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女性と抽象
展覧会について 福島秀子《凝視》1956年 近年、海外では台北市立美術館「她的抽象(彼女の抽象)」展(2019年)、ポンピドゥセンター「Elles font l'abstraction(彼女たちは抽象芸術を作る)」(2021年)など、女性のアーティストによる抽象芸術をテーマにした展覧会が開催され、既存の美術史における「抽象芸術」の枠組み自体を問い直すとともに、個々の背景をもつ女性のアーティストによる抽象表現を再評価する試みが進んでいます。本展は3つの章で構成し、戦後から現代まで、当館のコレクションから多様な抽象表現を紹介します。1章「女流画家協会」では、戦後まもなく女性たちの連帯によって結成された同会に参加したアーティストの抽象的な作品を取りあげます。2章「増殖する円」では、円のモティーフを増殖させることで空間を作り上げた作品に注目します。3章「抑制と解放」では、大胆な省略や要素の純化によって抽象的な表現へと至った作品を集めています。本展が抽象芸術への新たな視点を得るきっかけとなれば幸いです。 1章「女流画家協会」 この章では、戦後まもなく女性たちの連帯によって結成された同会に参加したアーティストの抽象的な作品を取りあげます。 桜井浜江《花》 1947年 三岸節子《静物》1963年 ⒸMIGISHI 藤川栄子《塊》1959年 田中田鶴子《無 Ⅱ》1956年 芥川(間所)紗織《スフィンクス》 1964年 桂ゆき(ユキ子)《作品》1978-79年 2章「増殖する円」 この章では、円のモティーフを増殖させることで空間を作り上げた作品に注目します。 草間彌生《No. H. Red》1961年 ⒸYAYOI KUSAMA 青木野枝《雲谷 2018-I》2018年 福島秀子《凝視》1956年 辰野登恵子《May-7-91》1991年 3章「抑制と解放」 この章では、大胆な省略や要素の純化によって抽象的な表現へと至った作品を集めています。 木下佳通代《'79-38-A》1979年 沢居曜子《Line Work Ⅳ - 77 - 3》1977年 吉川静子《色影》1979年 ⒸShizuko Yoshikawa and Josef Müller-Brockmann Foundation 杉浦邦恵《Botanicus 18》1989年 春木麻衣子《outer portrait 1》2009年 ※「女性と抽象」リーフレット内で図版の公開に差支えがある場合は、公開を控えさせていただいております。 開催概要 東京国立近代美術館2Fギャラリー4 2023年9月20日(水)~12月3日(日) 月曜日(ただし10月9日、11月27日は開館)、10月5日(木)、10月10日(火) 10:00–17:00(金曜・土曜は10:00–20:00) 11月27日(月)は臨時開館(10:00-17:00) 入館は閉館30分前まで 一般 500円 (400円) 大学生 250円 (200円) ( )内は20名以上の団体料金。いずれも消費税込。 5時から割引(金曜・土曜 :一般 300円 大学生 150円) 高校生以下および18歳未満、65歳以上、「MOMATパスポート」をお持ちの方、障害者手帳をお持ちの方とその付添者(1名)は無料。入館の際に、学生証、運転免許証等の年齢の分かるもの、障害者手帳等をご提示ください。 キャンパスメンバーズ加入校の学生・教職員は学生証または教職員証の提示でご観覧いただけます。 ※「友の会MOMATサポーターズ」、「賛助会MOMATメンバーズ」会員の方は、会員証のご提示でご観覧いただけます。※「MOMAT支援サークル」のパートナー企業の皆様は、社員証のご提示でご観覧いただけます。(同伴者1名迄。シルバー会員は本人のみ) 11月3日(文化の日) 東京国立近代美術館
所蔵作品展 MOMATコレクション(2023.9.20–12.3)
