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ご来館されるみなさまへのお願い
東京国立近代美術館では日本博物館協会「博物館における新型コロナウイルス感染拡大予防ガイドライン」に基づき、感染拡大予防の取組みを行っております。 以下のお客様はご来館をお控えください。37.5度以上の発熱がある方。平熱と比べて高い発熱のある方。咳、のどの痛み、くしゃみ、鼻水などの風邪の症状がある方。体調がすぐれない方。過去14日以内に発熱や風邪の症状等で受診や服薬等をした方。新型コロナウイルス感染者との濃厚接触者に該当される方。入館にあたって非接触型体温計による検温を実施しております。感染症予防のため、37.5度以上のお客様、平熱と比べて高い発熱のある方お客様は入館をお断りしますのでご了承ください。大人数でのご来館はお避けください。ご来館が集中した場合は、お待ちいただく可能性がございます。こまめな手洗い、手の消毒にご協力ください。他のお客様と十分な間隔を保ってご観覧ください。壁、展示ケース、作品にはお手を触れないでください。マスクの着用は、お客様の判断に委ねております。美術館内で体調が悪くなられた場合は、お近くのスタッフまでお申し出ください。 当館における感染症対策 入口にアルコール消毒液を設置しております。スタッフは必要に応じてマスクを着用して対応させていただきます。手すりやエレベーターのボタンなど多くの人が手を触れる場所についてはこまめに消毒および清掃を行っております。会場内の適切な換気を行っております。定期的にスタッフの検温と手洗いを行っております。
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特別インタビュー 永井一正
小特集「純粋美術と宣伝美術」では1950年代に制作されたポスターを取り上げています。それに関連して、その当時まさに駆け出しのグラフィックデザイナーだった永井一正さんに展示の企画者がお話をうかがいました。どんな時代だったのでしょうか、そして今回の小特集のテーマになっているデザインと美術の関係性をどのように見ていたのでしょうか。その模様を一部こちらでご紹介します。 ※全編は東京国立近代美術館研究紀要第26号に掲載しています。 話し手:永井一正 (グラフィックデザイナー/日本デザインセンター最高顧問)聞き手:野見山桜 (東京国立近代美術館客員研究員)[2021年7月19日(日本デザインセンターにて)] 戦後、そして大学進学 野見山:永井さんは、戦後、1950年代からグラフィックデザイナーとして活動されていますが、東京芸術大学では彫刻を学ばれています。幼少期から大学進学あたりまでのお話をおうかがいできればと思います。 永井:戦時中の話からになりますけれど、勉強部屋から空襲警報が鳴って飛び出した直後に、そこに直撃弾が落ちて、だから2、3分遅かったら今頃こうしていないというか、死んでいたんです。そこからもちろん家は全焼して、母と姉とで命からがら逃げて、焼死体はゴロゴロ転がってという感じだったんですよ。本当に飢餓に苦しんだというか、だから栄養失調みたいなものもあったと思うんですけど。姫路が両親の故郷だったものですから、姫路にちょっと移って、旧姓の中学、だから5年生なんですけど、卒業したときに、父が勤め先のダイワボウ(大和紡績)から満州繊維公社の理事ということで、満州に行っていたんですよ。今の中国で、そのころは満州国というのがあって。それから終戦後は完全に音信不通になってしまって、噂ではシベリアにソ連軍が占拠してましたからね、連れていかれたのではということで。 自分は長男ですし、姉はいたんですけれども、何とかしないといけないと思って、北海道の山奥を開拓すれば自分の土地になると聞いて。僕は体がものすごく弱かったんですけれどね、無謀にも、もう10日間くらい満員電車、窓から乗らないと乗れないような超満員の列車なんですけど、そこでゴタゴタしてて。今は地下トンネルがありますけど、青函連絡船に乗って北海道へ渡って、室蘭に着いて。室蘭鉄道っていうのに、父の知人が鉄道会社にいたものですから、それを頼って行ったんです。そこでちょっと過ごして、そこで知り合った人と釧路からだいぶ離れた音別っていう駅があるんですけど、そこからさらに、なん十キロか、馬で半日以上かかるようなところの山奥に入って、丸太小屋で生活しました。 そして、馬で開墾するんですけど、親方ともう1人の、一緒に行った兄貴分のような人は大丈夫なんですけど、僕は馬鹿にされて、馬に蹴られたりとか散々な目にあって。ある日、道に迷って、真夜中に月も出てもない真っ暗で、獣の咆哮を受けて。一晩中彷徨って命がないかと思ったんですけど、ようやく人家にたどり着いて。そのことを横尾忠則さんなんかは、永井一正のデザインの原点はそこにあるっていうようなことを文章に書いてくれたりしてたんですけど。そうするうちに父が戻ったっていうから帰って来いっていうことで、半年くらいかな、そこにいたんですけれど。また戻って新制の、今の高校の3年生に編入学して、そこから芸大に行ったんですよね。 芸大っていうのは東京美術学校だったんですけど、僕は東京芸術大学に改称後の一期生なんです。彫刻科に、塑像なんですけれども入りまして、2年生の時に眼底出血といって、網膜から出血をして、その時は、ばっと黒い渦がまいているという感じで、左目なんですけど見えなくなってしまったんですよね。それで、もちろん慶應大学かなんかの眼科に行って色々として、徐々に徐々に薄くはなってくるんですけれども、それが2回続けてなって。塑像というのはご存じのように、粘土をこねたりとかするのに割と体力がいるので。必ずしも眼底出血は目の病気だけではなくて、恐らく戦時中の栄養失調とか、結核性もあったかもわからないんですけども、そういうもので重なって体からきているので、塑像みたいに体力を使うものをやると完全に失明するって脅かされたんですよね。それで、止む無く、まだ退学はしないで休学して、大阪が郷里だったものですから戻ってしばらく休んでいたんです。 紡績会社というのが、戦後に活発化したんですよね。物のない時代ですから、糸を作ったり、布を作ったりすれば、それは問屋さんに売れていったんですよね。ところがだんだんと50年代に入ってくると、まぁ45年に終戦になってますから、5年位経つと、世の中が多少は落ち着いてね。ダイワボウがワイシャツとか帆布とかを作り出してね。例えばワイシャツを作るとパッケージもいるし、宣伝のパンフレットとかそういうのもいるし、営業報告書みたいなものもいるしっていうようなことで、永井の息子が芸大にいて、ぶらぶらしているらしいから、やらしたらどうかって。当時暢気なものでその芸大に行っていれば、何だって、デザインだってできるっているふうに思われていたんですね。でもまぁ興味がないこともないので、とにかく行って自分一人ではできないからアシスタントを誰かつけて部屋を作ってくれって言って。工芸学校出の女性なんですけども。 彫刻家ではなくグラフィックデザイナーに 野見山:北海道から戻られて、美術家になろう、あるいは彫刻家になろうと思ったきっかけはいかがでしょう。絵の先生のもとでお勉強されていたというのは、以前資料で読んだことがあります。 永井:ひとつは姫路にいたものですから、姫路城。