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近代日本の工芸 : 常設展示
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トーネ・ヴィーゲラン:ノルウェーの現代アートジュエリー
概要 トーネ・ヴィーゲランは1938年、オスロに生まれました。その家系には芸術 家が多く、祖父の兄弟のグスタフは、オスロにその名を冠した公園がつくられ たほどの高名な彫刻家でした。 義務教育を終えると、トーネは1955年から国立美術学校で金工を専攻し、そ の2年後にはジュエリーを本格的に学ぶためにオスロ職業訓練学校に移りまし た。このころから頭角を現し、卒業後は「プルス」というデザイン会社に乞わ れて、プロダクト・デザイナーとして働きだしたほどです。 折しも当時は、1957年のミラノ・トリエンナーレをはじめとして、各地でス カンディナヴィア・デザインが注目を浴びたときでした。ところが、しばらく して、ヴィーゲランは近代デザインから離れ、一転して伝統文化へと目を向けます。 1970年代以降、ヴィーゲランは鉄と銀を素材とし、それらを黒く着色したジュ エリーを制作してきました。古釘を叩いた小さな薄板、鎖、そしてメッシュな どのパーツを、無数に組み合わせて成形した作品です。 それらは、形状といい、色彩といい、中世のヴァイキングが使っていた鎧や 武具類を想わせます。その静かで重厚な印象は、この森とフィヨルドの国には、 いまでも伝統文化がたしかに息づいていると、多くのひとに実感させることでしょう。 トーネ・ヴィーゲラン略年譜 オスロに生れる.芸術家を多く輩出した家系で,大叔父のグスタフ・ヴィー ゲランは著名な彫刻家. 国立美術学校に入学.金工を専攻. ジュエリーを本格的に学ぶため,オスロ職業訓練学校に移る. プルス(Plus)に入社.プロダクト・デザイナーとして働く. スタジオ設立. ノルウェー金工家協会展で一等賞を受賞. 最初のメッシュの作品を発表. 1830年代の古い鉄釘を貰ったことを契機として,この頃より,薄く 叩いた鉄や銀を用いた作品を制作するようになる. "今日のジュエリー-世界の動向"展に出品(京都国立近代美術館, 東京国立近代美術館) 日本ジュウリーデザイナー協会主催国際展にて「国際ジュウリーアート賞」 受賞. “北欧デザインの今日”展出品 (東京国立近代美術館,京都国立近代美術館). “モダン・ジュエリー 1964年から現代”展出品 (ヘルシンキ,チューリッヒ等に巡回). “トーネ・ヴィーゲランのジュエリー”展開催 (オスロ工芸美術館,クーパー -ヒューイット国立デザイン美術館等に 巡回). イベント情報 ギャラリートーク 1997年12月13日(土)1998年 1月 10日(土),2月14日(土)午後2時から 工芸館会場 シンポジウム 11月29日(土)午後1時から午後3時30分 本館講堂 トーネ・ヴィーゲラン氏(作家) アンニケン・テュエ氏(オスロ工芸美術館館長) 小川煕氏(中部大学教授) 樋田豊次郎(当館研究員) * 逐次通訳あり・聴講無料(先着順約200名まで) 1950年代後半、北欧では機能的でしかも暖かみのあるスカンディナヴィア・デ ザインが興隆しました。日本にもそれは、クラフト運動として浸透しています。 スカンディナヴィア・デザインは、機能本意の近代デザインと、伝統的な地方 文化との理想的調和として評価されてきたのです。ところがトーネ・ヴィーゲ ランは、1960年頃に近代デザインに惹かれたものの、70年代以降はむしろ伝統 文化へと目を向けだします。これは、ヴィーゲランに限ったことではなく、フィ ンランドを別とすれば、 北欧全体の傾向でもありました。北欧では、どうし て近代デザインにたいする見直しがおきたのでしょうか。ノルウェーの近代デ ザイン運動をくぐり抜けてきたヴィーゲラン氏を囲む討論は、それを考えるきっ かけを与えてくれることでしょう。 