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塔
1957(昭和32)年7月6日未明に、幸田露伴の小説『五重塔』(1892年)で有名な台東区谷中の天王寺の五重塔が、放火心中のために焼け落ちました。この知らせを聞いて、横山はすぐ現場に駆けつけ、黒焦げた骨組みのみをとどめる塔の無残な姿を、すばやくスケッチしたといいます。そのときの印象そのままに、横山は、縦長の大画面に真っ正面から塔だけを大きく捉えています。左右の両端を大胆にトリミングして、垂直にそびえたつ塔の存在感を効果的に引き立てる構図の工夫も見てとれます。
道
この作品は青森県の種差海岸の牧場に取材して描かれたものですが、実際の風景から余分なものを省いて単純な構図にまとめることで、心象風景に高められています。「遠くの丘の上の空をすこし明るくして、遠くの道がやや右上りに画面の外に消えていくようにすることによって、これから歩もうとする道という感じが強くなった」と東山は語っています。この「道」には、戦後の日本の再出発への希望が託されているのです。
浴女 その一
女性が描くと裸婦でもエッチな感じがしない。そういう感想が聞こえてきそうですが、そもそも裸婦はエッチに(欲情的、扇情的に)描こうとしなければ、ただの裸の人間にすぎません。この作品に清潔感があるのは、旧来の入浴図によくうかがわれる窃視趣味やチラリズム、あるいは流し眼やシナ、上気した肌といった細工が仕組まれていないからです。作者の関心は、タイル張りの湯船に温泉がゆらめいて、縦横の格子模様がユラユラとひしゃげる様子にあったといいます。《浴女 その二》と対となる作品です。
穹
若い頃に「純粋絵画」という言葉に魅かれた杉山は、日本画につきまとう情緒性や文学性を極力排除し、色や形だけでなりたつ日本画を目指しました。ときには、画面に幾何学的な形の配置を定めてから、その形に見合うモチーフを探すこともあったといいます。「穹」はキュウと読み、広く張って大地を覆う大空という意味があります。どこからともなく差し込む一条の光の下、悠然と座るスフィンクス。その構成は強固で、カンヴァス地にカゼイン(乳タンパク由来の塗料)と砂を混ぜた厚塗りのマティエールとともに、造形の強さを支えています。
雨
雨というタイトルなのに描かれているのは瓦ばかり。しかしよく見るとそこに雨粒が点々と跡を残しています。瓦は、画家が画室の窓のすぐ下にいつも見ていたもの。「ある日、夕立が来るなと窓を開けてみると、もう大きな雨粒がぽつぽつと落ちはじめていた。雨粒は真夏の太陽に熱せられた瓦のうえで、大きな雨脚を残しては消え、残しては消えてゆく」という光景を、そのままに写した作品です。写実を、ほんのちょっとした操作で抽象に接近させる、そのような平八郎の得意技が、はっきりと示されています。
星をみる女性
なぜ、望遠鏡を囲む女性たちの着物の柄は、春蘭、牡丹、小菊、楓というように、季節がまちまちなのでしょう? もしかしたら彼女たちは巡りゆく季節の象徴で、この絵は「天体の運行」というような表現し難いものを描こうとしているのではないか、とも思えます。ところで、女性がのぞく望遠鏡は、8インチの径をもつ国産初の本格的な屈折赤道儀でした。開発は日本光学工業株式会社(現・株式会社ニコン)。1931(昭和6)年に東京科学博物館(現・国立科学博物館)に設置され、2005(平成17)年まで現役でした。
反映/思索
建物の内側と外側には、そっくりなかたちの人体像が向き合っています。設置場所は作者本人が決めました。この置かれ方だと、それぞれの人物を正面から鑑賞することはできません。像の全体を知覚するためには、向かいのもうひとりをガラス越しに観察する必要があります。しかし見る角度によっては、窓に反射したこちら側の虚像を見ているのか、あるいは向こう側の像を見ているのかがはっきりとせず、不思議な感覚に陥ります。建物の内部と外部、そしてガラスの窓、こうしたもとからあった美術館の環境が、この彫刻について思索するための一要素になっているのも、本作の面白いところです。
手
一見複雑そうなこの作品のポーズを真似るコツをお教えしましょう。まず左手の5本の指を揃え、中指と人差し指を垂直に立てます。続いて親指をできるだけ前に出し、反対に薬指と小指は後ろに引きます。指が攣りそうですが、これで完成です。つまり、まっすぐな中指と人差し指を軸にして、左右の指を前と後にひねるのです。高村光太郎は《女》の作者、荻原守衛とともに、ロダンの影響を日本に広めた彫刻家です。従って《手》の見どころも、守衛の《女》同様、螺旋形の力強いひねりと言えます。
母子
母の衿元をつかんで身を乗り出す幼子と、その子をしっかりと抱き、愛情に満ちた眼差しを注ぐ母親。親子のなにげない日常のひとこまが、崇高な母子像 へと高められています。松園は実母の死をきっかけに、母や母性を主題とする作品を描くようになりました。この作品は母を亡くした年の秋に帝国美術院展覧会 に発表されたもので、まさに松園晩年の新境地を拓くことになった記念すべき作品です。肌や髷、衣裳の描写に、松園が美人画で培った感性と技術が見て取れます。 【重文指定年月日:2011(平成23)年6月27日】
王昭君
中国・前漢の元帝の時代、匈奴の王へ嫁すことになった後宮一の美女、王昭君。絵師に賄賂を贈らなかったために肖像画を醜く描かれたこの高潔な美女を、さまざまな感情を秘めた後宮の女性たちが見送る場面を描いています。線描を用いない、いわゆる「朦朧体」の試みがもたらした実りの一つで、巧みな暈しがなめらかな質感と夢想的な雰囲気を与えています。 【重文指定年月日:1982(昭和57)年6月5日】
