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フェミニズムと映像表現(2025.2.11–6.15)
展覧会について 1960年代から70年代にかけて、テレビの普及やヴィデオ・カメラの登場によってメディア環境が急速に変化すると、作家たちは新しいテクノロジーを自らの表現に取り入れはじめました。同じ頃、世界各地に社会運動が広がり、アメリカでは公民権運動、ベトナム反戦運動などの抗議活動が展開されます。そのなかでフェミニズムも大衆的な運動となり、男性優位の社会構造に疑問を投げかけ、職場や家庭での平等を求める女性が増えました。この状況は、女性アーティストたちが抱いていた問題意識を社会に発信することを促しました。主題や形式の決まっている絵画などに比べると、ヴィデオは比較的自由で未開拓な分野だったため、社会的慣習やマスメディアの一方的な表象に対する抵抗を示すことにも有効でした。前会期から続くこの小企画では、作品の一部を入れ替えて、上記の時代背景を起点とする1970年代から現代までの映像表現を紹介します。鑑賞の手がかりとなるいくつかのキーワードにもご注目ください。 マーサ・ロスラー《キッチンの記号論》1975年 Courtesy Electronic Arts Intermix (EAI), New York キーワード1:個人的なこと ヴィデオ普及以前の主要な映像記録媒体であった8ミリや16ミリのフィルムは、撮影後に現像とプリントが必要なため上映までに時間を要しました。1960年代にヴィデオ・カメラが登場すると、撮影後すぐに上映可能な即時性が注目され、撮った映像をその場で見せるライブ・パフォーマンスや即興的な撮影がさかんに試みられます。生成と完成のタイムラグが極めて少ないヴィデオは、撮りながら考える、あるいは撮ってから考えることを可能にし、身の回りの題材や個人的要素を反映した作品も制作されました。マーサ・ロスラーが《キッチンの記号論》を発表した当時、アメリカでは女性の料理研究家のテレビ番組が国民的人気を博しており、ロスラーの意見(料理を女性の役割とみなすことへの違和感)は少数派だったかもしれません。しかし本作品は国や時代を超え、現在も共感を集めています。1970年代初頭のアメリカで、「個人的なことは政治的なこと」というスローガンを掲げたフェミニズム運動のもと映像制作を始めた出光真子は、女性たちの置かれた日常から出発した作品を制作しました。個人の声をダイレクトに伝えるヴィデオは社会に問いを投げかけるメディアでもあるのです。 マーサ・ロスラー《キッチンの記号論》1975年 Courtesy Electronic Arts Intermix (EAI), New York 出光真子《シャドウ パート1》1980年 キーワード2:対話 ヴィデオというメディアは、絵画や彫刻、写真にはない、発話という新しい要素を芸術表現にもたらしました。出光真子の作品では、両親から発せられる一方的な言葉は、娘を抑圧したり、追い詰めたりするばかりで、互いの立場や意見の違いを尊重する「対話」とはほど遠い言葉の応酬が描かれます。遠藤麻衣×百瀬文の《Love Condition》では、2人の作家が粘土をこねながら、「理想の性器」についての対話を繰り広げます。両者のアイデアの差異や一致が、次々と新たな展開を生んでいきます。この作品では、対話はあらかじめシナリオが決められているわけではない、脱線や混線、笑いの伴う即興的な「おしゃべり」として展開することが特徴です。他方、キムスージャの《針の女》では声を伴う会話はありませんが、都市の雑踏の中、針のように直立不動で立つ女性と、彼女に気づき眼差しを向ける人々の間には、異質な存在どうしの無言の対話が生まれているのではないでしょうか。 ナンシー・ホルトとロバート・スミッソン《湿地》1971年 Courtesy Electronic Arts Intermix (EAI), New York 遠藤麻衣×百瀬文《Love Condition》2020年 キムスージャ《針の女》2000–01年 Courtesy of Kimsooja Studio キーワード3:「私」の分裂 出光真子は、1970年代前半に男女同権を求めて女性たちが立ち上がったウーマン・リブの時代に、映像という手段で自己の表現をスタートました。それから30年あまりの年月で40本近い作品を発表してきました。出光の作品では、家庭や社会でさまざまな状況に置かれた女性たちが直面する制約や葛藤、反発が描かれます。