開催概要 1997年11月29日(土)~ 1998年3月1日(日)月曜日休館/年末年始(12月27日~1月5日)休館午前10時~午後5時(入館は午後4時30分まで) 東京国立近代美術館工芸館〒102東京都千代田区北の丸公園1東西線「竹橋駅」下車徒歩8分(1b出口),東西線・半蔵門線・都営新宿線「九段下駅」下車徒歩12分(出口2) 一般 420円(210円)高校生・大学生 130円( 70円)小学生・中学生 70円( 40円) *消費税込み* ( )内は20名以上の団体料金 03-3272-8600(NTTハローダイヤル)東京国立近代美術館ホームページ http://www.momat.go.jp/ 東京国立近代美術館 ノルウェー王国外務省 ノルウェー王国芸術祭美術展 長野オリンピック文化芸術祭
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増村益城展:漆の美・塗の造形
概要 *キュウ漆すなわち漆塗りの技法は、 漆器制作の根幹をなすにとどまらず、漆工 芸の最も今日的、造形的表現の可能性が見い出された分野である。漆芸家増村益城 (明治43年~平成8年)は、専ら、*キュウ漆の表現を 深めつつ明解な造形への思 考を制作のうちに自在に繰り広げた。彼は長い伝統をもつ技術を生かし現代生活に 即した工芸の創造をうたった伝統工芸の世界にあって、まさに独創的な乾漆成形の 技法や堅実な漆塗りの技法を駆使して*キュウ漆造形の 可能性を大いにおし拡げた。 その新鮮かつ洗練された制作には現代的な感覚が溢れ、芸術性の意味でも高く評 価された。後に重要無形文化財保持者(人間国宝)ともなり、最も高度に到達し得 た技術的表現と塗の造形によって独自の漆の美の世界を獲得した。現代漆芸界を代 表する作家であるとともに、今日に多大な影響を及ぼしている。 *キュウ 略歴 熊本県上益城郡益城町に生まれる。本名・成雄。 熊本市立商工学校漆工科卒業の後、同校研究所研究生を終了する。 奈良の漆芸家辻富太郎(永斎)に師事する。 上京して漆芸家赤地友哉に師事する。 独立自営し、作家活動に入る。 実在工芸美術展や日本漆芸院展に出品する。 紀元二千六百年奉祝美術展入選。 第5回新文展入選、<乾漆八花盆>。 第3回日展入選。以降32年まで、同展に連年出品する。 "今日のジュエリー-世界の動向"展に出品(京都国立近代美術館, 東京国立近代美術館) 第4回日本伝統工芸展<乾漆盛器(日の丸)>で日本工芸会総裁賞を受賞する。 以降、第5回展<乾漆根来盤>、 第7回展<*キュウ飾線文盛器>と受賞を重ねる。 重要無形文化財「*キュウ漆」保持者認定。 古希記念増村益城*キュウ漆展開催。 文化庁の工芸技術記録映画「*キュウ漆 ―増村益城のわざ」製作。 熊本県立美術館で増村益城展開催。 死去。 特別展「増村益城展」は、意気軒昂に創作欲を発揮し続けたおよそ60年に及ぶ 作家活動をとおして、漆の美と塗の造形に渾身の思いで立ち向かった彼の歩みをそ の主要作品によって回顧するものである。併せて、乾漆技法特有の同一の原型によ る複数の制作で成形や多様な*キュウ漆の表現を なした作品を並陳して各々の創意 の推移や展開を明らかにし、*キュウ漆表現の 奥深い可能性と作者の芸術性の豊かな 拡がりを示す構成を試みる。 総合して約110点の構成となる。 イベント情報 講演会及びギャラリー・トーク 10月 4日(土),11月1日(土) 午後2時~ 柳橋 真 (金沢美術工芸大学教授)増村 紀一郎(東京芸術大学教授) 当館研究官によるギャラリー・トーク 10月11日(土),11月8日(土) 午後2時~ 展覧会概要 1997年9月27日(土)~11月16日(日)月曜日休館 ただし11月3日(月)文化の日は開館し翌4日休館午前10時-午後5時(入館は午後4時30分まで) 東京国立近代美術館工芸館〒102 東京都千代田区北の丸公園1Tel. 03-3272-8600(NTTハローダイヤル)ホームページアドレス http://www.momat.go.jp/ 東京国立近代美術館 一般 830円(680円)高校生・大学生 450円(330円)小学生・中学生 330円(180円) *消費税込み* ( )内は20名以上の団体料金 営団地下鉄東西線 竹橋駅下車(1b出口) 徒歩 8分営団地下鉄東西線 九段下駅下車(出口2)徒歩10分都営地下鉄新宿線 九段下駅下車(出口2)徒歩10分