2023年9月20日-12月3日の所蔵作品展のみどころ 遠藤麻衣×百瀬文《Love Condition》2020年 MOMATコレクションにようこそ! 当館コレクション展の特徴をご紹介します。まずはその規模。1952年の開館以来の活動を通じて収集してきた13,000点超の所蔵作品から、会期ごとに約200点を展示する国内最大級のコレクション展です。そして、それぞれ小さなテーマが立てられた全12室のつながりによって、19世紀末から今日に至る日本の近現代美術の流れをたどることができる国内随一の展示です。 今期のみどころの紹介です。3室「大正のタッチ」、4室「掌から空間へ」、10室「墨画飄々」は、企画展「棟方志功展」(10月6日~)に関連した展示。棟方展を見た方も見ていない方もお楽しみいただける内容ですので、ぜひ。また6室の東山魁夷(日本画)、7室の日和崎尊夫(版画)、9室の牛腸茂雄(写真)、10室の田口善国(漆芸)と、小個展形式で作品をご紹介。さらに2階ギャラリー4の女性作家の抽象表現を特集した企画もお見逃しなく。 企画展との連動、重要作家の代表的作品群の展観など、いずれも当館コレクションの厚みのなせる業と自負しています。どうぞお楽しみください。 今会期に展示される重要文化財指定作品 今会期に展示される重要文化財指定作品は以下の通りです。 原田直次郎《騎龍観音》1890年、護国寺蔵、寄託作品|1室 岸田劉生《道路と土手と塀(切通之写生)》1915年|2室 原田直次郎《騎龍観音》護国寺蔵、寄託作品、1890年 岸田劉生《道路と土手と塀(切通之写生)》1915年 重要文化財指定作品の詳細は名品選をご覧ください。 展覧会について 1室 ハイライト ピエール・ボナール《プロヴァンス風景》1932年 3,000m²に200点以上が並ぶ、所蔵作品展「MOMATコレクション」。その冒頭を飾るのはコレクションの精華をご覧いただく「ハイライト」です。日本画は人気の高い川端龍子《草炎》(1930年)と安田靫彦《居醒泉(いさめのいずみ)》(1928年)が並びます。長らく寄託されてきた《居醒泉》は、昨年晴れてコレクションに加わり、今回は収蔵後初のお披露目となります。彫刻は3点を紹介します。明治時代の木彫の名品である米原雲海の《清宵》(1907年)は、衣裳のやわらかな質感表現がみどころです。彩色木彫の平櫛田中《永寿清頌》(1944年)とあわせ、木彫の競演をお楽しみください。ケースの外には重要文化財の原田直次郎《騎龍観音》(1890年)のほか、美術館の顔となる作品が並びます。今回はとくに西洋絵画を手厚く紹介しています。近年収蔵したピエール・ボナール《プロヴァンス風景》(1932年)や、パウル・クレー《黄色の中の思考》(1937年)を含め、豪華なラインナップです。 2室 新か、旧か? 岸田劉生《道路と土手と塀(切通之写生)》1915年、重要文化財 何であれ、ものごとの最初を特定するのは難しい。MOMATの真ん中のMはモダン、つまり近代です。近代美術の始まりとは、いつなのでしょうか? ここに並ぶ作品の約半分は、1907(明治40)年に始まった官設の「文部省美術展覧会(文展)」に出品されたものです。この文展開設を日本の近代美術の始まりとする考え方があります(異論もあります)。そして近代とは「常に前衛であれ」ということをモットーとする時代です。つまり直近の過去は否定し、乗り越えるべき旧いものになります。設立当初は歓迎された文展ですが、まもなくすると硬直したアカデミズムの牙城として、新しい世代の批判対象になります。残り半分の作品は、そんな文展の在り方とは異なる道を進もうとした作家によるものです。これらの作品が制作されてから100年ほど経った現在の私たちには、やはり新しいものが旧いものより素晴らしく映るのでしょうか?それとも、新しいものにはない素晴らしさを、旧いものに見出すのでしょうか? 3室 大正のタッチ 藤島武二《アルシチョ》1917年 1階企画展示室で開催する「棟方志功展」に関連して、同時代の西洋に感化を受けた大正時代(1912–1926年)の日本の美術を紹介します。棟方志功が画家を志すきっかけとなったのが、文芸誌『白樺』に掲載されていたゴッホの《向日葵》の口絵だったというエピソードはよく知られています。ゴッホ、ゴーギャン、セザンヌ、マティスなど、20世紀初頭に「ポスト印象派」と呼ばれたフランスの絵画傾向が、海を越えて日本に与えた影響は多大なものでした。大正時代の美術を端的に言い表そうとするとき、しばしば用いられるのが「内面の表出」というキーワードです。