白鷺城って言われる非常にきれいな、用と美を兼ね備えたお城ですから、その圧倒的な立体性と堅牢さっていうのか、敵に攻められないような構造とかね、そういうものにすごく惹かれて。だから建築か、なにか立体みたいなものに行きたいということと、友達に誘われて美術部に入って尾田龍っていう国画会の会員で、当時割と有名な人だったんですけど、その方が顧問で、母校の姫路西高校にいらしていて、そこの美術部で教わって興味を持ったっていうことで芸大を受けて。まぁ、競争率も高かったんですけど、一回で通って。 野見山:立体に関心があって、建築と彫刻を天秤にかけられたんですね。勉強としては全く違うものだと思うんですけど。 永井:やっぱりね、数字に弱いんですよね。数学が苦手だから。やっぱり建築って数学的なものがいるじゃないですか。彫刻はそんなのいらないから。 野見山:相当デッサンなされて、受験に挑まれたんですね。 永井:うん、試験はブルータスかなんかの石膏デッサンだったりしたんで。受けるときは東京に先に半年くらい前に出て、御茶ノ水の美術の予備校に通って、デッサンを習ってということがありましたけども。 野見山:そして、大学に入られて、眼底出血されて中退されるわけですが、当時、彫刻家の石井鶴三さんが先生だったんですよね。図案科に転科されたいと永井さんが申し出た時に強く止められたそうですね。現代だと個人の自由として教授が止めるということもないと思うのですが、やはり当時は彫刻から図案への転向は珍しかったのでしょうか。 永井:極めて珍しいと思います。杉浦康平[1]が建築を出て、グラフィックをやりましたけども、ほかにはあまり聞いたことがない。でも僕の場合は完全に偶然なんですよね。そんなこと夢にも思わないのに、ダイワボウから永井の息子がって、声がかかって、で行って、ぶらぶらしてても彫刻に戻れないならどうして食べていけばいいか分からないしっていうようなことで、じゃあやってみるってやったんですよね。それが不思議にデザインに向いていたというか。とにかくこんな面白いことやって給料もらえるのが嘘みたいって思ったぐらいで、やっぱりデザインがわりと面白かったんですね。 それと、プレスアルト[ⅰ]っていう雑誌があったんですけど、そこにすぐに作品が載って、田中一光[2]が産経新聞社にいて産経会館の何かをやってチラシとかやって、それも載ってお互いに面白い作品作っているなって。お互いに知り合うより前に作品で知り合って、プレスアルトをやっていた脇清吉さんって人に頼んで2人が初めて会ったんですよね。それで意気投合して、そこにキムラカメラっていって不思議なモンタージュを作る木村恒久[3]と、後にハーバード大学の教授になる片山利弘[4]、いずれも個性的な人なんだけど、その4人が意気投合してAクラブというのを作って。僕の下宿っていうのは四畳半にも満たないぐらいなんですけど、そこで4人が川の字に、川の字でもない、4人だから。とにかく議論で疲れて、そこでごろ寝をして、っていうのをやって。ほとんど会わない日はないぐらいで。そして作品を作れば、お互いにぼろくそ言い合うみたいなことをやったりとか。とにかくAクラブという組織を作ったので、大阪の早川良雄[5]さんとか山城隆一[6]さんとか、あるいは東京から山名文夫[7]さん、河野鷹思[8]さん、亀倉雄策[9]さんとかが大阪にいらしたときにはAクラブで話を聞くとか、そういうようなことで色々吸収していった。 50年代のポスターについて 「世界のポスター展」展示風景、左側の上から2段目に写る3枚連ねて展示されているポスターが伊藤憲治による《リファインテックス》。 野見山:50年代って仕立てる服から、先ほどおっしゃっていたようなワイシャツのような既製服へと移行し始めて、新しい販促物が必要になってきた頃ですよね。広告の重要性も高くなっていたのかと思います。今回の展示でやろうと思っているのは美術とデザインの狭間の話なのですが、50年代のポスターを見ていくと、布に関連する広告が結構多いなという印象でした。少し資料を見ながらそのあたりの話もうかがえればと思います。 国立近代美術館は、1952年に開館しました。そして、もしかしたら永井さんも行かれたかもしれませんが、1953年に「世界のポスター展」という展覧会を開催しています。これは国立の美術館で開催した初めてのデザイン展で、グラフィックデザインが一番最初だったというのが面白い点なんです。当館で当時展示されたポスターが保管されていたのをここ数年で調査、修復してきました。今回は、その一部なのですが、お披露目するということで、どんなテーマができるのかなぁと考えていたんです。例えば、この《リファインテックス》とかは、まさにお洋服の生地を宣伝するものだと思うのですけど、これは仕立て用の布のためのものですよね。あとは早川さんの《カロン洋裁》もありますね。やっぱりお洋服を作るとか、ファッションに対する関心が高まっていたのだとポスターから読み取れます。 永井:我々は、早川さんのこれらのポスターにはすごく魅せられたといいますか、感銘を受けたんですよね。直接、僕のデザインは早川さんから影響を受けたわけではないですけど、田中一光なんかは惚れ込んで近鉄の駅に貼ってある早川さんのポスターを夜中に盗んだとかいうような逸話があるんですけども。 野見山:当時は、繊維業界は活発で、お金も潤沢にあったんですね。そして結構、関西のデザイナーさんが多いですね。 永井:関西の方は割と自由だったんですよね。感性的でね。東京の方は亀倉さんに代表されるように非常にバウハウス的な論理的な、構築的なものだったんですよね。だけど関西はもうちょっと早川さんに代表されるように、すごい自由だったということでね。 ビジュアルコミュニケーションという言葉 日本のグラフィックデザイン運動を考えてみても、その図案的概念から、つまり絵画に対するコンプレックスからときはなされ、絵画と比肩しうるようになったのは、絵画への接近のためではなく、逆に絵画から離れていったためである。したがって、その運動は、デザインの独自性の確立だったといえる。そして、ビジュアルコミュニケーションという言葉と概念の導入は、私達グラフィックデザイナーにコミュニケーターという社会的役割をふりあてて、その立場を再認識させた。(永井一正「コミュニケーション・デザイン=グラフィック・デザイナーの役割」、林進編『現代デザインを考える』美術出版社、1968年) 野見山:私が関心を抱いている点ですが、1950年台の初めは割と美術の動向に近い動きをしていた宣伝美術家が多くいたと思います。1960年代に入ると、世界デザイン会議[ⅱ]がきっかけになったと思うのですが、社会的な立場やデザイナーの責任が問われるようになり、日宣美[ⅲ]でもそのようなことが問われるようになりと。そのなかで、ビジュアルコミュニケーションという言葉がデザイナーの役割を価値づけるというか、位置付けるのに重要だったというのがこの文章から凄く分かったんですが、やっぱり意識的にビジュアルコミュニケーションという言葉を取り入れるようになって、自分の作るものに変化はあったんですか? 永井:それはありますね。それと、やっぱり完全にデザインというのは時代に敏感なもので、やっぱりアーティストなんかも時代っていうのはあるけれども、自分が美的世界を作ればね、どんな人間でも現代に生きている限りはそんなに時代を意識していなくても、時代と共に変化をしていきますよね。