また、作品の中に入れ子状にもう一つの画面を登場させることで、現実世界と精神的な内面世界との分裂を浮き彫りにします。 さまざまな職業の女性たちと、彼女たちの影(負の部分)がモニターに映し出された《シャドウ パート1》、母親とその分身としての娘の複雑な関係に焦点をあてた《グレート・マザー 晴美》、そして、画家である女性が、肉親や友人からの抑圧的な言動によって追い詰められていく様子を描いた《清子の場合》は、家父長制が根強い家に生まれ、娘、妻、主婦、母としての毎日を送っていた出光自身の日常に根ざした作品です。出光が描き出す、社会や家族の中で埋没していく「私」の抱く閉塞感や息苦しさは、2020年代を生きる私たちにもなおリアリティをもって迫ってくるのではないでしょうか。 出光真子《グレート・マザー 晴美》1983年 出光真子《清子の場合》1989年 開催概要 東京国立近代美術館2Fギャラリー4 2025年2月11日(火・祝)~6月15日(日) 月曜日(ただし2月24日、3月31日、5月5日は開館)、2月25日、5月7日 10:00–17:00(金・土曜は10:00–20:00) 入館は閉館の30分前まで 一般 500円(400円) 大学生 250円(200円) ( )内は20名以上の団体料金。いずれも消費税込み。 5時から割引(金・土曜) :一般 300円 大学生 150円 高校生以下および18歳未満、65歳以上、「MOMATパスポート」をお持ちの方、障害者手帳をお持ちの方とその付添者(1名)は無料。入館の際に、学生証、運転免許証等の年齢の分かるもの、障害者手帳等をご提示ください。 キャンパスメンバーズ加入校の学生・教職員は学生証または教職員証の提示でご観覧いただけます。 「友の会MOMATサポーターズ」、「賛助会MOMATメンバーズ」会員の方は、会員証のご提示でご観覧いただけます。 「MOMAT支援サークル」のパートナー企業の皆様は、社員証のご提示でご観覧いただけます。(同伴者1名まで。シルバー会員は本人のみ) 本展の観覧料で入館当日に限り、所蔵作品展「MOMATコレクション」(4~2階)もご覧いただけます。 5月18日(国際博物館の日) 東京国立近代美術館
「所蔵品ガイド」における対話のアウトライン
東京国立近代美術館の「所蔵品ガイド」1は、いわゆる対話型鑑賞2の手法を取り入れたプログラムで、その進行役をMOMATガイドスタッフ(当館ボランティア)が務める。 ここではその構造を粗掴みすることで、プログラムの意義と課題について考える手がかりとしたい。 図1 「所蔵品ガイド」の流れ プログラムの大まかな流れを図1に示すが、「所蔵品ガイド」では、参加者それぞれが自分の目で作品をみることから始める。しばらくの後、進行役は対話を始める言葉を投げかける。「何がどんなふうに描かれていますか?」「作品をみて、気になったことや考えたことを、何でもいいので教えてください」など観察を促し、思考へと結びつけられるような問いかけとともに、どんな発言も受容される場づくりを行う。 参加者からは、モチーフに関する言及、印象や考えたこと、作品から紡ぎだした物語などさまざまな言葉が発せられる。進行役はこれらの発言を整理し、作品内の視覚情報をまとめ、時には謎や疑問を共有しながら論点を抽出し、さらに観察することを励ます。この段階での参加者は、他者と一緒にみる体験を通じて、自分一人では気づかなかったことや考えなかったこととの出会いを楽しみながら、作品をみ続ける。 「所蔵品ガイド」では要所で、作品に関する説明を挟む3。ヒントとしてのキャプションの提示、作品の造形要素や物質的側面に意識を向けるための技法や素材の話、制作意図を想像してもらうための時代背景の説明などさまざまな可能性が考えられるが、それまでの参加者の発見や発言を踏まえた、その場での最適な情報提供や問いかけを探る。これらは、参加者が自分の経験と照らし合わせたり、自分なりに作品を解釈したりすることへといざなうのが目的だが、この展開が非常に難しい。つまり図中Cの後の4を活性化させることに、本プログラムにおける課題が見出せるのではないだろうか。 対話の場として開きつつも、美術館のプログラムとして作品に迫る即ち自分なりの解釈を伴う体験を提供するために、設定された枠組みの中でどのように展開させるか、「所蔵品ガイド」におけるMOMATガイドスタッフと我々の探究はこれからも続く。 註 「所蔵品ガイド」は、およそ50分で所蔵作品を3点鑑賞するプログラム。2003年5月の開始以来、コロナ禍などの特殊な状況を除き、ほぼ毎日所蔵品ギャラリーで行われてきた。 