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プレイバックPart 2:「日米抽象美術展」の再現

人知れず残っていた調書や乾板、平面図等がもたらすヴァーチャルなリアリティ、あるいはそれを支えるテクノロジーが、検証をより意義深いものとするわけではない。程度の差はあれ、同種の資料を用いて復元が可能な展示は他にもある。それよりも、眼前の対象を写すわけではない絵画等の性格を知りながら、それらが並ぶ事例をあえて選びありのままに描出するというきまりの悪さこそが鍵となるだろう[図1]。なぜいまそれを扱うのか。会場は一点の作品のかたちフォームの問題だけではなく、作家たちが胸に納めておこうとした現実をも詳らかにしてしまうからだ。 図1 「プレイバック「日米抽象美術展」(1955)」東京国立近代美術館3階7室|撮影:上野則宏 イサム・ノグチの口添えによって、ジョージ・モリス(George L. K. Morris)は長谷川三郎に出品を打診するため手紙を送る。長谷川はこれを踏台として日本アブストラクト・アート・クラブを組織し、ブランシェット・ロックフェラー(Blanchette H. Rockefeller)らの支援を得て、リヴァーサイド・ミュージアムで開催される第18回の「American Abstract Artists」展(1954年3月7日–28日)のため1954年1月にニューヨークへたどり着く。 到着ののち1954年2月に長谷川はThe Clubで話す機会を得る。8th Streetのこのクラブはニューヨーク・スクールと名指されることになる画家らが集まったことで知られ、のちに伝説と化した。また3月16日には知己のフランツ・クライン(Franz Kline)らと共に、長谷川はミュージアム・オブ・モダン・アート(MoMA)で開催されたシンポジウムにも登壇することができた。 なおMoMAではこの年「Japanese Pottery by Kitaoji Rosanjin」展や「Japanese Exhibition House」と続き、「Japanese Calligraphy」展(6月22日–9月19日)の開催がある。これらはいずれも同館のキュレーター、アーサー・ドレクスラー(Arthur Drexler)による企画であり、前年の来日時に彼は森田子龍や井上有一、篠田桃紅らの作品を選ぶが、長谷川もこれにかかわっていたとみてよい。機に乗じ茶をたてながら自作を語る長谷川の滞米は延び、以後の移住を心に決めて日本へと戻る。 すなわちこうした長谷川三郎の運動が、いわば凱旋として国立近代美術館の「日米抽象美術展」(1955年4月29日–6月12日)をかたちづくっている。鑑賞の際には日米の差異とあわせて、そうした境をこえた普遍性をとらえてほしい。この特別展はこのように説き、東海岸から届いた作品を2階に、日本の側の出品を油絵や版画、彫刻、書等と分け1階や3階で示した。ゲンビと称された現代美術懇談会など例はあるものの、上記「American Abstract Artists」展および「Japanese Calligraphy」展等をふまえたこの京橋の催事は、Word Paintingsひいてはモダン・アートとして書を扱う先駆にもなった[図2]。 図2 「日米抽象美術展」国立近代美術館3階|提供:東京国立近代美術館   銀座の松坂屋で開催された篠田桃紅の個展(1954年9月10日–15日)などに続き丹下健三が会場を設計。 本展の会場は丹下健三が設計をしている。だがもとよりそれを誰が担おうと、作家の意や作品の考証をあるがままに場にうつすことはできない1。それを知ってか知らずか、丹下はここでひとつひとつの作品が有する筆触や構成等のみに観客を引きつけるのではなく、そうした自律的なありように反しむしろ共にあろうとする。1階では玉砂利を室内から中庭へと連ねて敷き、彫刻をその中に置くことで視線を外へと誘う。またハンス・リヒター(Hans Richter)は《Orchestration of Color》を長谷川が住む辻堂に送った。約1か月、床の間で長谷川が愛でたのちに京橋へ運び込まれたこの作品は、館においてもそのまま掛物として扱われている[図3]。さらにわざわざガラスの壁を設けそこに掛けた絵画もあり、平面の深度あるいはフォーマルな性格をとらえることそのものを遮る。理詰めのアブストラクトには似つかわしくない空間か。亜種や東亜と言うなかれ、これもモダニズムなのだ。 図3 「日米抽象美術展」国立近代美術館2階|提供:東京国立近代美術館 ただし国立近代美術館を代表する立場にいた今泉篤男は、MoMAの近刊を参照しマーク・トビー(Mark Tobey)の言にふれるなど、この特別展が扱いきれなかった日米の交わりについても各所で補足をしている2。ニューヨークの動向を絶対視するわけではないものの、そうした手落ちの口惜しさがあれば「日米抽象美術展」の会場をやはり未達、未完の近代とみる者もいたであろう。 1954年の長谷川三郎は東西を問うことで己の達成をはかろうとしたが、ヨーロッパとの旧交を温める余裕はなく、合衆国において彼は必死であった3。しかしながらコンセプチュアルと呼ぶにはあまりにもまっすぐな筆墨の《宣言》は、未達とみなすことそれ自体が力だと開き直る潔さを2024年に伝える[図4]。 図4 長谷川三郎《宣言》1954年頃 註 1 詳細は以下。拙稿「方法としてのディスプレー—国立近代美術館とその会場(1952年)」『鈍色の戦後—芸術運動と展示空間の歴史』水声社、2021年、75–97頁。 2 Alfred H. Barr Jr. and William S. Lieberman, “Recent American Abstract Art,” Alfred H. Barr Jr. ed., Masters of Modern Art, New York: MoMA, 1954, pp. 174–181. 3 Saburo Hasegawa, “Abstract Art in Japan,” The American Abstract Artists eds., The World of Abstract Art, New York: George Wittenborn, 1957, pp. 69–74. 『現代の眼』639号