同時代の新たな潮流を美術家たちが受け入れて咀嚼したことで、燃え立つような鮮烈な色彩や、刻み付けるような筆遣いが一斉に広まりました。それは海外の美術のスタイルを模倣したというより、内に秘めた情熱を形にする方法を学んだ結果であったといえるでしょう。描く対象の色と形を再現することを超え、それ自体が自己主張するようなタッチにご注目ください。 4室 掌(てのひら)から空間へ 棟方志功《雷妃》1952年 企画展「棟方志功展」に関連して、大正から昭和初期の木版画を紹介します。棟方志功が版画の道に進みはじめた1920年代、版画は小型の作品が多く、雑誌や葉書などの形式で流通していました。人々は机上で眺めて楽しむ芸術として、版画に親しんでいたのです。若い版画家たちは作品を持ち寄って版画誌をつくりながら、仲間や愛好家とのネットワークを築きました。一方で、公募展に版画が出品されるようになったのもこの時代です。絵画や彫刻とならぶ「展覧会芸術」として仲間入りを果たした版画は、展示空間のなかで鑑賞されることを想定して、サイズも徐々に大型化していきました。棟方志功のスケールの大きな力強い版画表現と、個性的なキャラクターは 「唯一無二」の作家として、その印象を強化します。しかし、棟方が大きな影響を受けた萬鉄五郎や川上澄生、版画制作を師事した平塚運ー、交流関係があった恩地孝四郎など、同時代の版画家たちの優れた実践は、棟方の重要な拠り所となっていました。 5室 飛行機、戦争、美術 北脇昇《空港》1937年 日本において初の動力飛行が成功したのは1910年のこと。1920年代には民間航空機の製造が始まり、1931年には初の国営民間航空専用空港「東京飛行場」(後の羽田空港)が開港します。飛行機の登場は、20世紀の美術に新たな視点や知覚をもたらすことになりました。村井正誠のように航空写真を絵画に援用する例や、航空工学に関心を持つ美術家も現れます。その一方で、飛行機は戦争とも関わりが深く、絵画では劇的なシーンを描き出すための格好のモチーフともなりました。軍用の飛行機の資金集めのために開かれた展覧会に出品された作品も含めれば、関連作品はじつに多岐にわたります。北代省三のモビールは、もともと飛行機(戦闘機)に使うための素材であったジュラルミンを使用しています。空を飛ぶという夢の技術の象徴として。あるいは、人力をはるかに超えるがゆえに武器にもなり得る機械として。戦争を挟む時期に制作された飛行機に関連する作品をご覧ください。 6室 東山魁夷 東山魁夷《たにま》1953年 東山魁夷は、企画展で紹介している棟方志功の5歳下、文化勲章を受章したのは1969(昭和44)年で棟方より1年早い、そんな同世代の日本画家です。今回この部屋では、東山の1947(昭和22)年の画壇デビューから、その名が広く知られるようになった1960年代初頭までの作品全8点をご紹介します。1947年の第3回日展で特選を受賞し、実質的なデビュー作となった《残照》は、素直な写実的描写と画面に漂う寂寞の情感によって戦後の日本人の心境に寄り添いました。1950年の《道》(今回不出品)は景気上昇に光明を見出した時代の気分を映し、国内各地に取材した《山かげ》(1957年)、《秋翳》(1958年)などは国内観光ブームと足並みをそろえるものでした。彼の作品への大衆的な人気はこうした作品づくりにも理由を求められますが、その後の人気を後押しした文筆によるセルフイメージづくり、大規模なプロジェクトへの参加、メディアとの協同といった諸戦略は、棟方のそれと一脈通じています。 7室 時空の彼方へ―日和崎尊夫の木口木版画 日和崎尊夫《海渕の薔薇 4》1972年 硬い柘植、椿などを輪切りにした版木に、鋭い刀で彫る木口木版は、精密で繊細な線刻ができ、書籍の挿絵等で活用されたものの、印刷技術の発達に伴い、長らく廃れていました。東京で美術を学んだ日和崎尊夫(たかお)は、1964年に高知県に帰郷し、ほぼ独学でこの技法を習得します。1960年代半ばから木口木版画制作に専念し、この技法を芸術表現として蘇らせました。柔らかさやねばり、感情のぬくもりを感じる椿を版木として好んだ日和崎は、木の表面を紙やすりで磨き上げ、黒インクを塗ると、年輪と対話するがごとく、下絵も描かずにイメージを直接彫り出したと言われています。漆黒の闇に浮かび上がる、無数の微細な白い線と点の織りなす詩的なイメージ。