「対話型鑑賞」は、1990年代にVTC(Visual Thinking Curriculum)が日本に紹介される際に意訳的に考えられた名称だったが、現在では対話を通じた鑑賞の総称として用いられることもある。日本における対話型鑑賞の歴史は、『ここからどう進む? 対話型鑑賞のこれまでとこれから:アート・コミュニケーションの可能性』(京都芸術大学アート・コミュニケーション研究センター監修、福のり子他編集、淡交社、2023年)に詳しい。当館では「対話鑑賞」と称し、ここに述べたような手法をとっている。 一條彰子「教育普及 コレクションと鑑賞教育」(『現代の眼』613号、2015年8月)の調査報告にもあるが、「所蔵品ガイド」では、作品に関する情報を与えることで、VTS(Visual Thinking Strategies)などとは異なり、美術館ならではの鑑賞や学びを目指している。 『現代の眼』639号
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展示替え・施設整備休館のお知らせ(期間:12月23日~2月10日)
東京国立近代美術館は、展示替えと施設整備のため2024年12月23日(月)~2025年2月10日(月)の期間に休館いたします。 ミュージアムショップ、アートライブラリも休業・休室となります。 レストラン「ラー・エ・ミクニ」は12月27日(金)ランチまで営業し、1月7日(火)ディナーから営業開始いたします。 次回の展覧会 2025年2月11日(火)~6月15日(日)所蔵作品ギャラリー 所蔵作品展「MOMATコレクション」 ギャラリー4 コレクションによる小企画「フェミニズムと映像表現」 2025年3月4日(火)~6月15日(日)企画展ギャラリー 「ヒルマ・アフ・クリント展」
アンリ・ルソー《第22回アンデパンダン展に参加するよう芸術家達を導く自由の女神》1905−1906年|所蔵品解説004
研究員による所蔵作品解説。所蔵作品の魅力を、研究員が分かりやすく短い動画で解説します!また、ろう者や難聴者の方、日本語初学者にもご覧いただけるように、キュレータートークの【日本語字幕版】も公開しています。 https://www.youtube.com/watch?v=7rJp-kPEqxQ
植田正治《パパとママと子供たち》1949年|所蔵品解説005
https://www.youtube.com/watch?v=UFB0Ijx3530
多田美波《Chiaroscuro》1979年|キュレータートーク|所蔵品解説011
所蔵作品の新たな見方、楽しみ方をお伝えするオンラインキュレータートーク。今回は、多田美波《Chiaroscuro(キアロスクーロ)》(1979年)を取り上げます。この作品は、当館の前庭に設置されているので、ご覧になったことがある方も多いことでしょう。ステンレスを曲げて円錐形に仕上げた、多田の代表的なシリーズの最初の作品です。「光」と「素材」に着目して、《Chiaroscuro》の魅力をひもときます。 https://www.youtube.com/watch?v=mTK2BBcFfoY
連載企画「カタログトーク#3|〈座談会〉「女性と抽象」展と「フェミニズムと映像表現」 展」
展覧会に伴って発行される展覧会カタログ。豊富な図版や解説、最新の研究成果を踏まえた論文、文献一覧、年譜、意匠を凝らしたデザインなどなど、単なる展覧会の記録にとどまらない貴重な資料です。このコーナーでは展覧会カタログの制作に関わった方々にこだわりのポイントや制作秘話を伺いながら、その魅力を掘り下げていきます。 出席者:鈴木晴奈(デザイン)小川綾子(東京国立近代美術館研究補佐員)小林紗由里(東京国立近代美術館研究員)森卓也(東京国立近代美術館研究補佐員)横山由季子(東京国立近代美術館研究員)堀田文(東京国立近代美術館研究補佐員)※撮影聞き手・構成:長名大地(東京国立近代美術館主任研究員)-2024年12月6日(金)東京国立近代美術館ミーティングルーム 「女性と抽象」展とカタログ 長名:本日はお忙しいなか、お集まりいただきありがとうございます。展覧会担当の皆さん、カタログのデザインを担当された鈴木さん、どうぞよろしくお願いいたします。『現代の眼』の連載企画「カタログトーク」の第3回目としまして、コレクションによる小企画「女性と抽象」展(2023年9月20日–12月3日)と、「フェミニズムと映像表現」展(2024年9月3日–12月22日)で会場配布された2冊のカタログについてお話をお聞きできればと思っております。 一同:よろしくお願いします。 