「所蔵品ガイド」と「Let’s Talk Art!」——コロナ禍を経て変化したこと

 2023年5月23日は、教育普及室の職員とMOMATガイドスタッフ(ボランティア、以下ガイドスタッフ)が、コロナ禍から脱し日常が戻ってきたことを実感した日だ。当館の教育普及の中核といえるプログラム「所蔵品ガイド」1がコロナ禍以前と同様に再開したからである。   コロナ禍の発生からしばらくは美術館の活動自体が休止されたが、そこから通常の教育普及の活動に戻る期間には、感染症の拡大を防ぎつつも、各プログラムを継続するためにオンラインプログラムや動画配信などの新たな方法を採用した2。  2020年10月から「所蔵品ガイド」の代替として、ZOOMを用いた「オンライン対話鑑賞」が開始された。また、「所蔵品ガイド」の展開としてYouTube動画の「ガイドスタッフが選ぶイチオシ作品」のシリーズなどを制作し、当館のウェブサイトで公開した3。2022年11月から対面で再開した「所蔵品ガイド」は、定員5名、週に3日(火・木・土)、各日2回という制限を設けたが、作品の前で、参加者とガイドスタッフがようやく顔を合わせられたという喜びがあっただろう。  本稿では、ガイドスタッフによる「所蔵品ガイド」と英語プログラム「Let's Talk Art!」における、コロナ禍を経ての運営やプログラム実施方法などの変化について記したい。略年表を文末に付したので、併せてご参照いただきたい。 ガイドスタッフ運営の変化   全ガイドスタッフが出席し、年間3–4回開催される例会は、教育普及室からの伝達や活動に関して協議するための場である。2024年1月の例会で「世話人」の廃止となったのは、ガイドスタッフ運営においてひとつの区切り目といえるかもしれない。  世話人とは、教育普及室と協力してガイドスタッフ活動の運営に携わる人々で、ガイドスタッフのうち数名が数ヶ月ごとに交代で担当した。世話人同士が打ち合わせ、例会の準備や司会、議事録の作成、「所蔵品ガイド」担当日のシフトづくりなどを担った。中でも「所蔵品ガイド」担当日のシフトづくりは、さまざまな要件に配慮し、ガイドスタッフの担当交代などに伴う調整もこまめにおこなう必要がある。加えてガイドスタッフルーム内の図書の貸し出しや整理もあった。世話人が担ってきた仕事を教育普及室の所管としたのは、各人の負荷を減らし、プログラムの準備や実施内容に注力いただくためであった。 英語プログラム「Let's Talk Art!」の変化   「Let's Talk Art!」は2017年から準備に着手し、2019年3月から開始した。設計・監修者を外部の専門家に頼み、MOMAT英語ファシリテータ(以下英語ファシリテータ)による鑑賞・異文化交流プログラムとして会話形式で実施された4。このプログラムは有償スタッフ(英語ファシリテータ)5が担当し、事前申込制、月4回、18:30開始、参加費1000円だったが、コロナ禍により2020年2月以降は休止した。その後YouTube動画「Virtual LTA!」の制作・公開や、オンラインプログラムでの活動となった。  2023年春から教育普及室職員が英語ファシリテータの育成を担うことになったので、プログラムの枠組みを検討し、同年11月以降は、対面、無料、申し込み不要とした。その間に館内で協議を重ね、英語ファシリテータを廃し、教育普及室がガイドスタッフ(日本語)にガイドスタッフ(外国語等)を加えた2種類のガイドスタッフ(ボランティア)を育成、運営することになった。外国語等としたのは、英語以外の言語の可能性を含めたからである。