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近代日本の工芸 : 常設展示
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近代日本の工芸 : 常設展示
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藤井達吉展:近代工芸の先駆者
概要 藤井達吉(1881~1964)は、愛知県に生まれ、明治末頃上京して作家活動を 始めました。特別な師につかないで独学で研究し、制作した彼の活動は、日本 の工芸の近代化に大きな足跡を残しました。明治から大正にかけて、わが国の 工芸の変革が叫ばれながら、未だその方向を見出だせないまま混乱していた 時期、明確な理論と作品を発表することによって、工芸の進むべき方向の一つを 提示したのです。当時の工芸は、技術的精緻さを誇るような行き方が一般的で、 狭い専門分野の中に閉じこもった技術偏重の世界でした。彼はそうした工芸の 在り方に疑問を持ち、新しい時代に生きている芸術として、生活との結び付きを 大切にし、工芸家の美意識、思想などを基にした創作性を求めました。 藤井は上京してしばらくは、七宝の仕事を主としていましたが、明治四十三年頃、 陶芸を学び始めていたバーナード・リーチの所に行って、楽焼の見学したり、 高村光太郎が神田に開いた画廊に作品を並べるなど、次第に交遊関係を広げる とともに、さまざまな技法を習得していきました。神田の画廊では銅や陶器の 作品が陳列され、少しずつ売れていたようです。そして、明治末頃には作家として 認められるようになり、総合的な美術家の団体である日本美術協会や、工芸の 芸術的方向を研究するための団体・吾楽の会員になっています。また彼は、 大正元年に設立されたフュウザン会の創立会員にもなっています。この会では、 彼は刺繍の壁掛けを出品したという記録が残っていますが、当時の彼の油彩画も 現存しており、幅広い制作活動の様子がしのばれます。 専門の工芸家ばかりではなく画家や彫刻家など幅広い美術関係者との交際は、 藤井の工芸に対する自由な発想と、新しい芸術を創造するのだという考えを育み、 積極的に支えたものと思われます。一般の人々から遊離し、技術のための技術を 駆使して精細で末梢的な技巧に工夫を凝らすのみで、形や文様についての追究や 反省の余りなかった当時の工芸界に大して、自らの作品によって鋭い批判を投げ 掛けたのです。藤井の考える工芸は、生活との結び付きを大切にし、その中に、 作家の個性の表現、すなわち創作性が重要なものだったのです。そのため、 スケッチによって得たさまざまなデザイン、アザミや鬼百合、トンボなどの野草、 昆虫、あるいは風景といったものが装飾文様として大胆に用いられています。 しかもそれらの技法はさまざまな技法を併用し、細部にこだわらない大らかな 装飾がなされています。このような制作の方向は当時としては非常に斬新で、 高村豊周、西村敏彦ら大正末から昭和初期にかけて、日本の工芸の大きな転換期に 重要な役割を果たした工芸家たちに「今から考えると愚にもつかない技巧の争いの 中に一縷の光を認めさせ、若い人達を昂奮させた」(西村敏彦)のです。 藤井達吉は日本の工芸史の上で、大変重要な役割を果たしましたが、これまで その作品はあまり見ることはできませんでした。その理由は、彼の最も重要な時期 である大正時代の作品が、これまで公開されなかったことにあると思われます。 