の検索結果
の検索結果
新宿風景
明るい色彩で描かれた街並みに対して、人は小さく黒で描かれていて、実に対照的です。真ん中あたりから始まる電柱の列は、右奥へと進むにつれて一挙に小さくなり、遠近感を際立たせています。左手前では、道路が大きくひろがっていますが、そこに黒い水たまりのような形があることで、画面が引き締められています。右手前に見えるのは……人でしょうか? もしこれらが人だとすると、私たちとは別にこの街並みを見ている人がいることになり、自ずと私たちの意識は、都会の賑わいを前にした当時の人の気持ちへと向かうことになります。
もたれて立つ人
直線と円でできたロボットのような人体(ちなみに女性)です。パブロ・ピカソとジョルジュ・ブラックが創始した「キュビスム」と呼ばれる動向の影響を日本でいち早く示した、記念すべき作例とされます。では、どうやってこんなに人間離れした身体ができたのでしょう。女性のおへそを見て下さい。画面のちょうど中心にあるのがわかります。この一点を動かさず、あとは絵画の四角い枠で上下左右から身体をぎゅっと押しつぶします。すると、がくんと垂れた大きな頭、蛇腹状に折れて重なった肩や腰、脚のかたちができるというわけです。ちなみにこの人物、一体何に「もたれて」立っているのでしょうう。答えは……四角い画面の左側の枠なのです。
ラッパを持てる少年
当時5歳だった息子をモデルにしたこの絵は、シンプルに見えて結構複雑です。洋服を見てみましょう。毛糸編みゆえか、垂直、斜め、横と様々な方向に線が走ります。ネクタイも同じく。そこに影が加わりますが、現実を無視して処理されているのが特徴です。床と壁の境界線が画面を斜めに走っているのも効果的。色彩と相まって、少年から壁までの距離が、画面の上部と下部で相当異なって見えることでしょう。よく見ると、少年の左足は右足に比べてちょっとだけ前に出ています。少年がまっすぐ無表情で立っている絵に、不思議な動きが感じ取れてこないでしょうか。
金蓉
モデルは小田切峯子という女性。5カ国語をあやつる才能を活かし、当時満洲(現中国東北部)のホテルで働いていました。「金蓉」はその中国風の愛称です。さてこの作品、よく見ると左肩が不自然に小さく修正されています。実はこの部分は、もっと正面寄りからモデルを見た別の素描から取られているのです。さまざまな角度からモデルをスケッチし、それらを後で合成することで、今にも人物が動き出すような印象を生み出そうとしたのでしょう。
日稼
手前から順に、笠、流し場、娘、釜、障子、金色の平卓、堆朱の箱、そして阿弥陀の掛軸と、たくさんのモチーフが重なっていることに気づいた途端、平たく見えていた(しかも流し場のパースに迷いがある)画面に奥行きを認知できるようになるのが不思議です。作者はその落差を最大にしたかったようです。なぜなら、流し場以外のモチーフを正対させ、娘の着物なんて平たくベタ塗りにしているのですから。それでもまだ平たさが足りないと思ったのか、「写実の匂ひが鼻につく」作品になった(「文部省展覧会日本画作家の作意と苦心」『太陽』1917年11月)とコメントしました。
梅に楓図
1990年代末に紙の裏側から描き、点点が効いた作風にたどりついた浅見貴子。墨は表側から重ねると鈍い墨色になるのに対し、裏側から重ねると表に新鮮な墨色だけが出るので、生き生きとした印象になると作家は言います。陽光を浴びながら、梅の木と手前の楓の枝が複雑に交差している様子を描いたこの作品では、横方向に筆をスライドさせながら打った白く丸い点々が特徴的で、浅見の光への意識の強さがよく現れています。墨や白の点描と、複雑に折り重なる筆線が生み出す空間の拡がり。内に凝縮する力と外へと拡散する力をあわせもつエネルギッシュな画面を通して、空気や光や枝のざわめきを生命感豊かに表現しています。
離騒(りそう)
「離騒」とは、中国・楚の詩人、屈原の詩の題名ですが、屈原が残した25篇の詩の総称でもあります。この作品は、25篇のうち「九歌」中の2篇、「湘君」、「湘夫人」を主題とし、洞庭湖の渚に降臨する女神と、それを待ち望む屈原の姿を、よく走る霊華独特の美しい線で描いています。左右の龍に注目してみると、まったく同じ形に描かれています。もしかしたらこの左右の図は「異時同図」ならぬ「同時異図」のようなもので、本当は左の龍の傍らにも女神はいるはずなのに屈原には見えていない、その様子を図示しているのではないでしょうか。
仁王捉鬼図(におうそっきず)
芳崖は、お雇い外国人のアーネスト・F・フェノロサの指導のもと、伝統的な狩野派絵画を近代日本画へと転換させた立役者。本作品は、力強い線描と濃厚華麗な色彩が同居してややキッチュな印象を与えますが、主題、線描、色彩のすべてにおいてフェノロサの指導を反映させた歴史的な重要作です。さらには、近年おこなわれた科学調査によって、伝統的な顔料の代わりに西洋顔料が積極的に用いられていることが明らかとなりました。近代日本画は、表現の点でも材料の点でも西洋絵画との融合のもとにスタートしたのです。
樹を見上げてVII
「樹の下で真上を見上げる。私と近い距離の枝、遠い距離の枝、そして向こうに空がある。自分の目で見、見極めようとしても見極められない部分、測りしれない部分がそこにはあった」。樹を見上げると感じる「なにか不安定な、そして不思議な空間」に惹かれた日高は、やがて「自分のまわりの空間、自分を包み込んでいる空間そのもの」の表現を求めて、大画面の作品を制作し始めました。東京郊外にある自宅近くの神社境内で山桜などをその場でドローイングしながら、4回の冬を越して完成したのがこの大作。絵の前に立つと、作者が感じた不思議な感覚を追体験できるかのような、未知なる空間を感じとれるのではないでしょうか。
唐蜀黍(とうもろこし)
唐蜀黍を左右に一本ずつ、対照的な姿と色彩で描き、両者を対峙させる構図。右隻の唐蜀黍はまっすぐに伸びあがる安定した姿ですが、左隻のそれは強い風になびいているのか、大きく右に傾いでいます。この静と動を対比させる構図は、尾形光琳の《紅白梅図屏風》(18世紀、MOA美術館蔵)など琳派の作品でもしばしば見られるものです。また、余白を生かした構図や、たっぷりとした形態描写、葉の表現に用いられた「たらし込み」の技法からは、俵屋宗達に対する深い関心を見て取ることができます。