デザイナーというのは、あえて時代性というのを敏感に感じとらなければいけない職業ですから、やっぱりアーティストとその辺は違うと思うんですよね。 永井 一正《アサヒスタイニー》1965年 野見山:永井さんがデザインされたポスター《アサヒスタイニー》を例に取ると、グラフィック的に力強いものもありますが、商品をちゃんと見せなければならない、売らなければならないという意識も画面から見ることができます。ほかにも後楽園のプールの広告とかも、これも永井さんがされているんだなぁと。永井さんのされていた造形的な特徴とはまた別で、意識的に使い分けていたところはあったんですか。 永井:やっぱり日本デザインセンターというのは、元来は広告を主にやっている会社ですから、そこに入るとどうしても広告を作らなければなりません。アサヒビールなんかはそうですし、ニコンは割と僕の造形的なものでやってはいたんですけれども。やっぱり依頼はそういうビジュアルコミュニケーションを、広告的な要素が加味されたものを要求されるわけですから、それに答えるということがありますよね。だから、アーティストとの決定的な違いはクライアントがあるということですよね。クライアントなしにやっている作家もいるし、僕自身も「LIFE」でね、そんなにクライアントを特定しないで、まぁクライアントも入ってますけれども、全く自由にやっていることはあります。 原則としてはクライアントがあって、それが公共体であれ、消費者であれ、会社であれ、なんにしろ、とにかくそこのものをどのようにして広めていくか、もっと端的にいえば売るかということが求められますから、そこはファインアートと全然違いますよね。 いずれも永井一正《Life》1995年、当館所蔵 野見山:同じ世代くらいの、田中さんは西武のお仕事を長くされて、その仕事を数え出したらキリがないですけど、文化的なものが多かったですね。シアターのものだったりデパートのものもあったり。一方で田中さんの作品で知られているのは日本舞踊のポスターだったりします。そのあたりは皆さんのスタンスはどうだったのでしょうか。 永井:やっぱり作品を作りたいというか。まあ、デザイナーは本来無名でいいんですよね。だけども自分の名前でというよりも、自分が確信した造形の作品を作りたいという、それで自分の個性が一番出るのはポスターなんですよね。だからポスターを作りたいという欲はすごくあるんですよね。だから今もJAGDA[Ⅳ]とかADC[ⅴ]とかも、こういう時代でも、ポスターなんていうのは斜陽だと言われてから久しいですけれども、やっぱり一番ポスターが多いんですよね。 野見山:絵画ではなく、複製という美術のかたちであることに意味はあるんですか? 永井:やっぱり版画もそうですけれど、数から言えばもっと刷られるということがあるし。多くの人に見られるということがありますよね。それで、横尾忠則[10]みたいにアーティストになって、サイトウマコト[11]も最近アーティストになったんですけど。そういう人もなかにはいるけれども、僕はやっぱりアート的なんだけどデザインとしてのギリギリの節度は守りたいと。ポスターの中にどれだけ自由に、今までの既成概念を壊してできるかっていうことに挑戦してきたと思うんですけどね。 永井さんが関心を持つ美術 野見山:今この席から見えるのですが、色々と部屋の棚に作品を展示してありますね。例えばあれは倉俣史朗[12]さんのアクリルの作品ですか?コレクションしている美術作家はいますか? 永井:いやぁ、そんなない。三木富雄[13]さんの作品はあるし、高松次郎[14]の作品とか色々ありますけれども、特別にコレクションしてるわけじゃない。 野見山:何かしら購入されたり、手に入れるときに何か惹かれるものがあったと思うのですが、例えば三木富雄さんの作品にあるように耳への執着とか。高松さんも倉俣さんと交流があったりしていましたが。 永井:うちにあるのは、こうフックがあって、それに影がこうあるやつ。 野見山:あぁ影があるやつですね、有名なシリーズですね。 永井:彼も色々面白いものを作ったんだけど、やっぱり影が一番すごいですよね。 野見山:どういうところがお好きなんですか? 永井:影であれだけ色々できたっていうのは。 野見山:お持ちになっている作品は表現であったり、造形の面白さだったりで、何か永井さんがご関心を持っている人の作品っていうことですね。 永井:そうですね。 野見山:最近でなくてもいのですが、作家さんや展示で、ずっとこの人の作品は好きだなぁとか作品集をお持ちの作家さんで思いつく人はいますか? 永井:色々あると思うけど、やっぱり親しいから横尾くんの作品とか。サイトウマコトも毎回呼ばれて、迎えに来てくれて連れて行かれるから。でも興味あるのは、もう亡くなっちゃったけど河原温[15]の初期の浴室の。それから文字だけの、あれはもうすごい長いですからね。 野見山:ちょうど今回のインタビューのきっかけである小特集「純粋美術と宣伝美術」の展示にも河原温さんの作品が出ます。まさに浴室の《孕んだ女性》ですね。ちょうどこの時代が早川さんとか山城さんがデモクラートに所属しているときに、河原さんもいらっしゃったんですよ。同じ頃に活動していたんですね。 永井:この浴室シリーズは傑作だと思いますね。 野見山:この辺のシュルレアリスムの作品も出ますし。あとは、山口正城[16]さんってご存知ですか?当館では2点持っているのですが、本邦初公開します。早川さんや山城さんも山口さんから学んでいたし、もしかしたら永井さんのアシスタントにつかれていた工芸学校の卒業生の方も学んだかもしれません。 永井:バウハウスの教育理論をものすごく勉強された方だよね。 野見山:そうです。でも理論とは見事に異なる、もっと感覚的な人たちが生まれていますが。(山口さんの作品と早川さんの作品を比較しながら)こういう作品を見ると、類似点も指摘できるとは思うんですけども。今日話をしていて思ったのは、永井さんの上の世代人たちは、少し違う視点で美術との関係性を持っていたんじゃないかということですね。永井さんの世代になると、すんなりと彫刻からデザインへ転向することができたわけで、デザインに対する印象、それを取り巻く社会の状況や教育の在り方も違っていたように感じます。それではそろそろ時間が来ましたので、終わりたいと思います。ありがとうございました。(了) 註 <人物名> 杉浦康平(1932-):グラフィックデザイナー。実験的な装丁、造本とタイポグラフィーで知られる。曼荼羅などアジアの図像や文字の研究にも取り組む。田中一光(1930–2002):グラフィックデザイナー。日本の伝統美と幾何学構成を融合させたグラフィック表現で知られ、≪NIHON BUYO≫(1981)は、その代表的な例。木村恒久(1928–2008): グラフィックデザイナー。写真集『キムラカメラ』(パルコ出版、1979)では、精巧なフォト・モンタージュを用いて、奇抜で異様な世界の図像を創作した。片山利弘(1928–2013):グラフィックデザイナー。四角や三角といった基本的な造形要素を、規則性を持たせて変形したり、配置したりすることで生まれる幾何学的な作品を多く生み出した。早川良雄(1917–2009):グラフィックデザイナー。独特の緩いタッチで描かれた絵と文字を大胆に構成したポスターで知られる。山城隆一(1920–1997):グラフィックデザイナー。