彼は昭和五年頃から工芸作家というよりは、教育者的な役割を担うようになり、 美術学校、郷里の愛知県などで若い人達に指導するようになりました。また、 戦後の作品はその多くが日本画であり、これまでは画家としてのイメ-ジが強く 持たれてきたのではないかと考えられます。さらに、制作の幅があまりに広すぎて、 焦点が定まりにくいことも、彼の評価を難しくさせている理由の一つかも 知れません。 今回、これまでほとんど見ることのなかった藤井達吉の作品を、広く公開することに なりました。そのほとんどが大正時代以来の公開です。これらの作品を通して 新しい工芸を追究していった、当時の彼の熱気をくみ取るとともに、これまで あまり顧みられなかった、藤井達吉の工芸作家としての正しい位置付けを試みる 機会となればと思います。 藤井達吉略年譜 愛知県に生まれる。 名古屋の服部七宝店に入る。 服部七宝店がセントルイス万国博へ出品したのに従って渡米。 ボストン美術館で東西の美術品に接する。 東京美術工芸展覧会に、七宝作品を出品。 バーナード・リーチを知る。 吾楽会の会員となる。高村光太郎が神田に開いた画廊に陶器などを出品。 フュウザン会ならびに国民美術協会の会員となる。 フュウザン会展に刺繍の壁掛けを出品。 国民美術協会展に銅打ち出しの屏風などを出品。 第3回農展に屏風を出品。(大正6年第5回展まで出品) この頃、原三溪のため制作を行う。また、芝川照吉が藤井の作品の収集を始める。 津田青楓らと文展に工芸部門を設置する運動をする。 高村豊周らと装飾美術家協会を結成。 雑誌『主婦の友』に手芸制作法の執筆を始める。 パリのグラン・パレで開催された日本美術展覧会に出品。 東京白木屋などで姉妹らとともに「家庭手芸作品展」を開催。 主婦の友社主催「家庭手芸品展覧会」を開設、審査に当たる。 高村豊周、広川松五郎らと「可志和会工芸展」を開催。 広川松五郎、木村和一らと「三ツ葉会美術染色作品展」を開催。 工芸団体『无型』創立に参加。 帝国美術学校(現・武蔵野美術大学)の設立に当たり、 図案工芸科の教授となる。 愛知県小原で和紙工芸の指導を始める。 神奈川県真鶴に工房を作る。帝国美術学校教授を辞任。 照宮成子親王の御成婚祝賀献納屏風の制作にかかる。 小原総合芸術研究会を発足。 小原工芸会を設立。 愛知県の美術館建設計画を知り、自作および所蔵作品を県に寄贈。 愛知県岡崎で死去(83歳)。 展覧会概要 1997年2月7日(金)~3月16日(日)月曜日休館午前10時-午後5時(入場は午後4時30分まで) 東京国立近代美術館工芸館〒102 東京都千代田区北の丸公園1Tel. 03-3272-8600(NTTハローダイヤル)インターネット ホームページ アドレス http://www.momat.go.jp/ 東京国立近代美術館 一般 400円(200円)高校生・大学生 130円( 70円)小学生・中学生 70円( 40円)* 消費税込み *( )内は20名以上の団体料金 第1日曜日、第2・第4土曜日、第1・第3水曜日(2月8日、19日、22日、3月2日、5日、8日)
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近代日本の工芸 : 常設展示
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ヨーロッパの近代工芸とデザイン-アール・デコを中心に- : 所蔵作品展 I/新収蔵作品展2006-2007 : 所蔵作品展 II
