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チケット

企画展 所蔵作品展 いずれも消費税込。 「MOMATコレクション」「コレクションによる小企画」を無料でご鑑賞できる方 ・高校生以下および18歳未満、65歳以上の方・キャンパスメンバーズ加盟校の学生・教職員・「MOMATパスポート」をお持ちの方・障害者手帳をお持ちの方とその付添者(1名)※入館の際に、学生証、教職員証、運転免許証等の年齢の分かるもの、障害者手帳等をご提示ください。 キャッシュレス決済 チケット売り場での観覧券ご購入時には、現金のほか、各種キャッシュレス決済サービスがご利用いただけます。「ぐるっとパス」のご購入は現金のみとなります。 お得な観覧制度 団体観覧 20名以上のご来館は団体料金でご覧いただけます MOMATパスポート MOMATの所蔵作品展を何度も観覧したい方へ キャンパスメンバーズ 大学・短期大学・高等専門学校等の皆さまへ 友の会 MOMATをもっとお得に楽しみたい方へ

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ガウディ展の前売券をお持ちの方、無料対象の方、当日窓口でチケットをお買い求めの方へ

「ガウディとサグラダ・ファミリア展」は、日時予約のない方に整理券を配布しての入場制限を実施中です。 特に土日は整理券の予定枚数が早めになくなる可能性があり、日時予約のない方は入場いただけない場合がございます。9月10日(日)まで夜間開館(20:00閉館)を実施中ですので、平日にご来館ください。 (9月7日追記)9月6日(水)は18時30分過ぎに整理券配布が終了しました。平日ご来館の方も整理券配布状況をご確認の上、お早めにご来館ください。 整理券の配布状況は本展公式X(旧Twitter)またはハローダイヤル(050-5541-8600)でご確認ください。 日時予約をしていない方 空きがあればART PASSからオンラインによる日時予約(「購入済みチケット」という0円の予約枠)をお願いいたします。現在、平日の日中と土日は日時予約が売り切れています。 オンラインでの日時予約枠はすべて埋まりましたので、直接ご来館のうえ整理券をお受け取りください。 整理券配布が終了した場合、その日の最終時間帯(19:00)でのご入場となります。ご了承ください。整理券の配布状況は本展公式X(旧Twitter)またはハローダイヤル(050-5541-8600)でご確認ください。 空きがあればART PASSからオンラインによる日時予約(「一般」「大学生」「高校生」の有料予約枠)をお願いいたします。現在、平日の日中と土日は日時予約が売り切れています。 オンラインでの日時予約枠はすべて埋まりましたので、美術館の窓口にて当日券をお買い求めください。併せてすぐ下の「当日美術館窓口でチケットを買い求めの方」の項目を必ずご一読ください。 美術館窓口で当日券を購入した方は整理券にて順次ご入場いただいています。 整理券配布が終了した場合、当日券の販売も終了し、その日はご入場いただけません。美術館の収容人数上、ご理解のほどよろしくお願いいたします。整理券の配布状況は本展公式X(旧Twitter)またはハローダイヤル(050-5541-8600)でご確認ください。 空きがあればART PASSからオンラインによる日時予約(「無料観覧券」という0円の予約枠)をお願いいたします。現在、平日の日中と土日は日時予約が売り切れています。 オンラインでの日時予約枠はすべて埋まりましたので、直接ご来館のうえ整理券をお受け取りください。 整理券配布が終了した場合、その日はご入場いただけません。美術館の収容人数上、ご理解のほどよろしくお願いいたします。整理券の配布状況は本展公式X(旧Twitter)またはハローダイヤル(050-5541-8600)でご確認ください。 日時予約、整理券なしでご案内しています。 整理券配布が終了するほど混雑した場合、その日はご入場いただけません。美術館の収容人数上、ご理解のほどよろしくお願いいたします。整理券の配布状況は本展公式X(旧Twitter)またはハローダイヤル(050-5541-8600)でご確認ください。 保護者の方が日時予約済みの場合、小中学生の方はその保護者の方と一緒にご入場いただけます。 日時予約、整理券なしでご案内しています。 9月8日(金)から10日(日)までは、終日、賛助会・友の会の新規受付を停止します。継続・更新の方は受け付けていますので、会員証を持参のうえお声がけください。 日時予約をしている方 予約日時まではご入場いただけません。お時間までは所蔵作品展(2-4F)や館外でお待ちいただきますようご協力をお願いいたします。 団体の方(20名以上) 混雑のため、ガウディ展に関する団体の方向けの事前受付を停止しています。窓口でのチケットご購入順にご案内しますので、混雑時には、入場までお待ちいただいたり、その日のご入場ができない場合があります。ご了承ください。

TRIO パリ・東京・大阪 モダンアート・コレクション

見て、比べて、話したくなる。 パリ、東京、大阪-それぞれ独自の文化を育んできた3都市の美術館のコレクションが集結。セーヌ川のほとりに建つパリ市立近代美術館、皇居にほど近い東京国立近代美術館、大阪市中心部に位置する大阪中之島美術館はいずれも、大都市の美術館として、豊かなモダンアートのコレクションを築いてきました。本展覧会は、そんな3館のコレクションから共通点のある作品でトリオを組み、構成するという、これまでにないユニークな展示を試みます。時代や流派、洋の東西を越えて、主題やモチーフ、色や形、素材、作品が生まれた背景など、自由な発想で組まれたトリオの共通点はさまざま。総勢110名の作家による、絵画、彫刻、版画、素描、写真、デザイン、映像など150点あまりの作品で34のトリオを組み、それをテーマやコンセプトに応じて7つの章に分けて紹介することで、20世紀初頭から現代までのモダンアートの新たな見方を提案し、その魅力を浮かびあがらせます。 萬鉄五郎《裸体美人》は7月23日(火)~8月8日(木)の期間、作品保護のため展示を一時休止し、8月9日(金)より展示を再開いたします。なお、休止期間中は萬鉄五郎《裸婦(ほお杖の人)》を展示いたします。 主な展示作品 各トリオのテーマと#(ハッシュタグ)は、3つの作品を見て、比べて、誰かと話したくなるヒントになっています。 モデルたちのパワー #お決まりのポーズ #私たちくつろいでます アンリ・マティス《椅子にもたれるオダリスク》1928年 パリ市立近代美術館photo: Paris Musées/Musée d’Art Moderne de Paris 萬鉄五郎《裸体美人》1912年 重要文化財 東京国立近代美術館※展示期間:5月21日(火)~7月22日(月)・8月9日(金)~8月25日(日) アメデオ・モディリアーニ《髪をほどいた横たわる裸婦》1917年 大阪中之島美術館 大胆にくつろいだポーズで、思い思いに寝そべるモデルたち。西洋絵画の歴史の中で脈々と続いてきた横たわる女性像は、理想美を体現し、男性に見られる対象として、しばしば無防備な姿で描かれてきました。しかし、挑発するようにこちらを見つめるモディリアーニの裸婦、寝ころんでこちらを見おろす萬の裸体美人、そして見られることをまるで意識していないようなマティスのオダリスクには、見る者の視線を跳ね返し、彼女たちそれぞれの美を誇るようなパワーがみなぎっています。 空想の庭 #メルヘンガーデンズ #植物好き ラウル・デュフィ《家と庭》1915年 パリ市立近代美術館photo: Paris Musées/Musée d’Art Moderne de Paris 辻永《椿と仔山羊》1916年 東京国立近代美術館 アンドレ・ボーシャン《果物棚》1950年 大阪中之島美術館 いずれも植物が画面全体を覆っていますが、実は3人の画家たちはみな植物に深いゆかりがあります。植物園の近くに住み、動植物をモチーフにしたテキスタイルデザインを数多く手がけたデュフィ、草花を愛した父の影響でかつて植物学者を志したことのあった辻永、そして独学で画家になる前に園芸業を営んでいたボーシャン。彼らはそれぞれが好んだ草花や果物、動物をリズミカルに画面に配置しながら、自由にイマジネーションを羽ばたかせ、絵の中にしか存在しない空想の庭とでも呼ぶべき世界を作り出しています。草花で埋め尽くされた装飾的な画面は、どこか幻想的な雰囲気に包まれ、花や果物の香りが匂い立つようです。 現実と非現実のあわい #名作へのオマージュ #ヒトなのかヒトでないのか ヴィクトル・ブローネル《ペレル通り2番地2の出会い》 1946年 パリ市立近代美術館photo: Paris Musées / Musée d’Art Moderne de Paris 有元利夫《室内楽》 1980年 東京国立近代美術館 ルネ・マグリット《レディ・メイドの花束》 1957年 大阪中之島美術館 このトリオは、いずれも過去の絵画を参照し、画家が自らの分身のような存在を描き込むことで、現実と非現実のあわいを出現させているという点で共通しています。ブローネルは、かつてアンリ・ルソーが住んだペレル通り2番地2に引っ越したことから、ルソーの《蛇使いの女》(1907年、オルセー美術館)に、自らが生み出した、巨大な頭部と2つの身体、6本の腕を持つ「コングロメロス」を登場させています。マグリットはしばしば描いた山高帽の男の背に、ボッティチェリの《春》(1482年頃、ウフィツィ美術館)の花の女神フローラを重ねました。ピエロ・デッラ・フランチェスカら初期ルネサンスのフレスコ画に魅せられた有元の絵画は、他の多くの作品にもみられる古典的な女性が中央に鎮座し、非現実的でありながら懐かしさを漂わせています。 出品作家 カレル・アペル天野龍一有元利夫ジャン・アルプ(ハンス・アルプ)アルマン(アルマン・フェルナンデス)池田遙邨イケムラレイコ石内都出光真子サビーヌ・ヴァイスシュザンヌ・ヴァラドングザヴィエ・ヴェイヤン岡本更園岡本太郎小倉遊亀恩地孝四郎パブロ・ガルガーリョアレクサンダー・カルダーアンリ・カルティエ=ブレッソン河合新蔵川上涼花川崎亀太郎菅野聖子菊畑茂久馬岸田劉生北代省三北野恒富北脇昇草間彌生イヴ・クライン倉俣史朗パウル・クレー小泉癸巳男小出楢重古賀春江佐伯祐三佐藤雅晴 佐保山堯海汐見美枝子マルク・シャガールシャイム・スーティン菅井汲杉浦非水ヘンリー・ダーガー高梨豊辰野登恵子田中敦子サルバドール・ダリ辻永津田洋甫ジュリアン・ディスクリジョルジョ・デ・キリコレイモン・デュシャン=ヴィヨンラウル・デュフィフランソワ・デュフレーヌフェリックス・デル・マルル東郷青児東松照明百々俊二冨井大裕富山治夫ソニア・ドローネーロベール・ドローネーロベール・ドワノー中西夏之奈良美智奈良原一高ジャン=ミシェル・バスキア長谷川利行畠山直哉早川良雄原勝四郎パブロ・ピカソジャン・フォートリエ 藤島武二藤田嗣治ブラッサイコンスタンティン・ブランクーシマリア・ブランシャールヴィクトル・ブローネルアンドレ・ボーシャンウンベルト・ボッチョーニピエール・ボナールセルジュ・ポリアコフ前田藤四郎ルネ・マグリット松本竣介アンリ・マティス丸木俊(赤松俊子)アルベール・マルケ三岸好太郎アンリ・ミショー村山知義ジャン=リュック・ムレーヌジャン・メッツァンジェファウスト・メロッティアメデオ・モディリアーニ百瀬文森村泰昌安井曽太郎柳原義達モーリス・ユトリロ吉原治良萬鉄五郎ジェルメーヌ・リシエエル・リシツキーマルク・リブーフェルナン・レジェマリー・ローランサンマーク・ロスコ 美術館について パリ市立近代美術館 シャンゼリゼ通りとエッフェル塔の間に位置するパリ市立近代美術館の宮殿は、1930年代の壮麗な建築の一例。15,000点以上の作品を所蔵するパリの重要な文化施設であり、フランス最大級の近現代美術館のひとつ。 photo: Fabrice Gaboriau 東京国立近代美術館 東京の中心・皇居のお濠を前に建つ日本で最初の国立美術館。最大の特徴は、横山大観、上村松園、岸田劉生らの重要文化財を含む13,000点を超える国内最大級のコレクション。19世紀末から現代までの幅広いジャンルにわたる日本美術の名作を、海外の作品もまじえて多数所蔵。 大阪中之島美術館 2022年、大阪市中心部に開館。19世紀後半から今日に至る日本と海外の代表的な美術とデザイン作品を核としながら、地元大阪で繰り広げられた豊かな芸術活動にも目を向け、絵画、版画、写真、彫刻、立体、映像など多岐の領域にわたる6,000点超を所蔵。 開催概要 東京国立近代美術館 1F企画展ギャラリー 2024年5月21日(火)~8月25日(日) 月曜日(ただし7月15日、8月12日は開館)、7月16日(火)、8月13日(火) 10:00-17:00(金曜・土曜は10:00-20:00) 入館は閉館の30分前まで 一般  2,200円(2,000円)大学生 1,200円(1,000円)高校生 700円(500円) ( )内は20名以上の団体料金、ならびに前売券料金(販売期間:3月25日~5月20日)。いずれも消費税込。 中学生以下、障害者手帳をお持ちの方とその付添者(1名)は無料。それぞれ入館の際、学生証等の年齢のわかるもの、障害者手帳等をご提示ください。 キャンパスメンバーズ加入校の学生・教職員は、学生証・職員証の提示により団体料金でご鑑賞いただけます。 本展の観覧料で入館当日に限り、所蔵作品展「MOMATコレクション」(4-2F)、コレクションによる小企画「新収蔵&特別公開|ジェルメーヌ・リシエ《蟻》|インターナショナル編」(2F ギャラリー4)もご覧いただけます。 東京国立近代美術館の窓口では前売券の販売はございません。5月21日以降の開館日に限り当日券を販売いたします。 当日券の窓口購入は混雑が予想されるため、事前のチケット購入がおすすめです。 前売券やオンラインチケット・各種プレイガイドでのご購入方法は本展公式サイトをご確認ください。 東京国立近代美術館、大阪中之島美術館、日本経済新聞社、テレビ東京、BSテレビ東京 パリ市立近代美術館、パリミュゼ SOMPOホールディングス、ダイキン工業、三井住友銀行、三井不動産、ライブアートブックス 日本航空 大阪中之島美術館 2024年9月14日(土)~12月8日(日)