1955年に制作された《森・林》では、当時新しい技術であった写真植字(写植)が用いられた。山名文夫(1897–1980):グラフィックデザイナー。花椿マークを筆頭に、アール・デコ様式を基調にした資生堂のスタイルを確立させたことで知られる。河野鷹思(1906–1999):グラフィックデザイナー。映画広告から本格的なキャリアをスタートし、大衆の心を掴むユーモアあふれるグラフィック表現を生み出した。亀倉雄策(1915–1997):グラフィックデザイナー。構成主義的なアプローチを軸に、力強く明快なデザインを数多く生み出した。戦後のグラフィックデザイン界で中心的な役割を担った。横尾忠則(1936–):画家。グラフィック・デザイナー、イラストレーターとして活動を開始し、ポップ・アート的な感覚を取り入れた独自の表現を開拓した。1980年に絵画制作に専念すると宣言した。サイトウマコト(1952–):画家。シンプルながら大胆かつ力強い画面作りを得意とした。デザイン活動の傍ら絵画制作を進め、2008年、画家として初めて作品を発表した。倉俣史朗(1934–1991):プロダクトデザイナー。コンセプチュアルな側面を持つ家具や照明をデザインした。新しい素材に強い関心を示し、なかでも透明のアクリルを用いた作品で知られる。三木富雄(1937–1978):彫刻家。1962年より人間の耳をかたどった作品を制作しはじめる。アルミニウム合金を中心に様々な素材と技法を用いて、多様な耳の作品を数多く生み出した。高松次郎(1936–1998):美術家。絵画にとどまらず、様々なメディアを用いて観念の広がりを感じさせる視覚表現を探求した。1964年から開始した「影」シリーズでは、キャンバスに主題となるものの実体を描かず、影のみを描いた。河原温(1932–2014):美術家。《孕んだ女》(1954)には、上下左右のないタイル貼りの浴室に、切断された体の一部や妊婦が配置された様子が描かれている。日付絵画は、単色で塗られたキャンバスに白色で制作日の日付を描くもので、1966年から始まった作家の代表作である。山口正城(1903–1959):画家、デザイナー。プロダクトデザインを実践しながら、抽象画家としても活躍。大阪市立工芸高校や千葉高校でデザイン教育に従事したことでも知られる。 <そのほか> [ⅰ] プレスアルト:京都のワキヤ書房店主・脇清吉が戦前に発行を始めた雑誌。チラシやパッケージ、包装紙の実物と一緒にそれらに対する批評が掲載された。[ⅱ] 世界デザイン会議:1960年に東京で開催された日本初の国際デザイン会議。建築、グラフィック、インダストリアルなど、ジャンルを幅広く網羅した内容が話し合われた。[ⅲ] 日宣美:日本宣伝美術会の略称。1951年に設立した宣伝美術家の職能団体。1970年に解散。[Ⅳ] JAGDA:日本グラフィックデザイン協会の略称。日宣美の後身的な存在として1978年に設立。初代会長は亀倉雄策。[Ⅴ] ADC:東京アートディレクターズクラブの略称。1952年に設立したアートディレクターの職能団体。
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平常陳列 近代日本の美術 第1回
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ウェブサイトをリニューアルしました
2023年3月29日(水)東京国立近代美術館のウェブサイトをリニューアルしました。 東京国立近代美術館、国立工芸館それぞれのURLが変更となりました。お気に入りやブックマークなどに登録されている方は、お手数ですが新URLへの設定変更をお願いいたします。 旧ホームページURL)https://www.momat.go.jp/am/新ホームページURL)https://www.momat.go.jp/ 旧ホームページURL)https://www.momat.go.jp/cg/新ホームページURL)https://www.momat.go.jp/craft-museum
ゲルハルト・リヒター展
はじめに ドイツ・ドレスデン出身の現代アートの巨匠、ゲルハルト・リヒター(1932-)。リヒターは油彩画、写真、デジタルプリント、ガラス、鏡など多岐にわたる素材を用い、具象表現と抽象表現を行き来しながら、人がものを見て認識するという原理に、一貫して取り組み続けてきました。 画家が90歳を迎えた今年2022年、本展では画家が手元に置いてきた初期作から最新のドローイングまでを含む約120点によって、一貫しつつも多岐にわたる60年の画業を紐解きます。 日本では16年ぶり、東京では初となる美術館での個展です。 ポスタービジュアル(ゲルハルト・リヒター《ビルケナウ(CR: 937-2)》2014年 ゲルハルト・リヒター財団蔵 © Gerhard Richter 2022 (07062022)) 見どころ 初期のフォト・ペインティングからカラーチャート、グレイ・ペインティング、アブストラクト・ペインティング、オイル・オン・フォト、そして最新作のドローイングまで、リヒターがこれまで取り組んできた多種多様な作品を紹介。特定の鑑賞順に縛られず、来場者が自由にそれぞれのシリーズを往還しながら、リヒターの作品と対峙することができる空間を創出します。 1.現代アートの巨匠、待望の大規模個展 リヒターの日本の美術館での個展は、2005-2006年にかけて金沢21世紀美術館・DIC川村記念美術館で開催されて以来、実に16年ぶり。また東京の美術館での大規模な個展は今回が初めてとなります。 2.最新作を含むリヒター所蔵の作品で、60年におよぶ作家の画業をたどる 世界のアートシーンで常に注目を集めてきたリヒター。彼が手放さず大切に手元に置いてきた財団コレクションおよび本人所蔵作品を中心に、最新作のドローイングを含む貴重な作品約120点が、初めて一堂に会します。これらの多様な作品を通じて、2022年に90歳を迎えたリヒターの、60年におよぶ画業をたどります。 3.近年の大作《ビルケナウ》、日本初公開 幅2メートル、高さ2.6メートルの作品4点で構成される巨大な抽象画《ビルケナウ》は、ホロコーストを主題としており、近年の重要作品とみなされています。出品作品のなかでも最大級の絵画作品である本作が、この度、日本で初めて公開されます。 プロフィール ゲルハルト・リヒター(Gerhard Richter) 1932年、ドイツ東部、ドレスデン生まれ。ベルリンの壁が作られる直前、1961年に西ドイツへ移住し、デュッセルドルフ芸術アカデミーで学ぶ。コンラート・フィッシャーやジグマー・ポルケらと「資本主義リアリズム」と呼ばれる運動を展開し、そのなかで独自の表現を発表し、徐々にその名が知られるように。 その後、イメージの成立条件を問い直す、多岐にわたる作品を通じて、ドイツ国内のみならず、世界で評価されるようになる。 ポンピドゥー・センター(パリ、1977年)、テート・ギャラリー(ロンドン、1991年)、ニューヨーク近代美術館(2002年)、テート・モダン(ロンドン、2011年)、メトロポリタン美術館(ニューヨーク、2020年)など、世界の名だたる美術館で個展を開催。現代で最も重要な画家としての地位を不動のものとしている。 