現在は元英語ファシリテータのうちの希望者がガイドスタッフ(外国語等)として新たに登録し、「Let's Talk Art!」を担当している。   つまり、2024年4月より「所蔵品ガイド」に加えて「Let's Talk Art!」が、ガイドスタッフ(ボランティア)によるプログラムとしてスタートしたのである。 段階的な試行から定着へ   当館には3–4月に「美術館の春まつり」(以下「春まつり」)、7–8月に「MOMATサマーフェス」(以下「サマーフェス」)6という全館イベントがある。この春と夏の期間限定の季節イベントでは、短期間であるため試行が実践しやすいことから、ここでやってみたことのうち、必要なものは定着させる、という流れが生まれた。   2024年の「春まつり」を経て定着したのは、「所蔵品ガイド」の実施時間とガイド担当者/ヘルプの2人制である。14:00開始だった「所蔵品ガイド」は、参加者が20人以上になることもしばしばだった。この人数だと対話鑑賞が成立しにくく、1人で担当する負担も大きい、という悩みから、来館者の多い「春まつり」では開始時間を11:00に移し、ガイド担当者/ヘルプの2人制7でおこなった。11:00の所蔵品ギャラリーは来場者が少ないため、プログラム実施の環境が向上した。ヘルプは参加者の誘導や他の来館者のための動線確保、作品の安全への配慮、プログラムのタイムキープなどを担い、ガイド担当者がプログラム内容に集中できるようになった。  また、2023年11月–翌年3月末の「Let's Talk Art!」の実施期間中に参加者へのヒヤリングや来館者を対象としたアンケートをおこなった。これらの調査からコロナ禍以前とは異なり、来館者の3割以上を外国人が占め、その多くが旅行者であることがわかった。調査結果をうけて、プログラムの所要時間を長短で実施し、2024年3月の「春まつり」では20分で1作品として、次年度のプログラム設計に反映するための試行をした。その結果、現在の「Let's Talk Art!」は所要時間30分の解説で、同日2回、無料で実施している。  教育普及のプログラムは、美術館の特徴や沿革、ミッション、現代社会や地域の課題などから具体化される。各プログラムの目的、参加者の特性、採用する方法などについても、アンケートなどのデータなども参照しつつ検討を重ね、改善する。継続的なプログラムであれば、なおさらである。必要なマイナーチェンジは、長くプログラムを継続していく要件である。  註 原則として開館日に、定員なし、50分で3点の作品の対話鑑賞をおこなうプログラム。 端山聡子「みんなでみると、見えてくる——教育普及の中核をなす「所蔵品ガイド」」『現代の眼』638号、2024年3月  細谷美宇「コロナ禍の教育普及活動(1)——代替プログラムでの新たな試み」『現代の眼』635号、2021年3月 細谷美宇「[研究ノート]コロナ禍における解説ボランティア——MOMATガイドスタッフの活動例『東京国立近代美術館研究紀要』26号、2022年3月 大髙幸「英語によるプログラム「Let's Talk Art!」——会話によるオンライン美術鑑賞プログラムで世界とつながるとは」『現代の眼』637号、2023年3月 英語ファシリテータ(有償解説スタッフ)は4,000円/回(研修日も支給、交通費別)。 「美術館の春まつり」は2016年、「MOMATサマーフェス」は2017年より現在の形で開始、両方とも所蔵作品展を中心に据えて、館への来館者増とファンづくりを目的とした全館イベントとして実施している。 2024年1月23日からは主に教育普及室職員がヘルプを担当、「春まつり」でガイドスタッフの2人制になった。 『現代の眼』639号