資料紹介#6 | 初日カバー

初日カバー  美術館では展覧会のポスター、チラシ、チケット、会場で配布される出品リストやマップ等、多種多様な印刷物が日々生み出されていますが、開館や周年といった記念日には特別な印刷物が制作されます。本稿では、その中から初日カバーをご紹介します。初日カバーとは、封筒に新しく発行された記念切手を貼り、発行当日の消印を押して製作されたもので、切手が発行された初日に作られることがその名の由来です。初日カバーの封筒には切手にちなんだ図案(カシェ)が施され、例えば、版画家の川瀬巴水や名取春仙もカシェの作品を残しています。  東京国立近代美術館は、1969年に京橋から現在の竹橋に移転し、6月11日に開館式が開かれました。同日に開館記念の切手が発行され、美術館の外観がデザインされた消印も用意されましたが、それらの原画を手掛けたのは、当時郵政省の職員を務めていた大塚均1でした。初日カバーのカシェにも、大塚がデザインしたものが含まれています(No. 1、2、6)(詳細は図とリストをご確認ください)。アートライブラリでは、この初日カバーを16種類所蔵しています(当時、初日カバーが何種類作成されたかは不明)。カシェには美術館の外観を題材にしたものが多く見られますが、角度や構図、色使いは一点一点異なります。外観以外にも、展示風景や絵筆とパレット、花、城、牛等が描かれたものや、No.13 のように、なぜか東京国立博物館が所蔵する黒田清輝の素描《女の顔》(1889年)によく似た女性の肖像画が描かれたものなど、バラエティに富んでいます。  1969年の開館記念の初日カバーの他にも、2012年の開館60周年記念の初日カバーなどもあります。アートライブラリでは、このような印刷物も美術館の歴史を伝える資料として保存しています。  利用にあたっては、事前申請手続きが必要です2。詳しくはウェブサイトをご確認ください。  註 大塚均(1911–98年)山口県生まれ。1935年に東京高等工芸学校工芸図案科を卒業後、逓信省に入省し、切手デザインに従事。1945年に逓信省を退職し、島根県立益田農林高校等で美術教師を務める。1958年、再び郵政省に入省し、74年まで勤務。 1969年の開館記念の初日カバー14種類は当館4階の情報コーナーにて2024年4月16日から8月25日まで展示しています。展示後は、事前申請手続きの上、ライブラリで閲覧することが可能です。 東京国立近代美術館開館記念郵便切手 No. 記念切手、記念消印消印日付図案(カシェ)のデザイン [ ]は執筆者による捕捉 図案(カシェ)の原図作者 版元資料ID1東京国立近代美術館開館記念 1969年6月11日内部展示[彫刻、絵画]大塚均(株)松屋1900073212東京国立近代美術館開館記念 1969年6月11日展示風景[鑑賞者]大塚均(株)松屋1900073233東京国立近代美術館開館記念 1969年6月11日[美術館外観]1900073244東京国立近代美術館開館記念 1969年6月11日[美術館外観]銀座わたなべ1900073255東京国立近代美術館開館記念 1969年6月11日[美術館外観とイサム・ノグチ《門》]省三 1900073266東京国立近代美術館開館記念 1969年6月11日[美術館外観]大塚均 全日本郵便切手普及協会1900073277東京国立近代美術館開館記念 1969年6月11日[美術館外観]郵政弘済会1900073288東京国立近代美術館開館記念 1969年6月11日[美術館外観]郵政弘済会1900073299東京国立近代美術館開館記念 1969年6月11日[美術館外観とアヤメ]NCC19000733010東京国立近代美術館開館記念 1969年6月11日[美術館外観とバラ]日本郵趣協会19000733111東京国立近代美術館開館記念 1969年6月11日[美術館外観と江戸城]森正元宮崎19000733212東京国立近代美術館開館記念 1969年6月11日[パレットと絵筆]久野実BSB19000733313東京国立近代美術館開館記念 1969年6月11日 [女性の肖像画と鳥]NFC19000733414東京国立近代美術館開館記念 1969年6月11日[裸婦]T. Setoguchiカバースタジオ19000733515東京国立近代美術館開館記念 1969年6月14日[美術館外観]切手文化部19000733616東京国立近代美術館開館記念 1969年6月11日[牛]成瀬敏男FKK木版19000733717ふみの日小型印記念〈明治・大正・昭和の銘建築〉東京国立近代美術館工芸館2004年10月23日 [東京国立近代美術館工芸館の外観]細川武志19000734318東京国立近代美術館開館60周年京都国立近代美術館開館50周年2012年6月1日 [上村松園《母子》]19000734419東京国立近代美術館開館60周年京都国立近代美術館開館50周年2012年6月1日 [土田麦僊《湯女》]日本郵趣協会190006037 『現代の眼』639号

