕120年 棟方志功展 メイキング・オブ・ムナカタ』(富山県美術館、青森県立美術館、東京国立近代美術館、NHK、NHKプロモーション、2023年)8頁筆者はこの展覧会を見ていない。 棟方志功『わだばゴッホになる』(日本経済新聞社、1975年)110頁 『現代の眼』638号

屋根の熱気に吹きつけられ、祖父の顔は頭蓋骨のようにもう色褪せて見える。ところで彼は何といったのでしたっけ?灼熱の焼きごてを眼に入れられようとしたときに。「僕の美しいお友達、火よ。もう少しやさしくお願いします」。大丈夫。安心なさって。姉は日傘を取りにいき、祖父は指先をまるく尖った舌で冷やしていた。

2枚の画面(※)を、時間をかけて眺めてみましょう。たとえば画面上辺中央の緑の「7」のような形。どちらの画面にもそっくりなものがあります。あるいは画面向かって左下隅の糸切ばさみのような形。色やタッチや背景をなす別のタッチは違っても、やはり同じ形をしています。こうして、色やタッチ、タッチ同士の分割を変えながら、2枚の画面がほぼ同じ構図を持っていることが徐々にわかってきます。ここでは勢いのあるタッチは、決して「激情」で描かれたものではなく、じっくりと思考された末に生み出されたものなのです。タイトルはどうでしょう?違う話を語っているのに、火、熱、老人など共通する要素があります。また、地の文→「セリフ」→地の文という構成も一緒です。つまり、絵画面もタイトルも、似ているようで異なる二つの要素間の関係で出来ているのです。最終的に、つやつやとした絵具の盛り上がりを持つ、物質感のあるこの絵画の本当の経験は、2枚の画面と二つのタイトルの間を忙しく往復する、見る者の視線の運動(当然まったく物質感を持ちません)の中にしか立ち現われて来ないのかも知れません。※https://www.momat.go.jp/collection/o01137

所蔵品ガイド

所蔵品ガイド 当館解説ボランティア「MOMATガイドスタッフ」とともに、コレクション3点程度を対話を通して鑑賞するギャラリートーク。ガイドスタッフ・テーマ・作品は毎回変わります。その日出会った参加者との対話をお楽しみください。 開館日の毎日14時~14時50分頃※2023年9月23日(土)、11月27日(月)、12月2日(土)、12月3日(日)は混雑回避のため実施しません。 どなたでも なし 3階エレベーター前ホール(MOMATコレクション展示室内) MOMATコレクション展示室内での対話を伴うギャラリートーク 無料(要観覧券) ご参加にあたって: 作品とテーマは、当日ガイド前に3階エレベーター前ホールに掲示されます。(プログラムの特性上、ガイドスタッフや作品の事前周知はしておりません。ご了承ください。) 災害や会場の混雑が予想される場合、中止することがあります。 お問い合わせ 東京国立近代美術館教育普及室メール: volunteer@momat.go.jp電話:03-3214-2605(受付時間:平日10:00-17:00)

南風

上着を頭に掛け遠くを見据える中央の男性は、日本人離れをした筋肉隆々の体つきです。理想的人体を描こうとする西洋絵画のアカデミズムの思想が、当時24歳の青年であった和田三造にもしっかりと浸透していたことがわかります。描かれるのは遭難した船乗りたち。そんな事態に遭遇しながらも勇壮な男たちの姿は、日露戦争後の高揚した気分に合い、観衆の評判を呼んだと伝えられます。第1回文部省美術展で最高賞を受賞しました。 【重文指定年月日:2018(平成30)年10月31日】

ポートフォリオ『桂』より 二、古書院二の間南面・一の間と囲炉裏の間を望む

1953(昭和28)年、日本建築展を準備するニューヨーク近代美術館のキュレーターに同行して桂を初めて訪れた石元は、バウハウス及びニュー・バウハウスで教えた建築家ミース・ファン・デル・ローエ(1886–1969)の建築を想起したといいます。石元にとって、ミースの建物は撮影の課題としてとりくんだ対象であっただけでなく、そのモダンな造形原理自体が彼の受けた写真教育の根幹を成すものでした。石元は、それに通じるモダンな形を17世紀の日本建築である桂に見出したのです。1954(昭和29)年と1981–82(昭和56–57)年の二度、桂を集中的に撮影した石元は、1960(昭和35)年、1971(昭和46)年、1983(昭和58)年の三度にわたって桂の写真集を作っています。それらはいずれもヴァルター・グロピウス(1883 –1969)、ヘルベルト・バイヤー(1900–85)、丹下健三(1913–2005)、亀倉雄策(1915–97)、磯崎新(1931–2022)、田中一光(1930–2002)といった錚々たる建築家、デザイナーとの共同作業でした。

「王国」より 沈黙の園 [1]

新しい島 #1

1・9・4・7 [#29] Housewife

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