ドローイング——思考と身体の拡張装置

線を核とするドローイングが、シュルレアリスムのオートマティスムや戦後の抽象表現主義を経て、現代美術において重要な意味を持つようになって久しい。とりわけ、1970年前後のコンセプチュアル・アートにおいて、ドローイングは写真と共にこの動向を牽引する役割を担ったと言っても過言ではない1。その後ドローイングは絵画や動画2、あるいは身体を介した空間との関係を模索するなど3、その意味するものはさらなる広がりを見せている。  この秋、所蔵品ギャラリー2階の、11室と12室にわたって特集された2つのテーマ展示、「Lines and Grid」[図1] と「ドローイングの生命」は、この1970年前後の動向を軸に捉えることもできるだろう。即ち、線とグリッドの方は、1970年代のコンセプチュアルな動向の中にあったドローイングを紹介するものであるのに対し、後者は、1970年代を挟む、その前と後のドローイングの展開を通して、現代美術の状況を逆照射するものとなっていた。 図1 会場風景(11室「Lines and Grid」)|撮影:大谷一郎 11室は、窓に面した部屋に2020年に設置されたソル・ルウィットのウォール・ドローイングが企画の出発点としてあり、ルウィットと同時代にニューヨークで活動したアーティストによる線とグリッドが内在した作品等で構成されている。90cm四方のグリッドの内部に線と円弧のヴァリエーションが展開するルウィットのこのウォール・ドローイングは1970年代初頭に始まる作品群の系譜に連なる。作品には、作者が構想を紙にインクで描いたドローイングがあり、この指示書をもとに、実際に壁に描いて実現するのはドラフトマンであった。作品における、構想と実現を分け、実現するのは作者でも他者でも良いという考え方は、例えばフルクサスのイヴェント作品におけるインストラクションや、音楽における楽譜と演奏者の関係と同様に、作品制作に関わる主体と実現の複数性を提案するものだった。 図2 宮本和子《赤と黒の縦と斜めの線》1973年、東京国立近代美術館蔵 この展示室で紹介されている宮本和子は1970年代にドラフトウーマンとしてルウィットの作品制作にも関わったが、自らは、糸と釘による、ドローイング・インスタレーションとも言える作品を発表している。本展出品作の、方眼紙に直線と斜めの線を引いた平面上のドローイング[図2]は、壁面と床を繋ぐ三次元の空間に展開する糸によるドローイングと共鳴するものである。異なる次元を跨いで活動する宮本にとってのドローイングは、それまでの作品のジャンルや制作の主体のあり方を周縁から揺るがし、問いかけるものだったことがわかる。 図3 瑛九《デッサン》1958年、東京国立近代美術館蔵 1970年代を挟む前後の時期のドローイングを紹介する、ギャラリーの最終室では、主に日本での動向に目を向けている。1930年代に、レンズを介さぬ型紙を用いたフォトグラムを、「フォト・デッサン」と名付けた瑛九は、戦後1957年にその制作プロセスを援用して、板に型紙を置きエアブラシで壁画を制作、その後油絵に専心する過程でドローイングを手がけている[図3]。光によるフォルムの定着をもデッサンと捉えた瑛九は、作者の手を介在させないドローイングのあり方を先導しつつ、一方でインクによる反復と微細な揺らぎを繋いでいく線の軌跡を定着しようと試みていた。瑛九の制作活動は、ドローイングを手掛かりとすることで、その複眼的な関心のありかの一貫性が見えてくる。 図4 会場風景(12室「ドローイングの生命」)|撮影:大谷一郎|壁面右から2点目が吉澤美香《無題》1987年、東京国立近代美術館蔵 作品制作や制度を批評的に主題化するコンセプチュアルな動向が続いたのちに始まった絵画空間と形象の関係の模索は、伸びやかな線を中心とする大画面でのボディ・スケープとも言える吉澤美香等の表現へと向かう[図4]。さらに近年は、小型の紙に連鎖するイメージを描き留める坂上チユキや、変容していく樹木を主題とするイケムラレイコ、また、言葉とイメージが併存する表現を、対象と接近した関係をきり結ぶドローイングに特有の表現として捉えることへの関心も高まっている。ドローイングは、作者の無意識や他者、さらには人工的な身体や知能などの介在という、開かれた作品のあり方を召喚すると共に、掌にのる画帳をはじめ、依然として日常的な発見や個人の意識の揺らぎを痕跡として記すことを可能とするものでもある。近年、美術館で様々なアプローチでドローイングの展示が試みられているのは、主体と表現が拡張する現代美術の制作状況を相対化するものだからであろう。このような、美術館の展示の見方を静かに提示する企画を今後も期待したい。 註 1 この時期のドローイングの動向に着目した展覧会として、Drawing Now: 1955–1975, The Museum of Modern Art, New York, 1976がある。2 I Still Believe in Miracles. Dessins sans papier, Musée d’Art Moderne de la Ville de Paris, 2005は、2000年代初頭に、紙という支持体を持たないドローイングのあり方として動画とウォール・ドローイングに着目した展覧会。3 On Line: Drawing Through the Twentieth Century, The Museum of Modern Art, New York, 2010–2011では、空間の中で展開するものと身体行為の軌跡としての線的な表現に着目している。 『現代の眼』639号