リシエが師ブールデルから学んだもの

図1 会場風景(左から2番目が柳原義達《犬の唄》|撮影:大谷一郎 ジェルメーヌ・リシエの《蟻》が新たに収蔵された。そのお披露目として企画された本展示には館蔵品の中から、「多方向にその網を張りめぐらす」1リシエに時代やテーマにおいて関連する作品29点が陳列された。正直なところ、この展示に雑多で脈絡を欠いている印象を受けた。またリシエが師と仰ぐアントワーヌ・ブールデルのテラコッタレリーフ4点は没後の複製で、国立西洋美術館の所蔵作品を展示できれば…と思わずにいられなかった。  それでも、彼女と同時期にブールデルに学んだ金子九平次と清水多嘉示、そしてリシエをよく理解してその影響を受けた柳原義達の作品が展示されたことの意味は大きい。金子の1925年滞仏作《C嬢の像》がブロンズ、清水の1926年滞仏作《アルプス遠望》は油彩だが、これらはリシエがブールデルのもとで学んでいた頃のものと言える。  図2 会場風景(右から2番目が金子九平次《C嬢の像》)|撮影:大谷一郎 南フランスのサロン・ド・プロバンスに近いグラン出身のリシエは、1926年にモンペリエのエコール・デ・ボザールを卒業するとパリに来て、ブールデルが亡くなる29年まで彼の個人アトリエの生徒となって助手を務めた。そこでは彼女の夫となるオットー・ボーニンガー、アルベルト・ジャコメッティ、エマヌエル・オリコスト、マルコ・セルボノヴィッチ等が仕事をしていた2。また彼女はブールデルが教えるアカデミー・ドゥ・ラ・グランド・ショミエールでも学んでおり、ここで撮られた幾つかの写真にリシエが居る。1920年代のグランド・ショミエールには金子や清水のほかに佐藤朝山、保田龍門、武井直也がいて、またジャコメッティもリシエの級友の一人だが、彼らの作品が展示に含まれていなかったのは残念である。[編集部註]  グランド・ショミエールは入学試験がなく誰でも入れる「自由学校」で、出席点呼もなく、生徒たちはチケットを購入してデッサンと彫刻の授業を受けた。生徒は東欧、バルカン諸国、南北アメリカ、極東からの外国人が多数を占め、その半数以上が女性であった。ブールデルは毎週1日、木曜日か金曜日にここで教え、「「自分自身の歌を歌う」ことを[生徒たちに]学ばせた独自の教育」—生徒たちが「魂を生み出すよう産婆役を勤ママめます」—を実践した3。ブールデルは生徒に自身の様式を模倣することを求めず、それぞれの資質を尊重し、生徒の作品にほとんど手を入れることはなかったと伝えられる。ブールデルによる実習の様子、その教育をここで学んだ多くの彫刻家たちが書き残している。生徒たちの中から選ばれた者たちは、午前にグランド・ショミエールで勉強した後、午後にブールデルのアトリエで師の仕事を手伝うことができた。ブールデルのもとからは第二次大戦後に活躍する多くの重要な彫刻家そして画家が輩出した。 1927年にグランド・ショミエールで撮影されたブールデルを囲む生徒たちの写真[図3]が清水多嘉示アーカイブに残されている。手前右端が清水、リシエはその左後方の二人の女性の間から視線をカメラに向けずに顔をのぞかせる額にバンドを巻いた女性ではないかと思われる4。 図3 ブールデルを囲む生徒たち|提供:清水多嘉示アーカイブ(所蔵:八ヶ岳美術館 原村歴史民俗資料館)  ブールデルのアトリエでリシエはアダム・ミツキェヴィチの記念碑、師の最後の作品となるモンソー・レ・ミーヌの戦争記念碑に協力した。「ブールデルの仕事をどう思うか」という問いに、リシエは「ブールデルは偉大な人物で立派な教師であるが、制作については何の影響も受けていない。彼から学んだことは真実をみるということだけだ」と語っている5。彫刻における「真実」について、清水はブールデルの言葉として「自然の構成コンストラクシヨン(建築的要素)に注意を拂はなければならない。/構成は實在で肉付は常に變るものだ」「表面のコツピイをしてはいけない」と記している6。リシエは「私は何を製作する場合でも幾何学的構成を何度も試みます」「真の抽象は事物の内部にある」と述べている7。 展示には清水の《裸婦》(1967年)が出品されていたが、リシエの《蟻》(1953年)[図4]と私が対照させたいのは《みどりのリズム》(1951年)[図5]である。二人が師から得た共通するもの—《弓をひくヘラクレス》(1909年)[図6]にあるような—を誰もが感じるだろう。 図4 ジェルメーヌ・リシエ《蟻》1953年東京国立近代美術館蔵|撮影:大谷一郎  図5 清水多嘉示《みどりのリズム》1951年、武蔵野美術大学美術館蔵|撮影:李政勲 図6 エミール=アントワーヌ・ブールデル《弓をひくヘラクレス》1909年国立西洋美術館蔵|撮影:(c) 上野則宏 1955年に清水はリシエを次のように評している。「彼女はフランス彫刻界の特異な存在である。何れかといふと具象形體に属する作品だが、非常に嚴しいアンテリュールつまり内部構造の追求を、彼女の作品は提示してゐる」「プロセスに於けるアンテリュール追求の度合だけがその作品の價値となつてゐる様に見える」8。 その実例として、私はリシエの《オラージュ》(1947–48年)を示そう[図7]。この作品が本展に出品された柳原義達の《犬の唄》に与えた影響は述べるまでもあるまい。 註 「『新収蔵&特別公開|ジェルメーヌ・リシエ《蟻》』 展覧会について」、東京国立近代美術館ウェブサイト https://www.momat.go.jp/exhibitions/r5-3-g4[2024年2月14日閲覧]  『Germaine Richier』(仏語版Centre Pompidou, 英語版Thames & Hudson, 2023, p.263)の年譜には、リシエがブールデルのアトリエに入ることを斡旋したのはウジェーヌ・ルディエ(アレクシス・ルディエ鋳造所の当主)であり、ブールデルは自分のアトリエに生徒をもはや受け入れていなかったと記されている。 グランド・ショミエールでのブールデルによる授業についてはアメリ・シミエ Amélie Simier(当時:パリ、ブールデル美術館館長、現在:パリ、ロダン美術館館長)「「教育の全ての型を破壊しなければなりません」 ブールデルの学校で。—ブールデルは生徒たちにどのような教育を行ったのか?」を参照。『国際カンファレンス記録集 東アジアにおけるブールデル・インパクト』(武蔵野美術大学彫刻学科研究室、2021年)に収録。 『Germaine Richier』p.263にもブールデル美術館が所蔵する同じ写真が掲載されており、リシエが含まれているとの解説がある。同書では撮影時期が1928年とされているが、清水多嘉示アーカイブに残る写真の裏には清水の直筆で「1927年」と記されている。 引用は主旨。矢内原伊作「ジェルメーヌ・リシエの世界」『みづゑ』632、1958年3月号、p.20 清水多嘉示「ブルデルの思ひ出 Emile Antoine Bourdell 1861–1929」『新美術』14、1942年9月号、p.7 矢内原伊作、前掲書p.19 清水多嘉示「素朴な彫刻家たち」『芸術新潮』第6巻、1955年5月号、p.169 編集部註 前会期から作品を大幅に入れ替えた「新収蔵&特別公開|ジェルメーヌ・リシエ《蟻》 インターナショナル編」(4月16日–8月25日)では佐藤玄々(朝山)、保田竜門、武井直也らの作品も展示されている。 『現代の眼』639号