それらはまるで、原初の時代や時空を超えた世界へと見る者をいざなうかのようです。令和3年度にご遺族やご友人から作品をご寄贈いただき、初期から晩年までの画業を通観できるようになりました。日和崎の魅力に満ちた木口木版画の世界をどうぞご堪能ください。 8室 時間 配置 過程 宇佐美圭司《積層 No.1》1974年 この部屋では、時間や音、そして事物の様々な関係性のなかに見出せる秩序をそれぞれのかたちで示す、1970年代前後の作品をご紹介します。当時の日本では戦後の経済成長がピークをむかえる一方、公害問題やヴェトナム戦争に対する抗議活動とともに学生運動が激化します。既存の体制や知のあり方が疑問視される混沌とした状況のなか、自身を取り巻く世界を把握する手段として、表現活動を試みる作家たちが現れます。日付絵画によって時間の概念を可視化する河原温。事物の相互関係を写真でとらえる榎倉康二。立体造形を通じて空間の成り立ちを提示する田中信太郎。様々な構造について思考するための絵画を展開する宇佐美圭司や菅野聖子。そしてコラージュによって別の世界秩序を立ち上げる野中ユリ。これらの作家に共通しているのは、時空間の構成要素を生け捕り、その実体を 確かめていくような手つきです。変動の時代において、こうした営みはある種の必然性を伴う行為であったといえるでしょう。 9室 牛腸茂雄 SELF AND OTHERS 牛腸茂雄《SELF AND OTHERS [3]》1977年 自己(Self)と他者(Others)という主題をめぐって、家族や友人などの身近な人々や、街で出会った子供たちなど、全部で60点の人物写真で構成された牛腸(ごちょう)茂雄の代表作「SELF AND OTHERS」。今回はそこから26点を選んで展示しています。写真に現れる人物の大半は、まっすぐにレンズを見つめています。そのまなざしはこの連作における“他者”との対話の基調音をなしています。「自己と他者」という表題は、精神医学者R. D. レインの著書名から採られていますが、この作品の背景には、作者の精神医学への深い関心がありました。“他者”から投げ返されるまなざしを通じて、牛腸は“自己”を対象化し、自らの精神の深淵をも見つめようとしていたのでしょう。生まれたばかりの赤ん坊から始まって、多くの子供たちが登場するこの連作には、自己の確立、すなわち人間の内面的な成長という、もう一つの主題を読み取ることもできます。連作の最後におかれた、淡い光に向かって駆け出す子供たちをとらえた写真は、それを象徴しているようです。 10室 生誕100年 田口善国/墨画瓢々(ぼくがひょうひょう) 田口善国《プラズマ文青貝蒔絵六角香炉》1998年 手前のコーナーでは、漆芸家の田口善国(1923-1998)を特集します。松田権六に漆芸を学び、奥村土牛らより日本画の手ほどきを受けた田口は、草花や虫などを愛情深く観察し、斬新な構図と繊細な意匠で作品に表しました。蒔絵や螺細を駆使した表現は、重要無形文化財「蒔絵」保持者(人間国宝)としても高く評価されています。今回は生誕100年の節目にあわせ、田口善国の代表作を中心にゆかりの作家の作品も交えてご紹介します。 奥のコーナーでは、富岡鉄斎(1837-1924)を紹介します。生前・没後を通じて人気の高い鉄斎ですが、特に1950年代に入って同時代の評論家や美術家の話題となり、「日本のセザンヌ」などと称されました。文人画という伝統表現を近代美術として見直す動きは、同時期の棟方志功の木版画への注目の高まりともシンクロしていました。「瓢逸(ひょういつ)」と評される、自在に遊ぶような鉄斎の作品と、それに連なるおおらかな墨の筆遣いが特徴的な作品を合わせてお楽しみください。 11室 想像/創造する「からだ」 遠藤麻衣×百瀬文《Love Condition》2020年 このコーナーでは、2022年度に収蔵した遠藤麻衣×百瀬文の《Love Condition》を中心に、身体を起点にした表現を紹介します。身体のすみずみまで、意識を行きわたらせてみてください。頭から指先、足先まで自分自身の身体を実感できたでしょうか?身体は人間のアイデンテイティの拠り所となるものですが、一方で、顔や背中のように肉眼では見られない部位があったり、けがや病気、出産などによって刻々と変化したりする未知の存在でもあります。