「女性と抽象」展のカタログ(左)と「フェミニズムと映像表現」展のカタログ(右) 長名:いずれも女性のアーティストを取り上げた展覧会ですが、会場で手に取れなかった方も、PDF版が当館ウェブサイトからダウンロードできますので1、今回まとめてお伺いできればと思っております。まず「女性と抽象」展の企画に至った経緯について簡単にお話いただけますか。 小川:詳しい経緯は、Tokyo Art Beatさん2の記事を読んでいただければと思いますが、少し展示を企画する前からお話をさせていただくと、私は2020年3月にコレクション部門の広報に着任したのですが、コロナ禍真っただ中でした。すぐに美術館が臨時休館になって、コレクション展の広報活動ができなくなりました。一方で、翌年に開館70周年を迎えることから、ウェブサイトのリニューアルの話も出ていて、ウェブサイトを充実させるために、国内外の美術館でどのような取り組みをしているかリサーチしていました。そのなかで、女性のアーティストを取り上げる展覧会が数多く組まれていることを実感しました。 (左から)小川綾子研究補佐員、小林紗由里研究員、森卓也研究補佐員 長名:そのなかで特に記憶に残っている展示はありますか。 小川:ニューヨークのホイットニー美術館で開催された「Labyrinth of Forms: Women and Abstraction, 1930–1950」(2021年10月9日–2022年3月13日)です。この展覧会は、自館のコレクションを元に、地域の女性のアーティストにも注目するという企画展でした。この展示が記憶に残っていて、当館でも女性のアーティストと抽象美術を対象とした展覧会ができたらと思っていました。 横山:この企画の提案があった頃、ちょうど私たちも着任し、小川さんの発案を元に、小川、小林、佐原しおり、堀田、松田貴子、横山の6名で担当することになりました。 (左から)鈴木晴奈さん、横山由季子研究員 長名:デザイナーの鈴木さん、これまでどのようなお仕事をされてきたか教えていただけますか。 鈴木:2021年に独立して、Design Studio hareを立ち上げたのですが、それまでは林琢真デザイン事務所に在籍していました。独立後、美術館関係で最近のお仕事ですと、軽井沢安東美術館のミュージアムグッズや館内パンフレット、福岡県立美術館レター「とっぷらいと」、同館の「久留米絣と松枝家展」(2024年10月12日–12月1日)の広報物、MOA美術館での「光琳 国宝「紅白梅図屏風」×重文「風神雷神図屏風」展(2024年11月1日–11月26日)のチラシやポスターなどのデザインを手掛けさせていただいております。 長名:カタログについては、横山さんから依頼があったと伺っております。デザインの依頼を受けられるとき、いつもどのようなことを意識されていますか。 鈴木:クライアントの想いやイメージをしっかりとビジュアルで表現することはもちろんですが、それが社会に出たときにどのように作用するのか、受け取る人たちのことも考えながら、ゴールを気にしてデザインすることが多いです。作風については、綺麗とか、品があると言っていただけることが多いですが、制作するときは、自分のアイデンティティや作風はほとんど気にしていないです。ただ、必要なものだけを残すということを意識しているので、必然的にすっきりしたデザインになることが多いのかもしれないです。 長名:今回は「女性と抽象」というテーマでしたが。 鈴木:「女性」という強いワードがつけられていることから、私なりに女性について考え、デザインの構想をしました。この展覧会は3章で構成されるというお話を伺ったので、紙のサイズを変えて3段構成にしようと思いました。実は最初に提案したデザインでは、赤を基調としていました。女性のアーティストが虐げられていた環境のなかでも団結して取り組む力強さを表現しようと。ただ、ちょうど同じ時期に「プレイバック「抽象と幻想」(1953–1954)」展(2022年10月12日–2023年2月5日)の配布物も赤と黒を基調としたデザインだったことを知って違う色合いのほうがいいだろうと再考しました。 長名:そうだったのですね。 鈴木:そこで色については、なにかしら意味をもってしまう色を避けて、地の色はグレーなどのモノトーンでという話になったんです。それで、まずはモノトーンの配色だけで作り始めてみたものの、なにかしっくりこなくて。そこで試しにピンクを入れてみたんです。女性の強さはじわーっと広がるようなイメージがあって、それでこのピンクに、シルバーを加えたグラデーションにしました。 