中平卓馬 火―氾濫

日本の写真を変えた、伝説的写真家 約20年ぶりの大回顧展 日本の戦後写真における転換期となった1960 年代末から70 年代半ばにかけて、実作と理論の両面において大きな足跡を記した写真家である中平卓馬(1938-2015)。その存在は森山大道や篠山紀信ら同時代の写真家を大いに刺激し、またホンマタカシら後続の世代にも多大な影響を与えてきました。1960 年代末『PROVOKE』誌などに発表した「アレ・ブレ・ボケ」の強烈なイメージや、1973 年の評論集『なぜ、植物図鑑か』での自己批判と方向転換の宣言、そして1977 年の昏倒・記憶喪失とそこからの再起など、中平のキャリアは劇的なエピソードによって彩られています。しかしそれらは中平の存在感を際立たせる一方で、中平像を固定し、その仕事の詳細を見えにくくするものでもありました。 本展では、あらためて中平の仕事をていねいにたどり、その展開を再検証するとともに、特に、1975 年頃から試みられ、1977 年に病で中断を余儀なくされることとなった模索の時期の仕事に焦点を当て、再起後の仕事の位置づけについてもあらためて検討します。 2015 年に中平が死去して以降も、その仕事への関心は国内外で高まり続けてきました。本展は、初期から晩年まで約400 点の作品・資料から、今日もなお看過できない問いを投げかける、中平の写真をめぐる思考と実践の軌跡をたどる待望の展覧会です。  見どころ これまで未公開の作品を多数展示   近年その存在が確認された《街路あるいはテロルの痕跡》の1977 年のヴィンテージ・プリントを初展示。昏倒によって中平のキャリアが中断する前の、最後のまとまった作品発表となった雑誌掲載作13 点です。2021 年に東京国立近代美術館が本作を収蔵して以来、今回が初めての展示となります。また1976 年にマルセイユで発表されて以来、展示されることのなかった《デカラージュ》など、未公開の作品を多数展示します。  カラー写真の重要作を一挙に展示  1974 年に東京国立近代美術館で開催した「15 人の写真家」展の出品作《氾濫》をちょうど半世紀ぶりに同じ会場で再展示します。カラー写真48 点組で構成される幅約6 メートルの大作で、中平のキャリア転換期における重要作です。 また、中平存命中最後の重要な個展「キリカエ」(2011 年)に展示されたカラーの大判プリント64 点を展示します。  雑誌から読み解く中平の試み 『アサヒグラフ』や『朝日ジャーナル』など、キャリア前半の1960 年代から1970 年代前半にかけて発表された作品の掲載誌を多数展示。当時、雑誌は社会にイメージを流通させる手段として重要な役割を担っていました。写真がどのように流通するかについて常に意識的だった中平が、同時代の社会に対して、写真を用いて何を試みようとしていたのか、その実態を紹介します。  展覧会構成・主な展示作品  本展は初期から晩年にいたる中平卓馬の仕事を、5つの章でたどります。とくに2~4章では、1977 年に不慮の昏倒と記憶喪失により中断した中平の仕事が、どこへ向かおうとしていたのか、そこにいたる70 年代の展開を詳しくひもときます。  第1章 来たるべき言葉のために  第2章 風景・都市・サーキュレーション 第3章 植物図鑑・氾濫 第4章 島々・街路  第5章 写真原点 中平卓馬プロフィール 1938年東京生まれ。1963年東京外国語大学スペイン科卒業、月刊誌『現代の眼』編集部に勤務。誌面の企画を通じて写真に関心を持ち、1965年に同誌を離れ写真家、批評家として活動を始める。 1966年には森山大道と共同事務所を開設、1968年に多木浩二、高梨豊、岡田隆彦を同人として季刊誌『PROVOKE』を創刊(森山は2号より参加、3号で終刊)。「アレ・ブレ・ボケ」と評された、既成の写真美学を否定する過激な写真表現が注目され、精力的に展開された執筆活動とともに、実作と理論の両面において当時の写真界に特異な存在感を示した。1973年に上梓した評論集『なぜ、植物図鑑か』では、一転してそれまでの姿勢を自ら批判、「植物図鑑」というキーワードをかかげて、「事物が事物であることを明確化することだけで成立する」方法を目指すことを宣言。翌年、東京国立近代美術館で開催された「15人の写真家」展には48点のカラー写真からなる大作《氾濫》を発表するなど、新たな方向性を模索する。そのさなか、1977 年に急性アルコール中毒で倒れ、記憶の一部を失い活動を中断。療養の後、写真家として再起し、『新たなる凝視』(1983)、『Adieu à X』(1989)などの写真集を刊行。2010年代始めまで活動を続けた。2015年逝去。 1973年、自己批判を機に、それまでのプリントやネガの大半を焼却したとされていたが、2000 年代初頭、残されていたネガが発見され、それをきっかけとして2003年には横浜美術館で大規模な個展「中平卓馬:原点復帰-横浜」が開催された。 展示風景 第1章 来たるべき言葉のために  第1章 来たるべき言葉のために  第2章 風景・都市・サーキュレーション 第2章 風景・都市・サーキュレーション 第2章 風景・都市・サーキュレーション 第3章 植物図鑑・氾濫 第3章 植物図鑑・氾濫 第3章 植物図鑑・氾濫 第4章 島々・街路  第4章 島々・街路  第4章 島々・街路  第4章 島々・街路  第5章 写真原点 「中平卓馬 火―氾濫」展示風景 撮影:木奥惠三 カタログ 「中平卓馬 火―氾濫」展覧会公式カタログ 刊行日:2024年3月30日(土)価格:3,500円(税込)仕様:A4変形、ソフトカバー頁数:496ページ発行:ライブアートブックス(大伸社グループ) 目次 増田玲(東京国立近代美術館主任研究員)序論「根底的に、過激に、——中平卓馬の活動の軌跡をたどるために」 第1章 来るべき言葉のためにコラム1 東松照明と多木浩二コラム2 反復するイメージ 第2章 風景・都市・サーキュレーションコラム3 「風景論」と『映画批評』コラム4 中平卓馬と美術 第3章 植物図鑑・氾濫コラム5 中平卓馬と『朝日ジャーナル』コラム6 1973年、知覚異常の経験 第4章 島々・街路コラム7 中平卓馬による写真家論 第5章 写真原点コラム8 人物写真の変化について 第6章 展示会場風景 第7章 テキストマシュー・S・ウィトコフスキー(シカゴ美術館写真・メディア部門リチャード&エレン・サンダー・チェア兼キュレーターおよび同館戦略的アート・イニシアティブ担当ヴァイス・プレジデント )「中平のサーキュレーション」 八角聡仁(批評家)「写真あるいは時の陥没——中平卓馬《デカラージュ(Décalage)》をめぐって」 倉石信乃(明治大学教授、写真史)「中平卓馬『記録日記 一九七八年』について」 第8章 資料篇年譜著作文献一覧関連文献一覧展示作品一覧 開催概要 東京国立近代美術館 1F企画展ギャラリー 2024年2月6日(火)~ 4月7日(日) 月曜日(ただし2月12日、3月25日は開館)、2月13日  10:00-17:00(金曜・土曜は10:00-20:00) 入館は閉館30分前まで 一般  1,500円(1,300円) 大学生 1,000円(800円)  ( )内は20名以上の団体料金。いずれも消費税込。  高校生以下および18歳未満、障害者手帳をお持ちの方とその付添者(1名)は無料。それぞれ入館の際、学生証等の年齢のわかるもの、障害者手帳等をご提示ください。  キャンパスメンバーズ加入校の学生・教職員は、学生証・職員証の提示により団体料金でご鑑賞いただけます。  本展の観覧料で入館当日に限り、所蔵作品展「MOMATコレクション」(4-2F)、コレクションによる小企画「新収蔵&特別公開|ジェルメーヌ・リシエ《蟻》」(2F ギャラリー4)もご覧いただけます。  観覧券は美術館窓口(当日券のみ)と公式チケットサイト(e-tix)で販売いたします。 東京国立近代美術館、朝日新聞社 公益社団法人日本写真家協会

生誕120年 棟方志功展 メイキング・オブ・ムナカタ

はじめに 「世界のムナカタ」として国際的な評価を得た版画家・棟方志功(1903-1975)。一心不乱に版木に向かう棟方の姿は、多くの人々の記憶に刻み込まれています。棟方が居住し、あるいは創作の拠点とした青森、東京、富山の三つの地域は、それぞれに芸術家としての棟方の形成に大きな影響を与えました。棟方の生誕120年を記念し、各地域の美術館(富山県美術館、青森県立美術館、東京国立近代美術館)が協力して開催する本展では、棟方と各地域の関わりを軸に、板画、倭画、油彩画といった様々な領域を横断しながら、本の装幀や挿絵、包装紙などのデザイン、映画・テレビ・ラジオ出演にいたるまで、時代特有の「メディア」を縦横無尽に駆け抜けた棟方の多岐にわたる活動を紹介し、棟方志功とはいかなる芸術家であったのかを再考します。 見どころ 国際展受賞作から書、本の装画、商業デザイン、壁画までー「世界のムナカタ」の全容を紹介 代表的な板画作品はもちろん、最初期の油画や生涯にわたって取り組み続けた倭画に加え、高い人気を博した本の装幀や、長く大衆に愛された包装紙の図案など、優れたデザイナーとしての一面も取り上げ、棟方芸術の全貌に迫ります。 青森ー東京ー富山、棟方の暮らした土地をたどる、初の大回顧展 生誕120年という節目をとらえ、棟方志功が芸術家として大成していく過程のなかで大きな影響を与えた土地である三つの地域―故郷・青森、芸術活動の中心地・東京、疎開先・富山―を、最大規模の回顧展として巡回します。 棟方畢生の超大作、久々の公開 縦3メートルの巨大な屏風《幾利壽當頌耶蘇十二使徒屏風》(五島美術館蔵)を約60年ぶりに展示、また、ほとんど寺外で公開されることのなかった倭画の名作《華厳松》(躅飛山光徳寺蔵)は通常非公開の裏面とあわせて展示します。 会期中一部展示替えがあります。 棟方志功略歴 1903年 9月5日、青森市大町一丁目一番地に生まれる。1924年 油画家を志し、帝展入選を目指して上京。1926年 帝展落選が続くなか、川上澄生の《初夏の風》を見て版画に目覚める。1928年 油画《雑園》で帝展初入選。1932年 日本浪曼派の文士たちとの交流が始まる。国画会奨学賞を受賞。版画に道を定める。1936年 国画会展に出品した《瓔珞譜・大和し美し版画巻》が縁となり柳宗悦ら民藝運動の人々との知遇を得る。1939年 《二菩薩釈迦十大弟子》制作。翌年の国画会展で佐分賞受賞。1945年 富山県西砺波郡石黒村法林寺に疎開。5月の空襲で東京の自邸と戦前の作品や版木のほとんどを焼失。1951年 11月末、東京都杉並区に転居。1955年 第3回サンパウロ・ビエンナーレ版画部門最高賞受賞。1956年 第28回ヴェネチア・ビエンナーレ国際版画大賞受賞。1959年 ロックフェラー財団とジャパン・ソサエティの招きで初渡米、 滞在中の夏、約1か月かけて欧州を巡る。1961年 青森県新庁舎の壁画《花矢の柵》など公共施設への大作提供が増える。1970年 文化勲章受章。文化功労者となる。1975年 9月13日、死去。青森市に棟方志功記念館開館。 カタログ 「生誕120年 棟方志功展 メイキング・オブ・ムナカタ」公式図録 価格:2,800円(消費税込) 仕様:B5サイズ 総頁数:304ページ(ハードカバー) 言語:日本語、英語  目次 メイキング・オブ・ムナカタ——棟方志功のつくり方|花井久穂 棟方志功の遺し方|石井頼子  プロローグ 出発地・青森 第1章 東京の青森人第2章 暮らし・信仰・風土——富山・福光第3章 東京/青森の国際人第4章 生き続けるムナカタ・イメージ  棟方志功の青森——雑話三題|池田亨 『The Japan Times』がうつし出す「世界のムナカタ」——エリーゼ・グリリの批評と戦後の日本美術|花井久穂 棟方志功と富山の美術|遠藤亮平 棟方志功 年譜 棟方志功 著述目録 座談会・対談 目録人名解説 出品目録・フォトクレジット  展示風景 展示風景 撮影:木奥惠三 開催概要 東京国立近代美術館 1F企画展ギャラリー 2023年10月6日(金)~ 12月3日(日) 月曜日(ただし10月9日、11月27日は開館)、10月10日(火) 10:00-17:00(金曜・土曜は10:00-20:00) 11月27日(月)は臨時開館(10:00-17:00) 入館は閉館30分前まで 一般  1,800円(1,600円)大学生 1,200円(1,000円)高校生 700円(500円) ( )内は20名以上の団体料金、ならびに前売券料金(販売期間:8月22日~10月5日)。いずれも消費税込。 中学生以下、障害者手帳をお持ちの方とその付添者(1名)は無料。それぞれ入館の際、学生証等の年齢のわかるもの、障害者手帳等をご提示ください。 キャンパスメンバーズの学生・教職員は、学生証・職員証の提示により団体料金でご鑑賞いただけます。 本展の観覧料で入館当日に限り、所蔵作品展「MOMATコレクション」(4-2F)、コレクションによる小企画「女性と抽象」(2F ギャラリー4)もご覧いただけます。 東京国立近代美術館の窓口では、10月6日以降の開館日に限り当日券を販売いたします。 東京国立近代美術館での前売券の販売はございません。 当日券の窓口購入は混雑が予想されるため、事前のチケット購入がおすすめです。 オンラインチケットや各種プレイガイドでのご購入方法は本展公式サイトをご確認ください。 東京国立近代美術館、NHK、NHKプロモーション、東京新聞 棟方志功記念館 DNP大日本印刷 石井頼子 富山展:富山県美術館 2023年3月18日(土)~5月21日(日)青森展:青森県立美術館 2023年7月29日(土)~9月24日(日)