カタログ 「ゲルハルト・リヒター展」公式図録 価格:3,900円(税込み)仕様:判型A4変形判、展覧会出品作品オールカラー総頁数:352ページ言語:日本語、英語(一部) 目次 ゲルハルト・リヒター:画家にしてイメージメーカー ――ゲルハルト・リヒター財団の所蔵品 ディートマ・エルガー ビルケナウ以降 ――ゲルハルト・リヒターの〈アブストラクト・ペインティング〉における後期様式について 桝田倫広 「絵画は役に立つのです」 ――リヒター作品における「もの」と「ビルト」、「複数性」と「真実性」をめぐって 鈴木俊晴 図版 フォト・ペインティング 浅沼敬子リヒターと社会主義リアリズム 福元崇志資本主義リアリズム 桝田倫広アトラス 鈴木俊晴リヒターと1960年代のマルセル・デュシャンの再評価 中尾拓哉カラーチャートとグレイ・ペインティング 鈴木俊晴アブストラクト・ペインティング 1970s-1980s 鈴木俊晴頭蓋骨、蝋燭、花 鈴木俊晴オイル・オン・フォト 清水穣リヒターの風景画とドイツ・ロマン主義 仲間裕子カラーチャートと公共空間 鈴木俊晴ストリップ 桝田倫広アブストラクト・ペインティング 1990s-2010s 鈴木俊晴ドローイング 桝田倫広 対談 ゲルハルト・リヒター/ディーター・シュヴァルツ 2017年11月20日、ケルンにて無用の用 ――リヒターのガラスをめぐって 林寿美《1977年10月18日》と人物画 浅沼敬子樹皮としての絵画 ――《ビルケナウ》とジョルジュ・ディディ₌ユベルマン 田中純鏡の音楽 ゲルハルト・リヒターと音楽 清水穣文化の記録、蛮行の記録 ――ゲルハルト・リヒターの《ビルケナウ》 ベンジャミン・H.D. ブクロ―生産としての複製 ――ゲルハルト・リヒターの芸術における写真の役割について シュテファン・グロナート 年譜作品リスト主要参考文献 開催概要 東京国立近代美術館 1F企画展ギャラリー 2022年6月7日(火)~ 2022年10月2日(日) 月曜日(ただし7月18日、9月19日、9月26日は開館)、7月19日(火)、9月20日(火)9月27日(火) 10:00-17:00(金曜・土曜は10:00-20:00)9月25日(日)~10月1日(土)は10:00-20:00で開館します*入場は閉館30分前まで チケットの詳細・購入方法は展覧会公式サイトをご確認ください。(展覧会公式サイトの公開は終了しました) 一般 2,200円(2,000円)大学生 1,200円(1,000円)高校生 700円(500円) ( )内は20名以上の団体料金。いずれも消費税込。中学生以下、障害者手帳をお持ちの方とその付添者(1名)は無料。それぞれ入館の際、学生証等の年齢のわかるもの、障害者手帳等をご提示ください。キャンパスメンバーズ加入校の学生・教職員は、学生証・職員証の提示により団体料金でご鑑賞いただけます。本展の観覧料で入館当日に限り、所蔵作品展「MOMATコレクション」(4-2F)もご覧いただけます。 東京国立近代美術館、朝日新聞社 ドイツ連邦共和国大使館、ゲーテ・インスティトゥート東京、在日ドイツ商工会議所 ゲルハルト・リヒター財団、ワコウ・ワークス・オブ・アート 小川香料ホールディングス、ルフトハンザ カーゴ AG、岡建工事 豊田市美術館:2022年10月15日(土)~2023年1月29日(日)
柳宗悦没後60年記念展 民藝の100年
はじめに ローカルであり、モダンである。 今、なぜ「民藝」に注目が集まっているのでしょうか。「暮らし」を豊かにデザインすることに人々の関心が向かっているからなのか。それとも、日本にまだ残されている地方色や伝統的な手仕事に対する興味からなのか。いずれにせよ、およそ100年も前に柳宗悦、濱田庄司、河井寬次郎が作り出した新しい美の概念が、今なお人々を触発し続けているのは驚くべきことです。 柳宗悦の没後60年に開催される本展覧会は、各地の民藝のコレクションから選りすぐった陶磁器、染織、木工、蓑、ざるなどの暮らしの道具類や大津絵といった民画のコレクションとともに出版物、写真、映像などの同時代資料を展示し、総点数450点を超える作品と資料を通して、民藝とその内外に広がる社会、歴史や経済を浮かび上がらせます。 今回とりわけ注目するのは、「美術館」「出版」「流通」という三本柱を掲げた民藝のモダンな「編集」手法と、それぞれの地方の人・モノ・情報をつないで協働した民藝のローカルなネットワークです。民藝の実践は、美しい「モノ」の蒐集にとどまらず、新作民藝の生産から流通までの仕組み作り、あるいは農村地方の生活改善といった社会の問題提起、衣食住の提案、景観保存にまで広がりました。「近代」の終焉が語られて久しい今、持続可能な社会や暮らしとはどのようなものか―「既にある地域資源」を発見し、人・モノ・情報の関係を編みなおしてきた民藝運動の可能性を「近代美術館」という場から見つめなおします。 作品保護のため、会期中一部展示替えがあります。(前期:10月26日(火)~12月19日(日)、後期:12月21日(火)~2022年2月13日(日)) 見どころ 1.民藝の歴史的な変化と社会の関係をたどります。 民藝運動はどのような背景のなかで生まれ、変化してきたのでしょうか。関東大震災、鉄道網の発達と観光ブーム、戦争と国家、戦後の高度経済成長―民藝運動の歩みは「近代化」と表裏一体であり、社会の大きな節目と併走するように展開してきました。なぜ今、民藝が注目されるのかをひも解きます。 2.手を動かす柳宗悦ーそのデザイン・編集手法を分析します。 宗教哲学者であり、文筆活動を主体として民藝運動を推しすすめた柳ですが、実はなかなかの画力の持ち主。集めた器物をスケッチし、書体(フォント)を作り、写真のトリミングや配置を決め、あるいは建物や製品の設計図を描き、大津絵などの絵画の表具をしつらえるなど、あらゆる「編集」作業に腕をふるいました。柳がさまざまなメディアを通して、自らの美的感覚をどのように示し、伝えたのか―その「手さばき」を解析します。 3.衣食住から景観保存まで ツイードの三つ揃いスーツ、蝶ネクタイに丸眼鏡、ワークウェアとしての作務衣―民藝の人々はみなスタイリッシュでお洒落でした。しゃぶしゃぶにカレー、地方のお土産菓子など、食文化にも民藝は関わっています。民家の特徴を取り入れた建築にウィンザーチェア、日本・朝鮮・西洋折衷のインテリアデザインは良く知られるところですが、鳥取砂丘の景観保存にも民藝が関わっていたこと、ご存じでしたか? カタログ 柳宗悦没後60年記念展「民藝の100年」公式図録 2,600円(税込み)B5変形サイズ/311頁/日本語・英語(一部) 450点以上の作品画像を掲載!作品解説も充実早わかりガイド「展覧会の見取り図」「人物相関図」掲載章の間にコラムを掲載 目次イントロダクション「民藝の100年」展を編集するー展覧会の見取り図 花井久穂、鈴木勝雄第1章 「民藝」前夜ーあつめる、つなぐ第2章 移動する身体ー「民藝」の発見第3章 「民」なる趣味ー都市/郷土第4章 民藝は「編集」する第5章 ローカル/ナショナル/インターナショナル第6章 戦後をデザインするー衣食住から景観保存まで民藝の「近代」ーミュージアム・出版・生産から流通まで 花井久穂MOMATアートライブラリによる「民藝文献案内」俯瞰的視点をもつための「民藝の100年展年表」 開催概要 東京国立近代美術館 1F企画展ギャラリー、2F ギャラリー4 2021年10月26日(火)~ 2022年2月13日(日) 月曜日[ただし2022年1月10日は開館]、年末年始[12月28日(火)~ 2022年1月1日(土)]、1月11日(火) 10:00-17:00(金・土曜は10:00-20:00)*入館は閉館30分前まで チケットの詳細・購入方法は特設ページをご確認ください。(特設ページの公開は終了しました) 一般 1,800円(1,600円)大学生 1,200円(1,000円)高校生 700円(500円) ( )内は20名以上の団体料金。いずれも消費税込。中学生以下、障害者手帳をお持ちの方とその付添者(1名)は無料。それぞれ入館の際、学生証等の年齢のわかるもの、障害者手帳等をご提示ください。キャンパスメンバーズ加入校の学生・教職員は、学生証・職員証の提示により団体料金でご鑑賞いただけます。本展の観覧料で入館当日に限り、所蔵作品展「MOMATコレクション」(4-2F)もご覧いただけます。 東京国立近代美術館、NHK、NHKプロモーション、毎日新聞社 NISSHA、三井住友海上 日本民藝館