小川:サイズについては、最初にカバンのなかに入れて持ち運んでもらえるようなものにしたいとお伝えしていました。この3段仕様は難しかったのではないでしょうか。 鈴木:中綴じ部分の針金のピッチを変える必要がありました。印刷会社さんにお聞きしたことですが、中綴じの針金は定型のピッチがあり、今回そのピッチで綴じてしまうと、1番手前の短い紙が破れてしまう可能性があると。なので、針金の位置を少しずらして、破れないように調整してくださっています。また、3段になっている部分の幅についてもずいぶん検証しました。あまり幅を狭めてしまうと立体感が失われ、逆に広げすぎるとテキストが収まらなくなるので、そのあたりのバランスを見ながら決めました。全体的に品のある作りを意識し、扉は全面シルバー、作品ページは白地できちんと作品が目に入るようなレイアウト、最初と最後のページに黒をもってきて全体のメリハリも意識しました。 横山:カタログには、作家の略歴や参考文献も含めました。女性のアーティストは文献が限られている方もいるので、必ず1作家1点参考文献を挙げています。その他、座談会も。 鈴木:座談会の部分は、作品や、参考文献とも異なるテキストなので、デザインでそれがわかるように、ノドのところにピンクのグラデーションを入れています。 長名:文字情報が多いはずなのに、コンパクトにまとめられていますよね。 堀田:「女性と抽象」展の企画に際して、リサーチを進めるなかで、過去に行われた女性のアーティストに関する展覧会カタログを参照しました。でもそれは、このようにカタログという形でちゃんと残っているからできるわけで、形として残っていることの意義はすごくあると思っています。 「フェミニズムと映像表現」展とカタログ 長名:続いて「フェミニズムと映像表現」展の企画経緯についてお話しいただけますか。 小林:この展覧会を企画した直接的なきっかけは、2022年度に遠藤麻衣さんと百瀬文さんによる映像作品《Love Condition》(2020年)が収蔵されたことが挙げられます。コレクション展を担当するなかで、フェミニズムの思想と結びついた作品を日本美術史のなかに、きちんと位置づけられたらと考えていました。コレクションを調べていくなかで、なかなかフェミニズムの問題に関連する作品が見当たらないと思っていたのですが、ヴィデオ・アートがあるなと。2009年に当館で開催された「ヴィデオを待ちながら:映像,60年代から今日へ」展(2009年3月31日–6月7日)では、女性のアーティストによる映像作品も多数取り上げられていました3。限られた所蔵品のなかで通史的に提示することは難しいのですが、映像作品から紡ぎ出されるキーワードで作品の間を結びつけながら、ゆるやかに時代の流れを辿れるようにできないかと考えるようになりました。 横山:「フェミニズムと映像表現」展は、「女性と抽象」展のような章立てではなく、キーワードを用いていますが、それは、作品同士の重なりをゆるやかに示すことを意識してのことでした。 森:キーワードを選択する過程では、フェミニズムありきでキーワードを列挙するのではなく、映像表現というジャンルの特性と密接に結びつくようなフェミニズム関連のキーワードを意識しました。 長名:そこで「マスメディアとイメージ」「個人的なこと」「身体とアイデンティティ」「対話」といったキーワードが考案されたということですね。カタログの色を青にしたのはどのような理由からでしょうか。 鈴木:最初、小林さんからはブラウン管のRGBのような柄と色というオーダーをいただいたのですが、前回のデザインを踏襲することを踏まえると少し難しくて。映像というと、青というイメージがあり、前回とトーンを合わせた青にして提案してみたら、これは良いのではないかと、皆さんにご賛同いただけました。前回と異なる部分として、章立てがなかったり、座談会がなかったり、映像作品のため複数画像を収めるなどの違いはありましたが、構成については、皆さんと台割を相談するなどして、わりとすんなりと進みました。 長名:特にこだわった個所を教えていただけますか。 鈴木:たとえば、細かいですが、表紙の「フェミニズム」という文字。他ではリュウミンという書体を使用していますが、実はここだけ別の貂明朝という書体を使っています。同じ書体を使うと、すっきりと見えすぎて文字のイメージと合わなかったためです。それと、カタログ内の「フェミニズム」の見出し部分も、細長い判型のためか、そのままだと文字も細長く見えてしまって、少し文字を太らせています。 小川:表紙でいうと、この文字の配列も相談しましたよね。 