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カルロ・ザウリ展:イタリア現代陶芸の巨匠

展覧会について 現代陶芸の偉大な改革者の一人として国際的にも高く評価され、日本にも大きな影響を与えてきたイタリアの巨匠、カルロ・ザウリ(1926-2002)の没後初めての回顧展をファエンツァ市との国際交流展として開催します。 ファエンツァは、フランス語で陶器を意味するファイアンスの語源となった陶都として、また、マジョリカ焼の産地として古くから知られています。ザウリはその地で生まれ、生涯同地を拠点に制作を行いました。1950年代初頭から精力的に発表活動を展開したザウリは、世界で最も規模の大きいファエンツァ市主催の国際陶芸コンペで三度もグランプリを受賞したのをはじめ、国境を越えて活躍し、その存在を揺るぎないものとしていきました。  本展は、あまり知られていなかった1950年代の初期のマジョリカ作品から、“ザウリの白”と呼ばれる60~70年代の代表的な作品、さらには、80年代に制作した釉薬を用いない黒粘土による挑戦的な作品を中心に、タイルやデザインの仕事まで、ザウリの非凡な才能を知る多彩な作品を通して、1951年から約40年間の芸術活動の軌跡を辿ります。 展覧会構成 I: 1951-1956 初期の作品はザウリの出身地、ファエンツァの陶芸と深い関わりを持っています。ファエンツァ伝統のマジョリカ焼の技法を用いた壺、皿、鉢などは、さまざまな色彩を纏っていますが、そのフォルムからは彫刻的な形体の追求を見ることができます。 II: 1957-1961 1950年代後半、ザウリは、当時のイタリアではほとんど手掛けられていなかった新しい技法、ストーンウエア(高温焼成)を始めます。さらには「壺」の口を閉じた作品の制作も始まります。また、口を閉じなくとも、自己表現のひとつの形体として「壺」をとらえ、新たな可能性を模索していきます。 III: 1962-1967 この時期のザウリの作品は、ロクロを巧みに用いて生み出されました。そしてザウリは「壺の彫刻家」と呼ばれようになります。ザウリは釉薬の研究とともに、ストーンウエアでの制作も続け、やがてそれは、マジョリカ焼を凌ぐほどの技法として確立されていきます。さらには、1,200度の高温焼成による独自の釉薬、「ザウリの白」をつくり上げ、彫刻的な形体の発展と新たな釉薬との融合を目指すようになっていきます。 IV: 1968-1980 ザウリの作陶の歴史の中で一番重要な時期として位置づけられます。1968年ごろからザウリの作品には、海の波や砂丘、あるいは女性の身体を連想させるような柔らかな表現が見られるようになります。そして、素材や自然のざわめきを感じさせるこの造形的な特徴は、ザウリの作風を代表するものとなります。また、この時期のザウリは、「ザウリの白」の他にも金やプラチナを施した作品を制作しています。 V: 1981-1991 1980年代の初めにザウリは、造形的な特徴はそのままに、これまでとはまったく異なった黒い粘土を用いた作品を発表します。それは「ザウリの白」とは対照的に、艶のない土そのものの質感を見せています。しかし、その後には再び釉薬を用いた作品の制作に戻り、以前にも増して大きな作品の制作を行いました。本展では高さ5メートルを超える作品も展示します。 VI: グラフィック、タイル ザウリはタイルのデザイナーとしても高く評価されていました。本展では、作品のエッセンスを抽出したようなグラフィック作品や初期から晩年に至るタイル作品を展示紹介します。日本ではこれまで観る機会のなかった作品群です。 作家紹介 ザウリと日本の関係  日本とカルロ・ザウリの関係は古く、1964年に東京と京都の国立近代美術館、久留米の石橋美術館、愛知県美術館を巡回した「現代国際陶芸展」で初めて作品が紹介されました。 その後、1970年に京都国立近代美術館で開催された「現代の陶芸-ヨーロッパと日本」を機にザウリの作品は日本の関係者に広く知られるところとなりました。1973年には新聞社が主催した公募展「第1回中日国際陶芸展」で最優秀賞を受賞しています。翌年以降、大阪や東京、名古屋、京都など日本の主要な都市で個展が開催されて、いくつもの公立美術館がイタリアを代表する作家の作品としてザウリの作品を収蔵し、日本で最も知られるイタリア現代陶芸の作家となっています。 略歴 1926年 8月19日、ファエンツァに生まれる1949年 ファエンツァ国立陶芸美術大学卒業1953年 「ファエンツァ国際陶芸展」グランプリ('58、'62にも同グランプリを受賞)1954年 「ミラノ・トリエンナーレ」に参加1960年 タイル専門工場「ラ・ファエンツァ」の創設者の一人となる1964年 「現代国際陶芸展」(東京、久留米、京都、名古屋)1968年 モノグラフ出版1986年 「第1回国際陶磁器展美濃’86」審査員(多治見)1996年 ファエンツァ市民会による「功労大賞」を受ける2002年 1月14日、ファエンツァで死去    カルロ・ザウリ美術館創設 イベント情報 講演会 『カルロ・ザウリの芸術』マッテオ・ザウリ(カルロ・ザウリ美術館長) 2008年6月22日(日) 14:00-15:00 講堂(地下1階) *当日先着順150名 『カルロ・ザウリとその時代』平井智一(陶芸家、ファエンツァ市在住) 2008年7月6日(日) 14:00-15:00 講堂(地下1階) *当日先着順150名 ギャラリー・トーク 平井智一(陶芸家、ファエンツァ市在住) 2008年6月21日(土)*当初のお知らせから開催日が変更となりました。ご注意ください。 15:00-16:00 会場(入館に展覧会チケットが必要、申込は不要) 唐澤昌宏(当館主任研究員) 2008年6月21日(土)*当初のお知らせから開催日が変更となりました。ご注意ください。 15:00-16:00 会場(入館に展覧会チケットが必要、申込は不要) カタログ情報 開催概要 東京国立近代美術館 企画展ギャラリー(1階)一部の作品は、3階にも展示します 2008年6月17日(火)~8月3日(日) 10:00-17:00 (金曜日は10:00-20:00)入館は閉館30分前まで 6月23日(月)、30日(月)、7月7日(月)、14日(月)、22日(火)、28日(月) 一般1000円(800円/700円)大学生500円(400円/300円)高校生および18歳未満、障害者の方とその付添者1名は無料 それぞれ入館の際、学生証、年齢の分かるもの、障害者手帳等をご提示ください。 いずれも消費税込。( )内は前売料金/20名以上の団体料金。 入館当日に限り、「建築がうまれるとき ペーター・メルクリと青木淳」展・所蔵作品展と、工芸館で開催中の展覧会(7月7日~16日は展示替のため休館)もご覧いただけます。 観覧券は全国チケットぴあ他、ファミリーマート、サンクスでも取り扱います(一部店舗を除く)。前売券は4月11日から6月16日まで! 東京国立近代美術館、京都国立近代美術館、ファエンツァ市、エミリア・ロマーニャ州、カルロ・ザウリ美術館、日本経済新聞社 イタリア文化省、イタリア外務省、イタリア議会下院、ラヴェンナ県、ラヴェンナ商工会議所、イタリア大使館、イタリア文化会館 フェラリーニ社、モカドーロ、GD アリタリア航空、オープン・ケア すでに、京都国立近代美術館(2007年10月2日~11月11日)岐阜県現代陶芸美術館(2008年4月19日~6月1日)で開催され、当館が3会場目。この後は山口県立萩美術館・浦上記念館(8月26日~10月26日)へ巡回します。