隈研吾展 新しい公共性をつくるためのネコの5原則
はじめに 米TIME誌にて「2019年世界で訪れるべき最も素晴らしい場所100選」に選ばれた《V&Aダンディー》や《国立競技場》の設計に参画するなど、現代日本を代表する建築家のひとりである隈研吾(1954-)。 本展では、世界各国に点在する隈作品の中から公共性の高い68件の建築を、隈が考える5原則「孔」「粒子」「斜め」「やわらかい」「時間」に分類し、建築模型や写真やモックアップ(部分の原寸模型)により紹介。その他、映像作品、前庭に展示されるトレーラーハウスを合わせ、合計74件で隈の世界を紹介します。 章解説や作品解説はすべて隈本人によるもの。また、瀧本幹也や藤井光など第一線で活躍するアーティストによる映像作品や、隈建築をさまざまな観点から見ていただく空間のほか、360度VRなどの体感要素、さらに、ネコの視点から都市での生活を見直すリサーチプロジェクト《東京計画2020(ニャンニャン)ネコちゃん建築の5656(ゴロゴロ)原則》(Takramとの協働)も発表します。コロナ禍というきわめて難しい時代の中で開催される本展が、新しい公共性や未来の都市のあり方について考える機会となれば幸いです。 見どころ 本展は第1会場、第2会場の2つの会場で構成されています 1.「人が集まる場所」のための隈独自の方法論を、5原則の形で抽出 第1会場 本展では、隈自身が選んだ公共性が高い建築68件を、時系列ではなく、「孔」「粒子」「斜め」「やわらかい」「時間」という5原則に分類して紹介します。 2.先端技術を用いた体験展示 隈が設計した建築の「実際」を、本展のために制作された新作映像を通して紹介します。 高知県梼原(ゆすはら)にある6つの隈建築 × 瀧本幹也(+坂本龍一) 第1会場 高知県西部の山間にある小さなまち梼原町には、初期から最近作まで6つの隈建築が存在します。それらの建築を写真家・映像作家の瀧本幹也がハイスピードカメラを用いて撮影。リアル4Kによるリリカルな映像インスタレーションへと昇華させました。坂本龍一の音楽とともに、日本の伝統的建築にインスパイアされた隈建築の造形美を堪能できます。 スコットランドにできた博物館《V&Aダンディー》 × タイムラプス映像 第1会場 ロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館初の分館となる《V&Aダンディー》の設計者に選ばれたのが隈研吾でした。これを、アイルランドのマクローリン兄弟によるアヴァンギャルドなタイムラプス映像で紹介します。 富山市民に人気の図書館・美術館・銀行の複合施設《TOYAMAキラリ》 × 360度VR 第2会場 《TOYAMAキラリ》の特徴は、斜めにたちあがる吹き抜け空間。そこにドローンを飛ばして360度VRで撮影しました。ヘッドマウントディスプレイで見る約7分間の映像により、隈建築の空間をリアルに体感できます。ナレーションは日英ともに隈研吾が担当します。 《TOYAMAキラリ》VR体験について・体験時間は約7分、30分ごとの入れ替え制(各回定員4名)となります。・1階インフォメーションカウンターにて当日分の整理券を先着順で配布します。上限数に達し次第、配布終了となります。・体験は中学生以上に限られます(中学生は保護者の同伴が必要です)。 ※6月18日(金)、19日(土)、20日(日)は体験を休止します。なお同じ映像(ナレーション付き)は第2会場内でご覧いただけます。 3.クマは思う、都市の未来はネコに学べ、と 第2会場 丹下健三は前回の東京オリンピック前の1961年に、《東京計画1960》という、東京湾に海上都市をつくる案を建築雑誌に発表しました。その大胆なアイデアは、模型を俯瞰して撮った写真とともに伝説となっています。今回、隈は、そんな丹下の《東京計画1960》への応答として、《東京計画2020 ネコちゃん建築の5656原則》を美術館での展覧会で発表します。対照的なのは、都市へと向かう視点。丹下の、海上の人工都市を俯瞰から見る視点に対して、隈が選んだのは、なんと地面に近いネコの視点。一箇所に定まらずテンテンと暮らし、スキマに入り込んで自らノラミチをつくっていくネコの生態に、コロナ禍以降の人々は学ぶべきだと隈は問いかけます。このほっこりとしつつも大胆なプレゼンテーションは、日本を代表するデザイン・イノベーション・ファームであるTakramとの協働により実現しました。 4. 各地の市民に協力出演してもらった映像 第1会場 第2会場 気鋭のアーティスト、藤井光が市民ボランティアやNPOの協力を得て長岡市役所《アオーレ長岡》の日常をドキュメンタリータッチで撮影。アーティスト津田道子は南三陸町と熊本市で、隈建築の施主や利用者のインタビューを撮影しました。 5.《国立競技場》のスタディ模型と照明を特別にお見せします 第1会場 隈が設計に参画した《国立競技場》の競技後のインタビューゾーン(フラッシュインタビューゾーン)には、隈がデザインした大型の行灯のような照明があります。本展ではこれを特別に展示。また大量につくられた競技場のスタディ模型の中から、約40点を厳選して展示。展覧会として世界初公開※します。※高知会場、長崎会場でも展示。 6. 展示デザインと解説はすべて... 展示デザインは隈研吾建築都市設計事務所が手がけました。章解説や作品解説はすべて隈研吾が執筆しています。 「粒子」エリア 「やわらかい」エリア 前庭 ©Kioku Keizo 会場を3DVRで無料公開しています 会場の3DVRを作成しました。展覧会の構成や作品のスケール感をお楽しみください。※公開は9/26(日)まで。 隈研吾プロフィール 1954年生。東京大学建築学科大学院修了。コロンビア大学客員研究員を経て、1990年隈研吾建築都市設計事務所設立。2009年より2020年3月まで東京大学教授。現在、東京大学特別教授・名誉教授。1964年東京オリンピック時に見た丹下健三の国立屋内総合競技場に衝撃を受け、幼少期より建築家を志す。その土地の環境、文化に溶け込む建築を目指し、ヒューマンスケールのやさしく、やわらかなデザインを提案。また、コンクリートや鉄に代わる新しい素材の探求を通じて、工業化社会の後の建築のあり方を追求している。