鈴木:そうでしたね、たしか3パターンくらい作った気がします。グラデーションのなかに文字が浮かび上がるような、このレイアウトが投票で選ばれました。「フェミニズムと映像表現」展の表紙もグラデーションになっていますが、実は細かく色指定をしています。 長名:細かい指定をしないと、このグラデーションは出せないということですね。 鈴木:これも後から印刷会社さんに聞いたのですが、刷版の作り方から変える必要があったそうです。通常よりもインクの粒の大きさを、かなり小さくするといった工夫をしてくれています。これは、粒を小さくすることでインクが紙に乗る面積が増え、なだらかなグラデーションを表現するためです。ただこの方法の欠点が、たくさんインクが乗る分、カラーの出方が、やや彩度が上がることです。それによって、最初の色校正で青色の彩度が強く出てしまいました。その後、印刷会社さんが手作業で何パターンも出力をテストして、そのなかから良いものを提案してくださったので、前回との統一感もちゃんと出たと思っています。 横山:実はカタログだけでなく、会場に掲出している鑑賞のためのチャートのデザインも鈴木さんにお願いしています。 「フェミニズムと映像表現」展の鑑賞のためのチャート 長名:カタログ以外のデザインも手掛けられていたのですね。「フェミニズムと映像表現」展は会期を延長することになったんですよね。見どころなどありましたら。 小林:はい、いくつか作品を入れ替えることになりますが、「所蔵作品展 MOMATコレクション」(2025年2月11日–6月15日)でもご覧いただけることになっています。たとえば、キムスージャの《針の女》(2000–01年)は、当館では3回目の展示になるのですが、ギャラリー4の間取りも過去から変わっており、今回の展示に向けて、改めてキムスージャスタジオに投影方法について確認をして、センチ単位での指定を受けて設置をしています。指示通りにすると本当に雑踏のなかにいるかのような感覚になって、彼女の映像作品のクオリティの高さを再認識しました。 横山:今回出品した1970年代の作品の多くは、国内外で既に製造が終わっているブラウン管テレビで展示しています。今後、同じように展示できる保証はないので、機器にも注目してほしいところです。 長名:フェミニズムという側面以外にも、注目すべき点がたくさんありますね。皆様、本日は貴重なお話をありがとうございました。今後も楽しみにしております。 註 当館ウェブサイト内の「コレクションによる小企画 女性と抽象」(https://www.momat.go.jp/exhibitions/r5-2-g4)、および、「コレクションによる小企画 フェミニズムと映像表現」(https://www.momat.go.jp/exhibitions/r6-2-g4)を参照。 福島夏子、菊地七海(構成)「インタヴュー 東京国立近代美術館はなぜ「女性と抽象」展を開催するのか。コレクションにおける女性の作家の再発見とジェンダーバランスについて担当者に聞く」Tokyo Art Beat、2023年10月20日(https://www.tokyoartbeat.com/articles/-/women-and-abstraction-interview-202310)。 ダラ・バーンバウムやリンダ・ベングリス、ジョーン・ジョナスなどの作品は、同展をきっかけに収蔵に至った。 『現代の眼』639号
マックス・エルンスト 《砂漠の花(砂漠のバラ)》1925年
マックス・エルンスト 《砂漠の花(砂漠のバラ)》 1925年油彩、鉛筆・キャンバス 75.0×59.0cm 令和5年度 購入©ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2024 X0306 誰しも幼い頃、コインのうえに紙を押し当てて鉛筆で擦り出し、リアルな絵が浮かび上がる遊びを経験したことがあるのではないでしょうか。画家マックス・エルンストはコインの代わりに、板の木目や木の葉、貝殻、紐など主に自然の事物を用いて、そこに浮かび上がる不思議な形象を元に新たなイメージを創造しました。彼はこの技法を「フロッタージュ」(frottage)と名付け、1925年8月10日に発見した際のエピソードを残しています。 ある雨の日、私は海岸のとある宿屋にいた。そこの床板を苛立って眺めていると、さんざん洗い流されて深い溝のできたその床板から妄想が生れ、視覚につきまとって私を驚かせたのである。