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ゴッホ展:孤高の画家の原風景 ファン・ゴッホ美術館 クレラー=ミュラー美術館所蔵

展覧会について ファン・ゴッホ美術館/クレラー=ミュラー美術館所蔵  フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)。オランダに生まれ、わずか十数年の活動で約2000点の作品を遺し、フランスで37歳の命を自ら絶った伝説の画家。燃え上がるような色彩と情熱的な画風は今もなお、私たちの心をとらえて離しません。  このたび、彼の祖国オランダのファン・ゴッホ美術館とクレラー=ミュラー美術館という、世界最高峰の二大ゴッホ・コレクションから出品される回顧展を開催いたします。  生涯たった一枚しか絵が売れなかったにもかかわらず、死後には作品がオークションで巨額で落札されるというエピソードや、伝説的に語られる人生もまた、彼を世界でもっとも著名な画家にしているといえます。パリ滞在中にジャポネズリー(日本趣味)に傾倒し、浮世絵をモチーフにした作品を制作した事実もあいまって、日本人に非常に人気のある画家の一人でもあります。  本展は、これまで日本で開催されてきたゴッホ展とは一線を画します。その作品を大きな歴史の流れのなかでとらえ、ファン・ゴッホの代表作など約30点と、ミレー、セザンヌ、モネ、ゴーギャンなど関連作家の作品約30点、そして浮世絵や同時代の資料多数を同時に紹介。オランダ、パリ、アルル、サン=レミ、オーヴェール=シュル=オワーズなど、北から南、そしてまた北へと移り住みながら精力的に生み出していった作品群を、ほぼ時代順に、かつテーマごとに展示し、単にファン・ゴッホの生涯を追うのではなく、一人の画家の出現の理由をあきらかにします。誰もが知っているファン・ゴッホを再確認しながら、新たな画家像が浮かびあがってくるのです。  ファン・ゴッホを生涯支え続けた弟テオのコレクションを引き継いで世界最多のゴッホ作品を所蔵するファン・ゴッホ美術館。一方、20世紀初頭と早い時期からゴッホ作品の収集を続けた、貿易会社社長夫人ヘレーネ・クレラー=ミュラーによる、これまた世界最大規模のゴッホ・コレクションを有するクレラー=ミュラー美術館。オランダが世界に誇る豊潤な二大コレクションから作品を選ぶことで、今回のコンセプトによる回顧展が初めて可能になりました。〈芸術家としての自画像〉〈黄色い家〉〈夜のカフェテラス〉〈糸杉と星の見える道〉など、両美術館所蔵の代表作を含む作品構成は、日本のみならず世界のゴッホ回顧展の中でも特色があり、また際立ったレベルにあるといえましょう。  珠玉の作品群からファン・ゴッホの創造の源、魂の叫び、「孤高の画家」と呼ばれる彼の本当の姿を見てとれるエキサイティングな内容にどうぞご期待ください。 ここが見どころ 天才画家と言われてきた、フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)。彼の芸術は世界中の人々を惹きつけ、多くの展覧会が各地で開催されてきました。ですが、存在が神話化されるにつれて、ファン・ゴッホが身を置いていた原風景にたどりつく機会は逆に失われてしまったのではないでしょうか。 本展は、単なる回顧展でもなければ、ある特定の時代や主題に絞ったテーマ展でもありません。〈夜のカフェテラス〉など美術史上の傑作を含むファン・ゴッホの油彩30点に、ミレー、セザンヌ、モネ、ゴーギャンなど関連する作家の油彩約30点、そして宗教的な版画や浮世絵など様々な同時代の資料多数をあわせて紹介することで、画家の実像にせまろうとするものです。 こうしたコンセプトによる意欲的な展覧会が、なぜここ日本で実現可能となったのか。それは本展が、ファン・ゴッホ美術館とクレラー=ミュラー美術館という、オランダが世界に誇るファン・ゴッホ作品の二大コレクションから、初期から晩年までの各時代の代表作を含みつつ作品を選ぶことができたからです。 展示は時代を追いつつテーマ毎に構成されます。宗教から芸術へと向かった画家が、印象派や浮世絵の体験からその絵画世界を変容させ、ユートピアを夢想し、その後、模写を通して宗教的なものへと立ち戻りつつ最後の風景を求めるようになるまで・・・歴史的な原風景を背景にして、新たな、けれど本当の画家の姿が、鮮やかに浮かびあがってくることでしょう。 第 1 章:宗教から芸術へ フィンセント・ファン・ゴッホは、1853年3月30日、オランダ南部のフロート・ズンデルトに生まれました。祖父も父も牧師という家に生まれたファン・ゴッホは、自らもまた牧師を目指しますが、その道はなかなか開けず、様々な試行錯誤の末、27歳にして芸術家になることを決意します。しかし、宗教への関心を失ったわけではありません。彼は、芸術=宗教といえるような作品を描こうとしたのです。1885年の〈開かれた聖書のある静物〉では黒い聖書のとなりに黄表紙の小説を描いているように、彼は、闇の中に光を探そうとする強い意志を持っていました。展覧会には、父親が所蔵していた聖書も出品されます。 開かれた聖書のある静物 聖書は、牧師であった父親が使っていたもの。この絵は、その父親が亡くなった約半年後に描かれました。衝突を繰りかえした父親の形見の横の黄色い本には「エミール・ゾラ」「生きる喜び」との書き込みがあります。当時ファン・ゴッホはゾラに代表されるフランス自然主義文学に心酔していたのです。聖書と新しく自由な芸術世界を象徴する小説との対照は、そのまま、父親とファン・ゴッホとの関係であるとも言えます。 第 2 章:農民の労働 芸術のメタファー 〈オランダ〉 ファン・ゴッホは芸術家を志したとき、「人民の挿絵画家」になると語っていました。そんな彼が最初に描こうとしたのは、実際に目にした、貧しくても強く生きる人々の姿でした。苦しい労働に黙々と耐えながら、何ものかを生み出してゆく農民に対する共感は、〈織工〉(1884年)の窓に十字架が描きこまれているように、彼の宗教観と結びついています。この時期のファン・ゴッホは、色彩を抑えた暗い調子で、匿名の人たちの生活の現実をまっすぐにとらえた作品を数多く生み出しました。 古靴 サボ(木靴)を描いたミレーの絵を賞賛していたファン・ゴッホは、パリ時代、靴の静物画を多く描きました(ちょうどその頃、パリで、ミレーの回顧展が開かれています)。 しかし、描かれたのがパリであるように、これらの靴は、単なる農民の生活の象徴ではありません。むしろ自らの歩みの同伴者として、自らの放浪の人生の象徴として描かれたのではないでしょうか。また、弟テオと自分とが一対であることを意味しているのかもしれません。 織工 3つの窓のある部屋 ベルギー南部の炭鉱地帯ボリナージュで伝道をしていた頃、ファン・ゴッホは、「僕は鉱夫や織工に大いなる共感を覚える。いつか彼らを描くことができたら嬉しい」と書いています。そして1883年末にニューネンに到着後、織工をテーマとした作品を数多く制作しました。織工はそれまでもオランダの絵画で描かれてきたテーマですが、ファン・ゴッホは、産業革命以降、機械化が進む中、過酷な条件のもとで働く彼らの姿を的確に捉えています。 第 3 章:闇から光へ 〈パリ〉 1886年3月ごろファン・ゴッホはパリを訪れます。そしてゴーギャン、シニャック、ベルナールなど、印象派に続く若い世代の画家たちに出会い、交流し、そして議論を戦わせました。彼は、自らを含めたこのグループを「プチ・ブールヴァール(裏通り)」の作家と呼び、その革新性を讃えます。そうして彼の描く絵は、明るくなっていきました。まさにそうしたころに描かれたのが〈芸術家としての自画像〉(1888年)で、意外にもこの作品は、自らを芸術家として描いた数少ない自画像のひとつなのです。また同時期、彼は自ら浮世絵を集め、自作と並べて展示したり、〈花魁〉(1887年)のような意欲的な作品を制作したりするなど、「日本」への関心を深めていきます。 花魁(渓斉英泉による) ファン・ゴッホの浮世絵への関心は高く、自ら買い集めて展覧会を開いてしまうほどでした。この作品は渓斉英泉の〈雲龍打掛の花魁〉を模写していますが、「日本」を特集した『パリ・イリュストレ』1886年5月号の表紙を元にしています。鮮やかな色彩はファン・ゴッホ独自のもので、また額を描きこむのも特徴的です。額の周囲には、ほかの浮世絵から鶴、蛙、蓮、竹が描きこまれていますが、蛙も鶴も、当時フランスでは、娼婦を意味するスラングでした。 芸術家としての自画像 自らを芸術家と認識できるように描いた数少ない自画像のひとつ。自画像としては特異なことに陰鬱な表情で描かれていますが、実際ファン・ゴッホは、ゴーギャンにあてた手紙で、「パリを離れるとき僕は本当に惨めで、体調も優れず、ほとんどアル中だった」と回想しています。とはいえ、この絵の構図がルーヴル美術館にあるレンブラントの自画像と結びつけられるように、このとき彼は、芸術的な高みに到達したいと願っていたのです。 レインスブルク近郊のチューリップ畑と風車 オランダを三度も訪れているモネが、風車とチューリップ畑という典型的なオランダの風景に魅了されていたことは、この絵が描かれた三度目の訪問時の作品に、チューリップ畑の主題が5枚もあることからわかります。その風景を描くときモネが用いたのが、粗い筆致と明るい色彩という印象派の手法でした。実はこの作品は、画商であった弟テオが扱った作品のひとつであり、ファン・ゴッホもおそらく目にしていたと考えられています。故郷の風景を描いた印象派の作品。パリに着いてからのファン・ゴッホの技法と色彩は、こうした作品を見知ったことを通して、より自由に、そしてずっと明るいものとなっていきました。 第 4 章:ユートピア 〈アルル〉 1888年ファン・ゴッホは「日本の浮世絵にあるような明るい光」を求めて南仏の町アルルに向かいます。ここでゴッホは芸術家の共同体をつくることを夢見て「黄色い家」を借り、精力的に制作に取り組みます。ですが、精神に異常をきたしたこともあり、ゴーギャンとの共同生活はわずか2か月で決定的な破局を迎えてしまいます。しかしアルルに滞在した15ヶ月の間に、彼は「ファン・ゴッホ」としての色彩を獲得し、〈夜のカフェテラス〉を頂点とする200点にものぼる作品群を生み出したのです。 黄色い家 1888年2月、ファン・ゴッホは、芸術家、とりわけゴーギャンとの共同生活を夢見てアルルにやってきました。南仏の自然は、「デルフトのファン・デル・メール[フェルメール]の絵のなかの、空色と黄色の組み合わせのように柔らかで魅力的だ」と言わせるほど、彼に強烈な印象を与えました。黄色い家は、そのアルルで、共同生活のために借りた家。フェルメールを想い起こさせた、青と黄色のコントラストが、この絵にはそのまま表現されています。ファン・ゴッホ曰く、「このモティーフは難物だよ!だからこそそいつを克服したいんだ」。 種まく人 農民の画家になろうと絵を描きはじめたファン・ゴッホにとって「種まく人」は、画業を通してずっと重要な主題でした。しかし、ミレーの模写ではなく、創意工夫をもって取り組んだのは、この作品が最初になります。「ミレーとレルミットの後に仕残されたこと、それは――大画面で色彩を駆使した種まく人なのだ」と語る彼は、パリで培った技法と独自の色彩論とを、この絵において綜合しました。そして、現実の風景に繋がりながらも、宗教的な強烈さを伝える〈種まく人〉が誕生したのです。 ミリエの肖像 アルルに駐屯していたアルジェリア歩兵連隊の少尉、ポール=ウジェーヌ・ミリエの軍服姿の肖像画。連隊の標章である星と三日月が、この絵に不思議な感じを与えています。ファン・ゴッホにとってミリエは、アルルでの数少ない友人のひとりで、素描を教えたりもしました。でもミリエは、「ファン・ゴッホのためにしばしばポーズしましたか」と訊かれて、「そうすべきだったんだろうけれど、あまり面白いものではなかったのですよ」と答えているのですが…。 第 5 章:模写/最後の風景 〈サン=レミ、オーヴェール=シュル=オワーズ〉 芸術家の共同体をつくる夢に敗れたファン・ゴッホは、精神状態を悪化させ、サン=レミの病院に入ります。そこで彼は、ドラクロワやミレーの白黒の版画を、色彩と形態とが融合する独自の表現に置き換える模写を行いました。しかし度重なる発作は、彼を容赦なく苦しめます。サン=レミ時代の最後に描かれた〈糸杉と星の見える道〉では、静けさでみたされた星空と、もはや燃え上がることのない糸杉が、不吉な雰囲気を伝えるでしょう。そしてファン・ゴッホは、南仏を離れ、再び北へと戻るのです。パリ近郊のオーヴェール=シュル=オワーズで、自然と宗教とが葛藤するかのような風景を描きながら、彼は自らの胸を撃ちました。享年37歳という短い人生でした。 糸杉と星の見える道 オーヴェールからゴーギャンに宛てた手紙の下書きのなかで、ファン・ゴッホはこの作品を、「あちら[サン=レミ]でやった最後の試みのひとつ」としています。彼はこの絵を描く少し前に発作に苦しめられて、オランダにいた頃のことを思い出し、馬車とカップルのある素描を描いていました。その意味でこの作品は、プロヴァンスと故郷の風景の融合ともいえます。