ガイドスタッフによる所蔵品ガイド

ガイドスタッフによる所蔵品ガイド ガイドスタッフ(当館ボランティア)が選んだ所蔵作品数点を、対話を交えて鑑賞します。ガイドスタッフ・作品は毎回変わります。その日出会った参加者との対話をお楽しみください。  開館日の11時~11時50分頃※ 2024年9月21日(土)、22日(日)、11月3日(日)、12月16日(月)は、会場が混み合うことが予想されるため実施しません。(2024.11.22更新) どなたでも なし 4階エレベーター前ホール(MOMATコレクション展示室内) 無料(要観覧券) ご参加にあたって: プログラムの特性上、ガイドスタッフや作品の事前周知はしておりません。ご了承ください。 災害や会場の混雑状況等により、予告なく中止することがあります。 お問い合わせ 東京国立近代美術館 教育普及室メール: volunteer@momat.go.jp電話:03-3214-2605(受付時間:平日10:00-17:00)

無限

木の間の秋

金地に木立という構図は近世の琳派に例があります。また、花をつけた葛、下生えのススキ、ススキに隠れた百合の花といったモチーフは、酒井抱一の有名な《夏秋草図屏風》(東京国立博物館蔵)のモチーフとも一致します。つまり琳派を強く意識した作品だといえますが、ここでの金は、琳派的な無限定の空間ではなく、木々の向こうにさしこむ光として扱われ、量感表現にも結びついています。この時期に再発見された琳派を、西洋的な写実表現と融合させ、新日本画として再生した意欲作です。

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12月16日(月)臨時開館のお知らせ

東京国立近代美術館は、12月16日(月)に臨時開館いたします。 開館時間 10:00~17:00(入場は16:30まで) ※ミュージアムショップは開店、アートライブラリは休室いたします ※レストランの営業時間はお電話にてご確認くださいラー・エ・ミクニ 03-3213-0392 ※ガイドスタッフによる所蔵品ガイドは実施しません 開催中の展覧会(12月22日(日)まで) 企画展「ハニワと土偶の近代」 所蔵作品展「MOMATコレクション」 コレクションによる小企画「フェミニズムと映像表現」