アーティストたちは身体の特定の部位に焦点を当て、時には自らの私的な要素を作品に組み込みながら、当たり前に存在しているはずの私たちの身体を相対化し、ジェンダーやアイデンティティ、セクシュアリティにまつわる根源的な問いを投げかけています。こうした視点に出会うことで、日常的な感覚や常識でこり固まった身体が揺さぶられ、解きほぐされていきます。 12室 エゴとエコ ロバート・スミッソン《ノンサイト(デス・バレーの南、127号線上のリッグスとシルヴァー湖の間で採取された白亜)》1968年 このたび新たに収蔵した風間サチコの《セメント・モリ》は、自然を人間のために利用してきた近代社会の縮図を、コンクリートに見出した作品です。そこには、人間の支配欲やエゴが表出している一方で、セメントの材料である石灰石は、数千万年という、人間の歴史をはるかに凌駕する時間のなかで、有機物の誕生と死減の繰返しによって生成されてきました。ここでは、風間の作品のテーマである人間のエゴと、エコロジー(生態学)的な視点に焦点を当て、当館のコレクションをご紹介します。自然を破壊し、汚染する人間の営為、近代化の過程でときに選しく働き、ときに搾取されてきた労働者たち、自然を切り崩して作られた人工物とそれをも飲み込む自然との拮抗、資本主義の裏で進む環境破壊、自然への深い同化を求める人間、そして人間のスケールでは捉えられない時間的、空間的広がりをもつ自然といったテーマが、これらの作品には見出せます。複雑に絡みあう人間と自然、エゴとエコは、今後どのような共存の道を歩むことになるのでしょうか。 開催概要 東京国立近代美術館本館所蔵品ギャラリー(4F-2F) 2023年9月20日(水)~12月3日(日) 10:00–17:00(金曜・土曜は10:00–20:00) 11月27日(月)は臨時開館(10:00-17:00) 入館は閉館30分前まで 月曜日(ただし10月9日、11月27日は開館)、10月5日(木)、10月10日(火) 一般 500円 (400円) 大学生 250円 (200円) ( )内は20名以上の団体料金。いずれも消費税込。 5時から割引(金曜・土曜 :一般 300円 大学生 150円) 高校生以下および18歳未満、65歳以上、「MOMATパスポート」をお持ちの方、障害者手帳をお持ちの方とその付添者(1名)は無料。入館の際に、学生証、運転免許証等の年齢の分かるもの、障害者手帳等をご提示ください。 キャンパスメンバーズ加入校の学生・教職員は学生証または教職員証の提示でご観覧いただけます。 ※「友の会MOMATサポーターズ」、「賛助会MOMATメンバーズ」会員の方は、会員証のご提示でご観覧いただけます。※「MOMAT支援サークル」のパートナー企業の皆様は、社員証のご提示でご観覧いただけます。(同伴者1名迄。シルバー会員は本人のみ) 11月3日(文化の日) 東京国立近代美術館
「梨園の華」より 十一世片岡仁左衛門の柿右衛門
「梨園の華」より 四世尾上松助の加賀鳶の五郎次
日和さんのカルパ—日和崎尊夫作品に寄せて—
日和崎尊夫を私たちは“日和さん”と呼んでいました。畏敬と親しみを込めて…。 日本に於ける木口木版画は明治20年代に合田清がヨーロッパからその技法を持ち帰り、多くの職人たちを育てましたが、写真製版の技術革新によって廃れ、戦前には長谷川潔、平塚運一らによる創作版画としての作例はあるものの、日和崎尊夫は彼らの伝統とは全く切れたところで独自に木口木版画を創り出しました(鍵岡正謹「カルバは駆けぬけ—日和崎尊夫 人と作品」『日和崎尊夫 木口木版画の世界—闇を刻む詩人』高知県立美術館、1995年)。まさに日和さんは木口木版画に新たな地平を切り拓いた開拓者と言えましょう。 更に言えば日和さんの存在がなかったなら現在日本の版画界で活躍する木口木版画家の大半が誕生することはなかったと私は断言します。中国で輩出しつつある作家たちも又…。 木口木版画の第一人者と呼ばれる柄澤齊は1970年20歳の時にシロタ画廊が刊行した日和さんと島岡晨による詩画集『卵』に強く惹かれて以来日和さんを師と仰ぎ、後に続く山本進や栗田政裕はその柄澤の指導を受け作家生活をスタートさせています。