そうした風景のなかで、巡礼者にも見えるカップル(彼の絵にしばしばあらわれるモチーフです)が、手前に小さめに描かれることで、死の象徴である糸杉が不穏なまでの存在感を強調しはじめるのです。 パンを焼く女 アルルで、モダン・アートに対して貢献したいと考えながらもゴーギャンとの共同生活の夢に敗れてしまったファン・ゴッホは、自分の願いは大それたものだったと反省し、サン=レミの精神療養院で、ミレーやドラクロワなど過去の巨匠の作品を、自分なりのやり方で模写しました。そうすることで、再び芸術への意志を呼び起こそうとしたのでしょう。彼がこの絵に言及したことはありませんが、効果的な光によって、質素な部屋の中に働く人物像を劇的に浮かび上がらせたこの作品は、40年代末から素朴な田舎の情景を集中して描いたミレー作品のなかでも、佳作と言えるでしょう。 犂と馬鍬 人物像が中心だったミレー作品の模写のなかで、この作品は唯一の風景画になります。しかも原画では収穫後の荒涼とした雰囲気を伝えていた風景が、より寂しい、雪の風景に変えられています。この頃、ファン・ゴッホは、「僕としてはとくに今は病気なので、何か自分の慰めになるものを、自分自身の楽しみのために描こうと心がけている」と書いています。農夫に無用だとうち捨てられた犂と馬鍬、侘しさを倍加させる黒い鳥、季節は一年の終わりである冬・・・、人生の終焉を思わせる絵を描くことが、むしろファン・ゴッホにとっては慰めとなったのでしょうか。 <夜のカフェテラス> 解説 南仏の夏の夜の心地よさが伝わってくるこの絵は、ファン・ゴッホが星空の夜をはじめて描いた作品です。夜、といっても、暗い雰囲気は全くありません。石畳は、星明かりだけでなく、カフェのテラスからもれてくるガス・ランプの灯りにも照らされて、ピンクや紫の色合いを帯びていますし、テーブルは円盤状に輝いてリズムをつくっています。画面右の緑の樹はアクセントとなり、また目を凝らすと、画面中心からこちらに向かって、馬車がやってくることに気づくでしょう(ひづめがカポカポいう音が聞こえてきそう!)。 ファン・ゴッホは、「これはただ美しい青と紫と緑だけによる、黒なしの夜の絵だ」と言っていますが、実はこの絵は、夜、外で描かれました。あまりないやり方なので、「彼は帽子のつばに蝋燭をつけて描いた」という伝説さえ生まれたほどですが、彼によれば、「これは色あせた、青白い、みすぼらしい光のある因習的な黒の夜から脱する唯一の方法」だったのです。 しかしながら、夜の店先の賑わいを描く絵自体は、それほど珍しくはありません。ファン・ゴッホとパリの美術教室で一緒だったアンクタンの1887年の作品に、〈クリシー通りの夜〉という夜の店先を描いた絵がありますし、ファン・ゴッホ自身が持っていた浮世絵コレクションのなかには、月夜に人がにぎわう通りを描いた広重の作品があるのです。奥行きの強調されているところなどに共通点が指摘されています。 この作品のモデルとなったカフェは,現在も同じ場所に残っている。ところでこの絵を描いた直前にファン・ゴッホは、カフェの店内を描いた〈夜のカフェ〉という作品を、これまた夜に、ただし店内で制作しています。しかしそれは、「カフェとは人がとかく身を持ち崩し、狂った人となり、罪を犯すようになりやすいところだということを表現しようと努めた」と言っているように、行き場のない人々を描いた暗い絵です。ひとつのカフェの内と外とを、まったく対照的な世界に描いた理由…それはよくわかりませんが、やがて星空が重要なモチーフになることを考えると、ファン・ゴッホにとって必要だったのは、やはり外の、星と樹のある世界であったと言えるのではないでしょうか。 ファン・ゴッホ美術館 1973年、オランダの首都アムステルダムに開館した美術館。弟テオが旧蔵していたファン・ゴッホ作品のコレクションのうち、約200点の油彩、500点余りのデッサン、スケッチブック、約700通もの書簡、そして多数の浮世絵は、1962年以来フィンセント・ファン・ゴッホ財団の所有となったが、それらは現在この美術館に永久に貸与されている。ヘリット・リートフェルトの設計による開放的な建築空間のなか、〈馬鈴薯を食べる人々〉〈黄色い家〉〈ひまわり〉〈烏の群れ飛ぶ麦畑〉など数々の代表作を含む全ての時代の作品を体系的に鑑賞できる。また、ゴーギャンなど同時代の画家やファン・ゴッホの友人の作品、ミレーなどファン・ゴッホが敬愛していた作品も収蔵。その一部は、実際に兄弟が収集したものである。なお1999年には日本人の建築家、黒川紀章の設計により新館が完成した。 クレラー=ミュラー美術館 富豪アントン・クレラーの夫人だったヘレーネ・クレラー=ミュラーが収集したコレクションを核にしたこの美術館は、ヴァン・デ・ヴェルデの設計により1938年、オッテルローにあるオランダ最大の国立公園内に開館した。スーラ、ピカソ、モンドリアン、ブランクーシなど近現代美術の名品を数多く所蔵しており、特に約300点(うち油彩は87点)を数えるファン・ゴッホのコレクションは有名。南仏アルルのはね橋を描いた〈ラングロアの橋〉、ミレーへの関心に基づく〈種まく人〉、サン=レミ時代の〈糸杉と星の見える道〉などの代表作とともに、画家の変遷をじっくりとたどることができる。また野外には25ヘクタールにもなる彫刻庭園があり、ロダン、ムーアから現代の作家に至るまでの彫刻作品を、豊かな自然のなかで鑑賞できる。 作家紹介 フィンセント・ファン・ゴッホは、オランダ生まれの芸術家です。セザンヌやゴーギャンなどと同じくポスト印象派(後期印象派)の画家と言われますが、その絵画は、筆触を見れば表現主義の創始者といわれるほど激しく個性的で、色彩や作品の主題を見れば、象徴主義的といわれるほど深遠かつ論理的です。いわばファン・ゴッホは、時代とともに生き、そして時代を先取りしてしまいました。 また、熱狂的過ぎて伝道をとめられてしまったり、娼婦と同棲したり、自らの耳を切ったり、その情熱的な人生はもはや伝説となっています。生涯で一つの作品〈赤い葡萄畑〉しか売れなかったというエピソードも良く知られているでしょう。 彼の作品が世界中の人々に愛されているのは、それらが慈愛に満ちているからだけではなく、彼の生涯を経済的、精神的に支えた弟テオとの手紙のやりとりがほとんど完全なかたちで残っているからでもあります。不遇の画家と有能な画商であった二人の間に交わされた膨大な書簡集は、ファン・ゴッホ作品や当時の美術の状況についての理解に役立つだけでなく、書簡文学の傑作とみなされてもいます。 そしてその書簡集の最後、フィンセントが亡くなった1890年7月29日に発見されたと、テオ自身が書き込みを入れている手紙は、次のように締めくくられています。 「ともあれ、僕は、僕自身の作品に対して人生を賭け、  そのために僕の理性は半ば壊れてしまった―それもよい―…」 フィンセント・ファン・ゴッホ略年表 3月30日オランダ南部のフロート・ズンデルトに牧師の父のもと生まれる。 5月1日フィンセントの弟テオドルス(通称テオ)誕生。 ゼーフェンベルヘンの寄宿学校に入る。 画商の伯父を通して、美術商グーピル商会のハーグ支店に見習いとして就職。 テオとの生涯にわたる文通が始まる。 グーピル商会のロンドン支店に転勤になる。下宿先の娘に恋する。 10月、失恋のため精神に変調をきたし、パリへ一時勤務となり数ヶ月滞在する。 グーピル商会のパリ本店へ正式に移る。 グーピル商会を辞職。4月、イギリスへ渡りラムズゲートの寄宿学校でフランス語とドイツ語を教える。その後ロンドン郊外の日曜学校で補助説教師をつとめる。 1月から4月、ドルドレヒトの書店で働く。5月、アムステルダムに赴き、神学を学ぶため大学入学を志す。 進学を断念。伝道師になるための教育を受けるべく、ブリュッセル郊外のラーケンへ赴く。12月、ベルギー南部の炭鉱地帯ボリナージュで伝道活動を始める。 熱心すぎるあまり、伝道師の資格はあたえられなかった。 夏、画家になることを決意し、テオの経済的援助のもと、素描をはじめる。ミレー、ドービニー、ルソーを模写する。10月、ブリュッセルに出て、若いオランダ人画家アントン・ファン・ラッパルトと出会う。 4月、ブラバント地方のエッテンにもどり、地元の農民の素描を制作。8月、ハーグを訪れ、当地の画家たちおよび特に従兄のアントン・モーヴと交流する。12月、ハーグに落ちつき、主にモーヴの指導のもと制作をする。 身重の娼婦シーンと知り合い、彼女とその家族をモデルにして制作。 9月、シーンと別れハーグを去る。ハーグの画家たちになじみ深い北部のドレンテへ移り、真剣に油彩画にとり組む。12月、家族の移転地ニューネンを訪れる。 隣家に住むマルホ・ベーヘマンと恋愛関係になるが、両家の反対にあい、彼女は服毒自殺を図る。 地元の農民や職工を描いた作品のなかで頂点をなす〈馬鈴薯を食べる人々〉制作。11月、アントワープへ移る。この後、ファン・ゴッホがオランダの地を踏むことはない。 3月頃、パリを訪れ、テオとともに暮らす。フェルナン・コルモンのアトリエに入る。ジョン・ラッセル、トゥールーズ=ロートレック、ベルナール、シニャック、ゴーギャンらに出会う。 自ら収集していた浮世絵の展覧会を開く。 2月20日アルルに到着。5月、黄色い家を借りる。ゴーギャンが10月から12月にかけて滞在する。しかし、ゴーギャンとの確執の末、左耳下部を切り取り、アルルの病院に収容される。 3月、テオが結婚する。5月、サン=レミの療養院に入院。野外での制作も許され、オリーブ畑、糸杉、麦畑などを主題とした作品を制作する。そのほか、ミレーやドラクロワの模写などを制作。 1月、テオに息子誕生、生まれた息子にフィンセントの名前をつける。また、アルベール・オーリエが、『メルキュール・ド・フランス』誌にゴッホの作品について記事をのせる。ベルギーの「レ・ヴァン」展に出品し、アンナ・ボックが〈赤い葡萄畑〉を買いとる。5月、オーヴェール=シュル=オワーズに移る途中、パリのテオを訪ね、妻とその子フィンセントに会う。その後、ピサロの薦めで精神科医ガシェの世話になるが、7月27日、胸部をみずからピストルで撃つ。29日テオに見守られながら息を引きとる。9月、テオの健康状態が悪化、10月には心身ともに衰弱する。 1月25日テオ、ユトレヒトの病院で死亡。 イベント情報 講演会 いずれも聴講無料 先着150名(4月2日は当日10:00より整理券を配布します) 「ファン・ゴッホの色彩論(仮題)」 3月24日(木)18:00~19:30 シラール・ファン・ヒューフテン(ファン・ゴッホ美術館チーフ・キュレーター)※通訳付 「ファン・ゴッホをめぐる『物語』の系譜」 4月2日(土)14:00~15:00 國府寺司(大阪大学教授・本展企画者) ゴッホ展教職員研修会「『ゴッホ展―孤高の画家の原風景』のみどころ」 東京国立近代美術館では、小・中・高校の先生方に美術館と美術作品に親しんでいただき、それを通じて児童生徒への鑑賞教育を充実していただくために、「教員のための鑑賞プログラム」を実施いたします。 第1回目は、図画工作や美術の授業でとりあげられる機会の多いフィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)です。「ゴッホ展」の趣旨や作品について、企画・立案にあたった学芸員が説明したあと、自由に展覧会をご覧いただきます。 3月31日(木)(申込終了)4月15日(金)(申込終了) 両日とも開館時間は10:00~20:00(入場は19:30まで)。 小・中・高校の教員および職員 各回150名(事前申込制、先着順) 講堂(地下1階) 保坂健二朗(当館研究員) 東京国立近代美術館、NHK、NHKプロモーション、東京新聞 無料 ※当日のみ、「ゴッホ展」、所蔵作品展を無料でご観覧いただけます。展覧会チケットのお渡し方法につきましては、参加証でご案内いたします。 ファックス:申込用紙にご記入のうえ、お申込みください。メール:申込用紙の項目を明記し、お申し込みください。おりかえし参加証をお送りいたします。※1通のお申込みにつき1名のみ。当日は必ず参加証をお持ちください。 東京国立近代美術館 教育普及係FAX 03-3214-2576Eメール school@momat.go.jpTEL 03-3214-2605 カタログ情報 開催概要 東京国立近代美術館 2005年3月23日(水)~5月22日(日)会期中無休:4月11日(月)除く 4/29~5/8: 午前10時~午後8時5/9以降の木・金・土・日: 午前10時~午後8時5/9以降の月・火・水: 午前10時~午後5時 入館は閉館時間の30分前まで 一 般: 1,500円(1,100円)大学生: 1,000円( 700円)高校生:  600円( 300円) 中学生以下は無料 ( )内は20名以上の団体料金 前売券は3月22日で終了しました。 ハローダイヤル 03-5777-8600http://www.momat.go.jp 東京国立近代美術館、NHK、NHKプロモーション、東京新聞 外務省、文化庁、オランダ大使館 昭和シェル石油、スズキ、損保ジャパン、大日本印刷、トヨタ自動車 日本航空、日本通運 財団法人 2005年日本国際博覧会協会 国立国際美術館2005年5月31日(火)~ 7月18日(月・祝) 愛知県美術館2005年7月26日(火)~ 9月25日(日)