私はそのとき、この妄想のシンボリズムを検討することにきめて、自分の瞑想と幻覚の能力をたすけるために、数葉の紙片を偶然にまかせて床板の面にならべ、試みにその上から石墨で探ることによって、一連のデッサンを獲得した。1 エルンストはシュルレアリスムを代表する画家の一人です。シュルレアリスムは、詩人アンドレ・ブルトンが主導した20世紀最大の芸術運動です。1924年に彼が発表した『シュルレアリスム宣言』には、「シュルレアリスム、男性名詞。それを通じて人が、口述、記述、その他あらゆる方法を用い、思考の真の働きを表現しようとする、心の純粋な自動現象(オートマティスム)。理性によるどんな制約もうけず、美学上ないし道徳上のどんな先入主からもはなれた、思考の書き取り」2とあります。当初詩の運動としてスタートしたシュルレアリスムでしたが、まもなくして絵画による実践も試みられるようになります。フロッタージュもその一つで、エルンストはこの技法の発明によって「絵が次々と生れてくるのを、観者として見ることに成功した」3と述べ、オートマティスムとの対応を示しています。フロッタージュによる成果は、『博物誌』(1926)という34葉からなる作品集にまとめられ、そこには奇妙な魚や鳥、馬、人の眼(のような形象)の数々が収められています。《砂漠の花(砂漠のバラ)》は、この時期に描かれた作品です。縦長のキャンバスには、画面向かって左側に右手の人差し指を立てた女性像(らしき形象)、右側に崩れかかった壁、それらの背景に澄んだ空色が広がっています。細部に目を凝らすと、女性像の頭部や身体部分にはフロッタージュによるイメージが用いられており、その一方で、女性像の左胸に添えられた赤いコサージュ(作品のタイトルとも関係がありそうです)は写実的に描かれており、一枚の絵の中でさまざまな表現を試みていることが見て取れます。ブルトンの主著『シュルレアリスムと絵画』(1928)等4にも掲載されてきた本作。シュルレアリスムの絵画において重要な作例の一つであると言えるでしょう。 註 1 マックス・エルンスト『絵画の彼岸』巖谷國士訳、河出書房新社、1975年、15–17頁 2 アンドレ・ブルトン『シュルレアリスム宣言/溶ける魚』巖谷國士訳、學藝書林、1974年、50頁 3 エルンスト、前掲書、47頁 4 André Breton, Le Surréalisme et la Peinture, Gallimard, 1928, p. 38. 左記の他、以下の文献等に掲載。La Révolution Surréaliste, no. 6, 1926. 田邊信太郎「千九百二十年以降の繪畫傾向」『みづゑ』302号(1930年4月)。アンドレ・ブルトン『超現實主義と繪畫』瀧口修造訳、厚生閣書店、1930年。Cahiers d'Art (ed.), Max Ernst, Oeuvres de 1919 à 1936, Paris, 1937. 『現代の眼』639号
和田三造《南風》1907年、重要文化財 |キュレータートーク|所蔵品解説012
所蔵作品の新たな見方、楽しみ方をお伝えするオンラインキュレータートーク。今回は、和田三造《南風》(1907年、重要文化財)を取り上げます。 この作品は、日本初の官営展覧会「文部省美術展覧会」第一回展でグランプリ(二等賞)を受賞した作品です。作者である和田三造は、自身の難破体験をもとにこの絵を描いたと語りましたが、渡航先については大島説と八丈島説の2つの説がありました。主任研究員の桝田倫広が、当時の船の就航記録や本作に描かれている船の形態を元に、《南風》の謎を解き明かします。 企画:東京国立近代美術館 制作:株式会社コグワークス 協力:千葉県立中央博物館 https://youtu.be/-JyafVvUj-8?si=R6yJwb2vr2JCqzRi
鑑賞者と作品をつなぐもの—「ハイライト」の新しい試みを考察する
東京国立近代美術館はミッションとして「歴史を編み直す」「対話を生み出す」「創造を支える」「多様性を尊重する」「美術館の基準を示す」という5つの柱を掲げている1。なかでも「美術館の基準を示す」は、国立館特有の標榜と言えるだろう。これらのミッションを念頭におきながら、所蔵作品展「MOMATコレクション」に初めて教育普及担当者が企画段階から関わったという「ハイライト」の新しい試みを考察していきたい。 図1 会場風景|加山又造《千羽鶴》1970年、東京国立近代美術館蔵 本展では、作品それぞれに短い問いかけ文が設置されている。企画担当者が「問いかけは作品と鑑賞者をつなぐ役割を担って」いると述べているように2、展示室に入った鑑賞者が、自然と作品に意識を向けるような内容だ。