概要 I ヨーロッパの近代工芸とデザイン ―アール・デコを中心に― 工芸館では、近代デザイン史上重要な作品の収集と展示を心がけてきました。所蔵作品展第1部では、中でも力を入れてきたアール・デコのポスターを中心に、以下の3部で構成します。 1.アール・ヌーヴォーからアール・デコへ アルフォンス・ミュシャ、ルネ・ラリックなどアール・ヌーヴォー様式の作品を展観し、さらに宮川香山、富本憲吉、橋口五葉の作品などで日本での展開も追います。 ルネ・ビュトー《裸婦図壺》1920‐25年頃 2.アール・デコの時代Ⅰ アール・デコの精華 1910年から30年代にかけて、フランスを中心に世界的に流行した装飾様式であるアール・デコ。A.M.カッサンドル、ポール・コランのポスターを始め、華やかな都市生活にいざなう作品により、今なお私たちを引き付けてやまないアール・デコの魅力をお楽しみください。 ルネ・ビュトー《裸婦図壺》1920‐25年頃 3.アール・デコの時代Ⅱ 日本への影響 関東大震災からの復興期、アール・デコは、新しい時代にふさわしい作品を模索していた若い芸術家たちに受け入れられました。高村豊周、磯矢阿伎良たちによる工芸、杉浦非水のポスターや、長谷川潔、織田一磨による都市風景により、アール・デコの影響の跡をたどります。 磯矢阿伎良《バイオリン・ケース》1931年 II 新収蔵作品展 2006-2007 第2部では、2006年から2007年にかけた新収蔵作品のうち、比較的まとまって所蔵された三浦小平二の陶磁器を中心に、ガラス、染織、人形など約35点を紹介します。 三浦小平二《青磁豆彩大皿 シルクロード》1985年 ここが見どころ アルフォンス・ミュシャ 《サラ・ベルナール》 タイトルのサラ・ベルナールは当時活躍した女優。ミュシャ(1860~1939)はアール・ヌーヴォーの中でも人気の高い画家の一人です。後半生は祖国チェコの民族運動に共鳴し、作風も大きく変化しますが、本作品の流れるような髪、官能的な表情は、一世を風靡したアール・ヌーヴォー時代のミュシャの女性像の特徴をよく伝えています。 アルフォンス・ミュシャ《サラ・ベルナール》1896年 ジャン・ピュイフォルカ 《ティー・セット》 本作品は、金銀細工師ピュイフォルカ(1897~1945)による銀製ティー・セット。ピュイフォルカは、ル・コルビュジエなどとともに活動し、機能的で洗練された独特の高級感あるデザインを数多く手がけました。 5ジャン・ピュイフォルカ 《ティー・セット》 1925年.0.2 JP ルネ・ラリック 《ブローチ 翼のある風の精》と《カーマスコット ロンシャン》 ルネ・ラリック(1860~1945)は、アール・ヌーヴォーとアール・デコ、二つの時代を生きた作家です。さらに言えば、ラリックはそれぞれの時代でまったく異なる作家像をつくりあげました。アール・ヌーヴォーの時代には、宝飾工芸家/ジュエリー作家として、またアール・デコの時代にはガラス作家として活躍したのです。本展では二つの時代のラリック作品を展示します。二つの時代のラリック作品を見較べ、その鮮やかな転身ぶりをご覧ください。 ルネ・ラリック《ブローチ 翼のある風の精》1898年頃 ルネ・ラリック《カーマスコット ロンシャン》1929年 イベント情報 ギャラリートーク 北村仁美(当館研究員)「工芸館の収集活動と新収蔵作品」 2008年6月8日(日) 14:00 ‐ 15:00 三上美和(当館客員研究員)「所蔵作品展Ⅰヨーロッパの近代工芸とデザイン ―アール・デコを中心に―」 2008年6月29日(日) 14:00 ‐ 15:00 工芸館ガイドスタッフによる鑑賞プログラム「タッチ&トーク」 会期中の毎週水・土曜日 14:00 – 15:00 いずれも参加無料(要観覧券)、申込不要です。 開催概要 東京国立近代美術館 工芸館 2008年5月20日(火)~7月6日(日) 10:00-17:00(入館は閉館30分前まで) 月曜日 一般200円(100円) 大学生70円(40円)高校生以下および18歳未満、65歳以上、キャンパスメンバーズ、「MOMATパスポート」、障害者手帳をお持ちの方とその付添者(原則1名)は無料 ○入館の際、学生証、障害者手帳等をご提示ください。○( )は20名以上の団体料金。消費税込。 6月1日(日)、7月6 日(日) 東京国立近代美術館