そして私は1974年30歳の時、日和さんの《KALPA X》《KALPA 夜》に目を奪われて初めて木口木版なるものの存在を知ったのです。 木口木版画は通常下絵に添ってなぞるように彫る、あるいはビュランで描くように彫るのですが日和さんの特徴は、遺作展図録のサブタイトルに「闇を刻む詩人」とある如く“刻む”ところにあります。 今回の展示作品で言えば1968年の《KALPA—羊歯》《KALPA 沼》まではビュランで描くように彫っていますが1969年の《脚》以降はビュランで刻み、その痕跡とその集積で画面を構築するようになっていきます。 私が初めて大判の椿を手に入れ磨き上げた時、気が付いたことがあります。樹齢300年はゆうに超えるその年輪が織りなす世界からはこの樹が風雪に耐え生きて来た歳月の物語が透けて見えるようでした。 日和さんはここに〈カルパ〉を見たのだ!と直感しました。 その意味で日和さんのカルパ・シリーズは木口木版画の原点とも言うべき作品でこれを超えることは望むべくもない、とすら思ったものです。 木口木版画は「その[版面の]上を黒いインクで覆う、[中略]版面は黒一色の闇である。この暗闇に光りを当てる、つまりビュランで刻むことだ」(日和崎尊夫「木口木版画 鑑賞のためのテクニック」『版画藝術』1973年2号)。版面を黒く覆うことによって年輪の中に息づく精霊たちを闇に閉じ込め、ビュランによって再び蘇らせる。日和さんにとって闇は宇宙であり、ビュランの痕跡は光そのものだったのでしょう。 ビュランの痕跡が増殖していくにつれて湧き上がり拡がりを見せる内なるイメージに身を委ねる。日和崎尊夫の作品世界はこうして生まれたのだと私は思っています。 今回の展示作品で言うなら1969年の《脚》から1976年の《ANTARA KALPA》までが日和さんの最盛期とも言うべき時代の作品たちで《海渕の薔薇》[図1]をはじめとするこの時期のすべての作品をカルパ・シリーズと私は位置づけています。 図1 日和崎尊夫《海渕の薔薇》1972年、東京国立近代美術館蔵 この時代、1972年第8回展で高松次郎がゼロックスコピーを活用した作品で受賞するなど東京国際版画ビエンナーレを舞台に新しい版表現が次々と抬頭する中、日和さんはその風潮に惑わされることなくただひたすら版を刻し続けたのです。 宇宙論的な想像を超越する極めて永い時間を意味するカルパ=劫・を追い求める日和さんにとっては時代の風潮など刹那・・にしか過ぎなかったということでしょう。 今一つ、気になる作品があります。1988年の《永劫回帰》[図2]です。1982年高知に帰郷、白椿荘に隠こもり殆ど新作を発表することがなかった時期の久々の新作です。自身が創設に力を尽くした高知国際版画トリエンナーレ第1回展に出品された作品であることを考えると実に感慨深いものがあります。数年間の空白を乗り越えようと必死の思いで自身を奮い立たせビュランを手にする日和さんの姿が目に浮かびます。「永劫回帰」。生の絶対的肯定を意味するこの画題から推し量ってみても日和さんは先を見据えていたと思います。 図2 日和崎尊夫《永劫回帰》1988年、東京国立近代美術館蔵 ただ日和さん亡き今になってみるとこの作品はカルパ・シリーズを締め括る最後の作品で、ロウソクの灯が消える直前の最期の輝きとも思えてしまいますが。 1989年の《新世界》、1990年の《OPAKA》ではあれ程までにこだわり続けたビュランの痕跡は全くなく、釘やネジ、ゼムピンなどモノの痕跡だけで構成されています。 現代美術の中でモノの痕跡を活用した作品は数多くありそれなりの意味を持つのですが、日和さんの場合頑かたくなまでに守り続けた牙城を自らの手で崩してしまうとは…と哀しくさえ感じてしまいます。 ビュランの痕跡こそが日和さん自身の痕跡であり生の証しでもあったのですから…。 日和崎尊夫、1991年11月病を得て入院、1992年4月29日食道癌のため逝去。享年50歳。 図3 会場風景(7室)|撮影:大谷一郎 追記 今回の展示、日和崎作品の展示室に隣接して1970年代を象徴する作品が展示されていました。あの時代の美術潮流の中で日和崎尊夫の存在は何を意味するのか…。そうした比較も楽しく、企画した学芸員に拍手!!です。 『現代の眼』638号
風間サチコ《セメント・モリ》2020年