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旅:「ここではないどこか」を生きるための10のレッスン

国内外の現代作家10人(組)による、「旅」をテーマとするグループ展。ポスト・コロニアリズムの議論が高まる中、単なるエキゾティシズムに陥ることなく、旅の途上で他者と出会うことの可能性を示そうと試みた。ジャンルは絵画、写真、映像、インスタレーションと多岐にわたり、出品作家の国籍も多様なものとなった。パスポートサイズのカタログ、搭乗券型のチケットなど、印刷物にもテーマを踏まえた工夫を凝らした。 開催概要 東京国立近代美術館本館企画展示室 2003年10月28日‒12月21日(48日間) 18,624人(1日平均388人) 13.0×9.6cm 185p. 旅:「ここではないどこか」を生きるために / 蔵屋美香 [arts in sight] Themed show puts viewers on right path / Edan Corkill, International Herald Tribune /The Asahi Shimbun, November 21, 2003 [Art] Embark on a journey of a different kind / Robert Reed, The Daily Yomiuri, December 11, 2003 42点 大岩オスカール幸男 雄川愛 小野博 瀧口修造 安井仲治 渡辺剛 ビル・ヴィオラ ジョゼフ・コーネル ペーター・フィシュリ&ダヴィッド・ヴァイス エリック・ファン・リースハウト / 10人(組) エリック・ファン・リースハウト 読書と旅について / 堀江敏幸 雄川愛+蔵屋美香 パフォーマンス「最後の旅」+講演会「旅…最後のリバティ・パスポート」 / 松澤宥 巖谷國士 大岩オスカール幸男 蔵屋美香 渡辺剛+蔵屋美香

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