これまで20か国を超す国々で建築を設計し、日本建築学会賞、毎日芸術賞、芸術選奨文部科学大臣賞、国際木の建築賞(フィンランド)、国際石の建築賞(イタリア)等、受賞多数。 カタログ 『隈研吾展 新しい公共性をつくるためのネコの5原則』公式カタログ価格:2,000円+税B5変形/232頁/ソフトカヴァー/日本語・英語デザイン:服部一成 目次 隈研吾「ネコに学び、ハコを出よう」藤村龍至「隈研吾の建築作品における表層性」隈研吾「新しい公共性をつくるためのネコの5原則」隈研吾xTakram「東京計画2020 ネコちゃん建築の5656原則」「復興と建築をめぐるインタビュー」 佐藤仁 三浦洋昭 浜田浩成 隈研吾出品作品リストにかえて(作品解説:隈研吾)保坂健二朗「建築展と映像」奥野克仁「隈研吾と梼原、高知ー木造建築の再発見ー」野中明「つなぐ水際、つなぐ建築」保坂健二朗「建築展のプロセス」付録:梼原の隈建築(撮影:瀧本幹也) 開催概要 東京国立近代美術館 1F 企画展ギャラリー 2021年6月18日(金)~9月26日(日) 月曜日[ただし7月26日、8月2日、9日、30日、9月20日は開館]、8月10日(火)、9月21日(火) 10:00-17:00(金・土曜は10:00-20:00)9月19日(日)、20日(月・祝)、23日(木・祝)、26日(日)は10:00-18:00*入館は閉館30分前まで オンラインでのチケット購入・日時予約はこちらから・オンラインチケットは完売している日時もございます。・混雑緩和のため、オンラインでの事前のご購入・ご予約をお勧めしています。会場でも当日券をご購入いただけますが、混雑状況により入場をお待ちいただく場合や、当日券の販売が終了している場合があります。・混雑時には、会場で当日券をご購入される方ならびに無料観覧券をお持ちの方へ入場整理券を配布いたします。特に混雑が予想される土・日曜日、祝日、会期末などはオンラインでの事前のご予約・ご購入をお勧めいたします。※観覧無料の方、割引対象の方についても、上記より来館日時をご予約いただけます。※お電話でのご予約はお受けしておりません。 展覧会の構成について本展は第1会場(有料)、第2会場(無料)の2つの会場で構成されています。・第1会場のみオンラインでの予約が可能です。・第2会場の混雑時には第2会場付近で入場整理券を配布いたします。 ⼀般 1,300(1,100)円大学生 800(500)円 ( )内は20名以上の団体料金。いずれも消費税込。高校生以下および18歳未満、障害者手帳をお持ちの方とその付添者(1名)は無料。それぞれ入館の際、学生証等の年齢のわかるもの、障害者手帳等をご提示ください。キャンパスメンバーズ加入校の学生・教職員は、学生証・職員証の提示により団体料金でご鑑賞いただけます。本展の観覧料で入館当日に限り、同時開催の所蔵作品展「MOMATコレクション特別編 ニッポンの名作130年」(4-2F)、コレクションによる⼩企画「鉄とたたかう 鉄とあそぶ デイヴィッド・スミス《サークルⅣ》を中心に」(2F ギャラリー4)もご覧いただけます。 東京国立近代美術館、文化庁、独立行政法人日本芸術文化振興会 大成建設株式会社、大洋建設株式会社、株式会社長谷工コーポレーション、大光電機株式会社、大日本印刷株式会社、前田建設工業株式会社、株式会社イトーキ、株式会社大林組、鹿島建設株式会社、コクヨ株式会社、小松マテーレ株式会社、株式会社佐藤秀、清水建設株式会社、株式会社JR東日本建築設計、住友林業株式会社、太陽工業株式会社、大和ハウス工業株式会社、大和リース株式会社、株式会社竹中工務店、株式会社丹青社、TSUCHIYA株式会社、東急建設株式会社、TOTO株式会社、戸田建設株式会社、株式会社乃村工藝社、不二サッシ株式会社、三井住友建設株式会社、銘建工業株式会社、株式会社岸之上工務店 エヌビディア合同会社、小松マテーレ株式会社、株式会社スノーピーク、富山市(富山県)、長岡市(新潟県)、株式会社 日本HP、浜田醤油株式会社、V&Aダンディー、真庭市(岡山県)、南三陸町(宮城県)、株式会社モデュレックス、株式会社モノファクトリー、株式会社YAMAGIWA、梼原町(高知県) 公益財団法人 大林財団 高知県立美術館 2020年11月3日(火)~2021年1月3日(日) 長崎県美術館 2021年1月22日(金)~3月28日(日) 令和3年度日本博 主催 ・共催型 プロジェクト
あやしい絵展
はじめに 絵に潜む真実、のぞく勇気はありますか? 明治期、あらゆる分野において西洋から知識、技術などがもたらされるなか、美術も西洋からの刺激を受けて、新たな時代にふさわしいものへと変化していきました。 このような状況のもとで生み出されたさまざまな作品の中には、退廃的、妖艶、グロテスク、エロティックといった「単なる美しいもの」とは異なる表現がありました。これらは、美術界で賛否両論を巻き起こしつつ、激動する社会を生きる人々の欲望や不安を映し出したものとして、文学などを通して大衆にも広まっていきました。 本展では幕末から昭和初期に制作された絵画、版画、雑誌や書籍の挿図などからこうした表現を紹介します。 見どころ 1.一度見たら忘れられない名画たち 日本近代の美術における美しさの「陰画(ネガ)」をご紹介。上村松園の《焰》や《花がたみ》、鏑木清方《妖魚》等、「あやしい」魅力にあふれた作品が勢揃いします。 2.ディープな「あやしい」作品が盛りだくさん 甲斐庄楠音《横櫛》、橘小夢《安珍と清姫》、秦テルヲ《血の池》等、脳裏に焼きつくほど美しく強烈な「あやしさ」をそなえた作品が多数出品されます。 3.私たちを捉えて離さない「あやしい」物語 安珍・清姫伝説、「高野聖」等の物語はさまざまな作家を魅了し作品に展開されました。非現実であったり「あやしい」女性が登場したりする物語は、明治、大正期のみならず今の私達にも魅力的に映ることでしょう。 4.西洋美術も! アルフォンス・ミュシャ、ダンテ・ガブリエル・ロセッティ、オーブリー・ビアズリー、エドワード・バーン=ジョーンズ等、日本の画家達に影響を与えた西洋美術の作品もあわせて紹介します。 作品保護のため、会期中一部展展示替えがあります。詳しくは作品リストをご確認ください。(前期:3月23日~4月18日、後期:4月20日~5月16日) カタログ 開催概要 2021年3月23日(火)~5月16日(日) 月曜[ただし3月29日、5月3日は開館]、5月6日(木)*臨時休館期間:4月25日(日)~ 月曜[ただし3月29日、5月3日は開館]、5月6日(木)*臨時休館期間:4月25日(日)~ 9:30-17:00(金・土曜は9:30-20:00)臨時夜間開館日:5月12日(水)-16日(日)は20:00まで開館いたします 入館は閉館30分前まで本展会期中に限り9:30開館(ただし「MOMATコレクション」、コレクションによる小企画「幻視するレンズ 」は10:00開場) チケットの詳細・購入方法は特設ページをご確認ください。 一般 1,800円大学生 1,200円高校生 700円 いずれも消費税込。中学生以下、障害者手帳をお持ちの方とその付添者(1名)は無料。それぞれ入館の際、学生証等の年齢のわかるもの、障害者手帳等をご提示ください。キャンパスメンバーズ加入校の学生・教職員は、学生証・職員証の提示により団体料金でご鑑賞いただけます。本展の観覧料で入館当日に限り、所蔵作品展「MOMATコレクション」(4-2F)、コレクションによる小企画「幻視するレンズ 」(2F ギャラリー4)もご覧いただけます。 東京国立近代美術館、毎日新聞社、日本経済新聞社 損害保険ジャパン、DNP大日本印刷 大阪歴史博物館 2021年7月3日(土)~8月15日(日)