風間サチコ(1972–)《セメント・モリ》2020年木版4点、木版に描画(アクリリック、ジェッソ)1点、版木、セメントサイズ可変:各182.2×91.2cm(木版画)令和2年度購入撮影:大谷一郎 天井から吊るされた5枚の巨大な木版画に、ヘルメットを被ってツルハシを持ち、法被に腹かけ、脚絆と草鞋という昔ながらの鉱夫の出で立ちをした労働者たちの姿が浮かびあがります。手前には、まるで墓石のようなコンクリートが置かれ、その上に、ところどころセメントが固まって付着した版木が載せられています。労働者たちは、墓堀人なのか、墓守りか、それとも墓に眠る者たちなのでしょうか。《セメント・モリ》というタイトルは、あのラテン語の警句「メメント・モリ(死を想え)」を連想させます。ここで想起することを促されている死について考えることが、作品を紐解く鍵になりそうです。 この作品は、2020年に無人島プロダクションで開催された風間サチコの個展「セメントセメタリー」1で発表されました。「セメントの墓地」を意味するタイトルを冠した同展は、2019年の黒部市美術館での個展「コンクリート組曲」2で発表した「クロベゴルト」シリーズに、新作の《セメントセメタリー》と《セメント・モリ》を加えて構成されました。「クロベゴルト」シリーズは、近代化の過程で、黒部川の自然を切り崩して進められた開発を、人間の支配欲を描いたワーグナーの楽劇『ニーベルングの指環』に重ねた6点組の版画作品です。《セメントセメタリー》では、石灰鉱山が墓標と化していくプロセスがフロッタージュで表現されました。この系譜に連なる《セメント・モリ》でも、自然を支配してきた人間のエゴがテーマとなっており、本作が呼び起こす死は、まずは人間の手で破壊された自然と言うことができるでしょう。 他方、この作品を、同じ主題の一連の木版画と異にしているのは、「捨てコン」から着想を得たコンクリートの土台です。コンクリートの原料であるセメントは、石灰岩を砕いて作られ、石灰岩は、数億年という地球の歴史のなかで、有機物の誕生と死滅の繰り返しによって生成されてきました。したがって、コンクリートはサンゴや微生物たちの眠る墓でもあります。また、この作品でもっとも存在感を放つのは、亡霊のように浮かぶ5人の労働者たちです。左右の4人は右手にドリルのようなものを装着しており、機械化に伴い加速した破壊行為を彷彿とさせる一方、中央の人物は胸の前で拳を握る姿に描き替えられており、開発の過程で犠牲になった名もなき数多の労働者たちの無念をも思わせます。版画が戦後の労働運動の伝播に寄与した歴史を思い起こしてもよいでしょう。 自然の死、有機物の死、労働者の死が重なり合う《セメント・モリ》は、風間の手による鋭い線刻と黒々とした刷りによって、近代社会の犠牲を私たちに突きつけます。 註 1 「風間サチコ セメントセメタリー」無人島プロダクション、2020年2月8日–3月8日 2 「黒部市美術館開館25周年 風間サチコ展 コンクリート組曲」黒部市美術館、2019年10月12日–12月22日 『現代の眼』638号
社会と向きあう美術はいかにして生まれたか
日本の近代美術史を振り返るとき、1923年に起きた関東大震災のことを忘れてはならないだろう。震災当時の体験を記録した作品はそれなりにある。たとえば、本展出品作の一つである小野忠重の木版画《一九二三年九月一日》(1932)[図1]では、頭上高く立ち昇る煙から必死な形相で逃避する人々が描かれている。小野の実家も焼失したが、関東大震災では火災によって東京の下町全域が焦土と化し、死者・行方不明者10万人を超える史上最悪の災害となった。震災直後に起きた朝鮮人や中国人、社会主義者やアナーキストの虐殺も、帝国としての日本の社会矛盾を露呈させた社会的な事件であった。関東大震災が美術史に与えたインパクトは大きく、その意味を再考するためにも意義ある展示だ1。 図1 小野忠重《一九二三年九月一日》1932年、東京国立近代美術館蔵 小特集「関東大震災から100年」は3部で構成されている。MOMATコレクションの2室「1923年の美術」、3室「被災と復興」、4室「社会のひずみ」がそれにあたる。まず、2室では、震災時の美術状況が提示される。発災当日は上野公園の竹之台陳列館での二科展と院展の初日であったが、そこに陳列されていた作品を集めている。