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美術評論家連盟資料

美術評論家連盟資料の整理は、ISAD (G)(国際標準記録史料記述一般原則の第2版)に基づいて行った。以下の表で示した項目(番号)はISAD (G)の記述エリアと対応している。 資料の詳細情報は、「3.3.4編成方法」の各シリーズに付した東京国立近代美術館蔵書検索(OPAC)のリンクから確認することができる。実際に、資料を利用する際は、「3.4.1利用条件」を事前に確認の上、アートライブラリにお問い合わせください。 ISAD(G)2nded. 項目 記述内容 3.1 識別表示 3.1.1 請求記号 AICA*||*||* 3.1.2 資料名 美術評論家連盟資料 3.1.3 年代域 1954〜2015年 3.1.5 資料の分量・規模 文書保存箱8箱_内訳:ファイル65冊 写真200枚 カセットテープ100本 会員名簿90冊 その他多数の紙片(数量はいずれも概数) 3.2 コンテクスト 3.2.1 作成者名(出所) 美術評論家連盟等 3.2.2 作成者の経歴情報 1954年5月、国際美術評論家連盟(L'Association internationale des critiques d'art)の日本支部として結成。美術評論家の団結をはかると共に、国際的に協力し、造形文化の発展に寄与することを目的とする。初代会長は土方定一、常任委員長は富永惣一、事務総長は河北倫明。 3.2.3 伝来情報 2019年、美術評論家連盟事務局のある東京国立近代美術館にて保管されていた資料を東京大学駒場キャンパスへと搬入し、整理作業を行った。その後、2024年に美術評論家連盟から東京国立近代美術館アートライブラリに寄贈された。 3.2.4 入手元 美術評論家連盟より寄贈 3.3 内容と構造 3.3.1 範囲・内容 美術評論家連盟の活動にまつわる文書。主として文書だが写真、カセットテープなどが含まれている。 3.3.4 編成方法 シリーズ(ウェブサイト上で表記) > ファイル(OPAC上で表記) 美術評論家連盟資料 ・シリーズ1:美術評論家連盟に関する資料(1954-2015, 主に1971-1982) A. 総会に関する資料(1964, 1971-2014) B. 常任委員会に関する資料(1972-2015) C. 催事に関する資料 D. 声明・要望等に関する資料 E. 会報に関する資料 [第1号〜ウェブ版第4号](2001-2014) F. 文化庁派遣芸術家在外研修員候補者推薦に関する資料 G. 個人・機関との通信などに関する資料 H. 会員名簿等に関する資料(1954-2015) I. 会計に関する資料 ・シリーズ2:AICA International(国際本部)に関する資料(1954-1960, 1974-2015) A. 国際本部からの受信文書(1954-1960, 1975-1984, 2000-2015) B. 国際本部への送信文書(1974-2015) C. 国際大会に関する資料(1978, 1984, 1995, 2000) D. 会計に関する資料 3.4 アクセスと利用条件 3.4.1 利用条件 〇一般公開なし 〇限定付き公開1. 事前に美術評論家連盟にて、当該資料の利用に関する申請手続きを行った上で、承認を受けてください。 2. 美術批評家連盟にて申請が受理されましたら、当館アートライブラリで利用申請をしてください。資料の準備に時間を要しますので、利用予定日の1カ月前までに申請をしてください(要事前予約)。 3.4.3 資料の言語 主に日本語 3.4.4 資料の物理的状態 第Ⅱ閉架にて保管 3.4.5 検索手段 ・ウェブサイト・OPAC 3.5重要な関連性のある他の資料 3.5.3 関連資料 3.5.4 参考文献 『美術評論家連盟会報』 20号(2019年11月):鏑木あづさ「美術評論家連盟資料について」 3.6 注記 3.6.1 注記   3.7 記述コントロール 3.7.1 担当者 東京国立近代美術館 3.7.3 記述年月日 2024年3月6日

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第4回東京国際版画ビエンナーレ展

今回の国際大賞はアンドレイ・イェメック(アンドレイ・イェメッツ)で、前回に続いてユーゴスラヴィアの作家の受賞となった。国立近代美術館賞は池田満寿夫(1934‒97)が受賞したが、審査委員会議長のウィリアム・リーバーマンは「国立近代美術館賞の授賞は日本人作家に限られており、もしそういう制約がなければ、池田が国際大賞をとったと思う」と述べ、授賞制度の見直しが次回以降検討されることになった。なお、特別展示として今回は広重の作品を陳列した。 開催概要 東京国立近代美術館 1964年11月14日‒12月20日(32日間) 10,481人(1日平均328人) 読売新聞社 ヘンリー・トルーブナー トゥイ・テレンス・バロウ ジャラルディン・アメッド デメンティ・アレクセヴィッチ・シュマリノフ ウィリアム・S.リーバーマン 久保貞次郎 山田智三郎 23.5×18.0cm(114)p. 527点 196人

4K映像 池田輝方 池田蕉園 《素描帳》全頁紹介|Close Look

https://youtu.be/h92Wb80YRhE 東京国立近代美術館では2023(令和5)年に、池田蕉園の描いた《かえり路》を受贈しました。その調査の過程でわかったことがあります。当館が所蔵する素描帳に、《かえり路》の構想図も描きこまれていたのです。素描帳は池田輝方のものとされてきました。「池田輝方先生素描」の題箋が貼られているからです。輝方は蕉園の夫。素描帳のページをめくってゆくと、二人がひとつの素描帳に思いつくままに描き、ほんの着想から小下絵になる寸前まで、作品の中身を定めていったことがうかがわれます。この素描帳の大部分を占めるのは、輝方の《木挽町の今昔》と蕉園の《かえり路》の構想です。どちらも1915(大正4)年に開催された第9回文部省美術展覧会に出品されました。 動画制作:国立アートリサーチセンター

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