高畑勲展─日本のアニメーションに遺したもの
初の長編演出(監督)となった「太陽の王子 ホルスの大冒険」(1968年)で、悪魔と闘う人々の団結という困難な主題に挑戦した高畑は、その後つぎつぎにアニメーションにおける新しい表現を開拓していきました。70年代には、「アルプスの少女ハイジ」(1974年)、「赤毛のアン」(1979年)などのTV名作シリーズで、日常生活を丹念に描き出す手法を通して、冒険ファンタジーとは異なる豊かな人間ドラマの形を完成させます。80年代に入ると舞台を日本に移して、「じゃりン子チエ」(1981年)、「セロ弾きのゴーシュ」(1982年)、「火垂るの墓」(1988年)など、日本の風土や庶民生活のリアリティーを表現するとともに、日本人の戦中・戦後の歴史を再考するようなスケールの大きな作品を制作。遺作となった「かぐや姫の物語」(2013年)ではデジタル技術を駆使して手描きの線を活かした水彩画風の描法に挑み、従来のセル様式とは一線を画した表現上の革新を達成しました。 このように常に今日的なテーマを模索し、それにふさわしい新しい表現方法を徹底して追求した革新者・高畑の創造の軌跡は、戦後の日本のアニメーションの礎を築くとともに、他の制作者にも大きな影響を与えました。本展覧会では、絵を描かない高畑の「演出」というポイントに注目し、多数の未公開資料も紹介しながら、その多面的な作品世界の秘密に迫ります。 カタログ 開催概要 東京国立近代美術館 1F 企画展ギャラリー 2019年7月2日(火)~10月6日(日) 10:00-17:00 ( 金曜・土曜は10:00-21:00 )*入館は閉館30分前まで 月曜(7月15日、8月12日、9月16日、9月23日は開館)、7月16日(火)、 8月13日(火)、9月17日(火)、9月24日(火) 【当日券】一般 1,500(1,300)円大学生 1,100(900)円高校生 600(400)円 【前売券】一般 1,300円大学生 900円高校生 400円 いずれも消費税込。( )内は20名以上の団体料金。前売り券は2019年4月23日(火)~7月1日(月)販売。中学生以下、障害者手帳をお持ちの方とその付添者(1名)は無料。それぞれ入館の際、学生証等の年齢のわかるもの、障害者手帳等をご提示ください。本展の観覧料で入館当日に限り、同時開催の所蔵作品展「MOMATコレクション」もご覧いただけます。主なチケット販売場所:東京国立近代美術館・工芸館(*開館日のみ、工芸館は当日券のみ)、本展特設サイト(オンラインチケット)、イープラス、チケットぴあ、ローソンチケット、セブンチケットほかチケット購入時に手数料がかかる場合があります。 東京国立近代美術館NHKNHKプロモーション スタジオジブリ (公財)徳間記念アニメーション文化財団 凸版印刷、西武造園 岡山県立美術館 2020年4月10日(金)~5月24日(日)
北脇昇 一粒の種に宇宙を視る
展覧会について 北脇昇《周易解理図(乾坤)》1941年 北脇昇(1901–1951)は1930年代から40年代にかけて京都で活躍した前衛画家です。これまで彼の作品は、シュルレアリスム(超現実主義)の影響の側面から語られることがほとんどでした。例えば《空港》(1937年)において、カエデの種子が同時に飛行機にも見えるような、形の連想によって幻想的なイメージを生み出そうとする手法がそれにあたります。けれども本展では、北脇がそうしたシュルレアリスムの思想や技法を借りながら、本当にやりたかったことは何だったのか、ということに目を向けたいと思います。それは、私たちをとりまくこの世界の背後にある見えない法則を解き明かし、世界観のモデルを示すことでした。 北脇はそうした信念のもと、シュルレアリスムだけでなく、数学をはじめ、ゲーテの自然科学や古代中国の易などを駆使して、独自の図式的な絵画を生み出しました。 一粒の種子が発芽し、成長をとげ、開花し実を結び、そして新たな種子を生み出すことに、天地の法則すべてが凝縮されていることを見出そうとした彼の、他に類をみない制作の歩みを紹介します。 「北脇昇 一粒の種に宇宙を視る」パンフレット 北脇昇 一粒の種に宇宙を視る展パンフレット 「北脇昇 一粒の種に宇宙を視る」展では、会場でパンフレットを配布しております。この度、遠方で来館が難しい方のために、PDF版を配布することにしました。(※会期の表記が変更前のものとなっております。ご了承下さい。) PDF版(A3サイズ)はこちらよりダウンロードして下さい。 イベント 5月16日(土)15:00-16:30 臨時休館につき中止講師 大谷省吾(美術課長・本展企画者)場所 地下1階講堂入場無料・申込不要(先着140名) キュレータートーク 5月8日(金)18:00-19:00 臨時休館につき中止担当研究員 大谷省吾(美術課長・本展企画者)場所 ギャラリー4申込不要・参加無料(要観覧料) 開催概要 東京国立近代美術館2階 ギャラリー4 2020年2月11日(火・祝)~6月14日(日)10月25日(日) 10:00-17:00 ※入館は閉館30分前まで※8月1日(土)以降、金曜・土曜10:00-20:00 月曜日[ただし2月24日、8月10日、9月21日は開館]、2月25日(火)、8月11日(火)、9月23日(水)※臨時休館期間:2月29日~6月3日 会場では当日券を販売しています。会場の混雑状況によって、当日券ご購入の列にお並びいただいたり、入場をお待ちいただく場合がありますので、オンラインでの事前のご予約・ご購入をお薦めいたします。 新型コロナウイルス感染症予防対策のため、 ご来館日時を予約する日時指定制を導入いたしました。⇒こちらから来館日時をご予約いただけます。(「MOMATコレクション」のご予約で「北脇昇」がご覧いただけます)※上記よりチケットも同時にご購入いただけます。※観覧無料対象の方(65歳以上、高校生以下、障害者手帳をお持ちの方とその付添者1名、招待券をお持ちの方等)についても、上記より日時のご予約をお願いいたします。※お電話でのご予約はお受けしておりません。 一般 500円 (400円)大学生 250円 (200円) ( )内は20名以上の団体料金。いずれも消費税込。 高校生以下および18歳未満、65歳以上、障害者手帳をお持ちの方とその付添者1名は無料。 それぞれ入館の際、学生証、運転免許証等の年齢の分かるもの、障害者手帳等をご提示ください。 お得な観覧券「MOMATパスポート」でご観覧いただけます。 キャンパスメンバーズ加入校の学生・教職員は学生証または教職員証の提示でご観覧いただけます。 「友の会MOMATサポーターズ」、「賛助会MOMATメンバーズ」会員の方は、会員証のご提示でご観覧いただけます。「MOMAT支援サークル」のパートナー企業の皆様は、社員証のご提示でご観覧いただけます。(同伴者1名迄。シルバー会員は本人のみ) 【大学生・高校生無料期間】 8⽉1⽇(土)〜8⽉30⽇(⽇)は、⼤学⽣・高校生の本展覧会観覧料が無料となります。 *⼊場時に、学⽣証の提⽰が必要となります。 東京国立近代美術館