津田青楓《出雲崎の女》(1923)は、窓から見える水平線が傾く構図が震災を予見していたかと勘繰るほどで、新しい表現を探求する大正期の自由闊達な精神がうかがえる。二科に出品した岡本唐貴、黒田重太郎、住谷磐根(入選するも出品辞退)は、当時の先端であった未来派やキュビスムの要素を採り入れた新興美術の作風を示している2。 図2 会場風景(3室)|撮影:大谷一郎|左手前は十亀広太郎の水彩画 続いて、3室に入ると震災後の部屋となり、被災地の風景を記録する写実的な筆致で描かれた十亀広太郎の水彩画から始まる[図2]。直接被災の様子を描く作品は十亀のみで、震災を報じる雑誌、『大震災画集』、『関東大震災画帖』など当時の資料が状況の説明を補う。冒頭の解説文では、美術評論家・匠秀夫による「関東大震災による荒廃は、ダダ的諸傾向の簇生 そうせい の好適の土壌となった」の言葉を引用している3。マヴォ展に出された住谷磐根《作品》(1924)、三科展に出された村山知義《コンストルクチオン》(1925)などは、ダダイスム精神の発露ともいえる。住谷や村山に共通するコラージュ的表現には、焼け跡に生まれたバラックのイメージを読みとることも可能だ。 しかし、3室はそれで終わらない。復興に伴う都市景観の変容もテーマとする。震災前の江戸情緒を残す日本美術院同人の画帖「東都名所」に、モダン都市・東京の魅力を描いた創作版画である織田一磨「新東京風景」や前川千帆らの「新東京百景」を対照させる。震災翌年の帝都復興創案展覧会に関する国民美術協会「国民美術」などの資料展示で、新興美術のうねりが建築にも広がりを見せていたことを明らかにする。杉浦非水デザインのポスター《国の文化は道路から》や《帝都復興と東京地下鉄道》は、復興政策にもとづく都市改造が進められたことを示す。3室の後半は、被災からの復興が都市の近代化を進める起爆剤になったことを教えてくれる。 図3 会場風景(4室)|撮影:大谷一郎|左手前は小野忠重の木版画、右手前は望月晴朗《同志山忠の思い出》1931年、東京国立近代美術館蔵 さらに深い射程で震災の影響を考えるのが、プロレタリア美術に関する4室である[図3]。震災時の虐殺事件は、若い作家に衝撃を与え、社会的問題への目覚めを促した。それが1920年代後半に台頭するプロレタリア美術への導線となる。実際にプロレタリア美術展に出品したのは小野忠重と望月晴朗だけであるが、マルクス主義理論家・福本和夫の影響を受けた前田寛治、小野と新版画集団を結成した藤牧義夫はプロレタリア美術周辺の作家といえるかもしれない。工事現場を描く福沢一郎、工場風景を描く長谷川利行の作品は、都市の発展を裏で支える人々や場所をモチーフとし、近代化の影の面を見つめている。 このような百年前の震災で美術家に見られた社会活動の広がりは、比較的近年に起きた2011年の東日本大震災での出来事とも重なる。二次災害であった原発事故は、多くの作家の関心を集め、先鋭的な作品が生み出された。美術を通した被災地での救援、復興支援の活動は、日本の現代美術にソーシャリー・エンゲイジド・アート(社会に関与する芸術)の概念を普及させる地ならしの役割を果たしたように思える4。プロレタリア美術運動は官憲の弾圧により1930年代に断絶してしまったが、戦争の時代をくぐり抜けて、戦後の民主主義美術運動に受け継がれた。その顛末について展覧会は語ってはいないが、関東大震災が社会と向きあう美術を生み出す契機となったことは確かである。 註1 筆者は以前、「関東大震災と美術—震災は美術史にどのような影響を与えたか」『府中市美術館研究紀要 第18号』(府中市美術館、2014年)を執筆したことがある。2 当時の前衛的芸術表現に「新興美術」の用語をあてるのは、五十殿利治『大正期新興美術運動の研究』(スカイドア、1995年)以来の用法にもとづく。3 匠秀夫『近代日本洋画の展開』昭森社、1964年、365頁4 「ソーシャリー・エンゲイジド・アート」については、パブロ・エルゲラ/アート&ソサイエティ研究センターSEA研究会訳『ソーシャリー・エンゲイジド・アート入門 アートが社会と深く関わるための10のポイント』(フィルムアート社、2015年)などを参照。 『現代の眼』638号
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