いくつか、具体的な例を挙げてみよう。会場に入って最初に置かれた加山又造《千羽鶴》には「鶴を追いかける」という一文が示されていた。その手前には作品中の鶴を抜き出したような、木製の鶴のモチーフが置かれ、「鶴を手にとって、動かしてみませんか」という問いかけが添えられている。実際に鶴を手にとって動かしてみると、作品から抜け出した鶴が自分の手のひらにいるようで、なんだか微笑ましい。鶴を動かすという小さな(しかし静かな展示室では大きな)身体の動きは、人の感情の動きに作用し、鑑賞者の心理をさまざまに揺さぶる。筆者も、自然と手の中の鶴を作品の中に探しながら作品を見ていた。これは企画者の意図通り、作品と鑑賞者をつなぐ問いかけの好例であるといえよう。 図2 会場風景|アド・ラインハート《抽象絵画》1958年、東京国立近代美術館蔵|撮影:黑田菜月 また、アド・ラインハート《抽象絵画》に付された問いかけ文にも注目したい。同作は黒一色の画面に見えるが、「何かみえてきますか」「本当に・・・何も描かれていませんか」(傍点筆者)という問いが示されていた。「本当に」という、ある意味で鑑賞者を試すような言葉が、見ている人の足を止め、じっくりと作品に目を向けるように誘導する。作品をよく観察することから鑑賞が始まるという教育普及的な視点が、この「本当に」という一語に端的に示されていると言えるだろう。 他にも、作品の前に置かれた足跡のマークによって近くや遠くへ視点を変えるよう誘導したり、床に貼られた猫の足跡や、壁にある猫のシルエットによって、下から作品を見上げることを提案したりと、作品の多様な見方を促すさまざまな仕掛けが用意されていた。 図3 会場風景|原田直次郎《騎龍観音》1890年、東京国立近代美術館寄託(護国寺蔵)|撮影:黑田菜月 さて、展示室を一周し、筆者はふと「これはだれに向けての展示なのだろう」と立ち止まった。さまざまな問いかけ文は、親子連れに適した内容や、美術館に馴染みがない来館者を意識したものに感じられたが、他方、その問いかけに沿って鑑賞し、さらに作品について知りたいと目を向けた解説文は専門的で高尚な内容であり、そのギャップに少し戸惑ったからだ。 筆者は、展示室の解説文は鑑賞者と美術館をつなぐ重要なツールであると考えている。解説文は、常に作品の横にあり、鑑賞者がほぼ必ず目にするという点で、ホームページや図録など、別にアクセスが必要な情報とは役割が異なる3。その上で、全ての鑑賞者が目に留め、読むことを意識しているか、解説文の内容と伝え方に着目して読み解くと、そこに美術館の態度が見てとれることが多い。本展では、専門的な解説文が設置されていたが、例えば、問いかけ文と呼応した内容と文体の作品情報を設置してもよかったかもしれない。 「だれに向けた展示か」に話を戻すと、同館のミッションは「あらゆる人々が美術に触れ」る場を生み出すことであり、本展も同様の考えのもとに行われているという4。しかし、誤解を恐れずに言えば「あらゆる人々=だれもが」は、油断すると「だれでもない」無色透明なヒトになる危険性を孕んでいる。「あらゆる人々」とは具体的にだれなのか。多様な利用者に向けた活動を担う上で、どんな専門であっても、学芸員は常にその問いを考え続ける必要があるだろう。 本展のように、教育普及ならではの視点で企画された所蔵品展は全国でも珍しくはない5。しかし元来、作品を展示するという行為の先には、それを見る「鑑賞者」がいるものであり、本来的には展覧会そのものが教育的な要素を含むとも考えられよう。よって、本展のように教育普及担当者が関わる展覧会が継続されることはもちろん、「教育的」と謳わなくとも、さまざまな来館者を具体的に意識した展覧会を企画し、その実績を積み上げていく意味は大きい。その結果として「美術館の基準を示す」というミッションも果たされるのではないだろうか。今後の展覧会にも注目していきたい。 註 1 「私たちのミッション」東京国立近代美術館ホームページ 2 佐原しおり、藤田百合「鑑賞のきっかけをつくる—所蔵作品展の新しい試み—」『現代の眼』638号、2024年3月、46頁(2024年2月Web掲載) 3 﨑田明香「キャプションは利用者と作品をつなぐ:美術館リニューアルオープンにおける新しいキャプション製作の事例」『福岡市美術館研究紀要 第8号』福岡市美術館、2020年、37–38頁 4 前掲註1参照 5 筆者の所属する福岡市美術館では1990年より小学生と中学生を対象に「夏休みこども美術館」を開催。毎年、教育普及担当者が企画しテーマに沿って所蔵作品を紹介している。 『現代の眼』639号
